ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

年末年始は読書

2011-12-30 02:15:01 | 読書

年末、年始になるとなぜか新しく本を読み始めたくなる。仕事納めがあり、休暇に入る、それも年が変わるという非日常感に気分が高まり、そんな気分になるのだろうか?

そのように本が読みたくなり、ついつい何か面白そうな本はないかと、本屋に足を運ぶのは恒例だが、そういう節目の時に読み始めるからだろうか?その本によってその1年の方向性が決まってしまうような印象がある。暗い本を読めば暗い一年、明るい本を読めば明るい一年というように。

しかし、正月に読んだ本で1年を決められてしまうので、どれを選ぶかは非常に重要である。

小説は結構考えさせられるものが多い。読んで明るい気持ちになる小説に出会ったこともない。だったらビジネス書でも読んでみるか?共感できるものがないし、年明けに出社したときに周囲で各々がばらばらのビジネス書を読んできたのか?しょっぱなのミーティングで今年の抱負を語るときに、自分と方向性の違う話をされたときに、いきなり、そして1年間一線を引いてしまいそうだ。哲学書でも読むか?これはこれで暗い1年になりそうだ。まあ無難に科学書か?これなら明るい未来を予想させ、いい1年になるかもしれない。あるいは気楽に雑誌にしておくか?

結局そう考えて毎年雑誌で落ち着く。

しかし、毎年雑誌ではないか、雑誌といえば正月、みたいな連想になり、マンネリな気がしたので今回は読まないことにした。


「チベット密教の真理」ラマ・アナガリカ・ゴヴィンダ

2011-12-28 04:39:30 | 意識科学

チベット密教の真理 新装版 チベット密教の真理 新装版
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2009-12-11

思えば、なぜか年末年始になると仏教や哲学関連の本を手にしがちな気がする。1992年1月10日に購入して、少し読んだが(163ページ、第3部、第5章まで)読んだ形跡はあるが、内容の記憶はない。1991年11月20日の発売のようなので、発売の近い日に買ったようだが、中身自体はもっと古いようだ(1959年)。今は新装版となってカバーも一新されている。仏教書のようだが、作者はドイツ人というのだから驚きだ。

内容に触れる前に。これは洒落た装丁の本である。これはひとえに工作舎の力によるものだろう。工作舎の本はとても好奇心というのか、所謂マニア心を刺激するデザイン、題材を扱っている。持っているだけで何か満たされるものがある、工作舎にはそんな本が多い。

さて内容のほうだが、完全に理解しているわけではなく、現時点でできる範囲での理解となるが、まずマントラ(真言)についての話である。悟りというのは理屈や説明といったものを超えたもので、感じたり体験すること。考えてみたら「悟り」という言葉そのものだ。勉強して知識を詰め込んで理解するものではなく、共鳴するがごとく「悟る」のだ。それを言葉(というより音声)で表現するとオームというマントラになる。以前は所謂悟りというものは全てを内包した密度の濃いものであると思っていた。つまり四則演算からあらゆる公式、定理を含む究極の集合体である。だから膨大な情報量もつ何かだと思っていた。だからオームという3語でそれら1つ1つを説明仕切れるのだろうか?と思っていたわけだが。

情報の集合体ではなく、むしろ情報が集まった「状態」をあらわしているのではないかと思った。

オームという3語ではあるが、それをただ唱えるだけで悟る―究極の状態を知る、ことができるのか?そうではない。たかが3語されど3語である。本当に悟ったものでないと正しい発音ではない。


サントリー深みの逸品

2011-12-28 01:34:36 | ビール

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いつ発売したのだろうか?セブンイレブンで発見。

値段からしてプレミアムの部類に入るのだろうか。

となるとプレミアムモルツと比較できると言うことになる。
味は濃い。麦芽の味がしっかりしている。苦味が若干あるのと渋味が比較的ある。後味はビールというよりウェハースのように感じる。
トータルとしてプレミアムモルツとは方向性が異なる。クリアで雑味のないところは似ているが、プレミアムモルツがさらっとした印象なのにたいして、こちらは濃厚、濃密という印象だ。飲んだあと、しばらくホップの香りが残存して楽しめる。


なんと「警視庁草紙」

2011-12-25 16:50:36 | 読書

山田風太郎「警視庁草紙」が上巻だけ持っていて、中途半端だと思っていた。

ところが書棚を整理していたら上巻とは離れた場所に下巻があった。

同じ河出文庫版なので、読まないかもしれないが買っておこうと思ったのだろうか?記憶にない。もう訳がわからない。

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本の中を見るとレシートが挟んであって、1994年3月7日の日付で900円、900円の計1800円買っている。つまり上下巻合わせて買っていたということだ。初版発行が1994年3月4日なので発売して即買ったようだ。

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感覚と認識

2011-12-15 02:47:25 | 意識科学

昨夜は布団に入ってから寒気がして、いつまでたっても温まらない。毛布も追加して床についたが震えが止まらない。それでもやっと眠りに入りそうになったが、今度は体中が痛み出して、どの体勢にしても寝苦しい。半分眠気と半分痛みとでうなされた状態だった。恐らく食中毒による発熱だと思うが、そのうなされた状態の時に奇妙な体験をいわゆる悪夢と言うのだろうが、ある目的を達成しようと何度もトライするが、何故か遅々として進まない。思うように体が動かなかったり、頭がついていかなかったり。もっと簡単にできるはずなのにと、もどかしい状態が延々と続き苦しい夢。昨夜はさらに実際に体の方も不調だったのでより辛い悪夢だった。 具体的な内容はというと(夢なのでそもそも具体的も何もなく、理不尽なものばかりだが)何かデータを入力して正しい結果を出力しなければならないのだが、何度やっても思った結果が出てこない。同じ作業をドロドロになりながら延々と繰り返す。そんな内容だった。ところが、映像としては極めて抽象的で、T字型のパイプのジョイントパーツのようなものがあって、T字型ゆえに三又になっているのだが、先ほどのデータが、部品の一つの出入り口から入っていって、その部品の中で処理されて本来なら二つ目の出入り口から出てくるべきところが、間違った結果が三つ目の出入り口から出てくる。パーツはそう言う形のイメージであって、またデータ自体は形の無い物なのだが、雲や水にイメージ化して部品に出入すると言うものではなく、何か入っていくものがあるという、感覚だけがあるというのだろうか。そういうことなので、映像だけでは全く何の象徴なのかは説明不可能である。しかし、自分ではデータ処理がうまくいかないと、認識するのである。

意識の活動というのは、原始的な、感覚だけの層だけがベースにあって、そこに高度な意識が意味づけをするのか。