明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

味と香りを比べるのが好き

2011-09-29 20:34:52 | 生活
今日もまだ仕事をしているが、とりあえず少し余裕が出た。
明日もそれほどハードではなく、普通に仕事すれば、土日は休める。
10月は今のところ、めっちゃヒマそうやし・・・
入ってくるのは仕事の話より飲み会の誘いのほうが多い(笑)

仕事量200%の日とゼロの日が交互にやってくるという、このバランスの悪さ。
いつも80~100%くらいだといいんだけど。

昨日はなんだかもうフラフラで、久しぶりに早寝した(と言っても1時半だが)。
6時間眠ると、翌朝の体の動きが全然違う
シンガポールに行く前にずっと詰めて仕事をしていて、ハードに旅行して、
帰って休む間もなく仕事が続いていたから、さすがに疲れがたまっていたらしい

あとはストレス。
仕事がどんなに忙しくても、仕事に対してストレスを感じるということはないのだが、
忙しくて日常のことをきちんとできないことにストレスを感じるのだ。
掃除ができない、料理ができない、あれやるの忘れた・・・等々。

今朝は今週初めてお弁当も作れたし、シーツも洗濯できたし、銀行も行けたので、それだけでなんだかホッとしてしまった。

酒を飲んでばかりいてはダメだと、今日は久々の禁酒。
代わりに、さっき届いたばかりのコーヒーを飲んでいる。
昨日焙煎したものを送ってもらったので、香りが格別にいい。
豆を挽いたときのふわっと漂う香りがたまらない。

今飲んでいるのはブラジル産。
今回は4種類注文した。
コーヒーも産地によってどれも味わいが違うので面白い。
酸味や甘み、苦味の微妙な違い、香りの違いを確かめていく作業が楽しくてたまらない。

それに、日本酒もそうだけど、コーヒーも温度で味が変わっていくのが面白い。
良質のコーヒーは、冷めても最後の一口まで美味しいし、また冷めていくにつれて違った味わいを感じられる。
奥が深いなぁとつくづく思う。

昔は紅茶マニアで、今はきき酒師。コーヒーも最近は飲み比べている。
ふと、自分は結局、ものの味や香りの違いをいろいろ確かめるのが好きなんだなぁと気づく。
美味しいからそれを飲み食いし続ける・・・というのではなく、なぜか「比べたい」のだ。

食べ物なら、一時期は「豚の角煮」にこだわっていて、どの店に行っても食べていた。
もう15年以上前に東北のある店で食べた角煮が忘れられず、自分の理想の味を求めて・・・。
この頃は自分でもよく作っていたが、結局、理想の味にはならなかった。

次は「エビマヨ」。
一応、自分の理想の味は見つかっている。
めっちゃ安いランチについていたんだけど、食べた瞬間に「これだ!」と思った。
あれ以上のものはないかと、他のお店でもメニューにあるたびに注文していたら、ナンバー2も見つかった。

別にそれをわざわざ食べに行くとか、毎日そればかりとか、そういうことはしない。
ただ、店に行くと注文して確かめる、という程度。
世間的にそれが一番かどうかは別として、「自分の理想の味」を見つける作業が好きなのだ。

とりあえず、いつもふわーっとして生きていないな、と思う。
いつも、ムダに真剣。
「あー、美味しい」で終わらない。
順位をつけたり、分析したり、感動を覚えたり、書き込んだり・・・
食べ物1つとってもいろんなことを考えずにはおれない

・・・仕事の休憩がてら書き出したんだけど、何を書きたいのかわからなくなってきた。
支離滅裂なまま、オチもないけど、このへんで。

ツケ

2011-09-26 17:12:06 | Weblog
シンガポール旅行記を書きたいのだけど、仕事に追われて余裕なし。
1週間休んだツケはしっかりまわってきた。

今日も3件取材。
今は終えて帰る電車の中。
帰ってからも気の遠くなるような作業が待っているわけで…

しかし、今日の取材は楽しかった!
新入社員の取材。
みんな爽やかで感じいい男の子ばかりで、
知らず知らずテンションが上がる(笑)

今の若者は…なんて、言うこともあるけど、
いつの世代もいい人はいるし、あかんやつもいる。
それだけのことやな~と、素敵な若者に久しぶりに出会って思った。
礼儀とか、感謝の気持ちとか、自分と同じ感覚を持っていたので安心した。

それから今日は別の仕事のことで、1つ吹っ切れることもあった。
一瞬キレそうになったが、いやいや、これでよかったんやと思い直した。

毎日をどう生きるか?どうやって稼ぐか?
そればかり考えてもがいてたけど、目の前のことよりもっと先を見て行動しようと思った。
目が覚めた。

仕事のことだけじゃない。
何か書きたいなぁと最近は思うことが増えた。
10年かかってもいいから、何か書いてみようか。
じっくりと腰を据えて。

近代文学再読フェアが続いていて、今は三島由紀夫の「金閣寺」を20年ぶりに読んでいる。
こんなきれいな文章を書く人だったかなぁ…

きれいな文章を読まないと、きれいな文章は書けない。
久しぶりに文庫にラインを引きたいような気持ちで、読んでいる。
それだけで、何か自分の大切なものが取り戻せそうになるから不思議。

私は言葉が好きなんやな。

シンガポール旅行記(姫シリーズ) プロローグ「姫の憂鬱」

2011-09-24 00:28:39 | 
昨日、シンガポールから帰国した。

日本は秋になっていた。

伊丹空港から出て、日本の秋の風を肌で感じた瞬間、この国に対する愛情と日本人としてのアイデンティティのようなものを感じた。
やはり、私は日本が好きだ。

そして、長期の旅行は最近なかったので、久しぶりに旅をしたなぁという気分だ。
詳しい旅行記はこれから少しずつ書いていこうと思う。
今回は時系列ではなく、人気の(?)「姫シリーズ」として書くつもりだ
今日はそのプロローグ。

姫(姉)は、本当に真面目で、優しくて、自己主張が激しくて、私より完璧主義で、常識人で、たくましくも繊細な人だった。
40年も彼女と付き合ってきたが、改めてそう思った。

自分と似ていると思うところもあるし、全く正反対だと思うところもある。
その正反対の面が子供の頃はお互い理解しがたく、ケンカも多かったけれど、今は(というか今回の旅行で)自分と共感できる部分のほうを強く感じた。
そして、たぶん、この人は私よりずっと繊細で、ずっと真面目で、ずっと完璧主義なんだと気づいた瞬間、
自分が苦労している何倍も心を痛めることが多いんだろうなと思い、同情的な気分にもなった。

私も真面目な人間だけど、彼女はもっと真面目で自分を追い詰める。
自分にも人にも厳しい。
常に完璧であろうとするあまり、心身のストレスは大きくなる一方で。

姫の夫(お義兄さん)と私の夫は、ちょっとタイプが似ている。
おおらかで、のんびりやで、いい人。
私も姫も、そういう人じゃないと一緒にいるのは無理なんだと、これも改めて思ったこと。
深刻な人間が深刻な人間と一緒にいたら、破滅しかない
そういう意味では、私も姫も、自分に合った素晴らしい夫とめぐり合えたなぁと思う。

シンガポールという街は、活気があり、おもちゃ箱みたいにいろんなものが詰め込まれていて、国際的で、面白いところだった。
「シンガポールに行く」という話を友達に会うたびにしてみたら、4、5人は旅行で行ったことがあった。
でも、ほとんどが10年以上前の話。
「2日もあれば十分」という意見もあったけど、行ってみて、それも10年以上前の話だからだなぁと思った。
たぶんだけど、私の友達が見てきたシンガポールと、私が今回見たシンガポールは随分違っているのではないだろうか。
常にどこかで大掛かりな工事をしていて、日々、新しい建物ができている。
この10年くらいで、街並みだけでも随分変化してしまったと思う。
まあ、代表的で歴史的な観光地は変わらないだろうけど。
少なくとも「2日あれば十分」な場所ではなかった。
あと3日くらいあっても、まだ十分に楽しめた。
それくらい、日々進化している国なんだと思う。

また、これはアメリカでもそうだけど、いろんな人種が混在している街というのはちょっと慣れない。
ほとんどが中国人。
そして、アラブ系の人、インド人、韓国人、日本人、白人がいる。
中華街はいろんな国にあるが、シンガポールでもチャイナタウンはあって。
それ以外にも、アラブストリート、リトルインディアといった、人種ごとのエリアがある。
そこにはそれぞれの文化がそのまま残って、そのままの生活がある。
基本的に単民族国家の日本からすると、それはちょっと変な感じだ。

印象的だったのは、姫のこんな話。
シンガポールという国は、建国記念日に大々的なお祭りがあるという。
シンガポールに住んでいる他の国々でもそうらしい。
でも、日本は建国記念日に国をあげてのお祭りやイベントなんてない。

「日本では建国記念日にどういうことをするのか?」といろんな国の人に聞かれるらしい。
姫は「何もしない」と答える。
そうすると、皆にこう言われるそうだ。
「Why?」
なぜ、と。

姫が言っていた。
「なぜって聞かれるのが困るのよね・・・。なんて説明したらいいのかわからない」

それを聞いてから私も考えてみた。
でも、これといった答えも、異国の人を納得させる答えも、見つからなかった。

いろんな国の人がいる場所で暮らしていると、世界では当たり前のことが日本では違うことがあるみたいだ。
その代表的なものが「愛国心」。
もう少し詳しく言えば、「愛国心をどう表現するか」
もっと言えば、「愛国心を表現することをどう捉えられるか」

建国記念日を祝うこともない国民。
国歌や国旗に遠慮する国民。
世界で稀に見る、愛国心に罪悪感と他国への遠慮を感じる国民。
なんなんだろう。

日本人が安心して世界に対して日の丸を掲げられるのはスポーツだけ。
この異常性にすら、目を伏せて何も語ろうとはしない。

そのくせ、某テレビ局にはデモ行進をしてみたり(笑)

ただ、日本人は誠実で真面目であるということだけは、世界でも共通の認識らしい。
シンガポールでは、インド人が一番差別の対象にある。

ある日、私たちが道でタクシーを拾おうとしていたら、明らかに私たちより手前で時間的にも早くからインド人がいた。
タクシーはインド人の前を素通りして私達の前に止まった。
運転手さんは陽気でよくしゃべり、よく笑う、とてもいい人だった。

後で姫に「あの運転手さん、いい人だったね」というと、
「でも、あの人、インド人の前で止まらなかったよね」と言った。
私はそれまでその意味がわからなくて、「なんでなん?」と聞くと、
「この国ではインド人は差別されてるから」と姫は言った。

そうなのか・・・と初めて知った。

別の話をしていたとき。
ひなの(姪っ子)の習い事の月謝を先生に払うとき、姫が「お月謝です。中を確かめてください」と言って渡すと、
先生は決して中を確かめないらしい。
「日本人は信用できるから。確かめる必要ないわ」と。
そのかわり、こういうらしい。
「中国人の月謝は確かめる。インド人なら2回確かめる」と。

その話をしてくれたときの姫が、決して日本人であることを誇った言い方ではなく、
疑問と悲しみの混じった表情と言葉だったことに、私は心からホッとした。

こんなふうにいろんな人種の混じった目覚しく発展している国際国家のシンガポールでは、仕事が細分化されているという。
例えば、タクシー乗り場では、ただひたすらタクシーに案内する人がいる。
この人は正直、いなくても成り立つ。
姫が教えてくれた。
「あんなふうに『これだけ』を仕事でやってる人がいるねん。安くても仕事をできるだけたくさんの人に割り当てようという政策があるから」と。
なるほどなぁ、と思った。

もう1つわかりやすい例で言うと、ファストフードのような店に行くと、食べた後のゴミを片付けるだけの人がいる。
数年前、食べた後は自分で片付けようという話も出たらしいのだが、そうするとそれを片付ける仕事がなくなるということで、
今では食べた後は片付けないのが決まりらしい。
もちろん普通のレストランのようなところではそういう仕事は発生しないが、確かに焼き鶏屋台のようなところで食べたときは、
食べ終わると、さっとゴミ箱を持ったおじさんが来て、残飯などを処理していた。
そうやって、わずかな仕事であっても、失業者が出ないようにしているらしい。

ポケットティッシュを売りに来るおじさんもたくさんいた。
姫が言うには、あれは中国人ばかりで、政府から割り当てられた仕事ではなく、勝手に自分でやっているらしい。
でも、日本では考えられない仕事なので、私にとっては印象的だった。
(日本ではタダでポケットティッシュは配られているし)

私は、シンガポールの新しいビルや発展よりも、そういう人種差別や仕事の細分化のほうが興味深かった。

それから、アラブストリートに行ったときのこと。
イスラム教の寺院を拝観した。

仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、すべて「神」の形があるのに、イスラム教はない。
何も偶像がないのに、ただメッカの方向を拝む。
断食をしたり、1日に何度も拝まないといけない日があったりと、イスラム教徒はかなりストイックらしい。
日本人にはそういう宗教がない。
「他国の人は宗教に本当に熱心よ~」
そう話をした後で、姫が少し淋しそうに言った。
「最近、自分にもそういうものがあったらいいなって思うねん」と。

私は「そうなん?」と言って、それきり話はしなかったけれど、一番この言葉が印象に残った。

信じるものがあるということ。
自分にとっての「神」が確かにあるということ。
それはどんなに心強いことだろう。

そういう宗教をもっている国民性を羨ましいと感じる姫の気持ちを思ったとき、
この人はきっと私が思っている以上に、いろんなものを抱えているんだろうなと感じた。

姫の憂鬱。

それを思い、私もなんだか心が痛くなった。

あんな完璧主義で真面目な人が、このいい加減な国で生きていくということのストレス。
拠りどころが欲しいと思っても当然で・・・

英語教室、料理教室、スイミング。
姫は今、毎日こんな教室に通って学んでいる。
英語もスイミングもできなくても別に構わないし、料理にいたっては彼女はかなり上手なほうで学ぶ必要もない。
でも、毎日習い事と勉強を続ける。

「すごいなぁ。別にやらんでもいいことやるなんて」と言ったら、ひなのが冷静な態度で言った。
「お母さんは、人生でできることをすべてやろうとしてるねん」

なんだかおかしくて笑ってしまったけれど、後になって考えてみれば、なるほどなぁと思う。
姫は全てをやろうとしている。

でも、それは、なんだか素敵なことのように思えた。
ストレスがたまらなければ。




旅立ち5時間前、夫帰らず(汗

2011-09-17 00:36:53 | 生活
シンガポールへの旅立ち5時間前。

いまだ夫、会社から帰らず・・・

そういう私もまだ荷造り中。
仕事はなんとか終えた。

この1週間、私も夫も仕事に追われてキツかった

睡眠時間も4時間くらいで、あとの20時間はずっと動いていたもんだから、
疲れがまったくとれなかった。
また、嫌がらせのように真夏日返り咲きやし
体力を奪われ、ふらふらになっていた。

6日間も連休をとるということは、こんなにも大変なことなのだと、つくづく実感したのであった・・・

とりあえず、5時間以内に夫が帰宅し、
そして無事に出発できることを祈る!

台風も来てるし・・・
いやーな旅の前夜である。






忙殺される日々と、恢復しない日々と

2011-09-14 22:28:49 | 想い
土曜日からシンガポール。
ということで、毎日仕事に追われて本当に忙しい。

いつも言うことだけど、忙しい時に限って忙しくなる。
細かい仕事がどんどん入ってきて、焦るばかり

朝7時半から夜2時半まで休む間もほとんどない。
仕事だけじゃなく、家のこともそうだし、こうしてたまにはブログも更新せにゃーとか。

こんな忙しくなると思っていなかったから、自ら企画した飲み会まであって

サルヴァトーレ・クオモへ。


やはりこれが一番うまいか。
お店の看板商品のピッツァ「DOG」。
ヤバすぎる旨さ。


前菜盛り合わせもよかった。
いろいろ食べられるから、イタリアンの前菜って大好き。


黒豚のスペアリブもおいしかった!
肉がやわらかく、口の中でほどける。

とても楽しく気分転換になった。
時間が経つのがあっという間だったなー。

さて、明日もまた2件取材だー
いつもお仕事をいただいているところの取材が込み合っているとわかっていた時期に
1週間もお休みをもらうので心苦しい。
しっかり仕事をせねば!

夫も明日、東京出張だというし、よく働く夫婦だなーと客観的に思う。
一生懸命働いて、ローンを返していかないとね。

ただ、「家」というのはすごいもんだなとも思う。
この家があるから・・・この大好きな家を手に入れられたから、どんなことでもがんばろうと、
たぶん、私も夫もそんな気持ちで毎日必死に働いている。
それくらい、この家が宝物。
それはもちろん、資産価値なんかじゃなくて、心のよりどころとして。

1日1回は必ず思う。
「ああ、いい家だなー。この家が大好きだなー」と。
自分ひとりでは決して手に入れられなかった家だから、夫には本当に感謝している。
お金というより、家族の「近くに住んで欲しい」という暗黙の願いを断ち切って、この町を選んでくれたことに。

最近、凹んだり、情緒不安定に陥ってばかりの毎日だけど、
空を見たり、月を見たりして、なんとか頑張ろうと顔を上げられるのは、この町にいるからだと思う。
昨日の十六夜の月も本当に美しかった。

今も、聴こえるのはただ、静かに鳴く虫たちの声のみ。
情緒の定まらない私は、そんな静かな声にも目頭が熱くなる。

昨日は川端の「千羽鶴」を再読した。
舞子まで取材に行ったので(往復4時間!)1冊すぐに読み終えた。
明日の取材もまた遠いので、川端の作品を何か持っていこうか。

ふと、久しぶりに「恢復」という言葉が頭をよぎる。

酔っ払って帰ってきた夫と昨夜、少し話した。

周りが早稲田・慶応・同志社と優秀な学歴をもった人たちばかりの会社で、自慢できるような学歴もない大学中退の夫だが、
その分、人一倍の努力を重ねていることを私は知っている。
彼独自の処世術もあるし、人柄もあるしで、努力の甲斐あって仕事は順調だ。
毎晩、12時を過ぎないと帰ってこないような暮らしの中で、6年付き合っていてただの一度も愚痴をこぼしたことがない。
とてもマネできることじゃないと、心から尊敬している。

そう私が話したら、嬉しくて笑いをこらえきれなかったようで満面の笑みになった(笑)
「くっくっく」と笑いがどんどんこぼれていた

でも、彼は本当の意味で恢復していないと、たまに思う。

「もっと書いたらいいのに」と私は言う。
物書きのくせに、彼は書かない。

私とは違うんだな、とも思う。
書かなくても生きていける人なのかと。

そう言うと、お前が書くのは日記だけか?日記だけでいいのか?と言われた。
いい、と言ったら何も言わなかった。

日記でも何でもいい。
私は、書かないと無理だ。
一番近くて、一番親密で、一番離れられない。
親友みたいなもの。
私のことを一番理解してくれるもの。
汚い自分を取り繕ったり、良く見せるために虚勢を張ったり、楽しい話をして場を盛り上げる必要もない。
出すのは、本当の自分だけでいい。

それが、私にとっての「書く」という行為。

そんなことを思うだけで涙が出る夜もある。

失望して、お酒を飲み続ける夜もある。

少しも恢復しないまま、自分をごまかし続けて日々が過ぎる。

言い訳と逃げだらけの人生は、一体いつまで続くのか。

ただ、言葉から離れるのも怖くて、言葉を綴ってゴハンを食べている。

手料理でお誕生日会

2011-09-10 23:49:36 | 友達
昨日はいわさきっちの誕生日会をうちで開いた。
毎年、ゆうちゃんと3人でおいしいものを食べに行くのだけど、
ゆうちゃんがまだ乳飲み子を抱えているので、今回は我が家で。

このメンバーは「おじいさん料理」が好きなので、準備も楽でいい


酒のアテ、前菜4種。
奥は「卯の花いり」、手前は左から、鶏肉とレンコンの甘酢和え、茄子の鍋しぎ、ブロッコリーの胡麻和え。

佐藤けい氏作・焼き締めの長皿に3種を盛り付けたら、かっこよくなった。
新居祝いに母にもらってから全く使わず、いつもは飾っている長皿なのだが、
こうやって料理を盛ると、やっぱり器が生きるなぁと実感。
私にはこの器が、生命力を持ってイキイキと輝いて見えた。

生活の中で使ってこそ、美しい。
そんな「用の美」の心を思い出した。

二人は鶏肉とレンコンの甘酢和えに夢中(笑)
「照りの色がいいわー」「おいしそうやわー」と食べる前から褒めてくれた。


サラダは、お豆腐とひじきの胡麻ダレサラダ。

おいしい絹ごし豆腐の上に、ひじきの生姜煮を乗せ、玉ねぎ、にんじん、オクラを乗せ、
その上からピリ辛の自家製胡麻ダレをかけている。
このハーモニーが最高!
あっという間になくなった。


久しぶりに、厚揚げのいんろう煮を作った。
好きなんだよなぁ・・・これ。
でも、自分の夕食とかに食べるのには面倒であまり作らない。
久しぶりだったのでおいしかった。
ただし、上等のきぬ揚げを使ったため、やわらかすぎて破裂
なんでも上等のものを使えばいいってもんでもないなぁ・・・


今年初めての秋刀魚。
やっぱり秋は、秋刀魚料理を出さないと始まらない。

塩焼きで大根おろしと醤油で食べるというのは、これからいくらでもあると思うので、ちょっと変わった食べ方で。
カレー風味の玉ねぎソースを添えた。
私はこれが結構好きで、毎年必ず1回は作る。
秋刀魚とカレー?!と思うかもしれないが、意外に合うのだ。


和風料理ばかりだと飽きるかもしれないので、いつも1品はクリーム系のものを入れる。
今回はやっぱり秋の味覚、きのこのグラタン。
エリンギ、しめじ、えのき、まいたけの4種類のきのこを使用。
ただし、シンプルに具材はきのこのみ。

そのかわり、ホワイトソースは普段よりコクのあるタイプにした。
いつもはバターと小麦粉と牛乳だけで作るのだが、生クリームをたっぷり入れ、コンソメで味もつけている。
これがシンプルなきのこにマッチ。
チーズもたっぷりで、我ながらとてもおいしかった。

もうお腹いっぱいの雰囲気だったし、デザートもあったので言わなかったが、
実はこの後に揚げ物があった。

ちなみに、ホッケのにんじん衣揚げ。
ホッケフィーレのまわりに小麦粉を卵でといたものをつけ、
さらに、にんじんを細かく切ったものを衣としてまぶして揚げたもの。

にんじんを揚げると甘みが出て、本当においしい。
見た目もちょっと変わってて、珍しいからいいかなーと思ったのだが、またの機会に。

ゆうちゃんがグルニエドールでタルトを買ってきてくれたので、ろうそくも立ててお祝いした。


チョコの誕生日プレートに「いわさきっち」と書いてあって、ウケた

ハッピーバースデイも歌って、火を吹き消して。
これでみんな仲良く40歳。

二人と出会ったのは16、7歳だから、もう24年の付き合いか・・・
ほぼ四半世紀
ようこんな長いこと、友達でいてくれたもんだ

そんなこともかみしめながら、ケーキを食べた。


ショコラのケーキは、いわさきっちが作ってきてくれたもの。
コクはあるけど甘ったるさがなく、デザートにはちょうどいい。
常温でやわらかくすると、生チョコみたい。

どちらもとてもおいしかった

ゆうちゃんが子供をつれてきてくれた。
もう一息で立ち上がりそうだった。
次に会うときは立って歩いてるんだろうなぁ・・・

子供は時間とともに着実に成長していくけれど、40歳の私の成長のなさよ・・・
なんだか最近は「もうダメだな」と思うことが多い。
生活が楽しくないかとか、幸せじゃないかとか、健康に問題があるとか、そういう話ではない。
自分自身の深い話。
ただ、いろんなことが、もうダメだろうな、と感じている。
悲観するわけでもなく、漠然と。

それでも、こういう友達と一緒にいる時間は救いなわけで。

ゆうちゃんが子供をつれてくるようになってから、前よりずっと3人の空気も良くなって(悪かったわけじゃないよ)
穏やかに時が流れて、「幸福」というものが目に見えるような気さえする。
自分が気負わなくていいというか、いつも楽しい。

だから、もう十分に遊んで6時間以上も経って、二人が帰るのを見送るとき、
久しぶりに・・・本当に久しぶりに、「淋しい」と感じた。
1人になるのが怖かった。

二人の車が見えなくなるまで家の前で見送りながら、なんだか懐かしいなぁ、この感じ・・・と他人事みたいに思っていた。
若いときにいつも抱いていた淋しさ。
人と会うと、いつも別れ際、心の中に重い石を詰められたみたいに淋しかった。
あの感じがよみがえってきて、なんだろうなぁと思った。

家に入って、後片付けして、少し仕事を片付けて。
それからまた残り物で日本酒を飲んだ。
夫が帰宅してからも飲んだ。
ちびちびと、3時半まで飲んだ。

淋しい気持ちにアルコールが溶けていくのを感じていた。

昭和の文学がたまらない!

2011-09-07 15:04:36 | 
このところ、ライターらしく真面目にパソコンに向かい続けている。

8月末に2度東京へ行き、怒涛の出張取材を終え、先週はひたすら原稿を書いていた。
今週はヒマかと思えば、細かい仕事がちょこちょこ入るものだから、とにかく午後はずっとパソコンの前。
しかし、仕事があることはそれだけで幸せである

パソコンの前に長時間いると、休憩中についやってしまうのがネットサーフィン。
(ネットサーフィンって、もしかして死語?)
何を見ているのかといえば、ひたすらおいしそうな店や料理のレシピを見ている。

全く飽きない。

美容院でも、ファッション雑誌を渡されるとパラパラ見て2、3分で終わるのに、
ミーツとかオレンジページとかを渡されるとずーっと見ている。
おいしそうなレシピなどは暗記しようと何分間も眺めている。

いよいよ美容師さんが「あの・・・雑誌替えなくていいですか?」と聞きに来る始末・・・

そういえば、最近おいしいもの食べに行ってないなぁ。
今は無性に立ち呑みに行きたい(笑)
濃い目のアテをちまちまと食べつつ、立って日本酒呑みたい。

もしくは、ブルースの流れるバーで、バーボン呑みたい。

ちなみに今は、B.Bキングの「Live at the regal」聴きながら、東洋美人のひやおろしを呑んでいる。
開栓4日目。
めちゃくちゃ味がのってきて、たまらん

たまらんといえば、ちょっと前に書いていたけど、川端康成の『古都』を久しぶりに読み返した。
間に『みをつくし料理帖』の最新刊を挟んでしまったので、読み終えたのは東京から帰る新幹線の中だった。

それから今、自分の中で川端ブーム再来!

やっぱり素晴らしい。
新幹線の中で、何度も何度もじわじわと浮かんでくる涙を抑えた。

ストーリーが悲しいとか感動的だとかいう理由で泣くことはよくあるが、
文章の美しさにしみじみと感動して涙が出てしまうなんてこと、川端作品以外にはないかもしれない。

古都・・・京都を舞台にした、二人の女性の物語。
日本人の情緒、京都の雅やかな文化、美しい四季の風景・・・

たぶん、自分がこの住み慣れた町や自然を想い、愛しいと思うときの気持ちに近い。

あとがきでわかったことだが、この『古都』を書き終えた後、川端氏は入院している。
書いている前から、書いている間もずっと睡眠薬を多用していたようだ。

『古都』執筆期間のいろんなことの記憶は多く失われていて、不気味なほとであった。
(中略)
眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。
眠り薬が書かせたようなものであったろうか。


そんなこともあとがきで書いている。

後で校正をする際、行文のみだれ、調子の狂いを自分自身で感じたようだが、
「かえってこの作品の特色となっていると思えるものはそのまま残した」らしい。

そういう、何か精神が夢うつつの間をさまよっていた間に書いたからなのか、
妖しいほどの美しさがこの作品には秘められている。

脆くて、尊くて、愛おしくて。

そんなふうに思うのは私だけではないようで、いろんな人のレビューを読んでみると、
この作品の価値の高さがよくわかる。
私のような川端好きは、『古都』に対しての評価が非常に高いようだ。
これこそが、川端文学なのだ、と。

この作品が朝日新聞に連載されたのは、昭和36年。
それを知って、なんだか不思議な気持ちになるのは私だけか?
たった50年前の話なのに、今の日本にはこんな情緒はまったくない。
わずか50年で違う国のようになってしまった。
もちろん、良くなった面も多々あるのだろうが・・・

次は『山の音』を再読しようか、『千羽鶴』にしようか、『川のある下町の話』にしようかと、
しばらくは川端再読フェアが続く様子。

やっぱり自分はこの頃の文学から遠く離れることはできないと、痛切に感じる。

思い込みって、ある。

2011-09-05 10:10:26 | 生活
台風一過。

よく勘違いや思い込みの話をするときに出てくる言葉だ。
「台風一家」と思っていた・・・というやつ。

私も例に漏れず、子供の頃はそう思っていたわけで

ドラえもんの中に台風の子供をペットみたいに育てる「フー子」の話があって、
あれを読んでいたものだから、よけいに「台風一家」は私の中でイメージしやすかった。

今回の台風は、「一家」とすれば、でっかい頑固オヤジみたいだったと思う。
被害にあわれた方には心からお見舞い申し上げます。

私の住む北大阪は全く被害はなく、ちょっと風が強いかなーという程度だった。
雨も、夏場のスコールみたいなやつのほうが、よほど強かったと思う。

ただ、被害というわけではないけれど、支障はあった。

土曜日は香川県に住んでいる叔母さんが亡くなって(父の義妹)、お葬式に行くはずだった。
しかし、台風は四国直撃。
どうしたって瀬戸大橋は渡れず、「危ないからええよ」と叔父さんにも言われ、あきらめた。
前日から行っていた両親はセーフだったが、帰ることはできず、そのまま1泊。

叔母さんとは大人になってからはほとんど会うこともなかったが、
子供の頃は夏休みなどによくお世話になった。
(父の実家を弟が継いでいて、その奥さん。おばあちゃんも一緒に住んでいた)
驚異的な偏食だった私には、食事のたびに手を焼いていたと思う。

ちょっと太って、おおらかで、大きな声で話すおばちゃんだった。
お見舞いに行く間もなく、膵臓ガンで亡くなった。
きっと最期はもう、豪快なおばちゃんの面影はなかったんだろうな・・・

そんなわけで、土日は急に予定がぽっかりと空いたので、家の中でのんびり過ごした。
夫も東京出張の後で疲れていて、なんとなく元気がなかった。
時々、「ちょっと仕事するわ」「俺も」と、数時間は二人ともそれぞれの部屋で仕事して。
またリビングに集まって食事して、台風ニュースを見て・・・。
一歩も外に出ないで過ごした。

だらだら過ごす時間はずっと「魁!男塾」を読み返していた。
ちょっと前にアメトークで「魁!男塾芸人」をやっていて懐かしかったので、読み返したくなったのだ。

読んでいて、あることを思い出した。

ここから先は、男塾を知らない人には全く何のことだかわからないと思うが・・・

夫が男塾を全巻持っていたので、結婚した当初、私は暇なときに読んでいた。
高校時代にも読んだことがあったのだが、久しぶりに読むとまた面白く、興奮して夫に言った。

「中国四千年の歴史はやっぱりすごいなぁ。民明書房のこの本、今度買おうと思うねん

夫は一瞬キョトンとして、それからお腹を抱えて大爆笑
私は何を笑われているのか、全くわからなかった。

「何?なんかおかしいこと言った?」と聞くと、
「民明書房って、ほんまにあると思ってるの?」と笑いすぎで息も絶え絶えの夫が言った。

え・・・

男塾の中で、戦う時の武術の説明などでしょっちゅう引用される「民明書房」の本。
私はそれを本気で実在すると思っていたのであった・・・
もう買いに行く気、満々だった。

今思い出しても恥ずかしい。

さっきWikiで「民明書房」を調べてみたら、こう説明してあった。

本編よりも写実的な挿絵や学術書風な図が使われたり、
「ベラミスの剣」や「錯距効果」などの、もっともらしいエピソードや用語などにより、
読者層の少年たちを中心に本の内容を信じる人や、
実際に民明書房の書籍を探し回る人が続出した。
作者によると「ゴルフの起源は中国であるという説が支配的」とした民明書房の解説に、
「ゴルフの起源はイギリスです」と抗議の電話をかけてくる大人の読者もいたという。
これらの事に対し作者は
「民明書房を本気で信じる人がいるとは思わなかった」
という趣旨の発言を残している。


よかった。私だけじゃなかった・・・

思い込みって誰にでもあるもの。
そういえば、牛乳のネーミングで「毎日骨太」というのがあるが、
結構最近まで「まいにちほねた」と読んでいた。
「ほねた」という骨のカタチをしたゆるキャラも自分の中で浮かんでいた(架空)

あるよね、思い込みって・・・

姫の考え方

2011-09-01 11:33:31 | 生活
9月である。

夏が終わった。
ここから年末までがいつもあっと言う間に感じる。

シンガポール行きも決定し、17日~22日で飛行機もとった。
ほとんど姉の家でお世話になるが、1日だけ贅沢をして、
SMAPのCM(ソフトバンク)で有名になったマリーナベイサンズに泊まる。
地震の多い日本では考えられない建築物らしい。
あの屋上プールも入ってくる予定

海外旅行は久しぶりなので楽しみだ。
学生時代に行ったカナダ、スペイン、モロッコ。
新婚旅行のシカゴ。
それ以来。

たまには異国の文化に触れてみるのもいいかもしれない。

それに、姫(姉)が帰国した際には大変な目にあわせられたので(あの日記はかなり反響があった)
今度はいろいろお世話させてやろうと思っている

しかし、長年、姫の召使いとしての態度が身にしみついてしまっている私は、
気を利かせて「日本から持って来てほしいものない?」とメールで聞いてみた。
すぐに「日本で買ってきた化粧品がなくなる。送料が高いので注文してそちらに届くようにするから持って来て」と返信。

化粧品・・・?
ちゃんと「軽量で少量なら」と前置きしたのになぁと思いながらも、
「まあ、いいけど、10本とかはイヤよ。5本くらいなら」
と返信した。

すると、

「ううん、50本」

と返信が・・・

さすがである。
姫の考えることは、庶民と規模が違うのだ。

その後、母に「シンガポール行くよ」と電話したら、
「あ、じゃあ、ひなちゃん(姪)に持って行ってほしいものがあるの!」と言われた。

警戒して、「少量?軽量?」と強く言うと、
「少量。軽量。和三盆の乾菓子」と言うので、ホッとした。

しかし、その後、
「えと・・・もう1つ・・・これと・・・あとこれと・・・」と続く。

私は運び屋か?!

なんだかわからないが、荷物が大変なことになりそうな予感。
行く前から一抹の不安を覚えるシンガポール旅行であった・・・