日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

いじめ

2012年07月10日 | Weblog
いじめ

いじめは最近始まったという物では無い人類が出現して以来何時の時代でもどこでもあ会ったはずだ。というのは人間が生存競争をする限り、排他的な欲望に振り回されることが少なくないからである。

歴史的な流れの中では、人権が無視されるか、希薄な物てあっただけで、存在しなかったわけでは無い。ところが最近になって人権が大きくクローズアップされて、人権侵害に当たるのではないかと疑われる事象は問題視されるようになった。大変喜ばしことである。ただしこれも使いようによっては両刃の刃に成り、100%良い面だけでは無い。
今回大津市の中学校で発生したいじめ問題で、教育委員会が「加害者の人権も考えて、、、」という行は誤用の典型だろう。生徒の人権を言うのならまず被害生徒の人権を重視せねば成るまい。加害者の人権も問題にして調査を中途半端にするなどと言う事は、人権というものの意味が分かっていない者が言う台詞である。
この悲劇を最後にしていじめを全滅させてほしいものだ。表面化しないだけでいじめは学校には必ず存在する。いじめは無かったとする学校や教育委員会の主張は絵空事で全く現実的では無い。いじめは無かったと言い訳をすれば学校の管理体制の問題がハズされると思う発想そのものが、非現実的なのである。
なべていじめに関しては現状は学校は鈍感である。もっともっと学校全体が
教師全体が過敏にならないと、潜行するいじめを見過ごすことが多いだろう。
再度書くがいじめは学校には必ず存在する。それが前提でいじめ対策をしないといじめは防げない。全校集会を毎月、毎学期に行い、校長や生活指導部の主任などが、厳罰で臨む毅然とした態度を示すべきだ。生徒を学校の管理体制がまずくて、自殺に追い込むような隙は見せては成らない。

文部科学省も乗り出して日本全国どこの学校でもいじめには厳罰で臨み、常々毅然とした態度で曖昧にしない事だ。これは同時に教育の原点でもあるはずだ 。

師匠

2012年07月10日 | Weblog
師匠

充実した生き方をしようと思ったら、そういう人を探す努力をしなくてはと思う。探して見つかるものじゃないと言う向きもあるが、僕は時間を掛けて探そう。中山素平さんは師匠とした人の墓参りを欠かさないという。

親の墓参りも滅多にしない僕にとってはいくら師匠といえども他人の墓参りをすると言うことには、なんとなく抵抗がある。
が、中山さんは受けた恩に感謝して墓参りする事によって恩返しの一部をしているのだ。出来ないことをする人は立派な人だ。師匠も立派な人だったんだろう。尊敬できる師匠に巡り会えたこと自体幸せなことだ