創建当時は屋根に鴟尾が載っていたといわれているが今はない。堂内中央には聖徳太子のために作られた釈迦三尊像、その右には用明天皇のための薬師如来像、そして左には間人(はしひと)皇后のための阿弥陀如来像が並ぶ。お堂の本尊といえば基壇の中央かやや後方に安置しているのが普通である。しかしこの金堂の仏像は総てが中心より前に安置されていて後ろが広い空間になっている。昔は本尊の後ろに玉虫厨子や百済観音などの太子の遺品が置かれていたが夢殿が出来た後、それらを移した跡がそのまま空間になっている。堂内の北東隅には伏蔵の一つがある。(今日の歴史=1937年大本営令が制定される
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