トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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Hasta siempre(永遠なる司令官/ゲバラ賛歌)

2009-01-31 22:03:10 | 音楽
 チェ・ゲバラに捧げられた曲の聴き比べです。4番目の曲は、もう一つの9.11「チリのクーデター」で虐殺されたビクトル・ハラによるものです。
 いま、中南米諸国では、変革の波が起こっています。決して、アメリカの裏庭ではないという意思表示です。また、現在日本においても問題となっている経済自由主義に反対する政権が次々に誕生しています。
 
Hasta siempre


Hasta Siempre Commandante-Buena Vista Social Club


Hasta Siempre


Comandante Che Guevara - victor jara



寝る前に「手話サークル」

2009-01-31 02:15:11 | 透析
 もう、手話講習会も終わりの時期に差し掛かっているのでしょう。今年は、テレビで「ラブレター」の放送中なので、新年度の手話講習会の受講希望者が増えるかも知れません。以前も、「星の金貨」や「愛してくれと言ってくれ」の放送が、聴者の手話学習者の急激な増加をもたらしてくれました。この間は、妻夫木・柴咲コンビの「オレンジデイズ」が、話の展開が不自然にもかかわらず、やはり手話の普及に貢献しました。

 昨日は、一日中雨が降っていました。午後からサークルに傘をさして行きました。会場のセンターは台町にありますが、町名が示すように高台にあるので、行きは坂が多くて、歩いて行くにはかなりの負荷がかかります。まあ、帰りは下りなので早く帰宅できますが。

 当日の学習の内容は、地元の手話講座の指導責任者の方の講演会でした。大きなテーマは、日本に存在する3種類の手話と手話指導の話でした。ろう者が母語として使っている「日本手話」と、日本語の文に手話をあてはめただけの「日本語対応手話」、それにこの両者の中間型の手話の3種類が存在しています。日本手話以外は、シスコムと呼ばれています。当然、「日本手話」がろう者が実際に使っている「本物」の手話です。独自の文法を持った独立した言語として存在しています。

 講習会で多く学習しているのは、日本語対応手話か中間型のものが多いようです。今では、講演会や選挙の演説会などで手話通訳を見ることは珍しくはなくなりました。でも、手話通訳士が全員「日本手話」を使うことはありません。ろう者には、シスコムの場合は、読み取るのに疲れが生じるということです。日本手話を使う通訳士の場合は、楽に、つまりは自然に読み取れるようです。

 講習会では、ろう者が手話を教えることが普通になってきていますが、指導法については、当初は戸惑いがありました。テキストが日本語対応手話になっていたからでした。つい5年位前から、日本手話を指導しようという動きが出てきましたが、ろう者にとっても、自分たちがいつも普通に使っている手話を、聴者に教えるとなると、まだ、指導法が確立していない等の問題がありました。ですから、講習会で習う手話は、中間型になる傾向にありました。今は、少しずつ、日本手話だけの講習を目指して変わりつつある段階だそうです。

 伝統的な手話にも、地方により方言に当たるものがあります。また、地域のろう学校独自の手話も存在します。「水」という表現も、大阪では手ですくって飲むしぐさから、北海道は水車の回るイメージから、東京でも以前は水道をひねる動作からの手話が使われていました。

 ろう者独自の手話も、たとえば「得意」と習っている形で、口形や表情が加わることで何通りもの意味を持ちます。こうした表現は、実際にろう者からいい意味で盗み取る必要があるようです。

 講習会の初級で、挨拶をまず習いますが、例えばおはようを「朝+挨拶(両手の人差し指を向かい合わせて曲げる)」と表現しますが、ろう者にとってはこれが不可解な表現に映るということです。こんにちは、こんばんはも同様です。実際に、ろう者がする挨拶は、そうした表現をすることはなく、親しい者に対しては、手を挙げて「やあ」という感じで、目上の人には会釈すればいい訳です。長年、手話講座で指導にあたっている人にも、誰がこうした表現を始めたのかは不明だそうです。

 当日は、教授法も「ナチュラルアプローチ」法を、ASLを使って実演しましたが、今回は時間の関係でお話はここまでにします。以上のような話を講演でしてもらいました。実際にろう者と交流をしながら、日本手話を身に付けて上達してほしいとの希望が出されました。

驚きの手話「パ」「ポ」翻訳―翻訳で変わる日本語と手話の関係
坂田 加代子
星湖舎

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「ハートをつなごう/依存症2夜」を視て

2009-01-30 02:06:17 | 障害
 依存症の対象にはいろいろあるが、今まで潜在化して、未だ概念化されていないのが、恋愛依存・性的依存症である。対象の性格から表に出ることが少なかったからだ。

 番組では、大阪在住のセリさん(30)の生き方が語られた。子供の時に父親から精神的虐待を受けていたようだ。お前は自分の本当の子供なのかなどと言われていたが、父親には愛されたかった。高校1年の時に、1年先輩と交際を始め、1週間目に関係を持った。この時、初めて人から愛されたと実感したという。その後、二人の仲は半年後に破局。その衝撃から、リストカットを繰り返すようになった。高校中退後、「愛を求めて」男性遍歴が始まった。繁華街で、男性に声をかけられるのを待っていた。男性と関係を持つ時にはじめて自分が必要とされているという実感を得ることができたというが、関係は3回も続かなかった。実際は愛のないものなので、自分から相手の感情が冷え切ってしまう前に別れを繰り返していた。結局は、恋愛依存から抜け出せなくなった。夜中に心が苦しくなった。団員募集のポスターを見て劇団に入った。そこで、観客のカジさんと知り合い交際を始めるが、その時も複数の男性と交際していた。カジさんに別れを切り出しても、彼は今までの男性と違い、別れようとしなかった。やがて彼一人だけと交際するようになるが、セリさんには愛し方が分からなかった。何時も愛していると言って欲しかった。カジさんは、性が愛の全てではないと話したが、彼女には愛は性としか理解できなかった。精神も不安定になり、薬やアルコールに依存することもあった。

 転機は、26歳の時に大阪の繁華街で、薄汚れた子猫を拾ったことだった。目は目やにだらけで、生ごみの臭いがした。子猫を獣医に連れていった。病気だった。猫エイズと猫白血病でいつ死んでもおかしくないと言われた。子猫を看病しながら、子猫が自分を必要としている、人を愛するという意味が分かったような気がした。翌年、カジさんと結婚。初めて、セックス無しでもカジさんの愛を実感できるようになった。今は、元気になったあいとカジさんと幸せに暮らしている。

 石田衣良さんが、最近の恋愛小説や恋愛ドラマが若い女性にレンアイヲシロと背中を押していることを指摘していたのが印象的だった。追い込まれなくてもいいのだということだ。

 強迫的に不特定多数の男性を恋愛・性的対象として自分を追い込んでいく依存症はまだその概念が形成され始めたところである。

 セリさんは、苦しんでいる人にもっと自己肯定感を持ってほしいと言っていた。自分を否定しないでほしいと言っていた。