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ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「播磨灘物語」司馬遼太郎

2025-05-21 00:05:38 | 読書

第1巻

黒田官兵衛の話になるのだが、司馬遼太郎らしく冒頭から、先祖の話に興味が出てきてそちらをまず記したいとして、しばらく黒田官兵衛は登場しないと宣言している。

黒田家の祖先ははっきりしていない。曾祖父の台までは滋賀県の木之本辺りに黒田という土地があり、そこに住んでいたようだ。地図を見るとまさに木之本駅の周辺で、つまり「七本槍」の酒を造る冨田酒造がある。一度訪れたことがあるので地理をイメージできる。七本槍という名の通り、賤ヶ岳の戦いの場所でもあり、木之本駅と余呉湖との間に賤ヶ岳はある。また古田織部の義兄である中川清秀がこの賤ヶ岳の戦いで討たれており、その墓がやはりこの土地にある。

曾祖父の孝政の時に備前福岡へ移ってくる。誰かに仕えると言うことはなく、歌の会の審査員のような、教養のある仕事をしていたのではないかと作者は推測している。都と違い備前では下克上が甚だしく、赤松氏→浦上氏→宇喜多直家と守護が変わっている。祖父の重隆の時になると浦上氏の者が略奪をし出し、一介の牢人である重隆も身の危険を感じるようになり、備前福岡を立ち退こうとする。

間は省くが、官兵衛が出てくるのは4分の1が過ぎた頃。それまでは曾祖父から父である兵庫助までの話で、しかしそれも面白い。大河では片岡鶴太郎が演じていたが御着の小寺藤兵衛政職だ。政職は藤兵衛と官職っぽくない名前である藤兵衛と呼ばれることに違和感を感じていない。そんな小寺は黒田(祖父である重隆)辺りから厚く重用する。父の兵庫助は筆頭の重臣だ。一介の牢人である黒田をそこまで重用する小寺に人のよさを感じた。一方黒田は、浪人らしからぬ武家としての気品があるようだ。また農民から信頼されているところが他にはない。

官兵衛は父に、京都に遊びに行きたいと頼む。いわば社会見学だ。従者は栗山善助。善助もこの頃はまだ子供だ。

官兵衛はキリスト教に興味がある。中国やインドとはまた違う進んだ文化を持つだろうローマに興味があった。しばらく、京都におけるキリスト教の話が続く。九州では島津を除いて比較的キリスト教は受け入れられたが、京都では天台宗の比叡山、真言宗の東寺、臨済宗の五山が幅をきかせていて、キリスト教の普及が邪魔されているようだ。ザビエルの話も出てきたが、この頃はビレラが布教している。官兵衛は興味をもち会いたいと思う。そして実際会うと偉そうにしているわけではなく、この国における仲間を求めている眼差しに気づくのだった。次第に官兵衛は教会に通いだし、善助はそんな官兵衛に自分の人生が心配になる。そこで官兵衛はおもんばかり、これは数寄のようなものと説明する。(数寄というと物好きとか趣味程度の意味だが、作者曰く茶道における数寄とは命を懸ける場合もあると解説している。色々茶道の小説を読んできた上で思うのは、作者はあまり茶道に対して深く思想的なものはもっていないのではないかと感じ取られる)

官兵衛は将軍足利義輝を軽んじるというか、ここまで権威が落ちたと感じている。その頃の京の情勢は、将軍は弱くなり三好長慶や松永秀久が幅を利かせている。キリスト教の布教を許した義輝、法華宗の後ろ楯となる松永秀久という図式。やがて義輝は松永に殺されてしまう。身の危険を感じていた義輝は自分を守るために剣の修練をし剣豪と呼ばれるまでになったが、作者からすれば、剣術というのは歩兵のたしなみであって、将軍ほどのものが極めるものではない。そこまで地に落ちていたと手厳しい将軍と言っても軍隊をもっておらず20人ほどの幕臣が周りにいるだけ。和田惟政を始め、細川藤孝、高山右近などの名前も出てくる。京都でのキリスト教の教会では和田と親しくなる。そしてキリスト教らしく、神のもとでは誰もが平等という事で、こういった幕臣公卿たちと対等に情報交換出来る。和田のはからいで官兵衛は義輝に拝謁する機会も得た(ただ姫路に帰ったときに小寺藤兵衛に知られ、自分を差し置いて将軍に拝謁したと言うことは自分に叛旗を翻そうとしているのかと疑われた)

和田惟政と知り合った縁で、将軍義輝が死んだあと、後継者にと義昭(当時は覚慶という僧だった)を確保したが、どうすればいいか官兵衛に相談する。それを聞いた父兵庫助は、何と大それた事をしようとするのかと驚く。「天下いじり」と、独特な言葉。義昭(ここでは義秋)に関わるのは大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀だったので混乱する。将軍など何の力もなくなった時期、細川藤孝が義秋を盛り立てて将軍職を復興させようとする(和田惟政もそうだ)。藤孝も乗るか反るかといった心境だろう。官兵衛は小寺藤兵衛から奇跡的に将軍を助けることを認められ和田を頼って義秋に近づく。当の義秋は僧に身をやつしていたが、根は貴族としてのプライドが染み付いており、天上人然としており、いけすかない。大河ドラマ「麒麟がくる」で滝藤賢一が演じていたのとは異なる(とは言え最後には慢心がでてくるのだが)

p199、他人のものを奪って自己を肥大させてゆきたいというのが乱世の剛強たちを動かしているエネルギー。核心だ。

和田惟政はいたく官兵衛を買っている。いい男だ。つまり俠気があるということろ。恐らく「椿三十郎」で主人公を高く買う仲代達矢のような感覚。そんな官兵衛が地方の小さな侍にしては高額な百貫文という金を献上しようと義秋の元を訪ねてきたのに、義秋は自分が貴種であるからと当然のごとく振る舞う姿に藤孝は少し失望する。

義秋は調子に乗る。朝倉義景は現状維持。信長は当時ちっぽけだった。そのまま死んでいれば、粋盛な奴がいたと歴史で語られるところだったろう。当時いた、上杉謙信武田信玄からすると戦では目立たない。しかし政治的能力は優れていた。義秋(既に義昭と名乗っている)が自分に恭順してきたことを利用し、京に向かう。そのためには近江の壁である浅井氏がいる。その浅井氏にたいしては自分の妹お市嫁がせている。そういった根回しを怠らなかった。

義昭は自分に尽くすようにと、各地の有力者に文を送っていた。播州の方面には別所氏に送られていた。しかし、同じ地方にいた小寺氏(官兵衛が家臣である)には届かなかった。細川藤孝や和田惟政とあれだけ懇意にしているにも関わらず。官兵衛は失望する。

義昭を将軍にたて、信長は京を目指す。松永秀久はあっさりと信長に恭順する。官兵衛はそれに追随したい。小寺藤兵衛は官兵衛を祝賀使としてだけ遣わすことを許した。しかし官兵衛は参戦するつもりでいた。途中で杉生勝兵衛という野武士を味方に加える。その頃はそういうことがよくあったらしい。普段は野仕事をしているが、一旗揚げようとより身分のありそうな侍に従う。官兵衛もそうだったではないか?

信長を頼った義昭だが、急速に両者の関係は悪化する。義昭は信長を退治しろと全国にふれを出すくらい。細川藤孝は信長に翻ったが和田惟政は残り討たれてしまう。信長は義昭を追放するその義昭を毛利が受け入れ、鞆の浦に庇護したそれほど義理がたい。

御着では小寺家は織田につくか、三好につくか、毛利につくか迷っていた。官兵衛は断然織田だった。押しきられる感じで小寺藤兵衛は官兵衛を、現在織田の家臣になった松永久秀に遣わせる。何かあったら官兵衛を切り捨てればいいくらいに考えていた。

松永のもとにいくと、まず高山右近というキリシタンに迎えられる。場内にはいると今度は中川清秀に案内される。そして松永久秀は玄関まで出迎えていた。

第2巻

この頃勢いに乗る織田と、西の毛利という2大勢力の狭間にいた播州の面々はどちらにつくか決めかねていた。織田と毛利は対立はしていたが、緩く均衡も保っていた。官兵衛の発案で信長が上洛したタイミングに合わせ、播州の小寺、赤松、別所の三家が信長に面会した。しかし信長からしたら、いずれもパッとしない印象だったようだ。信長公記でもさらっと流されている。

秀吉が中国攻略の足掛かりに、官兵衛のいる姫路に乗り出す。官兵衛は自分の姫路城を始め町自体を秀吉に差し出す。自分は父、宗円のいる国府城に移る。小寺藤兵衛は何か釈然としない感情を抱く。

秀吉が播磨に乗り込んでくる辺りで、官兵衛は竹中半兵衛と知り合うらしい。半兵衛のエピソード、木下昌輝であった。この頃半兵衛は誰からも見下げられていた(今でいういじめ)門の下を通ろうとしたら上から小便をかけられる。というのはあった。

それよりも半兵衛は城を取るというより、自分の知略が優れているということをアピールしたい。官兵衛も同族だ。新しい種族だ。半兵衛は秀吉にしたがって播州に来たが自分と同様な人物がいるということに気付く。

加古川評定の章。信長側の総大将として秀吉が播州に乗り込んでくる。しかし小寺藤兵衛しかり、別所長治の叔父であり家老である、山城守賀相も秀吉が百姓の出であることを軽んじている。そんな秀吉を総大将にする信長も信用できない。

評定の場、秀吉が上座、播州勢は遠くはなれた下座という位置関係に播州勢特に別所賀相は不満でならない。秀吉から何か策があるかと賀相に水を向けるが、着いてきた三宅治忠にそのままそっくり振る。すると治忠は知ったかぶりの訳のわからない長口舌を始める。困った秀吉は途中で止め、自分の指示に従ってくれればそれでよいという。それに侮辱されたと感じる別所だった。この場面まるで見てきたかのような、秀吉と別所の心情が綴られる。

官兵衛の妻であるお悠の兄は棚橋左京亮で、三木にいる以上織田にはつけず別所に加担せざるを得ないという、小寺藤兵衛はその動きを見てやはり自分も別所、毛利につくべきではないかと不安になる。いっそ官兵衛に織田につくのをやめると言おうとしていたら、官兵衛から宇喜多直家が織田につくかもしれないと言われる。そうなると話は別だ。西側は毛利に接しており、その毛利の外様である宇喜多が織田に付くとなればだ。

別所は完全に織田に敵対の構え。別所賀相がねちっこく織田(つまり秀吉)に反発の構え。さて秀吉と官兵衛が考えるのは別所よりも毛利だ。別所は無視して毛利に構えたいしかし秀吉の率いる7500では足りない。織田に援軍を求める。その役目は竹中半兵衛が請け負う。そして信長の援軍が来たはいいが、それを収容するだけの城が播州にはない。そこで秀吉は官兵衛に尋ねると書写山がいいという。書写山とは大阪から広島に向かう途中にあるトンネルの名前が書写山だ。平安中期に性空というものが開山し円教寺を建てた。花山上皇がわざわざ山上まで足を運んだらしい。花山上皇と言えば昨年2024年の大河「光る君へ」で本郷奏多が演じていたのは記憶に新しい。

毛利両川(もうりりょうせん)という、吉川元春と小早川隆景。毛利の戦は両者の合議で成る。吉川は冒険を好み、小早川は重厚さを好む。

織田家の将領級のもの6人。譜代の柴田勝家、丹羽長秀、牢人出身の滝川一益、明智光秀、そして荒木村重、羽柴秀吉。秀吉は他の将からは軽く見られている。そのため秀吉が指揮を取っているとはいえ誰も従わない。その苦悩が見える。山中鹿之助は織田に従い、上月城に入るが毛利に攻められ危うい。山中鹿之助を見捨てれば織田の信用がなくなる。秀吉は何とか上月城を助けたいが、仲間の誰もが助けてくれない。信長自身もなかなか出てこない。寧ろ逃げているようだ。勝つ自信のない戦には参戦しないのだ。信長のセコさが細かく書かれている。

困窮した秀吉は百姓の格好で陣を抜け京の信長のもとに行く。そこで、自分では諸将に命令することができない、信長自ら出陣して欲しいと頼んだ。しかし信長は上月を捨てて他の城に注力するよう命令する。

竹中半兵衛の子の重門は後に豊鑑(とよかがみ)の筆者になる。

秀吉は上月に使いを送り信長の言葉を伝え、尼子と山中に織田に合流するようすすめたが、毛利の包囲網を掻い潜ることは叶わないと諦め、70数日の籠城の果てに尼子勝久は切腹する。山中鹿之助は吉川元春と刺し違えるつもりで降伏したが、それも叶わず謀殺される。

三木城を攻める織田軍、圧倒的兵力だが力押しはしない。兵力を見せつけるだけで圧倒する。同時に神吉城と志方城も攻める。志方には官兵衛の妻の兄である櫛橋左京亮がいたので、官兵衛が予め信長に命乞いをしていた。そのため城は落ちたが命だけは助けられた。その後櫛橋の一族は官兵衛の家臣団に加えられたとのこと。

敵軍が攻めても待てという、敵が城壁に取りつくまで。いよいよ張り付くと攻め始める。そして城門を開き300人の突撃隊を突出させる。その指揮者は子飼いの母里太兵衛だ。大河では速水もこみち演じていた。

信長は後々利益になるものは受け入れるが、そうでないものは徹底的に潰す。荒木村重は前者で、宇喜多直家は後者だ。秀吉はしかし直家を懐柔させようとしている。

結局三木城では毛利が勝利したわけだが、宇喜多直家は病気のため参戦せず、しかし小早川隆景と吉川元春が帰国する際に岡山に寄ってください、酒でもてなすと誘った。両者ともにそれを受けたが、その時になると岡山を避け広島に帰ってしまった。というのは直家は両者を迎えたら謀殺し、織田に寝返る手土産にしようとしていた。という噂を聞いたからだ。直家恐るべし。

荒木村重の章。信長主催の茶会で起きた事件。信長が脇差しでなますを刺し村重にいかにと問う。村重は口でなますを引き抜き食べた。屈辱を与えられた事件。この頃から村重に謀反の気が涌いてくる。同じ頃、宇喜多直家が織田に寝返りそうな気配が見えてくる。宇喜多の家中は信用ならない。秀吉に使いさせるそのような人物がいない。使いのものが毛利への手土産として裏切る可能性がある。そこで抜擢されたのは、商人の倅である、小西行長のようだ(まだ武士になっていない?)。信長は村重を失うことを恐れ、明智光秀らを説得にやる。安土に行って直接釈明すればいいと説得され、そうしようとした。しかし、途中で中川清秀に、それは罠で、安土に入った途端殺害されると諭され、村重は伊丹に引き返す。

第3巻

官兵衛は織田につこうとしているが小寺は毛利につこうとしている。その対立。官兵衛は少年の頃からの小寺への恩があるためなんとしても説得して織田に付きたい。小寺は、織田の義もなく信もないことに不満がある。荒木村重は織田を見限り、小寺は荒木を助けようとしている。

荒木を説得しようと官兵衛は伊丹に向かう。しかし、いきなり捕らえられ牢に入れられる。小寺からは官兵衛を殺すよう頼まれていたが、それに忍びず投獄し、衰弱死させようとしたのだった。日もほぼ当たらず、湿気の多い劣悪な環境だ。まあ刑務所ではないのだから、はじめから生かすことは考えていない設計だろう。

官兵衛は荒木村重に寝返ったと疑った信長から、秀吉に人質として預かっている松寿丸を殺すよう命令が来る。信じられない秀吉が悩むまもなく、竹中半兵衛は自分がこの件を請け負うと返事する。宗円(官兵衛の父)はこの場合息子ではなく孫(松寿丸)を選んだ。

中川瀬兵衛に対しては信長は荒木と手を切り自分につけば処遇を厚くすると申し送った。高山右近は、信長に従わなければ日本中のキリシタン宗門を断絶させると脅された。また荒木にも自分の長男と妹たちを人質に預けていた。苦しい板挟み。右近の葛藤が凄まじい。当然と言えば当然。官兵衛の場合と同様、父である飛騨守(洗礼を受けてダリヨ)に家督を返し縁を切って世を捨てた。そしてダリヨは村重に会い、人質を返してほしいと涙ながらに説得して、人質を返してもらう。

高山右近は完全に自分を捨て信長に対面し高槻城を明け渡した。元々高山右近を重視していた信長はそれに安心し、右近の領していた2万石にさらに2万石を加増したという。それに対して官兵衛への扱いはゴミみたいなものだった。

p94。すごい。竹中半兵衛は美濃国不破郡菩提山に城を持っていた。現代にしたら、実家が資産家で自分は会社勤めしているが、会社に身を埋めることもなく、何ならいつでもやめてやるくらいの心持ちだったこと。その半兵衛は、自分と共感を感じる官兵衛の息子である松寿丸を殺さず、菩提山に連れて匿おうとしていた。秀吉の妻にそっと伝えただけで松寿丸を連れ出した。実は菩提山辺りは半兵衛の土地で関ヶ原もそこに含まれる。松寿丸は関ヶ原を通ったし、後年黒田長政となり、関ヶ原の戦いを迎えるが、あっさりと徳川家康についたところ、秀吉に何の恩も感じてなかったのではないか。むしろ悪意さえ持っていたもではないかと作者は推理する。

p99。古田左助(後年の古田織部)が登場する。無論中川清秀の親戚として、清秀を調略する役目で登場する。

p104。反乱した荒木村重。この心境が面白い。村重は織田氏と断絶するとき、毛利や本願寺と密約を結んでいた。しかし結局は裏切られた。こんなのはまさに今の我々ではないか。契約書に匹敵するほどの約束を交わしていながら、土壇場で「何のこと?」と反古にされ、こちらは立場を失う。何のための契約書だ。相手に履行させられなかった自分の技量のなさを責められる。しかしそれはただの運だ。

栗山善助は官兵衛の消息を探り、牢まで忍び込み、周囲の状況を知らせる。そうして周りと関係を保つことでいきる希望を持ち続けた。また、牢の庇から垂れる藤を見て占いをし花が咲けば自分は生き残るだろうと執念を燃やす。この執念の描写は司馬遼太郎には珍しい。ただ山田風太郎の描写からすると、上品ではある。と思った。

明智光秀は丹波の波多野氏を攻めていた。秀吉の援軍によって波多野氏を負かした。一族を捕らえたが光秀は殺すつもりはなかった。しかし信長は安土に連れて磔にした。この信長の残虐な行為は光秀がしたものと世には写ったと言うので、とんだとばっちりだった。

牢に入れられた官兵衛は、監視の加藤という下級武士に村重と話がしたいので取り次ぐよう頼む。加藤は下級過ぎて村重に伝えるまでに多くの上司を経由しなければならない。しかし村重が毎朝弓を引く習慣があることを聞き、その場に向かう。官兵衛が面会を求めていることを訴えるが、村重は答えなかった。面会はしないが、手紙を寄越すことは認めた。その事を加藤は官兵衛に伝えたら、牢屋生活の疲労からか、このままで村重は滅びるところ、自分がいい案を示そうとしているのにそれを聞き入れないことに、通常なら見せない怒りを露にする。これで思い出すのは大河ドラマ。官兵衛を演じる岡田准一がよく怒っていたことを思い出す。(軍師だからか)なんと上から目線なのかと思っていたが、牢獄生活の疲労から苛立っているということだったのかと気づく。加藤は官兵衛に紙と筆を差し入れる。しかし、文字として残すことで証拠を残してしまうこと危惧した官兵衛は手紙を書かなかった。

村重は1年籠城したが、毛利はいよいよ助けに来ないことが明らかになった。部下たちを説得しても虚しいだけ、やがて村重は精神状態がおかしくなったのだろう、疑心暗鬼になり、侍大将の誰かが自分を殺し、それを土産に信長に寝返るのではないかと考えるようになった。新五郎村次という長男がいるが、これも部下たちにそそのかされて、父である自分を殺すのではないかと疑う。そんな疑心暗鬼が極まったとき、村重は5、6人だけ連れて逃亡した。

妻子、一族を捨てて逃げた村重。自分が助かりたいという感情であったか。しかし作者は違った解釈。妻子一族を殺した信長の残虐性を指摘し、また村重に対しては、いつまでたっても助けに来ない毛利に、自らがたって、毛利を呼ぼうとしていたのではないか。通常なら、部下が毛利の元に行き、説得をするわけだが、村重自ら説得しようとしたのだ。そこまで追い詰められ、また、精神的に追い詰められていた。

後日譚だが、信長を裏切った小寺藤兵衛は毛利からも受け入れられず放浪していた。後に官兵衛が信長に頼んで許しを請うたが拒否され、命だけは助けてもらった。本能寺の変の時期に藤兵衛は病死した。息子の氏職を客人格で官兵衛は受け入れた。同様に秀吉は荒木村重をお伽衆として受け入れた。

四国をどうしようかという時期、官兵衛には浄金という話友達がいた。播州の野口氏だが出世欲もなくただ官兵衛と馬鹿話をするだけだったらしい。そう言う言う相手も必要だ。しかし、謂わば官兵衛の参謀と言ってもいいくらいの人物だが、あまり知られていない。

第4巻

まだ毛利攻めが続く。

宮路山城と、冠山城を攻める。冠山城は亡き宇喜多直家の残党が攻める。圧倒的な力攻め。それに対し宮路山城は官兵衛と蜂須賀が攻める。と言ってもまずは降伏を進める作戦。しかし、城を守る乃美は簡単には受け入れないだろう。ただ織田の強さを知っているので勝ち目がないことも分かっている。これは司馬遼太郎の後付けかもしれないが、城を攻める際に明確に陣の一部を空けた。そうすることで乃美が逃げやすくする。つまり毛利に義理を保ちつつ、逃げることができる余地を作ったと言うことだ。この辺りが軍師たるゆえんに思える。

毛利は大河「鎌倉殿の13人」で知った大江広元が発祥らしい。

秀吉は子がなく、信長の第四子で15歳の於次(おつぎ)を養子に貰っていた。独裁者は天下統一を果たすと部下に与えた領地が惜しくなる。するとそれを返せとは言えず、難癖をつけて断罪し土地を取り上げるものだ。そこで養子を貰うことで断罪されるのをうまくかわした。

備中高松城の水攻め。官兵衛は秀吉が刀や槍でなく、土木で戦う人物に見えた。

毛利側も輝元を始め、小早川隆景や吉川元春が出陣してきている。兵数は同等であり、戦端を切れない。高松城主の清水宗治を助けたいが、それによって秀吉軍と小さからず戦になり損害は大きい。さらに信長の率いる軍がやって来たら敗北は必至。清水宗治を見捨てたいところだが、情に厚い隆景は、宗治に使いを出し、信長に寝返るよう伝えた。しかし宗治は三木城の別所長治のように、自分一人が腹を切り、家来は助けてくれるよう交渉してほしいと申し出る。その事でまた迷う隆景だった。そしてそれを交渉すべく、安国寺惠瓊が秀吉の陣営に使いされる。ただ総指揮者である秀吉が直接応対することはなく、官兵衛と蜂須賀小六が応対する。

清水宗治は家来の安全を保障に自分は喜んで腹を切る。ただそれだけなのに、両陣営の思惑や、筋や、対面など形にこだわってなかなかスムースにはいかない。こういっためんどくさいゴチャゴチャは司馬遼太郎ならではの創作かもしれないが、いつも思うが、この戦国時代の形式にこだわるところは、近代で言うところの極道の世界と同じようなものではないか。さらには、大企業、中企業の世界にも通じる。そう考えると、武士の道はある意味美徳とも思えるが、形式ばかりで馬鹿馬鹿しくも思えてくる。

宗治の家老、白井与三左衛門治嘉は、左足を負傷した。宗治に切腹したい旨頼んだ。宗治は死ぬのは自分一人でいい、その事に意味があると説得した。しかし治嘉は、そうではなく、腹を切ることは大したことではないと伝えたかった。そしてそのまま腹を切る、宗治に介錯を頼む。

秀吉は穏便に済ませたいが、信長が参陣してくるとなると、それではすまない。信長は和睦など考えておらず、毛利絶滅だ。そこで宗治を切腹させることが妥当な結論と考える。秀吉、信長、官兵衛、毛利の駆け引きが「城塞」の家康、正純の狡猾なやり取りと被る。多分司馬遼太郎の見せ方なのだろう。

結局、毛利方の折衝役で、のらりくらりの狡猾な狸の惠瓊との交渉で、宗治を切腹させた。実はその直前に信長が明智光秀によって本能寺で討たれたという情報が秀吉の元に届く。ここでは官兵衛は秀吉に「あなた(秀吉)が天下を取る時です」などと耳打ちはしない。信長が死んだことで、宗治の切腹により和睦した。

毛利側は本能寺の事は知らない。1日遅れで知った。宗治を切腹させたことが悔やまれる。今なら秀吉を追いかけて攻めるべきと考える吉川元春。ここは秀吉に仕えるべきと考える小早川隆景。この兄弟でのやり取りが面白い。あくまでも毛利側の内情を描いている。信長のことは遠くで起こった出来事程度の扱い。

因みに吉川元春と息子の元長が強硬派だが、関ヶ原で登場する広家は元長の弟だ。この時は年若く、冴えない人物だ。

敗者は主将を戦場から逃れさせるもので、主将は逃げるわけではなく、城に帰りそこで自裁するのだという。光秀も坂本城に帰ろうとしていた。

光秀は敗れる。勝者は敗残兵を追い、兜首を得ようとするが、官兵衛は美徳としてそれをやらなかった。

明智光秀に関してはネガティブではないしポジティブでもない。ただ事実をのべているだけ。思ったのは、明智光秀本人の言葉がほぼない。客観的な視点で述べているだけだ。従って、明智光秀の人格はわからない。作者がどう思っていたかもわからない。恐らくそれが作者の考えなのだろう。書かれた当時は明智光秀は主君を裏切り殺した非道な人物だと一般的には思われていた。しかし、それを否定はせず、また肯定もしていない。つまり逃げたといえる。当時の時代背景が見えて興味深い。井上靖は好きな作家だが、明智光秀に対しては否定的。しかし井上靖の時代は否定的な世論が強かったに違いない。

本能寺以後は官兵衛の役割も少なくなる。秀吉は内政を重視し出す。そう考えると官兵衛が重視されたのは毛利攻め、播州での工作の時だけだったのかもしれない。急速に石田三成が重用されだす。奉行衆がいつの間に台頭してきたのか、あまりにも突如出現したかのように感じる。

坂口安吾の「二流の人」でもあったが、朝鮮出兵の際、石田三成が訪ねてきたが、囲碁の途中だったために後回しにしたらそのまま忘れてしまっていた。怒った光成は秀吉に言いつけるのだが、坂口安吾の小説では官兵衛をかばう。こちらでは怒りを買ったようだ。

官兵衛には子が一人、長政だが、養子みたいな感じで子を世話していた。それが後藤又兵衛。官兵衛は長政より又兵衛の方を買っていた。むしろ長政には何の期待もしていなかったところが不思議なところだ。いずれ家康と三成は関ヶ原で衝突するだろうと予言していた。官兵衛は九州で兵を立ち上げて、関ヶ原の混乱に乗じて天下を取ろうと画策していた。しかし官兵衛の予想に反して関ヶ原は1日で決着する。家康の勝利に大いに貢献したのが長政だったので官兵衛は複雑な気持ち。この場面は同著者の「関ヶ原」でも少し触れられている。この小説に置いて官兵衛は初めは近代的な思考の持ち主であることから変わった人物だったが、関ヶ原以降は完全に変人だ。著者もこの頃の官兵衛の考えが理解しかねるのか、心理描写は減り、事実だけを述べるに留まる。

 

第1巻

20241028読み始め

20241215読了

第2巻

20241228読み始め

20250217読了

第3巻

20250222読み始め

20250402読了

第4巻

20250404読み始め

20250520読了


「勝手に生きろ!」チャールズ・ブコウスキー

2025-02-09 20:08:22 | 読書

「パルプ」のようなキャラクター。何かと角の立つ物言い。すぐに仕事をやめる。

1つの章が短くてテンポがいい。「パルプ」と同じで、仕事の募集に応募する。適当な返事をしているがすぐに採用される。そして酒場に行き、飲みながら仕事をしたり、仕事が終わって飲みに行ったり、そこで店員や客と喧嘩をする。仕事もすぐにやめる。そして引っ越ししまた仕事に応募する。というパターン。いろんな仕事がみれるのが面白いし、このワンパターンが面白い。

自転車工場の話。マネージャーのハンセンさんはウィスキーのにおいを消すためのクロレッツで舌が緑色になっていた。この時代からクロレッツがあるとは。日本での発売は1985年だがアメリカでは1952年から売られている。

自転車部品問屋をクビになるときのセリフ。俺はあんたに自分の時間をやった。俺があんたにやれるただひとつのもの。誰もが持っているものを。時給たった1ドル25セントで。まるでマルクスのようだ。

ジャンとの付き合い。競馬に行って新聞紙で場所取りをしていたのに見知らぬ爺に取られている。金持ちらしい。ジャンはその爺に色気を出す。競馬に負けた怒りから、その爺を床の隙間から地面に突き落として殺害する。帰って泥酔する。目覚めたらそれは夢だった。そして何となくジャンと別れる。

ジャンとの奇跡的な再開、蛍光灯の取り付け器具会社に就職するがすぐにクビ。

この仕事に対する執着のなさ、ちょっとでも自分に合わないと感じたら、ある意味素直にできっこないと雇い主に宣言する。日本ではそれでも食いつこうとしたり、義理を果たそうとするが、どっちが自然なのだろうか?自然なのはチナスキーだろう。しかし日本では妙な風習がある。

そんなチナスキーがクビを残念がった仕事は、第二次世界大戦中、赤十字の仕事で、血を集める仕事に就いたときだった。道を間違えさ迷った挙げ句2時間15分遅れて着いたときクビになった。その頃は真面目だった感じがする。

時代的な背景もあるだろうが、職にありついたと思えば、すぐにクビになる。何でそれをするんだ、と馬鹿馬鹿しく思うこともあり、世の中に反抗しているようにも見えるし、世の中に諦めているようにも見える。自分は作家なので、作家が本業なので、バイトのような感覚なのだろうか。文章を書いている場面はないが、仕事に対する執着はない。自分もそんな態度で仕事に向かってみたいところだが。

様々な仕事に就くエピソートが続く。面白いのはクライマックスらしいくらいマックスはない。淡々としたラストだ。

 

20241217読み始め

20250209読了


「ゼロからの「資本論」」斎藤幸平

2025-01-19 14:21:04 | 読書

商品に振り回される。

ダラダラしている人に言う。真面目に働いて金を稼げ。←では稼いだ金をどうするのか?稼いだ金で引退後は悠々自適でのんびり暮らす。←(ダラダラしている人)それをまさに今自分がやってるのだ。

引退後にするか今するかの違い。

あらゆるものを商品にしようとすることが資本主義。今まで普通に使っていたもの(水道水)これをミネラルウォーターとして商品化し金を取る。

資本主義以前の労働は、人間の欲求を満たすための労働。食欲を満たすために野菜を栽培する。自然から身を守るための衣服。

貨幣というものが登場する。貨幣は腐らないし、好きなときに好きなものに交換できる。

価値、と、使用価値、この違いを、まず理解しないと読み進めるのが困難になる。

P68。資本家は労働者を1000円で雇う。その労働者が1800円の仕事をする。すると資本家は800円の儲けとなる。果たしてそれは搾取なのか?

労働者に1800円返したら資本家は何の存在意義があるのか?そこは理解できる。労働力という商品を資本家は買い、それを形を変えて(利益を加え)ほかに売る。労働者は安い賃金でその日暮らしをする。仕事帰りにスーパーでハイボールの缶を片手に割引シールの貼られた総菜を探しながら毎日毎日必死に働き続ける。

自分の生活と変わらない。むしろ、これからは労働者用に割引シールの付いたものを買わず置いておいた方がいいのかと遠慮してしまう。

ともかく。日給1000円は固定だ。だったら8時間労働に縛られず24時間働かせればよりプラスになる。

しかし今の時代そんなことができるか?当時はあったのかもしれない。

マルクスの資本論、第1巻第8章には、労働者の置かれている立場にこころを痛めている、ドキュメンタリーな雰囲気だそうだ。論説の本質でないので無視されがちだが、マルクスの本音がかいまみえるということだろうか。

労働者は奴隷と違い、プライドが高い。ただ 

与えられた仕事を嫌々やっておけばいいのに、より良い仕事をしようと頑張る。資本家はそれを利用して、労働者を働かせまくる。バブル期のモーレツ社員などが一例。

p86

私たちはプライベートな時間にプライベートな楽しみとしてフェイスブックを楽しんでいる。一方フェイスブックに写真をアップしたりGoogleで検索することで彼らが必要としているデータという商品を彼らのために生産し働いていると言える。しかもタダで←という衝撃な文。いや、それはそういうものと何となく納得しつつ、このくらいならいいだろうと妥協している一面はある。しかしEvernoteはどうだろうか?そこに、さらに金を要求してくるわけだ。こちらは労働を提供しているのにさらに、労働を提供させてやっている料を吸いとろうとしているようなものだ。あくどい。

同じ労働者でも、職人と分業のいち担当者では異なる。職人はそれを作るためのあらゆる事を知っているが、分業の歯車は与えられた仕事をこなすだけにこきつかわれる。仕事の全体を知らされていない。

p110

労働者は作業を軽減するために機械を造る。しかし資本家によって機械の生産性と比較され、労働者は軽んじられ虐げられる。ということか。

機械化が進み生産性が高くなる。労働者は楽になると思いきや、資本家からリストラの対象になる。リストラされないよう労働者は無理をして働くようになる。一方リストラされて仕事からあふれたものは、もっと安い賃金で働く、過酷な条件でも働くと望む。それに対抗するため労働者はさらに長時間、真面目に働く。という悪循環。

p118。

経営者目線。現代の労働者は、経営者目線で考えて、自ら働けと発破をかけられる。それはあたかも経営者のように構想させてくれるように聞こえるが、経営者が構想したマニュアルに従って働けということに他ならない。構想という自由を与えられず、ただ実行させられているだけに過ぎない。

ウーバーイーツは自由な働き方を提供してくれるといいながら、冷めないうちに料理を届けるためだけに最適化された労働をこなすだけ。その上で行動は全て監視されている。嫌になってくるな。

ネットのインタビュー記事より、「ソ連や中国は社会主義というより、国家・官僚主導型のトップダウンの資本主義のようなもの」なるほど。

p151

タイトル。グッバイレーニン。

マルクスの資本主義に対する批判は受け入れられても、コミュニズムを目指す試みには、ソ連の二の舞ではないかと不安になる。そこをどう展開するか?

p162

現存する社会主義は、資本家と官僚、民営企業と国営企業という違いはあれど、結局、他人の指揮・監督の元で働かされるという点で資本主義と変わらない。生産手段の国有化によって計画経済を導入しようとする試みが独裁を生む。

ソ連も中国も政治的資本主義である。

資本主義を乗り越えるために必要なのは、搾取のない自由な労働のあり方を生み出すこと。

p187

現在のマルクス主義者はコミュニズムを掲げておらず、行き過ぎた資本主義を批判しているだけ。

最後はよく理解できなかったが、これまでにあったマルクスの解説書の中ではダントツに分かりやすい。資本家の搾取の実態に怒りを覚えるくらいだ。まさか自分の今の会社ではそういったことはあるまいとは思う。中小の会社ではあるかもしれないと想像する。

よく、こう言った思想家の書物や、テレビでの言動は上から目線で、喧嘩腰で、反対意見にたいしてはねじ伏せられまいという気持ちが先立ち、全く相手の意見を聞かない、相手が意見する前にかぶせて主張するといったケースが多い。しかし、作者は真摯であり、YouTubeなどでも柔らかい印象だ。

ただ、新自由主義の行きすぎを環境問題に繋げようとしていることは残念だ。

ただ富の分配に関して、そうであったらちょっと面白くない世界だとは思うが、コモンと言って、生きるために必要なもの、水道や電気などを共有財産にすると言うこと(にとどめていること)には好感がもてる。

 

20240921読み始め

20250118読了


「利休と秀吉」邦光史郎

2024-11-17 18:44:25 | 読書
邦光史郎という作家の小説。初めての作家だ。割りと古い感じの文体。固いわけではない。
清洲会議の辺りから始まる。柴田勝家、市が、3人の娘を秀吉に託し自害する。茶々は父と弟を殺した秀吉が憎いというよくある話。
今井宗久、津田宗及、千宗易。よく考えれば全員宗が付く。そうきゅう、そうぎゅう、そうえき。
信長の死後、中国攻めの前に石川数正を使いして家康は初花の肩衝を差し出す。それをもらうと秀吉は茶会を催したくなる。その直後にそうぎゅう、友閑、道薰、宗二を招いた茶会。
茶々は両親をなくし、妹二人を自分が守ってやらなければならないという責任感がある。
秀吉の周囲には利休のほか、織田長益、石田三成、豊臣秀長がついている。みんな秀吉に気を使っている。秀吉が言うことの裏を読みながら対処しなければならないことにうんざりしている。秀吉は言ってみれば虚栄ではある。そんな中弟の秀長だけには本心をさらすことができる。
秀吉は浅井の三姉妹がいることをすっかり忘れていたが、末の娘から嫁にやるよう(つまり茶々が最後になるよう)指示する。
織田長益の視点もあり面白い。それはそうだ、かつては信長の弟として秀吉から、よそよそしさはありながら上の立場だったのが、今では秀吉のお伽衆だ。そんな秀吉に呼ばれる。長益は、浅井三姉妹のことかと懸念するが、違って、駿府に家康を懐柔するため行ってくれと言うもの。長益はそういった駆け引きに長けているということを買われているのだ。興味深いのは、秀吉と利休という対立に対して、織田長益が中間的な立場で見ていること。そして古田織部はというと、陰でコソコソたくらんでいる怪しげな人物に描かれている。
例の、家康懐柔のための秀吉の妹の旭姫(44歳)を家康(45歳)に差し出すという話。秀長の実の妹なので、秀長は辛い。しかしこの世のならいとして妥協せねばならない。それを長益に打ち明けている最中に、蒲生氏郷がずけずけと間に入ってくる。氏郷はそんながさつなキャラになっている。二人に譲って退席する長益 。帰りに三姉妹に想いを馳せる。長女から、19、18、15歳。
4分の1(第3章)辺りになってやっと本格的に利休の話が出てくる。利休は秀吉を低く見ているようだ。
秀吉は家康と和睦し、代わりに異父妹の旭姫を無理やり婚家先から連れ戻し、夫の佐治日向守を自刃に追いやる。何てひどい。
利休は山崎に待庵を造る。そこに織田長益を迎える。利休は、まもなく秀吉は九州征伐に行くだろう。帰ってきたら茶々を側室に求めるだろう。その交渉役を長益に頼むだろう。秀吉の傍若無人ぶりに憤りを覚える利休。
お江が輿入れするとき三姉妹は別れを名残惜しんだ。茶々はお江に外見は弱く内を強く、うまく立ち回っていくようアドバイスをする。茶々は自分の輿入れ先について薄々感じている。石田三成が挨拶に来るが白々しさに腹が立つが、全てのお膳立てをしてくれた三成を責めるわけにはいかないと思う。
九州平定の際にコエリヨという宣教師が近づいてくる。布教の邪魔をする島津を何とかしてほしいと頼む。秀吉は快く受け入れたが、数日後には禁教令を出す。日本人を奴隷として外国へ売り飛ばそうとしたり、日本の占領を企んでいると知ったからだ。キリスト教禁止令はそういう経緯だったのか。
九州から大坂へ帰る途中に利休は秀吉から大茶会の企画を委される。
一時利休は有楽と対等に話しているようだが、今は弟子ではないので互いに敬語で話をする。
江に続いて初が京極高次に嫁いでいった。高次の母は浅井長政の姉なので従兄妹夫婦となる。茶々は大野治長のことが気になる。大野治長の母は大蔵卿の局だが、実は茶々の乳母でもある。従って乳兄妹ということになる。三成が茶々に近付く、どうやら今のところ自分で言うには茶々の味方である。裏があるのかはわからないが。三成の異例の出世が紹介され、高山右近が熱心なキリシタンであり、禁教令が出ても信仰を捨てず、自ら命を絶つことも禁じられているため、キリシタン仲間を頼って身を隠そうとしている。小西幸長が小豆島に住みかを用意した。キリシタンが秀吉に叛旗を翻すのではという懸念。そして利休の7人の弟子がことごとくキリシタンであることから、利休への疑いが湧く。
第五章、北野大茶湯の章
ここで利休の心情が出てくる。このまま主人持ちの暮らしを続けているといずれは破局をみるやもしれぬ。人とは厄介なもの同じ道ばかり歩き続けているとすぐ飽いてくる。そう考え、いつ死んでもいいように準備しておくべきと。
奉行である前田玄以と石田三成は利休に不信感を持っている。秀吉より家康の方に親近感を持っているのではないかという疑い。とは言え、秀吉と秀長から信頼を得てることから奉行と言えどなにも言えない。
その一方、ちゃちゃは聚楽第に入る時が近づいている。大野治長に対して気持ちが高くなる。
蒲生氏郷が茶々を訪ねてくる。たくさんの絹を持って。ちゃちゃからすれば氏郷は口ばかりのお調子者だ。調子のいいことばかり言って、口だけで出世してきたような、現代の会社における口がうまくて課長なり部長になったような奴を想像してしまう。
丿貫(へちかん)も登場。大茶会の最中、九州で一揆が起きる。やむなく1日で茶会は終了する。
第6章、淀之女房。
三成の耳打ち。蒲生氏郷率いる甲賀衆と、対立する利休側の堺衆。有楽斎の心の葛藤。織田の血を引きながら二千石しか持たない自分。利休は一瞬しか出てこない。古渓が九州へ流されるという事で茶会を催す。秀吉から預かっている掛軸を内緒で使う。大徳寺の山門の修復に寄進したなど。ちゃちゃの話がメインになる。ちゃちゃの心の動き。秀吉の、子が出来た浮かれ具合の描写がたくみだ。
第7章、春雷震る。
小田原征伐の話。再び大徳寺の山門のエピソードが出てくる。ただこちらは利休の思い上がりを示す内容。秀長が病死し、利休をかばってくれる人物がいなくなり、秀吉の自分に対する寵愛も薄れてきたように思う。三成や増田長盛からは嫉妬を買っている。いずれ二人の関係性は破滅的なものになりそうな予感が強まってくる。見てるまに大徳寺山門の件と、茶道具を高値で売り付ける件を、いわばでっち上げられ、堺にちっきょを命じられる。秀吉の怒りを沈めようと細川三斎は奔走する。また堺にたつ際に細川三斎と古田織部が陰から見送るという場面はやはり出てくる。秀吉に反抗的で、少し小馬鹿にしている風ではあったが、何だか関係悪化が急に展開する。そして京に戻され切腹する。もう諦めの境地、死ぬ覚悟はできていたようだ。時世の句も、ヤケクソ的な怒りに満ちたものだ。
第八章、太閤惑乱。
前章で早くも利休が死ぬ。鶴松が病弱で病がちで秀吉が苦悩する場面。鶴松が生まれたのが53歳の時で、今は55歳で、不安になっている。現代人からしたら老いてるという感じはない。実際自分は52歳であるし。
朝鮮出兵の最中大政所が死去する。思えば、一昨年の正月に異父妹の旭姫、昨年正月に異父弟秀長、二月に利休、八月に鶴松をなくしている。身内の死が続く。そんな不幸が続く上、お伽衆が他愛もない話をする生活が続き、秀吉は呆けたようになる。
結局、織田有楽斎が最後まで登場するとともに、有楽斎の目線での秀吉、利休、そしてちゃちゃの話であったと思う。事実はそうなのだ、信長の弟であり、その当時は秀吉は兄の草履とりだった。利休はまたその後の話で、ちゃちゃも姪であるのだから、この時代で一番関係者の事をみているのは有楽斎だ。タイトルは利休と秀吉ではあるが、思い返せば、二人の絡みはあまりなかった。強いていうなら、有楽斎から見た利休と秀吉そしてちゃちゃの話と言える。
有楽斎に心理描写は多いが、それ以外の登場人物は心理描写は少なく、有楽斎の視点と言えばそうだが、客観的描写に終始する。
 
 
20240731読み始め
20241117読了

「孤剣の涯て」木下昌輝

2024-10-16 23:35:35 | 読書

宮本武蔵が弟子の佐野久遠と最後の稽古をつける場面から始まる。円明流の剣術。唯一の弟子である佐野はこの後武者修行に出る。彼の目的は円明流をもっと発展させること。

家康の母方の従弟である水野勝成。勝成は傾奇者だ。彼は放浪中に知り合った中川志摩之助という者を家臣にしている。勝成の元に本多正信がやってきて、変事出来を知らせる。五霊鬼の呪いが見つかったとのこと。その作法が怪しい。久々に木下昌輝らしい設定だ。怪奇小説。「人魚の肉」や「宇喜多の捨嫁」を彷彿とさせる雰囲気。

武蔵の元に僧が訪ねてくる。何と弟子の久遠が決闘に巻き込まれ死んだと言う。愕然とする武蔵。最愛の弟子が死んだと。

呪い首とそれを作るあやかしの刀、その刀の鍔を見ると武蔵が彫った鍔。

武蔵は水野志摩之助から呪詛者の捜索を依頼される。困窮から引き受ける。

先に待っている志摩之助の三男三木之助と合流し(大坂の役開戦前の話だ)、牢人に扮して大坂方に潜り込む。

あやかしの刀、村正を見つけるために収集している振りをして、決闘し、買った方が全ていただくと言う作戦。武蔵の気迫と技は凄まじく、対戦相手は皆ボコボコにされる。結局見つからないまま、家康軍が攻めてきた。

いよいよ開戦。武蔵は木刀で佐竹軍と対峙する。中に豪槍の使い手がいた。名は鬼左京=坂崎直盛、かつては宇喜多左京亮詮家(さきょうのすけあきいえ)という。名の通り宇喜多の一族だが従弟の秀家にはつかず家康についた。すると武蔵とは美作で同郷となるようだ。対決は五分五分。その時上杉景勝軍も加勢してきたため、大阪城にひとまず下がる。

あやかしの刀は鬼左京が持っていた。それを知らせたいが、徳川方に戻ることは困難。三木之助だけが戻る。

大坂の陣は休戦となる。武蔵は志摩之助、勝成と会うが、三木之助は行方不明。武蔵が暗殺したのではないかと疑いをかけられる。

牢に入れられる武蔵。そこに三木之助が現れる。徳川方に合流する途中で撃たれたという、幸い別の徳川方に救われた。そこで武蔵に告白するに、自分は三男であり家は継げない、足軽に養子に出され終わる。だから家康呪詛の犯人を見つけて手柄を立てたかった。

三木之助は牢に火を放ち武蔵を脱走させる。武蔵は林羅山をつれてくるよう三木之助に頼む。徳川家に伝わる秘密文字、徳の字が德という横文字が一本入る文字。呪詛された場合に避けるため。家康の次に五霊鬼にかけられたのは秀忠でその徳の文字は一本多いものだった。従って徳川一門の仕業と考えられた。

水野勝成と左京は繋がりがあるのではないかという推理。両者は美作という土地で繋がりがある。因みに武蔵の父も美作出身だ。この呪いは美作で繋がっている。兵法歌で繋がっている。美作にヒントがあるのではないかと旅立つ。

美作で竹内家を訪ねる。竹内流の兵法の道場。二代目の藤二郎から水野日向守勝成と左京の関係を聞こうとする。武蔵と藤二郎は殺気立って埒が明かないが、山女という老婆が詳しいことを知っていて、彼女から聞く。

著者得意の宇喜多直家が出てくる。四女の於葉、そして(その過去作に出てきたか?)於葉を慕う、直家の甥である左京との関係。貝合わせのエピソードなども出てくる。今回の呪いは日向守の元にあった6名のリスト。家康、松平定勝、秀忠、義直、頼宣、頼房を呪ったもの。そして呪いの首はあるものが安置された寺に置かれているという共通点。

ここまでは従順だった三木之助だが、五霊鬼の秘密をつかみかけた途端、武蔵を裏切る。武蔵に毒を盛る。三木之助が雇った牢人と争ううち、崖から転落する。

漁師に救われた武蔵は兵庫に送ってもらい、謎探しをする。あるものが安置された寺を探す。山崎で見つけたのは血天井。即ち、関ヶ原の時に家康から死んでくれと頼まれ伏見城を守った鳥居元忠達の血で染まった床を、供養のため寺の天井に安置したものだった。因みに武蔵の弟子である佐野久遠の一族は鳥居元忠に仕えていたという、何かありそうな関係。

日向守と左京はグルで、この度の呪詛者の正体かと思われた。しかしどうやら左京も犯人ではなさそうだ。もっと裏に操るものがいそうな雰囲気だ。

大阪城に潜り込み千姫を助ける武蔵と左京。大坂には内通者がいると左京は言うが詳細は教えられない。武蔵は気づく。真田信繁はなぜ鉄砲に長けているのか。大久保長安が絡んでいるのではないかと。どちらも武田家に繋がっている。大久保長安も出てきたか。ただ大坂の陣の時には長安は死去している。

大坂の陣ではかなり混戦。つまり誰が敵で誰が味方か混乱状態だ。真田信繁と隼人はやなり仲間で、信繁が家康を追い詰めるというのが定説だが、隼人があやかしの刀で家康を追い詰めるという場面。武蔵がそれを阻止する。武蔵が身をもって家康をかばう、そのため背中に斬撃を受ける。

左京の過去。家康から直々に千姫を守ってほしいと頼まれる。当時の千姫はまだ赤子だ。不思議な力で千姫を守ることを決意。それがあり、大坂城から千姫を救い出そうとする。内通している女(刑部卿)が千姫を連れ出すことに成功したら狼煙が上がることになっていて、その狼煙が上がる。千姫と再会する左京だったが、徳川方の大砲によって千姫は籠ごと圧死する。孫まで犠牲にする家康に復習を誓う。家康を守る立場の武蔵と対決。左京は破れ、自ら火に身を投じる。武蔵は刑部卿から五霊鬼の謎を聞く。その首謀者は千姫だったのだ。豊臣に恭順した千姫は、豊臣を滅ぼそうとした家康に仕掛けたのだった。

千姫が岩に押し潰され自暴自棄になって火に飛び込んだ左京だが、執念で生きていた、仇を討とうと秀忠の元に近付く。あやかしの刀で斬ろうとした時、後ろで千姫が現れる。史実通り生きていたのだった。

一方武蔵は隼人から真相を聞く。隼人は大久保長安の子だった。ただ歩き巫女に生ませた隠し子。傾奇の腕を見込まれ長安の子である東七郎に芸を教えてくれと頼まれる。その稽古の成果を見せる前夜、隼人は長安から、家康の豊臣家滅亡の計画を聞かされる。方広寺の鐘の銘の一件しかり、最悪なのは、豊臣に自分の孫である千姫を殺させる策略を考えるよう命じられ、それを断る。すると家康から自ら調合した薬を体を労るよう渡される。もちろん中身は毒だ。用済みになったということだ。

千姫を守るという左京は謂わば目的を失う。家康から遣わされた柳生むねのりの刺客。五霊鬼の首謀者は千姫だが自分が首謀者と嘘をつく。一方武蔵は弟子の仇である左京と対決に臨む。対決はほぼ互角で、武蔵は自分の怒りの幻覚でもある左京のオーラを斬り冷静さを取り戻す。互いに引くが、その隙をついて柳生の手の者に左京は刺される。あやかしの刀を自ら胸に突き刺す。さらに肋骨で挟みながらあやかしの刀を粉砕する、という凄まじさ。

武蔵は左京に敬意を払う。武蔵は思う、左京の遺志を受け取る。そして誓うのだった。

どんでん返しが多く、目まぐるしい。また左京があわれに思われる。史実では左京は大坂城から千姫を救い出したというのは事実。しかし、救った見返りとして千姫を自分の妻にしようとした。それが原因で家督を息子に継がせるというのを条件で本人の切腹を命じられた。しかしそれを拒否し討たれたという。そして家は断絶となった。史実もひどい話だが、小説では千姫に一途な人物であることが書かれている。

よく考えれば、「宇喜多の楽土」にも左京は少しだが登場している。「宇喜多の捨嫁」から繋がる第3弾と言ってもいいかもしれない。連作が得意な作者らしく、他の作品と少しずつ関係しているのが面白い。

 

20240918読み始め

20241016読了