榎本君からバトンを頂きました。2012年度卒の新美望です。
彼からのタイトルにちょっとした悪意を感じますが、榎本君ほど心が清らかで素直な人間はいないので僕の受け取り方がひねていて、問題があるのでしょう。
さて、端艇部で得たものです。
僕は今年の年末に結婚する予定です。そのお相手が端艇部で出会った方です。
そういう意味で、ボート部で人生が決まったと言っても過言ではありません。これ以上言うと、単なる惚気になってしまうので、将来の花嫁さん以外の話をします。
僕は、極端な性格の持ち主です。ある一つの意見がまっとうで正しいと思うと、それ以外は悪だ!と断じるタイプでした。
たとえば、小学校6年生の時。僕は中学受験が正義という教育を受けたので「バカだけはいけない」という感じの生き方でした。
そして、高校ではその反動で体育会に入っていない人間は腑抜けという寒月君の地元の学校のバンカラのような思想も持っていました。
医学部に入ったときは「勉強なんてもってのほか。ボートにのみ集中しろ」「ボートが終わったら100%医療の道に突き進んで夜は寝るな」とか「練習量は多いほどいい。練習量が少ないのは自分への裏切り」といったような文言を信じていきました。
今までの事はすべて、尊敬できる先生や先輩方のお言葉なのでそれを否定はできませんし、ある種の真実であることは間違いないと思います。
一方で、これらはあまりにも「強い言葉」なんだと思います。当たり前ですが、先生も先輩も勝者でした。たとえ、一時的に負けたとしても最後まで勝ち続けた人でした。だからこそ、後輩たちにも同じ道をすすんでいって欲しいと思ったのでしょう。
残念ながら、僕は勝てませんでした。漕手でレースに圧倒的に勝ちたかったのですが、ダメでした。
少なくとも、僕が望んでいたような、思い描いていたような形の勝利を得られませんでした。
レースの時には全力を尽くしていた自覚でしたが、あとで振り返ると常に「もっとできたはず」と思い続けました。
東医体優勝の時に、僕は漕いでいません。
でも、優勝した時に「端艇部全体の勝利」ということで僕の名前も表彰していただけました。
後輩が名前を載せてくれました。
昔だったら「僕は何もやっていない。弱かったから負け続けたから、強い現役だけがもらえばいい」と思っていたと思います。
でも、少なくとも表彰してくれようとする後輩がいて、頑張っていた同期がいて、それを支えてくれたマネージャーさんがいて、OBの先生がいて。
今までの人生でも気づかなかっただけで、数多くの人の支えがあってやってこれたんだと思います。
だから、端艇部全体の中に名前を残せたのが非常にうれしかったです。
もしも敗者だったら敗者なりに何か端艇部の役に立てるんじゃないか。そういう風に思えるようになりました。
単純に年取ってすり減って丸くなっただけかもしれません。それでもよいと思っています。
僕には帰れる場所があって、この人のためになんでもしたい、この人と一生一緒にいたいと思える人もいます。「勝者」じゃなくてもできることはあるものだと思います。
結局惚気になってしまいました。
では、次は山西君でタイトルは「僕にとっての端艇部」でお願いします。