ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「ペスト」 カミュ

2020-05-02 15:46:05 | 読書

ベルナール・リウー(医師)は階段でネズミの死骸に躓く。始めは無関心だった。門番のミッシェル老人に注意する。しかしミッシェルは自分はそんなネズミを侵入させるような不衛生はしていないと反抗する。誰かが持ち込んだと。妻は病気がちで実家へ帰らせる。見送った汽車のホームで長身黒髪のオトン氏(予審判事)と出会う。オトンはオトンの実家にご機嫌伺いにやっていた妻を待っていた。帰るとレイモン・ランベールという新聞記者が訪ねてきていた。アラビア人の衛生状態について取材をするためだった。夕方再び往診に出ようとしたところでジャン・タルー(アパートの最上階に住んでいるイスパニア人の舞踊師のところで会った)と出会う。タルーはネズミが死ぬようすをずっと眺めていた。正午にミッシェルがパヌルー神父に抱えられてふらつきながら歩いているのに出会う。腫れ物のようだ。家に帰るとジョゼフ・グラン(市役所の吏員)から電話があり、隣の部屋が大変なのですぐに来てくれとのこと。そこでは首吊り自殺を図った隣人コタールが、クランにすんでのところで助けられていた。会う人会う人にネズミの事を聞いてみるリウー。家に帰るとミッシェルの容体がおかしい。隔離して特別な治療が必要と考えたリウーは救急車でミッシェルを運ぶが、救急車の中でミッシェルは命を落とす。
タルーは数週間前にオランに居を定めホテルぐらいで、金持ちのようだ。タルーは記録をつけている。
リシャールはオラン医師会の会長。
リウーの考えは、原因がペストであるかどうか?と言うことより、この伝染病はペストのように振る舞うので、そうと想定した対策を打つべきと言うことだった。
ペストが流行する兆候が見え始めたとき、オランの市門が閉ざされた。つまり隔離されたわけだ。人々は初めそれを受け入れられなかった。直に収まって解放されると楽観的であったが、離ればなれになった家族や恋人と会えなくなったことに気付き絶望し始める。という内容をフランス人らしいくどさで、句読点のない文章が延々と続く。
現実を受け入れられなく、外を出回る人々。やがて食料の供給は制限され、お店は次々閉鎖され、ガソリンは配給制となり、走る車の数が減る。酒の備蓄は大量にあったため、人々はカフェに集まり昼間から泥酔する。また映画館は拠り所となり繁盛する。フィルムは供給がなくなり同じ映画ばかり上映されることとなっても。コロナで騒いでいる現在、近い将来と同じようである。
コタールはリウーに話す。食料品店の店主が値段を上げて大儲けしようと企んで、食料品を溜め込んでいたが、その店主は結局ペストで死ぬ。また感染して錯乱して外に飛び出し、自分は感染者だと言って、歩いている女に抱きつく。皮肉を込めてそういう。
グランの妻はジャーヌという。愛し合うということが日常的になったため、愛情を確かめることを怠ったため妻は逃げてしまっていた。やり直したいと手紙を書こうと思いながら、未だ送ることができない。
ランベールがやって来て。自分は感染していないという診断書を書いてほしいと頼む。しかしリウーはそれはできないという。今回の隔離措置の決定にリウーが噛んでいることを知ってたのだ。同情の心があるなら、それに訴えることで診断書を書いてくれるだろうと踏んだのだが、固く拒否され、思わず「あなたは、抽象の世界にいる」と発する。さてこの抽象と言う単語。この文脈からすると、杓子定規とか、規則を重んじると言った意味かと思われる。解説によると、理念とある。つまり理念を持っており、それを逸脱することは許せないということか。抽象と具象=理想と現実。
パヌルー神父の説教。これがいかにもな調子だ。このような状況を招いたのは我々が罪を犯したからだ。と始まる。
リウーの家にタルーが訪ねてくる。二人は哲学的な問答を始める。リウーは無心論者だ。神を信じていたら医者として人を救うのでなく、神に祈るだろう。神を信じるか信じないかという哲学問答。
タルーは自分がボランティアを組織してもいい。県に関わっているリウーに、その事を県に提案する役目を希望した。つまりこのボランティアは命がけの仕事となるため、神を信じるか信じないかの問答が始まったのだった。リウーはタルーに同志のような気持ちを抱く。
タルーの発案で発足したボランティア団だが、中心人物はグランとなる。グランは年齢からして体を使う作業は難しいので事務仕事を担う。
このボランティアに対して著者(カミュのことではなく語り手である、この小説内の著者)の考えが語られる。この身を捧げる行為に対して悪いとは言わないが、意味があるのだろうかという。またリウーは町の外から伝わる応援の声に対して、全く他人事のようだと感じる。外の人からすると、人としてそうしなければならないとうわべだけであって、声が大きく、情熱的になるほど虚しさを感じるのだった。
ランベールはなおも脱出をたくらんでいる。コタールに接近。コタールは密輸で稼いでいたのだ。そのつてでなんとか脱出しようと考えたのだ。コタールから密輸仲間のガルシアという人物を紹介される。しかしガルシアは自分よりラウルの方が適任と言う。明後日に再度出直すよう言われる。しかし当日行っても誰も来なかった。失望するランベール。また同じ事を一から企てざるを得なかった。しかし、また裏切られるのではないかと不安を持つ。ペストの本性は、それを繰り返すと言うことだと考えるようになる。
コタールは昔犯した罪を告発され警察からいるでも出頭できる心づもりをしているよう言われていた。それを苦に首吊り自殺をしようとしていたことがわかる。それはどんな罪なのかは明らかにされない。コタール自身は殺人ではないという。うまくいって禁固と言うことだ。そしてそれは軽はずみでしてしまったことで、罪に問われるほどのことではないということだ。しかしこのペストの騒ぎでうまく逃れられそうだという。
リウーとタルーはランベールを保健隊に入るよう誘った。しかしランベールは恋人の元に帰るのが第一であり、死のリスクを背負って保健隊に入るつもりはないという。保健隊に入って感染者のために働くことがヒロイズムであることは理解していて、それに協力しないことは卑怯ものではないかろ考えている。そこで、愛に尽くすこともヒロイズムであると2人に主張する。リウーはそんなランベールに対し、ペストと戦わず恋人のところに帰りたいと考えることに何の卑下することもないと理解を示す。そして自分がペストと戦うのはヒロイズムではなく、誠実さであるという。つまり自分にできることをすると言うこと。リウーが去ったあとランベールはタルーからリウーには遠く離れたところに病気で闘病している妻がいることを知らされ、翌日、自分が町を脱出するまでの間ではあるが、保健隊に協力すると連絡する。
コタールはいつ誰に密告されるかもわからない状況でビクビク生きるよりは、保健隊の仕事でいつ感染するかわからない、その状況の方が心穏やかであった。
この時期になると誰しもがペストに対して、また他人に対して気を使えなくなってくる。事務的にこなすだけ。これは戦時中と似た状況だ。
ランベールは今度こそ町を脱出するチャンスを得た。すっぽかされないようにキーマンの家も教えてもらい数日前からそこに泊まるという手段にも出て、完璧にしていた。いよいよ今晩12時に決行となったが、その前にちょっとで掛けると言い残して外出する。向かった先はリウーの仕事場だ。そこで町を出ることはやめ、みんなと残ると告げたのであった。自分だけが町を出て幸せになるということにやましさを感じるのだった。リウーは、再度、残ることは愚かな考えであり 
町を出ることに何の後ろめたさを感じることはないと説得するが、いっときは自分は町とは何の関わりもない通りすがりだと思っていたが、一緒に長く過ごした今となっては、この町の人間となったという。
パヌルー神父の娘が感染し隔離される。同じ頃、少年が感染し苦しんでいる。リウー達はなすすべもなくただ見守るしかない。やがてその少年は苦しみながら死ぬ。みんな衝撃を覚える。パヌルーも恐らく宗教観が変わるほどの衝撃を覚えたのだろう。次の集会での説教では、少年の死や、これから迎えるであろう自分達の感染と死に抗うのではなく、神がそれを望んでいるのだから、受け入れるべきと話す。
やがて教会も避難しなければならなくなり、パヌルーは信者の一人の老婆の家で過ごすことになる。ある日熱を帯びるようになった。医者に見てもらわないと言う信条のためか、医者に見てもらうことを拒み続ける。だが、最後にはリウーを呼んでもらうよう頼む。リウーが来て診察を受けるがペストの症状ではないと診断される。そしてペストの疑いのまま死ぬ。
ペストは貧富の差なく平等に死を与える。絶対的平等。しかし、食用の不足をかさに、高く売ろうと言う者たちが現れる。金持ちは気にせず買っている。しかし、貧者は買うことができず、結局は貧富の差が生じているのだった。それを解消するには隔離施設に行けばいい。食事は支給されるからだ。
町外れの競技場にタルーとランベールが向かう。ゴンザレスに保健隊の仕事を紹介するためだ。そこにはオトンが隔離されて過ごしていた。そこであの死んだ少年が息子のフィリップであることを知る。
タルーはリウーに自分の正体を告白する。これが哲学的で難しい。人間は誰しも心にペストを持っている。人は常に他人に死を与える。自分はそうならないように努力することで殺人者になってしまうことに反抗している。
グランが遂にペストに感染してしまう。いよいよの時、家族のいないグランであるから、自分とタルーで看病してやろうと言うことでリウーの家に引き取る。ますます昔の恋人ジャーヌへの思いが募る。今まで書いていた自分の小説にジャーヌへの手紙をつけて届けてもらおうとしていたが、結局は焼き捨ててくれるよう頼む。いよいよ今晩が峠と言うとき、タルーが付き添う。翌朝リウーがグランを訪ねるとまだ生きていた。そして病気が回復したことが分かった。初めそれは例外だとリウーは認めがたかったが、やがて他にも同様の事例が現れ始める。そして病勢は衰退期に入ったことが分かった。グランのエピソードは哲学的な内容が本懐であるこの小説において、ずいぶん感傷的なものだったが。いい兆しのことだったのだ。
人々はその事を知ったが、希望や未来はないものだとしばらく考えていただけに、希望を持てることに戸惑った。遠慮しがちに希望を持つのだった。ペストの隆盛に沿って、この集団の心理の移り変わりが描かれているのが面白い。
ペストが終息に向かうと雰囲気が一気に明るくなる。それまでの閉塞感、終末感から一転、穏やかな空気が現れる。
一人の心配している人物がいる。コタールだ。ペストによって自分の過去の犯罪の告発の懸念が消え去ったが、ペストが終息すると再びその心配がぶり返すのではないか?コタールはタルーに尋ねる。ペスト後は世界が変わるだろうか?元と同じような世界が戻るだろうか?タルーは後者よりだ。人々のはもとに戻ることを望んでいてそうしようと思うだろう。しかし、人々からペストの記憶は消えることはないだろう。そうなると多少違った世界になるかもしれない。しかしコタールが家に帰ると2人の役人らしき人物から声をかけられ慌てて逃げ出す。
ペストが終息しつつあるのに、タルーはペストに感染する。他の人同様、今や回復するペストなのではないかと期待する。しかしタルーは死んでしまう。時を同じくして、闘病していた妻が死んだことをリウーは電報で知る。ランベールは無事恋人と再会を果たす。リウーはグランとグランの家まで歩いていたら、グランのアパートで発砲騒ぎがあり足止めを食らう。気が触れた男が騒ぎを起こしているとのこと、案の定コタールだった。結局コタールは警察に連行されることとなった。
作中の作者はリウーであった。このペストの記録を後世に残すために書いた。結末はやはり、今は歓喜に沸いているが、ペストは鳴りを潜め後の世にまた現れるだろうと括られる。
ペストと第二次世界大戦をかけているという。その視点で見ると、苦しい時期を過ごしてきて、それが終息し開放的になる。人々は歓喜に沸く。しかしペスト自体はなりを潜めているだけで、いつの日にかまた顔を現し苦しめるだろう。つまり、戦時中は苦しい生活を余儀なくする。終戦によって解放感に浸る。しかしやはり戦争はいつの日かまた起きるのだ。
タルーの父親は判事であって、罪人に死を与える仕事である。それを間近で見てきて、結局人が人に死を与えていることに違和感を覚える。何の権利会ってそうするのか?という疑問をタルーは持っていた。殺人はともかく死刑判決のような(また、この筋から言うと戦争?)人に死を与えることに反抗し、反抗するがゆえに、(常に感染の危険が伴う)保健隊に志願したのではないか。人為的に殺されるのではなく、いわば不条理な、無差別な感染症で殺されるべきだと考えたのだろうか。
読みごたえのある小説だ。

20200418読み始め
20200502読了


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