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転害門あたりに明治時代「對山楼」と云う旅館があった。元の名は「角定」と云う一流旅館だった。その名前を明治の初めに山岡鉄舟が「対山楼」と命名したという(なぜなんでしょうね)。明治28年10月、正岡子規が上京する途中三日ほど奈良を訪れ「対山楼」に泊まった。柿が好きな子規が女中に「御所柿を食べたい」と言ったところ大丼鉢いっぱいに柿を持ってきて皮をむき始めた。と、東大寺の鐘が鳴った。柿を食べながらきょう訪れた斑鳩を思い出して読んだのが「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」だったとか。「対山楼」の跡は食事処「天平」になっており「天平」の駐車場に入って、店の入口右側にその案内がある。案内に沿って裏手に回ると手入れされた庭があり、そこにトヨカ柿の木が植わっている。正岡子規が食べたのは御所柿だたのでちょっと残念。国道24号線からは分かりにくい。奈良観光の財産の一つと思うのだが…
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