慶應医学部端艇部 部員日誌

部員の日常を綴ります・・・。

山西さんより

2013-03-31 18:41:24 | 日誌
6年の山西です。いよいよ明日より北海道は北見の地で初期研修を開始します。こちらは日中は日差しが強く暖かさもありますが、日が暮れると骨にしみる程の寒さが襲います。
新美に勧誘されて入部した端艇部。頼れる先輩、同期、個性豊かな(笑)後輩に囲まれてここまで来られました。ありがとうございます!大変なこともありましたが、慶東戦で雪辱を晴らせたり、インカレにも出場したり、東医体の主管をやったり、そして何と42年ぶり東医体優勝果たすなどと充実した6年間でした。
部員のみんなも二連覇に向けて邁進してください!北海道から応援してます!東医体行けたらいいな(笑)

端艇部で得たもの(やしまさん含む)

2013-03-31 01:19:59 | 日誌
榎本君からバトンを頂きました。2012年度卒の新美望です。
彼からのタイトルにちょっとした悪意を感じますが、榎本君ほど心が清らかで素直な人間はいないので僕の受け取り方がひねていて、問題があるのでしょう。

さて、端艇部で得たものです。
僕は今年の年末に結婚する予定です。そのお相手が端艇部で出会った方です。
そういう意味で、ボート部で人生が決まったと言っても過言ではありません。これ以上言うと、単なる惚気になってしまうので、将来の花嫁さん以外の話をします。

僕は、極端な性格の持ち主です。ある一つの意見がまっとうで正しいと思うと、それ以外は悪だ!と断じるタイプでした。
たとえば、小学校6年生の時。僕は中学受験が正義という教育を受けたので「バカだけはいけない」という感じの生き方でした。
そして、高校ではその反動で体育会に入っていない人間は腑抜けという寒月君の地元の学校のバンカラのような思想も持っていました。
医学部に入ったときは「勉強なんてもってのほか。ボートにのみ集中しろ」「ボートが終わったら100%医療の道に突き進んで夜は寝るな」とか「練習量は多いほどいい。練習量が少ないのは自分への裏切り」といったような文言を信じていきました。
今までの事はすべて、尊敬できる先生や先輩方のお言葉なのでそれを否定はできませんし、ある種の真実であることは間違いないと思います。
一方で、これらはあまりにも「強い言葉」なんだと思います。当たり前ですが、先生も先輩も勝者でした。たとえ、一時的に負けたとしても最後まで勝ち続けた人でした。だからこそ、後輩たちにも同じ道をすすんでいって欲しいと思ったのでしょう。
残念ながら、僕は勝てませんでした。漕手でレースに圧倒的に勝ちたかったのですが、ダメでした。
少なくとも、僕が望んでいたような、思い描いていたような形の勝利を得られませんでした。
レースの時には全力を尽くしていた自覚でしたが、あとで振り返ると常に「もっとできたはず」と思い続けました。

東医体優勝の時に、僕は漕いでいません。
でも、優勝した時に「端艇部全体の勝利」ということで僕の名前も表彰していただけました。
後輩が名前を載せてくれました。
昔だったら「僕は何もやっていない。弱かったから負け続けたから、強い現役だけがもらえばいい」と思っていたと思います。
でも、少なくとも表彰してくれようとする後輩がいて、頑張っていた同期がいて、それを支えてくれたマネージャーさんがいて、OBの先生がいて。
今までの人生でも気づかなかっただけで、数多くの人の支えがあってやってこれたんだと思います。
だから、端艇部全体の中に名前を残せたのが非常にうれしかったです。
もしも敗者だったら敗者なりに何か端艇部の役に立てるんじゃないか。そういう風に思えるようになりました。

単純に年取ってすり減って丸くなっただけかもしれません。それでもよいと思っています。
僕には帰れる場所があって、この人のためになんでもしたい、この人と一生一緒にいたいと思える人もいます。「勝者」じゃなくてもできることはあるものだと思います。

結局惚気になってしまいました。

では、次は山西君でタイトルは「僕にとっての端艇部」でお願いします。


もし七年生になってボートを続けることができたら

2013-03-30 12:54:14 | 日誌
もと6年の榎本成志です。ついに卒業してしまいました。

まず、先日は卒業式、赤艇会総会、卒業乗艇会、追いコンと立て続けに盛大に送り出していただいてありがとうございました。

卒業乗艇会、正直めんどくさいなぁと思いながら行ったのですが、ボートに乗るとやはり楽しく、戸田の景色にいろいろな思い出が頭をよぎりました。つらかった練習、文句ばかり言う後輩、狙われる会陰部、1500Mのプレートを見てまだあと500Mかよ、、、と泣きそうになることももうないのだと思うと、感慨深いものでした。

卒業式では式次第に名前を乗せていただき、小泉体育努力賞を受賞することができました。僅差で成績優秀者と体育賞の同時受賞を逃したことは悔やまれますが、塾高遠泳部時代に「練習ハ 不可能ヲ 可能ニス 小泉信三」の額縁を毎日眺めて育った自分には、小泉体育努力賞は重たい賞でした。部員全員で成し遂げた東医体総合優勝がこのように評価されたことはとても嬉しく、最後に素晴らしい思い出ができました。

さて本題の「もし7年生になってボートを続けることができたら」ということですが、、、やり残したこと、、、いっぱいあります。まずは東医体で、自分の乗った艇で金メダルを取ることです。毎年メダルをもらいながらも結局金メダルは医療系4+の一個だけにとどまりました。まぁしかし伝説の96回生と取った銅メダルは金メダル相当だと自己評価しています。それから早慶戦。隅田川の大観衆の中であと2回くらいぶっちぎりで勝ちたかったですね。そして、インカレ。一度は全塾とインカレで並べたかった。今でも2010年のインカレ準決勝で全塾と同じく組になれなかったことが悔やまれます。などなどやり残したことはきりがありませんが、残念ながら無事6年間で卒業してしまいました。でも、べつに後悔があるわけではなく、今は優秀な後輩達がそれらを成し遂げていくのをOBとして見守るのが楽しみです。最近無難なことしか言いませんね、と言われましたが、まさにそんな感じにまとめつつ、次は新美で「端艇部で得たもの(やしまさん含む)」でお願いします。

2013年1月から3月まで…

2013-03-14 23:50:09 | 日誌
更新遅れて本当に申し訳ございません。年明けの時に書くべきの部員日誌ですが、気づいたらすでに今年の五分の一が消えました。新三年生の陳と申します。ボート部の一月と言えば、シーズンの再開ですね。去年はかなり筋トレーが中心で、勉強会でボートについてもみんなで勉強していました。今年は始めて試乗会以外でエイトを漕ぐことができました。現役部員だけでちょっと人数が足りないので、上級生お方がお越しくださり、一緒に頑張ってくださいました。雪の日もあって、面白い練習になりました。

一月の後半、主にロングレースに出るクルーに分かれて練習してきました。練習は主にフォアに慣れるための練習で、僕は神谷主将の尊いお背中を追いかけ、必死に練習しました。

ストイック。彼はストイックを人物化したような人です。
彼のファイティングスピリットは、此れに及ぶ者無し、
日本に来て初めて御顔を拝する、闘将に相応しいお人なのです。多分ね。

ちなみに、私が3番で、神谷さんはバウでした。背中を追いかけるとか、あくまでも比喩的表現です。多分。

3月の頭に部内旅行があって、9人で白馬五竜スキー場に行ってきました。相澤くんと私がスキーではなく、スノーボードでした。多分100回以上も、ぬいぐるみの人形のように転んで痛みが常に感じられていました。私の顔はだいたい雪の中にあることが多かったです。首や膝を撚て、おそらく脳震盪にもなりましたwww ところで、金子はジャンプ台で肩関節が脱臼していまって、暫く休みになっています。KG先生の言葉をお借りさせていただくと、「賢司らしいね」。

とりあえず、春合宿がすでに始まって、早稲田に勝つことしか考えていません。皆様のご応援をよろしくお願いいたします。クルーは、神谷さんと菊岡さんと鈴木さんと相澤くんと私です。勧誘も成功できると嬉しいです。河本も頑張っています。

次の部員日誌は榎本さんをはじめ、卒業生三人の方にお書きいただきたいと思います。榎本さん、「もし七年生になってボートを続けることができたら」をお題にしてもいいし、とりあえずご自由に最後の部員日誌を、よろしくお願いいたします。