ザ・ロードからの印象だが。父親と息子の関係を描く作家なのだろうか?
まだメキシコを目指して出発したところで、途中でブレヴィンズと行動を共にするところまでしか読んでいないが、主人公のジョン=グレイディと相棒のロリンズとの会話が、大人ぶった会話でちょっと背伸びしてるなという青臭さを感じる。カウボーイかくあるべしとちょっと悪ぶったりしている。これが16歳の会話か?
しかしメキシコという国がどんなところなのか、その時代(多分、第二次世界大戦直後あたりと思われるが)がどうがったかわからないが、治安の悪い国を想像して、これからの苦難が予想され心配になる。
1部が終わりブレヴィンズがいなくなるという事件が起きるが、何事もなく無事に牧場に雇われるところまでたどり着く 。
ジョン・グレイディは牧場で働くようになるが、全てがうまくいく。まだ16歳なのになんでもできるのだ。馬の調教、馬の品種の鑑別、様々な知識、チェス、など。ただの悪ガキのように思っていたが、実はそれは見かけだけで実は優秀なのだ。グッド・ウィル・ハンティングのようなうまい話だ。映画版はマット・デイモンが演じる。いかにも彼が好きそうなキャラクターではないか?
そしてアレハンドラと恋に落ちる。しかし身分の違いを心配する大叔母に招かれ、チェスをしながら、遠回しに、手出しをするなと諌められる。その駆け引きの緊張感は、まさに迫真の場面だ。
2章まではうまく進む。ところが3章にはいると突然不条理な展開が襲ってくる。ブレヴィンスは銃殺される。ジョン・グレイディとロリンズは無法な刑務所に送られる。そこでの暮らしはまさに無法だ。日本の我々が想像する刑務所とは違う。この時代以前である、山田風太郎の地の果ての獄における刑務所とも全く違う。悪人をとらえておきながら、中は全くなんの規律も秩序も無い。ただ本能に従い相手を倒し、自らを守る。
ただ、これから想像するのは、海外ドラマの、プリズンブレイクのシーズン3だ。おなじ空気だ。私はこのドラマを先にみてしまったから、そこまで衝撃を受けなかった。もしかしてドラマの方は、この小説をオマージュしているのかもしれない。
そう考えると、この小説は全体を通して、センセーショナルだ。この小説が初めてならば。ここから、グッドウィルハンティングであり、プリズンブレイクであるなら、ドラマの前に小説を読んでおくべきだ。ともかくドラマを先にみてしまったので、公平な判断ができないのだが、もし小説が先として、純文学らしからぬ不穏な話であり、ある意味エンターテイメント的である。
4章では、女主人の力により、刑務所から釈放され一旦牧場に帰るところから始まる。アレハンドラとの関係が原因で刑務所に入れられ、おなじ理由で刑務所から釈放される。女主人と会い、そこで経緯が明かされる。その中で、女主人の昔の知人であるフランシスコの話が出てくる。のちにメキシコの大統領になる。実は実在の人物で実際に大統領でもある。。虚実ない交ぜに展開するのは山田風太郎的だ。女主人と親交があったという話なのだが、こちらはフィクションになる。作者は運命というのは偶然ではなく、初めから原因があり、それによって必然的に起きるという考えに強い思想を持っているようだ、コイントスの裏表はコインが鋳造される時、鋳造技師がどちらを先に型にはめるかどうかで、既に出る目が決まっているという例えが出てくる。これも作者に特徴的なモチーフだ。
最終盤ブレヴィンズという名前から連想して訪ねた教会。でも全く関係しなかった。
読んでいるとある意味、経験豊富なカウボーイのように錯覚する。原書ならどうなのか?僅か高校生が、行く土地土地で高飛車に振るうことが。まだ未成年18歳くらいか?それなのにませている。それが一般的なのか作者の錯覚なのか?。
自分の生きる世界はもはやアメリカにはなく、理想の生活を見出せないか?友人と馬と共にメキシコに向かう。そして自分が生きるべき場所を見つけるのだが、雇い主の娘と恋に落ちたことで、次から次へと襲いかかる、あまりに理不尽な仕打ちの数々。やはり部外者が受け入れられるのは困難なことなのか。結局追い返されるようにアメリカに一旦は帰るが、それはアメリカと自分のつながりを残らず清算するためだからなのか、一つ一つ別れを告げまた馬を進める。彼はどこに向かうのだろうか?
20150726読了