自殺の練習をさせられていた
滋賀県大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、教諭の放置を示す回答は記名8人、無記名6人で、直接見聞きした内容が1人、伝聞が13人。
伝聞であろうが、風評であろうが、何と可哀相なことが起きたことだ。涙がこぼれる。その涙は怒りに変わる。
報道で見る限り、真相究明はしなくては成らないが、記者会見の応答を見る限り学校、教育委員会、さらには警察、この連中はグルになって不幸な生徒に背を向けた許せない連中だ。
担任は教師の資格無い。即座に懲戒免職。その次は学年主任、校長。
一体何のために学校管理や運営をしているのか。教育委員会の連中は生徒の命を何と考えて対処したのか。いかにも自分たちの立場を守るかに終始している。その理屈たるや誰がきいても納得出来るものでは無い。対応が幼稚すぎる。
いじめの噂をキャッチした段階で、何故全校的な対応が取れないのだ。
いじめが学校問題として取り上げられてから久しいでは無いか。 生徒の安全を守のは学校の最重要任務であるはずだ。この責任放棄は絶対に許せない。
あきれてものが言えないのは「加害者にも人権があるから云々」と言うセリフ。
馬鹿言うんじゃ無いよ。まず被害者の人権を守ることが最優先で加害者は悪いのだから、それ相応の人権だよ」人権という言葉を持ち出せばそれがいいわけに成るなんて、人権の意味も分かってないのじゃないか。もっと勉強せよ。自分の頭で考えろ。
警察のあの態度は何なのだ。最初は答えられないと言いながら、マスコミが騒ぎ取り上げると、コメントが出る。これは一体どういうことなのか。警察も頼りない。人命救助という観点から本来は教育委員会に申し込みをしてもやり過ぎでは無いはず。
総じて今の日本特に行政官僚というのは、結果的には役に立って無いことがおおい。それは責任を問われても表面上だけで、そのために職を失うような処分を受けないからだ。だから常識では考えられないような屁理屈を付けて、のうのうと責任逃れをする。
生命に掛かにる場合は、「立場での発想」ではなくて一人の「人間として命の問題に向き合うときの発想」が大切なのに、それが欠落している。
マスコミから追求されると判断が甘かったかも知れないと発言を変える。
教育という立場にいて、それで職責が果たせていると思うのか。
今回の悲劇は担任を先頭に校長、教育委員会、さらには警察、そこまで事実調査をして責任追及する必要がある。追求の手は緩めては成らない。責任の所在が判った場合は明確な形で責任をとらせることだ。
いじめによる生徒自殺がでた場合、これだけの厳罰を受けるのだという前例を作って欲しい。そうすると、もうすこし現場は引き締まるのではないか。
参考
「先生も見て見ぬふり」や「一度、先生は注意したけれどその後は一緒になって笑っていた」と記されていた。
また「先生もいじめのことを知っていたけどこわくて言えなかったらしい」などとするものもあった。
一方、男子生徒が先生にも泣きながら電話でいじめを訴えたが、あまり対応してくれなかったらしい、と指摘する回答もあり、教諭が男子生徒へのいじめを認識していながら、適切な対応をとっていない可能性があることが明らかになった
アンケートには男子生徒が自殺の練習をさせられていたとの回答があったことがすでに判明。市教委は「自殺の練習」と同様に、事実確認できないとして公表していなかった。
男子生徒の父親は、複数の同級生から独自に聞き取った暴行の証言と学校の調査結果を基に、生徒が自殺した後の昨年10月に2回、同12月に1回、大津署に出向き、暴行容疑の被害届を提出したいと申し出たという。
しかし、関係者によると、対応した署員は「犯罪としての事実認定ができない」として受理を断ったという。父親は大津署の対応について「真相究明のために、死んだ息子に代わって被害届を出したかった。どうして受理してくれないのか」と憤る。
同署は「一切、答えられない」としている。
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滋賀県大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、教諭の放置を示す回答は記名8人、無記名6人で、直接見聞きした内容が1人、伝聞が13人。
伝聞であろうが、風評であろうが、何と可哀相なことが起きたことだ。涙がこぼれる。その涙は怒りに変わる。
報道で見る限り、真相究明はしなくては成らないが、記者会見の応答を見る限り学校、教育委員会、さらには警察、この連中はグルになって不幸な生徒に背を向けた許せない連中だ。
担任は教師の資格無い。即座に懲戒免職。その次は学年主任、校長。
一体何のために学校管理や運営をしているのか。教育委員会の連中は生徒の命を何と考えて対処したのか。いかにも自分たちの立場を守るかに終始している。その理屈たるや誰がきいても納得出来るものでは無い。対応が幼稚すぎる。
いじめの噂をキャッチした段階で、何故全校的な対応が取れないのだ。
いじめが学校問題として取り上げられてから久しいでは無いか。 生徒の安全を守のは学校の最重要任務であるはずだ。この責任放棄は絶対に許せない。
あきれてものが言えないのは「加害者にも人権があるから云々」と言うセリフ。
馬鹿言うんじゃ無いよ。まず被害者の人権を守ることが最優先で加害者は悪いのだから、それ相応の人権だよ」人権という言葉を持ち出せばそれがいいわけに成るなんて、人権の意味も分かってないのじゃないか。もっと勉強せよ。自分の頭で考えろ。
警察のあの態度は何なのだ。最初は答えられないと言いながら、マスコミが騒ぎ取り上げると、コメントが出る。これは一体どういうことなのか。警察も頼りない。人命救助という観点から本来は教育委員会に申し込みをしてもやり過ぎでは無いはず。
総じて今の日本特に行政官僚というのは、結果的には役に立って無いことがおおい。それは責任を問われても表面上だけで、そのために職を失うような処分を受けないからだ。だから常識では考えられないような屁理屈を付けて、のうのうと責任逃れをする。
生命に掛かにる場合は、「立場での発想」ではなくて一人の「人間として命の問題に向き合うときの発想」が大切なのに、それが欠落している。
マスコミから追求されると判断が甘かったかも知れないと発言を変える。
教育という立場にいて、それで職責が果たせていると思うのか。
今回の悲劇は担任を先頭に校長、教育委員会、さらには警察、そこまで事実調査をして責任追及する必要がある。追求の手は緩めては成らない。責任の所在が判った場合は明確な形で責任をとらせることだ。
いじめによる生徒自殺がでた場合、これだけの厳罰を受けるのだという前例を作って欲しい。そうすると、もうすこし現場は引き締まるのではないか。
参考
「先生も見て見ぬふり」や「一度、先生は注意したけれどその後は一緒になって笑っていた」と記されていた。
また「先生もいじめのことを知っていたけどこわくて言えなかったらしい」などとするものもあった。
一方、男子生徒が先生にも泣きながら電話でいじめを訴えたが、あまり対応してくれなかったらしい、と指摘する回答もあり、教諭が男子生徒へのいじめを認識していながら、適切な対応をとっていない可能性があることが明らかになった
アンケートには男子生徒が自殺の練習をさせられていたとの回答があったことがすでに判明。市教委は「自殺の練習」と同様に、事実確認できないとして公表していなかった。
男子生徒の父親は、複数の同級生から独自に聞き取った暴行の証言と学校の調査結果を基に、生徒が自殺した後の昨年10月に2回、同12月に1回、大津署に出向き、暴行容疑の被害届を提出したいと申し出たという。
しかし、関係者によると、対応した署員は「犯罪としての事実認定ができない」として受理を断ったという。父親は大津署の対応について「真相究明のために、死んだ息子に代わって被害届を出したかった。どうして受理してくれないのか」と憤る。
同署は「一切、答えられない」としている。
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