慶應医学部端艇部 部員日誌

部員の日常を綴ります・・・。

たけるんだよ!

2023-06-02 01:31:56 | 日誌

みなさんはじめまして!慶應義塾大学医学部一年でこの度医学部体育会ボート部に入部しました、中野剛瑠といいます。僕は18年間札幌に住んでいてこの4月から上京しました。出身校は北の灘と呼び声の高い北嶺高校ですが、どこそれーと言われることが多く、胸が痛みます。高校の時は硬式テニス部に所属していて、大学でも続けようと思っていましたが、紆余曲折あって入部届の締め切りの一分前にボート部の入部届を出すことになりました。

ところで今日6月2日は僕の誕生日!みんな祝ってくれるよね?プレゼントくれるって?ありがとー!ん?だけど何をあげたらいいのかわからない?ならばほしいものリストをここで提示しようではないか!

①家庭教師のバイト

4月から大学生活をenjoyしてるせいでお金がないの。時給1万くらいで慶医受からせてあげるのでいかがですか?

②人望

僕は大学生になってからはcoolなキャラで生きていこうと思っていた。それなのにクラス会で乃木坂46の「ガールズルール」をクラス全員の前で踊ってしまい、僕は変わってる子認定されてしまったんだ。今後、クラス会があるたびに踊らされるのかなー?最悪だ。

③彼女

慶医ってモテるんじゃないんですか?モテると聞いて入学したんですけど!今のところ何もないですよ。クラス内では人望がないし、クラス外には人脈がない。北海道から来た田舎者なんでね。僕は硝子の少年なので、そんな繊細な僕を全部抱きしめてくれる人がそばにいたらいいな。でも、愛されるより愛したいので、彼女ができたら僕はもう君以外愛せない状態になります。KinKi Kidsのメドレーが終わったところで、少しでも僕に興味をもってくれたのならば、takerunnnnnnnというインスタのアカウントをフォローしてね。待ってるよー!

次回は医学部体育会を三つ兼部していて、大変そうな竹内君です!お楽しみに!


ボート部人生の幕開け

2023-05-30 23:22:55 | 日誌

 2023年度入学、医学部1年の森本直樹と申します。この度医学部端艇部に入部し、初の大会となる理工系レガッタをつい先日28日に終えた訳ですが、今回のブログではそちらの振り返りをしていきたいと思います。

 とはいえ、まずは自己紹介をするべきであると思うので、自己紹介とそれに関する雑談からしていきます。

名前:森本直樹
出身高校:駒場東邦高校
高校時代の部活:水泳部
兼部先:医学部スキー部
趣味:ピアノ(笑)

 出身高校と高校時代の部活を見て気付く方もいるかもしれませんが、実は梅田先生と同じ高校・部活出身なのです。入学したての4月初めにお会いする機会があり、そこで端艇部に勧誘され、「一回くらい行っとくか…」みたいなノリで新歓に参加した訳ですが、見事にハマりました。結局、端艇部の新歓には8回参加し、それなりのログインボーナスを回収することができました。途中から勧誘側と化し、端艇部を拠点として様々な1年生と知り合い、同時に端艇部への勧誘もしていた訳ですが、結果として医学部7名、薬学部2名の同期が入部してくれて嬉しい限りです。入部届け締め切り当日まで端艇部は自分一人である覚悟もしていたのですが、直前になって端艇部に入部する決心を固めてくれた人も多く、ありがたいです。余談ですが、駒場東邦高校出身の3名は全員端艇部に入部しています。
 今思い返すと、新歓期間は大変充実していたように感じます。端艇部の他にはハンドボール部・スキー部・バドミントン部・バレー部・水泳部・スケート部・アメフト部の新歓に参加させて頂いた訳ですが、受験で鈍った体に刺激を与えるのに丁度よい機会でした。裏で多大な事務処理をしつつ新歓を開催していただいた上級生やOBの皆さんに、この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 結果的には端艇部・スキー部・スケート部・水泳部の順で迷ったのですが、端艇部とスキー部の組み合わせならばシーズンが丸被りすることはないだろうと判断し、兼部するに至りました。ということで、怪我だけは注意して冬は滑りまくろうと考えています。

 趣味の“ピアノ”に(笑)がついているのは、所詮高校に入ってから独学で弾き始めただけの素人以下の存在であるからです。大勢の前で披露できるようなレベルでは到底ありませんし、僕などが「ピアノを弾ける」と言った時には周りの有識者の方に袋叩きにされてしまいそうです。大学に入ったらスクールとかに通ってみたいな、などと考えていたのですが、現在は全くそのような余裕は無さそうです。この忙しさに追われつつ課題を完璧にこなす同級生を尊敬しています。ちなみに、今日は久しぶりに新曲を習得しようということで、戦場のメリークリスマスの練習を始めました。

 

 


 さて、ここからは先日の理工系レガッタについて振り返っていこうと思うのですが、何を隠そう僕の体調は最悪でした。大会当日2週間ほど前から様々な症状に悩まされ、大会2日前からは頭痛に苦しめられており、当日も全快せぬままのレースでした。入学式以来ノンストップで動いていた疲れがここで爆発したのだと思っています。もっと休んでおけば良かった…
 肝心の試合内容。慶應医学部からは新人ナックルフォアを三艇(A,B,C)出しました。いずれもSとCが上級生で漕手他三名が一年生という形で、僕自身はフォアAのBを務めていました。午前に500m予選が5組あり、午後に予選の各組の一位同士で500m決勝という形でしたが、フォアAとフォアBは見事に予選を一位通過し、決勝に出場することができました。

 フォアAの予選では軽いレーン侵害を受けながらも僅差で1位を取ることができた訳ですが、その日の朝に初めてスタート練習をしたにしては動きが揃っていたと思いますし、ラストスパートとして斉藤さんがレートをあげて1年生が着いていけたのが勝利の決め手であったと思います。普段の練習で使用しているSOGNOに比べるとナックルの安定感は凄まじく、1年生皆が思い思いに漕げたと感じています。

 決勝では1レーンがフォアB、2レーンがフォアAとなり、接戦を繰り広げました。終盤までフォアBがリードを取っていましたが、予選同様フォアAのラストスパートでフォアAが追い抜き、決着しました。しかしなから1位には及ばず、フォアAが2位、フォアBが3位というような結果でした。
 僕個人の感想として、予選で疲労が溜まったのか、決勝ではミスオールを連発してしまったのが悔やまれます。落ち着いてリカバリーできた点は良かったですが、予選と同じように振る舞えていたらな、と思います。数年後に振り返れば未熟すぎて笑えてしまうような結果ではあるかもしれませんが、大会の流れのようなものも学べましたし、良いレースであったと言えるのではないでしょうか。

 

恵まれた環境を大切にこれからも頑張ろうと考えていますので、今お世話になっている方、これまでにお世話になった方、これからお世話になる方、どうぞよろしくお願いします。長くなりましたが、このくらいで終わろうと思います。

 

次回は、皆のアイドル(?)中野君です。お楽しみに。


好きこそものの上手なれ!

2023-04-03 21:28:07 | 日誌

こんにちは。

この3月で大学を卒業した足立です。

ボート部からも卒業するにあたり、色々考えたことはあるのですが、この場をお借りしてその一端でもお伝えすることができたら幸いです。

 

高校時代全く運動をしていなかった私ですが、ほとんどの人が初心者から始めること、そして何より全員で動きを揃えて水の上を滑る美しさに惹かれてボート部に入りました。

初めて戸田のコースを見た時、こんな世界があるのかと感動したことは今でも忘れません。

 

入ってみると、想像以上にハードでした。体力的にも技術的にも難しい競技で、なかなか上手に漕げるようにならず、苦心の日々でした。「東医体○連覇!」という勧誘文句を聞いて入った私のボート人生はしかし、敗北の連続でした。

 

自分の中で最も印象的な敗北は、2年生のときの早慶レガッタです。

伸びしろに期待してもらって対校フォアに乗せてもらったものの、その期待どおりには成長できず、新人感覚が抜けないまま迎えた早慶レガッタ。結果は敗北。自身の無力さをひどく痛感したレースでしたが、それと同時に、慶應医学部端艇部というチームの大きさを感じた試合でもありました。

試合には現役部員はもちろん、たくさんのOBOGの方々が私達のフォアを応援しにきてくださり、負けてもなお笑って「頑張ったね」と励ましてくださいました。それまでの東医体や慶東戦とは違い、初めて対校クルーとして臨んだこの試合。自分たちの頑張り次第でこんなにも多くの人が悔しがったり、喜んでくれたりするのだ。そんなことに気付かされ、より一層頑張ろうと誓ったレースでした。

隅田川とボート

逆に自分の中で最も印象的な、というより唯一胸を張って勝利と言える試合はそれから1年後の早慶レガッタでした。

前哨戦のお花見レガッタでは大きくタイム差をつけられており、不安の中で臨んだこの試合。レースは始まってからずっと横並び。互いに一歩も譲らずラスト100m、桜橋を超えたあたりでレートを上げ、ほんの僅かな差で勝利しました。ゴールした瞬間の喜びようは傍から見ていると大げさに思われたかもしれませんが、私達はそれくらい嬉しかったのです。

早慶レガッタラスト100m

新型コロナウイルスの影響で活動が休止になるまでの丸3年、8つの大きな試合に出場しましたが、その中で私が勝てたのはこの1度でした。しかし不思議なもので、すごくきつい競技でも、あまり勝てなくても、いつの間にか私はボートという競技を好きになっていたようです。

 

6年生の秋、感染が多少収まり世の中が元に戻り始めた頃、海の森で行われたオリンピック記念レガッタに医学生チームとして参加しました。岸蹴りからアップの分漕、スタートスパート、ラストスパート、そして岸着け。すべてが楽しく、自分はこんなにもボートという競技が好きだったのかと自分でも驚きました。私だけではなくそこにいた全員がすごく楽しそうにしていて、このイベントに参加してよかったと心から思いました。

 

しかし現役時代を思い返すと、ボートを好き嫌いという尺度で考えたことすらなかったように思います。練習はきついし、なかなか上手くならないし、早く今日の練習が終わってほしい、早くオフになってほしい。そう願いながらひたすら耐え忍ぶ日々でした。

ただそんな中でも、全員でオールを合わせて艇速を伸ばせたとき、コックスのコールにしっかり反応できたとき、きついメニューを完遂できたときなど、楽しいと思える瞬間がたくさんあって、そういったいい記憶の蓄積で、この競技を好きになっていったのかもしれません。

 

今の現役部員の皆さんは練習量が限られる中、苦労しながら活動していることと思います。十二分に練習を積んできた他大と戦うことを考えると、試合で勝つのも容易ではなく、練習へのモチベーションも高めづらいかもしれません。しかしそんな中でも、ボートを漕いでいて楽しいと思える瞬間をたくさん見つけてもらえたらなと思います。前回よりタイムが縮んだ気がするとか、足蹴りで艇速が伸びたとか、元気に声を出せたとか、風が気持ちよかったとか、そういった小さな楽しいを積み重ねて、ボートという競技を好きになってもらえたのなら、いちボート好きの人間としてはとても嬉しいです。

 

最後になりますが、部を支えてくださっているOBOGの先生方、ボート生活をともに過ごしてくださった先輩、後輩、そして同期のみんな、本当にありがとうございました。とても充実した楽しいボート部生活でした。

 

足立

 


航跡

2023-03-12 12:23:42 | 日誌

こんにちは。医学部6年、102回生の岡﨑です。

今回は最後の部員日誌ということで、僕の過ごしたボート部での6年間を、写真とともに振り返っていこうと思います。

 

1年生

新人フォアの漕手として、東医体医レガではRIHACHIに乗りました。試合は500mレースに短縮されたせいか大して疲れもせず、経験不足でよく分からないまま終わってしまった気がします。ビデオを見返すと、それなりに動きを合わせようとはしていますが、水を押している長さが短すぎてビックリです。

 

秋シーズンはMOMOに乗りました。このときに初めてクルーボートの楽しさ、全員同時に水を掴んで船を加速させる感覚、を知った気がします。練習自体も楽しかったです。ところが、本番のレースは未だに忘れられない苦い思い出となりました。スタートで半艇身〜1艇身ほどリードしていた記憶がありますが、スタミナ不足で当日の強い逆流に、1400mという距離に耐え切れず、徐々に失速し逆転されました。レース終盤、胃酸が上ってきて吐きそうになったとき、加藤さんから「緩めるなー!」とコールが聞こえてきたお陰で何とか気力を保つことができましたが、最終的に1艇身差で負けてしまいました。

僕らのレースの後、先輩方・森けん・矢野の乗った対校エイトが、前評判を覆して劇的大勝利を収めたため、部としてはお祝いムードになりました。この日の浮かない気分、後味の悪さと、対校エイト勝利を間近で観た感動が、今後のモチベーションに繋がりました。

 

年が明けて冬シーズンになり、3月のお花見レガッタでは澤田さんとダブルスカルを漕ぎました。お花見の最終日に、初めてゴールまで意識を保って漕ぎ続けることができました。流れが微順だった影響もありますがベストタイムを出し、1年前・2年前の新人ダブルのタイムも上回り、一応は目標達成ということで良い気分で打ち上げを終えました。

 

2年生

早慶戦までコックスをされていた折田さんからその役目を引き継ぐも、舵取りやコールはあまり上手くいかず試行錯誤の日々。

ただ、小池さんと同期3人との乗艇は個人的にはとても楽しく、艇庫生活も良い思い出だったと感じます。

未熟さゆえ艇速に貢献している実感があまり得られず、レースレートでのタイムが伸び悩み、東医体医レガはいずれも準決勝敗北に終わってしまいました。不甲斐なさを感じつつ田瀬湖を後にしました。

 

秋には初めてエイトの舵を握りました。慶東戦のレースではスタートで攻めていき水をあけることに成功しましたが、500m超えたところで大失速して、舵もきかなくなりました。フィンに藻が絡まったことを察したときの絶望は今でも覚えています。このとき、ぼくはただの置き物になる他ありませんでした…。

 

3年生

早慶レガッタに初出漕。早大理工にはお花見レガッタで7秒差をつけられており、チャレンジャーとして臨みましたが、2度の隅田練や長距離の漕ぎ込みが実を結び、結果的に0.49秒、カンバスの差で勝利を収めることができました。桜橋前でコールをかけた後のレートの上がり方は素晴らしかったです。コックスとしては、スタート前の方向調整、橋がない直線コースでのラダーワークが功を奏しました。クルーに貢献できたことを実感し自信をつけると同時に、自身のパフォーマンス向上で更にあと1秒、あと2秒とタイムを縮められることを確信しました。

 

東医体医レガでは昨年に続き対校フォアのコックス。2〜6年生が乗る個性強めのクルーで、東医体3位・医レガ準優勝でした。

 

三度目の慶東戦はリベンジを賭けて臨みました。しかしスタートから勢いで負けてしまい、中盤は詰めたものの逆流のなか良い流れに乗れず、ラストもスパート負けし、3秒差での苦い敗北となりました。

 

4年生

コロナの影響で活動制限、試合なし、現役終わり。

 

その後、6年生になって活動制限が緩和され、久しぶりの東医体に後輩の金井くんとダブルスカルで出ることに。圧倒的練習時間の少なさでネタ枠かと思いきや、ちゃっかり決勝進出する。

秋には海の森でのイベントに参加し、他大学ボート部の皆さんと混成エイトを結成しました。同じ船に乗ると仲良くなります。

 

以上、長くなってしまいましたが、ぼくのボート部生活はこんな感じでした。上手くいかないときが多くても、そのときの一本一本に注力して辿っていった航跡は、後から振り返るととても美しく見えます。

部活動なんて、見る人によっては、強メンがたくさん入った学校が変わる代わる勝っていくだけの無意味な営みかもしれません。ましてや医学部の部活など、関わるだけ無駄でナンセンスと感じるかもしれません(コロナ禍を経た現在では、もっと聞こえが良くて見栄えが良くて履歴書が豪華になりそうな活動をした方が良いんじゃないか?という人も多そうです)。しかしながら、自分が医学部を辞めずに6年間やって来られたのは、おそらくはボート部に居場所があったおかげ、艇に乗って同じ目標に向かって頑張ってきた人たちのおかげです。本当に感謝しています。

自分が受けた恩恵のうちどの程度を後輩や現在の部に還元できたのか…と考え始めると申し訳ない限りです。僕たちはもう卒業してしまいますが、今ボート部にいる皆さん、これから入ってきてくれる後輩の皆さん、何か困ったことがあればぜひ遠慮せずに声をかけてください。お元気で!

岡﨑


花粉の季節

2023-02-21 20:26:00 | 日誌

こんにちは、薬学部1年の千田美波です。

最近暖かい日が続き春が近づいてきているなと感じるようになりました。私は寒い冬が苦手なので嬉しく思うとともに、また今年も花粉症に悩まされる季節がやってきたと憂鬱な気分にもなります。今年は例年より多く花粉が飛散するようなのでしっかりと対策していきたいです。

初めて部員日誌を書くため少し自己紹介をしていきたいと思います。都立戸山高校という新宿にある高校に通っていました。中高6年間、陸上競技部に所属していて中学の頃は短距離、高校からは短距離に加えて円盤投、やり投といったマイナーな種目も練習していました。強豪校ではなかったので人数合わせのために駅伝シーズンのみ長距離の練習をしたり、少しだけ跳躍の練習をしたりと様々な種目に触れてきました。練習はとにかくきつかったのですが楽しい思い出も多く大学でも続けるか、かなり悩みました。趣味はスポーツ観戦と読書です。スポーツ観戦については広く浅く様々な競技をみますが、野球(日本ハムのファンです!)と陸上が特に好きです。今年はWBCと世界陸上とどちらもビッグイベントがあるのでとても楽しみです。

先述したように大学の部活選びでボートやバドミントンという新しい競技を始めるか陸上を続けるかとても悩みました。バドミントンは練習体験に参加したとき、あまりにも下手で断念しましたがボートと陸上はギリギリまで決めかねていました。最終的にはもともとボートという競技に興味があったこと、試乗会が楽しかったこと、さらに部の落ち着いた雰囲気に惹かれて入部しました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!


〇〇の秋

2022-11-10 15:26:16 | 日誌

こんにちは!三島花瑠香です。

今回初めて日誌を書かせていただくにあたり、先輩方がお書きになった過去の日誌を遡っていたのですが、思わず読み耽ってしまいました。私も「思わず読み耽っちゃうような日誌」を目指して文章を書いていこうと思います。

まず私がボート部に入った理由としては、大学で新しいことを始めたかったからというのが一番大きいです。周りの人に引かれるくらい色々な団体の新歓に行きまくったのですが(笑)、ボートという競技そのものが単純に楽しかったですし、先輩方の穏やかな雰囲気に居心地のよさを感じ、最終的にはボート部を選びました。

私自身は宮崎生まれ宮崎育ちで、東国原英夫さんの母校でもある都城泉ヶ丘という高校に通っていました。宮崎の高校には「朝課外」という独自の文化があり、さらに母校の3年生には「夕課外」なるものも課されていました。朝7時半頃から夕方6時頃まで学校に拘束されて授業を受けなければならないという制度です。これを県外の高校に通っていた人に話すと当然驚かれます。体力的にも精神的にも本当に本当にきつかったけれど、そういった過酷な環境で大学受験を乗り越えたという経験はある意味で自信になっていると今は思えます。 大学に入ってからは一人暮らしを始めました。「一人暮らしをしていると精神的に病む」と聞いていたのですがそんなことはなく、むしろ一人の時間の尊さをしみじみと感じる毎日です。特に秋は一人暮らしの楽しみが増える季節だと思っていて、「〇〇の秋」というよくある表現を使って書き進めていきたいと思います。

食欲の秋・・・食費を浮かせるために基本的には自炊しています。成長記録として写真に残しているのですが、やればやるほど上達していくのが本当に嬉しいです。撮った写真を母や兄にLINEで送っていて、見た目や盛り付けに関するアドバイスをもらっています。家族の贔屓目もあるとは思いますが、褒めてくれることがほとんどでモチベーションの維持につながっています。

読書の秋・・・ラストにどんでん返しが待ち受けているようなミステリー小説が好きです。特に乾くるみさんの「イニシエーション・ラブ」と歌野昌午さんの「葉桜の季節に君を想うということ」は永遠に推したいと思っています。どちらも途中までは普通の恋愛小説なのですが、最後まで読んで意味がわかったときにゾッとしました。2冊とも中学生の頃に読んだのですが、そのときの感覚は未だに覚えています。また、最近は知念実希人さんの「硝子の塔の殺人」を読んだのですが、これも一気読みしました。この物語には実在する作家さんの名前が登場するのですが、先ほど書いた歌野昌午さんもそうですし、「十角館の殺人」(←これも好き)で有名な綾辻行人さんの名前も出てきてめちゃめちゃテンションが上がりました。特に「十角館の殺人」は「硝子の塔の殺人」において非常に大きな意味を持っているので「十角館の殺人」を読んだことがある方はより一層楽しめると思います。

こんな感じで料理や読書に思いっきり没頭できるのも一人暮らしの特権なのではないかと思っています。一人暮らしだとすべて自分でやらなければならないという点においては大変ですが、楽しさが大変さを圧倒していると思っています。これからも新たな楽しみをどんどん見つけていきたいです。

最後まで読んでくださってありがとうございました!


ご無沙汰しております

2022-09-11 22:00:00 | 日誌

皆様ご無沙汰しております。たまいです。
部員日誌をまわすのが遅くなって大変申し訳ありません。なに書こうかな〜と思っていたらいつのまにか半年経過してました、ただただすみません。

いま私は千葉県房総半島の先っぽで研修医をしています。なぜだか先輩にボート部出身者が多くて、自宅にエルゴ所有してる方もいらっしゃったりするのですが、ボート部出身というだけで一気に距離が縮まるのは不思議です。
辛い時も、エルゴを思い出したら大抵のことは乗り切れるので、やっぱりボートは偉大だなあと思う日々です。

では澤田くんからのお題候補から「6年間の思い出」と「後輩に伝えておきたいこと」を僭越ながら書かせていただきます。

ボート部でのことを振り返って真っ先に出てくるのは40℃近い炎天下や霜が降りるような寒さの中での、乗艇やエルゴでの辛くて苦しい練習です。こんなに苦しい競技をなぜ続けられたのだろうと考えると、陳腐ではありますがやはり一緒に練習に励んだ仲間の存在と、たまーに掴める水上を滑っている心地良い感覚があったからだと思います。
ボートは決してメジャー競技ではなく、同期部員が沢山いるわけではないので、先輩後輩とも同じ艇で練習することがほとんどでした。そんな中、共に苦難を乗り越えた仲間はただの友だちとは違う何かがあって、今でも心から信頼している人たちです。このような仲間に出会うことができたことに心から感謝していますし、今後もずっと繋がっていたい存在です。末永く宜しくお願いします。
また、単純に見えて奥深いボート競技において4年間では到底その全てを知ることはできませんでしたが、ごく稀に「水を掴めて、水面を滑ってる!」というのを感じることができました。これは辛い練習の中で一筋の光となって喜びを与えてくれるものでした。後輩の皆さんも、漕ぎ続けたら必ずやってくると思うその瞬間を、味わっていただきたいです。

最後に、試合での勝ち負けはもちろん大切だし本気で勝ちを目指すからこそ見える景色はあります。でもプロになるわけではない私たちにとって、それ以上に大事なのはその過程から自分が何を感じ、どう変わっていくか、だと思います。たまにでいいので、目の前のタイムだけではなく、日々の練習の中で自分が何を感じてどう変わっていくのかに感度高く注目してみる時間を取ってみてください。偉そうに書いていますが私も現役の頃はなかなか意識できていなくて後悔しているので、この想いを後輩たちに託したいと思います。きっと充実したボート部生活が送れると思います。

ではまた皆さんにお会いできる日を楽しみにしています!またね!


部員日誌を書けるのもこれが最後ですね

2022-03-17 11:33:00 | 日誌

ご無沙汰しております。

6年生(101回)の澤田です。

毎年、卒業される先輩方の部員日誌を読むのを楽しみにしていた自分もこうして書く立場になってしまったのだなと感慨に浸っています。今回は最後ということで、取り敢えずボート部での6年間を振り返ってみたいと思います。


1年生:入学前、大学生といえば!のテニス部に入部するつもりマンマンでいましたが、勧誘練習で1球も打ち返せず、ネット前でラケットに球を当てるだけの達人になったところで、ひょんなことからボート部に引き抜かれました。東医体・慶東戦の新人フォアでは負け続き、初漕ぎ式の日には沈して息のできないほど冷たい水を経験し、3月の合宿ではボート部の壮絶な練習を目の当たりにしました。沈して以来スカル恐怖症となった僕にスカルを叩き込んでくださった、青木さん、加藤さんには感謝してもしきれません。

2年生:(今もなお)とても頼り甲斐のある下級生が入ってくれて、一安心。東医体のフォアで惨敗し、反省会議では「失うもの無くして得るものはない」と発言、相模湖1周しました。その後、慶東戦エイトでは初めてボートで勝たせていただきました。春には岡﨑ダブル、松岡シングル、早慶戦クルーでお花見レガッタ出漕。艇庫で他愛もない話をして、小池さんと朝マックに行っていた日々はとても楽しかったです。

3年生:5年生となり再び覚醒された北澤さんと共に東医体で金メダルを目指すこととなりました。勧誘しながらエルゴを引いて、他に部員のいないGWからCITIUSのリギング・乗艇が始まり、週10回練習をしていました。自分としては人生最高にキツイ練習をしていましたが、結果は自分の力不足で岡村さん・塩野さんダブルには敵わず、銀メダルでした。本気で金を目指していた北澤さんには申し訳なく思います。慶東戦では初めてエイトのストロークをさせていただきました。しかしながら戸田コースの藻がフィンに絡まり、無念の惨敗。小池さんの落ち込まれた姿は今でも忘れられません。。主将を引き継がせていただいた時は、責任を感じると同時に、早慶戦エイトで勝利することで頭がいっぱいでした。全塾の方々に懇願し、隅田練には2回参加しました。帰りにコックスのマイクの電池が切れた時は体力的精神的に9人全員限界でしたし、慶應艇庫に戻れるのか本気で不安になったのを思い出します。

4年生:初めて早慶戦に出るということでものすごく緊張していましたが、部員、全塾の皆さん、クルーのおかげでなんとか無事レースを敢行し、エイトはカンバス差で勝つことができました。この時、今の主将のかしき君が入部してくれたものの、例年よりも入部が少なく、ボート部の未来を心配する声が上がり始めました。東医体・医レガは足立ダブルで臨みましたが、全て予選敗退。。その後の慶東戦も東大を破ることができず、当時のクルーには今でも申し訳なく思っています。5年生でダブルにリトライするか、新人指導するかと思い悩んでいる最中、新型コロナウイルスで部活動が休止、その後の雲行きも怪しくなってきました。

5年生:部活動は再開できず、試合も次々と中止となるなか、ボート部創部100周年ということで、久々に部誌『赤艇』を刊行することが決まりました。この時も多くの先生方、部員が手を差し伸べてくれて、なんとか赤艇会会員の皆様に『赤艇』を届けることができました。とはいえ、今までの先輩方のようにボートを漕ぐという形で貢献できなかったのは残念でしたし、102103回生は東医体フォア優勝を目指せるレベルだったので、それを見ることができなかったのも悲しく思います。

6年生:相変わらず部活動は本格的に再開することなく現在に至っています。自分は、自転車、筋トレ、水泳を気休め程度にやってます。


 ボートは、試合で勝つこと、勝ちを目指すこと以外、正直なところ、あまり面白くない競技だと思います。艇庫生活は今となってはとても楽しかったですが、他の競技のように、ボールと戯れたり、部員同士で試合をしたり、キャピキャピするだけで楽しい!と言えるスポーツでもないと思います。なので今のように試合がない、艇庫生活のないボート部はこれまでになく苦しい局面なのではないかと察しています。

小さな試合からでもいいので、なるべく早くまた再開することを心から願っています。自分は2年目慶應に戻ってくるので、部活のことでも他のことでも何かあったら頼ってくださいね。


最後に、ボート部を通して関わったすべての人に感謝を伝えたいと思います。ボートで得られたものは他の何にも変え難い素晴らしいものでした。本当にありがとうございました!

そしてこれからもよろしくお願いします。

あと、国試前にいただいた色紙は想像していた100倍以上に嬉しいものでした、改めて感謝したいです。


長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

次は玉井さんに回します。お題は、「6年間の思い出」「国試の乗り切り方」「後輩に伝えておきたいこと」から好きなものか、フリートークでお願いします!


P.S. スマホのデータを整理してたら出てきた動画のスクショあげておきます。(東医体打ち上げの余興の様子です)






え?

2022-03-03 10:18:01 | 日誌

こんにちは!

一年生(106)の畠山裕基です

もう一年生も終わりそうなのですが、今年はテストや実験を除き全てオンラインでまだ大学生になったという実感は湧きません。。さらに今年慶医に進学した人のうち15人くらいは塾で同じクラスで、30人くらいは見たことがある人だったので、新しいところに来たという感覚は全くありません、

そういえば最近ドイツ語の単位が取れたことが判明しました!苦手すぎて再履修も覚悟していたのでとても嬉しいです。ちょうど一年前、二外を何にしようか悩んで兄に聞いてみたら「スペイン語が楽で、フランス語は大変だからやめたほうがいいよ」と言われたので、ドイツ語にしたのですが、実際はドイツ語のほうが全然大変だったと思います。今考えれば言語そのものの難しさよりも先生の厳しさが大きく関わってくると思うのですが、その時はその発想がありませんでした。ドイツ語ではテストの点のみの絶対評価で6割以上が合格なのに、最後の方のテストは難しくなり平均点が6割を切っていた(最後のテストなんてA組の平均点は4割)という事実には言葉を失います。先生これはどういうことなんですか! インターネットでドイツ語の先生の名前を検索すると「鈴木○一爆発しろ」というmixiのコミュニティーがあるとクラスで話題になりました。

 

出身高校は城北というところで2年生の青木先輩と同じです。城北では(他の高校でも?)学年ごとにフロアが違うため、他学年の人を目撃することはなく、多分見たことはありませんでしたが、なんとなく見たことのあるような気もしなくはありません。趣味は将棋や数学で、スポーツ系だと卓球と水泳です。ボートとは全く関係のないように見えますが水泳とボートは進む時の感覚が似ているようです。練馬駅らへんに住んでいて、時々石神井公園に漕ぎに行っていて、ボート部のボートもそれの類似物かと思っていましたが、見た目も速度もまるで違いました。あんなに早く進むとは思っていませんでした。

 

ボート部に入った理由についてですが、単純に楽しそうだったからです。

 

ボート部に入った理由が1行だけになってしまったのですが、これは、理由がたいしてないということではなく、理由がありすぎて全てを書くと余白が足りなくなってしまうので、1文に代表させようという苦渋の決断であることをご了承ください。

 

文章を書くのがとても苦手なので短くなってしまいましたが、これから4年間よろしくお願いします!


はじめまして!

2021-07-26 23:04:55 | 日誌

みなさまはじめまして!今年度から医学部端艇部所属になりました、105回生2年の福王嘉浩といいます。出身は慶應志木のボート部です。文章を書くのがあまり得意ではないので読みにくかったら申し訳ありません。

 

部員日誌を書きますと高らかに宣言してから気づいたら2ヶ月経っていました……本当にすみません……(同期の青木の部員日誌も謝罪から入ってました。奇遇ですね。)

 

言い訳をさせてもらいますと、実は6月末に気胸という病気で2週間ほど入院してしまい、退院したときにはテスト期間に突入していたので全く書く時間がありませんでした(じゃあ6月一杯は何してたんだって話ですよね。僕も何してたか覚えていません)。僕はあまり大怪我をするような活発な子供時代を過ごしてこなかったので入院の経験がなく、人生で初めて入院を言い渡された時はむしろ「どんなことが待ってるんだろ」と半分楽しみで半分不安でしたが、蓋を開けてみるとご飯を食べてはひたすら雀魂を打つ日々だったので、実際に病院で得た知識は麻雀の役くらいです。情けない限りです。

 

ちなみに主治医のS先生が僕と同じ慶應志木出身の内部生だったようで、高校もボート部だったと伝えると「じゃあ戸田公園で練習してるのか!!」と埼玉トークで盛り上がることができ非常に親近感が湧きました。これも何かの縁ですね。S先生によると慶医の気胸の患者を診たのが僕で3人目で、それまでの二人は共に呼吸器外科に属したらしいです。数年後には僕もS先生の下で働いているかもしれません。

 

ここまでつらつらとくだらない言い訳を書き連ねてしまったので、ここから先は少し真面目にボートについて書いていきたいと思います。先述したように、僕は高校の3年間もボート部に属していたので、大学で体育会を選ぶ際に全く初見のアメフト部に入るか、続けてボートをやるか真剣に悩んでいました。ネガキャンのつもりはないですが、やはり同じ部活を3年間も続けてると自然にその部活の自分にとっての良い面と悪い面が見えてしまうもので、僕にとってボート部の悪い面は「練習時間に対する移動時間・準備時間が長い」「同じ動きを続けるのでモチベが下がってしまうと上がりにくい」の二点でした。ただ改めて高校時代を顧みると、自分はボート部の良い面に影響されて成長してきたなと思うことができ、大学でも続けたいという結論に至りました。

 

具体的に言うと、僕が思うボートという競技の最も良い部分は、「逃げ道を作ることができない点」にあると思います。試合でもエルゴの計測でも、一度漕ぎ始めると手を抜くことができない、手を抜いてしまうと数値として目に見える形で現れてしまうのが、いい意味で頑張らなければならない状況を強制的に作り出すので、常に「諦めたい自分」と戦うことができました。今思えば嫌だったテスト勉強もこのボートで培った精神でこなしてきたのかもしれません。なので、大学ではさらにワンランク上の漕手になれるよう日々自分を追い込んでいきたいと思います。(今でも「アメフトはどうなったの?」と心配して声をかけてくださる先輩方がいますが、今はボート部でいくつもりなのでご心配なく!)

 

拙い長文になってしまいましたが、5年間頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします!

(たった今卓球混合ダブルスの水谷選手・伊藤選手コンビが金メダルを取ったと両親から報告が入りました。おめでとうございます!)


梅雨と

2021-07-03 01:50:30 | 日誌

最近は暇さえあればバイトしている、2年(105回)の青木です。気づいたら2年生でした。未だに新入生気分が抜けません。ここ最近は梅雨真っ只中なのか、毎日雨でうんざりの日々です。でも、ほんのたまに雨が心地いい日があります。それが今日でした。さて、こういうのを書くのが初めてで何を書くものなのかと悩んでいたら、書き始めるのが遅くなってしまいました。いえ、すみません、ただ忘れていただけです。でも、何を書けばいいのか頭を抱えていることは事実です。とりあえず、かなり見切り発車ですが書き連ねていきたいと思います。

 

さて、冒頭でも言いましたが、最近はバイトばかりしています。というのも、家にいるのが嫌いでなるべく一日中外にいたいのです。毎日遊んでいるわけにもいかないので、自然とバイト漬けの日々となってしまいました。土日はバイト3つはしごというのもざらです。これを言うと大体の人にひかれます。まあ、ライフワーク(?)みたいなもんです。これが欲しい!みたいなモチベでやっているわけじゃなく、なんというか、言い方が悪いですけど、お金が好きなんですよね(笑)。「どうすればお金を増やせるか」というのを毎日まじめに考えています。バカです。とはいっても、つみたてNISAや優良ETFなどの健全な投資は必ず味方になると信じています。たぶん。

 

もちろん、お金以外にも好きなことはあります(笑)。高校のときに山に登っていたので、せっかくだから大学でもやろうと思い、山岳部にも入りました。とはいっても、コロナのせいで一回も登っていませんが。いつになったら部として登れるのやら。。。

 

そして、免許を取ってからというものの、車の運転が好きで困っています。高校同期にも運転(というより車)が好きなやつがいて、会うたびにカーシェアかなんかで軽くドライブしてます。タイムズ最高。ほんといい時代です。思い付きでドライブに行けるんですから。とはいえ、こういうバカなことを一緒にできる友達がいてくれて感謝です。だって普通はトヨレンで86を借りようなんてならないですからね(笑)。

 

そして最近は昔触っていたギターをまた触っています。浪人しているときにあまりも暇で始めたのですが、結構楽しいものです。ずっとご無沙汰だったのですが、なんとなく触ったらまたハマり出しました。あ、でも全然弾けないです。驚くほど出来ません。まあ飽き性なのでまたほっぽりだすかもしれませんが。誰か教えてください。

 

と、まあ、こんな感じで最近のマイブーム的なことをつらつら書いたので、そろそろボートについて書きたいと思います。と。言いつつもそこまで語れることがない、というかほとんどないです。ですから、入部した理由と意気込みを連ねてこの駄文を締めたいと思います。

 

入部した理由ですが、もちろん母親と姉がやっていたというのもありますが、それはきっかけに過ぎません。練習体験で初めてボートに乗って、素直に「ああ、気持ちいな」と感じました。そのあと、ボートはめっちゃ速いということ、みんなの動きがあった姿がめっちゃカッコイイことなども知りました。なんとかっこいいスポーツだろう、と思い、入りました。ボキャ貧でごめんなさい。

 

ようやく最近になって練習が再開されて、中々体力的にキツイですが、頑張っていきたいです。運動不足すぎてやばいのでまずはそこからどうにかせんとって感じですね。

 

「「目指せ週3ジム」」

 

もし守ってなかったら言ってください。笑

 

こんな感じで今回は締めたいと思います。まだまだ雨は続きそうですがごきげんにいきましょう。

お付き合いいただきありがとうございました。  2年 青木健太朗


6年間お世話になりました!!

2021-03-14 20:10:33 | 日誌

こんにちは、100回生の麓です。
国試の合格発表を明後日に控え、緊張しております。

それはさておき、早速折田君からのお題に入りたいと思います。

1.ボートで学んだこと
高校から始めたボート人生を振り返ってみると、色々と学ぶことはありました。

・エグい練習中にマジ無理、って思ってもなんだかんだで無事に終わる。人体ってまあまあ強いんだなということ。
・隅田川の橋の名前。
・荒川の水はしょっぱい。
・長渕剛を効くと辛い練習も頑張れる。

等々あります。
しかしその中でも1番大きな学びは、仲間と同じ目標に向かって努力することの楽しさでした。
心の底から信頼出来るクルーと、苦しみや喜びを共有し、必死にボートを漕いだ時間は何にも代えがたいものです。エグい練習が終わった後の達成感、それを共に乗り越えたクルーとの連帯感、これは究極のチームスポーツと言われるボートだからこそ体感できたのだと思います。一艇ありて一人なし、この言葉は一生大切にします。

2.医師としてのスタートラインに立って
このお題に関しては一言、"心配"しかないです。深い事は考えずにボートを漕いで、たくさんご飯を食べて、qbを解いて鼻をほじっていれば良かった6年間がすでに愛おしいです。

これからは深く物事を考えて、ボートは漕がずに、ご飯は人並みに食べて、qb以外の教科書を読んで、鼻はほじらずに頑張ります。
そして1日でも早く先輩方のような医師になれるように努力したいと思います。

3.夢 
夢、難しいお題ですね。
今までの夢といえば医者になる事でしたが、これから先の夢はすぐには思い浮かびません。自分の置かれた環境、家族、コロナなどで変化する社会情勢、不確定要素が多すぎてはっきりとは"これだ"とは言えません。

しかし、そんな未来の見通しが立たない状況だからこそ、一生懸命に過ごす毎日を積み上げて行きたいと思います。
進行方向に背を向け、自分の残したオールと艇の波紋しか視界に入らないボートのように、見えない未来に向かって仲間と共に1日1日を刻んでいきたいです。

そして何十年後かにそうした日々を振り返り、"いや〜、マジえぐったわ"と言って燃え尽きたいです。

っとポエジーなことを言ってしまいましたが、とにかく4月からの生活が不安です。お○た君のような金融リテラシーもないし、こ○け君のような悪者をなぎ倒す骨格筋もありません。

今までの医学部の経験、qbの知識、国試の過去問を頼りに、同期と共に、憧れの先輩方の元で2年間の初期研修生活に励んでいきたいと思います。

そして何よりもこれからも医学部端艇部、全塾端艇部、慶應端艇部全体を可能な限りサポートしていきたいと思っています。今後とも何卒よろしくお願いします。

次は石本さんにお願いします。
お題は1.端艇部での思い出 2.国試を終えて 3.四月からの生活に向けて、でお願いします!


魂を磨くこと

2021-03-12 22:26:44 | 日誌

100回生の折田です。

 

部員日誌を書くのはいつぶりでしょうか。

最後の部員日誌なので何を書こうか、ずっと悩んでいたらすごく遅くなってしまいました、すみません。

 

小池くんからのお題に答えていきたいと思います。

 

1. 6年間をふりかえって

僕の大学生活はたくさん挑戦し、たくさん失敗する、そんな期間だったと思います。

ボートでいえば、新しい技練を取り入れてみては失敗し、距離をひたすらに稼ごうと思えば失敗し、、、

企業でのインターンでは、新しい提案をしてみては社員さんにボコボコに論破され、資料を作成してみては一から修正させられたり、、、

 

失敗は多かれ少なかれ常に痛みを伴うものです。

ただ、どんな傷も必ずかさぶたとなり、少しずつ治っていきます。

そして、その傷跡が愛おしく思える日が来るはずです。

 

ぜひ、後輩のみんなにも、ボロボロになるまでたくさん挑戦をしてほしいと思います。

 

これを書いていて思い出したのですが、僕の尊敬する経営者の一人に稲盛和夫さんという方がいます。

この方は京セラ・第二電電(現・KDDI)の創業者なのですが、この方の「生き方」という著書の中で、「人生の目的は、魂を磨くことである」という趣旨の記述があります。

 

今日自分という存在がいなくなっても、ほぼ何も変わらない明日が世界にはやってきます。

自分がいなくなったことを悲しんでくれる人は、家族と何人かの親しい友だちくらいで、結局それもあまり長くは続かないはずです。

 

こう考えると、「自分が生きている意味などないのではないか?」という考えに行き着くのですが、その通りで対外的な意義などないのです。

だからこそ、対内的(つまり自分の中)に人生の意義を見出す必要があるということだと僕は解釈しています。

 

他人にとってどう見えるかではなく、自分の魂を磨くため、そのために挑戦することが不可欠だと感じます。

 

(すみません、偉そうに語ってしまいました)

 

 

2. 後輩にメッセージ

僕は引退して以降、あまり部活に顔を出せなかったので、あまり偉そうに後輩にメッセージを残すことはできません。

 

ただ、そういう立場だからこそ見えた部活動の意義があると思っていて、それはこちらのnoteにまとめたので、お時間があれば読んでみてください。

https://note.com/orikoumaru/n/n6133aeed038e

 

まとめると、ただがむしゃらに頑張った先に見える世界があるはずだということです。

ボート流に言うなら、ローアウトした後に見える光があるということでしょうか?(笑)(←それは失神しているだけでは)

 

コロナウイルスの状況もあり、なかなか部活動に意義を見出しにくくなっている時期かもしれませんが、是非頑張れるところまで努力を重ねてみてください。

 

 

3. これからのおりこー

4月からは浜松にある関連外の病院にて2年間初期研修を行う予定です。

(※全国的には、そこそこ知名度のある教育的な研修病院なので、ぜひ後輩のみなさんも見学に来てください!)

 

もともと初期研修をするかも迷っており、一般の大学生に紛れて就活も行い内定もいくつか頂いていました。

しかし、結局医療が大好きで、実習中に感じた喜び・悔しさが忘れられなくて、「普通(?)」の道に戻ってきました(笑)

 

これからは医療に対して自分が最も喜びを見いだせる、そして自分の能力を発揮できるアプローチをしていきたいと考えています。

 

 

 

次は医学部同期の最後の1人、麓くんに回したいと思います。お題は、「ボートで学んだこと」「医師としてのスタートラインになった今の思い」「夢」でお願いします。


卒業します!お世話になりました。

2021-02-18 18:08:27 | 日誌

独立自尊、気品の泉源、知徳の模範、半学半教、春眠不覚暁、、どれも意味がよくわからないまま慶應を卒業しようとしています、100回生の小池です。こんにちは。かなちゃんからバトンもらいました。先日国試を終え、長かった学生生活も終わりを迎えようとしています。

・国試を終えて
98回生、99回生が孝養舎で頑張ってらっしゃる光景を見ていたので、僕も孝養舎で勉強だ!と思っていたのですが、、2020年はコロナでポリクリはオンライン化、1日の多くを家とジムで過ごしました。
国試のプレッシャー、漠然とした不安感、集中できずにYoutube観ちゃう、、、下級生の頃は全く想像できなかったので、今思うことはこれを乗り越えてこられた先輩方はすごいな、という一言につきます。応援してくださった方々ありがとうございました。後輩の皆さんも6年生の時だけ勉強頑張ってください。5年生、いや6年生夏まではボート漕いだ方がいいと思います(春から勉強していた僕は12月くらいで飽きてしまいました)
いまは、国試が終わってとってもほっとしています。海外にも行けないし、大勢で飲みにも行けないし、謝恩会もなくなってしまったし、卒業式もあるかわからないので、、とりあえず国試前と変わらずにジムに行ってます(まだまだ信濃町トレーニングルームは再開していません><泣)。
4月から働くにあたり、部屋を探しニトリやIKEAに行って家具をみています。一人暮らしって、、大変ですね。笑


・医学部の6年間
1年生:入学したときからボート部に入ることを決めていました。青山くんや黒宮さんたちと楽しく活動しました。神谷さんと井上さんに指導していただき、秋は原田さんと加藤さんに指導いただきました。
2-4年生:転サイする。対校なのに僕全然漕げてない。深瀬さんと北澤さんと乗らせてもらうことが多かったです、お世話になりました。
5年生:スカルになるも、いくらレートを上げても全然進まない。
6年生:ただ国試勉強だけしかすることがない一年間

振り返ると、5年生秋の慶東戦でダブルFortiusに乗って以来、ボートには乗れていません。東医体も早慶戦もないこの1年間はすごく寂しかったです。来年以降、新歓・練習そして試合ができるかまだまだわからない状況ですが、部員のみんなには是非体を鍛えて、準備しておいてほしいと思います(小池も慶東戦OBエイトのために、毎日ベンチプレスで追い込んでいます)
ボート部で過ごした日々は長かったような、あっというまだったような感じです。終わり方もよくわかないままになってしまいました。私自身は一度も東医体の決勝に出ることなく、引退することとなりました。先輩方が築いてこられた良い流れを下へ繋ぐことができなかった、とずっと感じています。ごめんなさい。

YoutubeやGoogleDriveの動画や写真を見返すと、
ひどい漕ぎをしているし、一人だけキモい首輪巻いてるし、ハーフマラソンつらいし、光那にはいつも怒られるし、体育会役員は途中で辞めるし、でっぱん前にはトイレ行かないと気が済まないし、隅田練では滑って頭から血だすし(ご迷惑をおかけしました)、ストロークだけ艇が沈んでるしと、マイナスのことばかりが浮かびます。そんな小池ですが、あたたかい先輩方、同期、後輩に恵まれ、楽しく過ごさせてもらいました。試合に勝てたのも、85kgの僕と一緒に乗ってくれたクルー、そして支えてくれた周りの人たちおかげです。悲しい出来事、忘れられないこともありましたが、いまこうしてみなさんとご縁ができたのもボート部のおかげです。
みなさん、長い間、ありがとうございました。

ボート部の他に、ぬいぐるみ病院や四谷祭実行委員会の活動をしたり、楽しい6年間を過ごすことができました。
ボート部のみなさんには、Dr.G企画に出ていただいたり、ミスターコンテストでてもらったり、焼きそば作ってもらったり、プロテイン売ってもらったりととても助けてもらいました。ありがとうございます。


・その他フリートーク
過去の部員日誌をみていました、なつかしいです。

僕が1年生のとき、当時の6年生だった95回生はとっても大きくかっこよく見えました。
そんな先輩に僕はなれたのでしょうか、、、澤田くんに今度聞いてみたいと思います。笑

あーーサンレイチャ食べたい。笑 土曜昼の思い出の味、常来吃、行きたいと思います。


最後の最後に、ぼくがこの6年間を通じて体得した知見をシェアしたいとおもいます。
「筋トレだけしても、確かにエルゴのタイムは少し良くなるけど、ボートは速くならない。」
です。後輩のみんな、これからも、怪我なく楽しく、頑張ってください。エルゴも時々やってね!

次は、折田くん、に回します。「6年間をふりかえって」「後輩にメッセージ」「これからのおりこー」でお願いします。委員長、ありがとねっ


Take Home Message:料理はいかに楽をするかが大切である

2021-02-18 18:08:27 | 日誌

こんにちは。
齋藤くんからバトンをもらいました。
102回生 4年の福尾です。

更新が遅れてしまい申し訳ありません。

 

まずは、医学部100回生の方々、国試お疲れ様でした!

通常と異なる状況下での試験だったと思うのですが、無事終了されたとのこと、本当に良かったです。4月までゆっくりお休みください。

そして、次は薬学部6年生の方々、国家試験目前ですが、頑張ってください!!!応援しています!!!!!

 

 

さて、日誌に何を書けば良いか迷ったのですが、最近挑戦していることについて少し書こうかなと思います。

コロナで部活が出来ないので、料理を作ってみることにしました。
得意という訳ではないのですが、そろそろ同年代は就職する年齢ですし、自分も身の回りの生活くらいは出来ないとと思って作っています。

少しの間料理を作って気づいたことがあります。
それは…


>>>>>料理を簡略化することはとても大切<<<<<

 

ということです。

母はこの20数年間ずっと食事を作ってくれた訳ですが、料理を作るという作業は多大な労力が必要です。

冷蔵庫にある食材を見て、献立を考え、栄養を考え、時間や材料を考え……ひとえに料理といっても、沢山の工程を踏まなければなりません。考えるだけでも膨大な作業なのに、作るためには材料をいろいろな形に切り、炒めたり煮込んだり、火を調節したり、味を調整したり、、、とかなりの作業量が必要です。
「今日なに食べたい?」と聞く母の気持ちが少し分かったような気がします。家族のために毎日料理を作り続けてくれている母に感謝です。

ということで、料理を作り始めた当初は


〜ピロシキ〜

とか

〜野菜のテリーヌ〜
マスタードソースを添えて


とか、何となく手のかかりそうな料理ばかり作っていたのですが、やはり長くは続きませんでした。


勉強や筋トレと一緒、料理も大事なのは


「細く長く」


です。
なので、最近はもっぱらどれだけ楽をして料理するかということに挑戦しています。


この間、レンジだけでできるレシピの本を購入したのですが、味も良く栄養バランスも良いメニューが沢山載っていてとても助かっています。
YouTubeでもレシピを紹介する動画がたくさんありますが、器一つでできるレシピ、取り敢えずいつも家にあるものでできるレシピなど、料理初心者としては学ばせてもらうところが多いです。

レシピと材料が揃っていれば料理は誰でも作れると思うので、ぱぱっと、時間をかけずにその場にある材料で作れる手際の良い人になりたいです。目指せタサン志麻さん(すごく料理の上手な伝説の家政婦さん)です。

それでは、次の日誌は国試を終えた医学部100回生の小池さんに回したいと思います。
お題は
・国試を終えて
・医学部の6年間
・その他フリートーク
でお願いします!