明治6(1873)年12月20日政府は各府県ごと「里程元標」を設け陸地の道程(みちのり)の調査を命じた。その後東京日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置され、各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。ほとんどは市町村役場の前か市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた。今は道路の附属物とされているだけで、取り壊されたり工事などでなくなってしまった道路元標も少なくない。酷道308号・砂茶屋交差点の片隅にある「富雄村の元標」も地元民に存在を忘れられている。
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