明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

文学少女への道、再スタート!

2007-07-31 19:40:29 | 仕事
この1週間くらいで、漫画を80冊読んだ。
さすがにもうお腹いっぱい・・・食傷気味。

でも、なんでも「トコトンやる!」ってのはイイ。
ちょっとスッキリしている自分がいる。

今日からは漫画をやめて、学生の頃に読んでいた「文学」を読むことにした。
それこそ、「文学史」に載っているような作品だけでも山のように本棚にある。
漫画80冊どころじゃない。

何から手をつけようかと本棚を開いて迷う。
やっぱり川端康成か。
いやいや、ここは漱石だろう。
学生時代、ハマってしまった堀辰雄はどうだ?
ここは無難に谷崎からか・・・。

そうして悩んだ結果、選んだのは、小説の神様・志賀直哉だ。
私の「文学少女(?)再スタート」に相応しい。
まずは「暗夜行路」から。

本棚を開いたついでに、私が日本語の美しさに最初に打ちのめされた、森鴎外の「舞姫」の一節を読む。
エリスと初めて出会うシーン。
高校の国語の時間に教科書で読んで、世の中にこんな美しい文章があるのかと思った。感動で震えが止まらなかった。
今読んでもやっぱり同じ感動がある。

自分の中に「文学」を取り戻そう。
随分遠回りしたけれど、やっぱりここに帰ってきた。

仕事は生活のため。
自分の文章は、自分の存在のため。

そうわかってから、気持ちは随分楽になった。
楽になると、仕事もまたうまくいき始めたように思う。

今日は新しく契約したデザイン事務所での最初の仕事。
代表のOさんと一緒に、某広告会社へ。
ライティングの仕事なので、私のために動いてくれたようなものだった。
昨日の今日、の関係なのに、ありがたい・・・

一応、競合というか、何社かきているみたいだったけど、
Oさんのスペシャルトークとアピールで、ほぼうちに決まりだな、と思った。
私一人だったら、とれていない仕事だ。
80ページ以上ある靴のカタログ。
やっぱりページがあるものを創るのはいい。
靴80足のコピーを書くことになるが、楽しみだ。

最初の仕事なので、自分のライター人生を賭けていいものを創ろうと思う。
自分はずっと「仕事ができる女」と思っていたけど、
最近、それは間違いだったと気付く。
井の中の蛙というか、小さな世界しか知らなかったのだ。

でも、一生懸命やろう。
どんなことも手を抜かない、全力。
このやり方だから、今まで信頼をうけてきた。
これからもそうだ。

何の才能もない凡人が、認められるような仕事をしようと思ったら、全力で向かい、人一倍努力するしかないのだから。

だけど、「自分の文章」は、もう誰にも認められる必要がない。
私だけのものだ。

岡本太郎は言う。

   自分の好きな音を勝手に出す
   出したい音を出したらいい。

   まっさらな目をもて!そして、目的を捨てろ!

   芸術なんてもの、それを捨てたところから、開けるものなんだ。

   「私も描けたらいいな」と思ったら、描いてみるんだ。
   いや、書いてみなければならない。
 
   人に理解されたり、よろこばれようなんて思うな。
   むしろ認められないことを前提として、
   自分を猛烈に突き出すんだ。

   ぼくは、人に好かれる楽しい絵を描こうとは思わない。
   それよりも猛烈に叫びたい。絵の中で。

   芸術というのは、認められるとか売れるとか、
   そんなことはどうでもいいんだよ。
   無条件で、自分ひとりで、宇宙にひらけばいいんだ。

   もし自分の敵があるとすれば、画商や批評家や
   画壇なんてものじゃなくて、自分自身なんだ。

   焦るな
   人のために美しいものをつくるというよりも
   生命のしるしを、自分に確かめる


以前は、頭で理解できても、心でわからなかったこれらの言葉が、今は感動的に「わかる」。
無条件で、自分ひとりで、宇宙にひらけばいいんだ。
それがわかった瞬間から、どれほど楽になっただろう。

この間、駅の改札を通るとき、数年ぶりに、
自分の中に「物語」が生まれた。
とても、幸せだった。

堕落するのは難しい。

2007-07-30 17:26:22 | 生活
「私、堕落した。堕落論を書くわ」
と言ったら、彼が、「坂口安吾やな」と言った。

「私、もうぢき駄目になる」
と言ったら、「?」という顔をしたので、「高村光太郎の智恵子抄だよ」と教えてあげた。

そんな文学少年少女かぶれみたいな会話をしながら、串揚げの店で一人40本も串を食べた。
ちなみにその3時間前にナンピザを食べ、お昼はフレンチのコースを食べていた。
まだまだ若い男には負けねぇ!!

最近、暑いので食欲がすごい。
毎年この時期になると日記で説明しているが、私は夏に一番食欲がある。
毎日普通に生活しているだけで汗だくだくで、ものすごいエネルギーを消費するのだから、その分、エネルギー補給したいと思うのは当たり前だと思うのだが、そう言うと、たいてい、
「それができないから、みんな夏バテするんやん」
と言われる。

納得できるような、できないような・・・

今、一番知りたいのは、「素麺の1人分は何束?」ということなのだが、素麺のあの束というのは、「一人分」という意味なんだろうか?
それにしては少ないと思うのだが、いやいや、私が大食いなだけで、一般的には1束が1人分なのかもしれない・・・とも思う。
みんな何束ゆでるんだろう?

ちなみに私は2、3束。
でも、ゆでるとき、いつも悩む・・・
ちゃんと「1人分は○束です」って書いてくれたらいいのになぁ。

いつの間にか大食いの話になっていたので、最初の堕落の話に戻るが、先日、私は堕落してみた。

昼間からビールと焼酎を飲んで、漫画を読んで、昼寝して、また起きたら漫画読んで酒飲んで、うたた寝する・・・という1日を過ごしてみたのだ。

夜中11時にはっと目が覚めたとき、「ああー・・・堕落した人間だ」と思った。
ちょっとだけわくわくした。
一度やってみたかったんだよ、こういうの
でも、堕落しきれずに、彼が帰って来るまでに洗濯をたたんで掃除して、カレーを温めておいた。(ついでに仕事も午前中に1本した)

串揚げを食べながら、「実は、あの日、堕落した生活をしたんだ」と彼に告白してみた。
彼は、それを聞き終わると、
「そういうのは、堕落とは言わない。ちょっと気を抜いた日、というんだ」
と言った。
そして、「かおりはちょっと気を抜いた日も作らないとあかん」と言った。

そのときは、『なんだよー!!私の堕落を認めねぇのか、コイツ!!』と心の中で悪態をついていたが、翌日になって、彼の言っていたことは正しいと思った。

「ちょっと気を抜いた日」

私みたいな人間には、こういう日が大切なようだ。
お陰で次の朝、起きたら何か吹っ切れて、いろいろ頑張れる気がした。
心も入れ替えた。
やる気も漲っていた。

そういう気持ちのときって、運も向いてくる。
午後から仕事の面談が1件入っていたので、行ってみたら、なんと、まだ駆け出しのライターの頃にお世話になっていた編集プロダクションのTさんと知り合いの人だった。

一緒に仕事をしていたらしい。
この業界は狭い、どこかでつながっている、と聞いていたが、本当だ。

Tさんの話で盛り上がり、親近感がわいたし、
そこは事務所もうちから近く、会ってくれた人も好印象だったし、結構手広くされているようで、「仕事のニオイ」がした。
「結婚するんで仕事を減らしてしまいましたが、やっぱり落ち着いてみたらもっともっと仕事がしたくて・・・。取材が好きなんです。だから、何かあればお願いします!」
と頭を下げたら、とりあえず了解してくれた。

このパターン。。。
今、「仕事をお願いするかも」と言われている会社を新規に3社もとったのに、全く依頼がないというのが現状で、これが4社に増えたかなぁと内心思った。

コピーやメルマガばっかりで、取材の仕事がない。
とにかく私は取材がしたいんだ。
人に会いたい。人の話を聞きたい。人の想いを書きたい。
私が本当に力を出せるのは、コピーじゃなく、記事なんだ。

帰り道、照りつける太陽に溶けてしまいそうで、思わずため息が出た。
・・・こんな想いばっかりだ。

とぼとぼと家に帰ったら、彼はお休みだったので、お好み焼きを焼いてくれた。
(タネは私が作った。彼は焼くだけ)
2枚半食べた。
ビールも飲んだ。
まあ、いいか。なんとか暮らせているんだし、贅沢言ったらバチが当たる、と言い聞かせ、ビールを飲み干した。

・・・そうしたら、昨日の今日で、さっき、その事務所から電話があった!

し、仕事だぁー!!
それも、早速、明日!!
靴のカタログという話だから、結局書くのもコピーで、取材というより打ち合わせみたいなものなんだろうけど、それでもとにかく新規で仕事をとれたことが嬉しくて。
ここで認められたら、絶対取材の仕事が来る!

とにかく絶対失敗はできない。
この仕事の出来が、今後の仕事を決めるはずだから。
向こうも私の腕を試すつもりだろうし。

やったるで!

シケた自分を吹っ切る方法

2007-07-27 22:04:34 | 仕事
はー。
なんか、シケてんなぁ、私。
最近、1ヶ月で60時間くらいしか仕事をしていない。
以前の5日分だ。

「それで生活できるんやから、いいやん」
と、ポジティブシンキング家庭に育った彼は、そう言って、
「かおり、すごいな」
と、褒め言葉を付け加えるのも忘れない。

我が夫ながら、毎日思う。
『この人、すげー、いい人!』

この間、彼がいない時間に母が彼のお誕生日プレゼントを持ってきてくれて、そのときに、「彼はどうなの?」と訊くから、
「うーん。なんか、ものすごくいい人やわ。毎日思う」
と言ったら、なぜか母は涙ぐんでいた。

嬉しかったのかな。

とりあえず、今のところ、結婚生活は「いいもの」だ。

ただ、それとは全く別のところで、シケた自分がいる。
そりゃ、今までの5分の1くらいの仕事量で、生活費や年金や健康保険や住民税、携帯代から酒代まで、払えるくらいは稼げているのだから、いいっちゃぁ、いい。

だけど、毎日疲れ切ってへろへろになるまで働かないと、いつも不安。
自分の「腕」一つで生きていくというのは、やっぱり常に崖っぷちだ。
仕事がいっぱいでまわらないくらいで、ようやく安心して生きられる。
報酬は関係ない。

昨日、仕事の話がきた。
オプトインメールの作成で、あまり気は進まなかったが、引き受けた。
定期的な仕事はできる限り請ける。
駆け出しのライターみたいなことはやりたくないなんて、そんなつまんないプライドは捨てることにした。
その点に関しては、なんだか吹っ切れている。
それは、今、主に仕事をもらっている取引先の人たちのお陰かもしれない。
自分が「つまんない仕事」と思っていたようなことでも、やってみると勉強することが多くて。周りの人がそういう姿勢でやっているからだろう。

今年はまた一から積み上げていく年だと思っている。1つ1つ。
日曜日はまた新規開拓。面談までは取り付けた。
今の3倍は仕事をしないと、なまって仕方がない。

クリエイティブな仕事は、「常に創造し続けている」という状況でないと。
インプットしているだけでは、感性が鈍る。

既に鈍りかけ。
思考⇒言葉への変換が遅くなっている。
感情をそのまま言葉にしていくやり方が私のスタイルで、だから勝負できたのに、理性で言葉を探して書くんじゃ、誰にもかなうわけない。

ちょっとどこかで切り替えないと。
このままじゃ、こんなところで終わってしまう。

大人だって、歯医者、コワイ・・・

2007-07-26 23:14:22 | 生活
私は子供の頃から、怖がりで、臆病者で、根性なしで、小心者で、泣き虫だった。
だから、歯医者はキライだ。

でも、今日、歯医者に行った。
3月頃、ご飯を食べていたら、口の中に異物が・・・!
おそるおそる取り出してみると・・・
歯が欠けていた。

これはマズイことになったと思った。
歯医者に行かないといけないじゃないか!!

観念して、ふみこに「優しい歯医者さん、知らない?」と聞いた。
ふみこは子供を連れて行く、優しい歯医者さんを紹介してくれ、電話番号もメールしてくれた。

だが、あれから3ヶ月が経ち・・・
この間、あやの家で会ったとき、「まだ行ってないの?!」とあきれられ、その後、メールで「歯医者行きやー」と、親切にまた電話番号を教えてくれた。

親友にここまで言われていかなきゃ、女がすたる。
先週予約をして、今日いよいよその日が来た。

先週からずっと「あー、木曜日歯医者だー」と彼に言っていたら、彼は面白がって、今朝も私に、「かおり、今日、歯医者やな」と嬉しそうに言う。

子供が行く歯医者なんだから大丈夫と自分に言い聞かせ、できるだけ子供っぽい格好をして行った。(←なぜ?!)
泣いちまったら、恥ずかしいやんか、ねぇ。
いい大人なのにさ。

・・・一度あるんだよ。実は。
歯医者であまりに痛くて大泣きして、治療がいったんストップになったことが。
もちろん、20歳超えてた。いい大人だ。
あれは我ながら情けなかった。

でも、今日の歯医者さんは、ふみこが言っていたとおり、とても優しい先生で、ほっとした。
治療も痛くはなかった。
はは・・・楽勝!!

ただ、家に帰って、麻酔が切れてから痛くて仕方がなくなったので、バファリンを飲んで安静にすることにした。
夕方から数時間、するめを食べながら漫画を読んでいた。

よく、本棚を見たらその人となりがわかるというけれど、持ってる漫画って、結構その人を表すなぁと思うのだ。
自分の漫画は何度も読んだのばかりなので、彼の漫画棚をあさってみると・・・

不良マンガばっかり!!

なんだか知らないが、どの漫画を見ても、学ラン着て、ソリコミ入れたような、いわゆるちょっと古い時代の「ツッパリ」が出てきて、ケンカばっかりやってるのだ。
本当に、ホントに、こればっか!!
それもグロいケンカじゃなくて、友情もの。

「これが男の意地じゃぁーーー!!」

「俺は弱いものいじめは大嫌いなんじゃーーーー!!」

「俺のダチに手ぇ出すんじゃねぇーーー!!」

みたいな。

「ツッパリくん」が出てこなければ、ギター弾いてる少年が出てくるか・・・。
なんとも彼らしい。
わかりやすい人だ・・・。

それにしても、彼は生まれてくる時代を10~20年間違ったね。
いろんな趣味・嗜好が、どうも70~80年代っぽい。
あれは、70~80年代が青春時代でした、という人の感覚だ。
だからいつも「俺はロッカーやからな」と言ってるんだろう。

でも、まあ、私も好きやけど。
男くさいのは、結構いい。

ちなみに、私のマンガ棚はあまり人にはお見せできない。
普通の人は、ひく。間違いない。

私の中には「オッサン」と「少女」が同居しているので、漫画もそんな感じ。
「マニアック」と「ファンシー系」かな。
「グロテスク」と「少女趣味」かも。

好きな漫画家は、楳図かずおと岩館真理子です。
楳図かずおの漫画がほとんど全て揃っているのを見たら、たいていの人間はひいてしまう。子供のときに読んでトラウマになってるという人もよく聞く。
なので、前は奥の棚に楳図漫画を並べ、前列に岩館真理子の繊細な少女マンガを並べ、カムフラージュしていた。

楳図作品を理解してくれる友達は、ゆうちゃんともんちゃんだけ・・・
歯医者も行けない臆病者のくせに、あんな怖い漫画を読める自分がこわいっす。



京都・ケーキ屋巡り

2007-07-25 15:37:14 | 美味しいもの
かどやが突然、「いわさきっちと3人でケーキ屋巡りしよう」と言い出した。
なんでも、テレビを観ていたら、京都でおいしいケーキ屋を特集していて、食べたくなったらしい。

ちなみに、かどやは私の中学時代の友達・主婦。
いわさきっちは高校時代の友達・お菓子職人。
二人の唯一の接点は「私」。
この間、私の結婚式で初めて出会い、その後、かどやがいわさきっちのケーキを気に入って(引出物にしていたのを食べたため)、どんどんケーキを注文。
そこから関係ができた。

この3人で出かけるというシチュエーションがなんだか面白くて、私は終始ゴキゲン。楽しい時間を過ごした。

結局、5軒の店をまわった。
(詳しい店名などは書けません。私は仕事で関西のおいしいスポットなどを紹介するサイトをやっていて、このブログにトラックバックされるとヤバイので。知りたい方は、たぶんいわさきっちがブログに書くと思うので、そちらを参考に)

最初に行ったケーキ屋さんは、かなりの人気店。
オープン前に行ったにも関わらず、既に人が並んでおり、後からも続々入ってきた。
見た目に美しいケーキを出す店だ。
ここで皆2つずつ注文し、お互いちょっとずつ交換し、6種類味見ができた。
いわさきっちの情報によると、ここはフレッシュさを売りにしているらしい。
確かに作りたての味わいで、かなりレベル高い。

ミルフィーユにうるさい私だが、理想のパイ生地。
ただ、全体的に自分の好みかといえば、若干異なる。
甘さ控えめで洗練された上品な味なのだ。
私はもう少しガツンと甘くて、無骨でいながら、素材の味がしっかりわかるというのが理想なんだよな。
ただ、おいしいので満足!また来たい。

次に行ったお店はテイクアウトのみ。
まだ食べていないが、見た目はおいしそうだった。
ただ、ばら売りがなく、セット販売のみで、いわさきっちは店を出るなり激怒。
「この売り方には納得できない!

普段は内に秘めるタイプのいわさきっちだが、お菓子のこととなると、激しく頑固になる。そういういわさきっちが素敵だ

その後、パン屋に行ったが、そこはまぁ普通だった。
中で食べられたので、パンとケーキを食べた。

それから、三条へ歩く途中に、老舗のお茶屋があるのだが、そこでお茶が飲めるのを知っていたので、入ってみた。
一度入ってみたかったのだ。
本格的な煎茶と水羊羹を食した。

最後は私の姉がお菓子を習っている先生のお店。
ここでもミルフィーユを食べたが、こちらはかなり不満。。。
皆も「うーん・・・」という感じだった。

あー、それにしてもよく食べた!
お腹がいっぱいというのではなかったが、甘いものを一気に食べて血糖値のコントロールが不可能に・・・
その前日も「ういろ」を3分の2本くらい一気に食べていたし、その前の日は旅行先でケーキやデザートをたらふく食べていて、既に膵臓に負担がかかっていたのだ。

実は、私は膵臓を19歳のときにヤラれているので、一度に糖分をたくさんとりすぎると、膵臓がすぐに弱る。
「胃」ではないので、胃薬もまったく効かない。
ただもう、船酔いみたいな気分の悪さとめまいが続く
久しぶりにきたなぁ・・・

甘いものは大好きなのだけど、これが怖いので、普段はセーブしているのだ。
3日連続で食べ過ぎると、やっぱりダウン。
膵臓よ・・・がんばれ

でも、とても楽しい1日だった。
いろんなお店に行けたのもよかった。
今度はかどやに車でしか行けないお店に連れていってもらおう

誕生日祝いは三重の露天風呂付き宿

2007-07-24 00:01:03 | 
週末、彼の誕生日祝いに三重へ旅行してきた。

泊まったのは、ここ↓
http://www.carocaro.com/index.html

思っていた以上に素敵な宿だった。
一度は泊まりたかった、露天風呂付きの部屋!!
こじんまりとしているんだけど、木のぬくもりがあたたかく、それでいてスタイリッシュな感じで。



彼と二人で大はしゃぎでした。

この露天風呂がすごく気持ちいい。
お湯も温泉だし、いつでも好きなときに入れるし、
風も心地良くて・・・もう最高!!


それから、食事もめちゃくちゃよかった。
ちょっとやりすぎちゃうんか?と思うほど、すごい量!!
もちろん、量だけでなく、魚介は新鮮、野菜は無農薬の自家製。

お造りの舟盛りが見たこともないようなボリューム!
これで2人前ですか?!


ひらめ1匹丸々、イサキ1匹丸々、伊勢海老1匹丸々がお造りに!!
すごい、すごすぎる・・・
そして、後ろに控えるのは、一番食べたかった生の岩牡蠣!
めちゃうま~
あー、幸せ

そのほかも、前菜5種盛り、タコの酢の物、生野菜のサラダ、鱧のしゃぶしゃぶ、伊勢海老の焼物、車海老のアーモンド揚げ、ピザ風バゲット、牡蠣ご飯、デザートとあって、さすがの私もダウン。
でも、どれもおいしかった~!!

部屋に帰って、宿の人にこっそり頼んでおいた誕生日ケーキを出した。
ろうそくを立てて、ハッピーバースディを歌って。


彼はもう感激で胸がいっぱいっていう顔をしていた。
はは・・・
満足、満足

吐きそうだったが、少しずつケーキを食べた。
もうしばらく何も食べたくない・・・と思った。

しかし、翌朝。
朝食がまたすごいんだ。こんなの見たことない!


ディナーでしょ?↑これはどう見ても・・・
またこれが全部おいしくて・・・。

基本的に私は健康体なので、朝が一番食欲があり、一番食べられる。
朝ごはんを抜くなんて考えられない!
(たぶん、一歩も動けない)
特に旅行に出ると、なぜか朝ごはんがいつもの数倍おいしくて仕方がない。

昨晩、あんなにお腹いっぱいになったのに、朝起きたらすごい食欲!

「いけるっ!!」

なぜかそう叫んだ。
「いける?」
不思議そうな彼。
「うん。全開や~!今日の私はいけるでー!!」

そう言って、ガツガツガツ・・・
起き抜けに部屋で昨日の残りのケーキを4分の1(普通のショートケーキの1.5倍程度)食べていたのだが、これだけの朝食を全部たいらげ、さらにご飯のおかわりを2杯!合計3杯食べた。
もう体育会系男子高校生並みだ。

体中にエネルギーがみなぎって、
うぉぉぉーーーー!!
と吠えたい気持ちだった。(野生や・・・)
なんか、本来の私が蘇ってきたで。

かかってこい!!

あー、本当においしいものいっぱい食べて、楽しい旅だった。
こんな贅沢ないよ。
朝、露天風呂に入りながら、「また明日からがんばる!」と叫んだ。
そんな気持ちだった。
こんな素敵なことがあるなら、またいくらでも頑張れる。

それにしても、この宿は本当によかった。
三重県に行くならおすすめです。
魚介類(特に牡蠣と海老)が好きなら絶対気に入るはず。

月に1回は三重に行きたいー。
三重、大好き
だって、おいしいものがいっぱいなんだもん。

この旅で、ずっとドラえもんの貯金箱に入れていた500円玉貯金は全部なくなったけど、でも、連れて行ってあげてよかったなぁ。
彼はもう・・・感無量でした(笑)


シカゴ日記、ちょっと休憩・・・

2007-07-21 02:08:38 | 生活
結婚しても、彼が帰って来るのが遅いので、
私はいつも一人で夕食を食べる。
結局、いまだに“一人居酒屋”。

こちらは昨日のご飯。
テーマは『夏のほろ酔いセット』
相変わらず、一人でもこんな感じに贅沢気分味わってます。



にんじんのツナ煮を久しぶりに作ったけれど、
かなりおいしかった。
にんじん1本、ぺろっといけますね・・・
お酒は、三重の「半蔵」で買った純米大吟醸 中汲み。
私にしては高い酒です。うまい。
ここの蔵元のオネエチャンとはもうすっかり顔なじみ。

それから、これが今日のご飯。



秋田で食べた鶏のゴマソースをかけたものがすごくおいしかったので、
それを自己流に再現したもの。
既に私の定番になっている。

あとは、これも定番。
なすの煮たやつと、トマトのサラダ。
トマトのサラダはちゃんとドレッシングも手作り。
結構、人気の一品です。

お酒は芋焼酎。「明るい農村」
これがうまいんだなー

明日は、彼の誕生日(24日)プレゼントとして、
伊勢神宮&志摩へ行ってきます

泊まるところもすっごく素敵なところ・・・
部屋に露天風呂がついてます。

http://www.carocaro.com/index.html

興味のある方はこちらへ↑
ここの305号室です

とりあえず、岩牡蠣を食うぞーーーー!!

シカゴ・ブルースの旅 その6

2007-07-21 01:45:43 | 
◎シカゴ美術館・ルート66へ

3日目の朝。
ブルース・フェスティバルは12時~なので(また今日も最初から最後までいるつもり!)、午前中はシカゴ美術館へ行くことにした。

シカゴ美術館はアメリカの三大美術館に入り、本当にきちんと全部見ようと思えば3日かかるといわれている。



確かにものすごく広くて、かなり飛ばして2時間かけてもまだほとんど見切れなかった。
スペインやフランスの宗教絵が結構多くて、これがまたグロテスクなんだ。
生贄の動物とか、女性がレイプされている場面とか。
キリストの処刑もかなりリアルで怖いし。

スペインに行って、プラド美術館やいろんな教会を見たときも思ったけれど、スペインの描くキリストっていうのは、かなりリアルで生々しい。
これも文化なんだろうなぁ。

モネの部屋があって、ここに来たらほっとした。
絵心のない私だけれど、モネは大好き。
やっぱり、自分が飾りたい絵かどうかが決め手。
彼と何度か別のところでモネの「睡蓮」を見たのだけれど、彼はいつも「何がいいのかわからん」と言う。
だけど、ここで初めて彼は「モネ、いいなぁ。睡蓮がなんでいいのかわかった」と言ってくれた。
それが嬉しかった。

この美術館は、日本・韓国・中国などのアジア系のものも、アフリカのものも、抽象画も、いろんな国の、いろんなものがあった。
仏像やお茶碗まであった。

いろんな国のいろんなものを一気に見て、思った。
人種も国も時代も関係ない。
人間はいつだって“何か”を表現したかったのだなぁと。
芸術は、人間だけが与えられたもの。
いつの時代も、どこの国の人も、この芸術を使って何かを伝えようとしていた。
それは、凄まじく、素敵で、ちょっとだけ淋しい気がした。

美術館を出て、ルート66を見に行った。
ジャズ、そして今やブルースの名曲、「ルート66」の歌詞に出てくる都市の名前の最初は「シカゴ」。
その場所がここだ!



もうこの場所に来れたことだけで感激!!
涙が出そうだった。

その後、午後になったのでブルース・フェスティバルへ。
会場の近くの路上で、ギターを弾いている東洋人を発見!!
見ると、同じツアーの晴さんとシューさん!



いやぁ・・・感動しました!!

また二人とも、めちゃくちゃ上手いんだ。これが・・・
晴さんは、もともとギターを持ってきていて、シューさんは、札幌のS氏が当たった菊田さんのギターを借りて弾いていた。

シカゴの路上で演奏する。

ブルースマンなら誰だって、一度は夢見ることだろう。

それを今、実現している二人がそこにいた。
彼が横で羨ましそうにしている。
そりゃ、そうだ。

「弾かせてもらったら?」と言っても、
「あんな上手い人らの前で、無理!」と彼。

もったいない!
ヘタくそだって、とりあえず魂で弾いたらいいやん。
シカゴの路上でやるなんて、なかなかできる経験じゃない。

彼は名残惜しそうに、それでも結局ギターを借りずに、その場を去った。

この日もまた、ひたすら夕方までブルースを聴いた。

続きはその7で・・・


シカゴ・ブルースの旅 その5

2007-07-21 01:09:20 | 
今日も頑張ってシカゴ日記の続き書きます!
まだ2日目・・・いつになったら終わるのやら・・・
ちなみに本日のBGMは、メンフィス・スリムとマット・マーフィー!
パソコンの横には、にごり酒・・・(←オヤジか!)
それでは続きを・・・


◎ブルースバーで本場のブルースを堪能

シカゴに行く楽しみは3つあった。
1つはもちろん、ブルース・フェスティバル。
2つ目は、このツアーの醍醐味、世界の菊田俊介さんに会うこと。
そして、3つ目がブルースバー巡り!

SUBWAYでしどろもどろになっている2人で、ブルースバーに繰り出すなんてできるんだろうかと不安だったが(たぶんこれも私だけで、彼は「なんとかなるやろ」と思っていたはず)、思いがけず、ツアーの人たちと仲良くなれたので、この不安も解消!
夜は皆でブルースバー巡りをすることになった。

「一緒に行く」というよりは「連れて行ってくださーい!」という感じ。
鹿児島のギタリスト晴さんは、本当に気持ちの良い人で、柔らかな物腰と優しい口調ながらも、皆を誘導してくれ、2台のタクシーに分かれて総勢7名で夜のシカゴに繰り出した。

楽しい~~~!!
やばいな、これ。

最初に行ったのは、キングストン・マインズ。


ここは本格的なブルースバーで、かなり広い店内にステージが2つある。
ここで交互にライブが行われるようだ。
壁できちんと分かれているので、客はワンステージ終わると、別のステージ前に移動する。

ここでバーボンを飲みながら2ステージ観た。
あ~、やっとバーボンが来たよ

両方ともよかったけれど、私は1つ目のバンドのほうがよかった。
黒人中心で、いかにもブルースという感じで。



2つ目のバンドはちょっと商業バンドっぽい気がした。
それはそれで悪くはなかったのだけれど。

京都のKさんなどは2つ目のバンドのほうが「聴きやすい」と言っていたので、同じブルース好きでも人の感性ってそれぞれだなぁと思った。

私は基本的に白人が好きじゃない。
クラプトンとレイ・ヴォーンは大好きだけど、それ以外は全く聴かないなぁ。
それはたぶん、「ブルースは黒人のもの」と思っているからなんだろうと思う。

たまに私が「あんな音は絶対日本人には出せない。出そうと思うこと自体がおこがましい。どんなに上手な人でも、黒人の出す音は出せない」と言うと、彼はすごく怒る。
「そんなこと言うなや。そんなことわかってるねん。だけど、ギター弾いてるやつにとったら、いつかあの音を出したいと思ってやってるねん!」と。

それはわかるけど……。
でも、黒人と同じ音を出す必要なんてないんじゃないかと思うのだ。
日本人には、日本人の“ブルース”がある。

70年代がまさにそれだ。
上田正樹とサウス・トゥ・サウス
ブレイク・ダウン
憂歌団
ソーバット・レヴュー
スターキング・デリシャス
ウエストロード・ブルースバンド
・・・・・・

コピーやってても、あの時代のブルースバンドはみんな自分たちの「音」を出していた。
それは、黒人に近づけようとした音ではなく、日本人のブルースだった。
だから、それはそれで、耳に心地良い。
SOULに自然に響く。

彼にそういうことを一生懸命説明しようとしたけれど、うまく言えずにケンカになったこともある。

彼のギターはとても優しい。
悪く言えば、自己主張のないギターだ。
だけど、セッションライブに出ると、それを気に入ってくれるお客さんもいるという。
「あんたのギターは、聴いていて疲れない」と。

彼は「俺は、バディ・ガイみたいに弾きたいよ・・・」と嘆くが、私はこの優しいギターは素敵だと思う。
(家でアンプなしで弾いてるときは、三味線みたいでちょっとしんどいが)

日本が誇るハーピスト・妹尾隆一郎氏が言っていた。
「ブルースは、演奏する人の性格が出てしまう。それはどうしても隠せない」と。
だから、聴く人が疲れない、優しいギターを弾く彼を、私はとても誇らしく思うのだ。
世の中には、そういうギターも絶対に必要だ。

おっと。
話がそれてしまったが、キングストン・マインズで楽しいブルースタイムを過ごした後は、そのすぐ近くにある「B.L.U.E.S」というバーへ。
もうブルースやってなきゃおかしいやろ!と突っ込みたくなるような、ベタベタの店名つけた店だ。

キングストン・マインズで結構いい時間が過ぎた頃、「この後、どうしますか?」という話になったら、札幌のS氏が2軒目を提案。
私はもう絶対に行きたかったが、既に夜中だし、皆が元気がかどうかもわからない。そして、自分だけ行くわけにもいかない(英語が不安)。

「どうしますかー?」と皆の返事を待つと、さすがブルース好き!
皆、「行きましょう」と乗り気!!
札幌のS氏が強い口調で「僕は行きます!」と言っていたのが印象的だった。
皆が帰っても、僕は一人でも行きますというくらいの勢いだった。

あー、うれし

近いとは聴いていたが、2軒目は本当に道を隔ててすぐのところにあった。



ここは先ほどの店とは対照的で、すごく狭い。
外から見ると、既にぎゅうぎゅう!
こちらは7名もいるし、絶対無理だろうなぁと思っていたら、入れた!
そのうえ、親切に席も空けてくれて、座れた!
ビールしか出なかったのが残念だけどね・・・

こちらは入るといきなりジミヘンで、ブードゥー・チャイルが流れていて、おおーっと思った。
ジミヘンか・・・
昔はよく聴いたが、もう10年くらいちゃんと聴いてないなぁ。

こちらのバーは狭いだけあって、客も一体感があり、すごく盛り上がった。



めっちゃいい感じ!!
ここでもブルースを堪能して、いい頃合に店を出た。
まだまだ聴いていたかったけれど、そういうわけにもいかない。
酒も足りないけど、とりあえず今日はこれにて!!

皆でまたタクシーに乗り、ホテルまで帰った。
もう夜中2時頃だっただろうか。
だけど、なんて心地良い夜!!

あと2日間もこんな夜を過ごせるのかと思ったら、笑いが止まらない。

彼にもう50回くらいは言ったけど、また言ってしまった。
「私ってさー、ほんまにブルースが好きなんやなぁ」

彼は相変わらず優しく答えてくれる。
「うん。かおりはほんまにブルース好きやと思う」

この会話、意味なし!!(笑
でも、そう言いたくなるような時間があるのよ、わかって!

シカゴ・ブルースの旅 その4

2007-07-19 17:42:48 | 
◎ずっと夢だったんだ。ここに来ることが。

木曜日の昼間ということもあって、ブルース・フェスティバルを観に来ている人はまばらだった。
だけど、屋台も出ていて、楽しい!
日本のお祭りの夜店みたいな感じで、ホットドッグ、ピザ、ハンバーガー、ビール、ジュース、アイスなど、いろいろ売っている。
ブルース・フェスのオリジナルTシャツや帽子も売っている。
購入はすべて金券なので、最初にいくらか購入した。

シカゴ・ブルース・フェスティバルは、今年で24回目。
グランド・パークというでかい公園の中に、ステージが5つ特設され、
木曜から日曜日までの4日間、昼の12時~夜9時までずーっとひたすら
誰かが演奏している・・・という、ブルース・バカにはたまらない祭りだ。
もちろん、演奏を観るのは無料。

大物も出るし、ローカル・バンドみたいな、名の知れないバンドも出る。
その数、およそ70バンド。
出演プログラムを見てみたが、あまり知っているブルースマンはいない。
バディ・ガイとか見たかったなー。

だけど、私も彼もあまり「誰が出演するか」ということは気にかけなかった。
そこが今回、ツアーの人たちと少し異なっていたようだ。
私と彼はもうただ、ブルースの洪水の中で、ビール片手に泳いでいられたら、
それだけでいつも最高で。

私なんて、12年以上前から夢に見て、憧れて、死ぬまでに一度はと願って、
そうやってやっと来たブルース・フェスなのだ。
その会場にいられること自体が震えるほど嬉しかった。

出演しているブルースマンの名前も知らないけれど、私と彼は「耳」だけを頼りに、ふらふらと会場の中をうろついた。

「あっちでいい感じのブルースやってるわ」
「あー、あの曲好きやわ、たまらんな」

そう言って、ビール片手にあっちのステージ、こっちのステージと移動して、
照りつける太陽の下、ふらふらになるまでブルースを浴びた。
(↓ほら、まだこんなに人もまばら)


でも、今も、これらの名前も覚えていないバンドのことばかり思い出す。
めちゃめちゃいい音出してて。
すっごく「ブルース」で。
「いかにも!」って感じの定番曲ばっかりで。
もうベタベタのシカゴ・ブルース!!
ただ、幸せで幸せで、溶けていきそうだった。



もちろん、合間にはジャンキーなものをいろいろ食べる。



やっぱり、ディープディッシュピザだね。
シカゴ・ピザ!!
これとビールが合うんだ、ほんと。
ビールを買うたびに、パスポートの提示を求められたのだけはまいったけど。
係りの人も、私の年齢確認するたびに苦笑だ。
「俺より年上のオバチャンに年齢きいちゃったぜ。東洋人はわからん。ファンタスティック!」
と、心の中で呟いていたことだろう・・・

そして、この日のメインステージのトリは、ブルースの女王、ココ・テイラー!!
我らがシュンさま、菊田俊介さんがギター!



さすがに前のほうの席はいっぱいで、私たちは後ろのほうだった。
でも、ステージが始まると、皆に紛れて前のほうに押し寄せてみた。
すぐ怒られて退散したが・・・。

菊田さん、カッコよかったなぁ



ふと、菊田さんの夢は叶ったのかなぁ、なんて思った。
日本からアメリカにわたったとき、一体どこまで辿り着くことを目指していたんだろう。

皆が、菊田さんにあたたかい声援と拍手を贈る。
ふと、後ろを振り返れば、もうすっかり暗くなってしまった会場の向こうのビルに、「THE BLUES」の電気文字。



なかなか洒落たことするじゃないか、シカゴ!

結局、この日は昼からラストの9時までずっと会場にいてブルースを聴いていた。
もう9時間もブルースの洪水を泳いできたというのに、
まだちっとも満腹していない。
それどころか、もっともっと、と欲しがっている。
40度のバーボンを口の中で転がして、水みたいにブルースに溶けていく感じを味わいたくて仕方がなかった。

ブルース・フェスの主催者の方、バーボンも売ってよ!

この夜の話は、その5へ続く・・・

シカゴ・ブルースの旅 その3

2007-07-19 16:45:32 | 
随分、間が空いてしまったが、今日はシカゴの旅の続きを書こう。

◎最初の英語試しは朝食で

2日目の朝、快晴。
今日からいよいよブルース・フェスティバルが始まる。
高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、とりあえず朝食へ。

昨日まではツアーのみんなと一緒だったからよかったけれど、
この朝食が彼と初めての「英語試し」。
私、一応、大卒。
英語教育は9年受けました。
とはいえ、大学3回から長年、英語なんて使ったこともない。
飛行機の中でやったDSの「えいごづけ」でもまだ初級レベル・・・
かなり不安だったのだが、

「まあ、だいたいわかるって」

なぜか余裕の彼。
だいたいこういうとき、「ほんまに?」と私が聞くと、彼はこう答える。
「なんとかなるって。俺はロッカーやからな」

ロッカーでもブルースマンでもいいけれど、ほんまに大丈夫か?!
一抹の不安が・・・

ホテルの外へ出ると、風がものすごい。
さすが「Windy City」。
風の街・シカゴ。

飲食店のある通りまで歩き、どこに入ろうかとうろついた。
で、結局決まったのが、SUBWAY。
あともケンタッキーとかダンキンドーナツとか、似たようなものだったので、
とりあえず入ることにした。

でも、最初の「英語試し」としては難易度高っ!!
英語がわからない以前に、システムがわからない。
ケースに並べられた具材をじぃっと見ていたら、
「パンを選べ」というようなことを言われたので、おろおろ

写真を指されて、ああ、この中から選ぶんだとやっとわかる。
どれがおいしいのかもわからないので、適当に選ぶ。
・・・ほぅっ・・・やっとパン獲得。

次は具だが、よくわからない肉がおいしそうだったが、とにかくわからないので、「はむ!」と言う。
「Ham?」
「おー、いえす、いえす。はむ」
ハムの次はやっぱりこれだろう。
「ちーず!」
「OK、Cheese?」
「おー、いえす、ちーず」

これでとりあえず、ハムとチーズの入ったサンドイッチは食える。
その後、店員さんは「これはいれるか?」「ピクルスはどうだ?」とあれこれ聞いてくる。
そのたびに、彼と二人で「いえす」「のーのー、ぴくるす、のー」と受け答えし、どうにかこうにか、サンドイッチが出来上がった。

飲み物のシステムもよくわからん。
フリードリンク?!他の客を見ていたら、勝手にコーラとか入れて、そのまま持って外に出たりもしている。

彼と汗をかきかき、とにかく手にした食料をテーブルに運び、かぶりついた。
うま~っ!!
やっぱりこういうものは本場だなぁ、うまい。
大満足で店を出た。

あー、でも、もう英語イヤ!しんどい
なのに、能天気な彼は言う。
「なんか、もう慣れたな!SUBWAYは難易度高かったけど、もうどこでも注文できそうや

・・・そうかぁー?!

◎芸術の街

朝食の後は、ツアーの観光の1つで、シカゴに点在する美術作品を見ることになっていた。
歩いてまわれるし、まあ、2時間程度だ。
ブルース・フェスもお昼からなので、参加した。

ツアーのみんなに「朝食、何食べました?」と聞いてまわった。
みんな、マクドとかドーナツとか。
そんなもんよね、やっぱり。

シカゴは音楽だけじゃなく、芸術の街でもあって、あちこちに美術作品がフツーにある。

↑こんなシャガールのタイル絵とか。


↑こんなピカソのわけのわからん像とか。

好きな人にとったら、楽しいんだろうな。
私も別に嫌いじゃないけど、絵なんて見てる場合じゃない!
だって、もうすぐブルース・フェスティバルやんか!!
早く行きたくて仕方がなかった。

でも、その後は、噴水へ。


こうして一通りの観光を終え、ようやく自由行動に!
ツアーのみんなはバラバラと別れていった。

ああ、いよいよブルース・フェスティバルの始まりだ!

続きは、その4で・・・


シカゴ・ブルースの旅 その2

2007-07-19 10:28:31 | 
★ブルース旅日記のその3以降のアップが遅かったので、
 その2・1をアップしなおしました。(内容は一緒。順番だけね)

今日は雨だろうと洗濯をあきらめていたが、朝起きると晴れ間が!
急いで洗濯機を回す。
カラリとして涼しい、とても気持ちの良い日だ。

こんな日は、ライトニン・ホプキンスだなと、清々しさに不似合いな、不良のおっちゃんブルースを聴く。
もちろん、「Mojo Hand」。
一音でテキサスの香りが広がってくる(知らんけど)

今日は、シカゴの旅のブルース編を書こう。

◎濃厚な初日・菊田俊介さんとの出会い

ガイドさんが、
「普通は見られないんですが、菊田さんの紹介だということで、特別に皆さんをチェスレコードのスタジオにご案内します」
そう言った瞬間、車内には「おおー!!」という歓声があがった。

戸惑うガイドさん。
「え?何?僕は知らないんだけど、チェスってすごいの?」
うなずくみんな。

さすがだ。
ブルース・フェスティバルの旅に来ただけのことはある。
なんだか「同志」という気がして安心した。
それにしても、チェスのスタジオへ行けるのか~!!

バスが到着すると、もう興奮を抑えきれない!


現在、ここはミュージアムになっていて、いろんなブルースマンの写真や貴重な品々、ブルース関係のグッズなどを売っている。
いろいろ写真を撮りたかったのだが、禁止と言われて残念だった。

中には今回の旅のホスト役でもある菊田俊介さんが待ち受けていた。
彼は、アメリカで活躍する日本の代表的ブルースマン。

B.B.Kingには、
「もし僕の自伝映画が作られることがあったら、君に若いBBを演じて欲しい。」
Buddy Guy には、
「俺はいつもお前のような若いギタリストから新しいものを盗もうと思っているんだ」
Koko Taylor には
「シュンはブルース・マシーンに在籍したギタリストの中でもトップの一人よ。それ以上に息子のようなものなの。」
James Cotton には、
「シュンはいいプレイヤーだな。彼のプレーが恋しくなる時があるよ」

と言わしめた、日本が誇るギタリスト。

※このツアーのことが菊田さんのブログにも書かれていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/shunkikuta/
この中の、「バーボンとブルースがあったらいい」と言っていた女性というのは、もちろん私のことです(笑)
光栄です!!

菊田さんに会うのは初めて。
世界で活躍されている方なので、なかなかライブなどに行く機会もなかったが、噂とブルース雑誌などではよく知っていた。

今回のブルースツアーで何が良かったかと言えば、とにかく菊田さんと過ごした時間が挙げられる。
野球選手で言えば、松坂やイチローに会ったようなもので。
本当に世界に通用する人間というのは、そのプレーはもちろんだけれど、それ以上に人間性がグローバルというか、豊かで大きな人なのだということを実感した。

ハキハキした物言い、高ぶらない気さくさ、熱いブルース魂、他人への思いやり、社交性と機転の利きの良さ・・・そして、ギタープレイ。すべてにおいて一流だった。

この館内では、ケビンという管理者の黒人の方が待っていて、いろいろ案内してくれた。菊田さんがすべて通訳をしてくれる。
いろんなブルースマンの写真を見るたび、歓声をあげる。
ゆかりの品々を目にするたび、ああ、本当にシカゴに来たのだと実感する。
これだけでも十分だったのに、菊田さんがこんなことを言った。

Roy Hytower というブルースマンがここの2階で皆さんに生演奏を披露してくれる、と。

申し訳ないが、ロイ・ハイタワーというブルースマンを私は知らず、初めて聴くことになったのだが、彼が現れて顔を見た瞬間、なんて素敵な顔をしているんだろうかと思った。
美男子という意味ではない。
柔らかい表情と奥に秘めたものが感じられて、なんだかたまらなかった。
かなりのお年だとは思うのだが、シャキッとした姿勢にも惹かれた。
お孫さんだろうか、かわいい女の子を連れていた。

2階に上がり、演奏が始まる。
ギターとハーモニカ。
そのプレイもすごかったのだけど、私はとにかく「声」にまいってしまった。
こんなすごい声を生で聴けることに心から感謝した。
体中に電気が走ったみたいになって、次の瞬間にはもうゴキゲンで、顔がにやけてくるのを止められなかった。

そして、ここでもう一つ素敵なことがあった。
一緒にツアーをまわっているナカハタさんという鹿児島の男の人が一緒にプレイしたのだ。
彼は、シカゴまでギターを抱えてやってきた、せつないほどひたむきなブルースギタリストで、普通なら多少腕があっても、いきなりプロの黒人ブルースマンと一緒にプレイしようと言われたら尻込みしてしまいそうになると思うのだが、「イエス」と答え、前に出た。

また、それが素晴らしくて。
何の打ち合わせもなく、今日初めて会ったシカゴの黒人と日本人がいきなりセッション。
「これが、ブルースの良さなんだよね」
と菊田さん。
うん、うん、とうなずく私。

得意の感情移入でナカハタさんの高揚した気持ちを感じて、ちょっと泣きそうだった。
ああ、ブルースは最高!!





その後、もっとすごいことが待ち受けていた。
一旦、ホテルで荷物を置き、夜は菊田さんガイドで「SOUL QUEEN」へ。


ここは黒人の家庭料理、いわゆる「ソウルフード」と呼ばれる料理が出されるレストラン。
菊田さんのガイドなしにはなかなか行けない店だ。
1つ1つ料理の説明もしてくれた。


これは、私が取ってきた料理。
バイキング形式になっていて、およそ1000円ほどとか。
かなりお安いし、美味しい。

決して贅沢ではない食材だが、それを工夫して美味しく食べようとしてきた黒人の想いが込められた、まさにソウルフード。

例えば、「チキン・ドレッシング」は、ターキーに詰め物をして焼く、その詰め物の部分。
「コーン・ブレッド」は、コーンとミールを主体にしたパン。
「スモーク・ハム・ホック」は豚のひざの肉を使ったハムを煮込んだもの。
「グリーンズ」は、固い葉っぱをいろんな味付けをして数時間煮込んだもの。

食材だけを見ると本当に質素なものなのだが、味は美味しかったし、何より魂に響いた。
フライドチキンやバナナのプティングも気に入った。

そこでは、ツアーの催し物で抽選会も行われた。
くじ引きでいろいろと商品が当たる。
なんと1位は菊田さんのサイン入りギターで、私はそれを絶対当てようと思っていたのだが、結果は9位。彼は5位だった。
1位のギターを獲得したのは、札幌のベーシストだった。


あとは、全員が菊田さんのニューアルバムをサイン付きでプレゼントしてもらった。

とても楽しい時間を過ごした後も、まだまだ夜は終わらない。
今度は、菊田さん案内でブルースバーへ。
本場シカゴのブルースバー!!
生演奏が聴け、菊田さんもプレイするとか。


よけいな説明はいいか。
とにかくブルースに酔いしれた。

菊田さんのギターもカッコよかったし、ベースの人のゆったりした感じも最高だった。
ヴォーカルのパワーには圧倒された。
ベタベタのブルースではなくて、サム・&デイブやオーティス・レディングなど、ちょっとR&Bの要素も強い選曲で、それもまた私の感性に合った。
生で「My Girl」を聴いて、改めて名曲だなぁと感じた。

濃い。
本当に濃い1日。

彼とホテルに帰ってからも、「あー、もし今日1日でシカゴの旅が終わりって言われてもいいくらい満足したなぁ」と言い合った。
本当に、長い長い、貴重な1日。
人生で忘れることのできない日となった。

サウスエリアへ向かうバスの中で見た風景が頭の中に浮かぶ。
高層ビルが立ち並び、白人が闊歩する都会の風景とは一転して、さびれた町。
家の窓ガラスはめちゃくちゃ。
ほとんどの家が窓ガラスに板を打ち付けている。

町にはぶらぶらしている黒人の若者がたむろしていて。
働かないのか、働く場所がないのか、それはわからない。

ギリシャ人の住むグリーク街、中国人の住むチャイナタウン、メキシコ人のエリアもあり、そして黒人のエリアもあって。

アメリカは自由の国だなんて、誰が言ったんだろう。
いろんな人種が混在し、なおかつ分かれて暮らすことしかできない国じゃないか。
少しバスで走っただけで見えてくる貧富の差。

後日、ブルースを通して、私はまた「人種」という壁と、日本にいたら実感し得なかったことを知る。
我が心の師匠・B.Bキングが言っていたことを思い出す。

「私は、ブルースを歌うたびに、自分が黒人であることを再認識する」

そのことが、こんなジャパニーズ・イエロー・モンキーにも、少しだけわかった気がした旅だった。
ブルースには、こんなちっぽけな私には計り知れない、歴史とソウルがある。


シカゴ・ブルースの旅 その1

2007-07-19 09:20:55 | 
★ブルース旅日記のその3以降のアップが遅かったので、
 その2・1をアップしなおしました。(内容は一緒。順番だけね)

◎憧れの地・シカゴ

シカゴ。
ブルースの本場、20歳からの憧れの地。

いつかシカゴへ行って、ブルース・フェスティバルを観て、ブルースバーで生演奏を聴いて、シカゴの風を感じてくる。
それが、長い間の夢だった。

いつか叶うような気もしたし、絶対に叶わないような気もしていた。
そんな大げさな・・・たかがアメリカ旅行じゃないか、宇宙へ行くわけでもあるまいし・・・と思うかもしれないが、夢は夢のままで終わることだってあり得た。
なぜなら、この夢の実現には、一緒にブルースと風を感じてくれる「相手」が必要だったからだ。

ソウルメイトはいた。
私の夢は形になった。


◎トイレに行きたい

6月6日
彼と二人、シカゴを目指し、飛行機に乗った。
朝8時伊丹発で成田へ。そこからシカゴまではさらに12時間。
かなりの長旅だ。


成田へ向かう途中、飛行機の窓から見えた富士山。
この気高く美しい姿を見ると、自分も凛とした気分になった。
さあ、いよいよ出発だ!

シカゴ行きの飛行機のシートは3人掛けで、彼が窓側、私が真ん中。
通路側はどんな人が来るのかと思ったら、黒人のおばちゃん!!
もう今にもゴスペルとか歌いそうな感じ。

しかし、私も彼もトイレが近い。
トイレに行くには、そのゴスペルおばちゃんの前を通らなければならないのだ。
二人でぼそぼそと「トイレどうする?」「ビールガマンしよう」と相談。
それでも、「お飲み物はいかがですか?」と来られたら、迷わず、
「あ、じゃあ、ビールを・・・」と答えている二人・・・

結局、トイレは1回だけ「ソーリー、ソーリー」と言いながら通らせてもらって二人で一緒に行ったが、その後はなんとか行かずにガマンができた。
長時間乗るときは、やっぱり通路側がいいなぁ。

12時間はかなり長く感じたが、東野圭吾の分厚い本を持っていっていたのと、彼がDSを持ってきてくれていたので、退屈はしなかった。
このDSは、彼が会社の上司の方から借りてきたもの。
「脳内トレーニングのソフトも買ったから、やろう!」と彼。
「やろう、やろう!」と私もはりきっていた。

それが、いざやろうとしたら、彼が「あっ!」と言う。
どうしたのかと思ったら、ソフトを出した瞬間に落としたというのだ。
おいおい……!
シートの下を探してみたが、一向に見つからない。
「降りるときに探すわ・・・、たぶん後ろの席までいってる・・・」
結局、脳トレはできず
「えいごづけ」だけやった。

さらに、映画でも観ようかとリモコンを取ろうとしたら、なんと!ゴスペルおばちゃんの腕が私のリモコンの上に!!
言おうかと思ったが、なんとなく言いづらい雰囲気・・・。
じゃあ、ゴスペルおばちゃんが席を立ったときか、腕をどけたときにさっと取ろうと思い、ずっと待つことに。
でも、結局最後まで腕は乗ったままだった・・・


◎ブルース旅仲間との出会い

ついに着いた!憧れのシカゴ!
今回はツアーだったので、専用のバスが空港で待っていてくれた。
そこに乗り込んだ13人。
これから旅を共にするメンバーだ。

大阪からは、私たち以外に2組の夫婦。
年齢は40代と50代だろうか。
それから、京都から20代後半のおにいちゃん。
合計7名。

意外にも東京などの関東人は全くいなくて、あとは九州勢!
福岡のカップル1組。北九州市のカフェ経営者、鹿児島のギタリスト2名。
合計5名。
西日本、アツイな!

さらに、北海道は札幌から1名。
「札幌だとブルースやってる人も少ないんじゃないですか?」と尋ねると、
「10人くらいですかね」と言っていた。
うーん、貴重だ!

本当は30名以上で催行だったのだが、強い要望により13名でもツアーが行われることになったという。
どんなマニアックな人たちが集まるんだろうかと思っていたら、わりとみんな普通で、そして、とにかくいい人ばかり!

この仲間たちのおかげで、旅はぐんと楽しくなった。


◎シカゴに来たんだ!

1日目はシカゴ市内観光。
バスで主な名所をまわってくれる。
ガイドさんも日本人のおじさんで、またこのガイドさんがとても気さくないい人で、あまり期待していなかった観光もなかなか楽しかった。

何より天気がいい!
私と彼の旅はいつだって、快晴
抜けるような青空とはこのことか。
気温も25度前後で暑くも寒くもなく、本当に気持ちがいい。

アメリカで一番高いビル「シアーズタワー」では、103階の展望台へ。
眼下に広がる景色は、そりゃもう絶景!


日本とはスケールが違う。
さらに、山がないものだから、本当にどこまでも平野が広がっている。


一方では高いビルもそびえたち、その向こうにはミシガン湖が。

このミシガン湖の近くにも連れて行ってもらい、湖越しにビルを眺めると、こんな感じ。


どう見ても海にしか見えない。
九州と四国を足したくらいの大きさはあるとか。
がんばれ、日本一の琵琶湖!(笑)

まだ普通の観光で、肝心のブルースは出てこなかったが、観光にも満足していた。
彼と二人、何度も何度も「よかったなぁ、来てよかったなぁ」と言い合う。

旅立ちの前日の睡眠は3時間。
その前の日も4時間くらい。
その前の日も確かわずかだった私。
旅行前に仕上げておかなければならない仕事に追われ、旅の準備に追われ、とにかく忙しく、寝る時間がなかった。
そのうえ、時差で夜中のはずが朝になっていて。
ほとんど寝ないままでまた新しい日が始まっていた。
だけど、眠気も吹き飛ばせるくらい、興奮していた。

今、シカゴにいる。
そう思うだけで、熱いものがこみ上げてくるのを抑え切れなかった。

本当にシカゴに来てよかったと思える出会いやブルースがあるのはこれからなのだが、この時点で既に私も彼もシカゴを満喫していた。

ブルース三昧の日々については、また明日

新レシピ ブロッコリーとカニ身の卵あんかけ

2007-07-18 23:34:20 | 美味しいもの
今日の晩ご飯。
・天然ぶりの照り焼き
・小松菜と厚揚げの煮物

そして、久しぶりに新レシピ。

「ブロッコリーとカニ身の卵あんかけ」

彩りもきれいだし、おいしい。
油を使っていないから、カロリーも低い。
栄養バランスもまあまあいいでしょう

彼も「ブロッコリーうまい。味が違う」と言って食べている。
やっぱりね。
スーパーで売ってるのはほとんどアメリカ産だから・・・

茎の部分は短冊に切って、胡麻和えにした。
こちらは明日の彼のお弁当に。

今日はのんびり過ごしたなぁ。
夕方、空がきれいだった。
雲が夕陽で立体的に照らされて。
それが静かに流れていった。


駆け出しのライター気分で

2007-07-18 14:11:51 | 仕事
昨晩、彼とお互いのブログを読み合って、
それから布団を敷いているとき、
ふとウイスキーが飲みたいな、と思った。

だけど、それはいつものような精神的に欲するものではなく、
なんだか心地良い欲求で、「ああ、文章が書きたいな」と思うときと
似ているように思った。

彼が文章を書き始めると、私も書くことへの欲求が深まる。
一緒に暮らし始めてから、ますますこの連鎖反応は大きくなって。

この2、3日、やっと彼はまた自分の文章に向き合い始めた。
(←ブックマークしておくので、よかったらどうぞ)
彼特有のこねくりまわした文章ではないけれど、いい具合に肩の力が抜けていて、それでいて彼らしい表現やリズムのある、私の好きな文章だ。

私と彼は二人とも文章で自己を表現したいと思い、それを仕事にしているけれど、同じような二人が一緒に生活すると影響し合うことも多い。
この「影響」を良いほうに向かわせないとダメなんだろうな。

私は今、ようやく精神的に安定してきて、それと同時に生活も落ち着いてきて、肝臓が悲鳴をあげたこともあるかもしれないが、とりあえず酒はやめている。
(ちなみに昨晩も結局ウイスキーは飲まなかった。ノンアルコール・デイ)

今週は急ぎの仕事も終わり、あえて人との約束も入れていないので、
ホームページも更新して、シカゴ日記も書いて、
自分の文章をいろいろ書くつもりだ。

物理的な「時間」の問題と、精神的な「心」の問題が、
今は一度に解決している状態。
こういうときに書かないで、一体いつ書くというのか。

仕事は仕事で、営業も頑張っている。
今朝もまた1社、メールを送っておいた。
週3日働くだけで何とか暮らしていけるこの生活も悪くはないのだが、
私としては週にあと1日か2日分の仕事はほしい。
お金のこともあるが、やっぱり仕事が好きだから。

昨日は、単発の急ぎの仕事が入っていて、なかなか面白かった。
メルマガの仕事もクライアントが上場企業だから、
結構質の高いものを求められるのでやりがいがある。
また、間に入ってくれるSVの方もすごく「アツい人」がいたりして、
いろいろとはっとさせられることがある。

この間は、
「後で修正がかかってもいいから、もっと伝えたいことを強調したものにしてください。先方はやんわりとした表現に変えてほしいと言ってくるかもしれませんが、それでも、ここは強調しないと意味がないので」
というメールがきて、昔の自分を呼び起こされるようだった。

前にもこの同じチームの人に、
「クライアントの言いなりになる必要はないです。本当にいいものを創るためにはもっと提案をしてもいいと思います」
と言われ、もう一度、自分についてしまった悪い癖を見直さないといけないなと感じていた。

ライターの仕事を始めた頃は、「いいもの」を提案するのに必死だった。
自分の書くものに自信もあった。
それが、間に入る人に「ここは削って」「この表現はやめて」「先方がこう言ってるからこうして」と言われ続け、「じゃあ、もう自分がいいと思うものよりも、クライアントがいいと思うものを創ろう」と考え方を変えるようになった。
それどころか、途中からはもう一体誰を満足させるために書いているのかすら、わからなくなっていた。

あの頃はモチベーションもすっかり失い、一時は仕事が楽しくなかったな・・・
チームで仕事をしていたら、自分ひとりでモチベーションを見出すなんて、絶対無理な話だ。
それは、クリエイティブな仕事でなくてもそうだろう。
やっぱり上の人が、チームの雰囲気を見て盛り上げ、あなたがこの仕事に携わってくれているお陰でチームが成り立っているんです、ということを見せてくれなくては。

クライアントありき。
それは当たり前。
だけど、ライターやデザイナーが自分の仕事に誇りをもって、本当にいいものだと提案してきた時に、それでクライアントを納得させられるかどうかは、やっぱりディレクターの力量だと思う。

今、一緒に仕事をしている人たちは、まず読者のことを考え、私の力を信じ、それを責任をもってクライアントに伝えようとしてくれる。
だから、私に対して「もっとやりすぎてもいいから!」と言ってくれるのだ。
昔の私と全く反対のことを言われている自分を、ちょっと苦笑してみてしまう。

10年の経験なんてないものと思って、
もう一度、駆け出しのライター気分で頑張ってみよう。

「キャリアがキャリアを生む」
フリーにとって、これは絶対なんだ。
だから、1つ1つの仕事に誠実に向き合っていくしかない。

新しい人と出会えば、またなんぼでも勉強することあるなぁ、ほんま。