事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

笑い事じゃない・・・

2006-10-25 13:14:23 | ミステリ

 ちょっと前に本を読んで笑ったのは何年ぶり?とか書いたような気がしますが、どう やら大ウソです。確かに柴田さんの新作を読んだ時こそ笑わなかったかもしれないけ ど、私は本を読んだらたいてい笑ってるらしいのです。

 京極さんの新作(まだ読み終わってない)では京極堂と関口が出て来たとたんに大笑 い、地下鉄の中で笑うのはみっともないとわかっちゃいても止まらない。

 左に貼ってある太田さんの新作でも笑いました。いや、太田さんらしくかなり辛いテーマのミステリには違いないんですがね。でも名古屋の高校生たちは実にエネルギッシュで元気そのもの。「轟々戦隊に滅ぼされろ」だって。君、あの番組見てないね 。「ライダーに蹴られろ」の方がよくない?(同レベル・・・)

 津原さんの「ブラバン」ですら・・・「悲しい物語」って宣伝文句はほんとですよ 。登場人物はほとんど全員不幸だし、ハッピーになりそうな予感もしない。にもかかわらず広島の高校生たち(こちらは25年ほど前-若いよなあ・・・)もウルトラパワフルにバカをやりまくって、そこはやっぱり楽しい。

 ま、そんなわけで御用とお急ぎの方も是非買って読んでください(誰に言ってるんだ か)。


関連グッズ追加しました

2006-10-24 12:19:32 | 事件記者の物語

 今頃気がついたか-と笑われそうですが、売ってないわけなかったんですよね、あの公共放送が-ってつまりテーマ音楽のCD。

 薄謝協会に視聴料以外のお金を払うのは甚だ腹立たしい(これ発音しようと思うと舌噛むと思う)のですが、こういうページを書いててテーマ音楽を所有してないというのは何とも片手落ちの感をまぬがれないのでしかたない。注文しました(1枚の方-したがってガードマンのテーマは入ってない)。

 でもって、ここに堂々と違法広告を出すことにします。

「事件記者のテーマを聞きたいけれど、お金は出したくない」という方、当方までメールをくださいませ。WMAまたはMP3(どちらでも)のファイルを差し上げます。

 CD1枚のコピーってのはダメですよ。それはいくら何でもやり過ぎ。あくまで事件記者のテーマのみです。そのくらいやってもバチはあたらないと思うんだな・・・


横堀川2

2006-10-23 14:42:16 | 事件記者の物語
 藤岡琢也さんのおかげをもちまして、当ページは24時間のヒット数が90を越すとい う稀なる経験をいたしました。検索してくださった皆様ありがとうございます。これを機会に再度お越しいただけますことを心よりお待ち申し上げております。
 また天国の藤岡さん、改めてありがとうございます(何かまちがってるだろか?)
 ただ、皆様のキーワードがほとんどすべて「事件記者」で「横堀川」のヒットがなかったのはいささか残念でございました(いや正確に言うと「横堀川」をみつけてくだ さった方はあったのですが検索語が「長門裕之」だったのです、こういう偶然もあるのですね。また「ガメラ」が2つありました、うれしいようなやっぱ悲しいような・・ ・)。
 追悼記事のアップがちょっと遅かったですね。何せ21日の新聞を見るまで訃報を存 じ上げなかったものですから。

 さてその「横堀川」ですが、改めて検索してみてビックリ。「映画版」の記録しかないじゃありませんか。NHKを入れて検索したらどうやら初回と最終回のフィルムが残ってるらしいんですが、出演者としてどっちにも「長門裕之、南田洋子」だって。ウ ソつけ、初回にはまだ二人とも子役だったハズだし、南田洋子は最終回の前に死んで ましたよーだ、まったくいつもながらいいかげんなんだから。オーイ薄謝協会、そんなことでいいと思ってるのかよー(いいと思ってるよな、やっぱ)。

 ところで映画版のキャストは多加-倍賞千恵子、吾平-山口崇、ガマ口-小沢昭一だそうです(お梅-林美智子さんの役-はなぜか不明、困ったもんだ)。何かちょっと 違うような・・・・
 因みにこの年は「おはなはん」の映画版もあって、はな-岩下志麻、速水中尉-栗塚旭(TVでは高橋幸治)、尾形中尉-宗方克巳(TVでは近藤洋介-実はこれを言いたかったの)。この2つの映画ってヒロインを入れ替えた方がハマると思いません?倍賞さんは 「おはなはん」の歌も歌っておられたんだし。

 とすぐ話は脱線するんですが、それはさておいて昨日の続きです。
 考えてみたら藤岡琢也さんは1チャンネルの「新・事件記者」にも出演されてたハズなんですよね。
 谷沢さんの回想によれば藤岡さんはD通にもH報堂にも着かないとハッキリおっしゃ ったらしいですが、NHKの番組が終わって半年も過ぎた頃にはノンH報堂派の中で彼が一番視聴率のとれそうな役者さんになっておられたハズ、この人をD通が口説かないわ けはないし、口説かれればイヤとはおっしゃらなかったと思います。
 また島田一男氏の「警視庁記者クラブ」シリーズにヤジさんが残ってたこともまち がいないですし。このメンバーチェンジは大変ハッキリしてて島田氏は勝手に家出した息子たちを-後からながら-勘当されたのです。いや、本当ですって、これは「勘当された派」(どういう日本語だ?)のファンが言うんだから。

 というわけで、この勝負やっぱりヤジさんの勝ちなのでした(何かメッチャ空しい勝利という気もするけれど)。


横堀川

2006-10-22 16:23:23 | 事件記者の物語

暖簾
価格:¥ 420(税込)
発売日:1960-07
花のれん 花のれん
価格:¥ 540(税込)
発売日:1961-08
 大阪薄謝協会製作のこのドラマはたぶん昭和41年4月放送開始です(考えてみたら「おはなはん」と同時期ってこと?そうだったかなあ)。
 山崎豊子さんの小説「暖簾」-大阪の昆布屋、吾平(長門裕之)とその妻(高森和子)、息子(入川保則)、娘(伊藤友乃-いや違う、忘れた)の物語-と「花のれん」-寄席の女主人、多加(南田洋子-吉本興業の創始者、吉本せいさんがモデル)と番頭(藤岡琢也)、女中(林美智子)、それにエンタツ、アチャコ、春団治、松鶴、小さんetc芸人たちの物語-というほとんど接点のない2つのストーリーが同時進行するかなりムチャなドラマだったにもかかわらず茂木草介氏の台本とキャスティングのよさでけっこう成功してたんじゃないかと思います。

 お話は吾平の少年時代から始まり、彼が最初に雇われた店の嬢はんが多加という設定。ほぼ同年の二人は大の仲良しだったから、大人になって実際に夫婦の二人が演じるようになると、当然ドラマの中でも結婚するものと期待してた人が多かったらしいです。私はその辺見ていない。
 見始めたのは新聞で「藤岡琢也」の名前を見たからだと思います。別にに誰のファンでもなかったんだから他に考えようがない。すぐに原作をゲトして読んだから途中からでも別にとまどうことはなかったのでした。

 なんてことを突然言い出したのはなぜかと言えば
「藤岡さん、ほんとにヤジさんだった時よりガマ口だった時間の方が長かったのかなあ」という疑問が浮かんだからです。
 「花のれん」の多加は小説が始まった時点ですでに商家の嫁にして一児の母。義父が亡くなると甲斐性無しの亭主がアッサリ店をつぶしてしまい、道楽者だけあって「寄席をやりたい」などと言うから「ほなつき合いましょ」となったのでした。番頭ガマ口の登場はそれ以後、確か彼は商売よりも芸能界のプロだったハズですから。

 TVの場合はその前の嬢はん時代、嫁入までのあれこれ、間に吾平の商売も入れなくちゃいけない-となると多加夫婦が寄席を始めるまでに3-4カ月はかかったんではなかろうかと・・・・・
 とは言え7月頃には寄席を始めてないと、その後の多彩なエピソード-亭主の急死、落語家や漫才師とのあれこれ、安木節の大ヒット、関東大震災、市会議員とのはかない恋、そしてお約束の戦争-をこなせないだろうし、多加の方が吾平より先に死んだんだし・・・・

(多加が倒れたと聞いて病院へ駆けつけた吾平とガマ口
ガ「あんさん、嬢はん好きでおましたの?」
吾「そんな、嬢はんの前では、わてなんぞお日さんの下へ出たモグラみたいなもんですがな。あんさんこそ、どないですねん?」
ガ「あんさんがモグラやったらワイは御寮人さんの前ではミミズですなあ」-ねえ、何もそこまで卑下することないんじゃない?あ、これミミズに対する侮辱かも))

 約9カ月はガマ口だった。ヤジさんだったのは前後合わせてもせいぜい7カ月だった、やっぱガマ口の方が長いか・・・またどっちも負けず劣らず決まってたもんなあ・・・・・


藤岡琢也さん

2006-10-21 11:40:44 | 事件記者の物語
 亡くなられたんですね。2月から入院中とは聞いてたんですが、誠に残念。また訃報記事に「矢島記者」または「ヤジさん」の名前がなかったのも残念。もう知ってる人ないんだなあ・・・・(「横堀川」の「ガマ口」はあったのにね-中日新聞-私はこのドラマのタイトルを忘れてたよ)。
 考えてみたら自分も「矢島=ヤジさん」と最後に書いたのはいつのことであったか記憶にないのであった(そもどこかに書いたたしらん、写真館にもヤジさんとしかないし・・・)

 思えば藤岡さんが「事件記者」に加わられたのは昭和40年の4月以後-はて正確にはいつであったか?-それも最初はゲスト扱いで字幕の名前もエンディングに出ていたのでした。アラさんの清村耕次氏が復帰されたので一旦降板-はてこれもいつであったか、8月か9月か?-で、アラさんが亡くなったのは確か11月。つまりレギュラーとして「矢島 藤岡琢也」とオープニングの字幕に名前があったのはわずか4ヶ月ほどのことだったのでした。なんと「ガマ口」だった時期の方が長いんじゃないか・・・・・

 しばらく前、中日新聞にコラムを連載しておられたことがあってけっこう昔話も出て来たからいつ「事件記者」の話題になるかと期待しながら毎週読んでたのについに一度も出て来なかった。「事件記者」で全国レベルになられたのに冷たいよな-とマニアは不満に思ってたけど、ご本人にとってはそれほどのイベントじゃなかったのかも。映画の「ガメラ」と同程度・・・なわけないと思うんだがなあ(怪獣ファンの意見は違うだろうが)

 ともあれ謹んでご冥福をお祈り申し上げます。共にタイムスの大黒柱だったにもかかわらず、アラさんとヤジさんって今生では顔を合わせてなかったハズ。今頃あの世で「初めまして」とかアイサツしてたりしてね。