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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【あたりまえ経営のすすめ】2部管理編1章03 報連相を通じてノウハウを蓄積する

2022-12-18 13:55:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部管理編1章03 報連相を通じてノウハウを蓄積する

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部1章 リーダーシップあるプロの管理職の発想と行動 

 “真”のプロは、“真”の管理ができなければなりません。“真”の管理は、「温かい管理」が基本です。
 「管理」の基本について、考えてみましょう。

 

■2-03 報連相を通じてノウハウを蓄積する

 別項で、双方向コミュニケーションにつきまして記述しています。

 ここで、ご紹介します双方向コミュニケーションは、文書と口頭の両者を併用することが、一般的に言われていますやり方と異なるところです。

 双方向コミュニケーションで交流されました情報を、文書と記録を残して行きますと、それが財産として残り、それを再活用することができます。

 年度や月度の計画を立てるときに、行き詰まりますと、なかなか、その壁を突破することができません。その時に、ヒントとなりますのが、計画立案マニュアルです。

 計画立案マニュアルは、はじめから大上段に構えて「マニュアルを作る」と考えなくても良いのです。繰り返される計画立案時におけます苦労や問題点などを、PDCAの一環として蓄積して行くことにより、自然と記録となり、それを整理しながら、マニュアルらしくして行けばよいのです。

 日常業務も、業務報告書をベースに双方向コミュニケーション・報連相を行ったときに、業務報告書だけではなく、双方向コミュニケーションでの会話のポイントを報告書に吹きして行けばよいのです。

 それらをもとに、整理しますと、ノウハウ集が、マニュアルとして成長して行きます。日常業務で、困ったことが起こったときに、そのマニュアルがヒントを与えてくれます。

 日常業務は、PDCAに基づき、報告が成されます。文書で作成された報告書や関連する資料を目の前にして、双方向コミュニケーションを行い、双方向コミュニケーションで交わされた会話のポイントを、報告しに記録しておきます。それを整理することにより、マニュアルとして、いつでも、誰でもが会社のノウハウに接することができます。

 その時に、管理職は、管理職の立場として、どのように部下の報告を聴き、どの様なアドバイスをしたら良いのかも、記録を整理すれば「管理職としての指導マニュアル」ができるのです。

 文書としての記録が残っていませんと、個の経験が、その関係者だけの財産として偏重し、組織の財産となりません。

 どの様なことが起こったときに、どの様な考え方をすればよいのか、どの様な取り組み方策があるのかなど、多くの示唆を得ることができるようになるでしょう。

 「継続は力なり」という名言がありますが、私は、それをもじりまして「蓄積は力なり」と言っています。

 


【 注 】 詳細は、それぞれの当該する項をご参照ください。

<次号に続く>

 

■【あたりまえ経営のすすめ】 バックナンバー

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■【プロの心構え】 バックナンバー

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 最上義光歴史館 博物館前の池泉回遊式石組み庭園

2022-12-08 16:57:51 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 最上義光歴史館 博物館前の池泉回遊式石組み庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 山形県山形市 最上義光歴史館 博物館前の池泉回遊式石組み庭園



 「最上義光歴史館」(もがみよしあきれきしかん)は、霞城公園(山形城跡)の二の丸東大手門への入り口手前にあります。

 最上義光歴史館は、山形繁栄の礎を築いた出羽虎将最上義光と最上家歴代、山形城の他、地元山形の歴史などを幅広く紹介してます。

 出羽最上家は、全国第5位の57万石を領した大大名でした。第11代当主・初代藩主・最上義光が、長谷堂合戦の際に身につけていた、「最上義光公所用三十八間金覆輪兜」をはじめ、甲冑、指揮棒などの遺品、長谷堂合戦図屏風、山形城本丸のふすま絵等の絵画類や調度品等、多数展示されています。

 その博物館の前庭として石組みが特徴的な池泉回遊式の日本庭園があります。

  この地は、最上家初代・斯波兼頼の菩提寺『光明寺』があった由緒ある場所で、建物の向かいに『光明寺跡(光明の庭)』の石碑もあります。その隣には、「山形最古の阿弥陀板碑」もあります。


 


■ アクセス



 JR山形新幹線 山形駅より徒歩13分
 山形駅より路線バス「美術館前」「霞城公園前」バス停下車 徒歩1〜2分
 〒990-0046 山形県山形市大手町1-53


 



初代山形藩主・最上義光を語る博物館


 


山形繁栄の礎を築いた出羽虎将最上義光と


最上家歴代、山形城の他、地元山形の歴史などが


幅広く紹介されています


 



最上義光


 


「義光」は、「よしみつ」ではなく


「よしあき」と読むのですね。


博物館大看板の前に立つ最上義光の像


 



最上義光博物館前庭園全景


 



石組みのユニークな池泉回遊式石組み庭園(中央)


 



庭園西側


 



庭園東側


 



庭園東側にあるユニークな石


 



正面玄関前に立つ少女像


 



池泉庭園の外れの植栽あるエリアは『光明寺跡(光明の庭)』


 



光明寺跡石碑


 



山形最古の阿弥陀板碑


 


山形市指定有形文化財


文和四年阿弥陀板碑および


天文十五年釈迦板碑


 安山岩の自然石を用いて、上部に阿弥陀如来の種子(しゅうじ:梵字)を彫り、


その下に年月が刻まれています。

 文和四年(1355)は、南北朝時の北朝の年号で


南朝の正平十年にあたり、


「民部義尊」という人の供養のために


造立されたことがわかります。


造立されたのが室町時代であることも記されています。

 


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺薬師堂庭園 弁天池のある庭園 161015

2022-12-07 17:25:20 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺薬師堂庭園 弁天池のある庭園 161015

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 山形県山形市 出羽国分寺薬師堂庭園 弁天池のある庭園 161015


 薬師公園に国分寺薬師堂と本堂裏に庭園があります。もともとは山形城主・松平忠弘が作庭した『旧宝幢寺庭園(もみじ公園)』にあった本堂が移築されました。

 大きな堂宇の裏に弁天池のある庭園があります。明治時代の1884年に、県令・三島通庸が開いた『千歳園』の名残です。

 国分寺の創建は、天平13年(741)、聖武天皇が仏教による国家鎮護のために、国司や郡司に詔を発して建立させた寺院です。創建時には別の場所にあり、その場所は不明ですが、伝承によれば、平安時代末期から鎌倉時代初期に、出羽国府が山形に移転され、その際に国分寺が、この地に移転されたようです。

 江戸時代には徳川家の庇護を受けて寛永寺直末寺院となり、天台宗の触頭として末寺23ヵ寺を擁するほどになりました。しかし、明治時代以降は徳川家の庇護を得られず存続困難となり、明治時代の神仏分離令により、隣接する柏山寺の管理となりました。

 当時の薬師堂は明治44年の山形市北部大火により焼失し、廃寺となっていた宝幢寺本堂を移築したのが現在の薬師堂です。

 境内は、薬師公園の中央に位置し、毎年5月8日~10日の祭礼には、全国三大植木市のひとつ「薬師祭植木市」が開催されます。

 

■ アクセス
 

 JR山形駅より約2.5km
 〒990-0053 山形県山形市薬師町2丁目8-88

 

【 コメント 】

 

 薬師堂のご住職は大変気さくな方ですので、声をかけてみてはいかがでしょうか。いろいろと説明を聞くことができると思います。

 山形駅からバスの便は悪く、1時間に1~2本でている天童行きのバスで、薬師堂前下車で行けます。

 帰りのバス時刻を確認しておき、時間があれば隣の護国神社を訪れると良いでしょう。


 

 

 

薬師公園に国分寺薬師堂と本堂裏に庭園があります

 

本堂

 

薬師堂は明治44年の山形市北部大火により焼失し、

廃寺となっていた宝幢寺本堂を

移築したのが現在の薬師堂本堂です。

 

国分寺

 

国分寺は、聖武天皇が仏教による国家鎮護のために、

国司や郡司に詔を発して建立させた寺院です。

創建時には別の場所にあり、その場所は不明ですが、

伝承によれば、平安時代末期から鎌倉時代初期に、

出羽国府が山形に移転され、その際に国分寺が、

この地に移転されたようです。

 

広い庭園は、薬師公園として公開されています

奥の建物は、隣接する護国神社の寺務所

 

薬師堂庭園全景

 

大きな本堂の裏に弁天池のある庭園があります。

明治時代の1884年に、県令・三島通庸が開いた『千歳園』の名残です。

 

奥に藤棚も見えます

 

弁天池と呼ばれますので、

奥の社は弁天社でしょう

 

弁天社前から池越しに見る薬師堂本堂

 

境内は、薬師公園の中央に位置し、毎年5月8日~10日の祭礼には、

全国三大植木市のひとつ「薬師祭植木市」が開催されます。

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市「もみじ公園」 紅葉の名所・池泉回遊式庭園

2022-12-03 15:56:25 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市「もみじ公園」 紅葉の名所・池泉回遊式庭園

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。


■ 山形県山形市「もみじ公園」 紅葉の名所・池泉回遊式庭園

 「公園」という名称なので、公園に、庭園らしき物が着いている程度のところかと思っていました。
 行って見たら、白壁に囲まれ、そとからも中の趣を感じ取れました。
 入り口まで、白壁に沿って行きますと、キチンとした石柱が立っていて、紅葉も見えます。
 入り口正面には、立派な説明板もあります。
 一歩、足を踏み入れただけで、本格的な廻遊式の池泉庭園であることがわかりました。

 

■ 池泉廻遊式庭園「もみじ公園」

 「もみじ公園」は、山形市中心部の紅葉の名所で、江戸時代初期に山形城主・松平忠弘自身の手により作庭された池泉回遊式庭園です。
 真言宗の巨刹「宝幢寺(ほうどうじ)」の庭園だったものを、山形市が、昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、都市公園として整備し開放しています。

 江戸時代寛文(1665年前後)、時の城主松平下総守忠弘が、江戸の庭師と共に山形城の本丸庭園の余石と吉野のもみじを用いて、自らも作庭に手を染めた庭です。

 心字池を巡る池泉回遊式の庭園で、四季折々の風情を楽しめます。殊に、色濃く染まる秋の紅葉は、訪れる人を魅了します。

 宝幢寺は、奈良時代に行基によって開かれた古刹で、最上家の祖である斯波兼頼によって南北朝時代(室町時代)に山形城下に移されました。明治初期に廃寺となり、寺郭がとり払われました。

 現在残されている遠州流の庭園は、江戸時代初期に当時の山形城主・松平直矩(10万石)が、姫の病気平癒祈願のお礼として作庭寄進されたと言い伝えられてきました。しかし、松平直矩の前後に山形藩主を務めていた松平忠弘が城内の本丸庭園を造り直した際に余った石とモミジの木を使って、松平忠弘自身によって改修された庭園であるということがわかりました。ちなみに、松平忠弘は山形城主の他に播磨姫路藩、宇都宮藩、白河藩の藩主も歴任した大名です。

 池泉庭園に面して建つ“清風荘”も、元は宝幢寺の書院だった建物です。江戸時代中期から後期の建築として国登録有形文化財となっています。この建物は、山形市が買収した当時から園内にあったのです。それを「清風荘」と名づけ中央公民館分館として、市民に開放し利用されています。

 すなわち、この池泉回遊式庭園は「宝幢寺書院庭園」であり、“清風荘庭園”ともいえます。

 昭和54年10月に茶室「宝紅庵」は、茶室研究家・建築家の中村昌生さんらの尽力により改修・併設されました。今日では、茶会をはじめとした市民イベントで利用されています。

 宝幢寺の本堂は、「薬師公園」に薬師堂として移築されています。(出典:おにわさんサイトをもとに作成)

 

■ アクセス

 JR山形新幹線 山形駅より徒歩20分強
 山形駅より路線バス「南高前・山大入口」バス停下車 徒歩8分
 山形駅発~県庁行き・東原3丁目バス停より徒歩約3分
  ※ほかにも近いバス停がありますが(最寄は周遊バスの「五小前」)、本数の多いバス停がこちら 
 〒990-0034 山形県山形市東原町2丁目16-7 山形市公園緑地課 023-641-1212
 清風荘  023-622-3690
 定休     清風荘の休館日/月曜日、年末年始
 その他    園内には中央公民館分館「清風荘」、「宝紅庵」(茶室)が併設されている。
 駐車場 あり

 ※春〜10月まで観光案内所にレンタサイクルあり JR山形駅より2キロ程度

 

 

江戸時代初期に当時の山形城主・松平直矩(10万石)ら

山形の歴史と深く関わりのある庭園です。

 

白壁で囲まれていて、いかにも寺院の風情

 

真言宗の巨刹「宝幢寺(ほうどうじ)」の庭園でした。

山形市が、昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、

都市公園として整備し、開放しています。

 

入り口を入るとすぐ、

石灯籠と真っ赤に燃えた紅葉が迎えてくれました。

山形市中心部の紅葉の名所です。

 

江戸時代初期に山形城主・松平忠弘自身の手により作庭された

心字池を巡る池泉回遊式庭園です。

 

江戸時代寛文(1665年前後)、

時の城主松平下総守忠弘が、江戸の庭師と共に

山形城の本丸庭園の余石と吉野のもみじを用いて、

自らも作庭に手を染めた庭です。

 


もみじ公園のもとは、宝幢寺(ほうどうじ)の庭園で、

法憧寺は、奈良時代に行基によって開かれた古刹です。

最上家の祖である斯波兼頼によって

南北朝時代(室町時代)に山形城下に移されました。

 

 

紅葉のトンネル

 

あづまやで一休憩

清風荘

池泉庭園に面して建つ“清風荘”も、

元は宝幢寺の書院だった建物です。

江戸時代中期から後期の建築として

国登録有形文化財となっています。

 

 



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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