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透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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視えるということ/『46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生』

2009-09-12 02:20:52 | 障害
46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生
ロバート・カーソン
エヌティティ出版

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 視覚障害者について、新たな視点で考えさせられる内容の本であった。
マイク・メイは3歳の時に、薬品のビンが破裂するという事故で、命は取り留めたものの視力を失う。両親の教育方針の強い影響をあって、視覚障害者としては、驚くべき育ち方をした。子どもの時から、走ってはものにぶつかるのは普通のこと、自転車に乗り、姉の自動車を運転しようとさえした。キャンプでは、乗馬。学校は、盲学校への進学はせず、普通高に通い、レスリングに励む学生生活。性への目覚め。障害者スキーの世界選手権では3つの金メダルをとるが、その時も、無茶といわれていたやり方で、スピードスキーの大会に参加している。大学院時代には、CIAで働いていた。ある意味、障害者としては、通常のイメージからは大きくはみ出している。いささか、嫌味に感じるところもあった。

 そんなメイが、46歳の時に、視力回復の手術の話が来た。ドナーからの幹細胞移植という方法が、薬品による角膜損傷には有効化も知れないという話だった。幹細胞といっても、再生医療で取り上げれれるものではなく、角膜の周囲にある細胞である。角膜を保護するために、この細胞から娘細胞がつくられ、4週間ほどで角膜の中心部に達する。常に娘細胞が入れ替わっていくことで、角膜が保護されているのだ。だから、幹細胞が破壊されているケースでは、角膜の移植手術を行っても、うまくはいかない。現に、メイも何回か、角膜手術を行っているが失敗であった。
 この手術はまず、ドナーから取った幹細胞を移植した後、娘細胞の定着を待って、次に角膜の移植手術を行う難易度の高い手術であった。免疫抑制剤を使用するためのガン化のリスクをはじめ、色々とリスクの多い手術であった。成功率も50%。

 視覚障害者として、不自由のない生活を送っているメイは、「視覚」を取り戻す手術に臨む。しかし、長期間、視覚を失った者が視覚を回復したケースは、太古の記録から続けても、20例ほどしかない。また、視覚を回復した障害者が、その後、うつ状態になることも多いという。視覚障害者の時は、賞賛された行為も、見えるようになれば、できて当たり前のことと評価されてしまう。また、「視る」をいうことは、物体が光によって網膜に映し出されるだけのものではなく、脳の「思考」が深く関係するものである。だから、彼らが視覚を取り戻しても、その目に映る世界は、晴眼者の視る世界とは違って見える。たとえは、メイは、錯覚という見え方ができないのである。彼には、錯視が存在しない。他にも、人の顔の認識ができないなど、「視える」ということの科学的な解説も本書には紹介されている。

 このメイという男性は、実業家としても多忙な毎日を送っていた。免疫抑制剤の中止による失明の危機も乗り越えたり、この人物の尋常ではない、タフな生き方も描かれている。

 視覚を失った人が、医学の力で視力を回復しても、「視る」事ができないということは、意外な事実であった。

 最後にメイのモットー。「冒険しろ」「好奇心を大切にしろ」「転んだり、道に迷ったりすることを恐れるな」「道は必ず開ける」

 追記:メイの妻ジェニファーもユニークな人であった。学生時代、学習障害者であることが判明するまで、勉強で苦労している。

「坂の上の雲」放映を前に/司馬史観の危うさ・批判書を読む①

2009-09-12 01:37:06 | 歴史
近現代史をどう見るか-司馬史観を問う (岩波ブックレット (No.427))
中村 政則
岩波書店

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 NHKで、近々、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の放映があるという。司馬氏は、生前、この「坂の上の雲」のテレビ化、映画化を許可していない。何故、許可しなかったのか、また、何故遺族が許可をしたのかも、よくはわからない。ただ、内容に関しては、司馬史観の中でも特に問題とされるものなので、まずは、批判書を読んでから、番組を観ようと思っている。日本の台湾統治に関して、右翼からクレームが付いているNHKで、自由主義史観をとる二つに分解した「新しい歴史教科書とつくる会」の支持者が喜ぶような作品を制作することは何とも皮肉な話である。

 まずは、日本近現代史専攻の中村政則氏の「近現代史をどう見るか―司馬史観を問う」を読んでみた。

 『司馬氏の歴史観では、「明るい明治」と「暗い昭和」という歴史の把握をしている。本来、歴史は、多面的に解釈すべきものであるが、司馬氏はそのように単純化している。ということは、「明るい明治」を描くために、「暗い部分」を故意にか、切り捨てているのである。たとえば、日清戦争における旅順虐殺事件(外電は、非戦闘員・婦女子・幼児など数千人を殺害と報道)を無視して、日本兵士は「軍隊につきものの略奪事件を一件も起さなかった」と不正確な叙述をしていることなどである。日露戦争時の労働者・農民の苦しさなどにも触れないし、大逆事件などについても一、二行程度触れるだけである。他の作品に関する歴史叙述の歪みも本書では取り上げられている。

 こうした日本の近現代史を全体構造を的確につかむことのない司馬史観が、「自由主義史観」の藤岡信勝氏に与えた影響は大きく、本書でも、「自由主義史観」は、司馬史観の中の都合のよいところだけを取り出した「信奉史観」だと指摘している。
 ただし、司馬氏の「暗い昭和」の日本軍の統帥権への嫌悪は継承していないことが問題であるが。

 本書では、日露戦争と朝鮮の植民地化との関連についても言及している。司馬史観では、この不可分の関係を深刻に考えていないと指摘している。

 歴史を一面的にしかみない作品が、明治をいう時代を明るい時代と描く事のみになるかは、まずは、拝見ということか。

 本書は、特異な歴史観から無視された大正デモクラシーの時代の意義についても言及している。