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ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

ハードプロブレムを解決したという証明法はあるのか

2019-05-23 22:39:52 | 意識科学

意識とは何か?ハードプロブレムとは何か?と思っている。

ある人はそれは解決したと誇らしげに宣言する。

一方、それは見当違いだと思っている人もいる。

両者に考え方の違いがある。

(その説に反対しているわけでなく、論理の方向がそもそもずれている。それが前者には理解できない。)

ハードプロブレムを解決できたという人に対しては、「それでは、それを証明してください」という提案をするのはどうか?

その方法は残念ながら私にはわからない。

これができたら意識があるとみなそう。というものがあるか?

意識があるならば、これができる。というものがあるか。


意識について今日思ったこと

2019-05-23 22:03:42 | 意識科学

ハードプロブレムは解決した。という意見に対して、反論意見が出てきているサイトを見た。

ずっと互いに議論を戦わせている。

興味深く見ているが、何か、互いに議論が噛み合っていないような印象を持っている。

それぞれ正しいことや、道理なことを言っているにもかかわらず。

私は、大方の、ハードプロブレムは解決したという意見には懐疑的で、さらに違和感を感じる。そうではないと反論する意見に同意する。

ハードプロブレムという人類史上誰も解決できなかった問題を解決したぞ、という名誉を披歴したいだけのように思え、私が本当に知りたいのは、そういうことでなくて、と言いたくなる。

その人は、私が感じている「意識とは何か?」という悶々とした疑問を全く感じていないのだろうか?

そう、同じようには感じていないのだろう。

意識とは何か?と思う気持ちを、誰しも「そういうことか」と思える定義を設定しなければならない。

問題解決の前の前の・・・話になるが。

一方では彼自身がそう定義するハードプロブレムを解決したという考えと、

他方でそれはハードプロブレムの解決ではないという考えが相違している。

なので、まずはお互いの定義の共有化が必要。

それは(今単純に想像するのだが、読んだこともないのだが)デヴィッド・チャーマーズの著書を読むのがいいのではないかと思った。

まずの、これを議論するにあたっての考えの共有化を図っているのえはないか(と勝手に思っているが)

いや、

そのハードプロブレム解決の話を聞いた。その人はそれで満足しているようだ。

しかし、私からすると、それでいいの?それだけでいいの?その人はそれで満たされたわけだ。私はそれでは満足できない。

それを伝えきれないことこそ、ハードプロブレムかもしれない。


「真空のからくり」 山田克哉

2014-07-25 00:37:40 | 意識科学
真空のからくり (ブルーバックス) 真空のからくり (ブルーバックス)
価格:¥ 1,058(税込)
発売日:2013-10-18
松山のジュンク堂で2000円以上買わないと駐車場がタダにならないので、無理やり買ったのだが、意外にも面白かった。また読みやすかった。
51ページ
プランク定数が小さい10^-34これが示すこと、野球のボールは決して波としてふるまわない。波長を計算したとしてもボールの直径より桁外れに小さな波長となる。たとえ波のように振舞ってもその波を観察することはできない。電子ほどの小さな極微粒子だと波動性が観測される。
57ページ
位置の不確定性さ×運動量の不確定性さ=プランク定数。つまり位置の不確定性さが増大してあやふやになればなるほど、運動量がより確定値に近づく。
111ページ
カシミール効果において、金属板の外側のエネルギーと内側のエネルギー。いずれも無限大であるのに差をとると有限になる。無限ー無限=有限になることの解釈。(無限+有限)-(無限+有限)=有限ということか。いやこれは間違っているかもしれないが、理解できた。
真空のとタイトルにはあるが、内容は素粒子の話であり、宇宙論である。初めのほうは復習という感じですでによく知っているような内容であったが、クオークやらゲージ理論やらヒッグス場など登場する後半は、やはり消化不良であった。とは言え、新しい理論に触れるきっかけにはなったし、以前より(わからないなりに)前進できた気もする。
新しい理論とは言え、これらが自分の生まれた時代に既に提唱されていて40年以上前の、言ってみれば最新ではない理論であることに衝撃を覚える。
物質も極限まで細かく見ると、粒子という実存的なものではなく、確率的で、波であって、自分が想像する塊(かたまり)的なものではないということ。そして力という物ではないものが実ははみ出はあるが、粒子のような塊(かたまり)みたいなものでもある、という変な感覚。細かく見ると粒子のような波のような実在しないようなモノのくせに、我々人間は、そんな細かいものの集合であって、確かに実在している。その、あいまいなモノから、確かに実在しているモノの境界はどこにあるのか?もしかして我々人間という物は、そもそも存在していないのか?と疑いたくなってくる。それは嘔気を感じるほどだ。もしかしてサルトルの「嘔吐」はこの感覚を言っているのだろうか?
この本で言いたいのは、真空というのは全く何もない無というわけではなく、エネルギーに満ち溢れ活発に活動している不穏なものだということ。但し、このまま極めて行っても結局、宇宙の始まりのその前はどうだったのか?ということは解明できそうにない。それに思いを馳せると、それこそ嘔気をもよおしそうな感覚に陥る。
今、何となく思うのは、時間という概念。これはそもそも人間が作り上げた偽物の概念なのではないかということ。時間という物はそもそも存在しない。時間が存在するということを証明できるものがあるのだろうか?時計は進んでいるではないか?それは針が円運動しているに過ぎない。
20140707読み始め
20140721読了

「隠れていた宇宙」ブライアン・グリーン

2013-09-09 14:52:00 | 意識科学
隠れていた宇宙 上 (ハヤカワ文庫 NF) 隠れていた宇宙 上 (ハヤカワ文庫 NF)
価格:¥ 798(税込)
発売日:2013-07-24
隠れていた宇宙 下 (ハヤカワ文庫 NF) 隠れていた宇宙 下 (ハヤカワ文庫 NF)
価格:¥ 798(税込)
発売日:2013-07-24
第1章は概説だが
第2章以降本題に入る。
そもそも有限と無限の違いは何なのか。無限は有限ではないという意味なのか、それとも無限というひとつの状態を表す概念なのか。
光子とは何なのか。どこから生まれるのか。遠い恒星から光が届く。ものすごい距離を旅してきたタフな奴なのに、間に紙一枚挟むと、もう見えなくなる。と言うのは自分だけで、数センチ隣にいる奴には、やはり相変わらずそれが見えている。そのまた隣の奴もそうだ。一体何個の光子が恒星からあらゆる方向に粒を放出しているのか?目に入った光子がそれに反応して光を感じた。その反応を起こした光子はそのあとどこへいくのか?消えるのか?さらに後方へ飛んでいくのか。光子の量は何個あるのか。恒星を光らせている光子はどこから発生して、それは何個用意されていて、それはどこに蓄えられているのか?
それが消費し尽くされたら見えなくなるのか?
第2章まで読み終えたが、宇宙は、自分たちが住んでいる宇宙の他に無数(無限)の宇宙が存在する、ということはわかった。しかし、宇宙の始まりの前はどうだったのか?増えて、無限に分化する宇宙のその外側はどうなっているのか?という謎は到底触れられそうにない。
ブレーン多宇宙理論によると、私たちの宇宙は私たちにとっては3次元しか認識できないが、特に重力に関しては別次元にエネルギーが紛れてしまい、私たちの宇宙においては力が小さくなってしまっている。あらゆる微粒子、または超ひもが複数の次元にまたがって存在し、各次元に一定の割合で エネルギーを放出しているのだとしたら興味深い。まだ、嘘臭いが意識子という微粒子があって、それが意識を形作っているとして、その粒子は実は実際存在しているが、全体が別次元に存在しているため、私たちはそれを見ることや、実験することが困難になっている。そうすると、意識というのは他の次元に存在しているのに、実際それを体感するのは、別次元、つまり我々の住む宇宙で実現させている。しかも意識子は、私たちにその意識子があることを知らしめているくせに、自分で自分自身を思わせることができない、というじれったい状況なのだ。 確かに存在しているようなのだが、それが何者かは絶対に悟らせない。それが次元の壁なのか。その壁は不思議で、考えても越えられない、という種類のものではなく、考えることさえ拒むような不思議な壁だ。考えようとしたら、その行為に関して、考えさせないという反作用のようなものが働く。果たしてこの壁はいつか越えることができるのだろうか。越えて意識の謎を解明することができるのか、それとも解明させることを拒む反作用が働き、解明できない種類のものなのか。
下巻
第十章 宇宙とコンピューターと数学の実在性
これは意識論や存在論などに近づく内容となっている。内容に関してはそのうち何度か読み返す必要があろう。読み返したい。
下巻になると、理解が難しくなってきた。誰かも評していたが、確かにそう思う、訳者の技術の影響かと勘繰りたくなる。何を書いているのかさっぱり理解できない。訳者自身理解できていないような感じ。竹内薫監修とあるのだが、竹内薫も確認したか怪しい。後半はもういいか、とやっつけ仕事になってたんじゃないだろうか(と、自分の理解力の無さを棚に上げる)
とにかく無限の宇宙があったり、無限の過去から無限の未来に宇宙が続くなど、無限というところがすっきりしない。
 
20130802上巻読み始め
20130811上巻読了
20130908下巻読了

ブライアン・グリーンの「隠れていた宇宙」から思ったこと

2013-08-26 02:27:57 | 意識科学

ブライアングリーンの「隠れていた宇宙」を読んでいる。ミクロの世界では超ひも理論まで、マクロでは多宇宙論の話となる。まだ読んでいる途中ではあるが、思ったことを書いておく。

・量子論や宇宙論においては仏教や、ヒンドゥー教など東洋思想とかなり共通点が見られた。あたかも西洋の科学者が、正に科学的手法によって示してきた原理が、東洋の思想家はそれよりずっと昔に科学的手法ではなく、思索を巡らし悟っていた。そんな風に思われる。これは、カプラの「タオ自然学」で述べられている。ただし、あくまで量子論までの話だ。ところが、「隠れていた宇宙」を読んでいると、(別に著者が東洋思想との近似性に言及しているわけではないが)超ひも理論や多宇宙論というのが、やはり東洋思想と通じるところがあるように思えてならない。いくらなんでも量子論が限界だろうと思っていたが、もっとミクロな、そしてもっとマクロな世界すら予言しているかのようだ。そして何となく仏教よりヒンドゥー経の考えに近い気がする。

・物質というのはそもそも存在しないのではないか?意識というものだけが存在して、物質というものを意識している、想像している、思っているだけのことなのではないか?我々が生きている(と思っている)広がりのある空間としての世界は元々存在しておらず、何もないのではないか?「無」まさに仏教思想ではないか。無だから始まりもないし、外側もない。意識が戯れに物質世界を考え出して、謎が解けない謎が解けないと、パズルを楽しんでいるようだ。元々存在しないのに。「もし物質世界があったなら」という問題を提起し、ニュートンやアインシュタインたちが、解いてきた理論は、元々存在しない世界に対して虚しく理論っぽいものを当てはめてきただけなのではないか。

・物質はなく、意識だけが存在するとしたら、その意識の正体は何なのか。物質ではないのだからそれ以外の何か。

・重力が強くなると時間の進みが遅くなると言う。宇宙の初めはすべてが一点に凝集していた。と言うことはものすごい重力だ。と言うことは、時間の進みは限りなくゼロだった?

・3次元と言うのは各次元が縦・横・高さと役割を持っているが、11次元など言っているが、6次元目や8時限目の役割は何なのか?4次元で言うところの「時間」を次元の仲間に加えるのは個人的には疑問だが。