明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

おいしい宮城のお酒のために、宮城蔵元救済義援金のお願い

2011-03-30 19:15:29 | 
墨廼江、白楽星、日高見、綿屋、山和、日輪田、於茂多加、浦霞、阿部勘、一の蔵……

これ、全部、これまで飲んできた宮城県の日本酒だ。

仙台に行った時にわかったけど、宮城県っておいしいお酒がすごく多い。

でも、今、多くの酒蔵さんが地震や津波の被害にあっている。

被害状況⇒http://www.miyagisake.jp/supoclub/sinsai.html

この被害状況のページだけでまた涙が出る。
一瞬で、蔵人の気持ちが乗り移ってくる。
どんなに、どんなにお酒を造ることが大変か……。
どんな想いで造っているか……。

上記のページの一番下にもあるが、宮城の蔵への義援金を募っている。
私もまたわずかだけれど、募金するつもり。

下に詳細を載せていますので、ぜひご協力ください。
受付期間は4月1日(金)より6月30日(木)まで。

(私は基本的に、自分のブログでこういうことをするのが好きじゃないんだけど……
皆がやるように、日記を人に語りかける形で書かないのは、
ブログをコミュニケーションツールと思っていないからで……
でも、毎日200人以上の人がこれを見てくれているので、
1人でも2人でも協力してくれる人がいたら……という思いで、これを掲載します)

最近、募金と飲み会続きで、私のお金はもう完全に底をついている(笑)
でもくるくるぱーだから、昨日も行ったし、明日も行くもんね

飲みに行った話などは、日本酒のブログに掲載しているので、
よかったら見てくださいね。
(最近、また更新し始めた↓)

日本酒ブログ「ほろほろ酔うて この葉ふる」
http://blog.goo.ne.jp/kaopi2009

以下、義援金に関する詳細のコピーです。
私が関わる「きき酒師」の関連でお願いされたものですので、間違いありません。
(詐欺やチェーンメールの類ではありません。責任もちます)

*****************

『仙台杜の都日本酒会』のダチオと申します。
まずはこの度の『東北関東大震災』におきまして被災された皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
震災からおよそ2週間...全国からの暖かいご支援のおかげで、
徐々に元の暮らしを取り戻しつつありますが...
まだ地震や津波の傷跡も色濃く、依然として食料や燃料不足、ライフラインの断絶など、
苦しい生活を余儀なくされてる方も多くいらっしゃることと思います。

今回の震災において宮城県内の各蔵元も、特に沿岸部を中心に甚大な被害を受けました。
津波や地震で蔵が全半壊したところ、今年仕込んだもろみを失ってしまったところ...
被害の大小はありますが、少なからず宮城県の蔵元も被害を受けています。
せめて売るべきお酒が残っていれば、それを買うことで
少しでも蔵元に還元することができるんですが...
今回の震災で売るべきお酒すら失ってしまった蔵元も少なくありません。
そんな状況の中で各蔵元とも復興に向けて必死に頑張っています。
もちろん今回の震災でご家族や知人を亡くし、家を失い、
もっと苦しんでいる方がたくさんいらっしゃるのは十分に承知しています。
その方々のことを考えると時期尚早なのかもしれませんが...
それでも大好きな宮城県の蔵元のために自分にできることはないだろうか?と考えていました。

いま蔵元のために我々ができるのはやはり直接的支援だと思います。
そこで色々な方にご相談した上で、宮城酒造組合に『宮城蔵元救済義援金』の申し入れをさせて頂き、
義援金の受入れ口座を設けて頂きました。
もちろん、ご自身の生活やこれからのことで精一杯の方もたくさんいらっしゃると思います。
決して無理にとは言いません...宮城県の蔵元のためにいま自分たちができる
ことをやりませんか?
下記の通り『宮城蔵元救済義援金』の詳細をご案内しますので、
一人でも多くの皆様のご協力をよろしくお願いいします。
*****************
【銀行名】七十七銀行(シチジュウシチ)二日町支店(フツカマチ)
【口座種別】普通預金
【口座番号】5547075
【口座名】宮城県酒造組合 代表理事 櫻井武寛
(ミヤギケンシユゾウクミアイ ダイヒヨウリジ サクライタケヒロ)

注)義捐金振込口座は宮城県酒造組合の既存の休眠口座を利用させていただきました。

ATMでお振込の際、「宮城県酒造組合 不動産」と表記されることがありますのでご容赦ください。

※義援金は1000円以上の任意と致します。最寄りの都市銀行もしくは地方銀行の窓口
よりお願いします。
※振込手数料が別途かかりますのであらかじめご了承ください。
※振込時は振込人氏名の後にニックネーム(mixiやふらっとの登録名)をご記入下さい。
MJSC(宮城純米酒サポータークラブ)の3団体以外の方で酒販店や飲食店関係の方
は氏名の後にお店の名前、個人の方はお住まいの都道府県をご記入下さい。
例)
○○○○(ダチオ)
○○○○(□△サケテン)○○○○(ミヤギケン)
※今回の義援金は被害状況などに応じて各蔵元に公平に配分されます。
各特定の蔵元宛ての義援金は組合では頂くことができません。
特定の蔵元宛ての義援金は、直接蔵元にお届け頂くかたちになります。
※義援金の受付期間は4月1日(金)より6月30日(木)までの2ヶ月間とさせて頂き
ます。
*****************
なお、今回の義捐金はMJSC3団体、
mixi『仙台杜の都日本酒会』ふらっと『宮城の酒応援隊』『蔵の会』の以外に
複数の団体に呼びかけを行っています。
みなさんも、ぜひ周りの日本酒仲間にお声掛けをよろしくお願いします!

【義援金の信用性について】
今回の義捐金の信用・信頼性を少しでも高める為に、
宮城酒造組合に義援金受入窓口を設けて頂きましたが、それ以上の信頼性を証明するものはありません。
振り込み詐欺等のご不審をもたれる方も中にはいらっしゃると思います。
私個人をご存じの方を含めて、あくまでも信用して頂くしかありませんが...
頂いた義援金は宮城酒造組合で責任を持って管理・各蔵元に分配した上で、ご報告をさせて頂きます。
1日でも早く宮城の蔵元が復興して、また美味しいお酒が飲める日が来ることを祈って...
一人でも多くのご協力をよろしくお願いします。

*****************

私からもお願いします。
いろんな形で、いろんな人たちを、少しでも助けたい。

申し訳ないくらい、小さな、小さな力やけど……

今はとにかく、原発がなんとかならんのかと、毎日ヒヤヒヤ。
電車の中から見た、福島の美しい景色を今もよく思い出す。

どうか1日も早く……

夫にくるくるぱーと言われた日

2011-03-28 23:57:55 | 生活
この家を建ててから、もう1年が経った。
あっという間だった気もするし、もう随分長い間、暮らしているような気もする。

仕事でお世話になっている方に、新居の写真が入った年賀状を送ったら、
次にお話したとき、
「すごく素敵なおうちやね」と褒めていただいた。
でも、私が嬉しかったのはそのことではなく、その方が、こう言ってくれたからだ。

「かおりちゃん、がんばったからやね」

私はそれを聞いたときに、涙が出そうになった。
たぶん、私は誰かにそう言ってほしかったんだと思う。

確かに夫がいなければ、この家は手に入らなかったけれど、
夫もまた、私がいなければこの家を手にすることはなかった。

私たちは同等だ。

だから、私も誰かに「がんばったね」と声をかけてほしかったんだと思う。

ふと、大学を卒業してライターになって、家を出ることになったときのことを思い出した。

母とカーテンを見に行った帰りだったと思う。

「なんか怖くなる」と言った私に、母は言った。
「夢が叶っていくから?」
「うん……」

私が出て行くことを母はきっと淋しく思っていたと思う。
それでも母はこう言ってくれた。

「頑張ったんだから、いいのよ!」

頑張ったんだから、いいんだ……
私はそう自分に言い聞かせて、逃げるように大好きな町を出て行った。
それから数年間、随分と孤独な時間を過ごした。

4年半経って、またこの町に戻り、それから3軒目の家が今の新居。
あの時、出て行ったことを私は後悔していない。
あの時間もまた、私には必要だったんだと今はわかる。

「がんばったからやね」
この間、そう言ってもらったときに、そんな昔のことを思い出した。

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新居に引っ越して1年経ったので、夫が繰り上げ返済をしようと言いだした。
毎月のローン返済以外にも、1年に一度はまとめて繰り上げ返済をしようとのこと。

お互い家計を出し合って、私がそれをやりくりして、家の貯金もしている。
なので、夫が言った。
「そろそろ繰り上げ返済しようと思うから、貯まってるお金ちょうだい」

「・・・

「どうしたん?まさか……?!

「いや、ちょっと……、今お金ないんで、家計から借りててさぁ……

「かおりっ!!

いやいやいや……
そんな何十万円も借りてるわけではない。
12万円くらい?
それも、別に自分のお金がゼロなわけではないんだけど、銀行からおろすのも面倒なんで、現金を使っていたら、そんなことになっているだけで……

「銀行のお金をおろしたら、すぐに払えるんだから、まあいいじゃない」と私。
それに、今はスリムクラブ状態なんだから仕方がないんだと、必死に説明した。

「もう何十万円分も仕事してるんだよ。お金がまだ入ってきてないからちょっと借りてるけど、あてはあるから大丈夫

私が言うと、優しい夫は同情したように
「かおりって、ほんまにお金ないんやな……」と言った。
夫婦でこの会話もおかしいけど。

「いや、あるよ!12万円くらい借りてるけど、自分のお金は15万円くらいはあるねん
「え?じゃあ、ほんまの自分の貯金は、3万円?
「うん。でも、すぐに入ってくるから大丈夫!
「そんなんやのに、飲みに行ったりしてるんか?!怖くないん?!
「なんで?ぜーんぜん


・・・・


くるくるぱーか!!

びくぅぅぅ

こんな歳になって、生まれて初めて、人に「くるくるぱー」と言われたのであった……
それも夫に……

なんでくるくるぱーなのか、全く意味がわからない。
私はお金を稼ぐことと使うことが大好きで、貯めることには全く興味が湧かないのだ。

しかし、その時、この間、貯金のないもんちゃんが私に言った言葉を思い出し、はっとした

「貯金は絶対したほうがいいよ……」

夫の「くるくるぱー」よりも、もんちゃんの切実な忠告のほうが私の心に訴えるものがあった……

大切な人の、大切なもの。

2011-03-28 00:26:00 | 友達
いわさきっちと一緒に、ゆうちゃんの家へ行った。

3ヶ月を過ぎた、ゆうちゃんの赤ちゃん……。
産まれたとき、病院に見に行って、それ以来。

写メを送ってもらって、いつも眺めていたけれど、本物はもっと可愛かった。

愛くるしい笑顔。
ふわふわのほっぺや手足。
そして、澄んだ瞳。

「目に濁りがない!!」と感動した。
本当にキラキラと輝いているのだ。
どこまでも澄んだ黒い瞳で私をじっと見つめる。

そうか……
赤ん坊って、まっさらなんだ……と実感。
本当に、まっさら。

いわさきっちと二人、興奮していじりまわした(笑)

子供は希望だなぁ、世界の宝だなぁ……
この瞳を見ていたら、自然とそう思える。

産後の容態があまりよくなかったゆうちゃんだが、栄養分を吸い取られてやつれながらも、母乳をしっかりあげていた。

でも、ゆうちゃんは、ゆうちゃんだった。
そのことに安心した。
子供を産むと何か変わってしまうんじゃないかと、少し不安だったのだけれど。

幸せな友の姿を見ると、私も嬉しい。

相変わらず、飼い犬のくぅちゃんは私を見ただけでおびえ、ガタガタと震え、吠えまくっていたけれど
やっぱり何かとり憑いてるのか……私。

幸せな気持ちでゆうちゃんちを出て、いわさきっちとご飯を食べに行った。
電車の中で、いわさきっちが、
「私は特に子供好きじゃないのに、ゆうちゃんの赤ちゃんは、心の底から可愛い!って思った……」
と少し恥ずかしそうに言った。

そうなんだよなぁ……
友達の子供って、なんであんなに可愛いのか。

きっと、大切な人の、大切なものだからなんだろう。

あの瞳のまま、まっすぐ素直に、健やかに育ってほしいと、心から願った

「孫はかわいい」の意味がよくわかる。
人の子供でも、なんとなく、自分の人生に一つ楽しみが増えたような気さえするのだ。
これからどんなふうに育っていくんだろうって。

また会いに行こう

日常を日常として過ごすことのひっかかり

2011-03-25 13:48:39 | 美味しいもの
仕事が一段落したら温泉に行きたいと思い、金沢のパンフをそっと夫の机の上に置いてアピールしておいた。

すると、夫が私の部屋に入って来て、「温泉は行けなくなった」と。
「え。なんで?」

「募金したから」

!!!

温泉旅行用にとっていたお金を全部募金したというのだ。
「全部しちゃった……!しちゃったよ……!」と、自分でも若干、興奮している様子の夫……

怖いので、いくらあったのかは聞かないことにした。
まあ、「温泉に行ったつもり募金」ということで、いいかな。

これは「自粛」ではない。
うちのようにローンを抱えた一般庶民家庭が、まとまったお金を募金しようと思ったら、何かをあきらめないとそのお金は捻出できないのである。
柳井さんみたいに、個人で10億円もできるような資産がまずないのである

やっぱり金持ちにならないとあかんな……としみじみ思う今日この頃。
そう思いながらも、地道に文章を書いて、売り歩くしかないというしがないライター

我が家の例のように、「~つもり募金」はいいが、自粛はダメだと思う。
もちろん、むやみにバカ騒ぎをする必要もないし、無理やりお金を遣う必要もないが。

日本経済が心配で仕方がない。
元気な人々まで自粛していたら、本当に日本は沈没してしまう。

一昨日、仕事をいただいている会社の社長さんと打合せをして、その後、そういう話で盛り上がった。
同じような考え方でよかったと思った。

「今、我々ができるのは、目の前にある自分の仕事を一生懸命やることでしょう。それでまたお金が入れば、募金もすればいい」

社長がそう言ったので、私も深く頷いた。

そして、この日は、また社長においしいものを食べさせていただいた。
北新地で、社長も初めて行くお店。
大将は「喜川」で修業された方と聞き、わくわく

「割烹 さか本」

店の大きさの割りに、大勢の板前さんが働いていて、活気があった。
カウンターに座ると、手書きの長い長いメニューが……

写真を撮りたかったけど、こんな高そうな店で携帯を取り出すのもはばかられ……

「好きなもの注文していいよ」と社長が言ってくれたけど、値段が全く書いていないので、怖くて注文できない

「どうぞ、私なんでも好きなので、お任せします!」と言うと、
お造り盛り合わせ、フグの白子の塩焼き、蛍烏賊の木の芽田楽、蓮根まんじゅうを注文してくれた。

社長、素晴らしい!

私はフグの白子がこの世の中で何よりもおいしいと思っているくらい、大好き!
ふわふわの大きな白子が出てきたときは、本当に嬉しくて涙が出そうになった。

お造り盛り合わせも、鰹、オコゼ、鯛、イカなど、とても新鮮でおいしい~

しかし、大好きな白子よりも強烈に旨かったのは、蛍烏賊の木の芽田楽!
蛍烏賊が3つ串に刺さっていて、その上に田楽味噌と木の芽が乗っている。
これがまあ……

たまらんっ!!

蛍烏賊の濃厚な旨味と田楽味噌が香ばしくまろやかに合わさって、さらに木の芽がいいアクセントになっている。
この絶妙なハーモニーにやられた。

「酒が進むねぇ」と社長。
「酒が進みますねぇ」と私。

日本酒があまり種類がなく、高知の「船中八策 純米」を冷やで。
こりゃ、酒とあわせると、またたまらん。

それから追加で、鯛の子の卵とじ、焼きアワビ、山菜の天ぷらを注文。

心の中で「鯛の子、鯛の子、鯛の子……」と願っていたら、社長が「鯛の子」と言ったので、飛び上がりそうだった

「私、鯛の子って思ってたんですよ~」と思わず言ってしまった。
それくらい、心の中を読まれたのかと思ったほどのタイミングだった。

アワビもおいしかったのだが、横に付け合せてあったアスパラをクリーミーなソースにつけて食べて、「菊姫 山廃純米」に合わせるのがまた旨かった。

山菜の天ぷらも、10種類くらいを1つずつ揚げてあって、すごく贅沢な感じ。
大将自ら採りに行ったものもあるとか。
野蒜なんて久しぶりに食べたなぁと思った。

どれもこれもおいしく、また大将も優しそうな人柄で、お店も活気があって明るくて、とても気に入った。
残念なのは値段がわからないので、自分では「また来よう」と思えないところ……

おいしいものをご馳走になって、幸せ気分いっぱい
ふわ~っとしていた。

社長のお話もいつも面白く、時間があっと言う間に過ぎる。
哲学や経済、スーパー業界の話などをいろいろ聞いて、また勉強になった。

「いつもごちそうになって、すみません」と言うと、
「いやいや、こっちがおいしいもの食べたいだけやから、また付き合って」と言ってくださる。

あー、私はなんて恵まれているんだと、心の底から感謝する。
そして、社長のところの仕事を一生懸命やらせてもらうのは当たり前だけど、私も自分より年下の人たちには還元していかないといけないなと思う。

私は昔から、仕事場の年下の人を食事に連れていってあげるのが好きだ。
たぶん自分じゃあまり行けないだろうなと思うお店に連れていって、ご馳走してあげる。
でも、それは、私もそうやって、年上の人たちにかわいがってもらってきたからだ。
だから、私がご馳走してあげた人たちも、また自分の後輩ができたときに、同じようにちょっとイイモノをご馳走してあげてほしいなと思っている。

この日も、社長にたくさんお世話になった分、また誰かにお返ししたいなと思った。

結構長居して、そろそろ帰ろうか……となった時、5、6人で来ていたサラリーマンの団体さんが先にお勘定していた。
団体が先に外に出て、それを取り仕切っていた社長さんみたいな人が支払いをしていた。
大将と話していたので、何気に見ると、ナニワ金融道に出てきそうな、いかにも大阪の「社長!」みたいな人だった

仕立てのいい、ちょっと濃くて太目のストライプの入ったスーツに身を包み、
少し色の入ったサングラスをかけて、セカンドバッグを持っている……みたいな

接待なのかな。
それにしても、羽振り良さそう……
不況だといっても、新地でこうやって団体の支払いする人もいるんやよね。
こういうナニワ金融道みたいなおっちゃんが、経済を潤してくれているのか。

同じ日本で、おにぎり1個で寒さに震えている人がいる人がいることを思い出し、白子やアワビを食べていた自分を少し後ろめたく思ってしまった。
こういう気持ちはかえってよくないと思うのだけど。
でも、そういう気持ちを抱いてしまうことも、また健全だとも思ったり。

日常を、日常として過ごすことの難しさが今はある。
いちいちこういう「ひっかかり」を処理しなければならないわけで。

世界があんなにも日本に同情し、人やお金やモノを贈ってくれる一方で、リビアを攻撃しているという……、わかるんだけど、わからない「事情」。
それを考えている時と、今の自分が抱いた想いが似ているな、と思った。

いろいろと複雑な気持ちを抱えつつ、しかし、楽しくおいしい時間を過ごさせてもらって、本当に嬉しかった。

また、一生懸命仕事しよ。

家に帰ると、いろんな意味で気が晴れていた。
最近、調子悪かったけど、もう大丈夫だ。
私の中のブルーな時間はまた通り過ぎた。

イライラは、もうない。
全ては小さなことだった。


昼飲みっていいな~太陽酒造試飲会へ

2011-03-24 11:13:11 | 
兵庫県の明石の辺り、山陽電鉄の江井ヶ島という場所に、小さな蔵がある。
社員3人で、年間100石(一升瓶で1万本)ほどしか醸していないという小さな蔵。
その名も太陽酒造。

この蔵で造られている「神稲(くましね)」というお酒に出会い、注目していた。
ここでは1月~3月の土日に、新酒の試飲会(有料・予約制)がある。
秋頃、あやととしくんと「行きたいね~」と話していたのが現実となり、20日(日)に参加してきた。

夫が上海出張になってしまったので、私、あや、としくん、それからとしくんの会社の方々3名の計6人。
会社の人たちは皆、兵庫県なのでちょうどよかった。

江井ヶ島駅から徒歩5分。
かなり年季の入った建物が見えてくる……
蔵はこんな感じ↓


東の灘に対して西灘といって、この辺りも以前は酒蔵がいくつかあったようだ。
今も小さい蔵は残っているのかな?

古い建物というのは、絶対「何か」が出てるよなぁ……
人々の想いみたいなものが壁や柱に染み付いていて、近寄るだけでぐっと空気が変わるのを感じる。
ちょっと畏れを抱いてしまう。
怖いのではなく、尊敬に近い。

普段はこの周りにテーブルなどを出して試飲会をやるそうなのだが、震災の直後ということもあって、自粛。
今回は、蔵の中に案内された(雨の日などもここでやるようだ)。
土壁や梁がすごい。
明治20年のものだという。(創業は江戸時代)




2月にテレビで特集されたこともあってか、結構な人数が集まっていた。
50人くらいいたのかなぁ。

1時になると社長さんが出てきて、蔵見学をさせてくれ、酒造りの説明をしてくれた。
これまでいろいろと酒蔵や日本酒資料館みたいなところで説明は聞いてきたけれど、とにかくここの社長さんは面白かった。
酒造りの説明……というよりは、この蔵の財政状況みたいな感じで(笑)

「こないして真面目に酒造ってたら儲かりませんワ」
「古い道具使ってるのは、単に新しいのを買うお金がないんですワ」
「ずっと赤字ですワ」……

それが嫌な感じじゃなく、面白い。
こういう適当さって好きだ。

それに、本当にいい米を使って、丁寧に手造りして、本物のお酒を造りたいという、その気持ちはしっかりと伝わってきた。

本当は10万本造るだけの規模はあって、昔は大手の下請けをしてきたという。
でも、阪神大震災で被害にあって、たくさんの借金を抱え、その後はこうして、規模を小さくして、「小さな蔵だからこそできる酒」を丁寧に手造りしている。

でも、返済もあるし、こんな小さな蔵では儲からないし……
いろいろ考えた末、小売に営業するのはやめて、できるだけ直接飲む人に販売するスタイルにしたらしい。
この試飲会も、いわばデモンストレーション販売みたいなもので。
来た人が買う。ブログに書く。ツイッターでつぶやく。
広告をうてない小さな企業には最も大きな宣伝効果があるだろうなと思った。

実際、私たちもほぼ全員が1、2本購入したし。

さて、試飲会の中身はというと、すっかり浮かれて写真を撮るのを忘れていたが、
1000円・2000円・3000円のコースを選べ、私たちは2000円コース。
刺身・漬物・かす汁・湯豆腐に、一人あたり新酒2合がつく。

見学の後は1時間半くらい、食べて飲んでの宴会タイム。
普通の居酒屋みたいな感じだ。

新酒は、「たれくち」と「和田美酒」の2種類だった。
ここは無濾過原酒ばかりなので、どちらも濃い。
たれくちのほうがどっしりとした米の旨味が感じられる。
和田美酒は、それに比べればやや辛口。
しかし、19度もあるので、やっぱり濃い。

お酒は淡麗辛口じゃなきゃ!という人には無理かなぁ……
確かに合わせる料理は選ぶ。
でも、濃い中にもきれいな光るものがあり、純粋に旨い酒だと思った。
それに、やっぱり皆で楽しく飲んでいるだけで、お酒はおいしい。
あっと言う間に時間が過ぎた。

そして、一人2合なので、これで足りるはずもなく……

明石へGO!

前から行きたかった魚の棚にある「たなか屋」さんへ行くことになった。
ここは酒屋さんで、その奥に立ち飲みスペースがあり、料理もお酒もとにかくおいしくて安いとのこと。

しかし、6人という大所帯だし、お店は満員だった。
まだ4時くらいやのに……

そこで、近くの店で玉子焼き(明石焼き)を食べて待つことに。
久しぶりに食べるとおいしいなぁ……

食べ終わって、再度チャレンジ!
やっぱり混み合っていたが、無理やり入り込んで、どうにかスペースを確保。
それからいろいろ料理を頼み、日本酒をまた2合くらい飲んだ。

立ち飲みはいい。
酔わない。

これで帰ればいいのだが、まだ6時くらいだったので、この酒飲み軍団が帰れるはずもなく……。
2人は帰ったのだが、残り4人でスペイン料理の店へ。

日本酒のみすぎで喉がかわいていたので、ビールを頼んだ。
他の人はワインを飲んでいたと思う。

「……いたと思う」というのは、この店での記憶が薄いのだ……
座った瞬間、眠気が襲ってきて、フラフラしてきて、最後はテーブルで寝込んでしまった。

またやったよ……この人は……

とりあえず、楽しかったことだけは覚えている。

電車に乗って、一番遠い私は一人になった。
まだ眠い。

長年のブログ読者の皆さんなら、この展開の先は読めているだろう……。
そう。
目覚めると……

……京都

しかしながら、この日は解散も早かったので(1時から8時間やし当たり前か)、まだ引き返す電車が十分にあったのが救いだった。

携帯を見ると、最後まで一緒にいたM井さんから「無事に着きますように」と私の帰宅を祈るようなメールが……

あやに「京都だよ」とメールしたら、心配してとしくんから電話がかかってきた。
「大丈夫だよ~」と返事して、引き返した。

本当に大丈夫で、既にかなりの時間を眠っていたので(店からやし……)、目も開いていた。
無事に家に辿り着いた。
この時点でまだ11時だった!!

この日の締め括りの感想としては、

「昼飲みっていいな

乗り過ごしてもまだ11時!!
そんなことに喜びを感じつつ、ふにゃふにゃと布団に入って本気の眠りについた。

進歩がない

2011-03-22 10:59:08 | 想い
この3連休は、芝刈り、花の植え替え、酒造見学、飲み会、取材、で終わった。
酒造の話は改めて詳しく書こうと思う。

夫は仕事で上海。
今日、帰国する。

私は憂鬱な気持ちで今朝目覚めた。
連休の疲れか?

いや……、なんだか最近、気持ちがブルーで。
変に淋しかったり、孤独を感じたり、人を疑ったり、イライラしたり。
人の言動が癇に障って仕方がない。
そうやって攻撃的な気持ちで終わればいいのだが、
結局、そんな気持ちになっている自分がいやになって、最後は自己嫌悪。
凹みっぱなしの毎日だ。

酒造見学の日はよかった。
聡明で思いやり深く、楽しい人たちばかりに囲まれ、久しぶりに明るい気持ちになれた。

でもまた一人になると同じこと。

たくさんのいい言葉があって、アドバイスがあって、
そういう人の想いは心を動かすきっかけにはなるけれど、
結局のところは、自分自身の心が変わらなければ、どんないい助言も力にはならない。

私自身が変わらなければ。

そして、人に対するいろんなことをあきらめてしまえれば、きっとラクになるんだろうな、と思う。

自分が人のことを好きだとか、人が自分のことを好きだとか、
そんなことはどうでもいいことで。
自分が自分を好きになれば、そんなことに惑わされることはない、と言われたけれど、
これがとても難しい。
なんで私はあんなこと言っちゃったんだろうなぁ……とか、
あの人の気持ちはどうなんだろう、とか、
なんであの人はあんなことするんだろうとか、ずっと考えてる。

あまりにも他人に惑わされすぎだろう……

進歩がない私。

そろそろここから進まないといけないな……
考えても、心配しても、過去や他人は何一つ変えることはできないのだし。

でも、未来と自分は変えられる。

この鬱々とした気持ちを早く振り払って、楽しく過ごしたい。

想像力があれば

2011-03-18 23:32:45 | 生活
本屋に行ってみたけれど、なぜか読みたい本が見つからなかった。
そういうときもある。

暗いニュースが続く毎日だからか、罪のない美しい文学を読みたいと思った。
そうすると、本屋で見つけるのは難しかった。

じゃあ、久しぶりに再読月間としようか。

何度も読み返したモンゴメリのエミリーシリーズでもいいなと思って、
自分の本棚の海外文学の列を見る。
ふと目にとまったのが、ウェブスターの「あしながおじさん」。

この作品って有名だけれど、本当に本を読んだ人ってどれくらいいるんだろうか。
美しくてユーモアがあって、とてもいい作品だと思う。
こんな憂鬱な毎日にはふさわしい。

ねえ、おじさん、私は人間が誰しもがぜひ持っていなくてはならないものは、
想像力だと思うの。
それがあれば、他人の立場に立って物を考えることができますものね。
親切な、同情心の厚い、理解力のある人になれます。
子供にはこの想像力を培ってやらなくちゃいけないわ。


何度もここを読み返した。
だから、このページの角が折られている。

もう一つ。

一番大切なのは、大きな喜びではありません。
小さな喜びから多くのものを得ることこそ大切です。
おじさん、
私は幸福の真の秘訣を発見しました。
それは現在に生きることです。
いつまでも過去を悔やむことなく、また将来を案ずることなく、
現在のこの瞬間から得られるだけのものを得るのです。
(中略)
一秒一秒を楽しむつもり。
そして、楽しんでいる間、楽しんでいるってことを意識するつもりです。


この可愛らしく、美しい、幸福な物語の中に、なんて深い人生論が語られていることか。
これがおよそ100年も前に書かれたものとは信じがたい。
いや、100年前だからこそ、生まれたものなのかもしれないけれど。

これを最後に読んだのは、20歳くらいだったと思う。
一時期、海外文学を必死に読んでいたことがあった。
ディケンズ、パールバック、トルストイ、モーパッサン、サガン、リルケ……

でも、やっぱり没頭しきれなかったな……
それは、「翻訳」だったからだと思う。
日本語が美しくなかったのだ。
だから、途中でしんどくなってしまうことがたびたびあった。

そして、もう随分長い間、海外文学に触れていない。
パールバックの「大地」は、今年ぜひ読み返してみたいと思っている作品だけれど。
もうちょっと新しくはなるけれど、中国を舞台にした作品としては、「ワイルド・スワン」も再読したい。

中国に対して嫌悪感を抱きつつ、中国を舞台にした作品に心奪われるのはなぜだろう。
「蒼穹の昴」も然り。
どこかノスタルジックな感覚すらある。

あなたの前世は、中国の古い時代の高貴な生まれの人だった。
でも、追われる立場になり、国民に迫害を受け、言葉にできないほどのひどい目にあわされ、国に恨みを残したまま死んだ……

そんなことをスピリチュアルな人に言われたことがある。

まさかね……

そういうことを信じるタイプではないけれど、ちょっとドキッとした。

話がそれたが、しばらくは再読を楽しんでみよう。

真実と嘘、そして虚構

2011-03-17 14:39:53 | 想い
昨日は公立高校入試ということで、W氏のお声かけがあり、生徒の慰労会?に参加。
久しぶりに塾へ立ち寄って、生徒の顔を見た。
今年はみんないい顔をしていたので、安心した。

5時半を過ぎてもまだ盛り上がっていて、なかなかみんな帰らない。
最近は年のせいか、中学生と戯れるのもしんどいので、自分の片づけをして、早めに退散した。

生徒の一人が、「今までありがとうございました。新聞のお仕事頑張ってください」と、丁寧に声をかけてくれて、少しほっこりした。
(新聞のお仕事じゃないけど、まあ、生徒はライター業をそう理解している)

丁寧に挨拶できること、偉いね。
ACの「ありがとウサギ」には、ほとほと嫌気もさしているが。

三度目の正直で、やっとこの春、塾から完全に去る。
不思議と淋しさはない。
もう今年は自分のクラスをもっていなかったし、2月後半から一度も行っていなかったし、ゆっくりフェードアウトしていったという感じがする。

あとは、どこかで1日、自分の教材だけ後の人が使えるように整理して、きれいに去っていこう。

毎日いいニュースが聞かれない中、今朝、自分だけにはいいニュースが舞い込んだ。
この間、立て続けにしていた取材のコピーだが、制作会社からはノーチェックでOKをもらった!
まだクライアントのチェックでどうなるかわからないけれど、
とりあえず次の仕事に繋がるようなレベルの仕事はできたと思う。

コピーを提出する前に、夫にチェックしてもらったのがよかった。
客観的に見たアドバイスをもらった。
それで書き直したこともあって、ノーチェックだったんだろうと思っている。

真実・虚構・嘘。

まだ私が駆け出しのライターだった頃、ある人に教えられたこと。

嘘を書くのはいけない。
でも、真実を書けばいいというわけでもない。
「虚構」を取り入れることが大事だと。

広告の世界なんて、特にそうで……。
夫からも
「確かにこの取材相手はこう言ったかもしれないけど、これをそのまま書くのは広告としていけない。
嘘を書くわけじゃない。ちょっと順番を変えたり、言葉を変えるだけでいい」
と言われた。

その時に、久しぶりにこの言葉が思い浮かんで、
ああ、私はまだ昔と変わらず、こんなところで悩んでるのか……と思った。

私はつい真実を書きたくなってしまう。
それもできるだけ正確な真実を。
でも、そこにはマイナス情報も入っているわけで……。
それを嘘ではなく、いかに言葉で飾り、プラスのイメージにもっていくか、
それがライターの技術。

夫の助言で、そんな基本的なところに立ち返った。

夫はもともと虚構が上手な人だ。
コピーライター向きだと思う。
「言葉で飾る」ことを知っている。

生クリームや宝石のようなフルーツで飾られたケーキ。
目で見ても楽しいし、心惹かれる。
ちょっとクリームをなめて、フルーツをつまんでみる。
とてもおいしくて、中身が楽しみになってフォークを入れる。
もちろん、中もおいしい。
でも、それ以上に、フォークを入れる前に感動を与えている。

夫はもともとそういう文章が書ける人だし、
広告の世界で生きているから、身に染み付いてもいる。

私は、飾りなんて一つもなく、スポンジそのもののおいしさだけで勝負しようと、
ストレートにそれだけをぶつけてしまう。

たしかに食べればおいしいんだけど、なんだか無骨だ。

「文章のレベルは高いと思う。だけど、広告としてはダメだ」と夫に言われたのはそういうことなんだと解釈。

自分でもいつも悩んでいた部分だから、ちょっと逆ギレしたけど(笑)、
でも、素直に訂正してよかった。
おかげでノーチェック。
こういうとき、夫が同業者でよかったと実感する。

でも、私にとって、もの書きとしての面白さは、真実を書くことにあるんだとも思う。
仕事としては成り立たないけど。
だからブログは赤裸々なのか?
わからないけど、ここで虚構を書く意味はまだ見つからない。

人に読まれるかもしれないという緊張感は必要だけど、
読んでもらうという行為自体は、私は必要としていないと思うことがある。
アウトプットして、それで終わり。それがすべて。

ただ、自分の常識をふりかざして、人の価値観を否定し、攻撃するようなものは書かないように気をつけているけれど。

もう自分の常識など、既に常識ではなくなっているのかと、驚くことが多い今日この頃。
憤りも、淋しさも、疑問も、ここに書ければ楽になるだろうけど、
他人の価値観や常識を言葉の力で変えることなんて無理な話で……。
そんな建設的じゃないことはやめたほうがいいだろうと、冷静な判断。

小さなことだと吐き捨てて、考えないことが一番だ。
そして、自分は反面教師的に行動すればいい。
私の信じる常識が、人にとってプラスになるものであるなら。

そんなことを自分に言い聞かせている時点で、もうこの日記も虚構か。
だんだん書く意味がなくなってきたな……


大好きな東北のためにできること

2011-03-14 20:54:45 | 想い
土曜日の夜9時頃、ようやく仕事が一段落した。
2月後半から20件くらい取材をして、全ての原稿を書き上げ、同時進行でメルマガ等の細かい仕事もし、企画も8案企画書に落とし込んだ。
最後の追い込みはちょっとキツかったけど、それでもまあ、充実していてよかったな。

しかし、いつもなら一段落した後、「やったー!!」って感じでビールでも飲んで解放感でいっぱいになるのだが、土曜の夜はさめざめと泣いていた。

たくさんの死者の魂と、日本中を覆う「負のオーラ」をまともに感じてしまって、とにかく元気が出ない。
テレビを見て泣いてばかりいるので、目は腫れるし、鼻のかみすぎで鼻の皮はむけるし……。

「そりゃ、胸は痛むけど、そんなに泣くほど?」
と友達に笑われる。

だめなんだ、私は。

被災者の方の言葉とかじゃなく、車や家が津波に飲み込まれていく様子を見るだけで、涙が止まらなくなる。

<物語>だ。

黒い波に飲み込まれる車1台からでも、笑い合っている家族、楽しい思い出……いろんな<物語>が一瞬にして私の中に入り込む。
そして、その瞬間に、<物語>の登場人物に感情移入してしまっている。

映像を見るたびに、たくさんの<物語>が私に襲いかかる。

それで、涙が止まらなくなる。
ティッシュがいくらあっても足りないし、もうなるべくテレビはつけないようにしている。
時々、状況確認するだけ。
それでもしんどいなぁ……

死者は1万人を超えるだろう、とのこと。
阪神大震災をあっと言う間に追い越してしまう。

私の大好きな東北。
大学時代から何度も何度も旅をした場所。
あの美しい土地があんな瓦礫の山に埋もれているのを見ても、また涙が出る。

仙台は3回行ったな、と思う。
岩手は2回。
青森は5、6回。
福島は2回。

日本中、旅をしたけど、やっぱり東北が大好き。

今年も久しぶりに青森に行きたいなと思っていた。

明日からぐっと寒くなるという。雪も降るかも。
気の毒で仕方がない。

岩手出身の知り合いは、今日、ご両親の無事が確認できた、とメールをくれた。
よかった……
本当によかった。

でも、生まれ育った土地が、あんなふうになってしまったのを見て、どんなに辛いだろうかと思う。
そして、またその想像だけで、彼女の<物語>が見えてきて、泣いてしまう。

この無駄な想像力をどうにかしたい。

明日、確定申告の受付最終日だというのに、まだ手付かず。
夕方家に帰って、テレビをつけたのが悪かった。
また負のオーラにやられてしまっている……

とりあえず、泣いていても一人も助からないし、他には何もできないので、義援金だけさっき送った。

私はネットバンクを使っているので、こういうとき、とても便利。
いつも震災などが起きると義援金を送るのだけど、自分の中のルールがある。
それは、残金を見て、千円台からの端数を送るということ。
例えば、258,691円残金があるとしたら、8,691円を送る。
いくら送ったらいいかわからないので、そういうルールを自分に作ってずっとやっている。

前みたいに、残金が7000えんしかなかったらびびるなぁ……と思いつつ(※このエピソード、覚えていますか?)3ヶ月ぶりに残高確認してみたら、よかった、万の位まであった。

本当に、私はお金に無頓着……。

結局、端数は6,179円だったので、少ないけど、とりあえずそれを送金。

今回は本当に被害が大きいので、あと2回くらい送ろうと思っている。
ただ……、今、私はスリムクラブ状態(?)で、仕事はめちゃくちゃしてるのに、お金が全然振り込まれないので、本当に財政が厳しい……。
なので、3月末、4月末にいろいろ振り込まれてから、また送金するつもりだ。

そのために、今月は飲みに行く回数を減らして、お酒を買うのも少し減らそうと思っている。
そして、また仕事を増やして頑張る!!
頑張って働いて、ちょっとでもたくさんお金を送ってあげられたらいいなと思っている。
生活もローンもあるから、全部は無理だけど……。

他に何もできないもんなぁ……
祈るくらいか?

とにかく、義援金。それしかやれることは今のところない。
1回飲むのガマンして、1着洋服ガマンして、みんなが少しでも送ってあげるといいね。

ほんの少しの、タイミング。

2011-03-12 12:34:48 | 生活
昔から、瞬間的な集中力というか、没頭力(?)というか、そういうのがものすごくて、
何か1つのことに意識を奪われていると、他の感覚がすべて麻痺してしまうという、ちょっと病気みたいなところがあった。

子供の頃から、例えば本など読んでいて、親が普通に部屋に入って来たら、
それこそ文字通り、飛び上がって驚いたものだ。

「そんなびっくりしなくても……」
と相手のほうがびっくりしてしまうという驚きよう。

意識が完全に外界と分離されている感じなのだ。

ちょっと前もこんなことがあった。
塾で生徒に電話して「数学の問題集を持ってきて」と伝えていた最中。
生徒はお風呂だったので、お母さんに話をしていた。
親御さんなので失礼がないように、丁寧にと、全意識を集中させていると、また他の感覚はすべて遮断される。

電話を切ったら、他の講師が訝しげな顔をして私を見ている。
「え?どうしたの?」と聞いたら、みんな声を揃えて、
「聴こえなかったんですか?」と言う。
「何が?」

そういえば何かしゃべっていたか?
いや、何の記憶もない。
言語ではなくノイズのようなものは耳に届いていたかもしれないが、それは何の意味ももたない。

話を聞けば、どうやら電話をしている私にみんなが「白プリントも持ってきてって伝えたらどうですか?」と何度も声をかけていたらしい。
それも、1メートルも離れていないようなすぐ隣で。

私もびっくりしたが、周りの人もびっくりしていた。
若干、引いていた。
そんな聴こえないことがあるのかと。

でも、あるんだ。
昔からそうだ。

ドライヤーかけながら考え事していて、そっちに意識が入り込んでいるときに、
夫が後ろに立ったりしたら、それだけで腰を抜かすほどびっくりする。

仕事中、電話が鳴ったりしても、さすがにその音は耳に入るが、また飛び上がる。
そして、言いようのないイラつきを覚える。
例えて言えば、ぐっすり眠っている最中に無理やり起こされたときのような感じ。
「あっちの世界」に意識は完全に行っていたのに、無理やり「こっちの世界」に引き戻されたような。

文章を書いている時は特にそうだ。
ちょっとした物音でも反応して、集中できない。
だから、オフィスで人と一緒に仕事をするなんて、私には考えられない。
以前は事務所で3、4人と一緒に仕事をしていたこともあったが、やっぱり集中できなかったな。
集中できないので、逆にすぐ人に話しかけて、嫌がられたものだ。

図書館で勉強とかも無理だし、
2回くらい、漫画喫茶みたいなところで漫画を読むということにもチャレンジしてみたが、これも無理だった。
まず人がいるというだけで、自分の世界を作り出して入り込むということが難しいのだ。
でも、一度入り込むと、完全に外界と遮断できるほど深いところまで意識が到達する。

この集中力はおそらく人より深い。
自分でもなぜこんなふうになるのかわからない。

結局何が言いたいかというと、昨日、地震が起きた。
大阪でも震度3だったらしく、かなり揺れたとか。

普通に座って仕事をしていたが、全く、微塵も、揺れを感じなかったのは、
私の意識が完全に向こうに行っていたからじゃないかと。
それが言いたかっただけなのだが……。

・・・・・・・

塾講師に岩手県出身の人がいて、昨日すぐにメールしたけれど、
今日になってご両親と連絡がつかないとのこと……。
単身、大阪に出てきているから知り合いも少なく、不安だろう。
何か力になってあげられたらいいのだけれど。

栃木のもんちゃんは、停電の中、一晩過ごしたけれど、無事だった。
横浜の友達も大丈夫だった。

でも、大変な被害が起きている。
テレビの前でゴハンを食べている日常が奇跡にすら思えてくる。

夫が先月まで東京にいたが、その時泊まっていた九段会館の天井が落ち、死者が出ているのを見たときはぞっとした。

夫のバンド仲間も仙台に勤めていて、たまたま退職して関西に帰って来たところ。

ほんの少しの、タイミング。

これが、生かされている、ということか。

崩壊し、水没した街と、どんどん増えていく死者のテロップを見ながら、
改めて阪神大震災の被害の大きさも実感する。
6000人やもんなぁ……

まだ余震も津波も心配。
今回は範囲も広くて、もう日本列島ごとやられそうで、ひと事でもない。

とにかく被害が少しでも広がらないように、無事でありますようにと祈るのみ。

すぐそばでは死ぬか生きるかの状況なのに、
こちらは仕事に追われてパソコン前から動けないということの、
何か本質的な不条理を感じつつ……
それでも、生かされているものは、今日の労働をこなさなければならないわけで。

なんだかなぁと思いながら、やりきれない気持ちで、曇ってるのか晴れてるのかどっちつかずの空を見る。
スピーカーからは、Georgia On My Mind……

最後に、亡くなられた方のご冥福を心からお祈り致します。

今の自分を支えてくれているのは……

2011-03-09 14:34:24 | 仕事
昨日でとりあえず取材はすべて終了。
原稿の追い込みに入った。
今ちょっと休憩

昔は36時間とか連続でパソコンの前にいたこともあったが、
もうそんな気力も体力もない。
しかし、以前は「8時間労働」なんて言葉がとても遠く、
既に15時間くらい働いているのに、「あと8時間しかない!」と焦るようなこともしばしばあった。

今はそういうの、イヤなんだ。
人間らしい生活をちゃんとしたい。

でも、20代はあれくらい働いてもよかったかな……と思っている。

今の自分を支えてくれているのは、やっぱり「過去のがんばった自分」だから。

何でも要領よくこなす、優れた人間と自分は違う。
人一倍頑張って、ようやく人並み。
いろんな劣等感は、一生懸命やることで、折り合いをつけてきた。

仕事をしているといろんなことがあるし、いろんな人がいる。
でも、文句、愚痴、陰口……
私はあんまり好きじゃない。
キレイごと言ってるわけじゃなく、そこからは何も生まれないし、建設的じゃないから。

どうしたら楽しく仕事ができるのか?ということをいつも考えている。

ただ、情にほだされるのが私の悪いところ……。
それがわかっているので、さっき、企画の仕事は辞める決意をしてメールした。
頼りにされても、相手が困っていても、どうしても仕事を楽しめない。
こういう「情」と「自分の意志」との天秤が一番苦手なんだけど、今回は踏み切った。

気持ちはかなり重い。
でも、踏み切れたのは、たまたま今回新しい仕事を任されたということがある。
別にそれはレギュラーというわけではないし、時間的に無理とか、そういうことではない。
ただ、新しい出会いがあって、レベルの高い人たちと仕事をさせてもらって、
やっぱりちゃんとライティング1本でがんばりたいと思ったから。

勉強すべきことはいっぱいある。
昨年、時間がたっぷりあった時に酒ばっかり飲んで、お笑いばっかり見て、サボっていたことが悔やまれる。
もっともっと、できることがあったのに。

これから10年後、過去を振り返ったとき、
今と同じように「過去のがんばった自分」に支えてもらうことができるよう、
「今」をがんばって生きておかなければ、と思う。

とりあえず、追い込みだ~

仕事が一段落したらやりたいこと。
(忙しい時にこれを考えている時間が一番幸せだと思う)

・庭仕事(花壇の土を入れ替えて、花でいっぱいにする)
・Facebookを使いこなす(登録だけしているけど、ほとんど使ってない)
・部屋の大掃除(こればっか……)

Facebookはシンガポールにいる姪っ子に言われて始めた。
(『ソーシャル・ネットワーク』も観に行った)
今回、仕事で出会った人たちはみんなFacebookやっていて……、私もちゃんと使ってみようと思った。
ほとんど使いもせずにほったらかしだったので……。

車での移動中、デザイナーのOさんが「検索しますね」と言って、その場で私の名前を検索して友達申請してくれた。
(ちなみにFacebookは旧姓でなく本名でやっている。Facebook使いこなしている身近な方、よかったら私を探してください)

しばらく触ってもいなかったのだが、
Oさんが「あった、これですか?」と私を探し出して、画面を見せた。
「あ、そうです。帰って登録しときますね」と言うと、私のプロフィールなどを見ていたOさんが言った。

「アメトーク、好きなんですか?」

「えっ

「ここに書いてますよ。僕も好きですけど

は……、恥ずかしい~~~!!

顔がかぁぁぁぁっとなった。
そんなこと登録してたっけ?

知り合ったばかりの仕事先の人に、「アメトーク好きなんですね」って言われることの恥ずかしさを知った……

それにみんなスマートフォンも持っていて、古い汚い携帯の自分がまた恥ずかしかった。
今週末、夫についてきてもらって買いに行こうかな……
(もちろん夫は随分前から会社でスマートフォンを持たされている)

どうも歳をとると、最新機器に疎くなって、あかんなぁ……
昔は周りの誰よりも先に、パソコンも携帯もデジカメも使っていたのに。

さらに、電車に乗るときに切符を買っていたら、
「ICOCAとか持ってないんですか?」と、これまたびっくりしたように言われた。

あー、なんか時代遅れの人みたいになってる……

やはりクリエイティブな仕事をする人間は、流行とか最新のものに敏感じゃないとダメだなぁと思った。
それが仕事とは直接関係なくても。
こういうのも勉強の1つなのかもしれない。
苦手やなぁ
でも、がんばる。


温泉目指してがんばるのだ

2011-03-07 10:45:56 | 仕事
この土日はずっと朝から夕方まで取材だった。
一般のご自宅を訪問しての取材で、新築の家ばかりだったから、とても楽しかった。
それぞれがこだわりの家で、すごく素敵で。

それに、ご家族が幸せそうだったから、心和んだ。

あたたかい灯りのともる新しい家と、仲の良い家族。
幸せ風景がそこにあった。

一緒にまわったディレクターさん、デザイナーさん、カメラマンさんなども、皆がとてもいい方ばかりだったのもよかった。
出来る人たちと一緒に仕事をすると、やりやすい。

東京の2日間と合わせて、これでほぼ取材は終了。
明日1件入っているが、とりあえず。

いつも思うけど、取材して終わり!なわけじゃなく、ライターの仕事はここからが本番といってもいいわけで。

今日から11日までの5日間で、山のようにたまった原稿を書いていかなければならない
同時進行で企画の仕事も……。

もうこの企画の仕事は今月で辞めさせてもらおうかなと思っている。
あまりにも割が悪く、そして、私の手に負えない。
しかし、頭下げられて頼まれると、どうしても「辞めたい」と言い出せなくて……
これが私の悪いところだ。

2月後半からかなり計画的に進めてきたつもりなのに、既に遅れが出てきている。
なんとか11日までにすべてを終わらせたい。

しかしながら、タイミングが悪く、いつもあんなに忙しい夫が、
「今週と来週はちょうど仕事の谷間で有休もとれるよ
なんて言う。

私がヒマな時には忙しく、私が忙しいと時間が空くって……

ふらふらで帰って来ても、滅多に家でごはんを食べられない夫がいれば、
おいしいもの食べさせてあげたいと思うし……。

タイミング悪いなぁ……

さっきも「有休とれるから、来週温泉でも行かへん?」と魅力的な提案をしてくれた。
嬉しいが、当分はパソコンの前から動けるはずもなく……

なんとか来週末くらいに時間がとれればいいんだけどね……
温泉目指してがんばる!!


東京帰りの新幹線で……

2011-03-04 14:08:32 | 仕事
2、3日と東京出張だった。
社長と一緒にまわって、7人取材した。
うち4記事が私の担当。

1年以上経って、ようやくこの業界のこともわかってきた。
店舗取材くらいなら、まともな質問ができるようになったと思う。
最初は言葉の意味もよくわからないことが多かったが……。

もちろんまだ足りないこともあるけど、とりあえず形になるくらいの取材はできるようになった。
社長も横で聞いてるだけで、全部私に任せてくれたし……。
なんとかいい形で、仕事を通して、恩返しができればいいなと、いつも思っている。

また、今回は物流センターにも行かせてもらい、商品が店舗に届くまでの流れも理解できた。
社会見学みたいで楽しかった。(寒かったけど)
いろんないい経験をさせてもらえている。

夜は、取引先の方においしいスペイン料理とワインをごちそうになった。
ちょっと飲みすぎて、翌朝、社長と二人で反省した。

「昨日、ちょっと飲みすぎましたよね?」
「うん、1本にしとけばよかったなぁ……」
「ですよね……」

みたいな

調子にのって2本も開けてしまったのだ。
私も疲れていたので酔いがまわって、ホテルに戻ってからぐったりしていた
翌朝は大丈夫だったけど。

まあ、結構ぎっしりのスケジュールで大変だったが、なんとか終えて新幹線に乗った。
19時台の便で、チケットもとっていなかったから、B席という一番嫌な席になった。
(あの3人並びの真ん中ね……)

通路側はスーツ姿の20代の男の子。
仕事か研修か、シュウカツか……

その男の子がビールを飲んでいたので、ホッとして私もビールを開けた。
みんな、隣の人が飲んでいなくても飲めるのかなぁ?
私は絶対無理だ。
ニオイとか苦手な人もいるやろし、申し訳なくなる。

だから、まずはお隣さんのビールの有無を確かめ、よかった~!と思って取り出して飲んで、あとは本を読んでいた。

さて、京都に到着。
降りるために、通路側のその男の子に「すみません」と謝って通してもらおうとした。
男の子はちょっと足を曲げる感じにして、通路をあけてくれた。

その時……

あっ!!

よろけて、男の子の膝の上に座ってしまった!

ひぃぃぃ~

「ごめんなさい!!」
慌てて謝って立ち上がった。
男の子は苦笑していたが、怒った感じではなかったのでホッとした。

ああー、恥ずかしい……

でも、変なおっちゃんとかじゃなくてよかった……うん。
(向こうは、もっと若い女の子だったら……と思っていただろうけど)

そんなハプニングもあり、結構疲れて家に到着。
しかし、今度は夫が入れ違いで東京へ出張に行ってしまっていた……

すれ違い夫婦……

銀の匙

2011-03-03 01:27:28 | Weblog
テレビを見ていたら、進学校で有名な灘高の伝説みたいになっている国語の教師(98歳)のことが出てきた。
その先生は、国語の授業に普通の教科書は使わず、中勘助の『銀の匙』のみを使っていたという。

その選択がすごいなぁと思った。

私の部屋の書棚の一番手前、目立つところに置いてある、自分の『銀の匙』を久しぶりに手に取ってみる。
1935年初版だというこの作品。
パラパラとめくる。
一番後ろのページに「150」と鉛筆で記されていた。
なんだか愛しい気持ちになる。

私の近代文学の本はほとんどこういう数が書かれてある。
古本屋で買ったからだ。

お金のない学生時代、とにかく本が読みたくて、古本屋に通っては買いあさった。
この頃に、文学史に載っているくらいの日本の近代文学はほとんど読み尽くした。

『銀の匙』は正直に言って、その頃全く興味はなかったのだが、
文学マニアみたいな人ばかり集まった変な大学だったものだから、
その中の一人が話の中で「最近、中勘助を読んでる」なんて言うと、気になって仕方が無くなり、速攻で買いに行ったという思い出がある。

文学を語れないなんて、恥みたいなところがあった。
(本当に明治時代のままみたいな大学だった)
清少納言が歌で上手い返しをしたのを自慢げに書いてるみたいに、普段の会話で昔の文学を引用したりも日常茶飯事だった。

1泊研修でも、夜通し酒を酌み交わしながら話す男の話は、太宰や芥川(苦笑)

キライじゃないけど、健全な大学生としてこんな状況にどこか違和感を感じていた私は
、ま~、当然のごとく孤立していった。

休講になると、友達とつるむわけでもなく、一人、奈良町へでかけ、猿沢の池で亀と五重塔を見ながら本を読んで過ごした。

おかしな大学時代だった。
文学部にも関わらず4回生は理系のごとく、地獄の研究室だったし。

全授業に出席しても出席はとってくれない。
テストで落とす。
決して過去と同じ問題はない。
だから、私立大学の友達が過去問を先輩からコピーさせてもらったというのを聞いて衝撃を受けた。
そんなことがあるのかと。

図書館と研究室の往復の日々。
たった8単位の卒論のために1年間かけた。
法華経と古文書と向き合う毎日。
(鎌倉時代の仏教説話を研究していたので)

1学年26人しかいなかった国文学科では、この8単位を落として卒業できなかった人もいた。
(26人は私の大学ではかなり多いほう。哲学科は2人だった)

今思っても、おかしな大学だったなと思う。
一応、高校受験も大学受験もクリアしてきた私なのに、大学生になってから、母がこう言った。
「かおりちゃんは、今が一番勉強してるわね」

それくらい卒業するのが大変だった。
(まあ私がたまたま身の丈に合わないような大学に受かってしまったからだけど)

卒業以来、周りで誰も『銀の匙』の話をしたことがない。
テレビでも聞いたこともない。

だから、久しぶりにそのタイトルを聞いて、一瞬で猿沢の池の亀のところまで気持ちが戻った。

ふと、お世話になったゼミの先生の言葉を思い出した。

国文学なんて、社会に何の役に立つのかって思いますよね。
でも、こうして資料を紐解いていくこの作業は、必ず社会でいろんな仕事をした時に役立ちますから。

うん、たしかに。
役立ってるなぁ……

とりあえず、『銀の匙』を久しぶりに読み返してみようか。

初顔合わせ

2011-03-01 19:05:40 | 仕事
今日は、新しい仕事の打合せだった。

身近な人は知っていると思うが、私の夫は某メーカーのサイトやカタログを作っている。
なんと、そこと同じメーカーの、別分野のサイト&カタログの仕事が来たのだ。

少し前に書いていた、以前仕事をしたデザイン事務所からの紹介。
(なので、夫とは全く関係が無い)

広告代理店さんのオフィスにて、代理店さんから2人、デザイナーさん、システム関係の方、そして私の5人が集まった。
私は全員と初顔合わせ。

こういうのって、楽しいよなぁ
新しい人に出会うときって、いつもワクワクする。

実際に会ってみると、広告代理店の方がすご~~~く温和な笑顔の優しい方で、嬉しくなってしまった
男の人が優しいと嬉しくなるのは歳のせいか?!

とりあえず、一緒に仕事をすることになったメンバーが皆いい人たちでよかった。
仕事内容も、すごく面白そうで……
ここに書きたいけど、個人情報の管理が厳しい内容なので書けないのが残念。

明日から東京での取材があり、帰って来たら、週末にこの取材が8件。
どちらも原稿アップまでかなりタイトなスケジュールだが、なんとかなるだろう。
それより困っているのは、企画の仕事のほうで……
今日も1案ボツというか、保留になったので、もう1案出さないといけない

あと、塾のことも気になっている。
全部仕事を終わらせたら、入試前の4日間だけでも自習の子をみるとかお手伝いしたい。
本当に最後だもんな……
関わったのは少しだけど……、でも、みんな受かってほしいし、達成感を味わってほしい。

明日は公立前期の合格発表。
みんな受かってるといいけど……

私も自分の仕事を頑張る
あと、3月は毎日ブログ更新する。(つもり)