今でもそうですが、生きていることへの執着が強すぎるようです。当たり前といえばそうなのですが、子供の時から死への恐怖に恐れおののいていました。夜の暗闇などは、特にそうでした。寝床の中で、死という虚無の世界のイメージに押しつぶされそうになっていました。そうした恐怖から、夢から覚めることも少なくありませんでした。
そんなとき、巨木の存在に憧れました。人間と比べれば、はるかに長い間生きていることができる。そうしたことを、科学読み物から学んで、自分も千年以上生きて、歴史の移り変わりを見てみたいなどと思っていました。
大人になってからは、時々は虚無への恐怖心が蘇ってきましたが、他のことを考えることで、死という逃れられない運命については、あまり考えないようにしています。
最近は、体調に自信が持てなくなった分、精神的に弱くなっているようです。その反面、現実世界では、するべきことが増えてきています。先日、サークルの新年会に出席して、新年の抱負を各自短いコメントを書くことを求められました。それには、当たり障りのないことを書きこみましたが、本心は、今年を無事に生きて、乗り越えることでした。全く、身体の状態は、精神の状態に深く影響するものです。
この絵本は素直に読めば、ありのままの自分を生きることの大切さを訴えている作品だといえるのでしょう。でも、自分の今の状態からは、別の読み方をしたほうが、ほっとするようです。
この絵本に登場する木も、百年も生きています。自分を格好よく見せる為に、枝をピンと空に向かって伸ばし、樹皮もつるつるで輝いていました。でも、百年も生きているのに、ただの一人の友達もできませんでした。百年間、自分で頑張って格好よくしていたのに、何故友達ができなかったのでしょうか。百年の孤独もまた、耐え難いものでした。そんなわけで、気持ちの張りもすっかり失った木は、失望感に襲われます。あれほどピンとまっすぐに伸ばしていた枝も、垂れていきました。そう、体をピンと伸ばす努力も結構大変だったのです。
そしたら、リスの親子がやってきました。曲がった枝が作る葉かげが絶好の休憩所になったからです。百年も生きている木ですから、その作り出す木陰もとても広いものですから、他の多くの動物たちも休みに集まってくるようになりました。こうして、木は、やっと動物たちと友達になることができました。そのあとに、小鳥がやってきました。でも、つるつるの幹では止まれないと言いました。木は、その時、大切なことに気がつきました。すると、木の幹は、百年生きた木にふさわしく、ごつごつしたものになりました。今では、鳥たちだけではなく、たくさんの虫たちも集まってきました。毎日、たくさんの生き物たちとおしゃべりを楽しめます。自分らしく自然にありのままに生きることで、百年目にやっと笑うことが出来た木のお話でした。
この絵本の中で、一番気に入った言葉があります。『百年かかって、やっと 気づいたきですが、みんなのおかげで、これから 二百年も 三百年も 生きていられそうだと、 きょうも わらっています。』
そう、僕も仲間たちのおかげで、まだ、十年も二十年も生きていられそうな気がしてきました。先の事はわかりませんが、この絵本に慰められたようですね。