どうも、北見、札幌、東京、静岡と南下を続けております卒業生の森本です。南下が趣味っていうことはないので偶然でしょう。
何年ぶりに日誌を書くのかわからないほど久しぶりに書きます
まず、僕たち卒業生4名は、昨日の赤艇会総会にて正式に医学部端艇部を卒業し赤艇会会員となりました。今までご指導くださいました赤艇会の先生方、お二方のコーチをはじめとする三田漕艇倶楽部の方々、先輩方には大変お世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
「おもひでぽろぽろ」
6年間は長いようで本当にあっという間に過ぎてしまいました。振り返ってみるといろいろな思い出があります。悔しく忘れもしない思い出を1つ。
4年時の東医体@河口湖、男子舵手付フォア決勝。クルーは梅山、菊岡、神谷、鈴木、森本。
この日の河口湖は天気は良かったものの風が強く、朝からかなりのラフコンでした。おそらく僕がフォアに乗っていた4年間で一番荒れていたコンディションだと思います。発艇台につけるのに苦労する他大の艇を横目に予定通りMOMOは発艇台に到着。
「Attention、、、Go」 スタート予定時刻よりやや遅れて東医体最後の種目、男子舵手付フォアの決勝がスタートしました。スタートはほぼ横並びか若干MOMOがリードしてコンスタントへ。250m、500mとレースは進むがその差はほとんど変わらない。若干のリードをもって後半へ。
すると600m過ぎたあたりだっただろうか、MOMOからは数艇身離れていて遅れていた2艇がもつれて止まってしまったのだ。
審判艇が見たこともない赤旗を振っている。事故があったことでもアピールしているのか。気にせず漕ごう。
あれっ、周りの艇が漕ぐのを止めだしたぞ。ん?レース中断??当時の僕の心境はこんな感じだった。そして後輩の話によると、真っ先に審判艇に対して、サッカーでは一発レッドカードになるようなことを叫んでいたのであった。非常に恥ずかしい話である。しかし審判がそういっている以上、審判の判定に従わなければならないのだ。。後半に差し掛かっていたレースがまたスタートからやり直しになり、結局は3位で終わってしまった。まぁ単純に再レースでも頭をとるほどの実力が僕らにはなかったのだろう。しかし、万一あそこでレース中断にならなかったら、とは考えずにはいられない悔しい思い出となった。
「テストをすべてAコンで通すということ」
次はボートとは打って変わって勉強のお話ですね。まぁこれは気合と計画性につきると思います。ボートをやっていても、戸田に泊まっていても、決して不可能ではない、とだけ言っておきましょう!!
さいご「この6年間で変わったこと」
これは体格のひとことにつきます。入学時はもっと細かったので6年間で大分がっちりした体格になったと思います。これは間違いなくボート効果です。
では次が卒業生最後になります、主将だった梅ちゃんです。1、2年生の時は朝起きるのがほんとに苦手で苦労していましたねwwそんな梅ちゃんが艇の上で関西弁で後輩を怒鳴る姿は恐ろしかったです。。
引っ越しの準備で時間もないかと思うけど頑張って書いてくださーい!
「今だから言えること」「国試ってどれくらい勉強するの?」などなど自由にお願いします。
何年ぶりに日誌を書くのかわからないほど久しぶりに書きます
まず、僕たち卒業生4名は、昨日の赤艇会総会にて正式に医学部端艇部を卒業し赤艇会会員となりました。今までご指導くださいました赤艇会の先生方、お二方のコーチをはじめとする三田漕艇倶楽部の方々、先輩方には大変お世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
「おもひでぽろぽろ」
6年間は長いようで本当にあっという間に過ぎてしまいました。振り返ってみるといろいろな思い出があります。悔しく忘れもしない思い出を1つ。
4年時の東医体@河口湖、男子舵手付フォア決勝。クルーは梅山、菊岡、神谷、鈴木、森本。
この日の河口湖は天気は良かったものの風が強く、朝からかなりのラフコンでした。おそらく僕がフォアに乗っていた4年間で一番荒れていたコンディションだと思います。発艇台につけるのに苦労する他大の艇を横目に予定通りMOMOは発艇台に到着。
「Attention、、、Go」 スタート予定時刻よりやや遅れて東医体最後の種目、男子舵手付フォアの決勝がスタートしました。スタートはほぼ横並びか若干MOMOがリードしてコンスタントへ。250m、500mとレースは進むがその差はほとんど変わらない。若干のリードをもって後半へ。
すると600m過ぎたあたりだっただろうか、MOMOからは数艇身離れていて遅れていた2艇がもつれて止まってしまったのだ。
審判艇が見たこともない赤旗を振っている。事故があったことでもアピールしているのか。気にせず漕ごう。
あれっ、周りの艇が漕ぐのを止めだしたぞ。ん?レース中断??当時の僕の心境はこんな感じだった。そして後輩の話によると、真っ先に審判艇に対して、サッカーでは一発レッドカードになるようなことを叫んでいたのであった。非常に恥ずかしい話である。しかし審判がそういっている以上、審判の判定に従わなければならないのだ。。後半に差し掛かっていたレースがまたスタートからやり直しになり、結局は3位で終わってしまった。まぁ単純に再レースでも頭をとるほどの実力が僕らにはなかったのだろう。しかし、万一あそこでレース中断にならなかったら、とは考えずにはいられない悔しい思い出となった。
「テストをすべてAコンで通すということ」
次はボートとは打って変わって勉強のお話ですね。まぁこれは気合と計画性につきると思います。ボートをやっていても、戸田に泊まっていても、決して不可能ではない、とだけ言っておきましょう!!
さいご「この6年間で変わったこと」
これは体格のひとことにつきます。入学時はもっと細かったので6年間で大分がっちりした体格になったと思います。これは間違いなくボート効果です。
では次が卒業生最後になります、主将だった梅ちゃんです。1、2年生の時は朝起きるのがほんとに苦手で苦労していましたねwwそんな梅ちゃんが艇の上で関西弁で後輩を怒鳴る姿は恐ろしかったです。。
引っ越しの準備で時間もないかと思うけど頑張って書いてくださーい!
「今だから言えること」「国試ってどれくらい勉強するの?」などなど自由にお願いします。