(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

石川フィーバー

2015年05月16日 | 時事
両陛下が北陸新幹線に初乗車、石川県へ
最近、石川金沢の荒ぶり様がすごいですな。

北陸新幹線の開通は富山も通ることになったわけですけど、何やら終着駅の石川がクローズアップされ過ぎな気がします。TVでも金沢推しばかりですしね。「富山で乗り換えてもらって飛騨高山へ」という岐阜の観光戦略は見事に崩されてしまいました。

兼六園は中学の時行ったけど、当時は流石にデジカメじゃないからデータがないのが寂しいなあ・・・まれちゃん関連で能登まで日帰りしてみるか。

ドラえもんの声

2015年05月15日 | 時事
大山のぶ代の夫・砂川啓介、胃がん手術と妻の認知症語る「先に逝くわけにいかない」
10年くらい前まで彼女の話がまだ道徳で使われてたけど、今はもう流石にできませんね。

つい先日、ドラえもんが声変わりして10周年を迎えたそうで、新しい声担当の水田さんが「10年経てばもうあなたの声ですね、と大山さんに声をかけてもらった。」と話したエピソードをどこかで見ました。しかし、この話が本当なら既にこの時も患っていたことになりますな。うちの祖母も倒れる前に少し認知症の症状が出ていて、女学校の先生をしていたことを思い出し、「早く学校行かなきゃ。」とか言っていました。妄想だと頭ごなしに否定するのは簡単ですが、そのまま聞いていると祖母なりに当時の記憶が繋がっていたりもして、そうした過去の記憶と現在とが曖昧になってしまう病なのだと思いました。話がちんぷんかんぷんでも、慣れたことを行う際には意外にちゃんとやり切ったりもするので、大山さんの場合も声優業はそれなりにこなせてしまうのでしょう。人間、いずれは通る道とは言え、自分達世代にとってドラえもんと言えばあの声ですし、「ぼくドラえもんです。」という文を見ただけでいつでもリフレインできるほど脳細胞に染みこんでいますから、もう聞けなくなるかもしれないのは悲しい限りです。

「ドラえもんの声」とは、大山のぶ代さんが声優になったきっかけの話です。200文字で要約すると、
昔から「ドラ声」だった私は中学の頃そのことで悩むようになり、周りからもからかわれていた。しかし、母に「手でも足でも苦手だからと言って使わないとどんどんダメになる。声を出す部活に入りなさい。」と言われ、演劇部に入った。それで「ドラ声」を生かして練習するうちに演技の幅が広がって今の職業につながったが、まさか「ドラえもん」の声優にまで選ばれるとは。人生、何が幸いするか分からないものである。
短所を長所に。手元に資料がないので思い出して書いていますけど、そんなテーマだったと思います。まあ、実際は彼女のような逆転ホームランは中々難しいでしょうから、出口では自分の長所を見つめさせるようにした覚えがあります。数年前に参観日でやったのが最後で、保護者には大うけだったのですが、肝心の子どもは既に声変わりの声に慣れてしまっていて、入口が難しい授業でした(笑)

彼女ならきっと認知症すらも長所に変え、笑い飛ばしてくれるでしょう。

伊吹山有料化

2015年05月13日 | 時事
滋賀・伊吹山、入山金を本格導入 徴収方法に一部変更も
あれ?去年行った時も徴収してたけどなあ・・・いや払ってないけど(笑)

どうやら自分が行った米原側の本格登山口の方は現状通り任意徴収で、関が原側の伊吹山ドライブウェイで上がってきた9合目の方でも任意徴収すると言うような話のようです。あちらは確か車で上るのに3000円ぐらい取られたと思いますけど、さらに入山するのに300円上乗せするということか・・・0合目からならまだしも、ドライブウェイは9合目から20分ぐらいですぐ頂上ですから、トイレも使用しないでしょうし、ちょっと300円は高いような気もしますな。

まあ、富士山では「ふるさと納税」として1000円徴収していましたから、ちゃんと趣旨や目的がはっきりしているのなら十分理解は得られると思います。

鹿児島市内観光

2015年05月12日 | Weblog

実は屋久島に行く際、ちゃっかり鹿児島観光もしてきました。

事前に天気予報で2日間晴れる日を特定していたのですが、折角鹿児島まで行くので市内も見たいと思い、雨の中でしたがレンタカーで回ってきました。鹿児島は西郷隆盛を始め、大久保利通や島津斉彬、天章院篤姫等、様々な偉人の銅像が至る所に建っています。面白かったのは、平田公園と言う所に平田靱負の銅像まであったことでしょう・・・コレちょっと説明が要りますね(笑)
薩摩藩は、関が原の戦いでは西軍に着き、一敗地にまみれ敗走してきたと言う歴史があります。その後開かれた徳川幕府の下では、こうした外様大名には何かと厳しい措置が課せられ、様々な公共事業などを命令されたのです。薩摩藩に与えられた使命は、我らが岐阜県と愛知県、三重県に跨る、木曽三川の分流工事。そこで平田靱負の指揮の元、薩摩義士達が多大なる犠牲を出しながら見事難工事をやり切ったというわけです。そのため、岐阜県では必ず4年生の地域学習に取り上げられ、低地の人の暮らしと共にこの薩摩義士の話を学んでいるのです。しかし、当の鹿児島ではどういう扱いになっているかは全く知りませんでした。
以前清須城を訪れた時、井沢さん監修の、まさに目から鱗の落ちる記述を目にしたことがあります。それは織田信長の開いた楽市楽座について。教科書の記述では、関所や座(市場独占)を廃止し、自由に商売ができるようにしたとあり、地元岐阜でも「これによって商売が盛んになり、岐阜の町の発展に貢献した」という程度の解釈をしていました。しかし、清洲城の説明書きによると、これは「地元清洲人が新しく岐阜に住み着くに当たり、邪魔だった関所や座を廃止させた」のであり、既得権益をもつ岐阜の先住民にとっては承服できない内容だったわけです。このように、歴史とは最低でも双方向、できれば第三者視点も含め、様々な見方をしなければ本当の理解はできないのです。つまり、もしかしたら工事の後で多大な犠牲と散財の責任を取り切腹した平田靱負や岐阜人を鹿児島人は恨んでいるのでは?とも考えていたのです。まあこうして像が建っているところを見れば、こちらでも立派な偉人の一人として崇められているようで安心しました。これで低地の学習にも熱が入ると言うものですな。コレを読んでいる鹿児島の皆さん、岐阜人は鹿児島への恩を忘れていませんよ(笑)

城山公園から桜島を見ようとしましたが、あいにくの雨で何も見えませんでした。その後寄った天文館というアーケード街で目にしたのは、白くまアイスのお店。コンビニのアイスしか知りませんでしたが、こちらではサーティワンのような立派な店舗を構えているようです。あと、コンビニの自動ドアの前に更に手動ドアがついていて、桜島からの降灰が入らないようになっていました。これも訪れないと知らないことでしたね。やはり旅はするものです。
もう1つ鱗が落ちたのが、ガソリンについて。最後に給油して返すわけですが、130円と言う表示板を見て入れた所、どうも思ったより高かった気がしたので、後でレシートを確認したら、130円にさらに消費税が8%追加されていました。
外税かよ!
実質140円か・・・こんな詐欺表記は鹿児島だけでしょうか?

交代旅行

2015年05月11日 | Weblog
屋久島から戻って数日後、今度は両親が海外に出かけました。

と言うわけで、久しぶりの留守番生活です。去年は祖母が入院し、亡くなった関係でしばらくどこにも行っていませんでしたが、この春に無事納骨も済んだので、春には1週間メキシコに行っていましたし、今回は一気に2週間羽を伸ばしてくるようです。まあ両親もいつまでも元気でいるわけではないですから、行きたいところがあれば行けるうちに行くということでしょう。つまり、留守番生活もあと数年ぐらいのものですね。

まあ、もう祖母がいないので、コレまでのように夕飯を作るために早く帰るというような必要もなくなり、悠々自適に生活しています。前日からダシを取って煮物とかも作らなくて済みますからね。自分が食べるだけですから、ちょっと気分を変えて普段作ってもらえない広島焼きとか、鶏唐からの残った鶏肉で五目あんかけソバからの残ったあんとたらこでチャーハンとか、残り物のリメイク連鎖を楽しんでいます。チンゲンサイなんて自分で使ったことありませんでしたが、今はサラダでもいけるのですね。それにしても、本当焼いてばかりで重たい料理ばかりですな(笑)冷蔵庫にあるものが底をついたら煮れる魚でも買ってくるか・・・つーか米が尽きかけているから発芽玄米を混ぜてカレーで片付けないと・・・いや山菜と炊いたらどうなるだろう?・・・

楽だけど、張り合いはないですね。

屋久杉のでき方

2015年05月10日 | Weblog

屋久島の所々に出てくる特徴的な岩。川原の石から石段、太鼓岩まで、全てがこの粒々が入った白っぽい石でできています。

実はこの屋久島、島全体が超でかい花崗岩でできているそうです。火山ではなく、岩が造山活動で隆起した感じですね。なので、一番高い宮之浦岳の頂上にも巨大な岩がゴロゴロしているそうです。おそらく地面も少し彫れば花崗岩にぶち当たるのでしょう。この写真のように、杉の木は岩に降り積もった僅かな土を頼りに生長しているのですね。元々はエアーズロックのような一枚岩だったかもしれませんが、こんな感じで木の根が岩を砕いたり、風雨で浸食されたりして今の屋久島の形になったのでしょう。

もう一つこの島でよく見る光景が、このような倒木に寄生して伸びているような杉。前述のように地面の栄養が乏しいので、こういう成長の仕方を選ぶしかなかったのでしょう。このようなヨソより厳しい土壌条件が、1000年を生きる屋久杉の成長に大きな役割を果たしているそうです。

普通の杉はむしろ他の木より生長が早い方で、40年で回復し、寿命は500年程度と言われます。その特長を生かして日本各地で林業に用いるため大量に植えた結果、現代の杉花粉症を生み出してしまったわけですが(笑)ここ屋久島では土壌の栄養が少ないので1年でそれほど大きくなりません。それに加えて温暖湿潤で多雨であり、木から樹脂が多く出てコーティングされ、腐りにくくなるのだとか。結果、年輪が密に詰まった独特の色合いの屋久杉に生長し、1000年2000年と生きるのですな。あと樹脂の影響で他の木と結合しやすく、夫婦杉とかくぐり杉とか、ユニークな形の木が生まれやすいようです。
ちなみに縄文杉は最新の年代測定で少なくとも2000歳以上であることは確定しているそうですが、詳しい年齢は実は分かっていません。何やら7300年前に喜界カルデラが大噴火を起こし、その影響で一旦屋久島全体が丸坊主になったそうで、その後で生まれたとして7200歳と言われているそうです。屋久島のシンボルをまさか切り倒して調べるわけにはいきませんから、自然に倒れるまで、本当の年はヒミツということでしょう。

屋久島世界遺産センターにあった杉と屋久杉の展示。ちょっと文字が小さいですがどちらがヤクスギかは一目瞭然ですね。樹脂の影響か、何年もかけて熟成させたウイスキーのような琥珀色をしています(笑)1000年を生きた貫禄を感じさせますな。江戸時代には既に伐採と同時に再生させる動きもあり、伐採され使えない部分の木がそのまま捨てられることで、そこから新しい芽が出て育っているそうです。世界遺産になったことで現在は自然に倒れた木や枝しか利用できなくなっていますが、今も様々な細工品が島の主要産業となっています。

屋久杉のテーブルが田舎の家にありますが、そんな大層な物だったとは・・・本当、実際行ってみないと分からないことは世の中に山ほどありますな。

屋久島の民宿

2015年05月09日 | Weblog

初日の宿でいただいたトビウオ料理。奥にあるのは普通のさつま揚げかと思っていたら、ここにもトビウオのすり身が使われているとか。

宿はガイドブックに載っているような人気の所は結構込むので、早めに予約すると良いと思います。ちなみに1泊2食と言っても、朝は縄文杉など早起きして出かけてしまう場合も多いので、お弁当に替えてもらうこともできます。さらに昼食のお弁当も一緒に注文でき、朝4時とかに2食分のお弁当を受け取って出発できるわけですね。まさに至れり尽くせりですな。
しかし、更なる楽しみ方をしたい人は、素泊まりの宿を探すと良いでしょう。港に屋久島にある宿の連絡先と料金が一覧になった紙が置いてあったので、2日目の宿を決めるのに非常に参考になりました。昔からやっている名物おじいちゃん民宿のような所は、食事を作る元気はないけど話が面白く、色々と教えてくれます。しかも料金は3000円台と異常に安い。まあ民宿は結構季節商売なので、この価格帯だと採算がどうというより出会いを楽しんでいる感じですね。ちなみに宮之浦や安房には飲食店が多く、食事に困ることはありません。ふらっと寄った所で昼間の縄文杉ですれ違った登山者の方と出くわして話が弾み、三岳という屋久島焼酎をご馳走になりました(笑)あと、早朝営業の弁当屋も結構あるようです。自分は翌日帰るだけだったのでスーパーで買っていましたがね。

テント泊も憧れますが、やはり折角の機会なので出会いを大切にしたいものです。

宮之浦岳日帰り考察

2015年05月08日 | Weblog
 

ヤクシカはそれこそ登山道ですれ違うほど(笑)頻繁に出会いましたが、ヤクサルは帰りのバスの中で2度見かけただけでした。

雪も降るそうですけど、年中通して温暖湿潤な気候なので食べ物に困らず、これ以上大きくなる必要がないために普通の鹿より小ぶりに進化したそうです。と言うわけでメインの2日を白谷雲水峡、縄文杉で過ごしてきました。当初の目的は果たしたので十分満足できたわけですが、やはり人間成功すると欲が出ると言うか、次の目標を考えたくなるもの。今回は日程的に不可能だと思っていた日本百名山「宮之浦岳」の日帰り登山が本当に不可能だったのか検証してみたいと思います。ちなみに「私の場合」の考察なので、この記事を見て遭難されても補償はできかねます(笑)事前にジョギングで1日25kmか、ウォーキングで1日40kmか、平泳ぎで1日7kmくらいは行ける体力をまず身に着けて下され。また、日帰りにこだわるわけは、上記のトレーニングの弊害と言うか、寝袋のように重いものをずっと持って歩きたくないだけです(笑)
屋久島はほぼ円形の島で、中心に宮之浦岳があり、12時の地点に宮之浦港、3時の地点に安房港があって、登山道へはそのどちらかからアプローチする形です。必然的に、登山コースはそれぞれの登山口から目的地まで同じ道を往復するような形で構成され、路線バスもそのコースタイムに合わせて運行しているようです。なので、自分のようにコースタイムの6~7割で行ける場合はバスの時間までちょっと待つ羽目になるので、何か他の道も行けたのじゃないか?という気になってしまうのですね。また、行く前にはよく分からなかった白谷雲水峡と縄文杉と宮之浦岳の道のつながりも見えてきたので、往復せず上手に縦走することを考えれば、もう少し視界が開けた可能性もあります。
参考までに、グレートトラバースの人はどうしたかというと、安房から去年の4月1日夜0時にスタートし、5時に淀川登山口という所に到着。8時に宮之浦岳へ登頂成功し、そのまま縄文杉方面に下り、ウイルソン株を12時に通過、さらに楠川から白谷雲水峡を抜け、バスで通ってきた道路も全部歩いて日没の18時までに宮之浦港に到着しています。これだけ聞くと何か行けそうな気もしてきますが、流石に宮之浦岳1936mを始め1500m級の山を5つまたぎつつ25kmの山道と35kmの舗装道を18時間で歩ききる体力はありませんね。単純にコースタイムを当てはめると登山道だけで17時間。正真正銘1泊2日コースであり、普通日帰り登山は不可能だと言って良いでしょう。一般的に可能かどうかは、彼を基準にして決めてはいけないと言うことですな(笑)

では順番に1日目から考察していきます。まずは①白谷雲水峡から縄文杉を見て日帰りで帰れたかどうか。屋久島のメイン2つを1日目に済ませられれば、2日目に宮之浦岳のみに焦点を絞った日帰りチャレンジと言うことも考えられます。距離自体は計23kmなので、荒川登山道から縄文杉を往復する22kmとそう変わりません。問題は出発時間でしょう。白谷雲水峡に8:55着は、路線バスでの最速値。ここから太鼓岩まで2時間かかりましたが、屋久杉を見て回る寄り道コースを選択しなければ1時間半で行けるでしょう。縄文杉のコースに合流する楠川分れまでは上りも下りも30分。まあ11時として、その後は2日目の行程で計算して行くと、縄文杉には13時頃到着できる計算になります。大体4時間ですね。下山は多少速いですが、それでも白谷雲水峡へ戻ると16時ですから、16:10発の最終バスには結構ギリギリになってしまいます。実際はもう1時間寄り道にかけているわけですし、当然太鼓岩や縄文杉で観光・休憩もしますから、あのタイミングでの日帰りは不可能だったと言えると思います。当然日帰り宮之浦岳を目指すことはもっと不可能ですね。まあ、帰りはバスに頼らず、歩いて12km下るのなら別ですが(笑)無理して戻らす、縄文杉を見た後で荒川登山口の方へ行くとすると、ひたすら下りですし帰りは2時間半ぐらいでしたから、16:30発の路線バスには十分間に合うでしょう。そのまま乗り継ぎ安房経由で宮之浦に戻ることもできますし、屋久杉自然館までなら最終18:00までバスがありますから、最悪でも安房まで下り3kmぐらいなら疲れていても歩ける距離です。つまり宮之浦から出発し、縄文杉で折り返して荒川登山道に抜け、安房に泊まるのなら①は可能だったと言えますね。ちなみに屋久杉自然館から荒川登山口までは載り放題券が使えないので、宮之浦から白谷雲水峡まで550円、荒川登山口から屋久杉自然館まで870円、安房から宮之浦まで830円、計2250円で済みます。これらの行程なら乗り放題券を買う必要はないでしょう。

次は2日目の、②荒川登山口から宮之浦岳まで日帰りで行けたか。早朝バスに載り、荒川登山口に6:15に到着でき、帰りのバスも最終18:00と遅いのが魅力です。縄文杉まではトータル3時間半、観光しながらでも10時には着くことができました。ここから宮之浦岳までは高低差500m、約5kmの道のりが待っており、コースタイムは4時間半だそうです。ここから先は実際に行った訳ではないので推測になりますけど、既に11km来た体力を鑑みて、まあ急いで登っても3時間半、13時半に登頂できるかどうかと言う印象です。さらに登頂後は来た道をまた16km戻るわけですから、へばった体力での下山を5時間半と見ると19時となり、荒川登山口の最終バスに間に合いません。白谷雲水峡は19時半到着ですからもっと無理です。何かわざとギリギリアウトになるようにバスが用意されている気さえしてきますな(笑)タクシー会社の陰謀か!?・・・まあ、32km12時間半の行程で1時間オーバーですから、頑張ればギリギリセーフとなる可能性もありますな。登山あるあるの1つとして、こういう同じコースを往復する登山は必ず帰りに来た道を通るわけですから、実は途中でリュックなど必要のない荷物を置いて行くことで身軽になり、速度を上げることが可能なのです。「盗まれないか」という心配をする人もいるでしょうけど、例えば1時間も山奥に置いてあったリュックを盗んだとして、その人は1時間、2つのリュックを背負って登山口まで歩くわけですから、明らかに不審者です(笑)そんな苦労をして、入っているのが替えの服やパンツとかだけだとしたら、実入りもありません。特に多くの登山者が行き交う人気のコースほど物色することも困難になり、置いていっても盗まれ難いものなのです。例えば途中の山小屋で着替えだけでも出して「後で取りに来ます」とか書き置きさえしておけば、ずいぶんと軽くなるでしょう。と言うことで、荷物を置くなどして強行すれば②も不可能ではない可能性があるとしておきます。また、この時期は19時でも結構明るいので、何とか急いで白谷雲水峡に戻れば、あとは車道を12km歩いて目標21時というのもアリでしょう。44kmはかなりの強行軍ですけど・・・いずれにしても自分は縄文杉の時点で食料が尽きたので、挑戦しなくて良かったと思っています(笑)これは明らかな準備不足ですな。ちなみに、前日とは出発に2時間半のアドバンテージがあるので、荒川登山口から縄文杉を折り返して太鼓岩に抜け、そのまま白谷雲水峡のバスで帰ることは余裕で可能です。バス代も上記と同じになり、載り放題券は必要ありません。白谷雲水峡の入場料300円も必要ない(荒川登山バス時に支払い済み)のでちょっとお得です。

ここで視点を変え、宮之浦岳の日帰り登山が可能という触れ込みの③淀川登山口を使うとどうかを考えます。既に標高1400mから登り始められるので、高低差500m、往復16km7時間の道のりです。今回の旅行では行きませんでしたが、屋久杉自然館からヤクスギランド、紀元杉の方へ行くバスも存在し、淀川登山口は紀元杉から歩いて30分ほどだそうです。ヤクスギランド自体は大回りしても3km2時間ぐらいのコースで、縄文杉や白谷雲水峡など普通に登山する体力に自信がない方でも楽しめる、言わば登山初級者用施設のようです。紀元杉に至ってはそのままバスに乗っていれば車道から見える屋久杉らしいですしね。なので今回のプランでは一切考慮していません。まあそのせいか、バスものんびりと安房9:20発と13:33発の2つしかなく、宮之浦を8時に出発し乗り継いで到着できないことはありませんが、最速で11時少し前に登山開始と言うことになってしまいます。しかも帰りのバスもめっちゃ早く、14:50発が最終となっています。これは白谷雲水峡か荒川登山口から出発し、山小屋に泊まって翌朝宮之浦だけに登り、昼に向けて淀川登山口に降りてきた人向けのバスだといえるでしょう。つまりこの淀川登山口往復バスは完全にどこかの山小屋を使う1泊2日プランを想定しており、宮之浦岳への日帰り往復は不可能ですし、②のコースで宮之浦岳に登り、淀川登山口方面へ3時間で下山したとしても16時を回ってしまい、いずれにしても帰りのバスに間に合わないのです。従って、そもそも淀川登山口は路線バスでの日帰り登山不可能だと言えるでしょう。最終手段は安房まで23km5時間、歩いて帰ることか・・・
ここからが本当の地獄だ!
何かべジータの声が聞こえた気がしましたが(笑)まあ淀川登山口のアクセスはタクシーやレンタカーが現実的でしょう。つまり淀川登山口から日帰りで宮之浦岳往復と言う触れ込みは、タクシーやレンタカーで往復することが前提だと言うことですね。早朝タクシーを予約し、安房から朝6時頃に淀川登山口へ連れてきてもらえれば、10時宮之浦岳、13時縄文杉、15時太鼓岩、16時白谷雲水峡と、最終バスにギリギリ間に合うと思われます。ちなみに料金は安房-淀川で片道5500円くらいだとか。白谷雲水峡-宮之浦港は3000円程度。疲れた後で10km20km歩くことを考えればまあ妥当な額でしょうか。

結論。実現可能な宮之浦岳日帰りプランは以下の4つです。【数字】は登山道の距離
①早朝バスで荒川登山口を出発し、楠川に荷物を置いて縄文杉、宮之浦岳に登り、再び楠川から白谷雲水峡に抜け19時半。その後12km歩くかタクシーで宮之浦へ。【32km折り返しプラン】
②早朝バスで荒川登山口を出発し、縄文杉、宮之浦岳に登り、淀川登山口へ下りて16時半。その後23kmタクシーで安房へ。【24km白谷雲水峡パスプラン】
③安房に泊まり、なるべく朝早くタクシーで23km淀川登山口へ。宮之浦岳に登り、縄文杉、白谷雲水峡を抜けて16時。最終バスで宮之浦へ。【25km完全縦走プラン】
④1日目に白谷雲水峡と縄文杉を見ておき、安房に宿泊、2日目にタクシーかレンタカーで淀川登山口から宮之浦岳に登り、折り返して淀川登山口から再び車で安房へ【23km+16km単独プラン】


過酷順に並んでいますから、一番タクシー料金がかかりますが④が一番現実的でしょう。③は簡易グレートトラバースコース。荒川登山口から攻めるより高低差が少ないのが魅力です。②は1日目にウォームアップを兼ねて白谷雲水峡を堪能しておくと良いですね。地獄が見たい方は①の44kmを是非(笑)

縄文杉

2015年05月07日 | Weblog
翌朝4時に起き、いよいよ縄文杉への挑戦が始まりました。

民宿は事前に予約していたので、2日とも宮之浦の方に泊まりました。しかし、縄文杉の登山は安房からの方が近く、そちらで泊まっていたらもう30分寝坊できた模様です。まあ過ぎたことは仕方ありませんね。ちゃんと路線バスがあるのでノープロブレムでしょう。民宿で早朝の縄文杉登山を考えていることを伝えたら、朝食を弁当に切り替えてくれました。さらに昼食用の弁当も注文でき、朝4時に2食分が玄関に用意されていました。さらに朝風呂にも入れ、至れり尽くせりですね。着いたら混む前にすぐ出発したいし、荷物は極力減らしたいので、朝食も宿で食べてゴミを捨ててから行くことにしました。
4時50分ごろバスに乗車、屋久島自然館前には5時半頃到着しました。ここから登山口へのバスには一日乗車券が使えないので、さらに往復1740円かかります。宮之浦港から白谷雲水峡までは550円、自然館まで960円なので、実は往復で考えると3000円乗り放題はほぼトントンなのですよね。まあ100円割引券や、あと1回使えば十分元が取れますし、小銭を出さなくても良い利点があるので良しとしましょう。自然館前では既に50人近くバス待ちをしており、補助席まで全部使って乗り込む感じでした。おそらくタクシーや貸し切りバスなどで来た先発隊も既に100名ぐらいいるでしょう。スタートダッシュで差をつけたいところです。6時20分、荒川登山口に到着と同時に出発。普通はここで体操したり朝食を取ったりトイレに行ったりするのですが、全てかっ飛ばしてトロッコ道を歩き始めました。

縄文杉への道は、高低差700m、往復22km10時間のロングトレイルです。そりゃ8時に動き出していては遭難しかねませんでしたね。出発から8kmはひたすらこの線路の上を歩いていきます。最初の2kmは枕木しかないので、歩幅が限定され速く進めません。しかも線路の脇は崖ですから、抜かすのも一苦労です。まあ、2~3人のチームの方はガイドさんが同行している場合が多く、説明のために立ち止まるので道を譲ってくれる方が多かったです。抜かしながらガイドの声にも耳を傾けていたので、色々と詳しくなりました。そもそもなぜ線路が通っているかというと、当然奥地から屋久杉を切り出して運ぶためですね。杉は成長が早い反面、普通寿命は500年ぐらいなのですが、この屋久島の土地では気候柄のんびりと成長するため、何千年と生きるのだとか。年輪が密に詰まった非常に上質な木材となるようです。古くは豊臣秀吉が大仏建築の木材にしたそうですし、島津藩の時代も献上木として重用されました。トロッコ道沿いにはかつて小学校もあったようで、大正時代には一大産業になったようです。面白いのが、そうして切られた切り株や廃材からまた新たな杉が芽吹いて森が再生していることです。樹脂を多く含んでいて腐りにくいのと、木同士がくっつきやすいのもまた屋久杉独自の特徴ですね。

大株歩道と言う所で8kmに及ぶトロッコ道が終わりました。ここまで2時間で来ることができましたが、ここからは本格登山の様相を呈してきます。歩道や階段が整備されているところもありますが、根っこをかいくぐって進むところもあります。有名なウイルソン株までは15分ほどで到着しました。ウイルソンが洞窟かと思って入ってみたら巨大な切り株だったという所です。あるポイントから上を見ると、景色がハート型に見えることでも有名ですね。中には予想以上に広く、小さな社と小川が流れていました。ちなみに屋久島は所々に清水が流れていて、飲料水を補給できるようになっています。なので多少暑くても水分は1Lも持っていけば十分でしょう。
そこからはひたすら階段を登ったり下りたりする道が続きます。この辺りでは既に先発隊はほぼ全員抜かしてきたようで、逆に宮之浦岳の方から下りてきた重装備の方とよくすれ違うようになりました。縄文杉から宮之浦岳もつながっていて、途中の山小屋に泊まり、1泊2日で抜けるのが基本コースだとか。自分は日帰り登山しか挑戦したことがないですけど、登山デビューするのならちゃんと寝袋ぐらい用意してこないといけませんね。日頃ジョギングで鍛えていますから20km程度の長距離には慣れていても、重いものを持って進むのはどうも苦手なのですが。流石に普通のリュックにTシャツで挑めるのはせいぜい縄文杉まででしょう。
9時50分ごろ、縄文杉のあるデッキに到着しました。山道は1時間半で、トータルでは3時間半でした。

屋久杉はでかすぎて、横位置ではとてもカメラに収まりません。その迫力とスケールは、やはり行ってみないと分からないものです。推定樹齢は7200年。文献の残る時代を軽々と遡り、遥か縄文時代からそこにあるという意味の名づけなのですね。少し先に休憩小屋があったので、そこで早めの昼食を取りました。つーか、最初は行動食のみのつもりでカロリーメイトを食べていましたけど、後できた方がお弁当を食べ始め、自分も食べたくなってしまったのです(笑)まあ帰りには行きに抜かしてきた方が途中で昼食を取るでしょうから、こんなに空いた所で食べられるチャンスはないかもしれませんからね。しかし、どうやらこの判断は失敗で、この時点で持ってきた食料を全て食べきってしまいましたから、午後は非常にお腹が空きました。何故ウィダーインゼリーを持ってこなかったのか・・・

帰りも順調に進み、大株歩道に1時間で戻ることができ、トロッコ道も若干の下りなので楽々歩けます。逆にこうなるとまた、早く戻りすぎる問題が浮上してしまいます。帰りのバスの最初は3時ですが、まだ正午前ですし、2時間ぐらい余ってしまいます。こんなことならもう少し宮之浦岳に向けて寄り道してみるのだったなあ・・・
ここで、昨日通った白谷雲水峡の辻峠へ行く道に挑戦することにし、分かれ道となる楠川という所にリュックを置いてまた山道を登り始めました。昨日の案内板によると下り1時間らしいですが、そこまで大変な道でもなく、僅か30分で辻峠に合流できました。まあこの道はおそらく体力が尽きかけた頃に挑戦することが多くなりますから、少し余裕を持ってコースタイムを組んでいるのでしょう。縄文杉トレッキングは森の中をひたすら進む、正に「もののけの森」と言う感じでしたが、景色の良さで言えばこの白谷雲水峡の太鼓岩が一番でした。出会った人と色々話しながら、1時半に再び来た道を戻り、30分でトロッコ道に合流。そこから1時間で無事スタート地点に戻り、3時のバスに間に合いました。太鼓岩に向かう道は一方通行なので、終わってみればぴったり全ての道を往復した感じですね。トータルで8時間半、寄り道と昼食タイムを除けば6時間ぐらいで行って来られる感じのようです。コースタイムの6割ですな。随分体力がついたものだ・・・

次回、実際行ってみた感触から白谷雲水峡・縄文杉・宮之浦岳のコースを考察してみます。

世界遺産屋久島の旅

2015年05月06日 | Weblog

もののけ~たち~だらけ~(違)
というわけで、屋久島に行って来ました。目的地はもちろん縄文杉です。

昨日の記事然り、世界遺産も放っておくとどんどん増えていきそうな勢いなので、それほど忙しくない今年は積極的に潰していくことにしました。ちなみに現時点で登録されているモノの中では屋久島と沖縄、小笠原、富岡製糸場が残っており、グンマーと迷ったのですが、天気が良さそうだったのでこちらにしました。結論から言えば、本当に行って良かったです。実質2日間でしたけど、1ヶ月に35日雨が降るとか言われる(笑)屋久島で絶好の天候に恵まれましたからね。
屋久島へは直行便がないので、とりあえず鹿児島へ飛び、一番安いフェリーで向かうことにしました。何と3600円。飛行機だとここに万札がついていきますから、おそらく最安値でしょう。しかし安さの裏には理由があり、この船は言わば夜行フェリーなのです。夕方出発し、種子島で停泊、一夜を明かした後、早朝に屋久島に着くようです。実に13時間の船旅で、揺れる船内で寝られるかどうかは悩み所ですが、どうせ夜着いても寝るだけですし、屋久島に朝一で着いて活動できるような交通手段は他にありません。移動と1泊素泊まり料金も込みだと思えば、これほど良い条件はないでしょう。寝不足登山は富士山などで経験済みですしね。

・・・観光案内所が開いていないorz

宮之浦港に朝7時に到着したものの、基本そういう施設は8時からなので、1時間の空白ができてしまいました。幸い船着場でパンフやバスの時刻表などは入手できましたから、別の観光案内所まで少し歩きつつ、計画を立てます。どうやら一番行きたかった縄文杉は、この時間の動き出しでも到達不可能で、登山口に入るには翌日朝4時とかに起きてバスに乗る必要があるようでした。つまり、前日夜までに別手段で屋久島入りを果たしていれば何とかなったということです。安さに踊らされたか・・・しかしここで挫けず、この日は次善策である白谷雲水峡に行くことにしました。冒頭の写真の場所で、映画「もののけ姫」のモチーフとなった場所でもあります。見ているだけで木霊が鳴りそうな、神秘的な気配を感じますな。半日コースのようなので、明日のトレッキングの肩ならしにはもってこいでしょう。8時になり、ようやく開いた観光案内所で飲み物とバス載り放題券(3日3000円)を買って、そのままバスに乗り込みました。
そのバスは港と白谷雲水峡を往復するだけのバスのようで、運転手さんも非常にサービス精神旺盛な方でした。路線バスなのに、いきなり停まったかと思うと「鹿がいます。」とか「ここの景色が良いです。」とか、道中の観光案内をしてくれるのです。流石世界遺産!そういえば、船着場に小学生が社会見学か何かの後に書いた壁新聞が印刷され、パンフとして「ご自由にお持ちください」と置いてあったのにも仰天しました。こういう観光地と地域教育のタイアップの仕方があるのか・・・名前を削って、地元のお寺とかスーパーに置かせてもらうのもアリかもしれませんね。
そんなこんなで9時に到着。最終バスは16時ですが、入り口の方によると「散策時間は大体4時間くらい」とのことでした。パンフによると、一番手前の屋久杉を見て戻るコースが2km1時間、それを飛ばして中間部の屋久杉地帯を見て戻るコースが4km2時間、一番奥にある太鼓岩まで行って戻るコースが5.6km4時間となっていました。よく見ると、いちいち戻らなくてもそれぞれのコースを全部回って戻ることも可能のようです。時間がかかれていませんが、距離で言うと7~8kmなので、コースタイム6時間といったところでしょう。まあ最大7時間まで時間があるわけですし、最初から全て回っていくことにしました。
川沿いの中央道はそれほどでもありませんが、屋久杉を見るためのコースに入ると結構な上り階段が続きます。ちなみに屋久島における屋久杉とは、「樹齢1000年を超える杉」のことを言うそうで、ここの木全部が屋久杉というわけではありません。最初のコースで見たのは「弥生杉」、次のコースでは「二代大杉」「三本足杉」などなど、それぞれの屋久杉に名前がつけられているようです。また、世界遺産登録20周年記念ということで2年前に屋久杉の名前を公募していたようで、「シカの宿」「かみなりおんじ」など、面白い名前がつけられていました。遺産を傷つけることなく盛り上げる、素晴らしい手法ですな。良質の木材となることから、江戸時代を始め近代までどんどん伐採されてきた歴史もありますが、切り株や捨てられた材木から新しい木が生えるなど、森の再生もどんどん進んでおり、特に世界遺産となったここ20年はしっかりと保護されているということが分かりました。1993年の登録は、法隆寺、姫路城、白神山地と並んで日本で最初の世界遺産登録地ですから、ココの運用の仕方は学ぶことが多いです。

辻峠という所に出て、太鼓岩まであと10分となりました。実はここから翌日チャレンジする縄文杉への道につながっており、立て札によるとおよそ1時間で楠川分れという所に合流するそうです。この時点でまだ2時間しか経っていませんでしたから少し行ってみたい気もしましたけど、楽しみは明日に取っておくことにし、荷物を置いて太鼓岩を目指しました。

山の頂上にどんと迫り出した太鼓岩からは正に絶景でした。手前右に写っているのが岩の一部、そして中央奥にそびえる山が、九州最高峰にして日本百名山の1つ、宮之浦岳です。グレートトラバースの人が行っていたので、ぜひ行きたかったのですが、流石に無装備では無理でしょう。この辺の道については、また後日考察してみたいと思います。
この岩もそうですが、屋久島自体がどでかい花崗岩でできており、白い岩の中に結晶のようなものが散らばっているような特徴的な岩をどこででも見ることができます。これ、「もののけ姫」の後半のシーンで、「黙れ小僧!」と叫んだモロの君が座っていた岩のモチーフなのです。その証拠に、「お前にサンを救えるか!」と言われたアシタカの背景の右側に、この写真の左に写っている沢が、その曲がり具合までそっくりに描かれているのです。

結局全部回ってもコースタイムの半分の3時間ちょいで戻ってしまい、次のバスが来るまで2時間近く待つ羽目になってしまいました。
屋久島の旅編、しばらく続きます。

産業革命遺産

2015年05月05日 | 時事
【世界遺産登録へ】「日本のエンジン」評価 一括申請手法が奏功
「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が登録勧告を受け、これでほぼ世界遺産になることが内定した模様です。

自分のブログを辿ると、平泉富士山富岡製糸場の時も話題にしていましたが、最近の登録地はGW前半に勧告されていたので、GW後半の勧告は少々遅れた感が否めません。まあ今回晴れて登録となった場所の中には本日、一気に前日比4倍の人入りになった所もあったらしいですし、やはり世界遺産の経済効果は計り知れないものがありますね。
で、肝心の内訳は、有名所で長崎の軍艦島、福岡の八幡製鉄所など、何と東北・中部・中国・九州の8県にもまたがって登録される模様です。岩手・静岡・鹿児島には既に平泉・富士山・屋久島という立派な世界遺産がありますから、残りの山口・福岡・佐賀・長崎・熊本の5県に新たな世界遺産が誕生することになり、これでついに登録地が26都道府県と半分を超える模様です。今までは多くても2~3県にまたがる感じでしたけど、こういうテーマを1つ決めて関連施設を一気に申請する方法を「シリアルノミネーション」と言い、現在の登録の主流になっているようです。まあ法隆寺とか姫路城とか、初期の頃の単独申請方針では物件が多くなり過ぎ、ユネスコも管理が大変になってしまいますからね。もし再編するなら法隆寺は「古都飛鳥の文化財」として飛鳥・藤原辺りを追加させたり、「古代日本形成期に関わる遺構群」としてもっと広く仁徳天皇凌なども含めたりできるかもしれません。石見銀山も佐渡金山や足尾銅山などと一緒にできたでしょうし、姫路城も「日本の古城」として全国の城を「シリアルノミネーション」させればすっきりすると思うのですが・・・あと今回特筆すべき点はもう1つ、新日鉄住金八幡製鉄所や三菱長崎造船所と言った「遺産」と呼称しつつまだ現役で稼動している施設が登録されることも挙げられるでしょう。これは登録となれば世界初の快挙らしいです。

しかし、世界遺産の光もあれば影もまた然り。登録されるとなれば観光客がドンと押し寄せるので、それなりの受け入れ体制が必要になるでしょう。トイレや駐車場はもちろん、外国人観光客のためのパンフや案内板も準備していかないといけません。多くの人が押し寄せればゴミ問題なども懸念材料の1つとなるでしょう。また京都奈良などで繰り返されている文化財の破壊行為等にも目を光らせないといけません。さらに人の手が加えられなくても、軍艦島などは日々腐食が進んでおり、ついこの間フェリーの桟橋近くの堤防が崩れたと言う話もあって、いつまで上陸できるかという危険性を孕む施設もあるようです。世界遺産というのは本来、自然や文化の保護が第一の目的なので、一律観光地化しピラニアの如く骨までしゃぶり尽くすような風潮はどうかと思いますな。あと、今回は今まで世界遺産の空白地域だった九州に多く登録地がありますが、8県同時登録となると中には近場で済ませてしまう人が増える恐れもあります。日本の中心である(笑)岐阜に住んでいると、九州までは飛行機でも新幹線でも自家用車でも往復で4~5万はかかってしまいますし、それならば無難に青春18で静岡へ…という思考に及ぶことは想像に難くありません。同様に、大都市圏の人も静岡や岩手に行ってお茶を濁し、九州方面にまで足を運ばない可能性もあるわけです。先に書いた「勧告されただけで前日比4倍の施設」が正に静岡ですから、強ち間違っていないでしょう。無事登録されたとして、果たして目論見通り行くかどうかは微妙な所ですね。
 

君子たるもの、登録前に行くべきものなり(笑)

プリンセス命名

2015年05月04日 | 時事
英王女「シャルロット」と命名 早くもお披露目 キャサリン妃、半日で退院
第2子は女の子だったようですね。おめでとうございます。

シャルロットはフランス読みなので、おそらく「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」シャーロット王女と読むのでしょう。これは祖父であるチャールズの女の子読みだそうで、曾祖母エリザベス女王に祖母ダイアナ妃の名前まで入る、非常に盛りだくさんな名前ですな。第一子の時も書きましたけど、イギリスは男女関係なく王位継承権が生まれるので、800人以上いる継承者をすっとばし、彼女も現状第4位に躍り出たわけです。ただ、普通は兄弟より直系の方が優先されますから、将来兄のジョージ王子(1)に子どもが生まれれば、残念ながら継承順はどんどん下がってしまいますね。かつて3位だったヘンリー王子は今や新生児2人に押し出され5位なわけですから。

ダイアナ女王の誕生はない・・・かな?

新花は咲く

2015年05月03日 | 震災
NHK「花は咲く」歌詞1カ所変更 東北地方向け放送
歌詞の終末部分「私は何を残しただろう」を「残すだろう」に変更する模様です。

あの歌はNHKで繰り返し流されるので流石に覚え、例のリコーダーサイトの方の花は咲く一人十重奏(笑)をバックに気持ちよく演奏しています。公式PVのようなものは様々な東北つながりの歌手や芸能人、フィギュアスケーターなどが交互に歌い、日本版「We are the world」のようなチャリティソングの扱いなのですね。だからみんな好き放題歌っているわけか・・・

で、歌詞についてですが、やはり東日本大震災の復興応援ソングと言うことで、歌の中にも震災のイメージが上手く込められていると思います。今回話題となった部分は、確かに聞いている時にも気にはなっていました。わたし=死んでしまった人が、いつか生まれる君=未来に、何を残したか。しかし死者の声はもう聞けない。花は再び咲くのに・・・と言う、どちらかというと後ろ向きの歌詞なのですよね。しかも1曲の中で同じ歌詞が3回も歌われ、死者の無念をこれでもかと強調しているのです。そこを、最後だけ「残す」に変えることで、「わたし」の主語が今度は「今生きている者」に変わるわけです。死んでしまった人はもう何も残せないが、今生きている私は未来に何を残すのか。いつか恋する君のために花が繰り返し咲くように・・・そう考えると、ここはむしろ最初から「残す」にすべき所だったのではないかと思えてきますね。見事な変更だと思います。

しかし、「のこしただろう」が「のこすだろう」になると、音が1文字分減ってしまうので、最後のファの部分は「ろう」と歌っていたところを「うー」と伸ばす感じになるわけですな。どうせなら「のこすのだろう」の方が良かったのではないでしょうかね?

ETC以外値上げ

2015年05月02日 | 時事
非ETC車の高速料金値上げか 国交省検討、首都圏で16年度実施目指す
今はETC割引と言う形で恩恵がありますが、逆に現金払いの人から多く徴収する模様です。

ETCは、割引料金に加え料金所で待たなくても良いので、あると非常に便利です。これのおかげで料金所渋滞と言うのを余り聞かなくなりましたし、普及したことは高速道路の混雑緩和にかなり効果があったと思われます。少なくとも料金所のレーンはもう半分はETC専用なわけですから、人件費と言う面では既にずいぶんと削減してきたのでしょう。ここでさらに全車がETCとなれば、確かに無人駅のように料金所に人を置かなくてよくなるので、NEXCOにしてもかなりの節約になりますね。今もSAにあるようなスマートインターはETCのみという所もありますし、今後もそういう所を増やして行くのでしょう。自分が取り付けたときは2万ぐらい取られましたから、3割引としても元を取るには6万円分以上高速に乗らないといけませんが、今は5千円ぐらいであるので、年に1~2回遠出するくらいの使い方をするなら取り付けてもよさそうですな。ただし問題は、10年乗るとしてその間に1~2回ぐらいしか使わないような車では、設置代を考えれば多少割高でも現金払いの方が得という人が少なからずいると言うことです。設置を義務化しない限り、決して0にはならないでしょうね。

まあこれはETC導入車が増えたおかげで仕事が減り、料金所に人を置くのをやめたくなったと言う話なので、NEXCOにしても人件費が5倍かかると言うのはある意味ワガママと言うか、うれしい悲鳴なわけです。単純に5倍かかるからといって、流石に5倍値上げというわけにはできないでしょう。多少の値上げは仕方ないとしても、ETCが半額ぐらいに見えるように下げて、もう少しお得感を演出して欲しいところですね。

そういえばこの車は5年前ETC1000円の時に青森まで乗っているから、既に2万円はペイできていました(笑)95%引きだったのか・・・