聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き二一章17-32節「尊重し合う」

2018-04-15 18:22:17 | 使徒の働き

2018/4/15 使徒の働き二一章17-32節「尊重し合う」

 パウロはエーゲ海周囲での伝道に区切りをつけ船旅を続けて、ようやくエルサレムに到着した。それが今日の21章17節です。前々から予感があった通り、神殿で暴動になり、殺されかけ、あっという間にパウロはローマ兵に囚われて、使徒の働きの最終段階が始まります。

1.誤解の背景

 パウロがエルサレム教会に着いた時、そこにはギリシャやアジアの諸教会から送られた献金を届けるという大事な目的があったはずです。しかしその事には何も触れられていません。むしろ、パウロとの間に深刻な不信感があってそれを解決しなければならなかった状況が鮮明になるのです。喜んで迎える兄弟たちもいましたし、ヤコブや長老たち、主な指導者層はパウロの報告を聞いて

20神をほめたたえ…「兄弟よ。…」

と呼びかけるのです。しかし、それでいて、エルサレムの教会のユダヤ人キリスト者は、パウロが異邦人伝道をしながら、そこにいるユダヤ人たちに

「子どもに割礼を施すな。慣習に従って歩むな」

モーセの律法に背くよう教えていると聞かされて、心穏やかならぬ思いでいた。もし、このままパウロが来た事が彼らに知られたら大変だ、という状況だったのです。そこで、彼らの提案が、ちょうど神殿儀式で誓願を立てている四人がいるので、パウロも参加して費用を払ってほしい。そうすれば、パウロが律法を守って正しく歩んでいることが分かるだろう、という提案です。

 これにパウロは従うのですが、皆さんならどうするでしょうか。なかなか面倒くさいなぁと思うでしょう。そこに初代教会が選び取った状況のヒントがあるのでしょう。

 キリストの十字架において、律法の生贄や儀式はその役割を完了しました。それでもエルサレム教会の信徒たちは神殿儀式や律法の規定も守っていました。それがエルサレムでの生活でしたし、律法本来の福音・約束を受け取る恵みがあったから、また、信仰と両立できたからです。しかし異邦人社会ではエルサレム神殿も律法も割礼も全く馴染みがなく、躓きや高すぎるハードルでしかありません。ですからパウロもエルサレム教会も、25節の最低限の倫理だけで十分としたのです。それは随分違う生活スタイルを認めたことでした。キリスト者の形式はこうだ、と決定版を持たないことを選んで、お互いの状況を尊重し合う、大決断をしたのです。

 それまでのユダヤ人の考えは違いました。世界中どこでもユダヤ教の形式を守っていました。それはそれで分かりやすい利点があります。しかし教会はあえて分かりやすさより、面倒くさい多様性、形式の自由さを選び、またそれを認め合い尊重し合う道を選んだのです。[1]

2.誤解からの暴動

 かつてのパウロはこんなに柔軟ではありませんでした。その姿は27節以下でパウロを手に掛けて殺そうとした人たちの姿そのままでした。この人たちも悪人だったわけではありません。真面目に熱心に純粋に神を大事にしていました。アジアからここに来たのも篤い信仰心からだったのかもしれません。自分たちにとって神聖な律法や宮を大事にしたいと思っていました。だからこそ、パウロが異邦人に対して柔軟であることに腹を立ててもいたのでしょう。それでも彼らはまだ我慢していました。また、29節の言葉を返せば、少し前にパウロがエペソ人トロフィモと一緒にいるのを観ても、それでもそこで騒ぎ立てはしませんでした。ところが、そのパウロが宮の中にいるのを見た時、頭に血が上ってしまいます。宮は異邦人が入れるのは一番外側の「異邦人の庭」だけと厳重に決まっていました。その看板も大書して立てられていました。その神聖な神殿に、あのパウロは異邦人も連れ込んだに違いないと思い込んでしまったのです。そして、パウロへの抑えていた憎しみが燃え上がって、彼を捕らえて、打ちたたいて殺そうとしたのです。32節で

「打つのをやめた」

とありますが、31節には

「パウロを殺そうとしていた」

とありますから、殺すつもりで打ち叩いていたのです。打つのを止めても、パウロはもう殴られ続けて、傷と痣だらけ、血だらけになっていたとしても不思議ではありません。

 異邦人も割礼をすべき、律法は一字一句守るべき。そう思っていたのがパウロを殴った人たちであり、かつてのパウロ自身の生き方でした。そのパウロが、そういう「べき」の押しつけから、異邦人の躓きを配慮する奉仕者となりました。そしてユダヤ人の同胞に対しても、「もう割礼は不要だ。犠牲だって要らない。異邦人と一緒にもっと自由になればいいぢゃないか」と押しつけることもせず、ユダヤ人が大事にしている習慣を尊重しています。両方それぞれの違いを、それぞれに尊重しています。どちらがいい、正しいと言えない違いを、両立できない違いを尊重しています。かつてから神を恐れ、熱心に敬って拘っていましたが、主イエスに出会い、本当の神がどんなお方かを知って、一つの形や自分の経験、文化を押しつけるより、その人その人を見るように変わったのです。ここだけでなくローマ書一三章などで、互いに受け入れ合いなさいと勧める。これがパウロの福音理解でした。いいえ、パウロが身をきよめ、頭を剃る費用を出すに先立って、神の子イエスは、私たちを神と和解させ、互いに受け入れ合わせるために、身を捧げ、御自身の命という代価を出してくださいました。それを誤解され、殴られ、殺されても、イエスは私たちのための神とお互いとの架け橋となってくださったのです。

3.教会の歩み

 お分かりのように、パウロや長老たちと違い、エルサレム教会の何万という信徒はわだかまりに囚われていました[2]。「新約聖書の教会はきっと理想的で麗しい、天国のような教会」ではありません。パウロも交わりを求めて帰って来たら、自分への不信感に直面して、どれほど落胆したでしょうか。でもそんな人間臭い現実をパウロが受け止め、誠意をもって対応し、なお交わりを築こう、和解のために努めた姿、それこそ教会が求める恵みでしょう。初代教会が異なる人たちが認め合おうとする教会だった。そこに生じる衝突を、無理矢理一つの型にはめて統一するのでなく、互いの信仰を認め合い、橋渡ししようとした。それが教会の立たされている道です。どっちが正しいでなく、互いのやり方を理解し合おう、尊重し合おうという態度を持って行くようになる。それこそが、神が私たちの間に働いてなしておられる御業なのです。

 「自分の方が正しい、相手が間違っている、変わるべきは相手だ」というゲームは悲惨です。そして、自分が正しいと思い込んでいると、ここでもパウロが異邦人を連れ込んだに違いないと思い込んでしまったように、事実を冷静に見る事が出来なくなります。邪推や誤解や疑心暗鬼をしてしまう危険がぐんと高まります。それで流言飛語やら暴動や民族大虐殺、ここで起きたような混乱が大なり小なり引き起こされています。そう考えても、「使徒の働き」に見る教会の姿は本当に大きな希望、大胆なチャレンジです。

 教会は一つの型、自分たちの習慣を押しつける「正しさ」ではなく、違いを受け入れ合う道を選びました。異邦人とユダヤ人という大きく違う同志がお互いを大事にし合おうと努力を惜しみませんでした。それは一つの教会でも、また夫婦や家族の中でも、あらゆる人間関係の中で最も基本に必要な姿勢です。私たちは尊重されたい人間です。イエスは最も尊いお方でありながら、御自身を与えて私たちを尊んでくださいました。そして私たちがお互いに尊敬を贈り物として贈り合う関係をくださいました。甘やかすとかほめるとかでなく、自分と同じように尊い存在だと受け止め続けるのです。それは最も素晴らしい贈り物です。

 勿論、尊敬だけでは問題は解決できません。この時も具体的な表現が提案されました。共に生きることは忍耐の要る長い長い道のりです。それでも、立ち帰ることができる変わらない土台はキリストが私たち一人一人を尊んでくださった事実です。キリストが尊ばれ、命を捧げられた相手を、裁いたり見下したりせず、尊ぶ思いに立ち帰ることが出来ます。神は私たちの間に、そのような思いを育てて、平和を築き上げておられるお方です。

「主よ。私たちの宣教の働きと、心にある思いをともに祝福し、整え、恵みの力で新しくしてください。一人一人があなたの愛を戴き、それぞれに聖く生きよう、交わりを育てようとするささやかな願いを、お互いに受け止め、尊重していくことが出来ますように。また既にある誤解や憎しみをも癒やしてくださって、本当の和解への長い道を一歩ずつ進ませてください」



[1] またその違いで誤解が生じた時も、パウロはあえて言葉で説明したり自己弁護をしたりしません。そんな言葉で言われても、ユダヤ人の生活に染みついた律法への尊重を、犠牲を払って見せる提案に従いました。それが誰かを排除する、と言う形であったなら、ガラテヤ書二章にあるように彼は断固としてしなかったのですが、譲って構わない所には彼は柔軟でした。

[2] きっと異邦人キリスト者と一緒に食事をするのも抵抗がある人たちだったでしょう。

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