トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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頭の中でなイメージの上で疑似体験をー『3.11が教えてくれた防災の本〈4〉避難生活』

2012-06-29 23:36:11 | 読書
3.11が教えてくれた防災の本〈4〉避難生活
クリエーター情報なし
かもがわ出版


 本書の最後の方に、東海地震、首都直下地震など今後大規模地震の起こる可能性の5ヶ所が地図と共に資料として載っている。日本の広い範囲が、いつ地震が起こってもおかしくない場所に位置している。

 透析患者の地域団体も、身近な市区町村を相手に、防災対策のマニュアル化などの対策を求めている所も増えているようだ。透析無しで、食事等の自己管理をしたとしても、だいたい1週間が生き続ける限度とされている。では、行政に震災後に透析が出来るインフラ整備を求めることは現実的であるのか。透析には、多量の水と電力が必要であるが、ライフラインの切断等がどこで起こるのかは、確実にはわからない。また、被災者の中には、他の難病患者や、人工呼吸器を必要とする障害者もいる。限られた予算の範囲での要求も限界がありそうだ。日本沈没ということがない限り、透析の出来る場所への移送ということが有効かもしれない。まずは、震災時の自分の命を守る自助から出発するのは他の被災者と同様であろう。透析患者は、できるなら災害弱者と呼ばれる他の障害者と一緒に、行政と防災対策を話し合って、災害に備えることができたらいい。透析患者の団体の共助の可能性も検討する必要があるだろう。受け身だけの存在ではなく、リアルな行動の可能性の追求。

 本書は、誰でも被災者となりうる状況下で、「その日」に備えるために、写真など視覚に訴える手段も有効に使って書かれた子ども向けの本である。避難生活について、少しでも追体験できるように表現されている。実際に、音や臭いもしないのであるが、辛い制限の多い避難生活の具体的な描写の中にそれすら感じ取れそうだった。困難な中で、人々を元気づけた子どもたちの行動や、行政ばかりを頼れない分、「避難所運営委員会」の活動等、前に進もうとする共助の紹介等も参考にすべき記事であった。ペットの避難生活での位置付けも興味ある内容であった。親子で、共に読んで普段から「その日」の事を話し合うのにふさわしい本である。

 

忘れないための記憶装置としての本『わたしたちの「無言館」』

2012-06-28 23:45:43 | 読書
 夏の思い出は、楽しいものばかりではない。思い出といっても、僕らの世代は実際には体験しなかった僕たちの親の世代の戦争に関する記憶である。直接に体験した人々の数は、年々減っていくが、再び悪夢を呼び起こさないためには、その記憶を伝えていかなくてはならない。今の閉塞した政治状況は、ヒトラーのごとき人間を自分たちの指導者にしてしまうリスクの高い所にものを孕んでいる。理性ではなく、心情の方が重きを置かれる社会は、客観的に冷静に考える能力を人々から奪っていく。ネット社会に巣食う排外主義や国家主義は、若者の近現代史の知識の空白を狙って、相乗以上に簡単に刷り込まれる例も少なくなかったようだ。その意味で、かつてなかったネットからの脅威も、無視できないものである。ファシズムはそよ風とともにやって来ると表現した人がいるが、心情に強く訴える非合理主義のその怪物は、時代に合わせて社会主義者、新民主主義者と巧みな擬態をとることができる。
 今は、過去の伝えるべき思い出や記憶が風化している時代となってしまった。故意に忘れさせようとする動きも強まっている。

 私たちは、決して諦めずに、執拗にその記憶を自分たちのものとして共有しながら、次の世代に伝えなくてななるまい。国家、社会が理性を失ってしまってからでは無力であるから。

 信州に旅することがあったら、無言館を訪れてみたい。戦争により命を奪われた画学生たちの思いを伝える彼らの遺産に触れるために。

 本を通じても、彼らの思いに触れることができる。それぞれの作品に添えられた館長でもある窪島誠一郎さんの文章が、作品の言いたかったであろう思いの大事なことを語っている。本書の絵や彫刻と向き合ってみると良い。

 戦争画というおぞましい一群の絵画が存在している。藤田嗣治も描いている。その封印も、戦争の記憶の風化と共にほころびようとしている。たくさんの富士の絵を戦費調達のために描いた横山大観もいた。音楽家の山田耕筰同様、反省したことはなかったようだ。

 無名といっていい若者たちの絵は、戦争画の対極で、静かさの中で大切なものを表現している。


わたしたちの「無言館」
窪島 誠一郎
アリス館

お世話になっています、写真本『写真でわかる日本の物流③宅配便が届くまで』

2012-06-27 22:58:35 | 絵本・児童文学
 パソコン、家電など、私たちにとって便利なものは、どんどんとブラックボックス化している。中身がどうなって、どういう仕組みで起動するにかは理解の外で、それよりかはどう操作したらいいのかを覚えることが大事なこととされる。
 今はどうなっているかは知らないが、かつてはものを分解するのが好きな子どもがいた。時計からラジオ、興味ある対象を分解しまくった。ブラックボックスをこじ開けようとしたのだ。大方は、その「秘密」は秘密のままであり、元へ戻せなければ親の怒りが待っていた。でも、この精神が後の技術士や学者となるのに働き、人間にとって有効な、また子どもたちにとっての新たなっブラックボックスを作り出し、「進歩」に貢献する。

 人間が作った制度も、現在のどうしようもない政治を含めて、ブラックボックス化している。自然科学ではない社会科学上のブラックボックスの開示は、民主主義体制の維持や、人の暮らしやすい社会を作ることに、大いに貢献しそうだ。

 好奇心の強い子どもたちの出現、画一主義ではないユニークな異脳の子どもたちが生き生きと学べる世界が教育界に展開されれば良い。

 白雪姫と王子が小人並みに何人も登場する劇を上演したり、走った全員が1等賞などというふざけた画一主義の教育から一体何が生まれるのであろうか。個人主義ではなく利己主義を間違って教育現場に持ち込み、かくて、多数と違うユニークな子どもがいじめの対象となったりする。

 好奇心が、ブラックボックスをこじ開けようとする、そんな子どもが増えて欲しい意味も込めて、日頃、ネットショッピングなどでお世話になっている「宅配便が届くまで」を、写真というビジュアルに訴えるこの本を紹介した。どんな風にして自分の所に品物が届くかを、わかりやすく解説してくれる。一社だけ「宅急便」と呼ぶことができるクロネコヤマトの宅急便が宅配便貨物の代表として、歴史と共に語られる。

 なぜ?どうなっているの? 善き哉、子どもたちの対象への疑問と好奇心、それに自分で考える意志が。

写真でわかる日本の物流〈3〉宅配便が届くまで
物流博物館
汐文社

単純ではない疑問の言葉、絵本『かみさまはいる いない?」

2012-06-23 22:46:47 | 絵本・児童文学
 子供たちに、教育現場で宗教教育を求める声が、最近になって耳に入ってくるような気がする。今日は、忘れてはならない沖縄の慰霊の日である。あの時代に、展開された国家神道は、沖縄の人たちをはじめ、多くの人の命をいとも簡単に国家に捧げるための手段となった。他の宗教も、ごく一部の宗教者を除き、弾圧を恐れて教義を曲げてまで、国家宗教の下に居場所を定めた。もちろん、国家主義を教義の中に持ち込んでいた宗教は、苦もなくすんなりと国家宗教の下に組み込まれた。だから、宗教教育の必要性を説く意見の中から、特定宗教の教育を目指すものは除外されるべきである。

 反社会性を持ったり、宗教ビジネスを展開する宗教に対して個人を守るために、無神論を含めて、色々な宗教の歴史や現状を教えるとともに、合理的に、論理的な思考の訓練も合わせて教えるべきなのだろう。神を信じるものも、信じないものも、自分たちと違う考え方をする人の存在を互いに認め合う、『寛容』の精神が、もし、宗教教育がなされるなら、その根底にあり続けなくてないけないだろう。『多様性』が遍く世界に広がり、尊重される時代が、いつやってくるのだろうか。

 と、また、理屈っぽいことを行ってしまったが、今回の絵本は、大人たちがその答えをするのに、頭を悩ませ、争いすら起こしている宗教に関する素朴な疑問のことばにより出来上がっている。子どもたちの質問のようでもあるが、著者である詩人の言霊を持った疑問の言葉が、子どもたちの心に焼き付いて、大人になっても考え続けて欲しい。また、清川あさみさんの不思議な感覚を覚える抽象画にも見える変わった素材で書かれた絵も、心の奥深く言葉を届ける役割をしている。

 疑問文の一つ一つに、重い思いが私たち大人に、のしかかってくる。でも、まずはこの絵本を子どもたちのもとへ。

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)
クリエーター情報なし
クレヨンハウス

この世界はつながっているよ  『いきている ひかり』

2012-06-20 23:52:53 | 絵本・児童文学
 胸の鼓動から、美しい挿絵が、エネルギー循環や、光合成を太陽の語り口で、紐解いていく。今のところ、生物が住んでいるのが確認されているのは、地球だけである。この奇跡の星の私たち生き物の、生きる意味も教えてくれそうだ。丹念に読んだ場合は。「縁」というのは、最近は注意しなければ見えてこなくなった。刹那主義に負けている。

 それにしても、地球上で起こっている生の営みは、なんと微妙な関係性の上に乗っていることよ。

 俗世界の女性議員の見世物だった事業仕分け。人間は、費用対効果だけで動くのではない。この絵本の描く自然の仕組みも、利益のためにだけ動く人間の性とはかけ離れている。宇宙や地球の方向性を見つけても、社会ではいかに儲けるかよりも、低い価値と捉えている。人類は、宇宙のために、その研究は無駄だと言われても、自然界を読み解く作業をしている。人はどこから来てどこへ行くにのだろうか。

 最近の本屋の児童書の売り場には、子どものためのレベルの高い、情報の新しい図鑑類が積極的に売られている。自然界と人間界の謎解きを、見やすい絵の表現の力でえがいている。子どもたちの疑問に答える総論の本に当たるのか。各論は、今回読んだような、絵本の如きもの。

 光合成と呼吸などの仕組みも、視覚に大きく働きかけて易しく絵解きをしていく。大人も、宇宙と人間の関係を考えさせる科学絵本を子どもと一緒に読んで欲しい。

 一時、小泉政権の時に、子どもたちに株式投資を学ばせる動きが強まった。汗水流さずに儲けることが、宇宙の原理を探求するよりも価値のあることだとされた。はやぶさの帰還は、心ある人には心理の探求の大切さを教えるきっかけとなった。その時に、あの女性議員は、はやぶさの研究を責めることができなっかった。ポピュリズムの申し子であったから。

いきているひかり (児童図書館・絵本の部屋)
モリー バング,ペニー チザム
評論社

絵本『たにのそこのきいろいやねのいえ』 御都合主義あり

2012-06-20 23:31:04 | 絵本・児童文学
 絵本の楽しみ方のひとつは、子どもにとっても大人にとっても繰り返し読むことが出来ること。そのうちに、中の文章もすっかり覚えてしまい、言葉に抑揚やアクセント、それに身振りまで付けてしまうが、また何回目に繰り返される。子どもの精神の安定化のためとか、再現性の能力などとの理屈はいらない。登場するキャラクターとの本当の別れが、その絵本の卒業の表現であるのか。

 当然、ストーリーの展開も、大人社会の視点から見れば、御都合主義となっている。風が吹けば桶屋が儲かる展開より、お膳立てが出来過ぎている。

 この絵本は、散歩のくまさんが、とても底の深い穴に落ちてから、地上へ戻るまでの過程を表現している。穴の中の変化の様子を絵解きする楽しみもある。

 くまさんと一緒に穴に落ちて、穴の中から何故か必要なものが落ちていくという救いの道どりを、描かれた挿絵の変化と照らし合わせながら、追体験してみよう。

たにのそこのきいろいやねのいえ
accototo
教育画劇