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墓石破壊し石垣に

2015年05月21日 | 時事
墓石壊して石垣に 兵庫城で“罰当たり”築城術
まあ、これはタイトルのダジャレが言いたかっただけの記事ですね(笑)

兵庫は姫路城が有名すぎて、兵庫城と言われてもどこにあっていつ誰が建てたのか全くピンときませんでしたが、どうやら安土城と同時期に織田信長の命で建てられた城らしく、それならば納得と言う感じです。何故なら、2年前に安土城址を訪れた時、同じように墓石や石仏が実際石垣や石段に用いられていたからです。

彼は比叡山の焼き討ちや石山本願寺・高野山攻めなど、とにかく宗教者が為政者に歯向かうことを徹底的に封じ、秀吉・家康もそれに準じたため、それ以来日本では宗教者が武器を持って攻撃するようなことはほとんど無くなりました。島原・天草の乱などは宗教戦争というよりも農民一揆の色が濃いですし、後は本当、オウムくらいですよね。400年以上の長い歴史の間にたった1~2件。これ、世界に目を向けてみるとどれだけ異常な状態かと言うのがよく分かります。中東に目を向ければ、それこそ今でも毎日のように宗教テロ事件が起こっているわけですから・・・世界中のどの国もまだ成し得ていない「宗教者は武器を持たない」という日本の常識を、手段は強引だったとしても最初に導入・実現・浸透させたのは間違いなくこの織田信長なのです。おそらく石垣に墓石や石仏が混ざっているのも、建築材不足というより普段から仏教遺物を足蹴にするようわざと無造作に組み込んだのでしょう。こうすることで日々「宗教者は俺に立て付くな。」と民に知らしめていたわけです。

そう考えると、同じ信長が命じて作らせた城なわけですから、むしろ兵庫城で今まで墓石や石仏が混じっていることが分かっていなかった方が不思議ですね。ましてや罰当たりとか、400年放置しておいて何を今更と言う感じですな。

この際、安土城址のように観光スポット化してちゃっかり賽銭を取ると良いと思います(笑)
コメント
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