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「紙の動物園」 ケン・リュウ

2019-07-14 16:15:47 | 読書

気にはなっていたが短編集であるのとSFと言うので、読むのを先伸ばしにしていた。SFなのに胸に染みるとか、静かな感動という意外性。果たしてどんな話なのだろうか。

「紙の動物園」父親はアメリカ人で、母親は中国人(香港)の少年。母との関係が 、紙で作った虎の折り紙、他の動物たちとともに語られる。幼い頃は母親が作ってくれた折り紙に(それが生きているごとく動き出す)勇気付けられてきた。少年は成長と共に中国人である母親が疎ましくなり会話もなくなってくる。折り紙も屋根裏にしまったままだ。大学生になり就職を控える頃に成ると、母親は癌のため死の床につく。やはり素直に心を表せない主人公。手を握るのが精一杯で、学校に戻るため飛行機で帰路につく。空を飛んでいるときに母親は旅立つ。数年たち、清明節という中国の節目の日に屋根裏にしまってあった折り紙を取り出す。その中に見つけた母親の手紙。成長と共に話をすることができなくなったが心ではつながっていて愛しているという内容だった。・・・確かに心に染みる。折り紙が命を吹き込まれ動き出すと言うところはSFと言えなくはないが、十分文学作品として通用するのではないだろうか。
「もののあはれ」こちらはSFらしく、月が分裂してその欠片が地球に衝突するかもしれない。その前に宇宙船で脱出しようというのが設定ではある。日本人が主人公の話だ。日本人は和を大切にする。一人では無力だが、人が集まって大きな力を得る。という思想が伝えたいこと。宇宙船に乗れる人数は限られている。そこで両親は自分達を犠牲にして息子(大翔)だけを宇宙船に乗せた。宇宙船での航海中故障が見つかった。その修理を買って出た大翔だった。宇宙での移動用の燃料のはいったガスボンベと、修理用の燃料の入ったガスボンベを持って故障箇所に向かう。しかし途中で修理用のボンベに穴を開けてしまい、ガスは空っぽになった。そこで両親から教えられた日本人の心を思い出し、帰り用のガスを使って修理を完了させた。帰れないことが確定した大翔は、宇宙船の乗組員に余計な心配をかけるまいと自ら宇宙へと離脱するのだった。こう言う身の引き方と言うのは東洋的であるかもしれないし、映画「ミッション・トゥ・マーズ」の前半部分でもこんな場面が出てきた。それにしてもやはり何か寂寥感やしみじみしたものを感じさせる。
「月へ」月へと亡命する人たちの入国審査官が主人公。何が正しいのか、誰が正しいのかを考えさせる話。話の主体が誰なのか掴みづらく漠然としか理解できない。
「結縄」<天村>数千年山の上で暮らしてきたムン族たちの所に、年一回商売に来る商人にくっついて一人のアメリカ人、ト・ムがやって来た。村人たちは過去からの知識を結縄(けつじょう)文字という縄に結び目をつける方法で記録してきた。ト・ムは村人の治療法に関心を持っていた。紙に書くより縄で結んだ文字の方が先人の声をありありと聞くことができる。<グレーター・ボストン ルート128>結縄文字を解読、作ることの達人であるソエ=ボは長い縄を折り畳みそれがどんな立体になるか予測する達人でもある。それをタンパク質のフォールディングに応用し医薬品の開発に活用しようと考えたトムはソエ=ボをアメリカに連れて帰り、研究に携わらせた。その見返りとして、飢饉に陥っている自分の村のために米の種籾を譲ってもらう。<天村>村に帰ったソエ=ボは種籾を植えた。それはあまり美味しくはないがかなりの収穫だった。次の年用に種籾を保存していた。そこへトムがやってきて、2回目の種籾は育たない、そういう遺伝子が組み込まれている。だから今年は今年で新しい種籾を買ってもらわねばならない。著作権を楯に対価を要求しているのだ。ソエ=ボは無償で自分のタンパク質フォールディングのノウハウを与えたにもかかわらず。時代は移り行く、ナン族も例外なく変化すべきだという話なのだ。ソエ=ボはナン族にとって何か取り返しのつかないこととしてしまったのではないかと後悔する。未来への教訓としてこの出来事を結縄文字に記録するのだった。<グレーター・ボストン ルート128>代わってアメリカのトム。今回の研究によって創薬が劇的に加速する。と同時に特許により大金も手に入れる予定だ。貪欲なトムは次のプロジェクトのためブータンへ向かう。皮肉な話だ。平和に独自の文化を営んでいる少数民族に、頼みもしないのに勝手に向こうから邪魔を入れられ、望まない変化を余儀なくされる。東洋或いは日本人の感覚からすれば、特許で得られる金を、トムは個人としてナン族に還元するべきだと考えてしまう。そういう結末に持って行かないところに作者の批判的メッセージを感じる。
「太平洋横断海底トンネル小史」パラレルワールドの話だ。第2次世界大戦は起こっていない、何故なら第一次世界大戦のあと日本は有力な国の一つとなっている。アメリカと連携してパナマ運河の太平洋バージョンということで、太平洋横断海底トンネルを作ることになる。その作業員の話で、人生のほとんどをトンネルの中で生きてきた。人種の違いや、疎遠になっていた家族などがテーマとなる。結局トンネルの中が一番心が休まる主人公であった。
「潮汐」これはショートショートだ。一編目から思っていたが、下手なのかわざとなのか訳仕方にクセがあり、ちょっと台無し。
「選抜宇宙種族の本づくり習性」様々な種族の記録の残し方。つまり本の概念は種族によって異なる。アレーシャン族は嘴のようなもので石に言葉を刻む。レコードのようなものだ。クァツオーリ族は体は銅で脳は石で出来ている。石の中には細かい水路が張り巡らせていて、そこを水が通ることで意識様の働きをする。ニューロンがここではその水路のようなものとなる。これは面白い考察だ。ヘスペロー族は思考や記憶といった精神活動をマッピングすることを成し遂げた。死んだ人間の精神をそのまま氷漬けにする。過去を知るには本より過去に生きた者の精神の氷漬けを解読すればいい。つまり本は不要になった。タル=トークス族は、自身が実体を持たず精神化して宇宙を漂っている。星々が本であり読書だ。ブラックホールの事象の地平線が究極の本であり、永遠に読書を楽しむことができる。カル’イー族はあらゆる種族の読むことが不可能となった古い本を集める。そこに自分たちの街を作る。そこには本の内容を意識せず理解した上で新しい解釈を加えるようだ。ここでムン族が再登場する地球からの使節になったようだ。結縄本をカル‘イー族に与えたらしい。
「心智五行」木火土金水ではなく木火土鉄水。酸甘旨苦塩。科学が発展し微生物を撲滅し感染症を無くした世界から、原始的な惑星に不時着したタイラ(女性主人公)。そこではルーツを中国に持つ人々が住んでいた。五行説を発展させ独自の生活を営んでいる。微生物と共生しており、腸内フローラも有している。そんな世界で初めは感染症に苦しんだが、やがて永住してもいいと思うようになった。そこに仲間が助けに来る。その時タイラの腸に住み着いた微生物を抗生物質により全滅させる処置を受けた。すると感情がなくなってしまった。どうやら腸内フローラの微生物が作り出す様々な物質は脳に働きかけ、様々な感情を作り出しているのだった。無感情な元の世界でなく感情のあるその惑星に戻ることを選ぶタイラ。一瞬皮肉な結末を想像したがハッピーエンドだ。分子生物学、微生物学を通って意識科学に展開する話。なかなかこれは面白かった。https://www.gastrojournal.org/article/S0016-5085(11)60230-8/fulltext
実際に著者はこの論文から着想を得たという。
「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」親子の関係を描くのが好きなようだ。主人公の少女は実態ではなくデータとして生きている。次元も様々に渡り歩くことができる。父親はもっとハイレベルだが、母親は三次元に生きていて少女とは別に暮らしている。母親は自分をデータ化して、生命を持つであろう最も近い惑星に飛行士として向かう。それは帰還のない任務であり娘と最後の旅をするわけだ。
「円弧(アーク)」死体を樹脂に置き換え生を与えるボディ=ワークという芸術を作製する会社で働く女性が主人公。やがてその会社は様々な処置によって老化を止める(むしろ若返る)技術を開発する。主人公はそれにより永遠に年を取らない体となる。自分より早く年を取ってしまう子供達。そして全人類が老化しない処置を受けることが当たり前の時代がやって来る。そんな時に主人公が思ったのは処置を拒否すること。自然に死を迎えることを望むようになる。ここでも親子のあり方を示している。
「波」これは壮大な話。こちらも永遠の命を持つことのできる技術が完成された世界で、永遠の命を得るか永遠の命を得るか、今までのように年老いて死んでゆくかを選択する。「円弧」と違い、永遠の命を得る方を選択する。そしてさらに人間という殻を捨て、データだけで生きる方法に発展する。そして基本は精霊のように漂って生きているのだがたまに実体化するため金属の体に宿る。そうやって子孫は進化し続ける。しかし神話は残り語り継がれる。
「1ビットのエラー」1ビットのエラーによって人生が変わってしまう話。遠くの超新星爆発によって放たれた量子の一粒が、車の自動運転システムにたったの1ビットのエラーを生じさせることで同乗していた恋人を無くしてしまう。やがて別の女性と結婚し、生まれた娘に死んだ恋人の名前をつける。その娘が8歳の誕生日に8.6光年離れたシリウスを見ながら、自分が受胎したであろう瞬間に放たれたシリウスの光を今受け止めたいという。ほんの1ビットエラーが意識の変容を生じさせ神秘体験をするのだ。読みにくい作品ではあったが、不思議な運命のようなものを感じさせる手際はさすが。
「愛のアルゴリズム」子供を赤ん坊の時に失った夫婦が人工知能のアンドロイドを開発する話。知能とはなにかという進化の過程がわかる。チューリングテストへの批判。意識があるかのような反応をしたからと言って、ただ与えられた質問に適切な回答をしているだけなのかもしれない。
「文字占い師」これは最初の話のように、SF感は全然ない。台湾にやって来たアメリカ人の親子。アメリカ人学校ではいじめられていたリリーだが、地元の老人と孫の少年に助けられる。老人は文字で占うという特技があった。老人は共産党のスパイの疑いがあり、リリーの父親は諜報員で、それを暴く立場にある。とても残酷な運命で、嫌な話だが、少女はやがて文字占い師になろうとする。
「良い狩りを」訳者が、お気に入りの作品を最後に持ってきた、と言うようにいい話だ。妖孤と妖怪退治師の話に始まる。魔物と共生する古い時代から、蒸気機関車に始まる科学の時代に変わると共に、妖孤と妖怪退治師のいきる世界がなくなっていく。妖孤の娘と主人公は数年置きに再開し、古い時代を回想する。やがて主人公の少年は科学という魔法を操れるようになり、妖孤は狐に戻れず人間の姿のままであったが、その体もいつしかアンドロイドのように金属にとって変わっていた。主人公は科学技術を使って妖孤を元の狐の形に変えてやる。
どの作品も親子の描写があり、そのどれもがアメリカ的でなく、日本的でもない。これは中国的なんだろうかと勝手に想像する。SFの要素もエッセンスとしてはあるが、本質は科学によって消えていく古き伝統への郷愁というのが感じられる。また今までのSFにはない、意識とは何かという問いかけにも言及していて興味深い。
 
20190704読み始め
20190714読了

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