トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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人間として生きたい/『派遣村、その後』

2009-09-08 00:58:50 | 読書
派遣村、その後
小川 朋,「年越し派遣村」実行委員会
新日本出版社

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 去年の暮れから、今年のはじめにかけて、社会に対して日本の貧困化をはっきりと見せることになった派遣村。しかし、そこに参加できた派遣切りや雇い止の労働者な全体のごくわずかであった。社会に対するメッセージは、大いに発信できたが。

 政権が交代し、労働者派遣法の全面的な改正が望まれるし、社会におけるセーフティーネットの十分な構築も今後の課題となっている。民主党は、財界寄りのところがあり、また、連合傘下の一部労働組合の企業寄りの姿勢もあることから、しっかり、改正や社会保障制度の整備に対して監視し、働きかけを続ける必要がある。

 本書では、最初に、東京日比谷公園での派遣村の解散以後、全国160か所で行われた「派遣村」「街頭労働相談会」のうち、群馬県高崎市前橋公園で行われた「派遣村」のルポから始まる。労組や民主団体、地方議会の議員たちの支援活動が、その準備段階から紹介されて、この地でも派遣切りの問題点があぶりだされた。
 依然として、派遣切りや雇い止目になった労働者に、「自己責任論」の強い影響がみられる現実。ネット右翼などが、盛んに主張していたことが、派遣切り労働者の意識にまで強い負の影響を与えていた。また、彼らお得意の既得権益論は、労働組合に加入している正規雇用の労働者と派遣労働者・期間工の対立をあおり、経営者の利益にかなうものであった。しかし、本書では、労働組合員と派遣社員の共同活動の模索も取り上げられている。

 派遣切りや偽装請負などを、法律的に解説することも試みられ、本当に意味のある労働者派遣法の改正のポイントも述べられている。

 そして、「派遣村」が問題となる前に、既に、こうした問題に取り組んできた労組の活動も紹介されている。

 また、派遣切りを体験して労働者の、最初の戸惑い、怒り、労組への気持ちなども当事者の声が紹介されている。

 「派遣村」は、日比谷公園で終わったのではなく、今も、反貧困の訴えを含めて、現在進行形で運動が展開されている。コンプライアンスを忘れ、株主への配当中心の考え方をとる企業に対する働きかけや闘いも今後も続ける必要がある。先進国でも、高すぎる役員報酬への制限などの施策が実行に移されようとしている。日本は、ヨーロッパと比べて、貧困化対策、労働政策がはるかに遅れた国である。

 人間らしく生きられる社会を作ることにもつながる運動の展開は、今後も続く。政権交代に際して、真の労働者派遣法の改正を目指すとともに、低すぎる失業保険給付金や生活保護水準の引き上げも視野に入れた運動が求められる。本書が、多くの人に読まれ、(特に派遣労働者の人たちに)、生きづらい世の中を変える武器となることを希望する。

じいちゃんからの農についての大事な話/『惣一じいちゃんの知っているかい?農業のこと』

2009-09-08 00:47:02 | 絵本・児童文学
惣一じいちゃんの知っているかい?農業のこと
山下 惣一
家の光協会

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 農民作家の山下惣一氏の、孫ともいえる世代の子供たちへの、農業、農について伝えたいことをまとめた本である。
 農は、国の基本であるが、今までに、ないがしろにされ、休耕田も全たんぼの40%を超える。

 人間が進化してのは、他の動物と違い、老人が(といっても、当時の平均寿命は現在と比べると遥かに短かったので、老人の概念が違う)、今までの獲得した知恵を若い世代に伝えることができたからという、有力な説がある。育児ノイローゼも、昔のように、子育てを経験した年長者と一緒に暮らしていれば、問題となることはなかったであろう。また、最近、給食の時に、生徒が「いただきます」ということに、クレームをつけた愚かな母親の事が問題になったが、これも、我々の命を育む農作物や食材に対する感謝の念が消えてしまった事が原因だという、著者の指摘は正しいと思う。

 田んぼと畑の違い、キャベツとレタスの違いもわからない大学生が増えている嘆かわしい現実。著者による、農業を通しての食の話、環境の話、何よりも農業がこの国の基本となるべきものであることを、わかりやすく、また、厳しい指摘も含めて表した本書を是非、子どもたちをはじめとして、多くの人に読んでもらいたいと思った。

芸能の起源を探る

2009-09-08 00:19:36 | 読書
の異神と芸能
谷川 健一
河出書房新社

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 7月に訪れた三井記念美術館で開催されていた、いとも変わった展示「知られざるタオの世界 道教の美術」は、魅力あるもので、大いに好奇心を刺激された。なお、現在は、大阪市立美術館へ巡回している。

 この中で、気になる神像図を拝見した。日光輪王寺に伝えられる「魔多羅神の曼荼羅」である。画面中央に描かれた魔多羅神は、唐制の幞頭(ぼくとう)をかぶり、日本風の狩衣をまとい、腰をかけ、包みをとって打つ姿である。その口辺には、怪しい微笑が見て取れる。左右に配された童子は、右手に笹の葉、左手に茗荷を持って待っている。上方には、北斗七星。この図は、どこかで見た記憶があった。朝日新聞の文化欄であった。最近、芸能史で話題となっている神様であった。

 京都太秦の広隆寺は秦氏にゆかりの寺であるが、そこには牛神社という変わった社があったのではないか。また、そこで行われる牛祭は、魔多羅神が赤鬼と青鬼の四天王を伴い、祭文を朗読する奇祭である。

 また、説教節の「しんとくまる」が、自殺直前に籠っていたお堂は魔多羅神を祀ったものとの指摘が本書にあった。

 魔多羅神に関しては、その正体をはじめ、天台宗の寺でどのような扱いを受けていたかなどは、本書の開設が興味ある内容であった。

 蝉丸、逆髪伝承をはじめ、知的冒険を楽しめる書であった。

 本書のキャッチコピーは、『海の民、山の民。国家からこぼれ落ちた放浪者がカミと出会い、芸能を生んだ。信仰と芸能の起源と展開を追う、『季刊東北学』好評連載「民間信仰史研究序説」ここに完結。』とある。

 と呼ばれた人たちと、能楽狂言等の芸能との関連や、サンカなどの山の民などの、身分制からみて低い地位に会った人たちの歴史を、柳田国男、折口信夫などの著作や古事記・日本書紀などの古典、それにフィールドワークなどの手法で読み解く民俗学の冒険は、検証の難しさと、想像力の豊かさが求められる世界であった。

 琵琶法師など、盲人と芸能、宗教の歴史も、障害者の歴史の一面としてやはり興味を惹かれるテーマであった。