![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0b/909b1b16badaa0b64ab812805c35141c.jpg)
川底にコンクリートの残骸が残る場所の北側にある「挑川故蹟」の道標。「南・木津1丁、奈良1里、東・瓶ケ原渡船場3丁 恭仁京大極殿跡1里 加茂ステンショ1里余り、西・京街道玉水2里、長池3里 新田4里 宇治5里、伏見観月橋6里 三条大橋7里」とある。古代より木津川の北岸と南岸を結び、山城、近江、伊賀を行き来し利用度の多い渡しがあった。道標の文字からこの東へ300mほどに「木津川渡し(瓶ケ原渡船場)」があったことがわかる。また天平年中に行基が架けた泉大橋もその辺りと思われる。道標北面には「昭和4年稟京都三宅安兵衛遺志建立」とある。この旧街道には三宅安兵衛の遺言を引き継いだ子息が建立した多くの道標と出会うことになる。
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