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経営コンサルタントへの道

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■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章 2 北野原からの新たな提案と竹根の逆提案

2025-04-25 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章 2 北野原からの新たな提案と竹根の逆提案 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆9章 半歩から一歩の踏み出しへ
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころの立場にいる竹根です。
 周囲の人は、アメリカで揉まれてきた竹根が、どのように仕事をするのか、興味津々の中で、竹根がいろいろと見せ場を作りながら、前8章での「半歩の踏み出し」から、一歩への踏み出しで、勤務を続けています。

  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆9-2 北野原からの新たな提案と竹根の逆提案
 竹根が懇意にしている顕微鏡メーカーのケント光学の北野原社長と、酒の場での会話が続いている。


「経営コンサルタントの資格を取ったと言うことは、いよいよ竹根さんも経営コンサルタントとして独立するということでしょ?」
「そんなことはまだ決めていませんが・・・」
「坂之下経営に行くのなら、そんなことはやめて、独立起業し、うちに顧問先の第一号の栄誉を授けてください」
「ちょっと、待ってください、社長。社長のお言葉は本当にありがたいです。でも、本当に私は独立するために経営コンサルタントの資格を取ったわけではありません。もちろん、将来、経営コンサルタントになることがあるかもしれませんが、今は、福田商事の中で、経営コンサルタント的な見方でいろいろな提言ができればよいと考えています」
「どこまで、竹根さんは人がいいの・・・福田商事のやり方はいただけないことは、一番よく知っているではないですか」
「私は、福田商事が好きですし、私のような若造をアメリカに送って、よい経験をさせてくれた角菊事業部長や福田社長に対して、本当にありがたいと思っています。感謝をしています」
 竹根がニューヨークで活躍し、福田商事の収益に大いに貢献したことを北野原は良く知っている。
「それは、確かにあるだろう。でも、竹根さんをアメリカに送って一番得をしたのは角菊さんではないか?あの人の手柄でもないのに、まわりはあの人の力だと思っているんだから、頭に来ちゃうよ。ぜ~ぶ、竹根さんの功績じゃないか」
「社長がそう言ってくださると涙が出るほどうれしいです。でも、お世話になっている福田商事に後ろ足でドロをかけるように、独立をして、しかも子会社であるケント光学が顧問先の第一号なんて、あまりにも品性に欠けた行為としか私には思えません」
 北野原は、苦虫を噛みしめたような顔をしてから、杯を空けた。竹根がお酌をしようとすると「大先生に、お酌なんかしてもらえません」と少々気分を害して、自分でしゃくをして、また杯を干した。
「社長、ご機嫌を直して、ちょっと私の話も聞いてもらえませんか」
 エッ、という風で、北野原は一瞬フリーズした。
「ケント光学は、いま、株主構成はどうなっているのです?」
「藪から棒にまた・・・福田商事が八十%、残りが俺だ」
「どうでしょう、五十一%まで、社長の持ち株比率を上げられませんか」
「経営権を握れというのかね?」
「そうです。そうすれば、福田商事の言いなりにならなくても済みます」
「それはそうだが、そうすんなりは行くまい。それにたとえ五十一%を持ったからといって、すべてこちらの思うように会社を動かすことはできないだろう」
「確かに法律的には、経営権があるのだから、ケント光学の方が強いけれど、現実には、いろいろなしがらみもあり、そうはできないでしょう」
 口とは裏腹に、北野原は、竹根の提案をまんざらとは思っていないようだ。
「福田社長は、電算機をこれからの重要商品と考えているのは、経営方針からも解ります。でも、それには莫大な資金がないと、大手六社の電算機メーカーと互していけないでしょう。ということは、そのための資金が必要です。資金をさらにつぎ込むか、電算機事業から撤退をするか、二者択一的な選択を迫られてきていると考えてます」
「なるほど、難しい戦略問題で、俺にはよくわからないが、竹根さんの推測が当たっているかもしれないな。そうすると、ケント光学の株式を手放す可能性はあるわけだ」
 北野原は、考え込んでしまった。
  <続く>

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