慶應医学部端艇部 部員日誌

部員の日常を綴ります・・・。

部員日誌を書けるのもこれが最後ですね

2022-03-17 11:33:00 | 日誌

ご無沙汰しております。

6年生(101回)の澤田です。

毎年、卒業される先輩方の部員日誌を読むのを楽しみにしていた自分もこうして書く立場になってしまったのだなと感慨に浸っています。今回は最後ということで、取り敢えずボート部での6年間を振り返ってみたいと思います。


1年生:入学前、大学生といえば!のテニス部に入部するつもりマンマンでいましたが、勧誘練習で1球も打ち返せず、ネット前でラケットに球を当てるだけの達人になったところで、ひょんなことからボート部に引き抜かれました。東医体・慶東戦の新人フォアでは負け続き、初漕ぎ式の日には沈して息のできないほど冷たい水を経験し、3月の合宿ではボート部の壮絶な練習を目の当たりにしました。沈して以来スカル恐怖症となった僕にスカルを叩き込んでくださった、青木さん、加藤さんには感謝してもしきれません。

2年生:(今もなお)とても頼り甲斐のある下級生が入ってくれて、一安心。東医体のフォアで惨敗し、反省会議では「失うもの無くして得るものはない」と発言、相模湖1周しました。その後、慶東戦エイトでは初めてボートで勝たせていただきました。春には岡﨑ダブル、松岡シングル、早慶戦クルーでお花見レガッタ出漕。艇庫で他愛もない話をして、小池さんと朝マックに行っていた日々はとても楽しかったです。

3年生:5年生となり再び覚醒された北澤さんと共に東医体で金メダルを目指すこととなりました。勧誘しながらエルゴを引いて、他に部員のいないGWからCITIUSのリギング・乗艇が始まり、週10回練習をしていました。自分としては人生最高にキツイ練習をしていましたが、結果は自分の力不足で岡村さん・塩野さんダブルには敵わず、銀メダルでした。本気で金を目指していた北澤さんには申し訳なく思います。慶東戦では初めてエイトのストロークをさせていただきました。しかしながら戸田コースの藻がフィンに絡まり、無念の惨敗。小池さんの落ち込まれた姿は今でも忘れられません。。主将を引き継がせていただいた時は、責任を感じると同時に、早慶戦エイトで勝利することで頭がいっぱいでした。全塾の方々に懇願し、隅田練には2回参加しました。帰りにコックスのマイクの電池が切れた時は体力的精神的に9人全員限界でしたし、慶應艇庫に戻れるのか本気で不安になったのを思い出します。

4年生:初めて早慶戦に出るということでものすごく緊張していましたが、部員、全塾の皆さん、クルーのおかげでなんとか無事レースを敢行し、エイトはカンバス差で勝つことができました。この時、今の主将のかしき君が入部してくれたものの、例年よりも入部が少なく、ボート部の未来を心配する声が上がり始めました。東医体・医レガは足立ダブルで臨みましたが、全て予選敗退。。その後の慶東戦も東大を破ることができず、当時のクルーには今でも申し訳なく思っています。5年生でダブルにリトライするか、新人指導するかと思い悩んでいる最中、新型コロナウイルスで部活動が休止、その後の雲行きも怪しくなってきました。

5年生:部活動は再開できず、試合も次々と中止となるなか、ボート部創部100周年ということで、久々に部誌『赤艇』を刊行することが決まりました。この時も多くの先生方、部員が手を差し伸べてくれて、なんとか赤艇会会員の皆様に『赤艇』を届けることができました。とはいえ、今までの先輩方のようにボートを漕ぐという形で貢献できなかったのは残念でしたし、102103回生は東医体フォア優勝を目指せるレベルだったので、それを見ることができなかったのも悲しく思います。

6年生:相変わらず部活動は本格的に再開することなく現在に至っています。自分は、自転車、筋トレ、水泳を気休め程度にやってます。


 ボートは、試合で勝つこと、勝ちを目指すこと以外、正直なところ、あまり面白くない競技だと思います。艇庫生活は今となってはとても楽しかったですが、他の競技のように、ボールと戯れたり、部員同士で試合をしたり、キャピキャピするだけで楽しい!と言えるスポーツでもないと思います。なので今のように試合がない、艇庫生活のないボート部はこれまでになく苦しい局面なのではないかと察しています。

小さな試合からでもいいので、なるべく早くまた再開することを心から願っています。自分は2年目慶應に戻ってくるので、部活のことでも他のことでも何かあったら頼ってくださいね。


最後に、ボート部を通して関わったすべての人に感謝を伝えたいと思います。ボートで得られたものは他の何にも変え難い素晴らしいものでした。本当にありがとうございました!

そしてこれからもよろしくお願いします。

あと、国試前にいただいた色紙は想像していた100倍以上に嬉しいものでした、改めて感謝したいです。


長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

次は玉井さんに回します。お題は、「6年間の思い出」「国試の乗り切り方」「後輩に伝えておきたいこと」から好きなものか、フリートークでお願いします!


P.S. スマホのデータを整理してたら出てきた動画のスクショあげておきます。(東医体打ち上げの余興の様子です)






え?

2022-03-03 10:18:01 | 日誌

こんにちは!

一年生(106)の畠山裕基です

もう一年生も終わりそうなのですが、今年はテストや実験を除き全てオンラインでまだ大学生になったという実感は湧きません。。さらに今年慶医に進学した人のうち15人くらいは塾で同じクラスで、30人くらいは見たことがある人だったので、新しいところに来たという感覚は全くありません、

そういえば最近ドイツ語の単位が取れたことが判明しました!苦手すぎて再履修も覚悟していたのでとても嬉しいです。ちょうど一年前、二外を何にしようか悩んで兄に聞いてみたら「スペイン語が楽で、フランス語は大変だからやめたほうがいいよ」と言われたので、ドイツ語にしたのですが、実際はドイツ語のほうが全然大変だったと思います。今考えれば言語そのものの難しさよりも先生の厳しさが大きく関わってくると思うのですが、その時はその発想がありませんでした。ドイツ語ではテストの点のみの絶対評価で6割以上が合格なのに、最後の方のテストは難しくなり平均点が6割を切っていた(最後のテストなんてA組の平均点は4割)という事実には言葉を失います。先生これはどういうことなんですか! インターネットでドイツ語の先生の名前を検索すると「鈴木○一爆発しろ」というmixiのコミュニティーがあるとクラスで話題になりました。

 

出身高校は城北というところで2年生の青木先輩と同じです。城北では(他の高校でも?)学年ごとにフロアが違うため、他学年の人を目撃することはなく、多分見たことはありませんでしたが、なんとなく見たことのあるような気もしなくはありません。趣味は将棋や数学で、スポーツ系だと卓球と水泳です。ボートとは全く関係のないように見えますが水泳とボートは進む時の感覚が似ているようです。練馬駅らへんに住んでいて、時々石神井公園に漕ぎに行っていて、ボート部のボートもそれの類似物かと思っていましたが、見た目も速度もまるで違いました。あんなに早く進むとは思っていませんでした。

 

ボート部に入った理由についてですが、単純に楽しそうだったからです。

 

ボート部に入った理由が1行だけになってしまったのですが、これは、理由がたいしてないということではなく、理由がありすぎて全てを書くと余白が足りなくなってしまうので、1文に代表させようという苦渋の決断であることをご了承ください。

 

文章を書くのがとても苦手なので短くなってしまいましたが、これから4年間よろしくお願いします!