ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「兵鼓」 井上靖

2019-07-31 00:54:39 | 読書

井上靖の歴史小説で現在(201907時点)絶版となっている。文芸春秋から単行本、文庫と刊行されたようだが、文春の井上作品はことごとく絶版。電子書籍にもなっていない。図書館で検索すると所蔵があったので図書館で借りて読むことにした。

初版が昭和52年5月25日となっている。因みにこの本には昔の名残で貸出票が付いている。1回目は昭和58年10月18日で、2回目は平成11年7月27日。それだけである。出版6年後に1度目の貸し出し。2度目は元号も変わり16年も経っているのが感慨深い。その後電子化されたので貸出の動向はわからないが、自分が借りたのはさらに元号が変わって令和元年7月20日ということだから時代の移り変わりが面白い。
この作品がいつどこで発表されたかは調べきれないが、「戦国無頼」や「風と雲と砦」のような大衆的な読みやすさがあまりなく。どちらかというと、「蒼き狼」に近い文体で、文章も会話文もやや硬い印象。
このころ木曽義仲には妻と義高という息子がいた。義仲はこれまで、源氏の血を引くということで叔父の中原兼遠から大事に育てられてきた。そして本人は何の目的もなくただその日を暮らしていた。そんな時、以仁王が平氏討伐に立ち上がる。源行家が以仁王の令旨を持って源氏(源頼朝、武田信義そして木曽義仲)に決起を促す。そこで初めて武士としての血に目覚め兵をあげようと決心する。実はこの時すでに以仁王は討たれていた。挙兵に際して中原兼遠の息子である兼光、兼平(つまり従兄弟)がはせ参じる。無骨ではあるが父親から言い含められているのか義仲に対して従順である。中原兄弟が言うには、妹の巴が男勝りに戦に加わりたいと言ってきかない。足手まといになるからやめさせるよう説得してくれという。巴を説得するが引こうとしない。やがて出馬すると、次々と兵士が集まってきてやがて300人に増えた。そのとき山吹というこれまた20歳になあるかならないかというような少女が馬でかけてくる。義仲しか知らない娘のようだが、どうやら妊娠した過去があるらしい。巴は、義仲に妻子があることは承知で、その上で義仲に尽くそうと考えていたが、正体不明の少女に嫉妬のような感情を抱く。
安曇方面へ樋口次郎兼光を遣わせると、安曇の豪族、仁科盛弘、盛宗兄弟の部隊を連れて帰ってきた。盛弘の妻は信濃の豪族高梨氏であり高梨一族を味方に引き入れることが期待でき、盛宗の方は中原家の姉を妻としているので、中原兄妹にとって義兄となる。
まず伊那に向けて進発。菅友則を攻めようとした。義仲にとっては初めての戦である。奇襲を仕掛ければ楽勝だと考えていたが、逆に潜んでいた敵に襲撃され苦戦を強いられる。その時菅の居館から火の手が上がり、それを機に挽回することができた。一番の貢献は別動隊として館を奇襲した巴であった。死を覚悟すれば何でもできると答えるのだった。それとは裏腹に山吹には勝てないという漠然たる不安を持つのであった。
やはり「蒼き狼」のような、出陣に向かいつつどんどん人が集まっていくところ、戦いも初めは苦戦を強いられるが、ちょっとしたきっかけから神業のような勝利を挙げていく。
依田城へ到着すると城主の依田二郎が城を義仲のために提供し自分は近くの館に移るという、まるで司馬遼太郎の「関ヶ原」で堀尾忠氏がしたようなことが出てくる。源氏再興の暁には自分が主力武将となり京へ上ることを思えば何てことはない。関ヶ原では忠誠心の反映であったのとは異なる。
根井行親という老武士が挙兵に応じて訪れてくる。義仲とは不思議に意気投合する。一方頼朝は北条時政をして甲斐の源氏を率いて信濃を平定しようとした。時政は武田信義と信濃に向かうが既に義仲によって平定されていた。頼朝は同じ時期に令旨を受けていながら別行動をしている義仲に対して対抗心を持つ。
次に義仲は行親をつれて信濃に向かう。山吹、巴は置いて。信濃では逆に頼朝の勢力が多く200人の兵隊を得たにすぎなかった。そして新しい愛人である葵。出発前に山吹から他の女を連れて帰ってくるなと釘を刺されていたにも関わらず。
巴が馬を走らせていると、ある小屋の前に義仲の馬を見つける。しばらくすると義仲とそれを見送る山吹が現れた。木曽へ帰したといったはずの山吹がまだいたことにショックを覚える。数日後馬駆けする義仲についていきたいという巴。義仲は葵に会いに行こうとしていたのだが、巴がどうしてもついてくると聞かないので仕方なく連れていく。巴はその先がてっきり山吹と思っていたのに行き先は葵の家と知ってさらに衝撃を覚える。と共に怒りも沸いてくる。しかし巴と葵は意外と気が合うようであった。
越後から城太郎資永が大群を率いて攻めてきた。義仲側の10倍の兵力であり、義仲にとっては初めての大いくさとなる。身が引き締まるものだが、総帥資永が急死し、戦うことなく越後へ帰ってしまった。それを追うのは得策ではないという根木の助言をうけ、日を改め当初予定していた戦場で資永の息子である資職と再戦をはかった。
戦が始まり、自分の部署を勝手に離れた小室太郎の代わりに巴をの部隊を送った。途中で杵淵重光という敵の武将に出くわす。大きな傷を負い瀕死の状態であった。自分の主君の仇はとったのでもう思い残すことはない、巴に首を進ぜようと言うが、攻撃してこない相手の首だけを取る気にはならず、逆に手当てをして別れる。杵淵も感謝し、あの世であったら巴のために何かできることがあればしたいという。敵味方ないこのやり取りが清々しい。こうやって巴は度々瀕死の敵方に足を取られ部隊から脱落してしまう。義仲は勝利するが、巴は依田城へ帰れと告げられる。義仲が敵を欺くため自軍に敵の赤い旗を差させたところ、それを敵と勘違いして巴は斬り込んでいったのであった。それも理由ではあったが、やはり若い娘を戦場に置いておくわけにはいかないという方便であった。しかし納得できない巴。自分は義仲から好きになってもらおうとは思っていない。ただ勝鬨を挙げる義仲をそばで見ることだけが自分の生き甲斐であると思った。何とか城に帰るのだけは避けたい。そんな時、敵の中に杵淵重光という武将がいたが最期を見届けたものはいないかという声が聞こえてきた。立派な侍と見受けたので生きていれば召し抱えたいということだ。そこで巴は義仲と取引をし、生きて連れて来たら京までそばにいさせてほしい。死んでいたなら城へ帰るのことだけは撤回してほしい。そして杵淵を介抱した場所に戻ってみると、果たして自刃して既に果てていた。
さて義仲の近くでいることは認められた巴のようだが、ある夜、義仲と小室太郎が歩いてくるのが聞こえた。農家の娘に夜這いを懸けた帰りらしい。それを問いただそうと義仲の元に行く、しかしはぐらかそうとする義仲。挙げ句、巴のことが一番好きだと口走る。複雑な気持ちになる。
義仲は越後に入る。平家の息のかかった豪族が多く残っており、帰順させることに時間を割く。いつしか5万の大軍を擁するようになる。北陸道の追討使として京から但馬の守経正と中宮亮通盛が京を発した。それにも義仲は勝利し、北陸道全域7か国を領した。京へ出撃しようとするが、養和元年から翌寿永元年にかけて飢饉が起きてとどまざるを得なかった。そうして冬を過ごしてるときに、巴は義仲から息子の義高の守りを頼まれる。そこで突然母性愛を感じるようになる。血はつながらないが義仲の子ではあるが母親にでもなったかのような感情を抱く。義高がいる限り山吹や葵にも負けないという気持ちも生まれる。義仲への愛情以上のものを感じているようだ。「風林火山」の山本勘介が勝頼に抱く感情と同じようだ。さらに進発しようとしていた5月には疫病が流行りまたしても足止めを食う。
やがて行家が頼朝と喧嘩別れして義仲のもとに戻ってくる。叔父ということもあり引き取る。そのうち武田信義から自分の娘を義高に嫁入りさせたいと使者が来る。武田は頼朝と仲が悪くなったときのために、保険として義仲とも姻戚を結んでおこうと考えたのだ。しかし、武田が信用できない頼朝はこれを断る。すると根に持った信義は頼朝に讒言し、頼朝をして、義仲の討伐部隊を向かわせた。義仲と巴が話し合う。義仲は兵力を失うことは承知の上で戦わざるを得ないと考えていたが、巴は頼朝と戦をするくらいならいっそ依田城を全員で捨てて、そのまま越後へ向かえばいいではないか、そして京で戦い底では兵を失う方が意義がある。そしてそれの従い越後へ行く。そのうち頼朝から、義仲に謀反の疑いがあるという事で使者がやって来て、義高を人質に出すか行家を人質に出すか迫られる。行家はやがて京入りした際に人脈があるため役に立つだろうという事で泣く泣く義高を人質に出そうと考えた。別れの日、10歳の義高は役を全うすることを立派に宣言する。
義高を頼朝に差し出すが、頼朝は兵を下げる様子が見られない。義仲が平家と争った後、弱りきったところを襲おうと考えているように見受けられた。巴の案により、ここは平家との戦を中止して越後へ一旦引くことにした。引き上げたがしんがり部隊が平家に襲われ燧城が落ちるという苦い敗戦を味わう。そんな時、頼朝の軍が鎌倉へ引き返したという知らせが届く。そこで期が熟したとし、平家打倒に進発する。その前夜遂に巴は義仲に思いを告げることができた。
平家との戦いの最中、なぜか戦場に出ていた葵が討死という報を受ける。巴は自分はただ一人義仲に命を捧げようと考えていたのに、葵の方こそ命を捧げてしまったことに寂しさを感じる。
血栓の大きな山場、牛の角に松明を付け、山を下らせつつ敵に突撃する作戦。一気に戦場となり、あっという間に引け、真っ暗の戦場、巴は人にぶつかる、暗くてよく見えなかったが、それが何と山吹であった。巴は知らなかったが、山吹は病のため依田城で伏せていただった。そう長くはない命をどうせなら戦場の義仲と共にありたいと病を押して出てきたのだった。しかしもう体を動かすことも難儀になってしまっていた。巴は義仲を見つけ山吹を戦場で見たと伝える。義仲も依田城で病に臥せっているとばかり思っている山吹が本当に戦場にいるのか半信半疑だ。もしかして既にこの世にいなくて、巴は亡霊を見たのではないかとさえ思う。そして山吹が倒れている場所まで連れられ初めて本当に山吹が戦場に出てきたことを知る。義仲はばか者と叱責の言葉と裏腹のいたわる様子に、その場には一緒に居ることができず身を引く巴。つまり葵だけでなく山吹も義仲に身を捧げようと考えていることを知る。その後義仲から山吹の身は巴が預ってくれと頼まれ、巴はそのようにしようと思った。
勝利した義仲は、その後、一気に京に進発する。その行軍、義仲は巴に山吹のことを聞かれ、山吹は志雄山の近くの寺に預けたと言い、義仲はそれかいいだろうと答える。
京へ向かう義仲は二人の愛妾を棄ててきたように、巴もまた二人への嫉妬を棄てていた。
義仲軍が京へ向かうところで完となる。義仲の最期を知っているだけに、生涯を描いた小説ならつらい話になっただろうが、これから大仕事を成し遂げるところで完結するので安心感がある。そもそもこの作品は木曽義仲の伝記ではない。義仲をめぐる三人の女性の話。特に巴の心情を描いた作品なのだ。義仲に恋心を抱くが、正室にも妾にもなりえない関係である巴であるが、ほかの女性へ嫉妬心を抱いたり、その気持ちをいさめたり、義仲のそばにいるだけでいいと考えたり、義仲のために死ぬことこそが義仲への思いの表現と考えたり。いじらしい。今の時代からすれば女性にだらしがない義仲となるのだが、巴とはそういう関係にはなりえないとしつつ、心のどこかでは巴に愛情を感じている。女性への接し方が男らしく嫌みがない。セリフもまたしかり。いい男だと思った。
 
(今回読んだのは図書館で借りた文芸春秋の単行本版だが)福田寛年氏の解説が巻末にある。
そこに、作品の書かれた年代が示されているし、知りたいことも解説されている。
「兵鼓」昭和34年。「戦国無頼」昭和26年。「風と雲と砦」昭和27年。「戦国城砦群」昭和28年。「風林火山」昭和28年。「淀どの日記」昭和30年。「天平の甍」昭和32年。「楼蘭」昭和33年。「敦煌」昭和34年。「蒼き狼」昭和34年。
となっている。「戦国無頼」「風と雲と砦」はいかにも大衆小説っぽいので初期の作品というのがわかる。そして意外と「風林火山」が「戦国無頼」2年後の作品ということで大衆小説つまり時代小説的な雰囲気のほうが強かったのかと再認識した。「兵鼓」は最初に書いたように「蒼き狼」に近い文体の印象を持ったが確かに書かれた年が同じである。しかし実を言うと、この作品は初めこそ固い文体、感情を極力排し、淡々と事実だけ述べる文体だと思っていたのであるが、やがて巴という女性の心情の描写が中心になってきたことから、感情のある、どちらかというと人間味の感じられる文章に思えてきたのだった。書かれた年代の前後関係は再確認できたが、年代ごとの作風の関連性はどうやら見いだせない。
 
20190722読み始め
20190730読了

「風と雲と砦」 井上靖

2019-07-24 23:11:36 | 読書

山名鬼頭太。同じ徳川から逃走した俵三蔵という槍の達人。また同じ徳川から逃げた左近八郎。八郎とは恋敵。井上靖らしく、かつての同僚同士であるが、何の友情も信頼もなく、ともすれば出し抜いてやろうという気持ちしかない。

影武者と勘違いされ捕らえられた左近八郎。敵陣に連行されたが、影武者ではないと見つけた鬼頭太。危うく斬られそうになる八郎だが、やんごとなき方の祈祷中ということで斬罪を逃れた八郎であった。そうしたのは武田の将である馬場の親戚と言われる安良里姫であった。そして小屋に囚われた八郎。そこへ一人の老武士がやって来て、死ぬつもりならその命を自分に預けろと言う。連れていかれた先は安良里姫であった。そこで安良里姫に改めてどうせ捨てる命を自分に預けろと言うことだった。その用は、徳川にスパイとして潜り込むこと。元々徳川の者だったので疑われはしないだろう。そして新しく城をどこに建てるか探れと言うのだ。
俵三蔵は野盗に襲われるが、一味の姫と呼ばれる女に助けられる。姫から一目惚れされ、首領を斬り、新たに自分自身が首領となる。
みゆきと再会した鬼頭太だがすぐに命を懸けた密命の使者に志願し旅立つ。布に包まれたものを神社の神主に渡すと言うのが使命だが、昨日同じ用で発った3人が帰ってこない。つまり必死の使命。案の定徳川の刺客が待ち伏せていたが、倒すことができた。山名鬼頭太と左近八郎とみゆきは過去の三角関係であった。みゆきは幼馴染みである鬼頭太を一瞬好きになったが、左近八郎が現れたあとは、左近にぞっこんで、鬼頭太の事は寧ろ嫌悪するようになった。そんな態度に気づきながらも意に介さず鬼頭太はみゆきにアプローチし続ける。それがかえってみゆきには煩わしい。そんなデリカシーのない鬼頭太がある意味爽快に感じる。かと思うと必死の任務に命を惜しまず志願する潔さ。
左近は徳川方に潜り込み、部下も与えられる。しかしスパイの目的である新しい城砦の建築場所を知り得たので、早々に武田に戻ることにした。単騎武田に向かった左近だが、途中で女に呼び止められる。物盗りだろうか。馬を置いていけと言う。察しの通り、姫の一団だ。俵三蔵は不在で、彼のために馬を調達しようとしていたのだ。馬を奪うことに成功した姫たち。やがて奪った馬に跨がって戻ってくる三蔵。そこで既知の間柄である、左近と三蔵が再会する。今は武田に寝返ったと左近。今は野武士に身をやつしたという三蔵。しかし互いに干渉せず、馬をも左近に返す三蔵だった。あっさりとして爽やかだ。
武田に帰ると安良里に城の神建築場所を報告するが、そんなことより、さらにもう一仕事をしてさらに多くの部下を手にいれることを提案される。その仕事とは、徳川と織田が連合し、武田に攻め入る準備を進めていると信玄に報告しろと言うものだ。しかし、左近が徳川に潜り込んで知ったのは寧ろ逆で、徳川にはそんな戦意は全くないということだった。なぜ事実と違うことを信玄に伝える必要があるのか。一介の捕虜である左近にそんな重大な仕事を任せるのか。怪しい動きが見え始めてきた。
武田の陣内で信玄が死んだという噂が流れ始める。無粋な鬼頭太は信玄は死んだと言いふらす。それを見とがめられ武田の武士たちといさかいを起こす。そこに安良里が現れ、ぶっきらぼうな鬼頭太を何を思ったか許し、付いて来させる。なぜそのようなことを言うのか詰問されると、例の印籠に入った石の裏表で占いをして、何度占っても他界という結果が出るからだと答える。それに興味を持った安良里だが、武田一門の繁栄を占わせられる。出た結果は滅亡だった。どっちともとれない反応をする安良里だった。そんな石を捨てて立ち去るよう言われ、その場に石を捨てて立ち去るが 、後で拾いに帰る。
安良里姫は実は徳川の間諜であることが明かされる。両親兄弟を武田によって殺害されたからだ。徳川の者なのか、武田に恨みを持つあまり、徳川に情報を流しているのかはわからない。しかしいかにも武田のそこそこの家柄の姫のように振る舞いつつ、武田の者から全く怪しまれないとは不思議なものだ。
徳川に信玄他界の情報が漏れたためか、徳川軍が攻めてくる。安良里姫は鬼頭太を城の外に連れ出す。夜になって安良里は八郎を連れて現れ、鬼頭太の口封じをしようとする。それを知っていた八郎は幼馴染みのよしみで鬼頭太を助ける。しかし鬼頭太はみゆきをめぐって敵愾心を抱いているため、八郎を斬ってしまおうと考える。対決の途中で足を滑らせ川にはまり流される八郎。下流で、城から逃げ出す人々に助けられた。その中にみゆきがおり再会を果たす。
俵三蔵は信濃に向かっていた。従うのはひめと5人の部下。ひめは三蔵にぞっこんで、三蔵は特に目的があって信濃に向かっているわけでなく、成り行き任せだ。途中落ち武者らしき集団を見つけ、さっそく盗みを働こうとする。そるとその集団は長篠城から逃げてきたという。長篠城と言えば三蔵の故郷だ。長篠城は何代かにわたって今川氏に属していたが、今川氏の滅亡とともに徳川氏に属した。三蔵が足軽になり武士の一歩を踏み出したのはそのころである。ところが、武田に攻められ城主の菅沼正貞は武田に降伏した。三蔵や八郎が城を脱出したのはこの時だったのだ。
さて再会した左近とみゆきだが、安良里に対する従僕心からみゆきを捨て安良里の元に行く。やがて馬場美濃守に仕える。みゆきのほうは偶然三蔵とひめの一行と出会い、合流。
安良里姫の指示にしたがい八郎は馬場美濃守の元で歴戦する。ある日安良里から武田軍の鉄砲隊に志願するよう指示を受ける。その当時は武田は鉄砲が浸透していなかったため、準備係のような役を仰せつかる。そこで安良里から鉄砲の数や、扱える者の数を調べるよう指示を受ける。役目上必要な仕事でありそのように働く。そしてそれを馬場に報告したところいたく評価され、短刀をつかわされた他鉄砲隊のリーダーにも抜擢された。安良里から改めて銃者の数を教えるよう命令されたが、以前に鬼頭太から安良里は安良里は徳川の間諜だという言葉を思い出す。すっかり武田の総帥勝頼に信頼をおくようになった八郎はその数を教えることができなかった。教える教えないのやり取りのまま一夜を共に過ごす。目覚めたとき安良里は自分が武田に滅ぼされた豪族の唯一の生き残りであることを告白する。そしてそのまま姿を消す。いよいよ徳川との戦が始まろうとするとき、武田の陣営の中から安良里は間諜であったという噂話が出始める。最近の武田の負け戦は安良里の働きによるところが多いとの噂だ。
鬼頭太は徳川の陣にいるが、この長篠城にいて常に敗北を味わってきた、遂に逃亡を謀る。途中で武田の者と勘違いされ一団に捕らえられる。徳川仕官への土産にするため。この一団はもちろん三蔵とひめの一団である。鬼頭太は木に縛られ三蔵から詰問される。今でもみゆきを好きか。さんざんみゆきにふられ、八郎の元に去られたが、それでも一途に好きである。お前(三蔵)と違いひめという女になびくこともないと答える鬼頭太。それに心動かされた三蔵は、みゆきを鬼頭太に託し 
自分達は今すぐ徳川の元に行き仕官することにする。ただ戦場で八郎と戦いたい、それだけを心に決め。
戦い直前、夜中に控えている左近八郎の元に安良里(その頃には武田から逃亡し徳川の元に戻っているのだが)がやって来る。戦が始まれば武田は敗れるのは必至、だから今のうち八郎を連れて逃げようと探していたのだ。しかし八郎は武田に準じると断る。安良里は徳川に捕らえられ、なぜ敵陣に行ったのか問い詰められるが、ただ八郎への思いだけと答える。今まで苦労してきた一族の雪辱よりも、八郎への愛を選んだのだった。そして、明日八郎が討たれて死ぬ。同じように自分は死ぬと思いを巡らせる。安良里は裏切り者として銃殺される。
武田対徳川・織田連合の戦いが始まる。いわゆる長篠の戦いである。騎馬戦を主とする武田軍は 鉄砲を主とする徳川織田に苦戦を強いられる。敗色が濃くなってきたとき、いくつか傷を負った八郎は、一休みしてもたれた木の上に三蔵を探すひめを見つける。ひめは戦争が嫌で三蔵を見つけ出して逃げようと探していたのだ。そこでひめから安良里が撃たれたことを知らされる。衝撃を覚える八郎。自分も死のうと考える。そこへ三蔵がやって来る。みゆきを捨てた八郎に対して怒りを覚える三蔵。いよいよ一対一の対決。この対決が壮絶でドラマチックだ。互角の戦いが続き、ついに三蔵が八郎の脇腹に槍を突く。しかし止めをさせず槍を置き座り込む。立って決着をつけようと促す八郎だが、そのまま息絶える。ひめは侍をやめてどこかで平和に暮らそうと三蔵に頼み、ほとほと侍に嫌気の差していた三蔵はそれに同意する。すぐ前まで暮らしていた小屋に帰ろうと言うが、そこはすでにみゆきと鬼頭太が暮らしているから帰らないという。一途にみゆきを愛し続けていることに一目置く三蔵である。そして八郎を土に埋めてやろうという。三蔵が憎いと思っていた八郎だからそれが理解できず反対するひめだが、みゆきと言う女を好きだった男で、自分もみゆきが好きだったと告白し涙を流す。そしてひめも涙するのだった。
長篠の戦いは武田と徳川織田の戦いで、勝頼と信長の視点で描いた話が殆どだが、この作品は舞台設定はそれを活用しながら、名もない小さな人物を描いている。どこか遠い上の方で、よく知る武田勝頼の気配は感じるが、そんな上層部の話は我々にはあまり関係がない。寧ろ左近八郎や俵三蔵、山名鬼頭太のような人物にこそ親近感を感じる。だからすごくリアルに戦国時代を体感できるのだ。これが井上靖の歴史小説に詩情を感じさせるのかもしれない。
男3人女1人の幼馴染み同士が、みゆきという1人の女をめぐって様々な思いを抱きながら、別々の人生を生きる。仲たがいをして時には対決するほど憎み合う3人の男たちだが、心の底では友だちだと思い続けている。それが清々しい。
ラストは久々に胸を打つ作品に出会ったと思えた。
「戦国無頼」「風と雲と砦」と作者の歴史小説(時代小説)を読んで、良かったと思った。もっと読みたい。あとは「戦国城砦群」と「兵鼓」を読みたい。
 
20190714読み始め
20190724読了

オラホビール「雷電カンヌキIPA」

2019-07-16 00:57:53 | ビール

イオン松山で購入。

IPAなので褐色を想像していたが、色は普通のラガーっぽい琥珀色。

香りはIPAらしいホップの強い香り。

味もホップの風味が効いている。渋み寄りの苦みが感じられる。それが強すぎないので飲み疲れしない。

ビールというよりグレープフルーツジュースともいえる。しかし水っぽくはないので飲みごたえがある。


キリンSPRING VALLEY BREWERY「Afterdark」

2019-07-15 16:02:37 | ビール

「スプリングバレーブルワリーが切り開く、これまでの黒ビールとは一線を画す異次元の濃色ビール。ロースト感や渋みを抑え、柔らかな甘味と上質な苦味を引き出すことで、味のふくよかさと飲みやすさを兼ね備えました。質の良い苦味と豊かな味わいが、食事の味をさらに引き立てます。

香りに関してはそこまでは焦げ臭くない。そしてある程度焦げがあると酸味のある香りになるのだがそこまでもない。

飲む。

飲み口はやはりそこまで焦げ臭くはない。

中盤まではほとんど黒ビールという感じはしない。

中盤以降。黒っぽいが、焦げ臭さがなく、焦げ臭さを抜いた黒ビールの味が押し寄せる。

最後半から後味に入るまでに、黒ビールらしい焦げっぽいような平べったい風味が感じられる。

後味はチョコのような風味の焦げと苦み。

本格的な黒ビールよりは飲みやすいのかもしれない。

感想を書いた後でコメントを読んだが、まさにロースト間渋味を抑えとあるので、まさに製造者の意図が反映されたビールだ。


「紙の動物園」 ケン・リュウ

2019-07-14 16:15:47 | 読書

気にはなっていたが短編集であるのとSFと言うので、読むのを先伸ばしにしていた。SFなのに胸に染みるとか、静かな感動という意外性。果たしてどんな話なのだろうか。

「紙の動物園」父親はアメリカ人で、母親は中国人(香港)の少年。母との関係が 、紙で作った虎の折り紙、他の動物たちとともに語られる。幼い頃は母親が作ってくれた折り紙に(それが生きているごとく動き出す)勇気付けられてきた。少年は成長と共に中国人である母親が疎ましくなり会話もなくなってくる。折り紙も屋根裏にしまったままだ。大学生になり就職を控える頃に成ると、母親は癌のため死の床につく。やはり素直に心を表せない主人公。手を握るのが精一杯で、学校に戻るため飛行機で帰路につく。空を飛んでいるときに母親は旅立つ。数年たち、清明節という中国の節目の日に屋根裏にしまってあった折り紙を取り出す。その中に見つけた母親の手紙。成長と共に話をすることができなくなったが心ではつながっていて愛しているという内容だった。・・・確かに心に染みる。折り紙が命を吹き込まれ動き出すと言うところはSFと言えなくはないが、十分文学作品として通用するのではないだろうか。
「もののあはれ」こちらはSFらしく、月が分裂してその欠片が地球に衝突するかもしれない。その前に宇宙船で脱出しようというのが設定ではある。日本人が主人公の話だ。日本人は和を大切にする。一人では無力だが、人が集まって大きな力を得る。という思想が伝えたいこと。宇宙船に乗れる人数は限られている。そこで両親は自分達を犠牲にして息子(大翔)だけを宇宙船に乗せた。宇宙船での航海中故障が見つかった。その修理を買って出た大翔だった。宇宙での移動用の燃料のはいったガスボンベと、修理用の燃料の入ったガスボンベを持って故障箇所に向かう。しかし途中で修理用のボンベに穴を開けてしまい、ガスは空っぽになった。そこで両親から教えられた日本人の心を思い出し、帰り用のガスを使って修理を完了させた。帰れないことが確定した大翔は、宇宙船の乗組員に余計な心配をかけるまいと自ら宇宙へと離脱するのだった。こう言う身の引き方と言うのは東洋的であるかもしれないし、映画「ミッション・トゥ・マーズ」の前半部分でもこんな場面が出てきた。それにしてもやはり何か寂寥感やしみじみしたものを感じさせる。
「月へ」月へと亡命する人たちの入国審査官が主人公。何が正しいのか、誰が正しいのかを考えさせる話。話の主体が誰なのか掴みづらく漠然としか理解できない。
「結縄」<天村>数千年山の上で暮らしてきたムン族たちの所に、年一回商売に来る商人にくっついて一人のアメリカ人、ト・ムがやって来た。村人たちは過去からの知識を結縄(けつじょう)文字という縄に結び目をつける方法で記録してきた。ト・ムは村人の治療法に関心を持っていた。紙に書くより縄で結んだ文字の方が先人の声をありありと聞くことができる。<グレーター・ボストン ルート128>結縄文字を解読、作ることの達人であるソエ=ボは長い縄を折り畳みそれがどんな立体になるか予測する達人でもある。それをタンパク質のフォールディングに応用し医薬品の開発に活用しようと考えたトムはソエ=ボをアメリカに連れて帰り、研究に携わらせた。その見返りとして、飢饉に陥っている自分の村のために米の種籾を譲ってもらう。<天村>村に帰ったソエ=ボは種籾を植えた。それはあまり美味しくはないがかなりの収穫だった。次の年用に種籾を保存していた。そこへトムがやってきて、2回目の種籾は育たない、そういう遺伝子が組み込まれている。だから今年は今年で新しい種籾を買ってもらわねばならない。著作権を楯に対価を要求しているのだ。ソエ=ボは無償で自分のタンパク質フォールディングのノウハウを与えたにもかかわらず。時代は移り行く、ナン族も例外なく変化すべきだという話なのだ。ソエ=ボはナン族にとって何か取り返しのつかないこととしてしまったのではないかと後悔する。未来への教訓としてこの出来事を結縄文字に記録するのだった。<グレーター・ボストン ルート128>代わってアメリカのトム。今回の研究によって創薬が劇的に加速する。と同時に特許により大金も手に入れる予定だ。貪欲なトムは次のプロジェクトのためブータンへ向かう。皮肉な話だ。平和に独自の文化を営んでいる少数民族に、頼みもしないのに勝手に向こうから邪魔を入れられ、望まない変化を余儀なくされる。東洋或いは日本人の感覚からすれば、特許で得られる金を、トムは個人としてナン族に還元するべきだと考えてしまう。そういう結末に持って行かないところに作者の批判的メッセージを感じる。
「太平洋横断海底トンネル小史」パラレルワールドの話だ。第2次世界大戦は起こっていない、何故なら第一次世界大戦のあと日本は有力な国の一つとなっている。アメリカと連携してパナマ運河の太平洋バージョンということで、太平洋横断海底トンネルを作ることになる。その作業員の話で、人生のほとんどをトンネルの中で生きてきた。人種の違いや、疎遠になっていた家族などがテーマとなる。結局トンネルの中が一番心が休まる主人公であった。
「潮汐」これはショートショートだ。一編目から思っていたが、下手なのかわざとなのか訳仕方にクセがあり、ちょっと台無し。
「選抜宇宙種族の本づくり習性」様々な種族の記録の残し方。つまり本の概念は種族によって異なる。アレーシャン族は嘴のようなもので石に言葉を刻む。レコードのようなものだ。クァツオーリ族は体は銅で脳は石で出来ている。石の中には細かい水路が張り巡らせていて、そこを水が通ることで意識様の働きをする。ニューロンがここではその水路のようなものとなる。これは面白い考察だ。ヘスペロー族は思考や記憶といった精神活動をマッピングすることを成し遂げた。死んだ人間の精神をそのまま氷漬けにする。過去を知るには本より過去に生きた者の精神の氷漬けを解読すればいい。つまり本は不要になった。タル=トークス族は、自身が実体を持たず精神化して宇宙を漂っている。星々が本であり読書だ。ブラックホールの事象の地平線が究極の本であり、永遠に読書を楽しむことができる。カル’イー族はあらゆる種族の読むことが不可能となった古い本を集める。そこに自分たちの街を作る。そこには本の内容を意識せず理解した上で新しい解釈を加えるようだ。ここでムン族が再登場する地球からの使節になったようだ。結縄本をカル‘イー族に与えたらしい。
「心智五行」木火土金水ではなく木火土鉄水。酸甘旨苦塩。科学が発展し微生物を撲滅し感染症を無くした世界から、原始的な惑星に不時着したタイラ(女性主人公)。そこではルーツを中国に持つ人々が住んでいた。五行説を発展させ独自の生活を営んでいる。微生物と共生しており、腸内フローラも有している。そんな世界で初めは感染症に苦しんだが、やがて永住してもいいと思うようになった。そこに仲間が助けに来る。その時タイラの腸に住み着いた微生物を抗生物質により全滅させる処置を受けた。すると感情がなくなってしまった。どうやら腸内フローラの微生物が作り出す様々な物質は脳に働きかけ、様々な感情を作り出しているのだった。無感情な元の世界でなく感情のあるその惑星に戻ることを選ぶタイラ。一瞬皮肉な結末を想像したがハッピーエンドだ。分子生物学、微生物学を通って意識科学に展開する話。なかなかこれは面白かった。https://www.gastrojournal.org/article/S0016-5085(11)60230-8/fulltext
実際に著者はこの論文から着想を得たという。
「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」親子の関係を描くのが好きなようだ。主人公の少女は実態ではなくデータとして生きている。次元も様々に渡り歩くことができる。父親はもっとハイレベルだが、母親は三次元に生きていて少女とは別に暮らしている。母親は自分をデータ化して、生命を持つであろう最も近い惑星に飛行士として向かう。それは帰還のない任務であり娘と最後の旅をするわけだ。
「円弧(アーク)」死体を樹脂に置き換え生を与えるボディ=ワークという芸術を作製する会社で働く女性が主人公。やがてその会社は様々な処置によって老化を止める(むしろ若返る)技術を開発する。主人公はそれにより永遠に年を取らない体となる。自分より早く年を取ってしまう子供達。そして全人類が老化しない処置を受けることが当たり前の時代がやって来る。そんな時に主人公が思ったのは処置を拒否すること。自然に死を迎えることを望むようになる。ここでも親子のあり方を示している。
「波」これは壮大な話。こちらも永遠の命を持つことのできる技術が完成された世界で、永遠の命を得るか永遠の命を得るか、今までのように年老いて死んでゆくかを選択する。「円弧」と違い、永遠の命を得る方を選択する。そしてさらに人間という殻を捨て、データだけで生きる方法に発展する。そして基本は精霊のように漂って生きているのだがたまに実体化するため金属の体に宿る。そうやって子孫は進化し続ける。しかし神話は残り語り継がれる。
「1ビットのエラー」1ビットのエラーによって人生が変わってしまう話。遠くの超新星爆発によって放たれた量子の一粒が、車の自動運転システムにたったの1ビットのエラーを生じさせることで同乗していた恋人を無くしてしまう。やがて別の女性と結婚し、生まれた娘に死んだ恋人の名前をつける。その娘が8歳の誕生日に8.6光年離れたシリウスを見ながら、自分が受胎したであろう瞬間に放たれたシリウスの光を今受け止めたいという。ほんの1ビットエラーが意識の変容を生じさせ神秘体験をするのだ。読みにくい作品ではあったが、不思議な運命のようなものを感じさせる手際はさすが。
「愛のアルゴリズム」子供を赤ん坊の時に失った夫婦が人工知能のアンドロイドを開発する話。知能とはなにかという進化の過程がわかる。チューリングテストへの批判。意識があるかのような反応をしたからと言って、ただ与えられた質問に適切な回答をしているだけなのかもしれない。
「文字占い師」これは最初の話のように、SF感は全然ない。台湾にやって来たアメリカ人の親子。アメリカ人学校ではいじめられていたリリーだが、地元の老人と孫の少年に助けられる。老人は文字で占うという特技があった。老人は共産党のスパイの疑いがあり、リリーの父親は諜報員で、それを暴く立場にある。とても残酷な運命で、嫌な話だが、少女はやがて文字占い師になろうとする。
「良い狩りを」訳者が、お気に入りの作品を最後に持ってきた、と言うようにいい話だ。妖孤と妖怪退治師の話に始まる。魔物と共生する古い時代から、蒸気機関車に始まる科学の時代に変わると共に、妖孤と妖怪退治師のいきる世界がなくなっていく。妖孤の娘と主人公は数年置きに再開し、古い時代を回想する。やがて主人公の少年は科学という魔法を操れるようになり、妖孤は狐に戻れず人間の姿のままであったが、その体もいつしかアンドロイドのように金属にとって変わっていた。主人公は科学技術を使って妖孤を元の狐の形に変えてやる。
どの作品も親子の描写があり、そのどれもがアメリカ的でなく、日本的でもない。これは中国的なんだろうかと勝手に想像する。SFの要素もエッセンスとしてはあるが、本質は科学によって消えていく古き伝統への郷愁というのが感じられる。また今までのSFにはない、意識とは何かという問いかけにも言及していて興味深い。
 
20190704読み始め
20190714読了