怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

北村薫「いとま申して」

2022-02-16 20:26:47 | 
北村薫の父の学生時代の日記。生前は読んだことはないのだけど、読んでみると父の生きた青春時代の生々しい記録になっている。
これは一般読者も分かるように時代背景を整理して、当時の文献などを渉猟して、かつまだ生きている方にお話を聞くなどして、ノンフィクションノベルに仕立てている。
因みに「いとま申して」と言う題名は父の辞世の句
「いとま申して、さらば」と帰り行く
      冬の日の、竹田奴かな
からとっている。
ハードカバー本の全3巻で全部読むと1000ページを超えるので読了するのは結構大変でした。血沸き肉躍るドラマがある訳でなく、すいすいと読める類の本ではないし、おかげでレヴューが大幅に遅れました。
最初の1巻は神奈川中学生時代の巻

「童話の人々」という副題がついていますが、これは当時「童話」という雑誌があって、主人公の父はそこの投稿欄に投稿する常連で入選もしている。そこから文学を志す人たちとの交流があり、同人誌を出すことになったりと輪が広がっていきます。
ところで投稿仲間で西の入選常連は淀川長治サンだったとか。なんとなく懸賞小説の投稿常連だった井上ひさしが当時競っていたのは西の藤本義一だったと言うエピソードを思い出します。
今の高校生時代から投稿をして入選しているのはそれなりの才能があったと言うことでしょうが、個人的には童話と言うのはイマイチ実感がわきません。当時はそれが結構若者の心をとらえていたのか。
投稿仲間で同人誌をつくると言う話も結構あって、家業をおろそかにするとか貧しい生活で身を削りつつ打ち込んでいく姿には悲壮感すらあります。
しかし主人公は何代か続く眼科医の息子で家業を継ぐ気もなく生活の心配をすることもなく悲壮感とは無縁です。学業に専念している訳でもなく何とか進級できる程度で結構お茶したり間食したりと青春を謳歌している様子で、いいとこのお坊ちゃまの生活ですか。
それでも慶応の予科から本科へと進学していき、そこでは文学からは次第に遠ざかっていき、折口信夫と出会い民俗学にのめり込んでいきます。

折口信夫と言う人は柳田国男と並ぶ民俗学の泰斗だと言うぐらいしか知識はなく、具体的にどういう業績があるのか全く知りません。ともかくその名前を始めて記憶したのは井沢元彦の「猿丸幻視考」だったぐらい。カリスマ性があって、人の好き嫌いが顕著で、キャンパスをいつも取りまきを従え歩き、ほとんどノートも見ずに話していく独特の講義の様子は魅入られた人にはたまらないのでしょう。主人公も折口と民俗学に魅入られていくのですが、取り巻きには違和感があってなれなかったみたいです。それでも奈良とか京都とか三河、東北と日本各地を民俗行事の取材に飛び回り、論文をまとめている。
そんな中でも歌舞伎とか文楽には夢中で、今この時に名優たちの姿を見ることが出来なければ絶対に後悔すると日程や小遣いを工面して劇場に通う。
学費などは当然ながら親持ちで、旅行費用とか本代とかさらには観劇費用なども親持ち。当時は学生アルバイトなどはないのだろうけど、主人公がやった仕事らしいことと言えば借家の店賃を受け取りに行くことぐらい。どうも貧乏育ちの私にとってはなんだか腹立たしい。
そんな中で実家は没落して借金で家屋敷も手放すことに。主人公にもちゃんと就職して自立してほしいと言うプレッシャーがかかるのですが、時は「大学は出たけれど」と言う就職難の時代。街には失業者があふれ、就職もままならない。とは言っても何らかのやることはあるはずなのに、相変わらず観劇には通い、本は買っている。小さくなって小遣いをもらい困ると蔵書を古本屋へ売って何とか捻出している。読んでいるとなんでもいいからバイトでもできないかと思ってしまう。どうも生活への切迫感がないんだよね。
結局慶応の大学院へ進み、そこから折口の口利きで沖縄の教員になるのだが、日記はほぼそこまで。因みに開戦前に異動希望を出して埼玉県の教員に異動になっているので助かっています。
大正から昭和初期までの今でいう高校生大学生の生活が肌感覚でわかりますが、改めて思うのは当時の結核の慫慂。富裕層の主人公の兄弟も何人か結核で亡くしていて、貧しい家ではどんだけ猛威を振るっていたのか。
もう本人に確かめようもない父の青春と言うか自分のルーツを描き出すために、日記の記述を元にありとあらゆる文献を当たり、可能ならば当事者の話も聞き、非常に手間暇かかった本です。
でも泉下の父親はっこれを読むとどう思うのか。恥ずかしいだろうな。
コメント
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