「九年前の祈り」
著者初読み。NHKの日曜美術館で司会をしているが、本業が何なのかよくわからない。実際は小説家。どんな作風の作家なのかもわからずどれを一番に読むかもわからない。やはり芥川賞を受賞したこの作品から読むべきか。別の小説の解説で、筒井康隆が「ガルシア=マルケス+中上健司」と評していた。それでもう完全に中上健次やマルケスのイメージが付いてしまった。タイトルも「八年前の祈り」であり「千年の愉楽」「百年の孤独」と響きがダブる。
そういうイメージが付いてしまったため、読み始めると、舞台が大分県で、大分の方言で語尾が「、、じゃ」というのを主人公の母がしゃべっているのを聞くと、品がないようなイメージをもってしまう。しかし、広島弁も同様な語尾を使うので、それを思うと、全く違和感を感じることはない。標準語に置き換えてみればいい。とにかくイメージを取り去って改めて読みなおす。
書かれたのが2014年と思ったより最近なのだ。携帯というのが出てくるし、タブレットでポケモンを、、という言葉も出てくる。ついつい昭和の時代をイメージしていた。
さなえが公務員の20歳くらい歳上の男と付き合う。男の妻は死別。子供は3人いた。だいぶ関係が深くなり男の家族と食事の機会になる。死んだ妻と家族の思い出の店だろう。何の問題もなかったが、それを機会に男への興味が冷めた。子供は女、女、男で次女と目があったときの冷めた感じがきっかけだったのかもしれない。
海外行きの飛行機で横に座ったみっちゃん姉の記憶が繰り返される。同じ飛行機のどこかで絶えず聞こえてくる子供の泣き声。同じ年頃の子を持つみっちゃん姉がかばおうとしている。しかし記憶をたどると横に座っていたのはジャックであり、みっちゃん姉ではない。この曖昧な記憶が読者を不安定な気にさせる。カズオ・イシグロの「遠い山なみの」を思い出した。因みにこのみっちゃん姉の息子が、病気で大学病院に入院した。そして、さなえの息子の希敏は自閉症?である。
カナダに研修に行った一行。カナダの街がきれいなのは、ゴミ収集のシステムがしっかりしているということから、みっちゃん姉の旦那と息子がゴミ収集業をしている。公務員ではなく、委託された民間業者。怪しい出来事。ゴミ収集していると、猿の死体があった。それに触れた手でみっちゃん姉の子供を抱っこしたのが妙な因縁がついたのではないか。
ブログという単語を思い出すのに、フロク、ブラクという単語。
息子に対する、引きちぎられたミミズのイメージ。
さなえは母から蔑まれれいるように感じ続けている。重箱の隅をつつくように、隙をみつけては嫌味を言う。ひどい親に思える。
みッちゃん姉の息子の状態が悪いと言うので見舞いに向かう船の中で、研修に行ったときの思い出が重なる。2人のおばちゃんが迷子になる。さなえの息子の希敏けびんに何か起こるのではという不安感。カズオ・イシグロの遠い山なみの光と重なる。一緒に海外研修に行ったおばちゃんたちの、内面的な表現ではなく、おばちゃんという記号化された様子が、森敦の月山のような土着的な雰囲気もある。
何だかんだ前衛的な話ではないかという先入観を持っていたが、思い返すと正当な芥川賞受賞的な文学的雰囲気だったかもしれない。
「ウミガメの夜」
一平太と徹と雄真の三人は海にドライブしウミガメの産卵を見ていた。不思議な感覚の話だ、時間感覚が分からなくなる。遠い昔の回想なのか先ほど起こった現実なのか混乱してくる。舞台は○○じゃね?という語尾から2020年辺りと最近のように思われるが、どうも古い昭和を思わせる。一平太の母は脳腫瘍で入院しているが、そんなさなかに旅行をしようと持ち掛ける。昔の記憶でごく短い間だけ祖父母の家に泊まりに行ったことがある。その時の記憶では祖父母のことよりタイコーさんという知り合いの人の方が印象に残っていた。その人が母親と同じ病気で入院していると聞いて、祖父母の家があったと思われるところへ旅行に行くのだ。それらしきところにはたどり着いたが、どうもはっきりしない。老人と老女と会ったがそれが祖父母なのかもはっきりしない。一平太も記憶があいまいだし、老人の方も認知症(?)なのかはっきりしない。このあいまいさが読んでいて落ち着き無さを感じる。
「お見舞い」
日高誠は50代でアルコール依存症となっていて役所も辞めている。父親はまだ存命だが愛想を尽かし絶縁状態。トシだけがたまに様子を見に来て掃除をしたり、妻が作った食べ物をおいて帰る。妻には反対されてるが焼酎も置いて帰る。日高誠はトシのあこがれの存在だ。トシの実際の兄たちはトシをよくいじめた。それに対して日高誠は本当の兄のようにかわいがってくれた。勉強もでき東京の大学へ行き、地元の役所に努めたが、いつしか落ちぶれていき、トシも付き合ってはいるが、子供のときに感じていたような尊敬はなくなっていた。今ではさらに落ちぶれ、廃人のようになってる。
やはり時間や場所が飛び飛び。過去の思い出が普通に出てきたり。ここであの3人の大学生が出てくる。一人の母親の容体が悪く、すぐに東京へ帰りたいが、レンタカーが故障し、トシたちのところへ駅まで送って欲しいと峠を歩いてやってきたのだった。はじめ電車で帰ろうとしていたが、飛行機で帰るよう言うと、空港まで送ろうと言う。トシはその送る途中の車で同級生の伽のことを思い出す。兄からの仕打ちを伽に同じようにしていたこと。意味もなくグランド千周走らせ、そのまま捨てて帰った。途中で、日高誠と会い、自転車の後ろに乗せてもらい帰っているときに伽がまだ走っているのを見つけた日高誠は誰の指示で走らされているのか問いただしやめさせた。まさかトシは自分が指示したとも言えず気まずい雰囲気になる。ろいう思い出。そしてその道中日高から電話があり、トシが今朝、大学病院に見舞いに行った相手というのがトシであることがわかる。日高も一緒に行きたかったとのこと。しかし行っても面会不可ということを教えられ、しっかりするようにと伝えておいてくれと頼まれる。しかしトシはそれは逆に伽から日高にそう言われるだろうと、複雑な笑みを浮かべるのだった。
暗い話だが、ある一面では明るい、能天気さがある。そしてどこかしら優しい。一番読みやすい面白い話だった。
「悪の花」
75歳になった千代子。足が悪くなった自分に良くしてくれる40代のタイコー(大公まさきみのあだ名)。タイコーはミツの息子で、足が悪く墓参りに行けない千代子の代わりに墓の世話をしてくれている。千代子はひと回りも年上の男と結婚したが、子供ができないため義母から離縁されてしまう。元夫のはじめの妻も子供ができず離縁されていた。その元妻は実家に帰ったが、やがて首をくくって自死した。やがて元夫も死んでしまう。まじない師の血を引く義母が千代子にまじないをかけたのではないか。それから千代子の周りには様々な花が咲くようになる。種は違えど、全て悪の花だ。タイコーは墓に咲く花がとってもとってもすぐ生えてくると言っていた。それ以来タイコーは姿を見せなくなった。悪の花のせいではないかと考える千代子。実際は重い病で大学病院に入院したと聞く。ざっとこういう話だが、全て千代子の妄想ではないかと思われる描写で、そもそも認知症になった千代子の不確かな意識の中での妄想ではないかと思われるのだ。焦点の定まらない雰囲気が流れている。
「九年前の祈り」
20210823読み始め
20210831読了
「ウミガメの夜」
20210910読み始め
20210913読了
「お見舞い」
20210924読み始め
20210924読了
「悪の花」
20210927読み始め
20210927読了