ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

サッポロ冬物語2019

2019-10-30 22:04:31 | ビール

「贅沢でまろやかなコク」が特徴。

注ぐと、少しだけ濃いめの琥珀色。ここ最近の冬物語の濃い色からするとそこまでではない。というのか、各社のスタンダードのビールに対して少しだけ濃い色。

泡はクリーミーで、泡持ちもよさそう。

香りは、酸味はない。高音ではあるがウェッティでそれでいてフルーティーを感じさせる香り。

味は香りの通り。

サッポロらしく、まろやかでクリーミーさを連想させる味。

甘くて、後味に鉄っぽさも感じる。しかしトータルの味として金属っぽいわけではなく、重すぎない、まろやかな金属感。

ちょっと魚感がある。もしかして魚と合わせると合うのだろうか?もちろん北海道の魚。


キリンとれたてホップ一番搾り2019

2019-10-30 20:29:12 | ビール

遠野産の生ホップ「IBUKI」を急速凍結し使用しているとのこと。

初め渋いような苦みを感じる。直後にとれたてホップらしい青いホップの風味がやってくる。

一番搾りより、複雑身がなく、すっきりとしている。

しかし決して軽いわけではない。それはホップ由来の渋みのある苦みがそうさせているのだろう。


アサヒスーパードライ ジャパンスペシャル 涼夏の香り

2019-10-27 15:48:27 | ビール

ギフト限定のようだが、松山のサニーTSUBAKIで購入。

涼夏ということだけに夏を目指して販売されたと思われるが、HPで調べると6月4日から発売とある。つまり売れ残りのバラ売りかもしれない。

色はスーパードライくらいの薄い琥珀色。

香りはスーパードライらしく米っぽい。

飲むと、少し甘味があり、ドライ感はなく、後味の薬品臭い刺激がなくスーパードライよりまろやかな印象。

やはり旨みを意識した味付け。

スーパードライと違って丸くて飲みやすい。


「淀どの日記」 井上靖

2019-10-27 01:06:20 | 読書
花田清輝の「室町小説集」を読んでたら、谷崎潤一郎の「吉野葛」を題材にした小説があった。それに喚起されて谷崎の「吉野葛」を読んでみた。新潮文庫版だが、併録されていたのが「盲目物語」だ。織田信長の妹であるお市とそれに仕える弥市の話だった。偶然この「淀どの日記」も茶々の話なので、母であるお市の時代からの話で始まる。「盲目物語」とごっちゃになってしまい、始め混乱する。
茶々には父の浅井長政より祖父の浅井久政の印象の方が残っていた。
京極高次と出会うが信長によって滅ぼされた浅井であるが、その浅井によって滅ぼされた京極の血を引く高次に興味があり、どんな気持ちなのか聞いてみた。恨みはないと言うことだ。なんとキリスト教の信者になっていたのだ。谷崎によっては卑しい人物のように描かれていたが、ここでは気品のある人物に描かれている。
安土城が完成したとき、信長から来るよう命じられるが、お市は体調がすぐれないと断り続けた。しかし茶々は、行ってみたいと望む。そして今は秀吉が治めている、浅井が治めていたに竹生島に行ってみたいと思った。ただ兄の万福丸を殺し串刺しにした秀吉が憎く会うことは嫌だった。
お市は断り続けたが、茶々とお初の二人はやがて安土城に行く。そこで蒲生氏郷を知る。将来もっとも有望な若者であるとのこと。
やがて本能寺の変が起きる。信長が死んで妹であるお市は、夫が死んだときと同じように悲しむ。それを見て茶々は浅井を討った信長が討たれてなぜ悲しむのか理解できない。浅井を討った信長が討たれた。いずれ光秀も討たれるだけの事。とシニカルだ。それを聞いてお市は驚く。
秀吉が訪れてきたとき、お市は気分がすぐれず部屋におり、3人の姫たちだけであった。普段からお市に謗られていた通り、初と小督はあった印象を後でお市に話すが、茶々だけは違う印象を持っていた。父や兄を討った残酷な人物ではないものを。実際訪ねてきた信長の家臣は秀吉だけだ。柴田勝家も顔をみたことさえない。
お市は甥である織田信雄と信孝の兄弟に対しては、上品ではあるが冷酷な信雄より、気性は激しいが人間味のある信孝の方がいいと思っている。それが高じて信孝―柴田勝家に好感を持っている。
京極高次と蒲生氏郷に興味を持つ茶々。京極高次は信長自刃のあとお家再興を期して明智光秀についたため不運であり、行方も知れない。それに対して信長の重臣然とした蒲生氏郷。蒲生の方は重厚だが事務的で機械的である。それよりは京極に気が引かれる。
柴田勝家とお市の婚儀が簡素に開かれる。華やかさはなく武骨な式が印象的だ。
式のあと北之庄に向かうお市母子。茶々だけが途中輿を止め浅井家の滅んだ地に暫し佇む。
柴田勝家は爽やかで好人物に思うが、茶々は皮肉な見方をしていて、ただ愚劣な人物と見ている。京極高次に対しては、お家再興に賭けていることに好感を持っていたが、興味が薄れてきているようだ。蒲生氏郷曰く、京極高次はお家再興第一で、みすみす死ぬような人物ではない。しかし、お市を頼って柴田勝家に保護された京極高次と再会した茶々は、お家再興のために行き長らえているわけではないと告白される。ではなぜなのか?それは明らかにされていないが、おそらくクリスチャンであるからだろう。京極は予言者っぽいことを発言する人物だ。やがて、柴田勝家は秀吉と戦になり、敗れるかもしれない。だが三姉妹の命までとることはないだろうと。秀吉との戦いで敗れ、北之庄に帰って来た勝家。ある夜三姉妹のもとを訪ねてきた京極高次は今夜ここを抜け出すという。三姉妹にも早まって相果てることのないよう釘を刺される。京極は姉の竜子を頼って若狭の武田元明の元へ行くつもりであると告げる。
著者は本当に滅びる前夜の描写がうまい。決戦前夜に最後の酒宴が催される。勝家とお市は杯を交わすが、この前同じ場面がありそれは婚儀の場面だその時から1年も経っていない。婚儀の時はむしろ暗い場面だったが、この決戦前夜は覚悟を決めたのかすがすがしい表情だった。勝家とお市は城に残り、白に火を放って自刃したが、三姉妹は秀吉軍に救い出された。
三章
救い出された三姉妹は前田利家に引き合わされる。考えてみれば前田利家も複雑な立場だ。この戦いには柴田勝家側についていたが、もともと秀吉と親しい。勝家と秀吉の間に暗黙の了解があり、前田利家は救われたのである。娘のおまあは人質として城にいたのだが、侍女の機転により滅亡直前に脱出されたのだった。三姉妹はこのおまあとしばらく一緒に過ごすことになる。
茶々は蒲生氏郷と京極高次に関心がある。それぞれ会うたびに、心は移ろう。京極高次に対しては京極家再興に対して好感を持っていた。ある時高次から姉の竜子が秀吉の側室になったことに関して問うと、京極家再興のためなら姉一人の一生などどうということはないという返事。そして蒲生氏郷も妹を秀吉に側室として差し出している事を聞く。蒲生の場合は出世のためにそうしたのだろうと考える茶々である。京極にしろ蒲生にしろ兄弟を捧げたことに対して、二人への関心も冷めてしまうのだった。
3姉妹とおまあの対面。おまあは秀吉の側室として大阪に行くことになっている。それで高飛車な態度をとる。茶々が思うのは、おまあ、竜子、氏郷の妹と自分に年の近い女性が皆秀吉の側室に取られ、不気味なものを感じる。我々は茶々がいずれ秀吉の側室になることは知っている。しかしそれは先の話で、まず、小督と佐治与九郎との結婚の話が出てくる。小督は天真爛漫で無邪気に嫁に出る。
やがて茶々の元に、お初に婚礼の話が来る。相手は京極高次。そうとは言われないが、茶々には秀吉の意図が見えているような気がする。ある日お初が不在の時、京極高次が茶々を訪ねてくる。高次は茶々に告白する。茶々もかつては高次に関心があったので、双方いい雰囲気になる。この場面がいい。高次の相手はお初と決まっているので、わざと素っ気なく帰してしまう。
お初が嫁に行った後は茶々一人になり改めて一人の寂しさを実感する。そんな時は完成した聚楽第に招かれる。そこで会った秀吉はお茶々と呼び捨てにする。かつては姫様と言っていたものが、こうも変わるのかと感じつつ、秀吉には嫌な印象は持たなかった。むしろ既に聚楽第で暮らしている加賀局(おまあ)のほうにいい感じを持たなかった。賑やかな京都の聚楽第で三泊したあと安土に帰ると、自分は牢獄に閉じ込められているのではないかと不安になる。
四章
今度は茶々が高次を訪ねる。ところが、高次に完全に拒否される。さらには迷惑だと言われる。秀吉を意識している。
前田玄以が間に入って秀吉の意向を伝えてくる。何やら自然と違和感無く秀吉の側室となりつつある。初めからそうなるべくあったように。
北の政所との初対面の時、やはりこの女性とは仲良くなれないと感じる。出自は茶々の方が上であるが、側室と正室の違いで違いで低く見られていることに屈辱を覚えたのだ。生まれてこのかた、囚われの身であったこともあったが、それなりの応対をされてきたのにだ。
五章
茶々が妊娠する。訪ねてきてくれたのは京極の局だ茶々と同様、家柄がよく、茶々よりも寧ろいい。だから北の政所に対しては茶々と同様の感情を抱いている。茶々は秀吉に城が欲しいと希望する。その通り、出産までに秀次と細川忠興によって淀に城が建てられた。その頃から茶々は淀君や淀どのと呼ばれるようになる。出産したのは男の子で鶴松と名付けられた。通称棄君だ。ある日茶々の元を離され、大阪城に連れていかれた。ここでも北の政所の理不尽な行動に反感を持つ。
しばらくして秀吉から、うつうつと過ごしているから何か気晴らしをしてはどうか、妹たちを呼んで見てはどうかと提案する。ここで茶々はお初より、嫁いで以来全くあっていない小督を呼びたいと頼む。それがかない、大層な護衛をつけてやって来る小督。小督は佐治与九郎と結婚し既に2人の子持ち。3泊の予定で訪ねてきた小督だが、秀吉の命により小督だけ残し、家来は帰される。それが何を意味するか。秀吉は佐治にいい感情を持っていない。この機会に別れさせそのままどうにかしようという考えのようだ。小督は2人の娘がいとおしく返して欲しいと茶々に言う。小督(お江)は知られているように、徳川秀忠の妻となる。この当時は佐治与九郎の妻で子が2人いる。そこからどう秀忠の嫁となったか。その心境がどうだったか。興味がある。
読んでいると、茶々は秀吉に対して既にいい感情を持っている。恨みなど忘れて、むしろ尊敬のような魅力的な人物に感じているようだ。秀吉はと言えば、好色な人物ではなく、今のところ、井上靖の英雄の人物像にある、天下統一に向けて意欲的。時には冷酷で、時には寛容で、戦に熱意があり、女にはさほど興味はない。久々に好印象な秀吉像の小説だ。
側室としての他の正室側室に対する嫉妬が少し垣間見える。北の政所をはじめ、前田利家の娘である加賀局など。ただ、京極局だけには年下の自分に気を遣っていそうな雰囲気に安心感がある。
花房職之(花房職秀)が登場する。戦の最中能などを楽しんで戦おうとしない状況で鎧兜をまとったまま下馬しないのを指摘され、頼りない大将(秀吉)に頭を下げるつもりはないと啖呵を切る。後で処罰されそうになったが、主君の宇喜多秀家の取りなしもあったのか、処罰されること無く逆に誉められたという。
六章
利休の死に関して、茶々は利休にそれほど好印象はなかったが、秀吉があれほど信頼していた利休が死を賜ったことに対して理解できない。
淀城を与えられた茶々だが、天守のある聚楽第に住みたいと秀吉に頼む。つまり既にすんでいる加賀局を追い出したいのだ。秀吉は望み通り加賀局を出す。ある時京極局が茶々を訪ねる。他に追い出したいものはいないか聞くと、京極局は北の政所だという。しかしそれは茶々の心のうちを察して言ったものだった。
鶴松が生まれるがまだ小さいうちに世を去る。悲しみにくれる秀吉と茶々であるが、共に親として同じ気持ちを持ったことに、心が通じた気がする。
お拾いが生まれて、茶々は他の正室側室、そして秀吉に対しても優越感を持つ。豊臣の後継ぎを産んだ優越感という感じではない。
秀吉は相変わらず正室側室に平等に愛情を注ぐ。後継者を産んだ茶々に対してもその中の一人に過ぎない。それが茶々には釈然としない。
七章
よくあるように、茶々はお拾いに自分の人生を賭けている。拾いが後継者になることで、自分のそれまでの人生の不幸が報われる。
秀次事件が起きる。石田三成や増田長家の名前が出てくる。妾が30人もいたと言うような話。そして、自刃をさせられるが、その後妾や子供なども次々に首を切られる。その場面が残酷で寂しい。それは茶々がお拾いが秀吉の後継を望みその妨げとなる秀次が邪魔であったのは間違いはない。しかし、そんな茶々に秀吉は気を使い、秀次はじめ姫妾を全て抹殺してしまったことに後ろめたさを感じる。時を同じくして、蒲生氏郷が病死する。一時は信頼をおいた氏郷が死んで頼るものがいなくなったという喪失感を持つ。
お拾いの上洛のどたばたのあとの宴で、秀吉は前田利家、家康、上杉景勝、小早川隆景らが参列するなか、茶々はふと蒲生氏郷の不在を想像する。本来ならこの座にいるべき人物だ。病死したのは、ここにいる誰かから疎まれて毒殺されたのではないか。いやもっと言えば、最も蒲生氏郷を買っていた秀吉が暗殺したのではないかという妄想が襲ってくる。
今、お拾いが元服し秀頼となり、豊臣家の後継ぎとして確固たる地位を得たとき、茶々は自分の存在に対して自ら安心した。一時北の政所に対抗していたが、今はその対抗心すら小さく感じる。いや秀吉さえ小さく、ただの老人にすぎないと感じる。
八章
醍醐の花は秀吉が企画し、正室側室全員が参加した。主役は秀頼である。茶々は秀頼を産んだ誇りがある。この花見が一番幸せな一時であった。まさに茶々同様そのように読者も感じる風景だった。ただ、皆が花見を歌にして詠む。その瞬間に華やかな幸せな時間が陳腐化する。その残酷さ。
秀吉が世を去り、家康が台頭し始める。関ヶ原の予感が始まる。司馬遼太郎の関ヶ原と異なり、茶々の視点から描かれる。
家康のことがそもそも性に合わない。繊細ではあるが、家康から花見に誘われる。秀頼は誘われていない。どう返答するか?迷う。結局気分がすぐれないという事で断る。ここで家康と対立することが確定する。はっきりしたものではない。ただ漠然と豊臣の家臣たちによって家康がたおされるか、家康によって秀頼がたおされるか、どちらかしかないという構図が確定した気がするのだ。当然茶々は女性であるので、噂話しか入ってこない立場であるのだが、家康が前田利家と対立しているとか、上杉景勝を征伐しようとしているという噂が入ってくる。司馬遼太郎の関ヶ原の別角度から見るようだ。
九章
冒頭、細川ガラシャの自害から始まる。ガラシャの名前は一切出てこない。忠興の室とだけ。大阪城への質を拒み、とだけ。よくよく考えると石田三成はどれだけ嫌われていたのだと感慨に更ける。
関ヶ原は話の奥で始まっている。茶々という女性の立場が主であるのでそうなるのだが。茶々はやはり京極高次に思いが強く、はじめはこちら側に付くよう阿茶を遣いに出すが、徳川に付くと返答される。裏切られた思い。そして大坂方によって倒されただろうと覚悟する。しかし、結果としては城を出て高野山に籠ったという。あと1日耐えていれば家康に認められていたものをタイミングが悪い。元々そういう境遇だったのだ。信長が死んだときも一瞬明智についたし、今回も同様。状況を読むというより、本懐は京極家の再興があり、信長、秀吉、家康の誰につくかということではないのだ。
秀頼の元に千姫が嫁いでくる。秀頼の母は茶々で、千姫の母は小督である。家康は憎いが、子供を通じて自分達、浅井の姉妹また繋がったことに感慨が。茶々はそう思ったが、小督は覚めている。小督はやがて竹千代を産む。後の家光である。不運続きであった小督が茶々以上の未来が訪れることになったわけである。そんな運命は二人の知るよしもないが、茶々はある意味小督に暖かい感情を持っていて、逆に小督は覚めている。
茶々の元に、家康が次期将軍に秀忠を指名したことが耳に入る。つまり秀頼はないがしろにされたわけで、絶望的な気持ちになる。
京極高次が45歳の時、10年ぶりに茶々の元に訪ねてきた。かつての反逆心はなく丸くなり、今後家康から秀頼上洛の指示が出るかもしれない。そうであっても耐えるのが肝心と伝えた。その日は茶々は懐かしく過ごした。翌年高次は死去する。一年前に高次が訪ねてこないままだったら変な感情を持ったかもしれないが、お陰で冷静に行動することができた。いっときは思いを寄せた高次とのかんけいはこれで終わったのだ。
そして茶々には頼るものはいなくなり、秀頼だけが残った。
十章
慌ただしく大坂の役が始まる。我々が知っている過程には敢えて触れること無く、茶々の心情が描かれる。司馬遼太郎の「城塞」のような城内の熱気のようなものはなく、淡々と事態は進んでいく。大坂陣営の幹部の評定に茶々が入れられないこと。司馬遼太郎は茶々があまりに傲慢すぎるため、評定から外されたと解釈していたが、井上靖はそのように表現せず、秀頼の不運を嘆く母としての姿に視点が置かれる。
秀頼は、豊臣が滅びるのは確実で、最後をどのように迎えるかと考えている。家康側に何度も使者を送り生き残る道はないか模索する茶々や大野修理とは異なる。そんな秀頼が潔い。千姫も意外と秀頼と同じ考えで、共に滅ぶことを当然と考えている。
徳川に裏をかかれ、秘かに兵を進められ、いよいよ決起することになる。茶々は豊臣のために命を捧げようとする武将たちに感謝の気持ちを持ちつつ、このような状況に陥らせた中心人物である大野修理に対しても恨む気持ちはなかった。
徳川に使者として遣わされていたお初が戻ってくる。姉妹の最後となるであろう対面が清らかで淋しげだ。それぞれが様々な人生を強いられ、敵味方になってしまったが、三姉妹の変わらぬ絆がこの話の主題のひとつなのだと認識させられる。
十一章
秀頼をはじめ大阪方の武将たちは最終決戦をして散ろうとしている。茶々も覚悟を決めはした。しかし、刻一刻と変化する戦況に、もしかしたら生き残る道もあるのではないか?と何度も何度も心が揺れる。それに対して読者は、そのたびに心をかきむしられるような気持ちを味わう。武士の誇りとして出陣して散ろうと決心していた秀頼だが、結局タイミングを逸し、隠れていたところを見つけられ、家康から自刃を命じられるとは悲しすぎる。秀頼や茶々の最期は淡々とした描写だ。実際には最後の場面は描かれていない。そこがいい。その最後の場面から、浅井三姉妹のうちだれが一番幸せだったかはそれぞれ当人に訊いてみる以外、早急には断じられぬものがあるようである。という結語への展開が何とも印象的な読後感を与えられる。
悪女として描かれることが多い茶々であるが、この小説で、三姉妹の長女として、秀吉の側室として、秀頼の母としての茶々をまるでそばで一緒に生きてきたかのような錯覚に陥る。それこそがタイトルの日記たる所以だが、茶々が何とも魅力的な女性に見えてくるのであった。読み終えるのに時間がかかったが、それだけに一人の女性の人生を共に生きたような感覚を得たのだった。
 
20190904読み始め
20191026読了
 
映画化されてもいて、そのバージョンの表紙