トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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無常観を感じされる二つの作品 その1

2010-05-25 01:39:10 | 芸術
百年の家 (講談社の翻訳絵本)
J.パトリック・ルイス,ロベルト・インノチェンティ
講談社

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 日本の文化の底を流れていた「無常観」は、現代の日本人の心の中の記憶に刻み込まれているのであろうか。日本の古典文学を読むと、そこには、無常観がいつも潜んでいる。源氏物語も、方丈記も、作者とその時代に生きた人々の無常観を読み取ることができる。

 この大事な感覚は、大事にしたいものである。生ばかり強調され、死を無視すること傾向に進む現代の日本の社会から忘れ去られるのは、残念なことである。是非、時間があったら、先祖たちが残した文化遺産を読むようにしてもらいたい。特に、若い人たちに。きっと、まだ、記憶の深層には、無常観が流れているかもしれない。

 アメリカ人の書いた絵本「百年の家」は、古い家が語る物語である。家のたどってきた一生を描いた作品で、時代と共に変化していくものと、変化しないものが、定点観測のような絵も加わって描きだされている。
 この古い家が、最初に建ったの1656年。世の中にペストが蔓延していた時代だ。最初は、石と木から作られて簡単な作りの家であったが、時代と共に、しっかりした作りの家に変わっていった。しかし、廃墟となってしまった。物語は、その廃墟となった古い家を、1900年に子ども達が発見して、彼らの家族がその家も修復して住むことから始まる。
 ページをめくりながら、同じ場所ではあるが、家を含めて、その人間がいる風景が変化していくのだ。古い家の100年の歴史が、家自身の言葉で語られる。
 その家に住んだ一家の歴史も、家の視点から語られる。娘が、煉瓦職人と結婚したのは、第1次世界大戦の年。花婿は兵士でもあった。人々の平和の願いに反して、若き夫は、戦死してしまう。結婚式の場面を見ることになった読者に対する気持ちは如何。やがて、彼らの子どもが生まれる。厳しい自然環境の中で、ブドウ栽培を続ける家族の姿。そして、1942年、第2次世界大戦の年。その家は、戦争を避けて逃げてきた人たちの居場所となった。家は問う、「千の太陽がきらめく戦争は、だれの戦争なのだろうか?」と。戦争中も、農民は、農作業を続けた。抵抗運動の兵士たちが、時たま、彼らの作業を手伝ってくれた。そして、終戦。彼女の息子は、街へ出ていった。1967年、母親である彼女のお葬式。雨が降っていた。1人、この家に残った未亡人の死。そして、古い家は無人の家となっていった。古い家は、感じる。やがて、自分の身体も壊れていくことを。しかし、古い家の意識だけは、残っていた。自分というものの存在を感じていた。古い家のあった場所には、100年目に新しい別の家が建った。しかし、「つねに、わたしは、わが身に感じている。なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と」

 

ふれあいこともまつり(いちょうホール・八王子市)/『ワンダードラムパフォーマンス』

2010-03-11 00:24:16 | 芸術




 3月7日の日曜日、あいにくの雨模様だったが、開場は子どもたちのお祭りらしい雰囲気に満ちていた。
 宮沢賢治さんは、子どもをつくらなかった代わりに、トランクいっぱいの童話を生みだした。僕は、子どももいないし、ただ、児童文化に触れるだけ。

 午後は、近くの喫茶店でお任せ定食を、午前中のデフ・パペット・シアターを見に来ていた手話サークルの会員と食べてから、僕は、『ワンダードラムパフォーマンス』の公演に急いだ。

 パーカッションの演奏会であるが、十島勉さん率いる『T.J.P.P.A.L』(ティ・ジェイ・パル)は、若い奏者のエネルギッシュなパフォーマンスが繰り広げられた。単なる演奏会と違って、会場を音楽とともに動きまわる楽しさに、子どもたちも心が躍っていたようだ。
 マリンバ、ヴィブラフォンの入ったメロディー。世界の打楽器も登場して、楽器の説明と共に、パーカッションワールドへの招待。サポーターのゲスト2にくわわって、打楽器の豊かな表現と、身体に響いてくる躍動感を堪能出来た。

 人間の身体も立派な打楽器となる。それがボディーパーカッション。

 今回のお祭りの正式の名前は、『参加・体験・感動! ふれあいこどもまつり」だ。その名前の通り、公演の前の日や、当日に、ワークショップが開かれている。このグループも、別の日に、別の会場で、ボディーパーカッションのワークショップを開いている。当日も、会場の観客も一緒に、身体を使った演奏を楽しんだ。スタンディングの状態で、一番身近な手拍子、足拍子で、会場が音楽でいっぱいになった。

 見て楽しく、聴いて心地よく、力を感じ、参加して気持ちを一つにする。
子ども達には、よい芸術に触れて豊かな心を育ててほしい。

 政府の行った事業仕分けは、こうした子どもたちをはじめとする芸術体験の予算を大幅に削ろうとしている。この国の文化政策がますます貧しくなる。
心の貧しいものは、不幸である。

ミュージアム初詣③/ミュージアムグッズ

2010-01-03 00:55:36 | 芸術
 最近では、展覧会で、積極的にミュージアムグッズが売られている。そうしたグッズを見るのも楽しみである。昔は、図録位しか販売されていなかったの絵ではないか。

 東京国立博物館でも、「国宝土偶展」に合わせて、土偶のレプリカまで売られていた。
 普通は、クリアファイルがお手頃で、お土産にはいい。後は、絵ハガキを求める人も多い。

 東京国立博物館では、オリジナルミュージアムグッズとして、尾形光琳の風神雷神図屏風(重要文化財、東京国立博物館蔵)のBE@RBRICK(ベアブリック)を製作し、2008年8月13日より販売している。

 阿修羅展の時にも見かけたが、今回、購入してみた。
 福引も行われていたが、クリアファイルが当たった。





 国立西洋美術館では、2009年に開館50周年を迎えた。現在、建物を世界遺産にしようという運動が展開中である。前述、次回の展覧会もそのことに関連したものである。



 国立西洋美術館では、福袋を購入した。図録、カレンダー、絵はがきと共に、50周年を記念して制作された、「歩」という澄川喜一氏の造形作品も入っていた。
 これらが入っていたオリジナルのエコバッグ、使えそうで重宝しそうです。




ミュージアム初詣②国立西洋美術館常設展示、上野の森美術館「チベット展」

2010-01-02 23:50:52 | 芸術
 上野の美術館では、東京都美術館では、1月16日から「ボルゲーゼ美術館展」が、国立西洋美術館では、2月23日から「フランク・ブラングイン 伝説の英国人画家―松方コレクション誕生の物語」という興味深い企画が予定されている。
 残念ながら、2日には開催されていない。

 でも、国立西洋美術館では、常設展示として松方コレクションを観ることが出来た。いつも、ロダンの作品を中心に観ている。青銅時代は、制作時には、人間から型をとったなどと言われた作品である。まとまったロダンの彫刻を観ることが出来るのが、この美術館の良い所である。もちろん、モネの睡蓮も有名な作品であるのだが。







 ロダン以外の彫刻家の作品も展示してある。ブールデルの弓を引くソクラテスも屋外で観ることが出来る。






 上野の森美術館では、「聖地チベット ポタラ宮の至宝」が、11日まで開催中だった。前回も鑑賞に行ったが(本来は信仰の対象であるが)、今回は、初詣を兼ねてみた。チベットでは、布をかけられている仏たちが、日本での展覧会では間近に観ることが出来る。密教という特異な仏教の世界を垣間見ることが出来る。日本の国宝に相当する中国の国家一級文物が36件も展示されている。
 カーらチャクラ父母仏立像、ヤマーンタカ父母立像は、陰と陽の調和を、男女の交接という姿で表わしている。後者の像では、若いアベックが、直接的な表現に気付いて、何事か話しながら、ずっと観ていた。性的なものに関しては、日本の密教の経典でも、男女の交わりは浄いとするものがある。

 付記:会場の外では、以前来た時にはいなかった、ダライラマのチベットを支持する日本人が、抗議の展示を博物館の前でしていた。日本の僧侶と見られる人物が、博物館に向かって、他の支持者と般若心経を唱えていた。
 民主党の小沢氏が、仏教はキリスト教などの他の宗教と違って、寛容であると言っていたが、実際は、仏教も社会と関わってきた。ダライラマは、今回も、長野の善光寺を訪れている。成田山新勝寺にも過去に訪問している。
 戦時中、戦争に反対した竹中彰元師や新興仏教青年同盟の活動もあった。その反面、本願寺は戦争に協力したし、また、密教系の寺院では、調伏護摩が焚かれていた。
 キリスト者にも、明石順三のような反戦を訴えたケースがある。
 宗教も多分に政治的でありうるのは、仏教も例外ではない。

ミュージアム初詣①「国宝土偶展」

2010-01-02 23:49:42 | 芸術
 縄文時代は、約1万年続いた平和の時代だったらしい。僕らが、小学生・中学生の時に習った縄文時代の理解は、その後の考古学的発見により、大きく変化した。
 気候が温暖だった縄文時代は、豊かな自然の恵みを受けながら人々が暮らしていたようだ。三内丸山遺跡の発見などで、植物の栽培が行われていたようだ。また、元始的な稲作を行われていた遺跡も見つかっている。
 日本の伝統といった場合、古事記などによる歴史の改ざんが行われていなかった貴重な時代である。事実、歴史修正主義者の面々は、日本神話を教えることには熱心だが、縄文時代は都合の悪い時代のようだ。
 縄文土器と共に、土偶の持つ魅力は、人々を惹きつけるようだ。今回、東京国立博物館で開催中の「国宝土偶展」に初詣で出かけて行った。2日の今日から、今年の展示が始まる。

 僕が、持っている「縄文のビーナス」のレプリカ。今回は、この国宝の土偶に会うことが出来た。



 こちらのレプリカの実物は、今回、展示されなかった。



 今年初めての2日の開催にも関わらず、多くの人々が展覧会に訪れていた。



 国宝の土偶は、「合掌土偶」と「中空土偶」が展示されていた。「合掌土偶」は思ったより小さかった。「中空土偶」は、北海道にある唯一の国宝であるが、北海道からも土偶が出土するということは、驚きであった。

 「仮面土偶」「ハート型土偶」「みみずく土偶」「遮光器土偶」も見ることが出来た。この他にも、多くの重要な土偶を観ることが出来る。土偶の仲間達というコーナーでは、土面や、顔や人型装飾のついた器の類いも見ることができる。

 縄文時代の土偶や、土器は、現代のアートの視点から見ても興味のあるものである。

 土偶の意味については、豊穣を祈って破壊されたという外国にある同類の遺物と関係が深いのかもしれない。女性の豊かな体系を表しているものが少なくないし、女性器を確認することもできる。

 なお、展示室の他の部屋にも、土偶や土面などの仲間を観ることが出来る。

愛のあるおもちゃたち/「世界のアートな玩具たち」八王子市夢美術館

2009-11-21 23:52:37 | 芸術
 今日から始まった八王子市夢美術館特別展「世界のアートな玩具たち 春日明夫玩具コレクション」は、とても珍しい展覧会です。春日明夫氏(芸術学博士、東京造形大学教授)が、長年にわたって集められた木を中心とした膨大なコレクションの中から、アーティスティックな視点からとらえたヨーロッパ、アメリカ、日本などの世界30カ国以上の玩具が約400点も展示されています。こうした催しが、美術館で行われることは、めったにないことです。しかし、アートの視点から見た玩具の世界は、これからも、こうした形で紹介されるべきなのでしょう。

 今日は、春日先生によるギャラリートークがありました。これからも、ギャラリートークが予定されている日があるので、貴重なお話が聞けるのでお勧めです。また、普段は、ガラスケースの中で展示されている玩具を、実際に動かして見せてもらえました。僕も、引くおもちゃ、プルトイのひもを持って実際に、動かしてみることができました。子どもが最初に会うアートとしてのおもちゃ、親や制作者の思いが込められたおもちゃで遊べるなら、子どもの幸せであります。
 また、制作者には、有名な建築家などもおり、大人にとっても魅力のある世界です。

 アメリカの玩具は、繊細さは欠けるものの、西部開拓史からの力強い歴史が感じられるなど、それぞれの国のおもちゃは、国民性を表現しています。

 春日先生は、昭和50年代の荒れる学校の時代に、美術教師として生徒達に何が出来るかと模索して、玩具の制作を教育の取り入れられたそうです。

 たくさんの貴重なコレクションから、制作者の温かみが感じられます。

 文部科学省の中には、教育課程から、図画や美術をなくそうとする動きがあるそうです。とんでもないことですね。

 お客さんの中には、赤ちゃん連れの方もいました。実際に、先生から、木製のガラガラを渡された赤ちゃんの笑顔は印象的でした。

 今回、子どもも遊べるプレイスペースも会場に設けられているのも、この展覧会の特徴です。美術館から東京造形大学に依頼があって、「東京造形大学春日ゼミナールキッズサイズデザインプロジェクト」を題して、学生さんたちが企画から制作、展示まで手掛けたスペースです。4月から、始動していたということです。なお、「キッズサイズ」というのは、春日先生が提唱する「子どもの視点で」という意味を持っている言葉です。

 展示品は、写真を撮ることはできませんが、プレイスペースでは、写真を撮ることができました。実際に、子どもが遊んでみることで、生きてくるスペースです。

 なお、春日先生の教え子から、すぐれた造形作家が誕生しています。その活躍を、外国で、国内で人形を製作する造形作家の作品展示で知ることができます。

八王子市夢美術館公式サイト








「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦さんが自殺/悲しいニュース

2009-10-17 23:05:01 | 芸術
「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦さんが自殺(朝日新聞) - goo ニュース

新生 ザ・フォーク・クルセダーズ / イムジン河


加藤和彦 & 石川鷹彦 『あの素晴しい愛をもう一度』


 フォーククルセダーズの曲を初めて知ったのは、中学生の時でした。当時、友人は深夜放送を聴いていたようでしたが、真面目タイプの僕にとっては、深夜起きていてラジオを聴くなんて、とんでもないことでした。友人が話題にしていたのは、「帰ってきたヨッパライ」でした。当時は、この手の曲をアングラソングなどと呼んでいました。お経付きの変わった曲でしたが、何度も聴きたい曲でした。

 高校に入ってからも、フォークソングの時代が全盛でした。文化祭も、全校生みんなでギターの伴奏で、フォークの大合唱でした。教室にギターを持ち込んで、朝からフォークソング歌っている級友の多いこと。スリーフィンガーなど、覚えたくて練習したものです。もちろん、ギターを親に買ってもらってからでしたが。

 フォーククルデダーズは、フォークの神様状態でした。「帰ってきたヨッパライ」とは別に、サトウハチローの詩に曲を付けたのは「悲しくてやりきれない」、「青年は荒野をめざす」は、五木寛之の詩でしたね。精神科医になった北山修の詞に加藤和彦さんが素敵な曲を付けていました。ベッツィー&クリスの「白い色は恋人の色」も、さわやかな曲でした。あの頃の歌は、青春そのものでした。

 加藤さんは、その後も、サディスティック・ミカ・バンドで、また、違ったポップな曲を作っていました。フォークの時代以後も。

 今日の訃報には驚きました。人が自ら命を絶つことは、よく理解できません。

展覧会②「チェニジア世界遺産 古代カルタゴとローマ展」

2009-10-14 16:32:09 | 芸術
 病院での診察終了後、東京駅に急いだ。大丸ミュージアムで開催されている「チェニジア世界遺産 古代カルタゴとローマ展」を見るためである。

 今から約2800年前に、北アフリカ地中海沿岸に、ローマ帝国を凌ぐほどの繁栄を極め、「地中海の女神」と呼ばれた国カルタゴが存在していた。アルファベット文字を考案した海洋民族であるフェニキア人によって作られた国であった。ローマとの3度のわたる戦い、ポエニ戦争で遂には滅ぼされてしまった。ローマにより、フェニキアは都市ごと徹底的に破壊されてしまったが、近年の発掘で、失われていたと思われていたカルタゴの遺物が見つかっている。

 今回の展覧会では、そうした遺物の展示と、後にローマの属州として再建されたカルタゴの遺物の展示の2部で構成されていた。

 両方の時期における遺物を観ることができ、日本の国宝にあたる貴重なものも展示されている。1部の、有翼女性神官の石棺(前3世紀)は、美しいもので、翼の表現が変わっている。この頃のカルタゴも、文明の交流地点に在り、多様な文化、宗教が入ってきた。遺物により、その歴史を知ることができる。エジプトの神々も信仰された。多神教は、一神教に劣るとの学説があるが、実際は、寛容の精神では多神教の方が勝っていることの方が多いのではないか。ミニチュアのイシス神像などのエジプトの神々を観ていたら、海洋堂の造形作品を思い出した。

 2部では、やはり、当時の進行や生活の一端を知ることができる、美しいモザイク画が目を引く。海に関するものは、海の生物の描写が面白かった。

 なお、今回、地中海の島々と都市を描いた巨大モザイク画(3世紀末~4世紀初頭)は、六本木のテレビ朝日に展示してあるそうだが、見に行くことはできなかった。

 ミュージアムグッズは、モザイク画のクリアファイルを買った。



 それと、チュニジアの小さなセジェンヌ焼きの素朴な亀を買ってきた。





 なお、チュニジア共和国は、現在も、ヨーロッパ世界とアラブ世界、そしてアフリカ世界の交流地点として重要な意味を持つ国である。

展覧会①「聖地チベット ポタラ宮と天空の城」

2009-10-14 15:57:08 | 芸術
 昨日は、都内の病院に通院の日であった。前日に透析を変更して、当日は、博物館・美術館に行こうと思っていた。しかし、あいにく、12日の月曜日は、休館日の施設が祝日のためにオープンしたため、13日は休館の所が多かった。
 上野の森美術館と大丸ミュージアムは、会期中無休ということで開館していた。

 午前中、病院で診察の手続きをして、急ぎ、上野に向かった。

 「聖地チベット ポタラ宮と天空の城」の展示を、上野の森美術館で開催している。チベットは、現在、中国との関係で多くの問題を抱えているが、今回は、その事には触れずに、チベットにおける密教芸術について見学をしてきた。



 密教に関しては、仏教の退廃と見るか、進化した形態として見るのか、学問上では認識の違いが存在する。インドにおける仏教の衰退は、仏教のヒンドゥ―教化を招き、呪術や儀式の要素を強め、神秘化の傾向を帯びる密教が誕生した。しかし、変形させた仏教も、結局、インドに根付くことなく、わが国には中国経由で空海によって伝来した。一方、インドから、仏教修行者がチベットに多く流れていき、チベットの土着の宗教との対立、あるいは取り込みの中で、独特なチベット密教が成立していった。大乗仏教は、原始仏教からみれば、変質した仏教であるが、その究極に位置するのが密教であったのだろう。

 展示は、チベット仏教の歴史の沿って、・序章「吐蕃王国のチベット統一」・第1章「仏教文化の受容と発展」・第2章「チベット密教の精華」・第3章「元・明・清との往来」・第4章「チベットの暮らし」のテーマで展示が行われている。

 日本の密教文化とは、大分違うようだ。日本にも聖天信仰があるが、性に関する肯定感が強く感じられた。死と性=生は、密接な関係にあり、否定されるべきではなく、人間の生き方に不可分のものなのであろう。否定することも、つまらないこだわりなのかもしれない。全てを仏教的に受容することが必要なのであろう。

 ネパールでも、歓喜天という男女合体仏が信仰される。今回、密教後期の父母仏立像(ぶもぶつりゅうぞう)が展示されている。明妃と抱擁する仏の表現である。カーラチャクラ父母仏立像は、今回の展示のメインの仏像であるが、たくさんの顔と手を持っている。それぞれの顔の表情は、見る角度のよって様々に変化していく。この仏像は、平素は、衣をかけられているという。

 やはり、密教後期のヤマーンタカ父母立像の場合は、はっきりと交合の様子が見て取れる。

 チベットは鳥葬の国である。死者への、死に際してのガイドブックたる「死者の書」のある国である。

 死と性=生は人間にとって、避けることのできない問題である。否定することなく、それを超越する世界観が展開されている。

 今回の展示で、明の永楽帝がチベット仏教に帰依していたことを初めて知った。

 絹本刺繍によるタンカが、明からチベットに贈られている。また、チベットが仏教を受容する初期には、インドで作られて仏像も入っている。今回の展示でも、その一部を見ることができる。


 最近の展覧会では、ミュージアムグッズが売られていることが普通である。手頃なものとしては、クリアファイルがある。今回は、明代・永楽のダヒヤサマージャ坐像タンカのファイルを求めた。



 不完全な無神論者であるので、カーラチャクラ父母仏立像の3Dカードのお守りを買った。財布の中などに入れられるようになっている。




 ところで、日本に伝来した密教経典には、理趣経があるが、その中の十七清浄句は、欲望の肯定ともとれる言葉が綴られている。初句は、妙適淨句是菩薩位で、男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地であるという意味である。二句は、慾箭淨句是菩薩位で、欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地であるという意である。三句の觸淨句是菩薩位(男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である)以下、欲望の肯定の句が続いていく。
もちろん、宗教的に字義通りにとることはない。しかし、異端とされた立川流のことも気にはなるが、今では、その教義を知ることは不可能なのであろう。

理趣経 (中公文庫BIBLIO)
松長 有慶
中央公論新社

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図説「理趣経」入門
大栗 道榮
鈴木出版

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展覧会『大河原邦夫のメカデザイン』

2009-07-18 22:00:12 | 芸術
 昨日から、八王子市夢美術館で『大河原邦夫のメカデザイン」の展覧会が始まりました。



 ガンダムのメカデザインを担当した人ですね。それまでの、いかにも漫画の中のロボットや乗り物が、しっかりしたメカデザインで描かれるようになったわけです。
 1/1スケールのデザインというこだわりの例として、今回の展示用に、ザクのヒートホークの実物大のモデルが展示されています。7mの長さがあります。
 また、入口近くにも、ヤッターワンの鼻の部分の実物模型が置いてあります。御愛嬌に、ひもを引っ張ると、鼻の上の鐘が鳴ります。

 原画の方は、ガンダムの一年戦争のものはわかるのですが、それ以降の作品は、ヤッターマンくらいしかわかりません。

 ガンダムも、変遷をしているのが、原画をよく見るとわかります。

 9月6日までの開催なので、また、何回か来て、よく見ようと思っています。

 帰りに、ガンダムの「原点継承」のガチャポンをやってみましたが、3回中、旧ザク1体と、ガンキャノン2体。あんまり、運が良くなかった。ガンダムとシャア専用ザクは次回当てましょう。

 お土産用にガンプラが少し置いてありました。


『特別展 知られざるタオの世界 道教の美術 TAOISM ART』を観る

2009-07-14 21:05:48 | 芸術


 今日は、三井記念美術館で開催されている『知られざるタオの世界 道教の美術 TAOISM ART』を観に行った。
 西遊記や封神演義を読むと、わくわくする。作品に出る中国の神々。道教の世界観に満ちた作品である。もともと、世界各国の神話世界を知るのが好きであった。小学生の時から、愛読書は世界の神話や伝説であった。

 日本にある道観は、埼玉県にある新しい道観を、患者会の旅行の時に訪れた。

 また、道教の基盤になっている老荘思想も興味がある。

 今回の展覧会は、道教の世界を、美術面から展望する面白い企画であった。中国の古代の出土品から、日本の江戸時代の浮世絵まで、初めて見るものばかりであった。

 中国での仏教と道教の相互の影響も作品を通じて知ることができる。十王図などは、両方の教えで取り上げられる。また、儒教との融合をいう面も見ることができる。

 日本における、安部清明に代表される陰陽道の世界も知ることができる。特に、当時の星をめぐる信仰は興味深かった。

 仏像とは違う神像を観ることもめったにない経験であった。日本の文化における道教の影響の大きさも知ることのできる展示であった。

 八王子市の地名の由来になったといわれることのある、牛頭天王の8人の王子と、妃の歳徳神が描かれた掛け軸があった。8人の王子は、八将神とされており、起源は星神とされ、方位の吉凶を司る神とされる。京都の大将軍八神社は大将軍神と八将神を祀っている。

 道教文化から、日本文化を観る視点がおもしろかった。

 役行者に始まる修験道、陰陽道、禅宗の伽藍神、庚申信仰等、道教の世界観が見られる我が国の文化に関する展示が特に興味を惹いた。

 重要文化財も複数展示されている。

 ミュージアムグッズが色々と売られていた。今回は、クリアファイルを求めた。
妙見菩薩、護符が描かれたもの、星曼荼羅図の3点である。