第二部。サラの新しい相手が、ヘンリーでもなく、私(ベンドリックス)でもない第三者の存在がちらついてくる。その相手に嫉妬し、同時にそんなさらに憎しみを感じる。という二重の嫉妬。しかしここで何となくその第三者が誰なのかわかった気がする。それは、サラのセリフ、「 いとしいあなた、人間は神に会わなくても、死ぬまで神を愛し続けるものでしょう?」
このセリフでピンときて、今週末映画を借りてきてみようと思ったが、小説の楽しみが半減すると思いやめた。つまり小説の方の面白みが出てき始めたといことだ。
特に二部に入ってから感じるが、これは丁度第二次世界大戦真っ只中の話で、こういったスキャンダラスな話のすぐ背後には、戦時の凄惨な景色がチラチラ見えている。そんな風景に何となく切ないような物悲しい印象を受ける。戦争を前面に持ってこないところが余計に際立たせる。
第三部は彼女の日記が続く。神への信仰、そしてそれに対する疑問や不安。それが日々語られる。我々日本人にはその感覚が理解できない。西洋人すべてがキリスト教的な信仰を、何の疑いもなく信じているのだろうか。そして日々、刻々、自分の行動を信仰と照らし合わせて決めているのだろうか。もしそうなら、尊敬すべきと思う。日記にはそんな葛藤が綴られている。
そんな無垢な信仰と、人間の愛情と同じように扱われてはとても太刀打ちできない、と思うのだが?
第三部のサラの日記を見て彼女の自分への愛を確信し、第四部に入ると、突然、現代でいうところのストーカー的妄想と、それに伴う大胆な行動に走り出す。ちょっと異様だ。バカだなと思いつつ、第四部終盤、以前から触れられていたにもかかわらず、まんまと衝撃を食らってしまう。サラが死んだと。
ここからを読みながらイメージしたのは東広島・西条のイメージだ。
第五部の5章。
昨夜、夢を見たよ。私たちみんなの夢を。あまり覚えてはいないんだ。一緒に酒を飲んでいた。みんな幸せだった。目が覚めたとき、彼女がまだ生きていると思ったよ。
という一節。何だか心にしみる。
このセリフでピンときて、今週末映画を借りてきてみようと思ったが、小説の楽しみが半減すると思いやめた。つまり小説の方の面白みが出てき始めたといことだ。
特に二部に入ってから感じるが、これは丁度第二次世界大戦真っ只中の話で、こういったスキャンダラスな話のすぐ背後には、戦時の凄惨な景色がチラチラ見えている。そんな風景に何となく切ないような物悲しい印象を受ける。戦争を前面に持ってこないところが余計に際立たせる。
第三部は彼女の日記が続く。神への信仰、そしてそれに対する疑問や不安。それが日々語られる。我々日本人にはその感覚が理解できない。西洋人すべてがキリスト教的な信仰を、何の疑いもなく信じているのだろうか。そして日々、刻々、自分の行動を信仰と照らし合わせて決めているのだろうか。もしそうなら、尊敬すべきと思う。日記にはそんな葛藤が綴られている。
そんな無垢な信仰と、人間の愛情と同じように扱われてはとても太刀打ちできない、と思うのだが?
第三部のサラの日記を見て彼女の自分への愛を確信し、第四部に入ると、突然、現代でいうところのストーカー的妄想と、それに伴う大胆な行動に走り出す。ちょっと異様だ。バカだなと思いつつ、第四部終盤、以前から触れられていたにもかかわらず、まんまと衝撃を食らってしまう。サラが死んだと。
ここからを読みながらイメージしたのは東広島・西条のイメージだ。
第五部の5章。
昨夜、夢を見たよ。私たちみんなの夢を。あまり覚えてはいないんだ。一緒に酒を飲んでいた。みんな幸せだった。目が覚めたとき、彼女がまだ生きていると思ったよ。
という一節。何だか心にしみる。