明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

マニアックな庶民の贅沢な休日

2007-06-30 17:06:04 | 生活
「うまいアイラのシングル・モルトがそこにあるのに、
どうしてわざわざブレンディッド・ウィスキーなんてものを
飲まなくちゃいけない?
それは天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに、
テレビの再放送番組をつけるようなものじゃないか」

(村上春樹「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」より抜粋)

昼間っから彼にこのフレーズを朗読して、
「おいー、めっちゃいいやろ、これ。最高やなぁ」と
相変わらず酒臭い息を吐いている私。

でも、今日はいいのだ。

今日は休日で彼もいる。
こういう日の昼間っからの酒は楽しくて許される。

雨が上がったので2日分たまってしまった洗濯をし、掃除をし、
それから例のごとく「居酒屋風ブランチ」の用意。
今日はありあわせのごはん。
アジの南蛮漬けと、ポテトサラダと、から揚げ。


冷蔵庫を開け、ビールがないことに気付き、仕方なく芋焼酎ロック。

今日は楽しいな♪
私はこんな休日がたまらなく好きだ。
自分の愛すべきものたちで、自分を取り囲んでしまう、そんな休日。

村上春樹を読みながら、ブルースを流し、酒を飲んでいるなんて。
最高の気分だ。

今日はガッツリとブルースを聴こうと、朝からライトニン・ホプキンス。
ライトニンは本当にいい。
まさにブルースって感じがするよ。

その後は、スリム・ハーポの「Rainig in my heart」を久しぶりに聴いてしっとりして、それからギター・スリムの「Things that I used to do」を3回聴いて盛り上がった(一人で)。

それから彼とさっきの居酒屋ブランチを食べながら、平成9年に発売の「BLUES&SOUL RECORDS」の付録CDを聴いた。
これは当時、まだまだブルース初心者の私にとって、結構勉強になったCDだ。
鈴木啓志氏の解説を読みながら聴くと、また一層知識が深まる。
彼にそんなことをくどくど説明しながら(←こんなヨメ、嫌やなぁ)、アルバート・キングやスヌークス・イーグリン、オーティス・ラッシュ、アルバート・コリンズ、ロウェル・フルスンなどを聴いた。

盛り上がる私を置いて、彼は自分の部屋に入ってしまったので、ひたすら村上春樹を読みながら、ブルースを聴くことに。
だんだんウイスキーが飲みたくなってきたので、こうちゃんにもらったアイラ系のブレンディッド・ウィスキーを飲む。
そりゃ、シングル・モルトがあったら、そっちを選ぶけど、今日はスペイサイドではなくて、アイラの独特の臭みというか、個性を味わいたい気持ちだったのだ。

村上春樹の文章に久しぶりに触れてみると、その心地良さにめまいがしそうだった。
その心地良さを、上等の絹のシーツにくるまっているようだ、と私が言うと、
彼も「そうやな、わかる」と言った。

あんな文章を私も書きたい!なんて、声を大きくしては言えないけど、物書きであれば誰だって憧れるような文章。
あんなリズムと滑らかさと完璧な比喩を使いこなせたら、どんなに幸せだろう。

昔から夢があった。
1つは中学の頃の夢。
「赤毛のアン」を書いたモンゴメリの眠るカナダのプリンスエドワード島へ行って、モンゴメリの墓の前で手を合わせること。
これは20歳過ぎた頃に叶った。
もう1つはその頃に見始めた夢。
シカゴに行って、ブルースフェスティバルを堪能して、夜な夜なブルースバーで本場のブルースを聴いて過ごしたい。
これはつい先日叶った。
そして、今もっている次の夢がある。
それは、スコットランドとアイルランドを旅して、ウイスキーの蒸留所をまわること。
きっとこれも数年以内に叶うような気がしている。

私は常々言っていた。
「人生にサクセスストーリーを求める人と、そうでない人がいる」と。
私のように何でも大げさにすぐ「夢」や「目標」を作るタイプの人間と、そうでない人間。
私は思う。
人生にサクセスストーリーを作り出すのは自分自身だと。
それがあるほうが「いい人生」だとは決して言わないけれど、少なくとも「ドラマティック」じゃないか?
小さなことでも夢にして、それを叶えるために一生懸命やっていたら、それが叶った瞬間の喜びはものすごいエネルギーがある。
なんの変哲もない自分の人生が、その瞬間だけ色付いて、ちょっとだけ輝くような気がするのだ。
そういうドラマを人生に自身で盛り込んでいくってのは、なかなか楽しい作業のように思う。

こんな楽しい時間を過ごしていたら、今日はあっと言う間に夕方になった。
音楽はいつの間にか、BBキングからジュニア・ウェルズへ。
やっぱり最後はこれでないとね。

私がこんなことをしている間に、彼は出かけてしまった。
私もこれから出かけよう。
タワーレコードでCDを物色して、阪急の地下で日本酒を試飲して、その後、彼と落ち合って、ハウリンバーで妹尾隆一郎氏のブルース・ハープでも聴きにいくとするか。

マニアックな庶民の贅沢なんて、所詮、こんなもの。
好きなブルースを聴きながら、好きな作家の本を読んで、好きな酒を飲んで、それでそんな自分を認めてくれる最高のパートナーがいる。
これ以上の贅沢って、なんだ?


何がしたい?どこへ向かう?

2007-06-28 17:49:38 | 仕事
昨日はかどやと飲んだ。
2軒ハシゴして、カラオケまで行って、楽しかった。
6時間半も一緒にいたが、あっと言う間。

飲みながら、嬉しいことを言ってくれた。
「私のことを書いてくれない?お金を出してもいいから、
書いてほしい。自分の生き様を子供らに話したいけど、
自分では書けないし、さんちゃんに書いてほしい」
と。

自叙伝はもう少し歳をとってから書くことにして、
とりあえず「何でも書いていい」という許可をもらったので、
私の小説の中で使わせてもらうことになった。
「モデル」というよりは、「言葉」や「エピソード」を借りて
モチーフにするといった程度ではあるけれど。

昨日は楽しかったけれど、ちょっと飲み過ぎたかな・・・
若干、体がだるい。
今日は一歩も家から出ないことにした。

最近、仕事に対してどうも積極的になれない。
2件、仕事の話が来たけれど、結局断ってしまった。

1つは彼の知り合いのデザイン事務所から。
ニュースペーパーのようなものを作る仕事。
内容は悪くなかったが、対象があまり興味をもてる業界ではなかった。
ピンとこないので、断ってもらった。

もう1つは、以前からやりとりしている取引先。
とにかく私は仕事が早いので気に入ってもらっている。
でも、3月を最後に、結婚準備を理由にしばらく断っていた。
今日、メールがきて、そろそろお仕事お願いしてもいいですか?とのこと。

かなり長い時間悩んだが、少し条件を出してしまった。
ここの仕事は、自分で取材先の店を探してきてアポをとって・・・というものが多いのだが、これが時間と手間がかかりすぎる。
割りに合わないというのが正直なところ。

なので、そういうタイプの仕事は、他の仕事との兼ね合いもあり、引き受けるのが難しくなるかも・・・とやんわり拒否してしまった。
こういう仕事ばかりではないのだが、先方としてはおそらくこういう手間のかかる仕事をやってくれるからこそ、割のいい仕事もくれるのであって、割のいい仕事だけくれというのはムシの良すぎる話なんだろう・・・
「なんでもやります!」というライターじゃないと、使いにくいに決まってる。

それをわかっていながら、やんわりと条件を出した返事をしてしまった。
たぶん、もうここからは仕事の依頼ないだろうなぁと思いながらも。

どんなに忙しくても、物理的に可能な限りは仕事を断らないというのが、私のスタンスだったので、こういう自分が信じられない。

私は何をしたいんだろう。
じゃあ、どんな仕事なら満足なんだろう。
もう3ヶ月も取材をしていない。
ずっと資料で書く仕事ばかりで、コピーやコラムのみ。
誰にも会わず、毎日家に引きこもったまま。

なんだか怖くなるのだ。
このまま外に出られなくなったら(仕事でという意味)、どうしようかと。
人と接すれば必ずなんらかのストレスが起こる。
大げさな衝突ではなく、絶対人と接していれば起こる摩擦みたいなものだ。
人はそういうものを感じて、それをガマンしたり解決したりしていくことで、成長していくのだと思う。
だから、自分一人で閉じこもって、誰にも会わないでいることは、心地良いけれど、不安なのだ。(私はこういう変なストイックさがあるから)
このままダメになっていくのではないか、そのうち人とまともにしゃべれなくなるんじゃないか、取材の能力も落ちていくんじゃないか・・・そんな不安。

彼は、駆け出しのライターじゃあるまいし、仕事は選んでいい、と肯定してくれるけれど、本当にそうなんだろうか。
自分でどんどん外に出るのが難しくなってきているのがわかるのだ。
昔はもっとガツガツしていて、新しい仕事が大好きで、すぐに飛びついて、どんなことからでも学ぶことがあると信じていた。

だけど、今はすぐに尻込みして、そこで起きるストレスを一瞬にして想像して、関わらないほうが楽だと感じてしまっているような気がする。
それで、仕事に積極的になれないんじゃないだろうか。

本当にやりたい内容の仕事は、登録だけはできたけれど、肝心の依頼が来ないし、この間、久しぶりにオファーがあった会社も具体的な話をもってこないので、もしかしたら立ち消えになったか、他のライターが見つかったか・・・。

割りに合わない仕事でも何でも、コツコツと積み上げていったほうがいいのだろうか。以前のように。
自分が何を目指しているのかが、よくわからなくて。

この間、こうちゃんからメールがきて、その中で私のことを、
「やっぱり家だけで仕事をする人やないと思う。いろんな人と関わることで輝きだす人だと思うから」
と書いてくれていた。

自分が思っていたことを、ズバリと言い当てられたようで、思い悩んでしまった。
それなのに、その後でもう2件も仕事を断っている・・・

もう一度、がむしゃらに仕事がしたいという気持ちと、それを続けて何になるんだ、私がしたいのはそれなのか?という気持ちの葛藤。
そして、がむしゃらに仕事をしたときに部屋の掃除ができなくなる、ご飯が食べられなくなるストレス。
逆に、仕事をやり遂げた後の充実感と、人と接する喜びと、労働の後の1杯。
それらを天秤にかけてみる。

・・・ああ、労働後の1杯のビールは本当に美味しかったな・・・
コンビニの前で栄養ドリンクとカフェイン剤を2本流し込んで、オッサンに混じって立ち飲みビール飲んで・・・
あの日々が懐かしくもあり、怖くもある。
欲してみたり、拒否してみたり。

自分の心が何を求めているのか、どこへ向かいたいのか。
私には、今わからない。
ただ、このままダメになりたくない。

1日3回の幸せ

2007-06-27 12:58:57 | 美味しいもの
結婚してから、家計を節約するということを考えるようになった。

今までは自分で働いたお金を自分だけで使うのだから、まあいいやと思っていたが、今は彼と2人で生活費を出し合っているので、そういうわけにもいかないからだ。
それも、私が財布を握っている以上、やらねばならぬ!

近所に、自分で作ったような野菜を売っている(道端で)ような人がいるのだが、先日、思い切ってそこへ買いにいってみた。
最近、暑くなって、使っていない店舗の一角を間借りのようなことをして売るようになっているので、おそるおそる中へ・・・

まず目についたのが、三度豆(いんげん)。
たっぷり200gくらいは入って80円と書いてある!
安い!!!
スーパーだと、10本そこそこで198円とかするのに!!

それから、万願寺唐辛子もあった。
関西じゃない人はあまり知らないのかな?京野菜の1つで、私は大好き。
でも、だいたい1袋300円くらいだからなかなか手が出なくて・・・
それがなんとこちらも80円!!

多少興奮しながら、いんげんと万願寺を手に取り、オバチャンに出すと、
夕方近かったからだと思うが、オバチャンは、
「あー、2つで100円でいいわ」
と言ったのだ。

これで100円?!
めっちゃ嬉しい~♪♪

帰って早速料理を。

↑いんげんの胡麻よごし。
初夏はやっぱりこれだよなぁ。


↑それから、万願寺唐辛子は煮浸しに。
上等の鰹節と一緒に薄味で煮込んだ。これは1日冷蔵庫で寝かしたらさらに美味しかった!
夏は冷たくして食べるのがおすすめ。
ビリケンで万願寺の煮浸しを出されてから、自分で何度もあの味を再現しようとやっているのだけど、まだ何か違う。
舌だけで、味の再現は難しい。ましてやビリケンのレベルだと。

いんげんがまだ余っていたので、

↑豚肉の野菜巻き。
にんじんといんげんを豚肉で巻いて、照り焼きにして切るとこんなにキレイ。
昔からの私の定番料理の1つだな。

最近、料理をアップしていなかったので、ついでに紹介すると、

↑かぼちゃのひき肉あんかけ。
以前は、かぼちゃを素揚げにしていたのだが、彼の体のことを考え、油を使わないよう薄味で煮込み、濃い目のあんをかけた。
さらに、生姜を少し添えて食べると、これはかなりウマイ。
久しぶりに自分で作った料理をウマイと思った1品。


↑こちらは、ピーマンとパプリカで彩りよく仕上げた、豚肉とピーマンのピリ辛味噌炒め。
ごま油で生姜とにんにくのみじん切りを炒め、そこに豚肉とピーマンを入れ、味噌・酒・みりん・豆板醤で味をつける。
まあ、調味料を見たら、うまくないはずがないわな(笑)
彼は1人で大盛りをペロリと食べてしまった。


↑これは餃子に見えるかもしれないけど、中身はツナとコーンとチーズとマヨネーズ。
彼の実家にいったとき出されて美味しかったので、再現してみた。
でも、何か違うのよね・・・
お母さんに聞いてみないと!!

最近、彼は仕事があまりうまくいっていないようで、へこみ気味なので、夕食はヘルシーだけど美味しい、元気の出るものを作るようにしている。
疲れて、へこんで帰ってきて、ごはんが美味しくなかったら、生きていくのがイヤになるやろ?(笑)

美味しいものを食べてお腹いっぱいになったら、また頑張れる。

私の大好きな言葉「1日3回の幸せ」。
前にビリケンのマスターが言っていたのだ。
食べることや美味しいものが好きだと、1日3回は絶対幸せになれる。
しんどいことがあっても、1日3回の食事のときだけは、幸せになれる。
だから、美味しいものが好きな人は、そうじゃない人より得だって。

ほんと、そう!

古くなって味が落ちたお米でも、私は工夫に工夫を重ねて、新米みたいに炊き上げるようにしている。
そうすると、彼が「最近、米がおいしい~。おかずで食べるのもったいない」と言ってくれるようになった。

真夜中に帰って来る彼に合わせて、炊き立てを提供するのは、面倒なんだけどね
朝も早起きしてお弁当を作るし、部屋はいつもきれいだし、洗濯などたまったことがない。
我ながらできたヨメだと思うさ

この情緒不安定さえなけりゃ、サイコーの妻だと思うんだが。
なかなか面倒な女だからなぁ、私は
一緒に暮らすのも、また大変。。。

いろいろ酒グッズ

2007-06-27 12:14:34 | 
うちに自動販売機がやってきた。

↓こんなのだよ


彼の仕事のチームの人たちが「結婚祝いに」とくれたもの。
冷蔵庫になっていて、中は350ml缶が10本冷やせる。
ちゃんと普通の自動販売機みたいに、コインを入れてボタンを押すと出てくる。
最初の日は、ビールが出てくるのを彼と二人、固唾を呑んで見守って、ガランと出てくると、きゃあきゃあ言って喜んだ

というわけで、ただいま我が家のビールは1缶100円。
原価割れだけど、ビール貯金してます

もう1つ同じ人たちから酒関連グッズをもらったのだが、
それがコチラ↓


常滑焼の焼酎甕。
どうやら、この中に焼酎を入れて寝かしておくと熟成されるらしいのだが、今はただのサーバーとして使っている。
蛇口(?)をひねると、焼酎が出てくるので、便利。

しかし、瓶だと減り方がわかるが、これだとわからないので非常に危険だということに昨日気付いた。
2日目で「あれ・・・?もうない!!」ということになったからだ。
4合瓶はあっと言う間・・・
これはやっぱり1升買ってきて、せっかくだから数ヶ月寝かしたほうがいいかもしれないな。

というわけで、とっても素敵なアルコール・ライフを送っている我々

ちなみに焼酎甕の前に写っているグラスは、ビリケンのマスターにいただいたもの。小ぶりのシャンパングラスみたいな感じで、かわいらしい。

そうそう、酒の話ついでに。
昨日、ダイエーの酒売場をうろついていたら、こんなものを発見!
↓プレミアムモルツの黒!


作られているのは知っていたけど、数量限定で非売品だと思っていたのに・・・。
もちろん、購入♪
美味しかったけど、普通のプレミアムモルツと合わせて、ハーフ&ハーフにして飲むのも贅沢でいいかもしれないと思った。

うん、やってみよう!

驚愕!役場仕事

2007-06-26 10:57:52 | 生活
ウワサの住民税。
来た!!

サラリーマンの方は毎月引かれるそうだが、
私のような自営業は1年分の請求がドーンと一度に来る。
(支払いは4期にまで分けられるが)

金額を見て、覚悟はできていたが……
驚いた!

年間で4、5万円も増税されている!
これ、あれだけニュースになって覚悟ができていたから平常心を保っていられるけど、
いきなりだったらショックで倒れてるな・・・

こんなに稼ぎが少ないっちゅうのに、一体ナンボ搾取したら気が済むんや

今、私は収入が以前の半分になっていて、それでも彼の扶養に入ってるわけじゃないから、国民年金、国民健康保険と支払わなくてはならず(病気をしないから、保険証なんか一度も使ったことないのに!)、かなりキビシイ生活を強いられている。
生活費も折半。
(これは私が希望した)

もうホントにカツカツです

貯金も底をついてきたけど、不思議とこれは不安にならないのよね。
むしろ、こうなったら(どうなったら?)1円残らず使ってまえ!みたいな気持ちになっていて、気が大きくなっている。
100万円以上貯まった結婚前は、なくなるのがめっちゃ怖かったのに。

30代で自分で仕事していて、これほど貯金がない人もいないだろうな

でも、ほんま、国には頼られへんから、自分でお金を貯めていかないとね。
美しい国はどこへ?

荻原浩の「メリーゴーランド」という本、おすすめです。
役所仕事を徹底的に皮肉っていて、面白い。
でも、たぶん誇張してないと思う。

つい最近、私にもこんなことがあった。
入籍届けを出した日、パスポートの申請のために戸籍謄本を出してほしいとお願いした。新しい姓になったので、作りなおさないといけなかったから。
旅行の日が近づいてきていて、ギリギリで焦っていた。

今届けたところなので、すぐに出してくれるとは思わなかったが、明日くらいにはいけるだろうと思っていたら、役所の人はこう言った。
「いつになるかわからないです」
「は?」
「時間がかかるんですよ」
「え?こちらも急いでるんですけど。だいたいどれくらいかかるんですか?」
「まぁ1週間か・・・もっとかかるか・・・。たまに早くなるときもあるんですけどね・・・いつほしいですか?」
「いや、いつほしいとかじゃなくて、できるだけ早くほしいんですよ(苦笑」
「さぁねぇ・・・まあ、一応言ってみますけど・・・」
「いや、あのね、すごく急いでるんで、最速でやってもらえますか?それで、出せるようになったら電話いただけますか?取りに来ますんで」
「わかりました。じゃあ、ご連絡します」

これが月曜日。
その週の金曜になってもまだ連絡はない。
本当にギリギリだったので、ダメもとで金曜日に行ってみた。
別の人が対応してくれたので、
「月曜日に入籍したばかりなんですけど、戸籍謄本もらえますか?少し時間がかかるって言われたんですが」
と言ってみたら・・・

フツーに出た!!

なんやねんな、もう・・・
「できるんやん!」と心の中でツッコんでみたが、もうあきれるばかり。
これが役所の実態ですわ。

結婚して、いろいろ手続きをしたから比較できたけど、民間の対応はいい。
ガスも電気も電話もカード会社も旅行会社も、サービスがいい。すごく丁寧。
まいったのは、水道だけ(これまた町役場関係)。
切り替えをお願いしたら、オバチャンに電話を変わられ、住所を言うと、パソコンで入力してるんだろうな・・・
「えーと、ヒ・・・ヒロ・・・えーと、えー・・・」
と、住所の入力でパソコンのキーボードを1文字ずつ探しているのが伝わってくる。

まあ、これはガマンできる。オバチャン、がんばれ。
でも、その後がすごい。
住所を入力したら、どうやらその住所の建物が画面に出なかったらしく、言った一言がこれ。

「ない」

「え?(←若干、苦笑」

「ないわ」
いや・・・、ないって(苦笑)
昨日まで住んでいた建物なんですけどね・・・
立派に存在してます

はー・・・
結局、あれこれ聞かれてやり直して、なんとか水道の切り替えはできたが、民間と違ってフリーダイヤルじゃないし、このオバチャンが入力している長い長い時間、全部こちらの電話代。

私は思うわけだ。
やっぱりお金もらってるプロなんだから、勉強しようよ。
技術も対応も。

役場の人の「いつほしいですか?」この言葉に役所仕事のすべてが集約されているような気がしてならない。
客が急がないなら、自分たちも急がない。
こんな仕事の仕方、あかんやろ。
客が急がなくても最速で仕事をする。最低でもいつできるかわかっていて伝えることができる。
これって、どんな仕事においても最低限の当たり前のことだと思うのだが・・・。

まあ、全員がこんな仕事をしているとは思わない。
それは「メリーゴーランド」を読んでいてもよくわかる。
だけど、まあ、だいたいこんなもんだ

1通のメール

2007-06-26 01:44:09 | 想い
さっき、メールをチェックしたら、1通のメールが届いていた。
このブログを読んでくれている女性からだった。

いつからか私の日記を読むようになり、日に数度も更新をチェックするほど好きになったとのこと。
それほど長いメールではなかったのだが、その中に何度も何度も、「あなたの文章が大好きです」と書いてあった。
そして、「もっともっとあなたの書いた文章を読みたいです」と。

自分の人生の集大成にする!とホームページを立ち上げたのはいつだったか。
もう6年以上前だ。
料理・食材・器・本・紅茶・旅・ブルース・仕事・エッセイと盛りだくさんのコンテンツで、自分のこだわりと好きなものを全部文章にして詰め込んだ。

その中に、「日記」も作った。
なぜか見知らぬ人が毎日読んでくれ、時には私の日記を初めて読んだ日からすべてを遡って読んでくれる人もいた。

私の日記をプリントして持ち歩いていますとか、
プリントしたものを時々読み返して、励みにしていますとか、
どうしてもありがとうと言いたくてメールをしましたとか、
本当に何通もそんなメールをもらった。

・・・どれほど嬉しかっただろう。
いつか自分が書いたものが、たった一人の人の心にでもいいから光になりますようにと、明日また歩ける希望になりますようにと、願いをこめて書き続けてきた私にとって、こんなに嬉しいことはなかった。

もちろん、いいことばかりじゃない。
そんなふうに日記に書いたら、「あなたのような人がそんなものを書きたいなんてあつかましいにもほどがある」とか、「あなたは自分の汚物を自分の日記でさらけ出して、ネット上に流しているのと変わりがない」とか、「もっともっと不幸になれ!あなたが泣いていると、笑いが止まらない」とか、そんなメールも何通か来た。

別にそんなことに落ち込みはしなかった。
気の毒な人だなぁと思っただけで。

でも、知り合いに、「もうダンナからあなたの日記は読むなと言われている」とか、「あなたの日記を読んだら当事者として立ち直れなかった」と言われたときは、かなりへこんだ。
人の悪口や中傷を書いたことはないつもりだけれど、私の赤裸々すぎる気持ちの表現や事件の描写が、現実にその場にいた人間にとっては気に障ったり、傷つけたりすることもあったようだ。
もちろん、そんなつもりはなかったので、後でそれを言われて私自身もショックだった。(こういうところが私の欠落した部分なのだろう)

実は、最近もそういうことがあって、私は落ち込んでいたのだった。

自分がした失敗とか、信じられないような過ちとか、
そういうこともへこむけれど、
自分が書いたものが人を傷つけたと知ったときの落ち込み方というのは、
ちょっと尋常じゃない。

何か書こうと思っても、言葉を選んでしまい、怖くなって。
そうすると、ずっと自分の味方だった言葉たちが、他人のように遠くなってしまい、やり場のない焦燥感を抱えて、ひどく孤独で。

だけど、さっき、見知らぬ人のメールに救われた。
何度も読み返して、ひたすら泣いた。

『ご自身のはけ口でも何でもいいです。
もっともっとあなたの書いた文章を読みたいです』

このくだりで、嗚咽するほど涙が出た。

散々泣いた後、また、言葉たちが私の味方になって、そばに近づいてきた。
ああ、楽になった。救われた。

絵でも音楽でも工芸でも何でもいいけど、
何かをクリエイトしたいと思っている人なら、なんとなくわかってくれるんじゃないだろうか。
「それ」が自分の「味方」だと感じる瞬間の喜びを。

あんなに他人行儀だった言葉たちが、今はまた私の中に入ってきて、感情のままに文章を形作っていってくれる。

・・・本当に、何とお礼を言ったらいいのかわからない。
私を救ってくれたメールの差出人の方へ。
きっと読んでくれていると思うから。

『ありがとうございました。
これからも書いていきます。』


久しぶりのビリケンにて惑う

2007-06-25 22:52:05 | 美味しいもの
先週末、久しぶりにビリケンに行った。
およそ4ヶ月ぶり。
月に1度か2度通っていたことを考えると、信じられないくらい空いてしまった。
彼と二人で行くというと、マスターは結婚祝いといって、可愛らしいワイングラスのプレゼントを用意して待っていてくれた。

ビリケンで久しぶりに美味しい日本酒を飲んだ。
ここに来ると、やっぱりこの世で一番旨い酒は日本酒だと思う。
どんな料理にも合うのもいい。
世の中に出回っている、まがい物の日本酒しか飲んだことがなく、「日本酒だけは苦手」といっている人とよく出会うが、この酒を飲ませてあげたいと切実に思う。
せっかくアルコールを飲める身体に生まれてきたのに、これほど旨いものを飲まず、それどころか「日本酒はまずい」と思い込んで生きていくのは悲しい。

いつも憤ってしまうのは、もちろん日本酒の美味しさを知らない人にではなく、日本の誇るべき酒文化を台無しにしてしまった酒造メーカーにだ。
ヨーロッパの人々が自国のワインを誇るように、日本人も本当は世界に誇るべき酒文化を持っていたというのに。

日本人は米があれほど好きなんだから、本当に美味しく作った酒であれば、日本酒が口に合わないわけがないのだ。
もちろん、それでもワインのほうが好き、ビールのほうが好き、芋焼酎のほうが好きといった「好み」はあるにしてもだ。
私だって、ビールもウイスキーも芋焼酎も大好きだからなぁ。
ウイスキーに至っては、日本酒と甲乙付けがたい。

おっと、話がずれたが、とにかく久しぶりの美味しい日本酒にすっかりまいってしまい、ゆっくり飲んでるつもりがどんどんおかわりをし、結局6杯・・・
(いつも4杯までと決めているのに)
でも、長時間いたのと、楽しくてずっと笑いこけていたのとで、少しも酔わなかった。
彼も同じだけ飲んで、プラス、ビールも飲んで、それでも平気そうだった。

常連の男性がいて、東京に転勤されていたのだけれど、大阪に戻ってこられたということで、久しぶりにお会いして盛り上がった。
この人、本当に旨い料理と酒がわかる、とってもいい人なのだ。

お酒も堪能したけど、やっぱり料理がすごかった。
家に帰って数えてみたら、ちょっとしたアテも入れて15品も食べていた!!
全部美味しかったけれど、この日のベストは、イカ!!



何の変哲もない「イカの炊いたやつ」にしか見えないだろう。
この美味しさを語るのは難しい。伝わりにくいかもしれない。
大きくなる前の少し小ぶりの新鮮なイカを、ワタごとただ煮込んだだけ。
サントリーのコピーじゃないけど、
「何も足さない。何も引かない」
まさに、そんな料理。

このワタの少しだけほろ苦いような、逆に甘いような、なんとも絶妙の部分が口の中に広がると、どんなしかめっ面の人だって頬が緩んでしまうと思う。
そして、この料理に合う酒は、日本酒しかありえない。
食べた瞬間、「わぁー、酒、酒」と要求してしまった。
世の中でも稀に見る、ベストカップル。このイカと日本酒。

ちなみに、この器は、私がビリケンで一番気に入っている志野。
この器にだったら、私はかなりのお金を積んでもいいと思っている。
それくらい欲しい器だ。

志野って、なかなかいいのがないんだよなぁ。
不思議と。
こんな器、マスターは一体どこで見つけてきたんだろう。

卵かけご飯も旨かったな。

これはほんと、ヤバイです。
もう卵の黄身自体が芸術!
それに自家製の海苔が乗ってる。
本当に旨い卵かけご飯って、生まれてから覚えて好きになった味じゃなくて、はるかかなたの祖先からずっとDNAで受け継いできた、日本人が持ってる味覚で「美味しい」と感じる気がする。
かなり「ソウルフード」だ。

他にも、あなごのお造り、白子、自家製オイルサーディン、甘いとうもろこし(ただ、太白胡麻油でじっくり炒ったもの)、自家製のベーコン(生)、ローストビーフなどなど・・・。
隣の人が食べていた鯛の煮付けまでいただいちゃって、食べるわ、食べるわ15品!
ただし、全部彼と半分ずつにした。
全種類食べたかったので・・・。
(普段なら1人前全部食べられるけれど、私も彼も4時頃まで彼の実家で寿司をたらふくご馳走になっていたのです)

ひたすら料理と酒に舌鼓を打ち、いっぱいしゃべって笑った後、最後にはいつものようにマスターにオーラを見てもらった。
この日はヒーリングで使うカードも持ってきていたので、それもやってもらった。
彼は過去や現在の心の状況をバッチリ言い当てられていた。

私はというと、またいつもと同じ。
「自分自身を愛せるように」

これは本当に私の生きる課題みたいになっている。
どうしたって乗り越えられない壁・・・。

そして、初めてオーラの色が変わっていた。
ずっと赤系だったのに、初めて青になっていた。

今、私に必要なのは、自分自身と対峙することだと思う。

今日、晩ご飯のおかずにかぼちゃの面取りをしながらいろんなことを考えていた。
面取りという単純作業がよかったのかもしれない。
ふとあることに思い当たり、涙がポロポロこぼれてきた。

弱るといつも友達に会う。
自分を理解してくれる人がいることにホッとする。
不安なとき、自分の存在が崩れそうなときは、いつもこの世で何人の人が自分を愛してくれているのかを思い返す。

ああ、だけど本当は、こんなことをしているから、ずっと同じことの繰り返しなんだ。
自分が誰を好きかとか、誰が自分を好きかとか、
数人でも自分を理解してくれる人がいるんだから大丈夫だとか、
そんなことに安心感を求めているから、私は永久に不安定なんだ。

たぶん、安定している人はこんなことを考えない。
世界中の人すべてに愛されたって、私が自分を愛せなければ、私はずっと不安定なまま。

外部との繋がりで解決できる問題じゃない。
これは、私が私自身と対峙すべき問題。
誰が何を言おうと、私が変わらなければ、私は永久に壁の外にいることになる。

前に、家で「24時間ホームパーティー」をしたとき、マスターにその話をしたら言われたことを覚えている。
「なんでそんなことするんや?」と。「それは、たくさんの友達を集めて、自分がどれだけ人に慕われ、愛されているか、確認して、安心したくてやってる行為やで」と。

そう言われて、そのとき、「果たしてそうなんだろうか?」と素直に考えてみたけれど、そうは思えなかった。
単にみんなで集まって楽しめたらいいと、それだけであって、そんな深い意味をもって催したことではなかった。
後々もそのことを何度か思い出したけれど、やっぱりマスターの考えすぎというか、間違った診断だと思った。

だけど、今日、かぼちゃの面取りをしながら、初めてその「意味」が理解できた。
言葉や頭で考えていたのでは、それを実感することはなかったけれど、もっと深い部分でそれを理解してしまったのだ。

「文章を書くこと」
これもどうなんだろう。
もし、私が本当に自分を愛せる日が来たら、もう文章を書くということは必要なくならないだろうか。
それは、今の段階ではよくわからない。
ちなみにマスターは「書くことは続けたほうがいい」と言ってくれる。

私は子供の頃から劣等感の塊で、自分には「書くこと」しかできないと、ずっとそう思って生きてきたけれど、もし書くこともできず、何もできない自分自身を愛することができたら・・・、この世に生まれたことを肯定できたら・・・、もしかしたら、そのとき初めて変わることができるのかもしれない。

今、少し何かわかりかけている。

アルコール依存症予備軍的な日々にサヨナラ

2007-06-25 19:21:21 | 想い
日記を毎日書かなくなってから、「日々を振り返る」という習慣がなくなってしまった。
ブログも更新をさぼりがち。
やっぱり何か毎日書きたいな。しょうもないことでもいいから。

最近の私はどうも調子が悪い。
結婚準備、新居引越し、挙式、新婚旅行、もろもろの手続き・・・忙しくしている間はよかったのだが、それらが一段落してみると、酒浸りの毎日。

私の友達もほとんどみんな酒飲みだし、私なんてまだ休肝日を作っているほうで、ほぼ365日毎日飲むという友達もざらにいる。
だけど、私の酒の飲み方は、アルコール依存症予備軍的な飲み方なので、非常にまずい。
この間もテレビを観ていたら、人と一緒に飲んだり、ご飯の時に飲んだり、とりあえず楽しく飲める人は大丈夫だと。
ヤバイのは、精神的に落ち着くために「とりあえず1杯飲もう」という人。
なんだかわからないけど、「とりあえず飲んでおこう」とか、一人で飲むとか。
これが予備軍なのだとか。

聞いていて、あまりに当てはまりすぎるのでドキッとした。
朝でも昼でも、精神的に不安定になってくると、「とりあえず飲もう!」とグラスを出してくる。
さすがに昼間だと「1杯のつもりが・・・」とずるずるやってしまうことはないが、精神的に依存していることは間違いない。

精神不安をここに書くということを止めて半年。
もう大丈夫だと思っていたけれど、まだ「日記」は必要なのかもしれない。
以前のような日記はもう書くつもりはないけれど、もう少し「書くこと」をはけ口にしていこうかと思う。
誰も傷つけないように、それだけは配慮しながら。

なんだかわからないけれど、漠然とした不安がいつも心にあって。
自分の存在がおぼつかない、というのか。
自分自身ではなんともできず、友達がメールをくれたり、遊ぶ約束をしたりすると、それだけでほっとする。
自分以外の誰かが自分を認め、求めてくれないと、とても不安。

彼?
彼はもう家族になってしまい、絶対的な信頼をおいているので、「第三者」としての存在にはなりえず、この点に関しての不安解消には繋がらない。

いろんなことがわかりかけて、劇的に変化していった30代。
でも、どうしても破れない壁・・・いや、触れない壁が1枚ある。
少しずつ良くなってきているけれど、前を向き始めたときに、過去が邪魔をしたりする。
私がどれほどダメな人間であったかということを示されたりすると、まだまだ土台のできていない私は、すぐに崩れる。

昔ほど、ずるずると芋づる式に自己嫌悪の日々をほじくりだしたりはしなくなったけれど、それでも嫌な映像が自分を追い詰めて、結局そこから逃れるために酒を飲む。

でも、それも今日からやめた。
酒をやめたわけでなく、こういう飲み方をやめた。
どうしようもないときは、書けばいい。何でもいいから言葉に向かおう。

昨日、気付いたのだ。
私にはこういう武器があったんだったって。

仕事に欠かせぬ三種の神器

2007-06-22 13:38:18 | 生活
本気で仕事をするときには、欠かせないものが3つある。
三種の神器?

お茶、チョコ、チタンの首輪

お茶はできれば紅茶が望ましい。
1日仕事をしていたら、2リットルくらいは飲んでいる。

チョコは何でもいいってわけじゃない。
外国製の甘いチョコじゃないとあまり効果なし。
ハーシーのクッキー&クリームか、リンツのホワイトチョコ。
激甘ホワイトチョコレートは仕事に効果的!
ゴディバやヴィタメールなら、なおよし!

そして、最近の必需品が「チタンの首輪」。
これは、もんちゃんから誕生日プレゼントにもらったものなんだけど、
この首輪をしていると、肩が凝らない。
(ヘルニアになってから、私は自分が肩こりであることを知った)
とてもいいプレゼントだったなぁ。

そんなわけで、今日は久しぶりに本気で集中して仕事をしようかと思い、この三種の神器を揃えてパソコンに向かうことにした。

そうそう、首のヘルニアなんだが、いろんな人に心配してもらったが、なんと!自然治癒(?)していた!
結婚式が終わってから一度も病院も行っていないし、枕も普通にしているのだが、全く腕がしびれることがなくなってしまったのだ。
あんなにうなされていたのに・・・。

あの病院での首吊り治療が意外に効果があったのかもしれない。
彼は「精神的なもんやったんや。かわいそうに・・・。かおり、何を悩んでたんや?」なんて、相変わらずとんちんかんなことを言ってくるが(笑)、とりあえず治ったのでよかった。
ご心配をおかけしました!

肩こりの人、パソコンに向かって仕事をする人、チタンの首輪、オススメです!
もんちゃん、ありがとー!
愛用してるよー

主婦のこだわり

2007-06-22 01:47:23 | 生活
癒された。

なんだか今日一日ですっかり癒されてしまった。

別に誰かに何かをしてもらったとか、かわいい赤ちゃんパンダを見たとか、そういうわけではない。
今日一日、仕事も家事も放棄して風に吹かれていたら、癒された。

今日は西風がとても冷たくて、気持ちがよかった。
透き通るような空気を運んできてくれて。
人生でやったこともない、「昼寝」とやらを、やってみた。
3時頃、クッションに寝転んでぼやーっとしていたら、風があまりに心地良くて、気付いたら眠っていた。
彼の電話で起こされた。(←今日も「声が聞きたくなって」と電話してきた)

あー、私、昼寝してたんだ、と思った。
普段の私なら自己嫌悪に陥りそうだが、今日は大丈夫だった。
それどころか、なんだか笑いがこみ上げてきて、スッキリしている自分に気付いた。

今日は洗濯も掃除もしなかった。
お弁当作って、銀行行って、晩ご飯作って、洗い物しただけ。
時間をとっても無駄に過ごした。
でも、この無駄が今の私には必要だったのだと気付いた。
無駄を受け入れた自分を好きになれた。

毎晩、彼が帰ってくると、まずは「付きだし」を1品。
ご飯ができるまで、それをつまみながら待っていてもらう。
今日は小松菜と厚揚げを炊いたやつが付き出しで、焼酎を。
ご飯はかき揚げうどん。
その後は晩酌タイム。
チーズ盛り合わせ(5品)とグレンフィディック15年。
ほんのひとときの、彼と二人のほっこりした時間。

ニュースを見て、あーだ、こーだと議論したり、
バラエティ番組を観て、笑いこけたり。

なんてことない日常の風景。

だけど、そんなことが、なんて幸せなんだろうか。

「私って、たまに神経質なところあるよね」と聞いたら、
「何言ってるの。あなたは神経質の塊だから」と言われた。
そうなのか?!
子供の頃から、母親に「がさつだ、がさつだ」と言われてきたので、自分はがさつな人間だとずっと思っていた。
変なこだわりはあるとはわかっていたけれど。

「神経質」と言われてから、自分がやることを「あれ?もしかして、これも神経質かな」と思うことがある。

でも、たぶん主婦の人なら誰でも「自分なりのこだわり」ってあると思うのよね。
どうでもいいことなんだけど、自分はこうじゃなきゃ気持ち悪い!……みたいな。
または、もっと具体的に「家事がしやすいから」という理由でやってること。

例えば、タオルをしまう順番。
「お風呂用」「台所用」「洗面所用」の順番に並べていないと、私は気持ち悪い。
キッチンクロスも、4つに細長く折って、端から丸めて並べていないとイヤ。
小麦粉、片栗粉、何でもすぐに袋を開けて、容器に移し替えないとイヤ。
刻み海苔も、切干大根も、カットワカメも、ゴマも、全部袋から出してタッパーに移し替えて、袋の賞味期限の部分をハサミで切って、タッパーにセロテープで貼っている。
小麦粉を袋のままで輪ゴムで留める人もいるみたいだけど、そうすると、開けるたびに、粉がぶわわっとなるからイヤなんだ。
出汁用昆布は長いものを買ってきて、全部10センチ角にカットして、これもタッパーに入れている。
もちろん、かつおぶしも。

こういうのって、きっと主婦なら何か1つはこだわりがあると思う。
こうじゃなきゃイヤ!みたいなのって。

あやもこの間、靴下は重ねて折って入れるのが好きなのに、ダンナさんがクルッとゴムのところを丸めて入れてほしいと言うから困った・・・ゴムが伸びるからイヤと言っていた。
私も靴下は3つ折り派なので、よくわかる。

でも、たぶん、こういうのって、親のマネというか、親を見て同じことしているパターンが多いんだよなぁと思う。少なくとも私はそうだ。
私は床を雑巾がけするのが好きなんだけど、これも絶対母親の影響。
私は掃除機はかけなくても、雑巾がけはする。
掃除機だけだとホコリはとれるけど、裸足で歩いていると足の裏がすぐにベタベタしてくるからイヤなんだ。
雑巾がけをしておくと、いつもサラサラ。
これが気持ちいい

あと、「寄せ癖」があることに最近気付いた。
テーブルの上にバラバラと物が乗っていると全部固めて寄せる。
とにかくきれいなスペースを作ろうとする。
部屋もいつも綺麗なわけじゃないが、散らかってくるととりあえず部屋の隅に全部固める。
だから、彼が散らかった机でパソコン開いてネットしてるのを見て、びっくりした。
あれで落ち着いて作業ができるのか?!

他人と一緒に暮らすと、知らなかった自分が見えてくる。
比較することによって、「フツー」だと思っていた基準がズレてくる。
なかなか面白い。

話がそれてしまったが、とにかく今日は癒された。
モヤモヤもすっかり吹き飛んでしまった。
ゆっくり自分と対話する時間をもつことって、大事だな。。。

明日は家事も仕事も頑張ろう

ちょっとだけ淋しい日

2007-06-20 21:52:13 | 想い
ブログを開いて、何か書きかけては消し、
またしばらくして開いて書いては、また消し・・・

そんなことをこの3日間、続けている。
書きたいことがあって書こうかどうか迷っているというのではない。
ブログでも何でもいいのだけれど、真っ白な紙(文字が書ける)を
見ていると、安心するのだ。。。

公開するか、しないかはあまり問題ではない。
だから、Wordを開いて書いて消し、また開いて書いて消し・・・
と、別のところでもやっている。

友達にメールを書いては消し、また書いて、結局「ご飯食べに行こう」とか「元気?」なんて書いたのだけ送ったり。

心の中のモヤモヤがどうしても消えない。
今日は久しぶりにドカ食いをした
でも、こんなのも今日を最後にしよう。

せっかく楽しい新婚生活で笑いが止まらないのだし。
小さなことで心を悩ませてしまうのはもったいない

外は、うるさいくらいの蛙の鳴き声。
今晩は、南風がよく入る。

もっといろいろ書きたいけど、感情が思考を邪魔して、
思うように書けない。
一人は嫌いじゃないけど、今日はちょっと淋しいなぁ。
明日は元気になれるかなぁ

やっぱり「仕事」が好き

2007-06-20 00:19:25 | 仕事
やっと仕事が一段落。
シカゴに行く前、帰ってきてからと、かなり詰めて仕事をしていたのだが、明日からまたヒマになりそうだ。

今、仕事の依頼から打ち合わせ、資料受け取り、原稿納品までをほとんどメールとスカイプで行っている。
会議も数人でスカイプを使ってやる。
かなり便利!
電話と違って、数人で同時に会話ができるので、自宅にいてもまったく問題なし。
こういうスタイルでの仕事は自分に向いていると思う。

ただ、どうも自宅が仕事場だと、オン・オフがはっきりしないのが難点。
夜、のんびりしていても、メールが来れば見てしまうし、内容が気になるものなら、そこからまた仕事を始めてしまったりする。

これはあまりよくないなぁと思い、急ぎの仕事がなければ思い切って夜9時には営業終了ということで、メールを見ないようにオフにしてしまおうかと考えた。
そういう気持ちの切り替えみたいなのは大事だよな

今、主に仕事をもらっている会社は、案件によって担当者は違うのだけど、どの人たちもみんな感じがいい。
30代、40代の女性が頑張っている会社のようで、担当は私と同じくらいか、やや年上の女性ばかりだ。
皆、仕事がよくできる。
そして、きちんとしている。
「きちんとしすぎ」と感じられる面もあるが、それくらいのほうが私は仕事がやりやすい。

スカイプを見ていると、結構夜中までオンにしている人が多く、ほとんど主婦の方なのによく頑張ってるなぁと思う。
クライアントが一流企業、一流メーカーばかりなので、やりがいもあるんだろう。
その分、いろいろ規制は多いけれど、まあ、私もやりがいはある。

ここの会社と契約できたことは本当にラッキーだった。
私の仕事ぶりは、なかなか評価されているようで、案件によっては原稿料をアップしてもらえたものもある。
「アクセス数も増えている」と報告を受けると、ホッとする。

やっぱり「仕事」はいいなぁ。
嫌なことがあっても、集中して仕事をしていたら忘れられる。
昨日は本当に辛い日になったけれど、集中してガンガン書いて、原稿4本仕上げたら、夜になっていた。
なんだかスッキリしていた。

気持ちが落ち込みそうになっても、今は絶対負けるもんかと思う。
もう、私は昔の私じゃないんだ

一緒に暮らしていても、毎日お昼休みに電話をかけてくる彼。
忙しいときは、「ほんまにもう・・・」と、多少ウザがったりもするが、電話を切った後はちょっとほのぼのする。
そして思うのだ。
もう何があったって、絶対へこたれるもんかと。
こんなに優しくて私を想ってくれる彼がそばにいてくれて、私は今、人生で一番幸せ。
こんなに幸せなのに、これ以上何かを望んだり、不満を言ったりしたら、絶対バチがあたる。

充分、充分、といつも呟いている。
多少しんどいことがあったって、もう大丈夫。
そう思えるくらい、満たされた毎日。

だから、多少のことではくじけない。
前向きに気持ちを切り替える。
それが、今の与えられた幸せに対する、私の精一杯の誠意。
「奇跡」をいつの間にか、「当たり前」にしてしまわないよう、どんな時もこの出会いに感謝して。

私はOKじゃない、それでOK!

2007-06-18 21:55:57 | 想い
もしかしたら、もう随分長い間、私は落ち込んでいるのかもしれない。
なんとか忘れようとして、でも時々それはまた浮上してきて、その繰り返し。

自分のことを話すのは好きだし、おしゃべりな私だけれど、意外に本当に自分の心を苦しめていることというのは、口に出せない。
たぶん、一般的な人がそうであるように。

でも、それは秘密主義なわけではないし(私にヒミツシュギなんて言葉は縁遠い!)、自分のことは自分で解決しようとか、そんな立派なことを考えているわけでもない。

上手に話せるのなら、話したいし、誰かに聞いてもらいたいのだけれど、うまく話せない。言葉が見つからない。
それが正しい理由だ。

文章にしてもいいのであれば、いくらでも上手に相談ができるのだけれど、それすら去年、禁じられてしまい、書くこともできない。
そして、本当に大事なことは、いつだって言葉にならない。

彼がときどき、「かおりー、なんか悩んでるのか?何でも話してや」と優しく声をかけてくれるのだけど、私は「別に・・・」としか答えられない。
この感情を言葉に表すのなんか無理だ。

この間、ポツポツと少し自分の性格について悩んでいることを話したことがあったのだけど、私がそういう話をするのは非常に珍しいことで、彼も少しおどろいていた。
その内容は、もう長い間自分の中で考えに考え続けたことで、かなり言葉としてまとまっていたから、ゆっくり吐き出していくことができたように思う。

今のこの気持ちも、そういうふうに時間をかけて、ゆっくり言葉にして話せたらいいのだけれど、とりあえず今は形にはならない。
ただ、今日、自分の中で1つの区切りはついたような気がしている。
自業自得だといわれれば、そうかもしれないし、不可抗力だと思えば、そう言い張ることもできるような気がする。

いろんな意味でショックは大きかったけれど、もう忘れようと思っている。
反省すべき点は、今後に生かしつつも。
「損得の前に善悪がある」
この言葉を実践しようとしても、その「善悪」の判別が人それぞれであれば、必ずしも良い結果にはならない。

昔、中学生のときかな、ある友人に、こんなことを問われた。
「大阪に、ゴジラが現れたとする(←どんな設定や?)。私は建物の下敷きになり、あなたに逃げてほしいと言ったとする。あなたは一人なら逃げられる。さて、どうする?」
ちなみにこの友人は、中学生でこんなことを聞くくらいだから、ちょっと変わっていた。今はどうしているのか知らない。

私は言った。
「逃げられるとしても、やっぱり最後まで、あなたを助けようとする」と。

そうすると、彼女は「それは間違っている」と言った。
「それは、私の気持ちを無駄にすることになる。そこは、自分だけでも逃げることが優しさなんだ」と。

彼女の言いたいことはとてもよくわかる。
だけど、私はやっぱり万に一つの可能性にかけて、最後まで彼女を救い出そうとするだろうと思った。たとえ、二人とも死ぬことになっても。

今日、20年ぶりくらいに、こんなことを思い出した。
人にとっての「善悪」の価値観は違う。

だから、「私なら・・・」と思う。
私なら、いろんなものを失っても、人の想いを大事にしたいと。
それが自分の「善」。
でも、そうでない人もいる。人の想いをつぶしても、守らなければならない大事なものが他にあると。
それはその人の「善」。

「損得の前に善悪がある」なんて、それを実践する人によって異なり、あまり意味などもたないことだと、今日初めて思った。

中3のときのあやが手紙で私のことをこう書いた。
「無謀かつ情熱的」だと。
20年経った今でも、これ以上に私のことをぴったり言い当てた言葉は見当たらないと思っている。
(「オッサンと少女が同居している」というのは次点)

ゴジラが現れて、建物の下敷きになっている友を、私はやはり今でも置いて逃げることはできない。
それが、友の願いであり、愛であったとしても。
結局それは、自分本位、自己満足、自己愛の表れなのかもしれないが。

それでも今は、こういう生き方も、決して間違いではないと思っている。

今年、ひのき(私が教えていた塾)が人材不足でヤバイという状況になったときも、戻るつもりでいた。
結局、大丈夫だったのだけど、ある人に話したら、「結婚するんやし、自分のことをもっと考えや」と優しい言葉をもらった。
だけど、私は忠犬ハチ公だから。

23歳、大学4回生だった。
作家になると就職活動もせず、ふらふらして、酒ばっかり飲んでいた私を、救ってくれたのは、ひのきだった。
子供たちの未熟さと優しさを、生きていくことのひたむきさを、不器用な人間のせつなさを、そして、そういうことと触れ合うことの大切さを、教えてくれたのはひのきだった。
私はひのきと出会わなければ、ずっと自分の中の優しさを知らなかった。
未熟な子供たちと接することで、私は自分の中にある優しさに気付くことができた。ひのきにいれば、いつも少しだけ優しくなれた。

私にとっては、灯りのともる家だった。
この世でたった一つの居場所だった。

今は、ここに本当の灯りのともる家がある。
長い間の、両親との確執もなくなったように思う。
だからといって、あの頃受けた恩は絶対に忘れることができない。
あのとき、ひのきがなければ、たぶん、今の幸せもないからだ。

話がずれたが、以前の私とは違い、完璧ではないおかしな自分のことも、少しだけ認め、好きになれるようになったように思う。
向上心をもつことは大事だけれど、完璧になる必要など、きっとない。
たぶん、以前なら、今日はやりきれない夜だった。
だけど、今の私は起こった全てのことを日記に書かなくても自分の中で折り合いをつけられるし、いろんなことを前向きに捉えることができる。

去年、社内報を辞めたとき、私は本当に辛かった。
大好きだったひのきを辞め、今まで中途半端にしていて迷惑をかけていた社内報の仕事に全力を注ごうと決めた時だっただけに、ショックも大きかった。
辞めなければならない理由というのがわからず、モヤモヤした時間を過ごした。
辞めてから、取引先(社内報の会社の大元)の社長の意向だったと、こういう結果になってごめんと言われ、なぜ最初にそれを話してくれなかったのかと、不思議だった。
何でも白黒はっきりしないと気がすまない私にとって、「辞めなければならない理由」がはっきりしないことで疑心暗鬼になり、とても苦しい時間を過ごしたからだ。
どんな理由であれ、理由さえわかればよかったのだ。
元々、いつ切られても仕方のないフリーの身。
ただ、信頼関係があると信じていたから、「切られる」ということは想定せずに、いつも全力で優先して仕事をしていた。
だから、やめることが決まってからの3ヶ月間は本当に辛かったな・・・
人生でも忘れることのできない3ヶ月間だ。

だけど今になれば、辞めてよかったと心から思う。
社内報の仕事は大好きだったし、本当に心から、会社の発展を祈っている。
忘れた日は1日だってない。
それでも、自分は結果的に辞めてよかったんだと今は思える。
所詮、組織の中でやっていくには不向きな人間だし、長くいればいるほど、迷惑をかけただろうし。

いろんなことがうまくできている。
いや、自分の心次第なのかもしれない。
愚痴や不満を言い続ければ、そういう空間しか生まれないし、感謝をすれば、また感謝したくなるような状況が生まれる。

ひのきを辞めた、社内報を辞めた、そういう自分にとって大きな変化も、良しと捉えれば、それは「良し」となる。
あの頃も幸せだったことは確かだし、今、全く違う状況の中で、それでも幸せなことも事実。
世の中のことは、白か黒かじゃないんだな。
グレーの部分が大半で。
私はもっとそれを受け入れなくてはならないと思う。

読んでいる人にとっては、何を言いたいのかわからないかもしれないが、今日これを書くことによって、随分救われた。
たまにはこんな日記もいい。
また明日、がんばろうや。
ねぇ。

人とのつながり、自分の仕事。

2007-06-13 14:42:13 | 仕事
10年のライター人生の中で、1つだけモヤモヤとしていたことがあった。
それが昨日、吹っ切れた。

多くの取引先の中で、たった1つだけ、書いた記事が掲載されず、そのままお蔵入りになり、それきり依頼も来なくなった会社があった。
勇気を出して問い合わせてみると、方針として掲載の必要がなくなったということと、私の書いたものではちょっとダメだったというような話。
やんわりと言ってくれたが、結局「あなたの書いたものでは使えなかったし、あなたではこの仕事は無理です」と言われたようなもので、かなりショックだった。

チャンスをほしい、と思っていた。
もう一度、チャンスをもらえたら、何が何でもいい記事を書く。
だけど、そんな思いも虚しく、半年以上、連絡は途絶えていた。
時々、このことを思い出すたび、自分の能力のなさに失望し、自信をなくしていた。

それが、昨日、その会社の担当者から電話があった。
前のプロジェクトはあまり効果がなかったということで終了したが、今回は新たなもので、それをお願いしたいとのこと。
そのうえ、最近はメルマガの仕事も多いということを話の流れで口にしたら、メルマガもプラスしてお願いするかも・・・と。

まだ「お願いするかも」の段階だということで、もしかしたら何人かライターさんを当たっているのかもしれないが、それでもこうして声をかけてくれたことがとても嬉しかった。

長い間の胸のつかえがすーっと溶けてなくなったよう。
もし、チャンスをもらえたら、今度こそ絶対にいい仕事をするのだ。
なにがなんでも。
絶対、負けたくない。自分自身に。
私には書くことしかないのに、これに自信がもてなくなったら、一体どうすればいいというのか。
すべてを中途半端に終わらせてきた私だけれど、書くことだけは一生やり遂げる。
そう決めている。

思いは通じるのか、今日もまた1本仕事が入った。
急ぎの仕事で結構大変だけれど、引き受けた。
この担当の人も、メールと電話でしかやりとりしたことはないが、とても感じがいい。この人の仕事は、多少無理をしても引き受けたい。

そう思えるような出会いが、この半年くらいの間にたくさんあった。
辛い別れもあった。
仕事仲間、取引先、飲み仲間・・・
信頼していて、とても好きだった人たちとの別れ。
数えてみると、3人も。

私から切ったわけではなく、向こうから切られた。
その事実を思えば、やはり自分はどこか欠落してるんだろうという結論に落ち着く。
以前の私なら、そのことは耐え難く、自分を底まで落としてしまうのに、十分な理由だったと思う。
だけど、今は違う。

結婚式での皆のあたたかさ。友情。
深まった、ライター友達との貴重な時間。
新たに出会った取引先の人との信頼関係。
飲み屋で知り合った、大好きな飲み友達。

それから、たった1度会っただけの取材相手とのつながり。
北海道や岐阜から大阪に来たときに、わざわざ連絡をくれた。

そういうことを思い返してみれば、決して私は「すべての人に対して」ダメ人間ではなかったのだと思える。
でも、なぜ一部の人にとっては、ダメだったのか。
それはそれで、よく考えている。
反省材料にもなったし、自分をよくするためのステップとしてありがたく受け止めている。

ただ、もう以前のように、人の自分に対する言動にビクビクして生きることはやめにした。
どちらが悪いとか、正しいとか、そういうことでもないと思っている。
単に「理解できない」だけ。
そう思えるようになった。

結婚式は、そんな考え方ができるよい機会だったとも思う。
ほんの少しかかわりを持ったり、ほんの少しの期間仕事をしただけの人でも、結婚のお祝いメールをくれた人もいる。
こういう人は本当に素敵だと思ったし、私も見習いたいと思った。
「理解できる」人たちだ。
でも、逆に、いろんな行動を見ていて、「理解できない」人もいる。

でも、「理解できない」人とは無理して付き合う必要もないし、こちらが切られるようなことがあっても、自分を責める必要などないのだとわかった。
だって、わかってくれる人は、いつだってわかってくれる。
それこそ、私がどんなに間違ったときでも、私という人間がなぜ間違ったのかを理解してくれ、私の本質を好きでいてくれたから、ずっと味方だった。
そういう人が1人でもいてくれること自体が、もう既に奇跡なんだということが、私にはずっとわからず、いつも出会ったすべての人とわかりあうことばかりを目指して、失敗するたびに自己嫌悪に陥ってばかりだった。

この半年は、本当に人生のターニング・ポイント。
ここからどう生きられるか、どんな仕事ができるか、どんなふうに人を愛せるかで、人生は決まってくるように思う。

残された時間の中で、どれくらい皆に恩返しをしていけるか。
できれば、それを、文章でやり遂げたい。
1つ1つ、目の前にある仕事を懸命にこなしていけば、気付いたら自分が思い描いていた場所に立っているかもしれない。
今はそんな気持ちで、一生懸命仕事をしている。

私は、楽しく生きるんだ。

だんだんわかった。

2007-06-11 23:01:03 | 想い
シカゴから帰ってきた。

改めて思った。
日本はええなぁ。
私はやっぱり日本以外のどこにも住みたくないな。

それは一つの感想。
だからといって、シカゴの旅が悪かったわけではない。
その全く逆で、本当に素晴らしい旅だった!
1年に1回はシカゴに行きたい。
それくらい。

シカゴのことは後でゆっくり書こうと思うが、本当に楽しかった。
いろんな人との出会いがあった。
毎日ブルースを聴いた。
私は、この旅の中で自分に1つ決着もつけた。
それについてもまた書こうと思う。

今日先に1つ言うとすれば、私は本当にブルースが好きなんだと実感したということと、何かにひたむきに向かう人は素敵だということを学んだということだろうか。

そして、わかったことがある。
私は書き続けよう。
彼が「ただ言葉が好きなんだ」と書いていたのを読んだ時、本当にそうだと思った。
私もただ言葉が好きだから書き続けようと思った。
だけど、今は少し違う。
6日間、書かなかっただけで、私はもう死にそうだ。
疲れて帰ってきても、まずやりたいことはこれしかなくて。

これからお風呂に入って、それから、あふれてくる何かをとにかく書いてみようと思う。
書かなければ私は死んでしまう。
理由なんかない。
そういうふうに生まれついた。ただ、それだけ。