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「クララとお日さま」カズオ・イシグロ

2023-08-06 04:00:22 | 読書
20210302に単行本が発売された。読まずに積読状態だった。そうしているうちに20230719に文庫が発売された。今更ながら単行本を読み始める。
クララはAFと呼ばれる人工知能の搭載されたロボットのようだ。序盤ではどんな姿をしているのか全くわからない。知能的な年齢は子供のように思われる。日光を浴びることで栄養を確保することから、植物的であろう。店に同じようなAFが並んでいて、店頭のショーケースに並ぶと、家が見つかりやすくなる。家が見つかる、つまり買われるということなのだろうが、この設定からして悲しい。しかし、全ての家庭がこのAFを買えるわけではないようだ。
ジョジーがタクシーに乗ってやってくる。これは二人の初めの接触。ジョジーはクララのことが気になっているらしい。短いやり取りがあるが、もうこの時点で泣けてくる。いや、悲しいわけではない、純朴で、かつこれから起こる悲しい話が予想されるからだ。ほんの数ページのことなのに。
全く話が読めない。おかげで、1文ごとにあれこれ、これはこういうことではないかと推測しながら、果ては結果を勝手に想像し、1つの物語が出来上がってしまうくらいだ。
どこかの書評でもあったが「わたしを離さないで」に近い印象はやはりぬぐえない。主人公のAF少女が心の中で話しているところ。達観しているようで無知であるところ。本人が思っているより周りの世界はおぞましいところ。作者だけに同じ展開は見せないとは思うが。
あれほどクララを気に入っていたジョジーだが、ある日ばったり来なくなった。店長さんから子供は移り気なので期待をしてはいけない、とたしなめられる。少し残酷な面が見え隠れする。
クララはB2型で最新のB3型より古い世代だ。B3型の方がやはり早く買われていく。一旦店の奥に置かれることになったがその時聞き覚えのある声が聞こえ、ジョジーであることがわかる。戻ってきてくれたという喜びの反面、店長さんから言われた期待してはいけないという警告から不安もある。ジョジーはクララがいてくれて大喜び。ジョジーの母親は最新のB3型がいいのではないかと考えている。ジョジーがどうしてもクララがいいというので、口頭試問を3つする。そしてその答えに満足しクララは家が見つかった(つまりジョジーの家に買われたということだ)。
ジョジーの家では、母親がややキツ目であることと、家政婦のメラニアが冷たいのが気になる他は、幸せそうな家庭だ。しばらくしてリックという男子、これがジョジーの許嫁的な少年で、隣の家の子だという。その子にクララを会わせたがる。実際会ってみると、ちょっと皮肉屋っぽく、ぶっきらぼうで、意地悪っぽい人物のようだ。なぜジョジーがそんなリックに惹かれるのかがわからない。ジョジーの家では近々パーティーが開かれるらしい。それにリックにも参加して欲しい。嫌がるリックではあるが。
実際始まったパーティーは奇妙なものだ。ジョジーは主催者という役割。近所の子供たちを迎えるが、それぞれのAFは連れてこない。そして母親しか付き添いがない(ここまで成人の男が一切登場していない。つまりそういう世界なのか?とまた勘ぐってしまう)。母親たちの言動が奇妙で、気に障ることを言ったと自覚しているくせにそれを止めずさらに暴言を続ける。子供たちは子供たちだけで別の部屋に集まり、賑やかに会話している。しかしその会話も悪意に満ちたものだ。思いやりというものがない様子。色々ジョジーを始めクララもピンチに追い込まれる。それを食い止めたのが何とリックだ。意外とリックが一番まともな人物だったのだ。何やらこのパーティーは子供たちが子供たちだけで成長する修練をする場のようだ。
しかし読者としてこの奇妙な状況に、不穏さに、非常に不安な気持ちにさせられる。作者らしい。平和な話に始まり、突如として奇妙な世界に変化する。わたしを離さないでに似ているかと思ったが、さすが、全く違った趣向だ。ただクララのジョジーに対する献身が日の名残り的で、ちょっと微笑ましさを感じる。
パーティーでクララはうまく立ち回れなかったのではないか?そのためジョジーに愛想を尽かされたのではと心配する。しかしその後数日たっても全く引き摺っていない様子の日々を過ごす。ところがある事件が起きる。
ジョジーはクララを滝に連れていってやりたいと母に頼む。病気がよくなればという条件。当日、体調が芳しくないにも関わらず嘘を付き車に乗る。しかし母親にばれ、家に戻らされる。当然クララも日を改めるものと思っていた。ところが母親はクララだけを連れて滝に行くのだった。
ここ滝での母親とクララの二人だけの会話。何か母親の無感情?感情というものが欠落しているのではないかという疑念が浮かぶ。「忘れられた巨人」では記憶の欠落がテーマの一つであったと思うが、この話では感情の欠落が、文の端々に見受けられる。この章ではジョジーの上にサリーという姉がいたということが分かるが、既に死んでいるとのこと。なぜなのか?そしてその死がこの家族にどういう影響を与えたのかはわからない。滝への訪問の細かい内容はジョジーに話さないよう母親から口止めされる。滝の一件は何ともなかった。
ジョジーの体調は良くないようだ、リックが毎日30分だけジョジーを見舞うことができる。そしてその滞在中は吹き出しゲームで過ごす。ジョジーが絵を描き噴き出しを書く。そこにリックが文章を入れる。
<関係ないが、ノーベル文学賞を受賞した作者が、次回作はどんなテーマにしたいか?ということに対して、日本の漫画をテーマにしたい、と語っていた。実際その後出版されたのがこの話だ。全然違っている。この「クララとお日さま」の次の作品がそうなるのか?など疑問に思ったが、これらのディテールからして、日本の漫画からさらに話を膨らませてこの作品になったのかもしれない。実際20230805時点でそんな執筆中の話はなく、本作以降の直近の最新作は、黒澤明の映画「生きる」のイギリスバージョンの映画の脚本だ>
カバルディさんの肖像画とは?クララは定期的に肖像画を描いてもらっている。明日はそこに行く日だ。しかし家政婦さんはカバルディは悪い人物だ、だからジョジーを守るように頼まれる。
母親と、そしてリックと免許を持たないリックの母親も同行し町に車で出る。リック一家とは途中で別行動になるわけだが、そこでクララの父親が合流する。
2/3過ぎてこの話の核心に触れてくる。作者ならではの既成事実のようにさらっと次々と。
向上処置を受けだジョジーと、向上処置を拒んだリック。ジョジーの住む世界と、父親の住む世界は違っているようだ。ジョジーの世界はユートピアで父親の住む世界は従来の、言ってみれば今我々が住んでいる世界と似ている。
登場人物それぞれが奇妙な思想であり、完全な思考を持った人物はいない。いや、今の我々と同様の思考をしているわけではない。
ジョジーの体調はどんどん悪くなる。クララはお日さまを尊敬し、ジョジーが良くなるよう秘密の取引をする。そんなことはあり得ないと思うようなことだ、しかしクララはそう信じて疑わない。ジョジーが肖像画を描いてもらうため町に出たときに、多少の自分の犠牲を払いながらその計画を実行する。しかしその時は失敗に終わった。それ以降クララは体調が悪くなる一方だったのだ。いよいよ死が迫ったとき、もう一度お日さまと交渉する。それが効いたのかはわからないが、何とジョジーはみるみる回復していくのだった。あれだけ不穏だった雰囲気が一気に変わる。
そして数年の年月が経つ。いよいよクララのお役御免の時期が近づいている。なるほどこういう最後なのか。ジョジーが大学進学し家を出る時。それがお役御免の時期だ。廃品置き場に捨てられているクララ。置かれているといったところか。AFは機械なのでいつかは捨てられる運命にあることははじめからわかっているのだが、何だか寂しい。他の用済みとなったAFと同じように。何かはわからないが移動できないように(例えば足は取られているのか)されているが、思考はしっかりできる。そして昔の記憶を整理しながら過ごしているのだった。悲しさは全くなく、むしろジョジーに精一杯つくし、任務を全うしたことに誇りさえ感じているようだ。
ジョジーとクララの別れは悲しいものではなく、読者からするとついジョジーが冷たいように感じてしまうが、まさにお役御免と言った感じで、当然迎えるべきものとしてあっさりしたものだ。
 
20230724読み始め
20230805読了
 
文庫版の表紙

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