慶應医学部端艇部 部員日誌

部員の日常を綴ります・・・。

ラスト部員日誌

2019-09-21 20:43:40 | 日誌

6年の重原です。いよいよ最後の日誌ですね。

6年間の思い出というお題を頂いたので、記憶に残っているエピソードをいくつか書きます。

記憶された過程で多少脚色の入った部分があると思いますがご了承ください。

 

その1)練習中に雹が降ってきた!

1年生、入部して早々の5月、まだダブル練3回目くらいの時です。

当時の私のレベルはというと、ライトパドル(r20くらい?)250mがやっとこさ。課題はオールをまっすぐ垂直に入れること要はほとんど先輩の力で船を進めて頂いていた頃です。

その日は他の練習艇はいなくて自分たちだけ乗艇でした。

 

風が強い日だなぁ

 

そう思いつつも晴れていたしラフコンの練習ということで乗艇。予定通り練習メニューをしていました。2周目くらいから雲行きが怪しくなって返してあげようかと言っていた矢先、、

 

黒い雲がどんどん近づいてくる

パドルして帰ろう!

 

気付いた時にはまさにバケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨に見舞われました。

しかも途中から雹が💦💦

 

その後水上でのことはパニックになっていたので覚えていません。先輩が岸まで漕いで着けてくださって、近くの艇庫にいた方に助けを求めて雨宿りさせて頂きました。

 

冷静な先輩の判断力と船が故障しなかったおかげで沈したり怪我したりはせずに済みました。

ちなみにこの時の船はモンペリです。

モンペリは強い子。

 

 

その2)最初で最後の沈

1年生の冬、初めてスカルに乗りました。

初回の練習は恐る恐るノーワークして無事に帰還しました。

そろそろスカルの練習にも慣れてきた頃。昼間だったので土曜日だったのでしょう。

いつもより風の強い日でした。ゴール側の端で転回している時、近くで他のスカルが沈しました。

 

あっ

 

少し気を取られていた時今まで以上に強い風が吹いて、気付いた時にはストサイのオールが潜って船がすごく傾いていました。

 

これこのまま行くと落ちるかも

 

慌てて体制を立て直そうとしましたがうまくいかず諦めました。しかしそこからが大変💦靴を履いたままなのであろうことか足先が水上に。ここでようやく「沈したら靴脱いでね」を思い出して必死で靴を脱ぎました。そしてとりあえず船に捕まる。

 

さて、問題は水泳が得意でないことです。得意でないというか泳げませんでした。

船が巨大なビート板がわりになったので即沈むのは免れましたが、着衣水泳のなんと難しいことかそして1月の水の冷たさ。

岸に向かって強風が吹いていたのは不幸中の幸いだったかもしれません。

 

やっと岸まで着いたら、陸上にいた方々が来てくださっていました。

親切にも陸の方々が船を引き揚げて下さいました。そこで最後の試練が

 

「船は大丈夫だからあとは自分が上がっておいで。」

 

船を引き揚げて頂いた次の瞬間

 

ボコボコボコッ

 

ビート板を失って私は沈みました。

人工のコースと侮ってはいけません。端っこの方だって結構深いのです。

 

その時のトラウマで2年間くらいスカルに乗れませんでした。ご迷惑をお掛けしました。

 

 

 

こんな感じの恐怖体験と練習のきつさで、下級生の頃は何度退部を考えたことかわかりません。

ただ、入部のきっかけになった早慶戦に女子も出られるようになったり、練習の成果が結果に結びついたりするようになって、終わりが見えてくるにつれてどんどん部活の楽しさも感じられるようになりました。勧誘期に散々迷ってボート部を選んだことも今は全く後悔していません。

特に今回最後の東医体・医レガシーズンは本当に楽しくて、気持ち良く引退できました!一緒に乗ってくれたメンバー、代漕等でサポートしてくださった皆さんに感謝です。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

それでは次は加藤くんに回します。お題は「6年間での思い出」「自分と同期の変化」でお願いします! 


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