この辺りには歴史ある寺社が多く、寺町と呼ばれている。
文禄3年(1594)、前田利家の弟の前田次郎兵衛利信と僧開導によって開創された「萬福寺」。
しかし将軍家茂が文久3年(1863)~慶応3年(1867)大阪滞在時には新撰組の大坂駐屯地となり、
大坂相撲力士との乱闘、町奉行与力内山彦次郎暗殺などの事件はその間に起こった。
幕末(新選組)の血の匂いがここにもあった。
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