1月8日に、ある記事を受けてこのような文章を書きました。
もう元記事は残っていないようですが、それを受けて書いた自分の文章の中に、重大な勘違いが含まれていることが分かりました。今更その部分を修正してもおそらく誰も見ないでしょうから、ココに訂正して解説していこうと思います。
勘違いは、以下の部分です。
つまり、この考え方の上だと、従来の養護学校や特殊学級は廃止するということになります。また、今まで特殊教育をした事のない先生でも、クラスの中に重度障害児を受け持つ可能性も出てくるというわけです。
予め言っておきますが、コレは僕が勝手に解釈したわけではなく、前任校で特別支援コーディネーターに指名された方が打ち合わせ時にこのように話をされた事を、そのまま書いたものです。アレから僕も通常学級のコーディネーターに匹敵するぐらいの知識を積んできたと思っていたのですが、この部分についてはそのまま理解していました。
しかしごく最近、文科省に近いある教授の講演を聴く機会があり、僕も含めて多くの教職員・報道陣が勘違いをしていたという事実を初めて知ることができました。僕自身、上の方は現場の事なんて知らずに勝手にやっていると少なからず偏見をもっていたのですけど、ちゃんと一本筋の通ったものを提案していたのだなぁとむしろ納得してしまいました。箇条書きで概要を説明します。
・従来の特殊学級、養護学校を撤廃・混在させる考えは微塵もなかったこと。
そもそも「廃止」「存続」の議論に発展するとは文科省も考えていなかったそうで、どうやら伝聞で末端に伝わるまでにこうなってしまったようです。新聞も勘違いしたまま発表したため、今でもまだ勘違いしている人は多いと思われます。ちなみに、養護学校は障害の重度・重複化が進んでおり、今後は現在のように障害種別に学校を分けるのではなく、総合養護学校(特別支援学校)としていく方針で、そのために「特別支援学校教諭免許状」が必要なのだそうです。前回書いたような全員に必要なものではないようですが、免許法などその対策が遅れているのは事実の模様です。
・特別支援教育の大元は、今まで法的に何の理解もケアもされていなかったLD・AHDH・高機能自閉性障害児等を対象とする変更であること。
つまり、新たに障害児が学級に来るわけではなく、今まで普通学級で生活していた「ちょっと気になる子」が対象となっただけの話なのです。今まではこのような特別ニーズをもつ子に対して、法的には何らかの診断を下して特殊学級に入れるか、通級(普通学級に籍を置き週1~8時間だけ個別に授業をする)による指導か、または配慮なしか、という極端な選択しかできませんでした。それを、今度から週1~26時間の範囲で適切な個別指導を、その子のニーズに合わせて受けられるようにするというわけです。
・特別支援教育は、日頃教員が抱えている悩みや、昨今の教育の課題を解決できるものであること。
学級崩壊がクローズアップされたのは今から数年前ですが、担任1人の問題ではなく、皆で取り組んでいくという方向で現場は動き始めています。その機能をより円滑にするのがコーディネーターであり、支援センターであり、養護学校(特別支援学校)でもあるわけで、これら連携により、担任とっても子ども達にとっても苦しい状態を早く打開できるできるようになるというのです。また、個に対して支援していくことが学級全体の学力を高める結果にもなったという報告もなされており、まさに良いこと尽くしである、とも話されていました。後者の話はちょっと「風桶理論」っぽいですが、こいつが正しいとするとかつての学歴偏重時代から学級王国時代→教員の不祥事多発→教員の権威低下→キレる子どもの増加→学級崩壊→LD・ADHD児の発見→特別支援教育→学力向上と、大きくブレながらもようやくまともな教育体制になりつつあるようです。
・教員の専門性を高めることはもちろん必要だが、障害に対する「理解」と「配慮」があれば、殆ど全ての問題が解決したも同然であると言うこと。
例えば、うまく音読できない児童に対して「ちゃんと読みなさい」「家で練習してきなさい」ではなく、「どうして読めないのかな?」「隣の行が気になるのかな?」「下敷きで隠して読んでみたら?」というように、どうしてつまづいているのかを子どもの目線で考えていけば、構造化だのTEACCHプログラムなど、難しい言葉を知らなくても十分特別支援教育が成し得るということだそうです。そう考えてみると、前任校で多くの子ども達の可能性を摘んでしまったかなぁと反省することが山ほどあります。むしろ、「障害者」というカテゴリーなんて本来教育現場には必要なく、全ての子ども達に対して言える自明の理なのかもしれません。
この他、大筋は以前の内容の通りです。現在は少人数指導などの導入で加配教員が取りやすい傾向にあるので、特別支援教育導入に必要な教員の確保もしやすく、チャンスであるらしいです。まあ、前任校でも少人数加配の先生と最初はTTなり習熟度別指導なりでやっていましたが、最終的には遅れている子のマンツーマン指導のような形式になったりしていましたからね。言い換えれば特別支援教育の先駆け的な発想だったと言えるのかも。
さーて、誰が読んでくれるのやら・・・
もう元記事は残っていないようですが、それを受けて書いた自分の文章の中に、重大な勘違いが含まれていることが分かりました。今更その部分を修正してもおそらく誰も見ないでしょうから、ココに訂正して解説していこうと思います。
勘違いは、以下の部分です。
つまり、この考え方の上だと、従来の養護学校や特殊学級は廃止するということになります。また、今まで特殊教育をした事のない先生でも、クラスの中に重度障害児を受け持つ可能性も出てくるというわけです。
予め言っておきますが、コレは僕が勝手に解釈したわけではなく、前任校で特別支援コーディネーターに指名された方が打ち合わせ時にこのように話をされた事を、そのまま書いたものです。アレから僕も通常学級のコーディネーターに匹敵するぐらいの知識を積んできたと思っていたのですが、この部分についてはそのまま理解していました。
しかしごく最近、文科省に近いある教授の講演を聴く機会があり、僕も含めて多くの教職員・報道陣が勘違いをしていたという事実を初めて知ることができました。僕自身、上の方は現場の事なんて知らずに勝手にやっていると少なからず偏見をもっていたのですけど、ちゃんと一本筋の通ったものを提案していたのだなぁとむしろ納得してしまいました。箇条書きで概要を説明します。
・従来の特殊学級、養護学校を撤廃・混在させる考えは微塵もなかったこと。
そもそも「廃止」「存続」の議論に発展するとは文科省も考えていなかったそうで、どうやら伝聞で末端に伝わるまでにこうなってしまったようです。新聞も勘違いしたまま発表したため、今でもまだ勘違いしている人は多いと思われます。ちなみに、養護学校は障害の重度・重複化が進んでおり、今後は現在のように障害種別に学校を分けるのではなく、総合養護学校(特別支援学校)としていく方針で、そのために「特別支援学校教諭免許状」が必要なのだそうです。前回書いたような全員に必要なものではないようですが、免許法などその対策が遅れているのは事実の模様です。
・特別支援教育の大元は、今まで法的に何の理解もケアもされていなかったLD・AHDH・高機能自閉性障害児等を対象とする変更であること。
つまり、新たに障害児が学級に来るわけではなく、今まで普通学級で生活していた「ちょっと気になる子」が対象となっただけの話なのです。今まではこのような特別ニーズをもつ子に対して、法的には何らかの診断を下して特殊学級に入れるか、通級(普通学級に籍を置き週1~8時間だけ個別に授業をする)による指導か、または配慮なしか、という極端な選択しかできませんでした。それを、今度から週1~26時間の範囲で適切な個別指導を、その子のニーズに合わせて受けられるようにするというわけです。
・特別支援教育は、日頃教員が抱えている悩みや、昨今の教育の課題を解決できるものであること。
学級崩壊がクローズアップされたのは今から数年前ですが、担任1人の問題ではなく、皆で取り組んでいくという方向で現場は動き始めています。その機能をより円滑にするのがコーディネーターであり、支援センターであり、養護学校(特別支援学校)でもあるわけで、これら連携により、担任とっても子ども達にとっても苦しい状態を早く打開できるできるようになるというのです。また、個に対して支援していくことが学級全体の学力を高める結果にもなったという報告もなされており、まさに良いこと尽くしである、とも話されていました。後者の話はちょっと「風桶理論」っぽいですが、こいつが正しいとするとかつての学歴偏重時代から学級王国時代→教員の不祥事多発→教員の権威低下→キレる子どもの増加→学級崩壊→LD・ADHD児の発見→特別支援教育→学力向上と、大きくブレながらもようやくまともな教育体制になりつつあるようです。
・教員の専門性を高めることはもちろん必要だが、障害に対する「理解」と「配慮」があれば、殆ど全ての問題が解決したも同然であると言うこと。
例えば、うまく音読できない児童に対して「ちゃんと読みなさい」「家で練習してきなさい」ではなく、「どうして読めないのかな?」「隣の行が気になるのかな?」「下敷きで隠して読んでみたら?」というように、どうしてつまづいているのかを子どもの目線で考えていけば、構造化だのTEACCHプログラムなど、難しい言葉を知らなくても十分特別支援教育が成し得るということだそうです。そう考えてみると、前任校で多くの子ども達の可能性を摘んでしまったかなぁと反省することが山ほどあります。むしろ、「障害者」というカテゴリーなんて本来教育現場には必要なく、全ての子ども達に対して言える自明の理なのかもしれません。
この他、大筋は以前の内容の通りです。現在は少人数指導などの導入で加配教員が取りやすい傾向にあるので、特別支援教育導入に必要な教員の確保もしやすく、チャンスであるらしいです。まあ、前任校でも少人数加配の先生と最初はTTなり習熟度別指導なりでやっていましたが、最終的には遅れている子のマンツーマン指導のような形式になったりしていましたからね。言い換えれば特別支援教育の先駆け的な発想だったと言えるのかも。
さーて、誰が読んでくれるのやら・・・
どみさんの意見、尤もだと思います。やはり「理解」が進まないことには、極端な話、特別支援教育も単なる名称の変更で終わってしまう可能性もあるわけで、その辺りが早急の課題であり、第一歩であるでしょうね。逆にいえば、「理解」さえされていけば、本文にも述べた通り実現も遠い未来ではないはずなのです。
我が子が虫歯になったとき、定期治療するのに抵抗を感じますか。
我が子の視力が低下した時、メガネを買い与えることに抵抗を感じますか。
我が子に障害があると言われた時・・・
「虫歯のまま・メガネなしのまま生活しろ」と言えないのと同じコトです。ただし、「あの歯医者はヤブだ」「メガネをかけると余計視力が落ちる」なんて噂がある状況では、分かっていても躊躇してしまう気持ちも理解できます。
僕自身もこうしてブログで語っているだけで、関心のある方や知り合いにしか発信できていないのですが、こうした芽が至る所で吹くようになれば、いずれ皆の目にも留まり、正しい理解もされていくようになるでしょう。千里の道も一歩から。そして、旅は道づれ世は情け。
どみさんも、僕のブログから何か感じることがおありであれば、周りにどんどん啓発していって下さいね。
自分の記事で調べる限り、gooは1ヶ月で期限切れのようですね。gooニュースには「この記事でブログを書く」というボタンがあって、結構便利なんですけど。ま、時事だから1ヶ月ももてば御役御免かな?
さて、特別支援系の話題をまとめて「私見」カテゴリーを作ってみました。そろそろ1年。特殊に留まる気持ちは全く生まれませんでしたが、今回の講演も含め1年でようやくこの世界の事も少しずつ見えてきましたので、今後もこんな形ですが啓発を続けていこうと思っています。
一応、カテゴリー名はシまたはジで始まる言葉で作っています。どうでもいいですね。
こっちには残ってるね。
これだっていつ消えるか分からないけど。
これが消えたらGoogleのキャッシュかInternet Archiveのお世話になるしか無いかな。
情報は、出来るだけオリジナルに近い位置の情報を参照すると良いと思う。
特にポータルサイトの記事はあっという間に消えるからね。新聞社から配信されているなら、新聞社のサイトにリンクを張るのが良いんじゃないかな。
個別記事へのリンクは原則として禁止。許可が必要。って場合もあるけどさ。読売オンラインみたいに。