トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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何かに導かれてないしは流されて 

2008-03-31 00:18:17 | 障害
 おいらは、運命論者ではない。でも、時々、あらかじめ台本に書かれたような出会いがある。

 おいらが、手話を学ぼうと思ったのは2度目の高校2年生の時。その頃には、政党の演説会などで、手話通訳が付くのを見かけるようになっていた。手話を学ぼうにも、今のように、地域に手話サークルはほとんど皆無で、やっと新聞でサークルを見つけた。自宅から遠かった。会場は、主に新宿四谷の周辺の公民館で、夜に活動していた。内容は、初めに手話の勉強があって、その後はろう者の問題を話し合ったり、ゲームをやったりした。手話で、「四季の歌」をよく歌った。サークルの人は、優しい会長をはじめとして、とてもいい人ばかりで、楽しく手話を学ぶことができた。大塚ろう学校で交流会もあった。

 でも、腎臓病の事もあり、帰宅時間も遅くなることから辞めざるを得なくなった。その後、サークルの会長から立川で講習会が始まった事を教えてもらったが、
やはり夜の勉強は無理だった。
                                      地元でやっと講習会が開かれるようになってから、初級の講座に通った。内容は、挨拶など簡単な手話だった。

 それから20数年は、手話は休眠状態だった。でも、いつも手話のことは気になっていた。

 腎臓病の方は、30年近くの保存期もついに終わることになった。後は、何時透析を導入するかの段階に入った。都内の病院に入院。シャントだけは作っておこうということで、手術を受けた。透析導入の方は、何時入っても良かったのだが、ここで最後の頑張りで、導入を遅らせた。最後の抵抗をしていたのである。
 この入院中も手話の事を考えていた。夜、病室の窓ガラスに自分の手を映して、指文字の練習をしていた。透析の方は、無駄なあがきのせいで先送り。いったん退院することになった。

 でも、程なく透析導入のため、2度目の入院と相成った。かばんを持って、病室に入ると妙な声を発する入院患者がいた。ろう者だと分かった。パジャマに着替えてから、錆びついた手話で、コンニチハと彼に挨拶した。これが、Nさんとの最初の出会いだった。まさに、おいらが透析という人生の転換点で会ったのだ。

 

何かに導かれてないしは流されて

2008-03-30 01:24:37 | 障害
 昨日の、新聞記事に聴覚障害者が、28日、医師国家試験に合格したと報道されていました。以前は、医師法の中に「欠格条項」というのがあって、耳が聞こえない人は医師免許が取得出来ないことになっていました。この条項は、2001年の医師法改正で撤廃されました。
 合格したのは、滋賀医大を卒業する竹澤公美子さんです。同大によると、聴覚障害の医学生が合格したのは同法改正後、竹澤さんが初めてとのことです。2歳の時に耳が聞こえなくなり、中学3年生の時に聞こえない原因が分かればと、医師になろうと決めたそうです。両親の方針で手話に頼らずに、相手の唇の動きを読み取る口話法で言葉を理解したそうです。※聴覚障害者が、手話を取り入れるか、口話法のみで学んでいくのかは、難しい選択です。竹澤さんもご両親も言葉の獲得には、苦労されたと思います。なお、国連の障害者権利条約では、手話が正式に言語として認められています。
 竹澤さんは、2001年に同大に入学しましたが、授業のペースが早くなった2年生には留年しています。情報取得は、簡単ではなかったかと思われます。大学側も授業の詳細な資料を作成するなどの支援をしました。相当な本人の頑張りの成果です。
 去年、テレビの放送で、他の大学でやはり医学を学ぶ男子学生が紹介されていました。これからも、まだまだ乗り越えなければならない壁がいくつもあると思いますが、後に続く後輩のパイオニアとして活躍されますように。

  私と小鳥と鈴と     金子みすゞ
 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のように、
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。

何かに導かれてないしは流されて

2008-03-29 01:55:38 | 透析
 日本透析医学会の最近の調査によると、透析患者数は全国で約26万4500人。10年以上透析を続けている患者は6万3千人余り。患者の高齢化も進み、65歳以上の患者が半分を占めている。長期透析による合併症で苦しむ患者も増加している。

 おいらが、高2の時に尿検査で腎臓病と判明、それから1年2か月位病院に入院していた。安静と塩分を控えた食事療法だけだったので、病院生活は、単調なものだった。今では、そんなに入院することなど考えられず、治療も血圧管理と、低蛋白の食事療法に変わっている。
 でも、この長期入院も意味のあるものだった。たくさんの入院患者の話が聞けた。話から、色々な生き方も学べた。その人の貴重な人生の一端を見せてもらうことも出来た。入院中に、目がよく見えなくなった腎臓病の若い女性が入ってきた。
周りの話では、後は死を待つだけだということだった。透析など考えられなかった頃の話だ。おいらは、自分もやがては腎不全になるなんて思わなかった。

 そんな訳で、高校2年生を2回やった。だから、2回目の時の同級生は、2歳年下だ。友達も、両方に居る。

 最初の2年生のKさんは、演劇部でクリスチャンだった。当時の演劇部は、大体女子ばかりだった。男子は、あまり入りたがらなかった。彼女は、高校卒業後にある演劇研修所に入った。おいらが、彼女の卒業公演に誘われてから、演劇の世界に魅せられるようになった。彼女は、その後、仲間と小劇団を立ち上げた。おいらも、よく見に行った。大学に入ってからは、新劇・歌舞伎・能狂言・文楽・オペラ・バレー等、よく行ったものだ。まるで、文学部の学生だね。

 それから大分経ってから、夕刊読んでいたら、彼女と同じ名前の女性の事故死の記事が偶然目に留まった。韓国で、語学留学中の女性が、下宿のオンドルによる一酸化中毒により死亡。別室の日本人男子学生も中毒死。年齢が同じだったので、もしやと思ったが、韓国語の勉強をしているという話も聞いていなかったので、僅かな望みは持っていた。当時は、韓流ブームが来るなんてことも考えられなかった時だったから、韓国語の通訳を目指すことも珍しかった。

 しばらくたってから、友人から彼女の納骨式に来て欲しいとの連絡がきた。彼女の無念さを思った。

 納骨式は、おいらの地元の霊園で行われた。教会の他の人と一緒に納骨された。讃美歌を歌った。

 式の後、彼女を偲ぶ一席が設けられた。彼女の別れた旦那さんも来ていた。見たことがあるような人は、劇団をやっていた人だった。みんなで、彼女への短いスピーチをした。不思議と悲しみは無かった。彼女の姿はなかったが、彼女が主役の舞台だったのかも知れない。病気のおいらより、先に逝ってしまった。

何かに導かれてないしは流されて 1

2008-03-28 01:35:23 | 手話
 おいらは、手話学んでいるけれど、通訳になるわけではありません。力不足だし、もう若くないからね。「地位の手話力」という言葉があります。聴覚障害者と共に暮らす地域には、専門の手話通訳士は別にしても、手話の得意な人から、あいさつ程度の人まで、手話を使う裾野が広がっていれば良いということでしょう。おいらは、そのすそ野の一端です。

 手話を学ぶ人は、よくそのきっかけを聞かれますが、おいらの場合ははっきりしません。

 小学生の時、教育テレビで不思議な番組を見ていました。小学生が、母親同伴で登場してきて、先生の指し示すカードに描かれた絵の言葉を発するんです。はっきりしない発音で。正解すると、先生が褒めます。番組のタイトルは「テレビろう学校」だったかな?

 これは、口話法の勉強だったんですね。最近まで、ろう学校では手話は禁止状態で、発語と相手の口の動きの読み取りに時間をかけていたんですね。ろう者を如何に健聴者に近付けるかという目的だったんですね。ろう者には、日本語とは独立した「手話」という言語があることは無視され続けてきました。口話法にたくさんの時間を割くために、他の教科が遅れてしまいまいた。結果、学年の下の教科書を使う事になってしまいます。母親同伴の意味は、家庭でも口話法の勉強をさせるためだったんですね。

 テレビ番組と言えば、記憶がはっきりしない番組があるんです。NHKのドラマかな? ろうの子を生んだ母親の話です。貧しく、無学な母親の戸惑いと子への愛情をうまく表せない、もどかしさが内容だったような気がします。後に図書館で、ドラマのシナリオ集で探してみたのですが、見つかりませんでした。ドラマの最後の方で、親子で使う手話が「しあわせ」なんですね。母親がわが子に発する最初の手話でした。
 でも、記憶があいまいなんです。本当に、そんなドラマが存在したのか。
 

疲れたら休んでください

2008-03-27 00:21:58 | 格差社会・貧困化社会
 心が、身体が、精神が疲れたら、無理せず休んでください。

 でも、実際は難しい事なんですよね。

今日、新聞の投書欄に中1の子の文章が載っていました。
 「最近、僕は何か分からないけど、生きづらさがあり、毎日、独りになると、不安になります。みなさんはそういう経験ありますか? 甘えている気持ちがあるかもしれませんが、すごく、どんよりと毎日をすごしています。
  このどんよりとした気持ちをなくす、あるいは忘れるにはどうしたらいいですか?」

 あまりにも若くして、そんな思いをしているなんて。

 石川啄木や芥川龍之介が感じ取れた閉塞感や漠然とした不安感に通じる所があるのでしょうか? 

 現在は、少なからぬ人間が、感じ取っているのかも知れません。

 ネットカフェ難民が、話題になってから久しくなります。非正規労働者の数も労働者人口の1/3に達しています。日本も格差社会になっています。「自己責任」論で、事態が改善されない事の言い訳を、為政者はしています。年金問題が政治の争点になっていますが、払いたくても国民年金。国民健康保険料も払えない生活を送っている若者が存在しているのです。

 後期高齢者医療制度も、厚労省が「終末医療」の観点から、高齢者に対して新たな負担と、医療の抑制をねらった制度です。長生きすることが、マイナス評価される現代版の「姥捨て山」です。

 疲れたら休んでください、そう言える社会であったならいいですね。

 でも、民主主義の原則では、投票権は金持ちも貧乏人も、等しく1票ですからね。

障害者自立支援法の見直し

2008-03-26 00:42:19 | 障害
 障害者団体の、障害者自立支援法の見直しを求める運動を受けて、与党も見直しを言い始めた。昨年12月に与党のプロジェクトチームが会合を開いて、「障害者自立支援法の抜本的見直しの方向性」で合意した。

 主な内容は①介護保険との統合は前提としない。 ②利用したサービス量に応じて1割負担を求める「応益負担」を改め、支払える範囲を考慮する「応能負担」の性格を一層高めるなどだ。もともとは、福祉の観点ではなく、財政改革の方向からの法律成立だったので、矛盾が出るのは当然で、与党もその内容の見直しをせざるを得なくなったのだろう。
 また、2009年4月に障害福祉サービスの改定を実施し、障害者の所得保障として、障害基礎年金の引き上げ(例えば2級の金額を1級並みに、1級の金額はさらに引き上げる)も検討しているという。

 これが、単なる検討で終わらないためにも、さらなる働きかけが必要だろう。


 障害者をめぐる問題は、まだまだ山積している。

 おいらの住む街は、世界一精神病院が多いのではないかと言われている。病院から社会へと患者を移すことが言われているが、まだまだ社会の受け入れ態勢は整っていない。デイケア、ナイトケアの施設も求められる。
 障害者施設の解体化、社会での生活を目指すという動きも同様だ。
ノーマライゼイションの実現はまだまだ。
 特別支援教育は、「発達障害」も対象としたが、専門教師の不足など受け入れ態勢が不十分だ。ろう学校も統合される所があり、ろうの教師が盲学校に配属されるなどの問題が起こっている。

 また、障害者を支える社会福祉士や介護福祉士の低賃金も問題となっている。
情熱をもって現場で働き出しても、結婚も難しい現実があるそうだ。結婚するために離職せざるを得ないスタッフもいると、テレビで放送していた。

地域の手話と腎臓病患者向けサイトの話

2008-03-25 00:33:03 | 手話
 この頃は、手話で話しても余り珍しがられなくなりましたね。
手話は、健聴者の使っている日本語とは独立した言語です。手真似でもないし、日本語をそのまま置き換えた言葉でもありません。新しい手話も次々と生まれています。

 八王子市聴覚障害者協会が、創立35周年に合わせてガイドブック「はちおうじの手話」を、去年刊行しました。身近に生活する地域に関する手話をまとめたものです。八王子市にある町名や、公共施設、観光スポットなどの手話表現を記載したものです。聴覚障害者を中心に、手話表現の統一を目指した編集に苦労した成果の産物です。初心者にも分かりやすく、手話を学ぶ上でとても参考になります。

 最近、ミシュランから3つ星に認定された高尾山はどう表現されると思いますか? 高尾山には、昔から天狗が住んでいるという伝承があります。これにちなんで、手話では「天狗の鼻+山」で表します。おいらが以前中野区の人と話した時は、仕方なく「高い+尻尾+山」で表していました。

 この本は、一般にも販売されています。送料別で1,200円です。関心のある方は、是非読んでみてください。問い合わせは、八王子市聴覚障害者協会(FAX 042-628-2181)へどうぞ。


 慢性腎炎の人の食事は、たんぱく・エネルギー調整が必要です。でも、料理メニューを考えたり、栄養の計算が結構大変です。こんな患者をサポートするレシピサイトの「キューピー・ジャネフ 美味元気レシピ」がオープンしました。1日の食事の成分を自動計算できる機能付きです。もちろん、透析患者にも参考になりますね。  URL : http://www.qp-janef.jp
 

身体障害者補助犬

2008-03-24 00:46:28 | 障害
 写真は、去年、おいらが入っている手話サークルにデモ(実演)に来てくれた、介助犬のエリスです。9年ほど前に、トレーニングを始めて、1年近くかかって介助犬となりました。2年半ほど、身体障害者の人と生活した後、日本介助犬協会のPR犬として5年も活躍しました。小学校や、様々なイベントに呼ばれて、多くの人々に介助のデモを見せて、介助犬の存在をアピールしてきました。
 おいらのサークルにやってきたのは、引退間際でした。冷蔵庫を開けたり、落ちた鍵を拾ったり、色々な介助ぶりを披露してくれました。
 引退後は、トレーナーが引き取りました。今も元気かな?今年10歳ですね。

 介助犬は、手足が不自由で車椅子を使う人に付き添って、物を持ってくる・ドアを開ける・体を動かすのを手伝うなど、障害の度合いや環境に応じた様々な仕事をします。また、障害者が車椅子から転落して起き上がれない時に、電話を取ってきたり人を呼びに行くなどの緊急時にも活躍します。

 こうした介助犬を育成している「日本介助犬協会」(http://www.s-dog.jp/)が八王子市にあります。エリスもここで訓練を受けました。

 現在、日本全国で介助犬を必要としている人は、約15,000人います。でも、正式に認定を受けた介助犬の数は、2007年6月現在、38頭しかいません。資金面からも日本の介助犬育成団体はまだ十分な施設を持つことも出来ず、訓練犬も年間2~4頭を育成するのが精一杯だということです。ここにも、日本の福祉政策の貧困が見られます。

 盲導犬、聴覚障害者のための聴導犬、そして介助犬に関する法律が「身体障害者補助犬法」で、平成14年10月1日に施行されました。介助犬、聴導犬も盲導犬同様に、公共の施設や交通機関への同伴が認められました。さらに、平成15年10月1日には、デパート、スーパー、ホテル、飲食店などの一般的な施設でも受け入れが義務化されました。

 八王子には、戦時中の悲しい記録を伝える資料が残っています。それは、住民に犬の供出を呼びかけたチラシです。犬に満足な食事も与えられない時代、供出された犬たちの運命は、兵隊用の毛皮の材料だったのです。
 戦争は残酷です。今また、日本を戦争の出来る国にしようとする動きが見られます。それに対して、身障者・患者の9条の会も作られました。

透析してると

2008-03-23 00:45:57 | 透析
 今日、変わった雲を見ました。たまには、上を向いて見るもんですね。

 知らないうちに、両腕に掻き傷が出来てました。無意識のうちに、多分寝ている間に掻いてしまったのかも。このところ、ストレスから痩せたのか、ドライウェイト毎週減らされています。血圧も、高値安定。乾燥肌と、透析患者特有の痒みからなんでしょうね。冬は痒みが強く、血が出るまで掻いてしまいます。その時は気持ちいいんですね。でも、後はひりひり、かさぶただらけ。ヒルドイドソフト軟膏貰っているんですが、面倒くさいの嫌いな性格だから、まめに塗りません。

 暖かくなったんで、汗が出るようになりました。汗が出るとその分、除水量が減って楽なんです。おいらは、汗が出やすい体質で助かっています。辛いもの食べると、汗が滴り落ちるんです。本当ですよ。

 花粉症は、今の所、薬のおかげで大丈夫です。なんせ、年間通してアレルギーの薬服用していますから。家からは、遠くに高尾山が見えます。何故だか、ミシュランから3つ星貰った観光スポットです。花粉で霞んでいる時がありますね。杉がたくさん植わっていますから。おいら、マスクしないで歩いています。マスクは、眼鏡が曇るので苦手です。

 今日は、平凡な日記を書いてみました。平凡な何気ない毎日を生きていけるのが、透析患者の平凡な幸せです。

 

イエローリボン

2008-03-22 00:51:25 | 漫画
 写真は、イエローリボンです。
 
 障害者自立支援法が成立されようとした時に、全国の障害者団体は、団結して反対の声をあげました。おいらが入っている、透析患者の全国腎臓病連絡協議会も、共同して運動しました。その時に、障害者の運動のシンボルマークとなったのが、
このイエローリボンです。
 まだ、社会にはよく知られていませんが、我々障害者の運動をアピールするためにも、世の中に広めたいですね。

 このマークを広めるために、バッジが作られました。装着して、それは何って聞かれたら説明出来ますね。300円で売っています。身近な障害者団体で買う機会があったら、是非求めて、障害者も健常者も身に付けてください。小さなアピールですが、少しでもたくさんの人が着ければ注目度アップに貢献できます。売上金は、今も続けている障害者自立支援法の見直しの運動に使用されます。一石二鳥ですね。

 成立してしまったこの法律の、たった一つだけの良いことは、今まで制度上別建てだった精神障害者も、他の障害者と同じ範疇に入ったことだけです。
 実際は、この法律のおかげで、精神障害者にとって、社会復帰の手段だった「32条」が適用されなくなり、他の障害者と同様に、自立支援医療の名の下の、1割負担が原則になってしまいました。

 イエローリボンを通じて、障害者自立支援法の見直し(本当は、廃止が望ましいのですが)の声をあげていきましょう。


 手塚治虫生誕80年

 憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」って、ちゃんと書いてあります。障害者自立支援法は、憲法の精神にも反していますね。でも、最近この憲法を変えようとする勢力が強くなっています。彼らは、憲法が権利ばかりで国民の義務が十分書かれていないと主張してます。嘘ですね。この憲法は、国民の権利を守るために、国家に縛りをかけるのが本来の目的なんです。民主主義は、国家への不信から出発します。
 彼らは、又、憲法9条を変えて日本を戦争の出来る国に変えようとしています。そうなったら、障害者は兵力に成り得ない「非国民」となるでしょう。

 手塚先生の一連の「戦争マンガ」、読み直して見ることが必要でしょう。
医師を目指したのも、軍医になれば死ななくて済むからだったそうです。戦争が終わった時は、本当にうれしかったそうです。  

 

透析に休み無し

2008-03-21 00:15:55 | 透析
 今日は、春分の日で祭日。でも、おいらは今日も透析日でした。
おいらのクリニックは、元旦を除いて年中無休です。

 透析していると、たまにはずる休みしたいなんて思っても、それは無理だもんね。これで、生きていられるんだから感謝しなけてはね。

 来週は、週のうち火・木・土曜日に透析している患者会のみんなと、中華レストランで会食。普通の人と同じ食事。予算が余ったら、ラウンジでお茶会なんてね。たまには悪い事して、ガス抜きしなくちゃ。

 明日は、手話サークルの慰労会で、ちょっとした昼食会。ちょい悪患者。

 へパリン騒動、わがクリニックでは、やっと説明の張り紙が掲示された。当面は、へパリンを変えて対処するそうだ。中国の餃子騒動の透析版。アメリカでは、日本と違い、へパリンを短時間で注入する方法をとっていたから、急激なアレルギー反応を起こして、20名を超す死者が出たらしい。

 でも、このことを知らない患者もいた。また、掲示を見ても理解できない患者も少なくないんだろうな。情報保障の問題なのかな?でも、知りたくない、あるいは無関心な患者も多いからね。


 手塚治虫生誕80年

 おいらの小学生の頃は、アトムのシールブーム。明治のマーブルチョコレート買うと、中に小さなシールが入っていてね、みんな夢中で集めたよ。チョコたくさん食べて、でっかいシールを景品で送ってもらう。そして自慢する。
 光文社のアトムの別冊本を買うと、帯の所がシールになっていた。これも集めた。あんな楽しい時代もあったんだ。

 「少年」の廃刊は悲しかった。付録も、紙飛行機だけ。もう、1か月も待ってくれる子供が少なくなっていた。
 

障害の受容

2008-03-20 00:50:11 | 透析
 透析患者も、他の障害者と同様に、自分の障害を受容するまで時間がかかる。

 最初は、拒否の段階。「何故、自分だけがこんな目に会うのか?何も悪いことをしていないのに」。
 透析の導入の時の抵抗。変に頑張ってみて導入を遅らせる。客観的には、腎機能が失われて、回復は望めないのに。透析に入っても、拒否の時が続く。悲しみ、腹を立てても、その対象がはっきりしない。

 次は、諦めの段階。仕方なく透析を受ける、受身の時。うつ状態になりやすい。

 透析に慣れるのには、個人差があるものの、時間が必要だ。体がきつかっつたり、ベッドに4時間近く拘束されいる時間が苦痛に感じられる。終了までの残り時間が気になって仕方ない。この頃が、拒否と諦めの段階にあたる。

 この段階でストップしている人も少なくない。その場合は、透析は、負担でしかない。

 順調に行けば、障害受容の段階に達せる。障害とともに生きていこうと思うようになる。そのためには、障害から逃避せず、真正面から対応し、適切な行動がとれるように努めてみる。

 本当の「諦め」の意味は、「明らめ」だって。とことん考えて、とことん行動して、もうこれ以上自分にはどうすることもできないって悟った事を意味するんだって。極限が明らかになったことを意味する。これは、障害受容に相通じる。


  手塚治虫生誕80年

 おいら、「バンパイア」のソノシート持ってます。歌とドラマが入っています。絵本が付いています。中学生の時に買いました。
主題歌は、オペラ歌手が歌っています。尾藤イサムが、「トッペイのバラード」を歌っています。あと、チッペイのテーマ。
 NHKで放送していた、手塚先生原作の人形劇「銀河少年隊長」のソノシートも持っています。レア物かな?

 

おいらのメンタルヒストリー その2

2008-03-19 01:22:08 | 透析
 次の変調は、大学生の時。上野の国立博物館で起こった。
 
 狩野芳崖の「悲母観音」の絵を見ていた時、身体の平衡感覚がおかしくなって、じっとしていると倒れてしまいそうになる感覚に襲われた。動悸はするし、冷汗が出てきそうになった。絵画鑑賞どころではない。歩くしかない。

 それから、度々発作?が起きるようになった。突然、場所も選ばずに。

 時間がたてば収まるのである。でも、いつそんな状態が起きるか予測がつかないのが恐怖だった。オーケストラを聴いている時に起こったこともある。

 寝る前に起こった時は、朝になったら死んでしまうのかと思った。

 それと並行して、目がちかちかする現象が起こった。初めは視野の一角に生じる。それが段々と面積を広げていく。やがて、ピークに達した後、徐々に面積が小さくなって収まっていく。これも、時と場所を選ばないから厄介だった。試験の時に起こったらなんて心配していた。困った事に、この現象が起きる時は、必ず頭痛を伴うのである。

 でも、いい意味で慣れてきたのだ。動悸がしても、倒れそうな感じがしても時間がたてば収まるんだ。心臓も止まったこともないし、死ぬようなことはないんだって、受け入れるようになった。嵐が過ぎ去るのを待っていれば良いんだと。そしたら、症状が収まってきた。

 パニック障害ということが社会に知られるようになったのは、症状が出なくなって暫くたってからだった。

 

おいらのメンタルヒストリー その1

2008-03-18 00:36:16 | 透析
 おいらが、腎臓病だと分かったのは、高2の学校の尿検査のとき。最初に行った医者の見立て違いで紹介状までもらって、泌尿器科へ行った。屈辱的で、痛~い膀胱鏡検査までして結局内科へ。程なく、長い入院生活が始まった。

 当時は、現在のような保存期治療は行われておらず、血圧に気を付けながら専ら安静治療。なんと、1年と2か月程入院してた。今では考えられないよ。

 強迫神経症になっちゃった。強度の不潔恐怖症。何度も何度も手を洗わなければ気が済まない。物に触れられない。自分でも、理屈では分かっているのに、止められない。今では、少し良くなったが、相変わらず触れられない物があって、触った後は、手を洗ってしまう。洗わないと落ち着かない。又、変な事にこだわってしまう。新聞や本を読んでいる時に、ある言葉の反復復唱の呪縛に囚われてしまう。そうなると、読書は一向に前に進まなくなる。

 自分でも、普通ではないと分かっていても、そうしないと不安なのだ。


 手塚治虫生誕80年

 ヒゲオヤジは、本名伴俊作。「若ハゲ、若シラガ、江戸っ子の私立名探偵」がキャッチフレーズ。ということは、見た目より年齢が若いんだね。
 でも、もともとは中学生の時に友人が作ったキャラクターを、手塚先生が手直ししていくうちにああなったんだって。もとは、友人の落書き。中学時代に先生が描いていたヒゲオヤジは、関西弁で話していましたとさ。

ピアサポート

2008-03-17 00:23:40 | 透析
 本日、無事?患者会の総会が終わりました。案の定、レクリエーション中心の活動実態が指摘されてしまいました。                      そうなんですよ。36年前は、透析医療は限られた人が、国保の人は大金払ってしか、受けられなかったんですよ。目の前で、仲間が次々と死んでいくのを見て、明日は自分の身かなと恐れおののいていた悲惨な時代だったそうです。だから生きたい一心で、それこそ命を懸けた患者の運動が始まったんです。全腎協、東京では東腎協が、各地にも患者団体が組織されました。「人工透析の普及と医療費の自己負担軽減」を社会や行政に必死に訴えたんですね。医師たちの熱意にも支えられて、次々と権利を獲得した歴史があるんです。

 獲得した権利は、運動を持続しなければ失われていく危険があるんですよね。最近の、動きをみると確かに危機が迫っている感じがします。障害者自立支援法が成立した時もそうでした。全腎協も、他の障害者団体と共同で反対運動を展開しました。でも、法律は強行されてしまいました。ましてや、何もしないで「権利の上に眠る者」は、権利を失っても当然なんでしょうね。

 もちろん、患者同士の親睦も大事です。でも先人を思って、出来るところから、患者運動に努めなくてはと思いました。現実と理想の狭間で悩むのでありました。

 総会の後、皆で昼食をとりながら意見交換しました。そしたら、障害者手帳のサービスの使い方知らない人もいたんですね。また、カリウム吸着剤のゼリータイプに、最近はリンゴ味のふりかけが付いて、摂り易くなっていることを知らない人もいました。
 それと、おいらと同じ「むずむず脚症候群」の人がいることが分かりました。彼は、調子の悪い時は4時間透析の3時間目の壁を越えた辺りから、頭の統制がとれなくなるそうです。ダイアライザーの回路のチューブの曲がり具合から、絆創膏の貼り方まで気になって、頭から離れなくなるそうです。
 少なからぬ透析患者が、うつ病に至らなくてもうつ状態に置かれているそうです。こうした話題も、他の人には知られていなかったようです。
 そう、おいらにまず出来そうなことは、患者への情報発信と患者からの情報収集かつどうなんだな。
 それに、患者同士が意見交換することは、お互いのピアサポートになるんだなと実感したのでした。