慶應医学部端艇部 部員日誌

部員の日常を綴ります・・・。

さようなら

2019-02-28 19:19:19 | 日誌

投稿遅くなって申し訳ありませんでした。

6年の塩野です。

 

 

もう6年生なんですね。ていうか卒業なんですね。全く実感沸かないままここまで来てしまいましたが、

 

気持ちはまだまだ17才で過ごしております。

 

 

 

どうやらハヤオさんからのお題が届いている様ですね!!!

 

(毎年コナンの映画を、、年にはその日の勧誘が終わってから、、観に行ったのも、最後だったと思うと寂しいものです…)

 

 

 

 

 

ちなみに昔話になりますが、ハヤオさんとは去年の東医体で一緒にダブルを漕いでいました。最近全く絡みはないですが、懐かしいですねー。人生最後のレースとなった医レガ決勝の試合は記憶に新しく、個人的に一番考えながら、そして塩野の中では一番思い通りに漕げた試合だったのでいい思い出になりました。しかしながら6年間を通して多くの試合に出させて頂きましたが、ほとんどは不甲斐ない、ないし不甲斐ないにも届かないような試合でした。他の人はどうなのかな、一個一個の試合は自分の中でそこそこ漕げた・全然漕げなかった、或いは勝った・負けたと大まかに2つのベクトルでもって覚えているのが大半です。私の中で最も漕げなかった試合は今も忘れもしない2015年の慶東戦エイト、、この時の私は主に1年生のナックルフォアぶりにスイープオールを握ったわけだったのですが、、、話すと長くなるので簡単に言うと荒れ狂う暴風と逆の大荒れ(去年の台風明けの夏季競走大会の予選と同等それ以上かな)に全く対応できずまぁそれはそれはホントに漕げなかったそうな。。他7人のお力で勝てたから良かったものの、今でも恥ずかしくて振り返りたくない試合でした。動画も実はあれだけは見ないようにしています。思えば慶東戦にはあまりいい思い出はないのですが、(あっ慶東戦が悪いのではなくて悪いのは私です...一応)さてここで一番印象に残っている.....というお題から行きましょう。違うことなく2013年の慶東戦エキシビションダブルかなと思います。これもまた初めてスカルオールを手にしたシーズンであって、初めて自分たちで練習メニューを考え、レースに臨んだシーズンでした。当時私はバウを漕ぎ、ストロークには〝のちに「変態」となる男″が乗っていました。ダブルはもう1艇あり、そっちにはハヤオさんとはらりん(当時はマスコット的なキャラでした。)が、シングルスカルに星野、他男子はエイトというクルー割りだったと思います...原初は。CITIUSにはこの時初めて乗りましたが、その軽さに驚愕したのは今でも覚えています。なにせずっとナックルだったもので。。。みんな泊まることができた時代だったので朝練というのも新しいものでした。今思えばダブルでのあの練習はかなり問題があったのですが、その時は何もわかりませんでした。無知とは平和にして恐ろしいものです。ストロークの織り成す、あまたもの水を弾丸ライナーのように操り、時には空中へと散布しバウを空襲するその技は、私の体だけでなく精神をも蝕んでいきました。慶東戦は11月の上旬でしたので、飛んでくる冷えついた戸田水はまるでナイフのようでした。毎乗艇、沈したわけでもないのに足場がちゃぽんちゃぽん、船を上げるときの滝は尋常ではないものとなっていました。私は私で、全く合わせられず、しかもかなり上体、特に肩を重用した漕ぎを確立させていきました。そうして船は進まないし次第に重くなっていくという最早ネタみたいな進化を遂げていったのでした。一方でまた、シングルスカルの方も沈を濫用しえぐっているようでありました...。彼は違う進化を遂げていきましたが...。その後ひょんな理由からはらりんがエイトに乗ることとなり、ハヤオさん・星野ダブルに変更されたのでした。暫ししてCITIUSカップたる500mの艇決めレースをやることになりました。まぁFilippiのがやっぱしかっこいいしなぁ~(当時はこの程度しかよくわかっていなかった)など考えていたもののあっさり敗北。確かに今になって考えてみたら、彼らは負けず嫌いの自信家と執念で漕ぐ男のセットでした、変態とへたれでは勝てない...。そして来たる慶東戦では同じ1年生同士には思えぬ大差をつけられ惨敗。参考にですが、確か1000mで3:40ちょい、4:10くらいのスピードだったはずです。当時マネージャーだったもっちーさんにも下手くそ認定され、どうしようもない憤りを感じていたシーズンでした。こんなところです。ここからは全然関係ない話ですが、ハヤオさんは3年生の東医体シーズンまで俺のもんだと言わんばかりにCITIUSを愛用することになります。確か総会かなんかの時にも「俺の一番好きな船?んぁ?なんだぁ?CITIUSやな」みたいなことを言っていた気がします笑。シェリーではないですが、仮にもあの船に名前がなかったとしたら彼は名付けを行っていたことでしょう。そして事件が起きました。と言っても私にとっての事件なだけですがね。なんとシーズン初め、北澤進之助がCITIUSの所有権を主張し始めたのでした。進之助はリギングも完成させシーズン前から澤田丸と既に何度か練習していると主張、そして譲る気なんて全く無いのでした。横でつっ立って会話にただ耳を傾けるだけの澤田丸。残念だけど何故かちょっとにやにやしている塩野。言い放たれてぼんやり立っているハヤオさん。あの時の悲しく、そして寂しそうなハヤオさんの眼にもきっとCITIUSは映っていたのでしょう...

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

国試のおよそ100日前...。時は11月まで遡る。

長野県の山奥、美ヶ原高原というところにそれはある。ふるさと館。

http://www.furusatokan.jp/

言葉で言い表せないとはこのことだと確信を持って言おう。

万が一でも一言で言おうもんなら、其れ則

天国

あまり語る気はないんですが(なんせ天国だもの..)、コケモモジュースという飲み物に出会いました。是非天国行ったら飲んでみてください。

 

 

 

 

 

 

以上!!!

 

 

まあこんな感じでいいんでしょうか。

更新遅くなってしまってすみません。

それでは次は饗庭さんで。

「えへへへへ、最近こんなことあったよ!」

「自分にとってのボート部」

「社会人への意気込み」

「後輩に言っておきたいこと」

いやぁ熱い文章が書けそうですねぇ~

ではではよろしくお願いします!!!

さようなら