聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

はじめての教理問答22~27 創世記2章15~25節「神との契約」

2018-08-28 09:37:16 | はじめての教理問答

2018/8/26 創世記2章15~25節「神との契約」

はじめての教理問答22~27

 創世記の二章、神がエデンの園に人間を連れて来て、置かれて、そこを耕し、守らせたとあります。そして1つの禁止を与えました。

17しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。

 さあ、この1つの約束はどのような意味があったのでしょうか。ここには、神と私たちとの関係を示す、非常に大事なメッセージが込められています。「はじめての教理問答」です。

問22 神さまは、アダムとエバをどのような状態に作りましたか?

答 神さまはふたりを、きよく幸せな状態に作りました。

 「聖く幸せな状態」。しかし、それはエデンの園という楽園で何もせず、のんびりブラブラ過ごしていた、という意味ではありませんね。エデンの園は魔法の世界で、アダムとエバが動物や木々とおしゃべりして、幸せに楽しく暮らしていたかのような想像をしたい人もいるかもしれませんが、そういうことを言っているのではありません。人はエデンの園を耕し、守る大事な責任を果たしていました。園の手入れをしなければ、木は枯れ、獣に踏み荒らされ、荒れ放題のジャングルになっていました。人はその世話をしていました。労働していました。それが、聖く幸せな状態でなされていたのです。

 その上で、神はアダムと不思議な約束を交わされました。

問23 神さまは、アダムとどのような契約をむすびましたか?

答 いのちの契約を結びました。

問24 契約とはなんですか?

答 神さまがわたしたちとのあいだに築かれ、みことばにより保証してくださる関係です。

 契約という言葉を聴いたことがありますか? どんな事を思い浮かべますか? あまり馴染みがないようですが、実は私たちの生活には欠かせないことです。皆さんがここに来る時の車もディーラーとの契約をして買ったでしょう。その保険も毎年契約を更新しているでしょう。皆さんの住んでいる家も契約をして購入、若しくは賃貸契約をしています。買い物もクレジットカードも、アプリのダウンロードも、ほとんどのものが契約を交わして使っています。だから安心して使うことが出来ますし、私たちも勝手な使い方をしたらいけないのだ、と分かります。私たちのお互いの関係そのものが、約束を土台としています。言葉を信頼できる、お互いを大事にしてくれる、約束を裏切らないと信じることが出来る・・・そうした安心感がなければ、とても不安です。

 何より、神ご自身が人間との最初の関係で、契約を結ばれました。契約とは

「神様が私たちとの間に築かれ、御言葉により保証して下さる関係」

と言われています。人と人との横の関係とは違い、神と人との縦の関係は対等ではありません。でも、その関係で上から頭ごなしに命令をすることを神はなさいませんでした。契約を結んで、従う事を求めて、その保証もしてくださったのです。神は人間に一方的に従う事を要求することはせず、自分から従う事を求められますし、契約によって、私たちに保証をしてくださっています。契約があるから、私たちは安心できるのです。ではその神の契約は?

問25 いのちの契約では、アダムはなにをおこなうように命じられていますか?

答 完全に神さまに従うことが命じられています。

問26 いのちの契約では、神さまはなにを約束しましたか?

答 もし完全に神さまに従えば、永遠のいのちを与えようと約束しました。

問27 いのちの契約では、神さまはどのような罰を教えていますか?

答 もし神さまに逆らえば、死の罰を与えると教えています。

 神はアダムに、神に従うことを命じられました。この場合、ただ善悪の知識の木から食べてはならない、ということだけではありません。園を耕すこと、守ること、どの木からも思いのまま食べて良いこと、最後に、善悪の知識の木から食べてはならないことが告げられたのです。つまり、人間はエデンの園の管理という大切な役割を与えられたのです。その上、園のどの樹からでも思いのまま食べて良いと仰った。実に太っ腹ですね。

 神の命令とは、禁止や絶対的服従といったもの以前に、驚くほどに豊かな広がり、チャレンジ、信頼をもたらしてくれるものです。この事を忘れると、何か善悪の知識の木が、毒の木か、魔法の木か、その木自体に力がある特別なフルーツだったように思うでしょう。そういう読み方もまた面白いし、神話が好むものですが、そうでなくても十分筋は通ります。大事なのは、人間が神の命令に従うこと、それも神への信頼から、神の言葉を大事にする思いから従うこと。そして、神に従わない自由もあるけれど、それは自分を命から切り離して死に至ることだと学ぶこと。そのために、たった1つの禁止事項が与えられたのです。

 その善悪の知識の木そのものには特別な力も毒も魔法もなかったでしょう。ただの何かの果樹だったのかもしれません。隣にあった「いのちの木」も特別な樹ではありませんでした。善悪の知識の木の実を食べたら死ぬ、と言う言葉を打ち消すような力が、命の木にあるわけではなかったのです。同じように、善悪の知識の木は、それ自体が特別な樹ではなく、この木の実を食べないという小さな約束で、神は人間との「いのちの契約」を与えられました。それに従えば、永遠のいのち、従わなければ死。そうして、神に従うことの大切さを教えようとなさったのです。脅すためではなく、神に従う事、神との契約の大切さを強く教えるために、従わないことが死だと仰ったのです。それは「死の契約」ではなく、

「いのちの契約」

です。

 次回、この契約が破られたことに入って行きます。そして人は死ぬようになりました。その事については次回以降詳しく見ていきます。1つだけ先取りをしておきましょう。それは、契約通り人は死ぬようになりましたが、皆さんがご存じのように、神はそれで終わりにはなさらなかった、ということです。人が死んで終わる、あるいは永遠に滅びることを神は自業自得だとは思われませんでした。かえって、その人間のために、神ご自身がひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架の死、すべての人の罪の罰を自ら担って下さったのです。神の人間に対する思いは限りなく誠実で、真剣です。人間に契約を与えたことも、そこで死を語られたことも、その契約を破った人間のために、その死の一番低い底にまで降りてくださったことも、神がいかに人間を真剣に愛され、励まされるか。私たちをどこまでも対等に扱われるかを語っています。

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