法隆寺と太子「太子の叔父」 2010年02月08日 | Weblog 推古天皇(母は蘇我稲目の娘)の夫が敏達天皇である。その敏達天皇陵は推古天皇陵と同じく、大阪府太子町にある。敏達天皇は奈良県北葛城に宮を置き皇居としたが、奈良県桜井に皇居を移す。廃仏派の物部と蘇我の対立が始まる。そして蘇我稲目の孫である用明天皇(推古と兄弟)へと移り蘇我一族による院政が続く。その太子の父である用明天皇の病気平癒のために法隆寺を建立したとする説がある。 (今日の歴史=584年新羅に使節を派遣する) #ドライブ(お出かけ) « 法隆寺と太子「太子の叔母」 | トップ | 割り込み旅めも「飛鳥坐神社... »
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