《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと淡路島「20世紀最高の寺院建築といわれるお寺」

2016年07月19日 | Weblog

20世紀最高の寺院建築といわれるお寺の「聖俗の境界を隔てる壁」。
ユニークなのは、「水御堂」(みずみどう)とよばれる本堂で、
1991年竣工の安藤忠雄設計による鉄筋コンクリート造の寺院建築。第34回建築業協会賞を受賞している。
本堂と墓地の間を通り抜け、お寺のイメージを180度変えたこの参道を通って「水御堂」へ。


ちょこっと淡路島「やっぱり玉ねぎ」

2016年07月18日 | Weblog

淡路島と言えば「たまねぎ」だ。今はオーストラリアやトルコ等からも輸入されている。
ユリ科の仲間で日本には明治時代に導入された。
「淡路島は平安時代には淡路島は御食国(みけつくに)と言われ、
神や天皇に食べ物を献上していたとされています」(淡路玉ねぎネットより)。
日本の玉ねぎの生産量の50%は北海道。次いで佐賀県、淡路島などが主な産地と、意外や意外。
ただ淡路島の玉ねぎは「玉ねぎ小屋」で
自然の風にゆっくりと乾燥させ、手間暇かけて甘みのある美味し玉ねぎにするともある。
画像は淡路島南ICバス停付近より収穫を終えた玉ねぎ畑。


ちょこっと淡路島「淡路島と藤原京」

2016年07月15日 | Weblog

南あわじ市産業文化センターの展示場にあった古代瓦。説明はなく、人もいない。
仕方がないので自分なりに想像をしてみる。
中房の蓮子は欠けてはいるが2個は確認できるので1+6と見る。
内区は複弁連華文で8弁と想像できる。その外に蓮子が14個確認でき、全体で28個から30個だろう。
ここまで見てくると、平城京からの出土瓦を思い出す。
しかし外区の鋸歯文が片方向に流れていて、今まで見た記憶がない。
後日、奈良市埋蔵文化調査センターの原田憲二郎主任に見てもらったところ、
藤原宮系の同笵瓦6279Bであることが判明。
「淡路・土生寺窯跡で焼かれ版型修正後、出来栄えの良くないものを、淡路の志筑廃寺に利用したのでは…」等々、
多くの解説をしていただいた。


ちょこっと淡路島「瓦もいろいろ」

2016年07月14日 | Weblog

瓦工場からモクモクと立ち上がる黒い煙。昭和37年の写真とのこと。
正面の山はすっかりはげ山となっているが、かつては松などの木々茂っていたものを、
瓦を焼く燃料として伐採されたのだろう。
瓦は屋根を覆うものだとおもっていたが、淡路瓦工業組合のパンフレットとによると
敷き瓦(タイル・摶)、壁瓦、モニュメント用、庭のガーデニング、
インテリア瓦、小物グッズとして瓦コースター等があることを知った。


ちょこっと淡路島「瓦の展示場」

2016年07月13日 | Weblog

展示場内には「だるま窯」の復元され、他に古代瓦や珍しい瓦が展示されていた。
「淡路瓦の起源は、1613年(慶長18年)に池田忠雄が淡路国津名郡由良浦(現在の洲本市由良)の
成ヶ島に由良成山城(ゆら、なるやまじょう)を普請した際、
播磨国から播州瓦の名工清水理兵衛を招いて瓦を作らせたのが最初と言われている。
その後、その弟子により、松帆・尾崎・阿万・釜口などで瓦の製造が始められ、
10年程後の寛永年間に法華宗の援助で南あわじ市津井地区に伝わったと言われている」とある。