ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「楼蘭」 井上靖

2019-03-27 23:27:32 | 読書

「楼蘭」西域に楼蘭と呼ばれる小さい国があった。漢の武帝により張騫(ちょうけん)が大月氏に派遣された。その途中で見つかった。楼蘭はやがて都を移さねばならなくなった。その先が鄯善である。国民が皆鄯善に移る日、一人の姫が自刃した。その遺体は岡の上に埋葬された。鄯善人は当初、楼蘭こそは自分達が帰るべき国だと思い続けた。しかしふるさとの楼蘭は匈奴に占領され、鄯善自体が匈奴によって幾度の侵攻を受ける。時には漢と組み、匈奴と組み、平穏な時は訪れなかった。やがて平和が訪れ、楼蘭に向かった鄯善人だが、砂に埋もれてしまいそれが楼蘭なのかわからなくなっていた。目印は近くにあったロブ湖だが、それすら無くなっていた。それがなければ確証がない。そうして楼蘭は忘れ去られていった。歴史上存在が確認されたのは50年ほどしかないという。

その後1900年に入ってヘディンによって楼蘭が特定された。ロブ湖は1500年の周期で南北に位置を変えるため、それまで場所を特定できなかったのだ。ヘディンの4度目の探索の時、丁度ロブ湖の変移の真っ只中で、水の流れが戻りつつあるところだった。そして岡の上の墓の発掘が行われ、若い女性のミイラが発見されたのだった。
「洪水」索勱(さくばい)は匈奴との戦いの前衛基地建設のため西域に派遣された。途中でアシャ族の女から竜都という一夜にして水に沈んだ町の話を聞く。やがて結婚同様の生活を始める。ある時クム河の対岸に匈奴が集まってきているという情報があり、すぐさま軍を向ける。到着したときにかねてからの豪雨のため河は増水していた。対岸にわたることはもはや困難。重臣の提案では、古来雨を静めるには女を生け贄にするといういわれがあった。アシャ族の女を生け贄にしろと言うことだ。しかし索勱はそれはできなかった。索勱はこの洪水は悪魔の仕業であるとし、悪魔に立ち向かうことで静めようとした。そして数日の戦いの後洪水を静めることが出来た。そして匈奴を追い返すことにも成功した。匈奴から奪ったクム河の畔に町を建設した。1年後、漢から任務解除の使いがくる。しかし拒否する。アシャ族の女は喜ぶ。だが次に漢から使いが来たとき、代わりの人員が大勢やって来たため、従って帰ることにした。アシャ族の女を連れて帰りたいが、漢の町で馴染めるだろうかという不安もある。帰る日、またもや豪雨のため河は増水。以前のように河に戦いを挑んだが水は静まらない。今回は女を生け贄にしようという案が頭に浮かぶ。そして残酷にもそれを実行してしまう。一瞬増水が収まった。次の瞬間遠くから黄色の濁流が押し寄せてきた。黄色い洪水だ。それがクム河の畔に作った町はおろか、自分達をも飲み込むことを悟った。その時アシャ族の女の竜都の話を思い出す。残酷な話であり、前作の楼蘭同様、西域特有の一夜で町が消えたり、湖が移動したりという不思議な現象に驚きを感じる。
「異域の人」講談社文芸文庫で読んだが再読。前2作と読み進めてきて、同じ地名、同じ人物が少しずつ位置を変えて登場する。連作のようにも読むことができる。班超の伝記のような様相なのだが、この時期の西域はやはり国同士の関係が目まぐるしく変化する。昨日の味方は今日の敵。そうして班超は常に戦いを余儀なくされている。かつては自国、漢からも、漢から遠く遠征してるのをいいことに仕事をサボっていると疑われ、そうでない証拠として妻を離縁し漢に帰した。その後腹心である趙が異人の女を妻にしているのを悪い噂が広まる。潔白であるが、噂を静めるには女を国に帰すしかないと、班超と同じ運命を辿らせることになった。ところが女は途中、匈奴によって殺されてしまう。悲観した趙は逃亡した。敵方に寝返ったという噂もある。長い任務のあと漢に帰った班超だが、地元の子供から胡人と言われる。長年の西域の任務のため、容貌が西域のそれに変化していたのだった。歩いていると自分とよく似た雰囲気の老人にあった。それはもしかして逃亡した趙ではなかったかと思うのであった。班超の激動の人生と、仲間が一人ずついなくなっていく寂寥感。最後に、一番の腹心に再会したかもしれないという微かな希望。
「狼災記」前作からの流れがいい。時代は遡って秦の始皇帝の時代だが、匈奴に悩ませられているのはこの時代もそうだった。初めに史実が語られる。将軍の蒙恬は匈奴との戦いで大きな働きを続けるが、始皇帝が崩じたあと、李斯と趙高の策略によって、始皇帝の次子である胡亥を立て、偽の勅書により長子扶蘇と蒙恬は自死させられる。なおこれがもとで、その後間もなく秦は滅びてしまう。ここから創作が始まる。蒙恬を尊敬していた陸沈康は蒙恬が不可解な死を遂げた今、辺境の地で匈奴と戦うことに意味を見いだすことができなくなった。友人の張安良から、慰労のため獣皮と羊肉が送られてきたものの、秦に帰ることを決意。しかし折り悪く雪が深くなり進むことが困難になる。そこである小さな集落に宿を借りることにした。そこで死臭のする女と体を交える。この種族は7回交わると狼に変貌してしまうことを知らされる。6日目に集落を去るべきと思った陸沈康は出ていくが、思いを断ちきれず一人で集落に戻る。翌朝目覚めた陸は女と共に狼に変貌していることに気づく。その後行方は知れない。数年後張安良が砂漠を進んでいると、ひとつがいの狼と出会う。狼は人の言葉をしゃべった。もちろん狼は変貌してしまった陸沈康だ。あまりに懐かしさに人間に少し返ったのだ。しかし、やがて狼としての心が戻ってくる。そして結末は。陸沈康と女の会話が「蒼き狼」っぽくて、井上靖らしさが味わえる。結局本題は非現実的な怪奇譚だが、独特の寂寥感があってしみじみする。何か一度読んだことがあるかと既視感があったり、これは映画にしても面白いのではないかと思っていたら、実は映画化されている。オダギリ・ジョー出演の「ウォーリアー&ウルフ」である。しかも、見ていた。美しい映像だったのは記憶している。2009年の映画なのでかなり前の映画だ(今から10年前)
「羅刹女国」これを読むのは2回目になる。驚いたことにこれも前作から緩やかに繋がってくる。国は大きく変わって、セイロンの小島のどこかと言うことだ。しかし、女が変身すると言うところが前作からの流れに従う。ある島に漂着したソウカラ一行。そこには羅刹女が住んでいる。漂着船が来ると、夜叉の姿から美女に変身し、男たちに無心に尽くす。さて羅刹女は天空を飛翔することができ、人間に変ずることができる能力がある。ただ男が他の女に心を変えると夜叉に返り、牢に閉じ込め食べてしまうのだ。だが千日夜叉に変えないでいたらそのまま人間のままでいられるという。男たちはそれぞれ女とつがいになり、子供を産む(しかし女児しか生まれない。やがて羅刹女になるからだ)。同時に国へ帰るため船を再建する。あと3日で千日を迎えると言うとき、女たちは、人間となるか、羅刹女に戻るか、相談する。女たちは皆、人間になることを望むが。「狼災記」や井上靖の他の作品にも通じるが、魔性の女でありながら男と触れ合ううちに情が生まれ別れがたくなる。しかし、不幸な結末が待っている。この作品も話はおどろおどろしいが、女の情がいとおしく感じる。
「僧伽羅国縁起」セイロン辺りの話。玄奘三蔵の大唐西域記を題材にしているようだ。虎の父と人間の母から生まれた兄妹の話。獣として生きたくないという事で、母と兄妹は虎である父から逃げて故国に帰る。しかし虎は妻と子が恋しくて、故国を襲う。多くの兵士や猟師も犠牲になった。故国に帰ったものの父が虎であることを隠しながら貧しい生活を送っていた兄は、王の虎退治の召募に志願する。息子の小刀に対して抵抗することなく、むしろ自ら体を差し出す父。悲しい場面だ。国王からなぜ虎を退治することができたのか執拗に問いただされ、父親殺しを白状する。王は、虎を退治した報償と、父親殺しの罰を同時に与えた。それは大きな船に大量の食料と衣類を搭載するという褒美と、その船によって国外へ追放と言う罰であった。やがて島に漂着した兄はそこで子孫を作り、国を造ったと言う。当初獅子国と言われた国はその後名を変え、僧伽羅国となった。この話もそうだが、倫理に反する行いをするわけだが、因果応報と言うような説教じみた結末を見せるわけではなく、ただ心を動かしたり、印象のみを残す不思議な文章だ。
「宦者中行説」漢の王は長年いさかいを起こしている匈奴と同盟を結びたい。最も信頼している部下を匈奴に潜り込ませることで、匈奴を懐柔させようとする。そこで白羽の矢が立ったのが中行説(ちゅう こうえつ)だ。しかし、歳も歳だけに乗り気でない。そして、自分が匈奴のもとに潜り込んでも返って漢に仇なすだろうと断るが、送られてしまう。その後もしばしば匈奴は漢の辺境を襲撃する。その黒幕が中行説だった。初め不本意であった中行説であったが、匈奴に仕えると、重用してくれたため、恩ができてしまったのだ。そして今となっては夢は、匈奴の単于(ぜんう・王)をして漢を征服することであった。軍師となって度々漢を攻める機会を進言した。そして最大のチャンス、漢の現王が崩じたとき、周辺の国々が漢を落とそうと動き出す機会に乗じて、漢を攻略しようとタイミングを待っていた。ところがいざその機会が訪れたとき、既に中行説は老齢のためこの世にいなかった。匈奴は漢に制圧された。中行説が生きていたら違った展開になっていたかもしれない。
「褒姒の笑い」周の時代の話で、幽王の治世に伯陽父が10年のうちに周は滅びると予言した。貧しい父母から生まれた褒姒は美しく育つ。やがて幽王の後宮に入り、寵愛を受ける。幽王は正室と太子を廃し、代わって褒姒が正室となる。ただひとつ褒姒は決して笑顔を見せることが無い女性だ。幽王は何とか笑顔を見たいと思っていたところ、家臣から山の上の烽火を炊いてみてはどうかと提案する。通常は敵襲の合図に使うものだが、それを使って、兵士たちが松明を持って集まってくる様子を見せてはどうかと。実際集まって松明が稜線につながる様子は見事なようで、初めて褒姒は一瞬ではあるが笑顔を見せた。その後年に一回は烽火に火を入れたが、狼少年と同じである、年々兵士たちは集まらなくなった。そして褒姒の笑顔も見られることがなくなったのである。10年たったとき、本当の敵襲があったにもかかわらず、兵士は集まらず。皆が気づいた時はすでに時遅し。幽王と褒姒は逃避を余儀なくされた。その時褒姒は一番声高らかに哄笑したのだ。幽王はその後捕らえられ殺され、褒姒は行方はしれない。数々の書物には幽王は愚政を敷き、褒姒は悪女と伝えられる。史記の記述から作者が想像してみせる。幽王はそもそも滅びるよう運命づけられていて、悪魔の化身である褒姒は滅びに近づくときに限り笑顔を見せていたに過ぎない。
「幽鬼」明智光秀の本能寺の変前後の話。信長を討った報いに幻覚に悩まされ、山崎の戦いで敗れたあと、逃避の途中で野武士に殺されたと言う話と記憶していたが、波多野氏を攻略した際に、降伏をすすめ、信長に会うよう提案した。その保証に光秀は自分の母親を人質に波多野氏に預けた。ところが信長は波多野氏を処刑してしまう。その見せしめに光秀の母親母親磔にされ殺されたのだ。波多野に対しては面目を潰された上、母親も殺されたという踏んだり蹴ったり。そして本能寺の変を起こすわけだが、秀吉に敗れたあと、あまりの疲労に幻覚を見ていた。それは波多野氏の幻覚だった。光秀がかわいそうだ。
「補陀落渡海記」熊野にある補陀落寺の住職は61才を迎えたとき、渡海し補陀落に向かうという伝統があった。つまりは海に放されそこで死ぬということだ。主人公は金光坊だが、そんな伝統に釈然としない。誰が決めたわけでなく、たまたま3代前までが61才で渡海しただけだ。現世の生はこれで終わるが、補陀落で新しい生を得る。自分はまだそこまでの境地に至っていないのではないかと言うのも、渡海したくない理由のひとつだ。しかし周りから変なプレッシャーをかけられ、不本意にも渡海せざるを得なくなる。遂にその日を迎え、一人海に流される。そのまま逃げてしまえばいいのではないかと思うが、ご丁寧に箱を被され釘で密閉されてしまうのだ。と言いつつ、金光坊は箱の内側から体当たりをして箱を壊すことができた。しかしその勢いで船は転覆してしまう。舟の破片に掴まって綱切島に漂着した。その島は渡海の出発点なのだが、そこに見送りの僧たちがまだおり、助けてくれと訴える金光坊であったが、聞き入れられず再び海に放たれたのだった。しかも皮肉なことに、金光坊を最後に渡海の伝統はなくなったということだ。これは実際にあった話を作者が脚色して小説にしたものらしい。こういう自分は全く望んではいないのに、周囲からそういう方向へ持っていかれるという不可思議な現象がいつでも誰にも起こるものだ。
「小磐梯」筋としては、1888年(明治21年)に起きた磐梯噴火の話だ。主人公の私は税の徴収係として磐梯に向かう。当時の徴収というと、田畑の測量といった意味合いだそうだ。主人公は測量の経験があったため、若いながらリーダーとして部下や、地元民を引き連れて磐梯を訪れる。不思議なのは、現代文であるため明治という感覚が湧かない。また磐梯のの自然描写が細かく、何を話そうとしているのか、つい見失ってしまう。自然の描写や、地形の描写の隙間に、小さな地震が起きたなどという描写がサブリミナル的に挟まれ、不穏な雰囲気を感じる。やがて、ヒキガエルの大群が大移動しているところに出くわしたり、蛇を多く見た、温泉の湯が減った、井戸の水が涸れた、山鳴りが聞こえた。などという描写が増えてくる。そんな中、怪し気な若い男女の旅行者と出会ったり、陽気な商人風の男と出会い、民家で住人とともに一晩過ごしたりする。測量、地震、裏のありそうな男女との出会い、商人との出会い。一体なんの話なのか、何が起こるのかわからないまま話が進む。そして遂にその時が来る。磐梯山の噴火だ。小磐梯が消えるほどの大きな噴火だった。主人公は幸い高所に逃げることができ助かったが、回りにいた、子供達(前夜止めてもらった民家の子供)や、あの若い男女(女の方は自殺願望があり自殺を図ろうとしていた)、商人はみんな土砂と石に飲み込まれてしまった。地形が変わり、新たに湖ができたと話に聞くが、主人公は思い出すと悲しくなり、一生磐梯を訪れることはないだろうと思うのだった。色んな思いでその場所にたまたまいた人たち、嫌な予感がしていたが、何事もなすことができず、噴火の時を迎える他なかった。無常だ。
「北の駅路」見知らぬ人物から「日本国東山道陸奥州駅路図」という4冊の書物が送られてくる。忘れた頃にその送ってきた当人から長い書簡が届く。そこにはその人物自身と、4冊の書物に関わる物語がしたためられていた。少しミステリー風であるし、ただその人物の投げ槍で怠惰な人生が文学的でもある。その書物が人物のどん底の人生を度々救ってきた。やがてその書物に対して何の関心も抱かなくなったとき、新たな堕落が舞い降りてきたのだった。
 
20190316読み始め
20190327読了

玉川純米吟醸雄町無濾過生原酒

2019-03-25 21:37:10 | 日本酒

玉川は京都北部の酒で、木下酒造有限会社の酒。

今回久美浜に旅行に行ったときに、酒蔵の直営で買ったものだ。

今から約10年前に仕事でこの辺りを担当していたことがあり、その時に一度訪問し、買ったこともある。

酒蔵に到着すると、「確かにここだ」と思い出した。当時は知らなかったが、杜氏は外国人らしい。

香りは、いかにもな日本酒の香り。そこにやや酸味のすっぱさが隠れている。

飲む。これまた意外だ。日本酒っぽさは全く無い。酸味がまずやってくる。一瞬ワインのように感じる。

そして、たとえが悪いがセメダイン的な風味、しかしそれは新鮮なブドウのようで、日本酒にはないブドウ感、それで変な例えになる。決して悪いものではない。

そして全体的にはジューシーな印象をもつ。

後味は高知の酒を飲んだ後のような感じ。ドライではないが、ドライが切れた後の残りの味。

ある意味クセのある味だが、熟成酒のクセではなく。今までに無い(味わったことのない)フレッシュなクセだ。

老香をフレッシュにするとこんな風味になるのだろうか?と邪推してしまう風味だ。決して悪い意味ではない。

全体的にウェッティだ。炭酸が抜けてみると、吟醸・フルーティーと捉えられる甘さがベースにあり、キレがある、というわけではない。単独で味わいたい。

20190326追記。

セメダインと形容したが、日本酒物語のサイトを見ていると同じ表現を見つけ、驚いた。

鯖と合うか?鯖の生姜煮と合わせてみた。合わなくはないが、合致はしない。セメダイン風味がそれを拒んでいるのかもしれない。

20190405追記。

だいぶん味が馴染んできた感じ。重厚・重層的で日本酒っぽさや古酒感ともとらえられる。セメダインのよう、と例えた風味はその重厚感に溶け込みある意味、それが重厚感重層感の元であったのではないかと思う。そのセメダイン感は開封直後のフレッシュな時にはセメダインと感じ、空気に触れ酸化すると熟成感とかわるのかもしれない。

 20190406追記。

ここまで来ると、セメダイン感はなくなり、熟成味と言うのか、粘度のある甘い日本酒感が出始める。これがこの酒の本質かもしれない。自分は甘いより辛い方が好みだ。

鯛の刺身とは合う。

20190410追記。

ここでまた味の印象g変わる。古酒感と感じられていたものが、砂糖のような甘味と感じられるようになった。古酒感は全くなくなった。

やや甘ったるさを感じるが、涼しげな濃厚な甘さ。そして飲み口はセメダイン感の残骸が変化し超微炭酸に感じる舌触りと、口の奥で感じる刺激感。

味が良くなったと感じる。


王禄八〇生原酒

2019-03-25 21:17:00 | 日本酒

広島の酒商山田で購入。

王禄は島根の酒だ。

こだわりは全品、無濾過、生酒(あるいは生詰)、瓶貯蔵、混ぜない、限定生産、徹底した冷蔵管理とのこと。

限定生産は、特約店を限定することにもつながり、広島では酒商山田くらいしかない。つまりあまり見かけることがないのだろう。

瓶貯蔵という点に関しては、認識違いかもしれないが、やや熟成酒寄りなのかとちょっと心配した。つまり大阪の雅一のような方向性か?つまり熟成香・熟成味を出していくのかと思ったわけだ。

並んでいた他の商品を見ると2018年(今は2019年3月)であったり、2017年、2016年といったものもあった。新酒がないのだろうか?

米の香りを感じ、日本酒っぽい香りだと嫌だなと予感したが、そんな感じはない。吟醸香はないが涼やかな米の香り。

微発泡で、精米歩合が80%と想像するほどの日本酒っぽさがなく、いい第一印象。

ジューシーな味で、瑞々しい味わいであり、濃さがある。後味には甘さすら感じる。

島根の酒なので、昔ながらの日本酒を想像していると、意外さに驚く。

石鎚純米吟醸系の愛媛の酒や、雨後の月や誠鏡あたりの広島の酒に近い味わい。

はっきり言ってあなどっていたが、うまい。

精米歩合80%でこれだから、吟醸となるとどんな味になるのだろうか?

鯖に合うという記事を見たことがあるが、そのせいか、今鯖の生姜煮を食べると合う。

鯖の味の濃さに負けない酒の濃さ。合わさってうまい。

 

20190405追記。

開封後11日たった。発泡感は若干残っている。そういう意味では生という本質が表れている。

そして甘いスクエアなすっきりした味わいがベースにある。

刺身類と合わせると、刺身の生臭さと酒の風味が合わさって山陰の風味を感じる。

山陰の風味とは自分の勝手な感覚だ。約22年前に社会人になって初めての赴任地を思い出す味だ。

20190410追記。

味が落ち着いてきたが、なかなかうまい。福岡の若波に近い柑橘を想起する甘さ、飲み口は酸味があり直後に甘味がかぶさってきて、高知の酒のような中から後半にかけてのドライ感。

 ドライでいてパンチのある(例えられない)個性が表現されており。ドライなだけに、その何らかの個性が口の中に残る。もちろん悪くない。


「夏草の賦」 司馬遼太郎

2019-03-16 18:51:38 | 読書

 

上巻

岐阜の菜々は美女で有名だ。兄は斎藤内蔵助利三という。隣家の主人は明智十兵衛光秀という。斎藤とは同じ美濃の出身。一方、土佐の長曾我部元親は25歳で、先妻に死なれた。天下を狙うものとして、近隣の国とは戦い、遠方の国とは同盟を結ぶという理屈から、美濃の織田信長と縁を持ちたいと思っていたところ、阿波と土佐国境近くの出で、堺の商人である宍喰屋に誰が紹介してくれるよう頼んでいたところ、明智光秀とも関係のある宍喰屋が菜々を紹介してきたところ、冒険好きの菜々は土佐という当時としては異国ともいえる国の長曾我部元親に嫁ぐことを受けたのだ。ちなみに、兄の斎藤は後に光秀の侍大将になるが、光秀が反乱を起こしたときやむなく従ったが敗死する。その斎藤が晩年にもうけた娘にお福がいる(聞いたことのある名だ)。お福は成人し稲葉正成に嫁いだ。正成は秀吉の命で小早川秀秋の家老となった人物だが、関ヶ原の後、牢人し美濃に帰り隠棲した。その頃秀忠に子が生まれその乳母を募集した。そこに夫を捨てて応募したのがお福。国千代との家督争いに勝ち、後継者となった家光がお福の功をよみし、夫の正成を大名にしようとしたが、妻の縁で出世したくないと辞退した。このあたりの人物のめぐりあわせは史実とは言えダイナミックだ。
光秀と長宗我部が姻戚関係があるというのを思い出した。遠藤周作の「反逆」だったか?信長が長宗我部を征伐しようとしたとき、当時の交渉役であった光秀は四国は長宗我部に任せると約束した建前上受け入れることができなかった。それに耐えかね反逆をした。だったか。
いよいよ元親に嫁ぐ菜々。美濃も田舎だが、土佐の田舎にカルチャーショックを抱く。元親は幼少のころは姫若子と呼ばれ女の子のように弱弱しかったようだ。22歳の時に父の国親が死去し家督を継いだ。その時は槍の使い方も知らなかったし、大将とはどういう振る舞いをするかも知らなかったため、家人はみな不安になった。初めての戦は父の代からの紛争相手で本山氏だった。あまりの無謀な戦い方にはじめ心配する家臣であったが、冷静な判断によって勝利する。そこで家臣たちは元親を信頼するようになる。元親はもともと臆病な性格だ、それゆえ智略に長けると考えている。勇猛ではだめで、怖さを知っていることが大事と考える。
本山氏と最終決戦。既に息子の代になっているがその母親は元親の姉という複雑な関係。勝利する元親である。通常なら後顧の憂いを絶つため、自分の姉であろうと幼子であろうと一族皆殺しが戦国時代の常識だ。実際平清盛は情けをかけて助けた、源頼朝、義経によって一族を滅ぼされてしまった。ところが元親は一族を皆助けた上に、一門として厚遇した。それは懐の大きさを世間に知らしめる思惑があったらしい。
菜々から見た元親の印象は「変わった人物」のようだ。
一領具足という元親が考案した制度。元々戦力の補完のため、農民をいざというときには侍として働かせる。それが維新の頃には郷士となり志士となっていく。
次に土佐東部の豪族安芸国虎を攻略しようとする。準備は万端だったが、煮詰まったときある策を使うことに。ただそれを実行すると自分の名声に傷がつく。つまり卑怯な策であったからだ。そこで部下の吉田大備後に相談する。因みにこの吉田の子孫が幕末の吉田東洋だという。本当だろうか?吉田は爽やかに請け負った。後年発覚したとしても自分が発案したことだと泥を被るといった。といいつつ、安芸から寝返った横山民部の足元を見るように、横山に実行させた。その策とは、城唯一の井戸に毒を投入し戦意を喪失させようという作戦だ。腹黒い(と自覚する)元親、そして吉田も悪い。結果は戦意を喪失した安芸国虎は自害した。
土佐の3分の2を治めた元親。残るは中村の一条氏。元々は京都の公家だったが、自ら土佐に逃げそこで住みついた。始めは善政をしていた。実際元親の父である国親が幼少の時周囲の豪族に土地を奪われてさまよっていたところ、一条氏に救われた。そして再興まで助けてもらった。その恩義もあるが、当代の兼定は悪政を敷いている。伊予大洲の宇都宮家から嫁をもらっていたが、大友宗麟の娘が美女と聞き妻を離縁し、さらには大友と結託し大洲を挟み撃ちにして滅ぼしてしまおうと画策する。さすがに現実のものとはならなかったようだ。公家の放埒さと武家の残虐さを併せ持つタチの悪い者だった。山田風太郎で言えば松永弾正といったところだ。そこへ自称腹黒い元親はいかにも友好関係を築きたいと油断させるため菜々を親善大使として一条氏に送り、内部から崩壊させようとする。トロイの木馬か、潜入捜査と言ったところだ。
菜々はまず一条兼定の重臣である土居宗珊に接触。女にだらしがない兼定には会わず帰ったほうがいいとすすめられるが、意地でも会おうとする。いざ会うとやはり自分のものになれと言われ、茶釜を蹴って逃げる。兼定の女中たちが追ってくる。この当時は女の事件は男は入らず女だけで始末をつけるものらしい。菜々は土居宗珊の屋敷に逃げ込む。面白いのは土居は兼定の家臣なので菜々のことを本来は捕らえる立場ではないかと思いきや、家族揃って菜々を助けたのだった。それがその時代の通例だそうだ。だが懸念した通り、土居は兼定に呼び出され、殺害されてしまう。その後それを種に元親は一条を滅ぼす謀略を考える。一条家の中で、一番の重臣である土居を粛清したことで、家臣からの不信感を煽る。やがて家臣はクーデターを起こし隠居を迫り息子に家督を譲らせた。そして兼定を船に乗せ海に捨てた。殺しはしなかったようだが、それに匹敵することをした。元親はさらに、その家臣達は主人にたてついたということで、一条氏の侍たちに成敗させた。謀略によって元親は自分の手も名声も汚すことなく一条を滅ぼした。
次は土佐を出て阿波か伊予へ。その前に美濃の織田信長と友好関係を結んでおこうと、菜々の関係の明智光秀に間に入ってもらい、元親の息子に「信」の文字をもらうということで関係を取り付けた。
国内においては条例を定めることで、民をまとめようと試みる元親だが、禁酒という規則を作り不評を買う。元々酒の好きな土地柄だったのもある。元親自身が酒好きで、隠れて自分だけ飲んでいたのを見つかり、禁酒法は廃止した。
石山本願寺の攻略が近づくと信長は四国が目前にあることに気づく。あっさりと元親との約束を反故にし、土佐一国を許し、特別に阿波の南部をつけてやると命じる。信長と元親には主従関係はなく、そんな命令に従ういわれはない。とはいえ拒むなら討伐に出ると脅される。明智光秀の使いで土佐のやって来た石谷光政は光秀の家臣であり、菜々の兄である。信長の伝言はそうであるが、姻戚としては、長宗我部が滅びるのは耐えられないと言うことで、ここはそれに従うべきだと勧める。しかし、信長に自分と同じ性格を感じる元親は従うことができない。一時は土佐一国に甘んじたとしても、いずれ討伐にくるだろうと言うことが分かってしまう。どうせなら、今、一戦交えた方がいいと考えたのだった。そして石谷を見送りに出たとき、ある妙案を思い付く。自分にそこまで気遣いしてくれるのならいっそ信長をたおしてはどうか?近頃は信長に虐げられている三成と聞く、いっそ信長を倒し、毛利と同盟し京に旗を掲げる、その際には四国全土をあげて手助けする。それを聞いた石谷は謀反は義に反すると怖じ気づく。それに対して元親は謀反ではなく、武略だと言う。そして下巻に続く。うまい流れだ。
 
下巻
ノイローゼ気味になっていた光秀が、元親の悪魔の囁きとは関係なく、信長を襲った。危機一髪難を逃れた元親だった。光秀は家臣斎藤内蔵助の妹婿である元親が駆けつけてくれると期待していたが、結局動かなかった。三成のその後はよく知られている史実の通り。
信長に四国を召しあげられそうになったのを運よく回避したが、結局秀吉によって再び危機が訪れる。一度は戦おうと決めるが圧倒的な兵力に重臣たちからの降伏論が挙がり、遂に土佐一国に身を落とすことになる。長宗我部元親の心情としては、これまで20年天下を取るために2万人もの部下を死なせてきた。ここで降伏すればその者たちの死を無駄にしてしまう。と言うことだ。この考えは同じ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で描かれているの西郷隆盛が西南戦争を起こす心情と同じだ。或いは司馬遼太郎自身の思想なのかもしれない。
秀吉が天下を統一した際、長宗我部元親に秀吉に挨拶に来いという命令が出た。当初不本意であったのだが、一度二度と会うたび秀吉の懐の大きさに呑まれていく。ここでも出てくるが土佐のような田舎侍の度量とはけた違いの心の広さに次第に感服してゆく。上巻は戦の場面が多かったが、下巻に入ってそう言った土佐という土地の考え方の時代遅れ感、文化の貧しさ、そして資源の乏しさ。中央の文化の高さ、器量の大きさとの格差にくさったり、圧倒されたりと、人間臭さが描かれる。秀吉に感服してしまう話、秀吉の気さくさや、元親の潔さが爽やかですらある。しかしこの辺り、大企業に買収された中小企業と言ったところと重なる。
元親の息子、信親の侍女をどうするかについて、話が続く。誰もが褒める好青年に育った信親、そして夢破れた後性格がやや偏屈になった元親。すれ違いが生じてくる。年頃の息子を持つ父親の気持ちがよくわかる。
秀吉の天下取りの最終決戦九州征伐という時、元親は秀吉から大阪に茶に呼ばれ、そこで九州攻めの先鋒を命じられる。ただもう一方の先鋒に指名されたのが、阿波で洪水の中戦った十河存保(三好政兼)だった。言ってみればかつての敵同士。そしてそれらの監視役とも言える軍監が仙石権兵衛で、こちらはかつての戦いで十河の援軍として来た者だ。こんな人選をする秀吉に不吉なものを想像する元親。疑心暗鬼になっているのだろうか。その大阪滞在中に、光秀の家臣であり菜々の兄である石谷光政がこっそりやってくる。光秀が敗れた後身を隠して生きて来ており、元親を頼ってこうして訪ねてきたのだ。密かに土佐へやる。どうするかという段、一時的に名前を変え素性を隠し九州征伐の先鋒に加わり、戦果を挙げた後、正体を明かしてはどうかという案が浮上する。戦はこりごりと尻込みするのだが(結局は九州平定の先鋒隊に参加する)
先鋒として九州に向かった仙石、長宗我部、十河だが、功を焦る仙石の独断と、ただ長宗我部が憎いという一念で仙石に同調する十河により、薩摩の罠であることは明白なのに、突撃せざるを得なくなった。戦争の経験のないただの官僚である仙石に嫌悪感を示す長宗我部親子。戸次川の戦いと呼ばれる激戦が始まる。案の定薩軍の罠であった。真っ先に逃げる仙石。長宗我部は最後まで戦う。十河も長宗我部への恨みから仙石に同調したが、負け戦というのはわかっていた。その意地のために戦う。結局十河は討たれ、信親とその騎下700名は討死。元親もそれを聞き自刃しようとしたが家臣に諫められ、戦線離脱した。しかしなんと愚かな戦闘だったのか。現実的には勝てる見込みがないのに、官僚的思考(大将である秀吉にアピールしたい)と、武士的潔さが悪い方に反応し、明らかに最悪の行動を生んだようだ。分かっていながら避けられない。このように無駄に討死することを思えば、いっそ秀吉の四国征伐の時に討死してくのだったと涙を流す場面が胸に染みる。
その後は余録のように続く。信親が討たれた頃、病を患っていた菜々が死んだ。この時元親は腑抜けのようになったようだ。夢や野望を失ったとき男は脱け殻になる。
腑抜けになっているとはいえ、その後秀吉の元で小田原攻めや朝鮮出兵に参加している。
覇気を無くしたというより、人柄は好いていたかもしれないが、秀吉的政治に釈然としないものがあったのだろう。戦って成果をあげる時代が終わり、政治で国を纏めていく時代になった時、元親の時代も終わったのだった。
時代が変わった時の前時代人の感じる疎外感と前時代人を見る嘲笑。
女は子を作る道具と考えなければならない。女性蔑視と言われるだろうが、大将という役割に対しての意味だ。同様にそれによって生まれた子にしても、家名を継ぐ道具とも言える。確かにこの時代、家名を存続させたり繁栄するために政略結婚の道具として使われている。そして元に返って男自身も、一族を残すための道具のひとつにすぎない。一族や家名という人格のないものを存続させる道具。
戸次川の戦いがクライマックスで、その後数ページで元親のその後の人生が語られる。一種の覇者だが、信長、秀吉、家康とは違う人間臭い英雄の人生に司馬遼太郎の作品では珍しく叙情的な読後感を感じた。しばらく余韻に浸る。
 
上巻
20190304読み始め
20190310読了
下巻
20190310読み始め
20190311読了

サッポロ麦とホップ「本熟」

2019-03-09 16:52:35 | ビール以外

1.5倍熟成とある。

熟成となるとうまそうだ。

香りは、熟成をイメージさせる、濃厚で甘い感じ。

飲み口はうまい。ビールのような、それもいいビール。しかし中盤以降は発泡酒らしさが現れる。

麦とホップの特徴かエグ味のようなものが出る。

後味は油性の余韻。

悪いように書いてしまったが、飲み方に工夫すればうまく飲めるかもしれない。

一気に口に含み、多少長めに口の中で味わい、鼻から息を抜きながら飲み込む。これがいい。