ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「勝手に生きろ!」チャールズ・ブコウスキー

2025-02-09 20:08:22 | 読書

「パルプ」のようなキャラクター。何かと角の立つ物言い。すぐに仕事をやめる。

1つの章が短くてテンポがいい。「パルプ」と同じで、仕事の募集に応募する。適当な返事をしているがすぐに採用される。そして酒場に行き、飲みながら仕事をしたり、仕事が終わって飲みに行ったり、そこで店員や客と喧嘩をする。仕事もすぐにやめる。そして引っ越ししまた仕事に応募する。というパターン。いろんな仕事がみれるのが面白いし、このワンパターンが面白い。

自転車工場の話。マネージャーのハンセンさんはウィスキーのにおいを消すためのクロレッツで舌が緑色になっていた。この時代からクロレッツがあるとは。日本での発売は1985年だがアメリカでは1952年から売られている。

自転車部品問屋をクビになるときのセリフ。俺はあんたに自分の時間をやった。俺があんたにやれるただひとつのもの。誰もが持っているものを。時給たった1ドル25セントで。まるでマルクスのようだ。

ジャンとの付き合い。競馬に行って新聞紙で場所取りをしていたのに見知らぬ爺に取られている。金持ちらしい。ジャンはその爺に色気を出す。競馬に負けた怒りから、その爺を床の隙間から地面に突き落として殺害する。帰って泥酔する。目覚めたらそれは夢だった。そして何となくジャンと別れる。

ジャンとの奇跡的な再開、蛍光灯の取り付け器具会社に就職するがすぐにクビ。

この仕事に対する執着のなさ、ちょっとでも自分に合わないと感じたら、ある意味素直にできっこないと雇い主に宣言する。日本ではそれでも食いつこうとしたり、義理を果たそうとするが、どっちが自然なのだろうか?自然なのはチナスキーだろう。しかし日本では妙な風習がある。

そんなチナスキーがクビを残念がった仕事は、第二次世界大戦中、赤十字の仕事で、血を集める仕事に就いたときだった。道を間違えさ迷った挙げ句2時間15分遅れて着いたときクビになった。その頃は真面目だった感じがする。

時代的な背景もあるだろうが、職にありついたと思えば、すぐにクビになる。何でそれをするんだ、と馬鹿馬鹿しく思うこともあり、世の中に反抗しているようにも見えるし、世の中に諦めているようにも見える。自分は作家なので、作家が本業なので、バイトのような感覚なのだろうか。文章を書いている場面はないが、仕事に対する執着はない。自分もそんな態度で仕事に向かってみたいところだが。

様々な仕事に就くエピソートが続く。面白いのはクライマックスらしいくらいマックスはない。淡々としたラストだ。

 

20241217読み始め

20250209読了


「ゼロからの「資本論」」斎藤幸平

2025-01-19 14:21:04 | 読書

商品に振り回される。

ダラダラしている人に言う。真面目に働いて金を稼げ。←では稼いだ金をどうするのか?稼いだ金で引退後は悠々自適でのんびり暮らす。←(ダラダラしている人)それをまさに今自分がやってるのだ。

引退後にするか今するかの違い。

あらゆるものを商品にしようとすることが資本主義。今まで普通に使っていたもの(水道水)これをミネラルウォーターとして商品化し金を取る。

資本主義以前の労働は、人間の欲求を満たすための労働。食欲を満たすために野菜を栽培する。自然から身を守るための衣服。

貨幣というものが登場する。貨幣は腐らないし、好きなときに好きなものに交換できる。

価値、と、使用価値、この違いを、まず理解しないと読み進めるのが困難になる。

P68。資本家は労働者を1000円で雇う。その労働者が1800円の仕事をする。すると資本家は800円の儲けとなる。果たしてそれは搾取なのか?

労働者に1800円返したら資本家は何の存在意義があるのか?そこは理解できる。労働力という商品を資本家は買い、それを形を変えて(利益を加え)ほかに売る。労働者は安い賃金でその日暮らしをする。仕事帰りにスーパーでハイボールの缶を片手に割引シールの貼られた総菜を探しながら毎日毎日必死に働き続ける。

自分の生活と変わらない。むしろ、これからは労働者用に割引シールの付いたものを買わず置いておいた方がいいのかと遠慮してしまう。

ともかく。日給1000円は固定だ。だったら8時間労働に縛られず24時間働かせればよりプラスになる。

しかし今の時代そんなことができるか?当時はあったのかもしれない。

マルクスの資本論、第1巻第8章には、労働者の置かれている立場にこころを痛めている、ドキュメンタリーな雰囲気だそうだ。論説の本質でないので無視されがちだが、マルクスの本音がかいまみえるということだろうか。

労働者は奴隷と違い、プライドが高い。ただ 

与えられた仕事を嫌々やっておけばいいのに、より良い仕事をしようと頑張る。資本家はそれを利用して、労働者を働かせまくる。バブル期のモーレツ社員などが一例。

p86

私たちはプライベートな時間にプライベートな楽しみとしてフェイスブックを楽しんでいる。一方フェイスブックに写真をアップしたりGoogleで検索することで彼らが必要としているデータという商品を彼らのために生産し働いていると言える。しかもタダで←という衝撃な文。いや、それはそういうものと何となく納得しつつ、このくらいならいいだろうと妥協している一面はある。しかしEvernoteはどうだろうか?そこに、さらに金を要求してくるわけだ。こちらは労働を提供しているのにさらに、労働を提供させてやっている料を吸いとろうとしているようなものだ。あくどい。

同じ労働者でも、職人と分業のいち担当者では異なる。職人はそれを作るためのあらゆる事を知っているが、分業の歯車は与えられた仕事をこなすだけにこきつかわれる。仕事の全体を知らされていない。

p110

労働者は作業を軽減するために機械を造る。しかし資本家によって機械の生産性と比較され、労働者は軽んじられ虐げられる。ということか。

機械化が進み生産性が高くなる。労働者は楽になると思いきや、資本家からリストラの対象になる。リストラされないよう労働者は無理をして働くようになる。一方リストラされて仕事からあふれたものは、もっと安い賃金で働く、過酷な条件でも働くと望む。それに対抗するため労働者はさらに長時間、真面目に働く。という悪循環。

p118。

経営者目線。現代の労働者は、経営者目線で考えて、自ら働けと発破をかけられる。それはあたかも経営者のように構想させてくれるように聞こえるが、経営者が構想したマニュアルに従って働けということに他ならない。構想という自由を与えられず、ただ実行させられているだけに過ぎない。

ウーバーイーツは自由な働き方を提供してくれるといいながら、冷めないうちに料理を届けるためだけに最適化された労働をこなすだけ。その上で行動は全て監視されている。嫌になってくるな。

ネットのインタビュー記事より、「ソ連や中国は社会主義というより、国家・官僚主導型のトップダウンの資本主義のようなもの」なるほど。

p151

タイトル。グッバイレーニン。

マルクスの資本主義に対する批判は受け入れられても、コミュニズムを目指す試みには、ソ連の二の舞ではないかと不安になる。そこをどう展開するか?

p162

現存する社会主義は、資本家と官僚、民営企業と国営企業という違いはあれど、結局、他人の指揮・監督の元で働かされるという点で資本主義と変わらない。生産手段の国有化によって計画経済を導入しようとする試みが独裁を生む。

ソ連も中国も政治的資本主義である。

資本主義を乗り越えるために必要なのは、搾取のない自由な労働のあり方を生み出すこと。

p187

現在のマルクス主義者はコミュニズムを掲げておらず、行き過ぎた資本主義を批判しているだけ。

最後はよく理解できなかったが、これまでにあったマルクスの解説書の中ではダントツに分かりやすい。資本家の搾取の実態に怒りを覚えるくらいだ。まさか自分の今の会社ではそういったことはあるまいとは思う。中小の会社ではあるかもしれないと想像する。

よく、こう言った思想家の書物や、テレビでの言動は上から目線で、喧嘩腰で、反対意見にたいしてはねじ伏せられまいという気持ちが先立ち、全く相手の意見を聞かない、相手が意見する前にかぶせて主張するといったケースが多い。しかし、作者は真摯であり、YouTubeなどでも柔らかい印象だ。

ただ、新自由主義の行きすぎを環境問題に繋げようとしていることは残念だ。

ただ富の分配に関して、そうであったらちょっと面白くない世界だとは思うが、コモンと言って、生きるために必要なもの、水道や電気などを共有財産にすると言うこと(にとどめていること)には好感がもてる。

 

20240921読み始め

20250118読了


「利休と秀吉」邦光史郎

2024-11-17 18:44:25 | 読書
邦光史郎という作家の小説。初めての作家だ。割りと古い感じの文体。固いわけではない。
清洲会議の辺りから始まる。柴田勝家、市が、3人の娘を秀吉に託し自害する。茶々は父と弟を殺した秀吉が憎いというよくある話。
今井宗久、津田宗及、千宗易。よく考えれば全員宗が付く。そうきゅう、そうぎゅう、そうえき。
信長の死後、中国攻めの前に石川数正を使いして家康は初花の肩衝を差し出す。それをもらうと秀吉は茶会を催したくなる。その直後にそうぎゅう、友閑、道薰、宗二を招いた茶会。
茶々は両親をなくし、妹二人を自分が守ってやらなければならないという責任感がある。
秀吉の周囲には利休のほか、織田長益、石田三成、豊臣秀長がついている。みんな秀吉に気を使っている。秀吉が言うことの裏を読みながら対処しなければならないことにうんざりしている。秀吉は言ってみれば虚栄ではある。そんな中弟の秀長だけには本心をさらすことができる。
秀吉は浅井の三姉妹がいることをすっかり忘れていたが、末の娘から嫁にやるよう(つまり茶々が最後になるよう)指示する。
織田長益の視点もあり面白い。それはそうだ、かつては信長の弟として秀吉から、よそよそしさはありながら上の立場だったのが、今では秀吉のお伽衆だ。そんな秀吉に呼ばれる。長益は、浅井三姉妹のことかと懸念するが、違って、駿府に家康を懐柔するため行ってくれと言うもの。長益はそういった駆け引きに長けているということを買われているのだ。興味深いのは、秀吉と利休という対立に対して、織田長益が中間的な立場で見ていること。そして古田織部はというと、陰でコソコソたくらんでいる怪しげな人物に描かれている。
例の、家康懐柔のための秀吉の妹の旭姫(44歳)を家康(45歳)に差し出すという話。秀長の実の妹なので、秀長は辛い。しかしこの世のならいとして妥協せねばならない。それを長益に打ち明けている最中に、蒲生氏郷がずけずけと間に入ってくる。氏郷はそんながさつなキャラになっている。二人に譲って退席する長益 。帰りに三姉妹に想いを馳せる。長女から、19、18、15歳。
4分の1(第3章)辺りになってやっと本格的に利休の話が出てくる。利休は秀吉を低く見ているようだ。
秀吉は家康と和睦し、代わりに異父妹の旭姫を無理やり婚家先から連れ戻し、夫の佐治日向守を自刃に追いやる。何てひどい。
利休は山崎に待庵を造る。そこに織田長益を迎える。利休は、まもなく秀吉は九州征伐に行くだろう。帰ってきたら茶々を側室に求めるだろう。その交渉役を長益に頼むだろう。秀吉の傍若無人ぶりに憤りを覚える利休。
お江が輿入れするとき三姉妹は別れを名残惜しんだ。茶々はお江に外見は弱く内を強く、うまく立ち回っていくようアドバイスをする。茶々は自分の輿入れ先について薄々感じている。石田三成が挨拶に来るが白々しさに腹が立つが、全てのお膳立てをしてくれた三成を責めるわけにはいかないと思う。
九州平定の際にコエリヨという宣教師が近づいてくる。布教の邪魔をする島津を何とかしてほしいと頼む。秀吉は快く受け入れたが、数日後には禁教令を出す。日本人を奴隷として外国へ売り飛ばそうとしたり、日本の占領を企んでいると知ったからだ。キリスト教禁止令はそういう経緯だったのか。
九州から大坂へ帰る途中に利休は秀吉から大茶会の企画を委される。
一時利休は有楽と対等に話しているようだが、今は弟子ではないので互いに敬語で話をする。
江に続いて初が京極高次に嫁いでいった。高次の母は浅井長政の姉なので従兄妹夫婦となる。茶々は大野治長のことが気になる。大野治長の母は大蔵卿の局だが、実は茶々の乳母でもある。従って乳兄妹ということになる。三成が茶々に近付く、どうやら今のところ自分で言うには茶々の味方である。裏があるのかはわからないが。三成の異例の出世が紹介され、高山右近が熱心なキリシタンであり、禁教令が出ても信仰を捨てず、自ら命を絶つことも禁じられているため、キリシタン仲間を頼って身を隠そうとしている。小西幸長が小豆島に住みかを用意した。キリシタンが秀吉に叛旗を翻すのではという懸念。そして利休の7人の弟子がことごとくキリシタンであることから、利休への疑いが湧く。
第五章、北野大茶湯の章
ここで利休の心情が出てくる。このまま主人持ちの暮らしを続けているといずれは破局をみるやもしれぬ。人とは厄介なもの同じ道ばかり歩き続けているとすぐ飽いてくる。そう考え、いつ死んでもいいように準備しておくべきと。
奉行である前田玄以と石田三成は利休に不信感を持っている。秀吉より家康の方に親近感を持っているのではないかという疑い。とは言え、秀吉と秀長から信頼を得てることから奉行と言えどなにも言えない。
その一方、ちゃちゃは聚楽第に入る時が近づいている。大野治長に対して気持ちが高くなる。
蒲生氏郷が茶々を訪ねてくる。たくさんの絹を持って。ちゃちゃからすれば氏郷は口ばかりのお調子者だ。調子のいいことばかり言って、口だけで出世してきたような、現代の会社における口がうまくて課長なり部長になったような奴を想像してしまう。
丿貫(へちかん)も登場。大茶会の最中、九州で一揆が起きる。やむなく1日で茶会は終了する。
第6章、淀之女房。
三成の耳打ち。蒲生氏郷率いる甲賀衆と、対立する利休側の堺衆。有楽斎の心の葛藤。織田の血を引きながら二千石しか持たない自分。利休は一瞬しか出てこない。古渓が九州へ流されるという事で茶会を催す。秀吉から預かっている掛軸を内緒で使う。大徳寺の山門の修復に寄進したなど。ちゃちゃの話がメインになる。ちゃちゃの心の動き。秀吉の、子が出来た浮かれ具合の描写がたくみだ。
第7章、春雷震る。
小田原征伐の話。再び大徳寺の山門のエピソードが出てくる。ただこちらは利休の思い上がりを示す内容。秀長が病死し、利休をかばってくれる人物がいなくなり、秀吉の自分に対する寵愛も薄れてきたように思う。三成や増田長盛からは嫉妬を買っている。いずれ二人の関係性は破滅的なものになりそうな予感が強まってくる。見てるまに大徳寺山門の件と、茶道具を高値で売り付ける件を、いわばでっち上げられ、堺にちっきょを命じられる。秀吉の怒りを沈めようと細川三斎は奔走する。また堺にたつ際に細川三斎と古田織部が陰から見送るという場面はやはり出てくる。秀吉に反抗的で、少し小馬鹿にしている風ではあったが、何だか関係悪化が急に展開する。そして京に戻され切腹する。もう諦めの境地、死ぬ覚悟はできていたようだ。時世の句も、ヤケクソ的な怒りに満ちたものだ。
第八章、太閤惑乱。
前章で早くも利休が死ぬ。鶴松が病弱で病がちで秀吉が苦悩する場面。鶴松が生まれたのが53歳の時で、今は55歳で、不安になっている。現代人からしたら老いてるという感じはない。実際自分は52歳であるし。
朝鮮出兵の最中大政所が死去する。思えば、一昨年の正月に異父妹の旭姫、昨年正月に異父弟秀長、二月に利休、八月に鶴松をなくしている。身内の死が続く。そんな不幸が続く上、お伽衆が他愛もない話をする生活が続き、秀吉は呆けたようになる。
結局、織田有楽斎が最後まで登場するとともに、有楽斎の目線での秀吉、利休、そしてちゃちゃの話であったと思う。事実はそうなのだ、信長の弟であり、その当時は秀吉は兄の草履とりだった。利休はまたその後の話で、ちゃちゃも姪であるのだから、この時代で一番関係者の事をみているのは有楽斎だ。タイトルは利休と秀吉ではあるが、思い返せば、二人の絡みはあまりなかった。強いていうなら、有楽斎から見た利休と秀吉そしてちゃちゃの話と言える。
有楽斎に心理描写は多いが、それ以外の登場人物は心理描写は少なく、有楽斎の視点と言えばそうだが、客観的描写に終始する。
 
 
20240731読み始め
20241117読了

「孤剣の涯て」木下昌輝

2024-10-16 23:35:35 | 読書

宮本武蔵が弟子の佐野久遠と最後の稽古をつける場面から始まる。円明流の剣術。唯一の弟子である佐野はこの後武者修行に出る。彼の目的は円明流をもっと発展させること。

家康の母方の従弟である水野勝成。勝成は傾奇者だ。彼は放浪中に知り合った中川志摩之助という者を家臣にしている。勝成の元に本多正信がやってきて、変事出来を知らせる。五霊鬼の呪いが見つかったとのこと。その作法が怪しい。久々に木下昌輝らしい設定だ。怪奇小説。「人魚の肉」や「宇喜多の捨嫁」を彷彿とさせる雰囲気。

武蔵の元に僧が訪ねてくる。何と弟子の久遠が決闘に巻き込まれ死んだと言う。愕然とする武蔵。最愛の弟子が死んだと。

呪い首とそれを作るあやかしの刀、その刀の鍔を見ると武蔵が彫った鍔。

武蔵は水野志摩之助から呪詛者の捜索を依頼される。困窮から引き受ける。

先に待っている志摩之助の三男三木之助と合流し(大坂の役開戦前の話だ)、牢人に扮して大坂方に潜り込む。

あやかしの刀、村正を見つけるために収集している振りをして、決闘し、買った方が全ていただくと言う作戦。武蔵の気迫と技は凄まじく、対戦相手は皆ボコボコにされる。結局見つからないまま、家康軍が攻めてきた。

いよいよ開戦。武蔵は木刀で佐竹軍と対峙する。中に豪槍の使い手がいた。名は鬼左京=坂崎直盛、かつては宇喜多左京亮詮家(さきょうのすけあきいえ)という。名の通り宇喜多の一族だが従弟の秀家にはつかず家康についた。すると武蔵とは美作で同郷となるようだ。対決は五分五分。その時上杉景勝軍も加勢してきたため、大阪城にひとまず下がる。

あやかしの刀は鬼左京が持っていた。それを知らせたいが、徳川方に戻ることは困難。三木之助だけが戻る。

大坂の陣は休戦となる。武蔵は志摩之助、勝成と会うが、三木之助は行方不明。武蔵が暗殺したのではないかと疑いをかけられる。

牢に入れられる武蔵。そこに三木之助が現れる。徳川方に合流する途中で撃たれたという、幸い別の徳川方に救われた。そこで武蔵に告白するに、自分は三男であり家は継げない、足軽に養子に出され終わる。だから家康呪詛の犯人を見つけて手柄を立てたかった。

三木之助は牢に火を放ち武蔵を脱走させる。武蔵は林羅山をつれてくるよう三木之助に頼む。徳川家に伝わる秘密文字、徳の字が德という横文字が一本入る文字。呪詛された場合に避けるため。家康の次に五霊鬼にかけられたのは秀忠でその徳の文字は一本多いものだった。従って徳川一門の仕業と考えられた。

水野勝成と左京は繋がりがあるのではないかという推理。両者は美作という土地で繋がりがある。因みに武蔵の父も美作出身だ。この呪いは美作で繋がっている。兵法歌で繋がっている。美作にヒントがあるのではないかと旅立つ。

美作で竹内家を訪ねる。竹内流の兵法の道場。二代目の藤二郎から水野日向守勝成と左京の関係を聞こうとする。武蔵と藤二郎は殺気立って埒が明かないが、山女という老婆が詳しいことを知っていて、彼女から聞く。

著者得意の宇喜多直家が出てくる。四女の於葉、そして(その過去作に出てきたか?)於葉を慕う、直家の甥である左京との関係。貝合わせのエピソードなども出てくる。今回の呪いは日向守の元にあった6名のリスト。家康、松平定勝、秀忠、義直、頼宣、頼房を呪ったもの。そして呪いの首はあるものが安置された寺に置かれているという共通点。

ここまでは従順だった三木之助だが、五霊鬼の秘密をつかみかけた途端、武蔵を裏切る。武蔵に毒を盛る。三木之助が雇った牢人と争ううち、崖から転落する。

漁師に救われた武蔵は兵庫に送ってもらい、謎探しをする。あるものが安置された寺を探す。山崎で見つけたのは血天井。即ち、関ヶ原の時に家康から死んでくれと頼まれ伏見城を守った鳥居元忠達の血で染まった床を、供養のため寺の天井に安置したものだった。因みに武蔵の弟子である佐野久遠の一族は鳥居元忠に仕えていたという、何かありそうな関係。

日向守と左京はグルで、この度の呪詛者の正体かと思われた。しかしどうやら左京も犯人ではなさそうだ。もっと裏に操るものがいそうな雰囲気だ。

大阪城に潜り込み千姫を助ける武蔵と左京。大坂には内通者がいると左京は言うが詳細は教えられない。武蔵は気づく。真田信繁はなぜ鉄砲に長けているのか。大久保長安が絡んでいるのではないかと。どちらも武田家に繋がっている。大久保長安も出てきたか。ただ大坂の陣の時には長安は死去している。

大坂の陣ではかなり混戦。つまり誰が敵で誰が味方か混乱状態だ。真田信繁と隼人はやなり仲間で、信繁が家康を追い詰めるというのが定説だが、隼人があやかしの刀で家康を追い詰めるという場面。武蔵がそれを阻止する。武蔵が身をもって家康をかばう、そのため背中に斬撃を受ける。

左京の過去。家康から直々に千姫を守ってほしいと頼まれる。当時の千姫はまだ赤子だ。不思議な力で千姫を守ることを決意。それがあり、大坂城から千姫を救い出そうとする。内通している女(刑部卿)が千姫を連れ出すことに成功したら狼煙が上がることになっていて、その狼煙が上がる。千姫と再会する左京だったが、徳川方の大砲によって千姫は籠ごと圧死する。孫まで犠牲にする家康に復習を誓う。家康を守る立場の武蔵と対決。左京は破れ、自ら火に身を投じる。武蔵は刑部卿から五霊鬼の謎を聞く。その首謀者は千姫だったのだ。豊臣に恭順した千姫は、豊臣を滅ぼそうとした家康に仕掛けたのだった。

千姫が岩に押し潰され自暴自棄になって火に飛び込んだ左京だが、執念で生きていた、仇を討とうと秀忠の元に近付く。あやかしの刀で斬ろうとした時、後ろで千姫が現れる。史実通り生きていたのだった。

一方武蔵は隼人から真相を聞く。隼人は大久保長安の子だった。ただ歩き巫女に生ませた隠し子。傾奇の腕を見込まれ長安の子である東七郎に芸を教えてくれと頼まれる。その稽古の成果を見せる前夜、隼人は長安から、家康の豊臣家滅亡の計画を聞かされる。方広寺の鐘の銘の一件しかり、最悪なのは、豊臣に自分の孫である千姫を殺させる策略を考えるよう命じられ、それを断る。すると家康から自ら調合した薬を体を労るよう渡される。もちろん中身は毒だ。用済みになったということだ。

千姫を守るという左京は謂わば目的を失う。家康から遣わされた柳生むねのりの刺客。五霊鬼の首謀者は千姫だが自分が首謀者と嘘をつく。一方武蔵は弟子の仇である左京と対決に臨む。対決はほぼ互角で、武蔵は自分の怒りの幻覚でもある左京のオーラを斬り冷静さを取り戻す。互いに引くが、その隙をついて柳生の手の者に左京は刺される。あやかしの刀を自ら胸に突き刺す。さらに肋骨で挟みながらあやかしの刀を粉砕する、という凄まじさ。

武蔵は左京に敬意を払う。武蔵は思う、左京の遺志を受け取る。そして誓うのだった。

どんでん返しが多く、目まぐるしい。また左京があわれに思われる。史実では左京は大坂城から千姫を救い出したというのは事実。しかし、救った見返りとして千姫を自分の妻にしようとした。それが原因で家督を息子に継がせるというのを条件で本人の切腹を命じられた。しかしそれを拒否し討たれたという。そして家は断絶となった。史実もひどい話だが、小説では千姫に一途な人物であることが書かれている。

よく考えれば、「宇喜多の楽土」にも左京は少しだが登場している。「宇喜多の捨嫁」から繋がる第3弾と言ってもいいかもしれない。連作が得意な作者らしく、他の作品と少しずつ関係しているのが面白い。

 

20240918読み始め

20241016読了


「蜘蛛男」江戸川乱歩

2024-09-17 01:02:44 | 読書

昭和62年の講談社の文庫版、乱歩全集だ。

1987年11月6日刊行で、恐らくその日付近辺で買ったのだろうから高校1年の時だ。

東京のY町に関東ビルディングという個人経営の貸事務所がある。(人気のない)13号室に稲垣平造という美術商が美術店を経営している。女子事務員の募集をする。「17、8歳、愛嬌のある方、高給」。そこに里見芳枝という女性がちょっと気取って応募してくる。即採用され、丁度店を閉める時間なので、自宅の倉庫の品物に目を通してほしいから、家まで一緒に来てほしいと頼まれる。行ったが最後、家に帰してもらえない。そしてあっさりと稲垣は、自分は悪人だと悪びれもせず正体を明かす。何だか風呂はきれいに掃除し、浴槽には水を湛えており、小さいスーツケースが用意されている。その中をみると様々な形の刃物が入っていた。とはいえ何を企んでいるかはわからない。場面が変わり、何をされたかわからないが、着衣も捨てられ、血まみれになって、疲労した芳枝の姿がある。拷問でもされたかのように思われるが、そこまで残虐なことが行われたようではなさそうだ。

次にセールスマンの募集をし6人集まる。大した能力もない19歳くらいの青年たちだ。彼らに石膏の人体模型を美術学校に売らせる。と言うのか進呈する。それがあとの営業の布石になるらしい。6人の中に悪知恵の働く平田東一という青年がおり、学校に進呈せず、他の額縁屋に低額で売り払って小遣い稼ぎをしたのだった。翌朝平然と出勤すると事務所は鍵がかかって誰もいない。

次はガラッと変わって、畔柳(くろやなぎ)友助博士という片足が義足の犯罪学者。自称36歳。弟子が野崎三郎という24歳の青年。趣味で、興味のある事件だけ警察に協力するのだが、日常の事務作業として、新聞の行間読みで犯罪の真実を見抜くというシャーロック・ホームズのようなことをしている。特に新聞の3行広告には毎日5、6個は怪しいものがあるという。そして例の稲垣の広告、入居者募集広告が出なくなった直後の、稲垣美術商の事務員募集と、セールスマン募集広告から、既に犯罪のにおいを嗅ぎ取っていたのだった。

里見絹枝という女性が畔柳博士を訪ねてくる、妹が行方不明だという。博士は関東ビル調査に出掛けようとしていたところだったので、夕方に改めてほしいと言う。関東ビルに行って調査をしていると、例の平田がやってくる。博士は事情を聞くと、例の石膏模型(右腕の形)を売り飛ばした画材屋に行きその模型を買い取る。邸宅に帰ったら、絹枝が再訪してきた。もう予想できるが、その右腕の石膏模型は芳枝のものだった。恐らく殺害しバラバラにした右腕の部分に薄く石膏を塗り固めたものだと思われる。石膏を割ると、中には腐乱しかかった生身の腕が出てきたのだった。絹枝が言う妹の特徴と合致する。しかしこれはまた残虐な事件だ。これぞ乱歩か。起きていることはグロテスクなのだが、なぜかそう感じさせない。これもまた乱歩だ。ショックを受ける絹枝だが、これまたそこまで落ち込んでいるようにも見えない。一方、連れてきた平田が急に姿を消す。野崎は、稲垣が自分達をつけてきて、平田をみんなの隙を狙って殺害し連れ去ったのではないかと推理する。すると、明日にでも平田の石膏部品が店に並ぶんだろうかと、たちの悪い冗談を言う博士。

絹枝を家に送る野崎。絹枝に恋心を抱く野崎。

続いて右足の部分の石膏細工が中学校で見つかる。美術の時間に学生が石膏細工に服の裾を引っ掻けて落としてしまった。その割れた隙間から腐乱した肉片が見えていたのだった。中学生には刺激が強すぎるだろう。しかし今晩はご飯が喉を通らないかもしれません、と、あっけらかんとしている。やがて残り4つの部位が中学校や画塾から見つかる。

畔柳博士の推理する犯人像は、精神異常者には違いないが、意識ははっきり持った極悪人だという。そして過去にも殺人を犯しているだろう。また絹枝に似た容貌、当然妹である芳枝はじめとして、この1、2か月で行方不明となった女性の写真から5人くらい絹枝(芳枝)似た特徴を見つけたのだったつまり彼女たちは既に殺害されているのではないか、そして平田東一と合わせ、今後いくつものバラバラにされた人体の石膏細工が見つかるのではないかと予想する。

ここまでで4分の1ほど進んだが、ふと裏表紙の解説を見てしまった。するとまだ起きていない出来事が書かれていた。どこまで先の内容を解説に書いているのかと少し腹が立つ。

と、思っていたら、丁度それらしい場面が。野崎は絹枝に告白しようと実家にいったら、入れ違いで博士の家から迎えが来て出たところだという。しかしそれはニセの呼び出しだった。そしてその通り、左胸を刺されて殺害された絹枝は水族館の水槽に浮かんでいた。あたかも人魚のように。

第3のターゲットは女優の富士洋子だ。犯人は明日(7/5)の映画のロケの最中にに実行すると宣言する。そうであるならロケを中止すべきだが、畔柳博士は犯人の尻尾をつかむため誰にも知らせずロケをさせようとする。自信満々だ。

今度は医者に化けて現れる犯人。しかしまた逃げられてしまう。ただし洋子は無事だ。

洋子をT氏の邸宅に匿う。しかし犯人から夜の十二時に洋子を連れ去ると言う宣言。今度は少人数で見張る。ベッドで横になる洋子だが、12時を過ぎても何事も起こらない。畔柳博士は犯人が宣言を守らなかったことはないと不審がる。果たして、ベッドで寝ていると思われた洋子だが、人形にすり変わっており、既に連れ去られたあとであった。

一方野崎は邸宅の外で見張っていると、自動車で逃亡する人物を見つける。昔の小説らしく、車の後部に掴まって追跡するのだった。着いたのはあの青髭(犯人の呼称)の館だった。しかし誘拐した洋子を担いで車から出てきた男は平田だった。いつの間に青髭の手下となったのか?面白くなってきた。

館に潜入した野崎だが、結局見つかり地下室に閉じ込められてしまう。そこで見つけた5つの漬物樽。餓死は免れると思っていたが、中身はなんとバラバラになった人体だった。つまり過去に誘拐してきた女性の成れの果て。幸い洋子は隙を見て脱出に成功。警察に通報することで野崎も救出される。しかし蜘蛛男と平田は逃亡したあとだった。

全身真っ白な出で立ちの紳士が登場する。これがしばらくインド辺りを旅していてやっと帰国してきた明智小五郎だった。2/3過ぎてやっと登場。何やら一寸法師の事件後3年ほどインドを旅していたらしい。乱歩の長編がちょっとずつ繋がって顔を出す。

早速明智は様々な疑問を解決していく。え?そんなところがおかしかったのか?的な。解決編にしては早い。

気丈な女優、富士洋子。今まで様々なピンチを乗り越えている。そんな悪人に負けていられないと言う性格だ。そんな(謂わばキャラのたつ)洋子の運命。明智は蜘蛛男を捕まえる。明智は民間人だ。捕まえる権利はない。そこで警察を呼びに行く。蜘蛛男と洋子は2人きりで残される。そこで、異様なことが起こる。洋子は蜘蛛男を逃がそうとする。その隙を狙って蜘蛛男はあろうことか洋子と逃亡するしかしそれも蜘蛛男の策略。あらかじめ手に入れていた自分(蜘蛛男)に似た遺体を確保しておりそれを身代わりに自分は死んだと見せかけこの世から消えてしまおうと言う算段。その道ずれにこの洋子は心中させられる。死なないと思われた洋子も崖から蜘蛛男と共に心中したと思わせた。

ところが死んだのは洋子だけであり、蜘蛛男はまんまと生き延びる。この辺りは残虐さが見える。有名人である洋子が変な妄想に刈られ蜘蛛男と心中しようと思ったり、さらには本当に崖に飛び込む。

蜘蛛男は鳴りを潜める。明智も(多分洋子を守れなかった罪悪感からか?)音沙汰がなくなる。

その後、最終対決。蜘蛛男は自分の美学。四十九人の女性をまるでショーのように観衆の前で殺害すると言う計画を着々と進めていた。明智はそれに先回りして行動する。

どこかで見たような場面。蜘蛛男が自分の計画を実行できず阻止された屈辱からピストル自殺しようとする。しかし、明智の手によって弾丸は抜き取られていた。自殺もできなくなった蜘蛛男。明智に破れ、自死も妨げられた哀れな蜘蛛男。一瞬の隙を着いて自ら設計した舞台装置である針の山に飛び込み、串刺しになって死ぬ場面で終わる。

実は天地茂の明智小五郎シリーズで見たことがあるような感覚になる。天国と地獄、だっただろうか?針の山で刺されて死ぬ場面。正月辺りで祖母の家に行った時に見た記憶。

これまで読んできた中でも、意外とグロテスクだ。幽鬼の塔などと異なり、死なないだろうと思われる人物が殺害される。またその殺害方法も残虐だ。また殺害後の(犯人による)ひけらかしが残酷。知らなかったが、これが社会一般における乱歩の変態的残虐さなのだろうか。

今まで見たことのない乱歩を読んで再発見した気持ちだ。

ある意味レトロなミステリーではないか。犯人はどこまでも残虐。警察に掴まるとかそんな現実の話ではない。ただ女を殺したい。

それからすると現代のミステリーは社会派であり、心理的である。

 

20240819読み始め。

20240916読了