![]() | アレクサンドリア [DVD] |
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アレクサンドリア - goo 映画
最近は、いささか疲れ気味なので、透析中のDVD鑑賞中にウトウトと、何故か心地よい眠りに誘われて、作品1本観るのが大変になってきている。虫食い状態で、作品の展開がつかめず、何度も巻き戻しをしているうちに、バッテリー切れかタイムオーバーとなりかねない。睡魔に打ち勝つためには、相当なおバカ映画か、鑑賞者に真摯な見方を求める作品を選ぶのが有効である。『アレクサンドリア』は、言うまでもなく後者の作品で、ミニシアター系の上映だったようなので、一人でも多くの人にDVDを通して見てもらいたい。現代は、「寛容」が求められる時代なのに、現実は世界中に「不寛容」の精神が充満している。本来は、人類の文化にも多様性が保証されるべきなのである。自分の思想や宗教観は、他の思想や宗教が自分を客観的に映し出す鏡の役割をしている事を忘れることなく、違う価値観を許容するものでなければならない。
古代の叡智が結集した文化の殿堂も、狂信者に依って破壊されたとするこの映画の視点は、多くの時間を要して作り上げた知恵のアーカイブが、独善者によりひどく短い時間で破壊される事を、現代社会に警告する。
実在の女性天文学者をモデルに、自分たちも当初は迫害されたがローマ国教になった後、学問、思想へのテロリストになった、やはり実在の、後に成人とされたキュリロスと対比して描いている。
当初は、「異教徒」への迫害も、ユダヤ人に対する追放という形で行われ、最終的にはヒュパティアの虐殺へと至る。ナチスの迫害の時間的経過とよく似ている。最初はコミュニスト、次は社会主義者、その時点ではナチズムに反対する人々は、そうした行為は正当だと黙認していたが、やがては民主主義者、宗教家にまで迫害が及んだ時には、もう時遅しの段階であった。
もちろん、理性の人であったヒュパティアも、自分の奴隷であったダオスを当然人間扱いしない時代の制約も、映画は描いている。
人間は歴史から学ぶ必要があると言われ続けてきたが、悪いことばかりを学んで繰り返してきた感がある。「寛容」の精神が求められる現代だから、ポピュリズムのようにファシズムが復活する要素を孕んでいる現代だからこそ、こうした作品が作れれる、商業主義の下にもかかわらず、良心を信じてみたいものである。