今もたまに人手が足りないテスト前や、休んだ講師の代わりで、塾で授業をすることがある。
教えるのは、もっぱら中3数学か国語。
火曜日も久しぶりにピンチヒッターで数学の授業をやった。
前で授業をしていると、当たり前だが、生徒の顔が見える。
真剣な眼差しに、ドキッとすることがある。
なんだろう。
子供の真剣な目っていうのは、ひたむきだな。
憧れる。
あんな目ができるんや、と。
あの目が好きで、この仕事をだらだらと引きずってるんかなと思うこともある。
授業は、やや賢いAクラスの代わりを頼まれることもあれば、
全然できないCクラスの代わりを頼まれることもある。
どっちが楽しいかといえば、断然、Cクラスだ。
Aクラスだとどうしても授業が一方的な説明になる。
「説明」で伝わるのだから、それでいいのだ。
声がかれることもない。
でも、Cクラスの授業は闘いだ。
「わかったか?わかったか?わかったか?」といちいち聞く。
Cクラスの子たちは動物的な部分が強いので、とにかく声をはりあげて、
勢いでこちらに引き付ける。
だから、2時間の授業が終わったら、声が嗄れ嗄れ。
季節を問わず、汗だく。(まあ、これは私が異常な汗っかきだからだけど)
しかし、楽しい。
やっぱり教えるのは好きなんだろうな、と思う。
ただ、こうやって今でも塾にヘルプの形で席を置いているが、
時々、自分の位置がわからなくなる。
物理的にであれ、精神的にであれ、
何か自分が役に立てることがあればいいなと思っているわけだが、
この立ち位置はかなり中途半端だ。
完璧にしたい主義の私としては、本業と家事と塾の両立がとてもしんどいときがあって。
昔なら、全部を全力でやろうと思っていた。
でも、悲しいかな、そんな気力がもうない。
一番授業をたくさんやっていたときは、ライターの仕事もしながら、中2と中3の数学と国語を受け持っていた。
テスト前は歴史も理科も家庭科もやった。
終電まで教材を作って、へろへろになって家に帰り、
そこからまだ原稿を書く・・・、なんてことは毎日だった。
あの頃はまだお酒もそんなに飲まなくて。
気付け薬のようにウイスキーを流し込んで、朝はコンビニで栄養ドリンクを飲むという生活。
慢性的な重度の睡眠不足で、乗り物はもちろん、居酒屋でもライブハウスでも、
とにかく一瞬でも仕事を忘れた瞬間には、どこででも眠ってしまうほどだった。
毎日の願いはただ1つ、「布団で寝ること」だけだった。
今あの生活に戻るなんて死んでもいやだ。(本当に死んでしまう)
だけど、なぜか「楽しかったなぁ」と思う。
あんなに夢中になって仕事をしていた時間を愛しくも思う。
それは、たぶん、全力だったから。
でも今は違う。
今は、バランスを崩さないことばかり考えてしまって、全力を尽くす前にセーブしてしまう。
そのことにいつもモヤモヤしている気がする。
私の生き方って、こんなんやったっけ?と。
既に燃え尽き症候群やな・・・
この間の病気のことがあったとき、ふみこに、
「かおりちゃんは、『昔より仕事も少ない』とよく日記に書いているけど、
今でも普通の人よりはだいぶ忙しくしてること自覚したほうがいいね」
とメールをもらった。
仕事に限らず、いろいろ含めて、私は忙しいらしい。
昨日もあやとふみこと3人で話していて、
私が、「毎日寝る前に反省する。今日も自分が決めたことをできなかったとか、
今日もなまけてしまったとか・・・。でもきちんとできない。それが辛い」と話すと、
「かおりちゃんは自分に厳しすぎる」
「真面目すぎる」
「みんなもっとだらけた生活してるよ」
「わたしなんてもっとひどいよ~。でも全然気にしない」
と言われた。
みんなきちんとやってるように見えるのに、本当にそうなのか・・・?と不思議な気がしたが、
よく考えてみれば、私の若い頃が異常すぎたのかもしれない。
ようやく人並みの体力になり、そして年齢を重ねたということなのかな。
今がダメなんじゃなく、昔が異常なほど頑張れたから、きちんとできたから、
今の自分に憤りを感じてしまうのかもしれない。
だとしたら、これくらいの「のんびり」は許されるんだろうか・・・
誰に?
そう、いつもこの考えに至ってしまう。
誰かに許しを請うている。
誰にだろう?
神様か?
自分自身の良心か?
怠惰の件に限らず、
もし、前世というものがあるなら、
その世界に生きていたとき、私はどんな大きな罪を犯したんだろうかと思うことがある。
いつも「現世」では、罪の償いのために生きているという感覚があって。
人の役に立った・・・償えた。
今日も頑張れた・・・償えた。
いつも「償い」の気持ちが拭えない。
あとどのくらい償えば、私は「何者か」に許されるんだろう・・・とふと思う。
とはいえ、友達と話すと、いつも救われる。
こんなふうにわけのわからない「償い」強迫観念で生きている自分がバカバカしく思えてくる。
頭おかしいんちゃうかと思う
多少、ダメな日があっても、ダメなところがあっても、
「それはそれでOK!」と思いたいと、そんな考えが浮かぶ。
みんなそうやってるみたいだし。。。
わかってるんだけどなぁ・・・
とりあえず、本業と家事はもちろんだけど、
今年こうやって塾に席を置いている限りは、もう少し役に立てるように頑張ろうと思った。
ちょっとアドバイスでもしてあげればいいものを、この間のテスト対策は私の怠惰からそれをせずにいた。
こんなあまりにもいい加減すぎる自分に本当に嫌気がさしているのだ。
昨日、数学講師でのミーティングをさせてもらって、
「次は絶対みんなで何がなんでも成績上げよう!」と士気を高めた。
本当に、何が何でも結果を出す!
そうでなければ私が席を置いている意味がない。ただのお局様だ。
「次はこうしよう!」という話を昨日やって、みんなも同意してくれて、私もやる気がさらに増した。
今の中3数学講師陣は、今年初めて授業をうけもったにも関わらず、とても力がある。
学力も高いし、気が利くし、順応性がある。人柄もよい。
その能力をちゃんと発揮できるように、土台を整えてあげるのが私の仕事だ。
本当に、もう少しでいいから、自分に昔のような気力と体力があれば・・・!
思うようにいろんなことができない自分が悔しい。
でも、今はとにかく全部をもう一度できるだけがんばってみようと思う。
ちょっと気合が足りんかった。
そう。気合や、気合!!
しかし・・・
とりあえず、1つだけありがたいのは、
こうやって悩んだり、できない自分に落ち込んだりはするけれど、
やっていることは全部好きだし楽しいということ。
(基本的に好きなことしかやらない。嫌なことは極力避けるというのがモットー)
本業も塾も家事も全部大好き!楽しい!
イヤイヤやっていることは何もない。
ただ、それが完璧に、思っているレベルでできないことがしんどいだけなのだ。
よく考えてみれば、贅沢なだけのかもしれない。
望みすぎ?理想主義?完璧主義?
きっと、好きなことばかりやれてるってのは、幸せなんだろうな。
気持ち切り替えて、がんばろう
教えるのは、もっぱら中3数学か国語。
火曜日も久しぶりにピンチヒッターで数学の授業をやった。
前で授業をしていると、当たり前だが、生徒の顔が見える。
真剣な眼差しに、ドキッとすることがある。
なんだろう。
子供の真剣な目っていうのは、ひたむきだな。
憧れる。
あんな目ができるんや、と。
あの目が好きで、この仕事をだらだらと引きずってるんかなと思うこともある。
授業は、やや賢いAクラスの代わりを頼まれることもあれば、
全然できないCクラスの代わりを頼まれることもある。
どっちが楽しいかといえば、断然、Cクラスだ。
Aクラスだとどうしても授業が一方的な説明になる。
「説明」で伝わるのだから、それでいいのだ。
声がかれることもない。
でも、Cクラスの授業は闘いだ。
「わかったか?わかったか?わかったか?」といちいち聞く。
Cクラスの子たちは動物的な部分が強いので、とにかく声をはりあげて、
勢いでこちらに引き付ける。
だから、2時間の授業が終わったら、声が嗄れ嗄れ。
季節を問わず、汗だく。(まあ、これは私が異常な汗っかきだからだけど)
しかし、楽しい。
やっぱり教えるのは好きなんだろうな、と思う。
ただ、こうやって今でも塾にヘルプの形で席を置いているが、
時々、自分の位置がわからなくなる。
物理的にであれ、精神的にであれ、
何か自分が役に立てることがあればいいなと思っているわけだが、
この立ち位置はかなり中途半端だ。
完璧にしたい主義の私としては、本業と家事と塾の両立がとてもしんどいときがあって。
昔なら、全部を全力でやろうと思っていた。
でも、悲しいかな、そんな気力がもうない。
一番授業をたくさんやっていたときは、ライターの仕事もしながら、中2と中3の数学と国語を受け持っていた。
テスト前は歴史も理科も家庭科もやった。
終電まで教材を作って、へろへろになって家に帰り、
そこからまだ原稿を書く・・・、なんてことは毎日だった。
あの頃はまだお酒もそんなに飲まなくて。
気付け薬のようにウイスキーを流し込んで、朝はコンビニで栄養ドリンクを飲むという生活。
慢性的な重度の睡眠不足で、乗り物はもちろん、居酒屋でもライブハウスでも、
とにかく一瞬でも仕事を忘れた瞬間には、どこででも眠ってしまうほどだった。
毎日の願いはただ1つ、「布団で寝ること」だけだった。
今あの生活に戻るなんて死んでもいやだ。(本当に死んでしまう)
だけど、なぜか「楽しかったなぁ」と思う。
あんなに夢中になって仕事をしていた時間を愛しくも思う。
それは、たぶん、全力だったから。
でも今は違う。
今は、バランスを崩さないことばかり考えてしまって、全力を尽くす前にセーブしてしまう。
そのことにいつもモヤモヤしている気がする。
私の生き方って、こんなんやったっけ?と。
既に燃え尽き症候群やな・・・
この間の病気のことがあったとき、ふみこに、
「かおりちゃんは、『昔より仕事も少ない』とよく日記に書いているけど、
今でも普通の人よりはだいぶ忙しくしてること自覚したほうがいいね」
とメールをもらった。
仕事に限らず、いろいろ含めて、私は忙しいらしい。
昨日もあやとふみこと3人で話していて、
私が、「毎日寝る前に反省する。今日も自分が決めたことをできなかったとか、
今日もなまけてしまったとか・・・。でもきちんとできない。それが辛い」と話すと、
「かおりちゃんは自分に厳しすぎる」
「真面目すぎる」
「みんなもっとだらけた生活してるよ」
「わたしなんてもっとひどいよ~。でも全然気にしない」
と言われた。
みんなきちんとやってるように見えるのに、本当にそうなのか・・・?と不思議な気がしたが、
よく考えてみれば、私の若い頃が異常すぎたのかもしれない。
ようやく人並みの体力になり、そして年齢を重ねたということなのかな。
今がダメなんじゃなく、昔が異常なほど頑張れたから、きちんとできたから、
今の自分に憤りを感じてしまうのかもしれない。
だとしたら、これくらいの「のんびり」は許されるんだろうか・・・
誰に?
そう、いつもこの考えに至ってしまう。
誰かに許しを請うている。
誰にだろう?
神様か?
自分自身の良心か?
怠惰の件に限らず、
もし、前世というものがあるなら、
その世界に生きていたとき、私はどんな大きな罪を犯したんだろうかと思うことがある。
いつも「現世」では、罪の償いのために生きているという感覚があって。
人の役に立った・・・償えた。
今日も頑張れた・・・償えた。
いつも「償い」の気持ちが拭えない。
あとどのくらい償えば、私は「何者か」に許されるんだろう・・・とふと思う。
とはいえ、友達と話すと、いつも救われる。
こんなふうにわけのわからない「償い」強迫観念で生きている自分がバカバカしく思えてくる。
頭おかしいんちゃうかと思う
多少、ダメな日があっても、ダメなところがあっても、
「それはそれでOK!」と思いたいと、そんな考えが浮かぶ。
みんなそうやってるみたいだし。。。
わかってるんだけどなぁ・・・
とりあえず、本業と家事はもちろんだけど、
今年こうやって塾に席を置いている限りは、もう少し役に立てるように頑張ろうと思った。
ちょっとアドバイスでもしてあげればいいものを、この間のテスト対策は私の怠惰からそれをせずにいた。
こんなあまりにもいい加減すぎる自分に本当に嫌気がさしているのだ。
昨日、数学講師でのミーティングをさせてもらって、
「次は絶対みんなで何がなんでも成績上げよう!」と士気を高めた。
本当に、何が何でも結果を出す!
そうでなければ私が席を置いている意味がない。ただのお局様だ。
「次はこうしよう!」という話を昨日やって、みんなも同意してくれて、私もやる気がさらに増した。
今の中3数学講師陣は、今年初めて授業をうけもったにも関わらず、とても力がある。
学力も高いし、気が利くし、順応性がある。人柄もよい。
その能力をちゃんと発揮できるように、土台を整えてあげるのが私の仕事だ。
本当に、もう少しでいいから、自分に昔のような気力と体力があれば・・・!
思うようにいろんなことができない自分が悔しい。
でも、今はとにかく全部をもう一度できるだけがんばってみようと思う。
ちょっと気合が足りんかった。
そう。気合や、気合!!
しかし・・・
とりあえず、1つだけありがたいのは、
こうやって悩んだり、できない自分に落ち込んだりはするけれど、
やっていることは全部好きだし楽しいということ。
(基本的に好きなことしかやらない。嫌なことは極力避けるというのがモットー)
本業も塾も家事も全部大好き!楽しい!
イヤイヤやっていることは何もない。
ただ、それが完璧に、思っているレベルでできないことがしんどいだけなのだ。
よく考えてみれば、贅沢なだけのかもしれない。
望みすぎ?理想主義?完璧主義?
きっと、好きなことばかりやれてるってのは、幸せなんだろうな。
気持ち切り替えて、がんばろう