明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

三浦しをんの『舟を編む』に感動した。

2011-12-16 22:05:01 | 
今年は読書量が激減した年だった。
さらに、有吉佐和子や川端康成やらを再読していることも多く、新刊といえば、シリーズで読んでいるものを買うくらいがほとんどで。
(「みをつくし料理帖」シリーズなど)

だけど、今年最後の最後に、こんな素晴らしい本に出会えたことに感謝!

三浦しをん『舟を編む』


彼女の作品はそれほどたくさん読んでいるわけではない。

『私が語りはじめた彼は』
『むかしのはなし』
『まほろ駅前多田便利軒』
『風が強く吹いている』
『光』
『まほろ駅前番外地』

くらいだろうか。
好きになったのは、『まほろ・・・』を読んでから。
これを読んだ年も、たぶんこの本がその年のベストだったんじゃないだろうか。
そして、こんな年の暮れも迫った今になって、今年の私のベストはまた彼女の『舟を編む』になった。

久しぶりに、いい本を読んだ、と思った。
ハラハラと手に汗握ったり、ドキドキワクワクと続きがやめられなくなるようなストーリーではない。
もう少し淡々と、静かに、でもとても情熱的な想いを秘めて物語は進んでいく。

(ここからはネタバレも少しあるので、それが嫌な人はここでストップして先は読まないでね!)

大まかに言えば、『辞書』を作る編集部の話だ。
どうやって辞書というものが作られるのか、それがよくわかる。

物語の構成は、大きくは前半後半の2つに分かれる。
前半は、27歳の馬締くんが辞書編集部に抜擢され、『大渡海』という国語辞書を編纂する仕事を通して、
少しずつ自分を変えていきながら、恋もする。そんな話。
ほのぼのとして、ちょっぴり漫画チックなところもあり、まあ、なんということはない。
前半の終わり頃、別の編集社員の視点に物語が移った頃から、少しずつのめり込んでいく自分を感じる。
なんだろう・・・?
高校時代、ひたすら無意味なほどに部活を頑張っていたこととか、
みんなでひとつのものを作り上げた文化祭とか、
そういう感覚をふと思い出した。

後半(というのも、私が勝手に分けたのだが)は、編集部に異動してきた新しい社員の視点で始まる。
馬締くんももちろん登場する。
新入社員は初めて馬締を見たときにこう思う。
「この主任と呼ばれている人は、40歳くらい?」

そこで、読者は気づく。
ああ、もうあれから13年以上の年月が流れたのか、と。

その瞬間から、何かわけのわからない熱いものが自分の中からこみ上げてくるのを感じた。

だって、13年以上たつのに、まだ『大渡海』は完成していないのだから。

私をはじめ、言葉が好きで好きでたまらず、それを生業にしようなんていう人間は、ほとんどがそうだと思うのだが、
辞書が好きだ。
わりとすぐに辞書をひく。(今はネットで調べることも多いが)
だから、普通に思っていた。
「辞書ってどうやって作るんだろう?」
「どんな人が作ってるんだろう?」と。
この世で最も尊敬するに値するような人物だとも思っていた。
言葉を、言葉で説明するなんて。
言葉を操る人間にとったら、これこそ究極だ。

そういう人たちが、物語の中のこととは言え、13年以上経ってもまだ1冊の辞書を作り続けている。
心が震えないわけがない。

1つ1つの言葉を大事にし、いつも用例採集をしていた松本先生。
その松本先生をずっと支え続けてきた編集者、荒木。
そして、辞書作りの面白さを知り、没頭し続けてきた馬締。
その他、幾人かの協力者たち。
こんなにも熱く何かに没頭できる人たちがいるのかと、それを見ているだけでたまらなくて、後半はずっと涙が止まらなかった。
(たぶん普通は泣かない。私が感情移入しすぎ)

もったいなくて、少しずつ読んだ。
ただストーリーを追うのではなく、大切に見ていきたかった。ひたむきに生きる人たちを。

こんなにも物語は淡々と静かなのに、なぜこんなにも自分の心は熱くなるのかと、不思議なくらいだった。

いわゆるハッピーエンドで得られるような読後感とは違うけれど、
とても清々しく、希望をもてるようなラストだった。
単純に、いい本に出会えた!感謝!と思った。

ドラマティックな展開も、メッセージ性も、殺人も、激しい恋愛も、人を感動させるための必須条件ではない。
ただ、そこに、ひたむきに生きる人たちを描けばいい。
それは不器用で、葛藤を抱えていて、でも熱くて、前を向いている人たち。
その生き様を見れば、人は感動するんだ。
・・・そんなことを感じさせてくれた本だった。

言葉の海は本当に果てしない。
だから、その向こうを見たくて、私も言葉を紡ぎ続けるのかもしれない。

村山由佳『放蕩記』を読んだ

2011-11-29 23:45:11 | 
本でも漫画でも、とにかく読み出したら一気に終わりまで見ないと気がすまない性質で。
それで、忙しいときに本を読むのが嫌なのだ。
電車の中でだけ・・・と思っても、帰って続きを読んでしまう。
よほど面白くないものは別として。

再読フェアを続けていたが、久しぶりに新刊を買った。
村山由佳の『放蕩記』



半自叙伝ということで、かなり興味深く読んだ。
『ダブルファンタジー』の謎が解けるような気がしたし。

ダブル・・・も彼女の作品だが、これまでになく性描写が露骨であることで騒がれた。
しかし、作品としての評価も高かった。
この作品でいろいろな文学賞をとっている。

ただ、なぜあの作品を、今、発表しなければならなかったのか?
それが不思議だった。

でも、その謎はやはり今回の『放蕩記』によって明かされた。
そういう意味で、読んでよかったと思う。

またこれもダブル・・・くらい分厚い(3センチ以上!)本だったけれど、
結局やめられずに、ほとんど一気に読んでしまった。
おかげで仕事が押して押して(笑)
今日から3日間、原稿の追い込みだというのに、初日でつまずいた。
仕方なく、今晩は夜を徹して追い上げるつもりだが。

作品の内容とはあまり関係ないが、こんな印象深い文章があった。

どんな場面であれ、相手が誰であれ、
その場の空気を波立たせたり人の感情をささくれ立たせたりすることが、
昔から夏帆には苦痛で苦痛で仕方なかった。
自分が主張することでその苦痛を味わうくらいなら、
多少の不都合など黙って呑みこんだほうがどれだけましかと思う。


「夏帆」というのは、主人公の名前。
母親の異常な躾がかなり性格に影響している。

「異常な躾」がある・ないに関わらず、長女や長男というのは上記のような考え方をもった人が多いように思う。
この文章を読んでいて、何人かの顔がぱっと思い浮かんだ。

自分はというと、全く逆で。
最近になってようやく自分の主張をやめても、相手との穏やかな時間を過ごそうと思えるようになったくらいだ。
それもどうかと思うが、
この文章を読んで、改めて、世の中にはこういう考え方が身についてしまっている人もいるんだなぁと、
なぜかしみじみ思ってしまったのだ。

他にもいろいろとこの作品については語りたいこともあるけれど、
とりあえず、作者に関する謎が解けたことで満足だ。
読んでいる間、ずっとこの物語の母親(おそらく実際の作者の母親がモデル)にイライラし続けたが。

彼女は、一体どんな想いでこれを書いたんだろうなぁ・・・
ずっとそう考えてながら、せつない気持ちもまじえながら、これを読んだ。



昭和の文学がたまらない!

2011-09-07 15:04:36 | 
このところ、ライターらしく真面目にパソコンに向かい続けている。

8月末に2度東京へ行き、怒涛の出張取材を終え、先週はひたすら原稿を書いていた。
今週はヒマかと思えば、細かい仕事がちょこちょこ入るものだから、とにかく午後はずっとパソコンの前。
しかし、仕事があることはそれだけで幸せである

パソコンの前に長時間いると、休憩中についやってしまうのがネットサーフィン。
(ネットサーフィンって、もしかして死語?)
何を見ているのかといえば、ひたすらおいしそうな店や料理のレシピを見ている。

全く飽きない。

美容院でも、ファッション雑誌を渡されるとパラパラ見て2、3分で終わるのに、
ミーツとかオレンジページとかを渡されるとずーっと見ている。
おいしそうなレシピなどは暗記しようと何分間も眺めている。

いよいよ美容師さんが「あの・・・雑誌替えなくていいですか?」と聞きに来る始末・・・

そういえば、最近おいしいもの食べに行ってないなぁ。
今は無性に立ち呑みに行きたい(笑)
濃い目のアテをちまちまと食べつつ、立って日本酒呑みたい。

もしくは、ブルースの流れるバーで、バーボン呑みたい。

ちなみに今は、B.Bキングの「Live at the regal」聴きながら、東洋美人のひやおろしを呑んでいる。
開栓4日目。
めちゃくちゃ味がのってきて、たまらん

たまらんといえば、ちょっと前に書いていたけど、川端康成の『古都』を久しぶりに読み返した。
間に『みをつくし料理帖』の最新刊を挟んでしまったので、読み終えたのは東京から帰る新幹線の中だった。

それから今、自分の中で川端ブーム再来!

やっぱり素晴らしい。
新幹線の中で、何度も何度もじわじわと浮かんでくる涙を抑えた。

ストーリーが悲しいとか感動的だとかいう理由で泣くことはよくあるが、
文章の美しさにしみじみと感動して涙が出てしまうなんてこと、川端作品以外にはないかもしれない。

古都・・・京都を舞台にした、二人の女性の物語。
日本人の情緒、京都の雅やかな文化、美しい四季の風景・・・

たぶん、自分がこの住み慣れた町や自然を想い、愛しいと思うときの気持ちに近い。

あとがきでわかったことだが、この『古都』を書き終えた後、川端氏は入院している。
書いている前から、書いている間もずっと睡眠薬を多用していたようだ。

『古都』執筆期間のいろんなことの記憶は多く失われていて、不気味なほとであった。
(中略)
眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。
眠り薬が書かせたようなものであったろうか。


そんなこともあとがきで書いている。

後で校正をする際、行文のみだれ、調子の狂いを自分自身で感じたようだが、
「かえってこの作品の特色となっていると思えるものはそのまま残した」らしい。

そういう、何か精神が夢うつつの間をさまよっていた間に書いたからなのか、
妖しいほどの美しさがこの作品には秘められている。

脆くて、尊くて、愛おしくて。

そんなふうに思うのは私だけではないようで、いろんな人のレビューを読んでみると、
この作品の価値の高さがよくわかる。
私のような川端好きは、『古都』に対しての評価が非常に高いようだ。
これこそが、川端文学なのだ、と。

この作品が朝日新聞に連載されたのは、昭和36年。
それを知って、なんだか不思議な気持ちになるのは私だけか?
たった50年前の話なのに、今の日本にはこんな情緒はまったくない。
わずか50年で違う国のようになってしまった。
もちろん、良くなった面も多々あるのだろうが・・・

次は『山の音』を再読しようか、『千羽鶴』にしようか、『川のある下町の話』にしようかと、
しばらくは川端再読フェアが続く様子。

やっぱり自分はこの頃の文学から遠く離れることはできないと、痛切に感じる。

最近読んだ本~『第二音楽室』『聖夜』佐藤多佳子

2011-01-16 00:11:37 | 
今年から、読んだ本の感想をきちんと記録していこうと思う。
(私は結構ネタバレするので、それがいやな人は読まないでくださいね)

2011年最初のレビューは、佐藤多佳子の『第二音楽室』『聖夜』。





正確に言えば『第二音楽室』は昨年末に読み終えていたのだけど、
『聖夜』とあわせてのシリーズだというので、両方読んでから感想を書こうと思っていた。

『第二音楽室』は、「第二音楽室」「デュエット」「FOUR」「裸樹」という4つの短編から成る。
本のタイトルからもわかるように、共通しているモチーフは「音楽」。
小学生、中学生、高校生という10代の女の子たちが語るストーリー。

正直、最初の3編は読んでいても感情移入できずに困った。
アラフォーの自分と10代の少女の心はあまりにも遠くて。

それから、佐藤多佳子がよく言われるところの、「取材をして書く小説家」の部分がすごく出ていて、もしかしたら彼女自身も音楽には詳しいのかもしれないけれど、
私には理解できないような専門的な音楽の話がたくさん出てくるのもまいった。

ほとんど読んで失敗のない作家だけれど、今回だけは「失敗かな」と思っていたら、
最後の中編といってもいいくらい長めの「裸樹」でぐっときた。

これはよかった。

中学時代、いじめにあって登校拒否し、誰も知ってる人がいない私立の高校に進んだ主人公の女の子。
ここではやり直そうとして、「お笑い」のキャラを作り、周りの友達の顔色を伺い、なんとかやり過ごしている毎日。

そんな彼女には、忘れられない出来事と忘れられない歌があった。
それが、「らじゅ」という女性ミュージシャンの曲、「裸樹」。
家で引きこもっている間に何度も聞き、ギターも練習した。

高校では軽音楽部に入り、バンドを組む。
だけど、そこでも自己主張するのが怖い。

だんだんちぐはぐになっていく、バンドメンバー。
そして・・・、破局。

と同時に、「裸樹」を教えてくれた女性との再会。
改めて知る音楽の楽しさ。

揺れ動く彼女の心がもどかしくてたまらなかった。

佐藤多佳子の文章は、きれいでピュアだなぁといつも思う。
とてつもなくシンプルで、そのシンプルさが美しい。
そして、いつものように、希望に満ちたラスト。
最高にいい読後感。
読んでよかったなぁと思った。

そして、今年になって、『聖夜』を読んだ。
内容とは全く関係ないけど、この表紙がどこか懐かしい気がすると思ったら、うちの大学の記念館に似ているんだと気づいた。

内容はといえば、こちらは1冊丸々の長編。
でも、モチーフは変わらず「音楽」。もっと「音楽」。

牧師の家に生まれ、キリスト教の高校に通い、オルガン部に所属する主人公。
今度は男の子だ。

彼の中には鬱屈したものがある。
それは彼の過去に関係している。
子供の頃、母親が愛人を作って出て行ってしまったのだ。

母が弾いていたオルガン。
一度はやめたけれど、彼はやっぱり弾き続ける。

モヤモヤを抱えたままで、いろんなものを斜めに見ながら過ごす高校生活。
ある日、オルガン部でコンサートを開くことになり、
難しい楽曲に挑戦することになる。

練習する日々。
そして、やって来るコンサート当日。

でも、彼は弾かなかった。
その代わりに、新たな友達と、知らなかった世界を知る。
そして、父親との対峙。祖母の本音。淡い恋愛。
いろいろなことがあり、確かに彼は変わっていく。
それが読んでいてよくわかる。

とてもいい物語だった。

それから、すごいなぁと思ったこと。
それは、文章での音楽表現。

手塚治虫がベートーベンの話を描いた漫画があって、
絵で音楽が聞こえてくる感じがすごくて、天才とはこういうことかと思ったけれど、
文章で音楽の「感動」が伝わるっていうのもすごいなぁと思った。
もちろん、音が聴こえるわけじゃない。
でも、その音が聴こえたときの「感動」がダイレクトに伝わってくるのだ。

泣けるとか、手に汗握るとかじゃないけれど、
佐藤多佳子の物語はいつも「読んでよかった」と思わせてくれるのがいい。

なんでもない幸せに気づいたときのような、そんなほんわかした気持ちになる。
心がピュアになったような、そんな心地良さ。


最近読んだ本

2010-12-11 13:40:21 | 
今日は、最近読んだ本のお話。

『八朔の雪 ~みをつくし料理帖』 高田郁


私の父が、「読め」と言って持ってきた本。
自分が読んで面白かったからか、料理の話だからか、真意はよくわからないけれど、とりあえず「読め」と。

あまり期待せずに読んだのだが、これが意外にも面白い!!
あっと言う間に読み終えてしまった。
どうやら連作小説で、あと3冊出ているようなので、続きも買って読もうかなと思っている。

内容は、江戸時代に料理人として様々な苦難に立ち向かう「澪(みお)」という女の子の話。
大阪の遊郭のそばで生まれ、水害で両親を一度に亡くしたが、偶然、一流料亭で世話になることになった。
そこで、女ながら板前としての修業を積み、江戸へ出て来る。
とにかくいろんな苦難に遭うのだが、良い人に恵まれ、料理人として頑張り続ける。
しかし、ヒット作を生み出しても、同業者に邪魔をされ・・・

時代小説なのだが、どこか新しい。
人斬りのための「刃」ではなく、料理のための「刃」だからか。
もしくは、女性が主人公だからか。
政治色が全く見えないからか。

時代劇のトレンディドラマを見ているような、そんな感覚。

また、上方の味付けと、江戸の味付けとの違いに戸惑い、苦労する澪の様子も興味深い。
初物、濃い味付け、粋な計らいを好む江戸っ子の気持ちをつかもうと試行錯誤する。
料理はどれもおいしそうで、巻末にレシピまで載っているのも嬉しい。

さらに、ちょっとした恋心や、江戸っ子ならではの人情、そして、ドラマティックな展開もあり、
現代小説としての面白さも十分にある。

いつも思うのだけど、私は主人公が「ひたむき」な小説って好きなのだ。
ひたむきさに惹かれる。
感情移入する。
応援したくなる。

そして、ハッピーエンドがいい。
いろんなことがあっても、最後は皆が幸せになる。
物語はいつだって、そうであってほしい。

読み終わった後、気分がとても良くなって、「読んでよかったな」と思えた。
そういう気持ちに久しぶりになれた。

おとん、ありがとう。

*    *    *    *

12月に入ってもう1冊読んだのは、

『FUTON』 中島京子


『小さいおうち』で直木賞をとった作者のデビュー作だ。

実は、この人の本を読むのは初めて。
直木賞受賞作を読もうかなぁと思ったんだけど、とりあえずデビュー作が気になって、こちらを手にとった。

『FUTON』は、田山花袋のあの『蒲団』を本歌取りしたものだという。

私のように国文学をやっていた人間にとったら、もちろん花袋の『蒲団』は避けては通れない文学で・・・
あまりいい評価もないけれど、いわゆる「神の視点」から登場人物の私的感情を書き出したと、
ここから日本の自然主義文学が始まったといわれている。

近代文学の文壇でたいして評価もされていない、あの『蒲団』をなぜ題材にしたのか、
どんなふうに本歌取りしているのか・・・
私の興味はまずそこにあった。

感想。
大きく分けると2つ、そしてもっと細かく分ければ3つの展開が同時進行するこの『FUTON』という物語は、
正直に言って、本当に退屈だった。
物語に入り込むまでにも時間がかかったし、入り込んだ後も、誰にも感情移入できない。
作者が何を言いたいのかもよくわからないままで終わった。
読後感もほぼ何もなし。

『小さいおうち』を読もうかなと思っていたけれど、どうなんだろう?
読む価値あるかな?
今のところ、ちょっと阻まれるね・・・

誰か読んだ人がいれば、教えてほしい。

*   *   *   *

現在は、佐藤多佳子の『第二音楽室』を読んでいるところ。

ちょっと10代向け?!

あまりに甘酸っぱすぎて、やや入り込むのに無理はあるが、
それでもやっぱり彼女の文章は好きだなぁ。
登場人物の正直な心の表現がうまい。

全部読み終わったら、また違う感想が生まれるかも。

やっぱり本も読まないとあかんなぁ・・・
文化的生活、続行中。


ばかもの

2010-09-29 23:16:46 | 
どとーの取材月間も明日で終わる。

今月は取材記事とちょこちょこした依頼が多い月やった。
取材は全部で14件あった。
明日の彦根で終わりだ。
これでようやく一段落(といっても原稿はまだいっぱい残っているが)

昨日の取材はすごく楽しかった。
社内報の記事で、成果のあった取組をした人をクローズアップするコーナーなんだけど、
このコーナーに載るのも初めてで、全面的に仕事を任されたことも初めてという人で。
緊張しつつも、取材されることを本当に嬉しそうに、いろいろ話してくれた。
帰り道に、「めっちゃいい人・・・」とひとりごちて、
とてもあたたかい気持ちになった。

こんなふうに取材は楽しいのだけど、昨日はちょっとハードだった。
朝取材に行って、帰ってお昼ご飯を食べて、
午後からまた取材に行って、帰って3品作ってご飯食べて、本を読んで、
塾に行ってフォローに入って、その後、採用の面接をやって。

家から駅まで3往復はきつい
(片道15分強)
でも、充実した1日だった。

本は、絲山秋子さんの『ばかもの』を読んだ。
ブログによく書き込みをしてくれるhiroさんのオススメだったので。
絲山さんの作品は、たぶんデビュー作の『イッツ・オンリー・トーク』しか読んだことがなかったと思う。
その作品は、特に印象がなかった。
可もなく不可もなく、という感じ。

今回の『ばかもの』は、なかなかよかった。
とにかく読ませてくれる。
まあ、私は結構速読で、それも面白いと思えば何があっても(ご飯を抜いても、徹夜しても)一気に読みきってしまうタイプなので、とりあえず一気に読んだ。
取材先の近くの本屋で買って、移動中の電車で読み、
残りは家に帰って読んだ。(単行本1冊1時間半くらい)

最初は延々と性描写が続くのだけど、不快感はなく、
あまり下品な感じもせず、「あー、わかるわ」みたいなリアルさがあった。

その後、アル中の話は身につまされるような気がしたが、
まあ、まだ自分はここまではいっていないだろうと、逆に安堵したりも。

とりあえず、先へ先へと読み進ませる力があり、読後感も悪くはなかったが、
ただ少しだけ自分の中に違和感が残った。
私は誰にでも感情移入してしまうタイプなのだけど、
この小説に出てくる額子という女性にはなぜか感情移入できず、
最後まで彼女の本心というか・・・
心を理解することができなかった。
自分とは全く違うタイプの人間だからだろうか・・・

それだけが残念で、変な違和感は残ったが、
それでもなんだか引き込まれ、かついろんなことを考えさせられる作品だった。
(hiroさん、ありがとう)

そして、読み終わってからこの『ばかもの』というタイトルの重みが
なんだか迫ってきたのが心地良かった。
上手に生きている人だって、誰しも「ばかもの」になるのかもしれないな。
セックスに溺れたり、アル中になったり、宗教にはまったり。
弱さがあって、人を傷つけて・・・
「今日」から目をそらして、「自分」を見ないようにして、
そうやって生きていきながらも、闇の中でもがいて、何かにしがみついて。

でも、最後に生きる力になるのは、やっぱり「人」なのかもしれない。
本当に大事なのは、たいしたことじゃなくて、
吹けば飛ぶような幸せ。
でも、小さくても、とても確かな。
そんなことを感じさせてくれた。

もっと絲山さんの小説を読んでみたくなり、今は『ダーティ・ワーク』を読んでいる。
ストーンズが好きな、ギタリストの女性の話。
面白かったら、勧めようかなと思っている人がいる。

この夏は本も読まないし、自分でも書かないしで、言葉から遠ざかっていた。
秋になってまた本を読み始めたし、ブログも最近は毎日更新中。
こういう習慣を大事にしたいと思う。

さあ、明日は朝早くから彦根だ。
頑張ってこよう



最近読んだ本~「非色」有吉佐和子

2010-08-13 22:35:07 | 
「最近、更新少ないね」
と、いろんな人から言われて、自分でも書きたいのに……とジレンマ。
仕事や飲みやらで、とにかくゆっくりとパソコンに向かう時間がなくて。
でも、今日から3日間はその時間がとれるので、ガンガン文章を書く。
お盆休みでヒマな人はチェックしてくれたら、かなりの確率で更新されていると思う。

ずっと書きたかったのだ。
いろんな想いを。

まずは、本の話から。

この間、少し書いていたけれど、再読したい本がいくつかあって、
最初に、有吉佐和子の「非色」を読んだ。

まあ、本当に久しぶりに感動した。
再読だったわけだが、最初に読んだのは大学生の時だろうか。
かなり昔の記憶。
その当時は旅とライブにバイト代をつぎ込んで暮らしていたので、
本はほぼ100%古本屋。
これも見るからにその当時買ったことを匂わせるような色褪せた本で。

昭和42年初版、そして私が持っている本自体は昭和50年で十五版。
初版当時はもちろん私も生まれていないし、
平成生まれが20歳を超えている今となっては、
昭和50年というのも大昔のように思う人も多いだろう。

でも、本当に、活字を読むのが嫌いでなければ、ぜひ読んでほしい1冊だ。
時代背景は戦争直後だというのに、全く古さを感じさせない。
エンターテイメント性と私小説性との両方を兼ね揃えているし、内容も深い。
久しぶりに夜寝るのを惜しんで読んだ。
電車の中だけではガマンできなくて、
夜中3時4時まで読み続け、結局355ページを2日で読み切った。

この本を読んだきっかけは、私が20歳の頃からBLUESという黒人音楽を好きだったことがある。
BLUESというのは人種的な背景をもって生まれた音楽で、
簡単に言ってしまえばアメリカ黒人が生み出したものだ。
黒人音楽だけれど、アフリカでは生まれなかった。
アメリカという国に奴隷として連れてこられ、迫害と差別を受け、
だからこそ生まれてきた音楽だと思う。

今となっては「文化」であり「ミュージック」だけれど、
BLUESが生まれた当時は、文化やミュージックというよりも
主張であり、娯楽であり、叫びであり、自嘲であり、存在意義であり、
様々な意味をもっていたものだったと思う。
それこそ生活に根付いていた、というか。
綿花畑で来る日も来る日も働き続け、不当な扱いを受け、
金もない、希望もない、女は出て行ったし、酒でも飲むしかない・・・
みたいな。そういう音楽だ。

私は小学生の頃から音楽(演奏ではなく聴くことのみ)が好きでしょうがなかったのだけど、
いろんなジャンルの音楽を聴いてきて、結局自分の心をとらえたのがBLUESだったとき、
黒人に対して特別な想いを抱くようになった。
この「非色」を手にとったのも、たぶん黒人のことが書かれていると知ったからだと思う。

簡単にあらすじを言えば、
(ここからかなりネタバレなんで、本を読もうと思っている人はここで終わりにしてね)
戦後の日本でなんとか生きていこうとする主人公の女性がいる。
進駐軍相手の店で働くようになり、そこで黒人の兵士と出逢い、恋をする。
黒人兵士は敗戦国の日本人とは違い、物資の供給を受け、かなり裕福。
その援助を受け、何不自由なく暮らす。
そして、周囲の反対を押し切って結婚し、子供を生む。

この辺りから、この本の本題に入っていく。
まず、子供が生まれたとき、黒人の夫が自分の娘を「白雪姫」と呼んで溺愛するのだ。
でも、大きくなるにつれて肌の色が黒くなっていくと、ほとんど興味がなくなる。
母親である主人公は逆で、生むまでは不安だったのに、肌の色など関係なく、その娘を愛す。
たとえ、親族や実の母親から疎ましがられようと。

やがて、日本からの撤退を命じられ、黒人の夫は本国アメリカへ帰る。
「必ず呼ぶから、一緒に暮らそう」と言い残して。
主人公はアメリカなど全く行く気持ちはなく、この時に離婚したつもりでいるのだが。

でも、主人公の心に変化が生まれる。
それは、自分の黒い娘が周囲からおかしな目で見られ、いじめにあっているのを知ってからだ。
夫から「アメリカに来い」という便りがあったことをきっかけに、アメリカへ娘と渡る。
いわゆる「戦争花嫁」として。

その船中、同じ境遇の花嫁たちと出逢い、彼女たちとはアメリカにわたってからも苦労を共にする。
アメリカに着いてみて、初めて気づく。
黒人差別という問題に。
貧しいハーレム暮らし。病院での夜勤という労働で安い賃金しかない夫。
日本料理屋で自分が働き、なんとか生計を立てる。

その間に、子種をたくさん持っていると言われている黒人ゆえに、
気をつけていても、どんどん子供は生まれていく。
貧しいのに、子供は毎年生まれる。

日本にいれば堂々としていたのに、「ニグロの妻」ということにどこか恥ずかしさ、
後ろめたさを感じていく主人公。
卑屈になっていく。
そして、アメリカという他民族の国の現状にも詳しくなっていく。
差別を受けていたニグロでさえも馬鹿にする民族、プエルトリコ人がいることを知る。
いつしか、主人公はプエルトリコ人よりはマシだと感じている自分にも気づく。

肌の色だ。
黒人夫やその家族のぐうたらさ、いい加減さ、無気力さに腹を立て、
「やっぱりニグロはニグロだ!」と思う。
それが、色なんだと思っていたのに、
見た目は白人であるプエルトリコ人が一番下の階級であることに疑問を感じるようになる。

肌の色じゃないのか?

その答えは、アメリカで暮らす上流社会の日本人のお手伝いとして働くようになってから明らかになる。
パーティーにやってくる、アフリカの肌の黒い上流階級の人々。
同じ肌の黒さなのに、彼らはアメリカ黒人をバカにしている。
主人公がニグロの妻と知ったとたんに態度が変わる。

娘と二人で全く知らない土地、アメリカに渡って来て、
いろんな人種を見て、いろんな暮らしを目の当たりにし、
様々な疑問をもって生きてきた主人公が、最後に答えを出す。
それが、この本のタイトルだ。

「色にあらず」

そのことに気づいた主人公は、自分は日本人だ、黄色人種だ、
あんな黒い肌の低俗なニグロとは違うんだと思っていた気持ちを捨てる。
アメリカという国で、ニグロの妻として、母として生きていく決心をする。
肌の黒い娘を誇りに思い、ほとんど面倒を見てやれない状態の一番下の息子を思い、
どこかスッキリとした思いで家に戻る。

色に非ず、差別は階級なのだと気づく。
そして、その気づきは、失望ではなかった。
むしろ、希望だった。
肌の黒い夫、親戚、娘、息子。
でも、肌の色じゃない。
瞳の輝きは肌の色では決まらない。
社会が作り出した階級なんだ。
でも、肌の色じゃないってことは、希望がある。

私はアメリカで7年も暮らしていて、ハーレムと日本料理屋しか知らないのだ。
明日、エンパイア・ステイト・ビルに上ってみよう。

主人公はそう決意して、物語は終わる。

久しぶりに、本を読んだ後、心の震えが止まらなかった。
それも、再読なのに。

ほとんどあらすじは書いたけれど、興味をもった人はぜひ読んでほしい。
あらすじを紹介しているけれど、実はもっといろんなエピソードもあるし、
あらすじと結末を知ったからといって、つまらなくなるような本じゃない。

ストーリーやこの物語に秘められている命題の重さもさることながら、
とりあえず、全く古さを感じさせないエンターテイメント性、
面白さ、文章の巧みさなど、読みどころは満載だ。
むしろ、新しい。

夫は「その本、全然知らん。聞いたこともない」と言った。
確かに、誰もが知っている文学ではない。
でも、こういう文学はおそらくずっと残る。
初版から40年経っても色褪せないというのは、本当にすごい。
今更ながら、イチオシの本である。

漱石フェア

2009-11-28 22:45:14 | 
読む本がなくなったが、新しい本を買うお金も本屋に行く時間もない。
そこで、昔読んだ本の再読でもしようかと、本棚を物色した。

ふと、漱石が目につき、「そうだ、久しぶりに漱石を全部読み返してみたらどうだろう」と思いついた。

大学時代に主な作品はほとんど読んだが、再読は数冊しかしていなかった。
それも、ここ10年くらいは漱石を手に取ったことがないのでは?

とりあえず、自分の中の漱石ベスト3から読むことにした。
「三四郎」「虞美人草」「草枕」


今、「三四郎」を読んでいるが、こんなに面白かったかと思うほど面白い。
昔読んだのとは、また違った感情が生まれることに気づく。

漱石の独特の文体。漢字使い。
久しぶりに触れて、やっぱりお札になるだけのことはある人だなと思った。
文学はやはり面白い。

先日、塾で個別の講師が高校生の教材で、森鴎外の「舞姫」を見ていた。
わぁ、いいなぁと羨ましく思った。

高校の現代文の授業で「舞姫」をやったとき、
「この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目の、
 半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、
 何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか」
という一文を読んで、あまりの美しさに胸がどきどきし、何度も繰り返し読んだことを思い出す。
こんなに美しい文章が世の中にあるのか、と思った。

今、中学生に古今和歌集などを教えているけれど、
やっぱり古典を教えるのが一番楽しい。

私の行っていた大学の国語国文学科は変わっていて、
国文科の「華」である、中古文学の専門の先生がいなかった。
万葉、中古中世の仏教文学、近世、近代のみ。
平安時代の和歌を勉強したいと思っていた私にはかなりの衝撃だった。

結果的に、中古中世の仏教説話を卒論でやって、それはそれで楽しかったのだが、
今でも中学生に和歌を教えていると、やっぱりいいなぁと思う。
もしもう一度何か勉強できるんだったら、平安時代の文学をやりたいね。
この世で、全く役に立たない学問・・・。

漱石を読んでいたら、この時代の文豪って役に立たない学問をやってるけど、
やっぱり今の時代にまで感動や潤いを与えてくれるのだから、
こういう存在って人の世に必要なんだなと思った。

とりあえず、しばらくは漱石で楽しめそうだ……

三浦しをん 『まほろ駅前 番外編』

2009-11-13 22:55:38 | 
最近、どうもせつない気分になることが多い。

この感じを「せつない」という言葉で表現するのが的確なのかはわからない。
ただ、これが読んだ人も自分に置き換えて感じられる、いちばん近い言葉だとは思う。

もう少しわかりにくく言えば、

酒を飲みながら独り言を言いたくなるような、
ブルース・スプリングスティーンのサンダー・ロードを聴きたくなるような、
誰でもいいから友達にメールしたくなるような、
昔好きだった本を取り出してお気に入りの一節を探したくなるような、
近所の子供が歩いているのを見るだけで泣きたくなるような、

・・・そんな感じだ。

物書きなんて商売は、こういうときに、本当に役立たずだと思う。
取材相手の想いを表現することばかり考える毎日で、
自分の言葉を忘れてる。

塾の近所のファミマで働いている昔の生徒が、パンを買う私に向かって、
「さんのーさん、まだ本書かないの?」
なんて、気軽に重い言葉を問いかけるもんだから、
私は一気にせつなくなる。
しょうがないから、家に帰って、サンダーロードをYouTubeで探したりするわけだ。

そして、もう冷蔵庫に日本酒がないから、夫の部屋に行って、
彼の秘蔵のハーパーをちょっと拝借したりもするわけだ。

今日は、三浦しをんの『まほろ駅前 番外編』を読み終わった。

2006年の直木賞に輝いた『まほろ駅前 多田便利軒』
私はこの作品がめちゃくちゃ好きで。



三浦しをんの本を読んだのはこれが最初だった。
そこから結構いろいろ読んだのだけど、ページが進まないほど自分とは合わない。
なのに、この作品だけは、自分の感性にぴったりで。

人生で読んだ数ある本の中でベスト10に入ると思っているくらいだ。
でも、意外に周りの人のだれも、この本の話をする人はいない。
(ちなみに私の友達は基本的に本好きだ)

今回の『番外編』も本屋で見つけてすぐに買った。
迷いもなく。

でも、よくあるように、続編というのは本編の半分も満足いかない。
前半は読まなきゃよかったと思っていた。
それでもやっぱり後半はよかった。
今は読んでよかったと思う。

私は、映画でも本でもそうなんだけど、その全体のストーリーうんぬんよりも、
自分にとって「たまらん!」という場面や一文にやられるタイプだ。
それがその作品の評価となってしまう。

たぶん、『まほろ・・・』もそうで、自分にとってはたまらない言葉があったのだ。

息子が死に、離婚し・・・という重い過去を背負った多田。
便利屋を始め、高校の同級生で変わり者の行天という男と関わりをもつようになる。
便利屋にくる様々な依頼。
その中で親の歪んだ愛情を受けている子供の送り迎えを依頼される。

いろんなことがあった後、最後に多田はその子供に言うのだ。

「だけど、まだだれかを愛するチャンスはある。
 与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、
 おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。
 そのチャンスは残されてる。
 生きていれば、いつまでだって。
 それを忘れないでくれ」

このせりふにやられてしまったわけだ、私は。

たぶん、自分が子供時代に、一番欲しかった言葉だからかもしれない。
いつもぼんやりと思っていた。
どんな形であれ、愛されていることを知らなかった私は、
いつか自分はだれかを愛して、自分が与えられなかったものを
必ず与えるんだ、と。

それも今では間違っていたことはよくわかっているけれど、
もし、あの時代の歪んで卑屈でどうしようもなかった私に、
この言葉をかけてくれる大人がいたなら、
もう少し早く「私も生きていていい」ということを実感できたのではないかと思うのだ。

それから、この本のラストにもうひとつ、たまらない文章がある。

  今度こそ多田は、はっきりと言うことができる。
  幸福は再生する、と。
  形を変え、さまざまな姿で、
  それを求めるひとたちのところへ何度でも、
  そっと訪れてくるのだ。

自分が伝えたいけれど、うまく言えない言葉・・・
それをこんなにも簡潔に表現されると、やはり感服する。

「幸福は再生する」

本当に、そうなんだよなぁ・・・
自分自身の幸福が再生したからこそ、これを真実の言葉として受け取ることができる。
だからこそ、感情が揺さぶられるのだろう・・・

今、夫が帰宅して、「あっ!ハーパーがこんなになくなってる!」と騒ぎ出したので、
今日はこれにて失礼。


最近、読んだ本・漫画

2009-09-17 23:06:51 | 
今月は、石田衣良の『池袋ウエストゲートパーク』シリーズの最新刊を読んだ。
最近、石田衣良の作品って全然面白くないんだけど、
このシリーズだけはいつまでも面白い。
特に今回は良かったなぁ。

水戸黄門的というか、悪を必ず成敗してくれるのが心地良い。
こういうパターンを退屈に思う人もいるんだろうけど、私は好きだ。

とりあえず、読後感のいい本というのが好き。
だって、いい人が悪人に負けて死んじゃったりしたら、何のために小説を読んでいるのかわからなくなる。
そんな想いをしたいなら、現実があるじゃないか。

やっぱり、読んだ後に幸せな心地になれる本が好きだ。

伊坂幸太郎の最新刊『あるキング』も昨日読み終わった。
これは、なんだか不思議で淋しい本だったなぁと思う。
作者が何を伝えたかったのか、ちょっとわかりにくい。

今年に入って読んだ本で、ダントツに面白かったのは、
角田光代の『八日目の蝉』だった。
久しぶりに、本を読んでいて「続きが気になってやめられない」という状況に陥った。
内容は、決して楽しい話じゃない。
むしろ、辛い、せつない、しんどい、重い、話。
簡単に言えば、ある女が、不倫相手の子供を盗んで育てるという内容。
もうこれだけで、ヘビーなのがわかるだろう……

でも、やっぱり角田光代って、文章上手い。
リズムがいいし、感情移入しやすい。スッと入ってくる。映像が浮かびやすい。
ラストも、少し希望がもてたのがよかった。
絶望じゃなく、一筋の光が見えて。

あとは、今月は、家作りの本とか、教育論とかを読んでいる。
取材が多いと電車移動があって、そこで本を読めるのがいい。
(電車に乗るとき、鞄に本が入っていないと不安になるタイプ)

なんか面白い漫画読みたいなー。
連休はお金を遣いたくないので、家でひっそり静かに暮らすつもりだ。
大掃除したり……(また大掃除?!)
久しぶりに「おーい竜馬」を読み返そうかなぁ。

今、続きを楽しみにしている漫画は3つ。
「バガボンド」と「宇宙兄弟」と「プライド」。
一条ゆかりの「プライド」は買っていて、あとは夫に借りている。

「バガボンド」の最新刊はこの間出たばかり。よかった。
この漫画、小次郎が出てくるくらいまで面白くなかったんだけど、途中からめっちゃ面白くなった。
思っていたより、深い。
作者の深さがようやく伝わってきた。

でも、一番楽しみにしているのは「宇宙兄弟」。
なんというか……久しぶりに漫画で文学的な香りのするものに出会った気がする。
出来のいい弟が宇宙飛行士で、
出来の悪い(と思われがちな)兄も宇宙飛行士を目指す話なんだけど、
ま~ 面白い。
淡々と物語は進むし、派手な事件や恋愛事はないんだけど、
地味でありながらもなぜか惹かれるキャラがいいんだよなぁ。
すっごく魅力的。
早く新刊出てほしい~

というわけで……

はー。仕事の続きやろう……

近代文学、再読週間

2009-08-11 01:28:25 | 
11日を頑張れば、もうお盆休みである。

残念ながら、全く仕事なし!!
完全に5日間休暇!!

フリーにとって、思い切り休めるというのは、「あんた、もうこの世の中で必要とされてないよ」と言われている気分になるものだ。
でも、自分だけじゃなく、世の中全体が不景気ムードなので、まだ救われる。

このお盆休みにすること。

・とっておきの「雁木」を開封する(雁木=酒の名前です)
・実家で焼肉パーティー(100g1000円の肉を食わせてくれます)
・マイホームの土地探し
・ギターの練習
・村上春樹の「1Q84」について夫と話し合う
・賞金稼ぎ

最後の賞金稼ぎとは、もちろんちょっと文章を書いて応募しようってやつだ。

いつもこんな適当な文章書いてるけど、実は、プロのライターです
本気で書けば、結構いいもの書ける……ハズ。

まあ、仕事以外で書こうというモチベーションが出来ただけでもよかったと思う。
やっぱりこうでなくっちゃね。

あと、本も少し読みたい。

夫が「近代文学のまだ読んでないやつを読もうかな」と言っていた。
まあ、夫も一般人よりは本を読んでいるほうだと思うけど、
「かおり、ディケンズって読んだことある?」
と聞いてくるくらいだからなー。
「クリスマスカロルとか、大いなる遺産とか?」
とすぐに答えられる自分が好き……

では、私の好きな、読んでほしい近代文学勝手にベストを。

<日本文学編>
1位 『正義と微笑』太宰治
2位 『路傍の石』山本有三
3位 『菜穂子』堀辰雄
4位 『雪国』川端康成
5位 『蘆刈』谷崎潤一郎

<海外文学編>
1位 『エミリー』シリーズ モンゴメリ
2位 『大地』パール・バック
3位 『ジェーン・エア』シャーロット・ブロンテ
4位 『若き詩人への手紙』リルケ
5位 『変身』カフカ

だいたい読んだことがある人だったら、
私という人間がなんとなくわかる選択だと思う……

この中で『菜穂子』が若干、異色な感じがするけれど、
これは大学3回のときに、半年くらいかけて研究していた作品なのだ。
自分が書く文体が完全に堀辰雄になるくらい、読み込んでいた

最近、私自身は、久しぶりにエミリーシリーズと、それからここには挙げなかったが、
漱石の作品を全部読み返したいなぁと思っている。
ちなみに漱石で好きなのは、『三四郎』『虞美人草』『草枕』である。

こういう文学について話し合える人がいたらいいんだけど……
まあ、残念ながらなかなかいないのである。

ひのきにも、最近、文学部っていないのよね。
っていうか、世の中に存在してるのか?文学部って……
もう過去の産物……?


最近読んだ本 『悼む人』『利休にたずねよ』

2009-05-31 14:37:12 | 
夫と話していて、覚書程度でもいいから「読んだ本」の記録をつけていこう、ということになった。

GWが終わってからようやく本を読む習慣が戻り、
2冊読み終えたので、とりあえずその感想でも。
あまり時間をかけず、簡単に。

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★『悼む人』 天童荒太



とても不思議な物語だった。
「生」と「死」という重いテーマを扱っているのだが、
私にはどこか現実離れした感覚が常につきまとった。

このタイトルにもなっている「悼む人」とは、
主人公(であると言っていい)、静人という男性の呼び名。
彼は、新聞や雑誌、ニュースなどから「何らかの理由で死亡した人」の
情報を得て現場へ行き、その人の死を悼む。
そのために日本中を旅していた。

「何らかの理由で死亡した人」の理由は本当に何でもありで、
他殺、自殺、事故などを問わない。
年齢も性別も住んでいる場所も、いつ死んだかも問わない。
とにかく情報を得るたびに現場を訪れ、
周りの商店や家族などにこう尋ねるのだ。

「この方は、どなたを愛し、また愛され、
どんなことで人に感謝されていらっしゃいましたか」

わずかでもその答えを得られると、
片膝をつき、両手をそれぞれ上と下にやってから胸の前で重ねるという姿勢をとる。
もちろん、全く知らない人なのだが、
静人はこうやって死者のことを「覚えておこう」とするのだ。
この行為を「悼む」と自身が表現していた。

「悼む」ために旅を続ける静人。
なぜ?何のために?
読者はその答えを知りたくて先を読み進める。

また、ガンに侵され余命いくばくもない静人の母、
残忍な殺人や男女の愛憎がらみの事件を書くことを得意としている記者、
不幸な生い立ち、夫のDV、離婚、再婚、そして殺人まで犯してしまった女性、
この3人の<物語>も静人と関わりを見せながら進行していく。

「悼む人」の存在は決して皆に喜ばれるというわけではなかったが、
ある一部の人間にとっては救いにもなった。
人の「死」とは何なのか。残される人の思いはどこへいくのか。
さまざまな想いが巡る。

この本は決して「生きることの意味」を説くものではない。
むしろ、「死」というものを本人、そして周りの人間がどう受け入れるのか、
生まれたからには必ず来る「死」というものを
「生」の中でどう解釈していけばいいのか。
そんなことを語りかけてくれていた。

ただ、1冊の本の中で、これほど具体的に多くの人の死を見たことは初めてだ。
読んでいるとどうも憂鬱になってくるのは避けられない。

「この方は、どなたを愛し、また愛され、
どんなことで人に感謝されていらっしゃいましたか」

私が死んだ後、家族や友人はこう尋ねられたとき、どう答えてくれるだろう。
そう考えたとき、この答えが皆の口からスムーズに出るような、
そんな生き方ができるといいなと、単純に思った。

オススメ度は、★★★☆☆
(作品の出来に関係なく、友人などに読んでほしいかどうか)

===============================================

★『利休にたずねよ』 山本兼一



この間、同級生に会ったとき、この本のことを聞き、
利休に興味があったので読んでみた。
私はあまり歴史小説のようなものは読まないのだけど、
これはとても面白かった。

まず、構成が変わっている。

「利休 切腹の朝」から始まり、
「切腹の前日」「○日前」「○ヶ月前」「○年前」と過去に遡っていく。
章ごとに「視点」となる人物も変わる。
利休本人であったり、秀吉であったり、妻の宗恩であったり……
利休に関わる人物の視点から利休という人物が描かれる。

これを読むまで、私は利休についてほぼ何の知識もなかった。
「茶道を大成した」「秀吉との関係」くらいしか頭にない。
どれくらいの背格好であったか、どんな性質であったか、
どんな生まれでどんな人生を歩み、その一生を終えたのか……
読み進めるに従って、「千利休」という人物像がはっきりと浮かび上がった。

「美」に対するねばっこいほどの執着、
熱く燃えたぎる情熱的な性格、
「目利き」であることへの揺らぎない自信、
「茶の湯」へのまっすぐな想い……。

「美」を「わかりすぎる」ゆえ、その態度や目つきが、
絶対服従を強いる秀吉にとっては目障りになっていく。
そして、切腹へ。

また、「茶の湯」を絡めた当時の政治的な争い以外にも興味深かったのは、
利休の恋愛話である。
これはどこまで本当の話なのかは知らないが、
19歳の頃、高貴な生まれの高麗の女人を愛し、死ぬときまで忘れることがない。
「死」がもはや「美」と究極の背中合わせになっていることを感じ、
ある場面では、ぞくっとした。

これまで私にとっては、おとなしく、「茶を点てている坊主」のような印象しかなかった利休。
どこまで正しいのかわからないが、読み終わると完全に印象が変わっていた。
そのことがとても面白かった。

一つ、疑問。
私は10歳から大学を卒業するくらいまで茶道を習っていたので、
たびたび出てくる茶道の作法や道具の名前などがわかる。
イメージできる分、利休がどれほど「目利き」であったかというのもリアルで、
想像ではあるが、ため息が出るほどの「美」を感じることもあった。

でも、茶道を全くたしなんだことがない人がこれを読むとどうなんだろう。
うまくイメージが湧かないのでは?
ただ、もし湧かないとしても、それを超えて面白さを感じられる小説だとは思う。

これを勧めてくれた友人が「山崎の待庵(利休の造った茶室。うちの近くにある)」に行ってみたい」と言っていたが、
私も読み終わってすぐに前まで行ってきた。

国宝であり、1ヶ月前からハガキで予約をしないと拝見できない。
これまではなんとも思ってなかったが、私も見てみたいなぁ。
本物を見れば、また利休への印象が違ったものになるのかもしれない。

オススメ度:★★★★☆




あしたはわからない

2009-05-30 03:28:58 | 
3、4年前に書いたエッセイ風レビューです。

★『空中ブランコ』  奥田英朗

初めて小説を書いたのは20歳の時だ。
『浮世の夢』という、なんとも陳腐な物語だった。

おそらく原稿用紙にすれば30枚程度の短編なのだが、丸3日間かかった。
当時、大学生だった私は本当に一歩も外に出ず、3日間ワープロに向き合った(この頃、使っていたのは富士通のオアシスというワープロだった!)。
眠くて我慢できなくなれば、とりあえず眠り、目が覚めるとすぐにまたワープロに向かう。
食べる物もほとんど食べず、ただひたすら書き続けた。
「こんなに楽しいことがあったのか!」と私自身、驚いていた。こんなに夢中になれることがあるなんて!

物語は心の中にいくらでも存在していた。
私に文章にしてもらうのを今か今かと待っている。
早く吐き出してしまいたくて仕方がなかった。
自分が「物語」を書けるなんて、20歳になるまで知らなかったのだ。
一旦書き始めると、ああ、私はこれがやりたかったのだと実感した。

かなりの数の作品を書いた。
中には原稿用紙100枚ではきかない長編もある。
同人誌に発表し、友達にも読んでもらい、大学が終わる頃には「作家になろう」と決意するまでになっていた。

だけど、私はフリーライターになってしまった。
そして、寝る間もないほど忙しい生活の中で、いつしか「物語」は失われていく・・・。

あんなに私の中から溢れそうだった物語たちは、気付くとどこにもいなかった。
それでもたまに、昔の小説を手直ししたり、短いものをポツポツと書いてHPに掲載したりする。

日記やエッセイを好んで読んでくれる読者の中には、小説にも目を通してくれる人もいる。
だけど、たいてい「エッセイのほうがいいですね」とか「小説はあんまりですね」といったようなコメントを書かれる。

そのことに対して、もちろん不満などない。
正直な、そして妥当な評価だと思うし、どんなコメントであれ時間を割いて私のために書いてくれたものだ。ありがたく受け取っている。

ただ、私はだんだん物語を書くことが辛くなってきてしまったのだ。
私は、エッセイを書くより、日記を書くより、物語を書いている時が一番幸せだ。
時間が経つのを忘れる、というのはまさにこのことで、物語を紡いでいる間は現実から遠く離れた場所にいる。
気付くと何時間も経っているのだ。
そして、書き終えると、他では絶対に味わえない喜びを感じる。充実感、というのか。
恢復している。
出来上がった作品は、自分の子供のように愛しい。

自分が書きたいものを書いて、それを自分が感じているように愛しく思ってくれる読者がいたら、どんなにいいだろうかと思う。
だけど、それはなかなか難しくて。
私はせっかく生み出した子をけなされるのが怖くて、物語を書くことをやめていった。

奥田英朗の『空中ブランコ』という本の中に、心因性の嘔吐症になった女流作家の話がある。

若い女性なら誰でも知っているような人気作家で、出す本はすべて売れる。ドラマにもなった。
都会に暮らすスタイリッシュな恋愛を書かせたら天下一品で、恋愛好きな若い女性のカリスマ的な存在でもある。

なのに、嘔吐症になる。

自分が書いた小説の登場人物やストーリーが思い出せず、何度も何度も本をめくったりもする。
その中に1冊、売れなかった本がある。
『あした』というタイトルのその本は、彼女が本当に書きたかったような人間ドラマで、時間をかけ想いをこめて書いた。軽い恋愛物なんかじゃなかった。読み捨てられるような陳腐なストーリーでもなかった。
彼女には売る自信があった。
だけど、その本は売れなかった。
本当に書きたかった本なのに・・・本当はこういうものが書きたかったのに・・・
結局、彼女はまた消耗品的な恋愛ストーリーを綴り始める・・・

この『空中ブランコ』は5つの短編から成り、伊良部という精神科医が出てくるシリーズものだ。
「爆笑物」として紹介されていたりするように、なかなかユーモアがあって面白い。
だけど、私はこれを「爆笑物」とは思わない。そういう笑いはおきなかった。ただ、今年読んだ本ベスト3入りは間違いないほど面白かった。こんな面白い本には久しぶりに出会った、と思った。

伊良部は精神科医なのに、やることや言うことは5歳児並み。
自分の欲望のままに生きていて、突拍子もないことばかりをやる。
ものすごい「変人」だ。
だから、この伊良部に比べれば、精神科を訪れる患者なんてみんな常識人で、伊良部の変人ぶりに振りまわされていくうちに、ちょっとしたことがきっかけで悩める自分を解消できるのだ。

飛べなくなった空中ブランコ乗り、先端恐怖症になってナイフが持てないヤクザ、一塁に送球できないプロの3塁手……、いろんな職業の、いろんな病気をもった人たちが登場するのだが、みんな伊良部のむちゃくちゃな診察に最終的には癒されてしまう。

伊良部が意識的にやっていないのがまたすごい。
これを読んでいると、「ああ、人間ってすごく複雑で、すごく単純で、面白い生き物なんだな」と思わされる。
ちょっとしたことで精神に異常をきたし、ちょっとしたことで回復に向かう。
だけど、そのちょっとしたことに悩んで生きるのが人間で……。
なんだか人間というものが愛しく感じてしまうのだ。

嘔吐症の「女流作家」も、最初はすごくイヤな女だな、と思って読んでいた。
だけど、彼女の書いた『あした』という本の存在、そして、そのことがひっかかって嘔吐症になってしまっていることが次第にわかり始めると、だんだん彼女のことが愛しくなってきてしまった。

そして、ラストがいい。

編集をやっている友達に聞かされた話をきっかけに、彼女は嘔吐症を克服する。
書けなくなっていた小説もまた書けそうだと思う。
診察室を出ようとした時、ずっと愛想のなかった看護婦が彼女を呼びとめる。
看護婦は言うのだ。

「『あした』読みました。私、小説を読んで泣いたの生まれて初めてでした」

「ありがとう」

彼女が心からお礼を言うと、看護婦は続ける。

「また、ああいうの書いてください」

「うん、書く。今日から書く」

彼女は胸が熱くなり、階段を二段跳びで駆け上がった。
読んでいた私も胸が熱くなり、階段を二段跳びで駆け上がりたくなるようなラストだった。
電車の中で読んでいたのだが、ちょっとだけ涙が出た。
叫び出したい気持ちだった。

 人間の宝物は言葉だ
 一瞬にして人を立ち直らせてくれるのが、言葉だ。
 その言葉を扱う仕事に就いたことを、自分は誇りに思おう。
 神様に感謝しよう。

この一節を読んで、私は震えた。
言葉ってすごい。
こんな、こんな感動を与えてくれるのだ。
私も神様に感謝しようと思った。
言葉を扱う仕事に就いたことを。

私もまた物語を書きたくなった。
エッセイや日記のように面白がってはもらえないかもしれない。
だけど、私は物語を書いているとき、幸せなんだ。
それに、あの女流作家の『あした』のように、私の書いた物語を読んで、涙してくれる人だっているかもしれない。「また書いてください」と言ってくれる人もいるかもしれない。
私が震えたあの一節のような文章が、いつか書けるかもしれない。

だって、「今日」は夢から遠くても、「明日」は何が起こるかわからないじゃないか。

再読フェア実施中 山本周五郎「さぶ」

2009-02-18 22:44:31 | 
本屋に行く時間がないので、また「再読フェア」を実施中。
大学時代に読んだきりだった、山本周五郎の「さぶ」を読んだ。
面白くて、塾の行き帰り3日くらいで読んだ。

私がこの作品に関して書いた、昔のレビューがあったので、まずはそれを。

===================================================

江戸時代を背景にした「さぶ」と「栄二」という
2人の男の生き様を描いた人情物語。
さぶは愚鈍だが誠実な男。栄二は見た目もやることも男前。
タイトルは「さぶ」なのだが、これは栄二の物語である。
読んだ人は誰でも栄二に惹かれてしまうのではないだろうか。
山本周五郎の作品は他にもいっぱいいいものがあるが、
やっぱりこれが私には一番たまらない。
日本人が本来もっている「人情」を描かせたら
山本周五郎の右に出る人はいないだろう。
無実の罪をかぶり、島流しに遭う栄二。
けれど、どんなときも誠実で、とにかくやることも
言うこともみんなかっこいいのだ。
日本男児はこうあるべき!
友情、真実の愛なども見えてくる、本当の名作だ。

===================================================

再読しても、それほど感想は変わらないが、
今回私が注目したのは、なぜこのタイトルが「さぶ」なのかということだった。
どう考えても、主人公は「さぶ」ではなく、「栄二」なのだ。

1回目に読んだときには、栄二という人物の格好良さばかりが目についた。
だけど、再読してみれば、栄二の激しすぎる恨みや行動に目を伏せたくなることが多かった。
これは私が年をとったからなのだろうか。

そして、さぶこそが、栄二を救ったことをしっかりと感じられた。
人は一人では生きていけない。
才能があり、何でもできるように思われている人でも、
その後ろには必ず支えてくれている人がいるのだ。
この物語ではそれが「さぶ」である。
それを実感できた。

だからこそ、この物語のタイトルは「さぶ」なのだろう。

20歳の頃に日本文学をほとんど読んだ。
あの頃感じたものと、今感じるものはたぶん違うのだろうなと
これを読んで確信した。

これからまた再読フェアを続けよう。
今読んでみるとまた違った感想が生まれるのだろうな。

次は、安部公房か、川端康成にしよう。


最近読んだ本。吉田修一、三浦しをん、川上弘美

2009-02-09 01:35:21 | 
今日は夜中12時くらいから家で日本酒を飲み始めて、
いい感じになってきたので、
今のうちに今年読んだ本のレビューでも書いておくことにする。

『元職員』吉田修一


吉田修一は伊坂幸太郎と並ぶ、有望な現代の若手作家だと思う。
今回もよかった。
この作家の良さは、いくら作品を発表しても、その質が落ちないことだ。
そこが伊坂幸太郎とも似ている。

タイにやってきた一人の男性。
心に何かを抱えている。
それが最初は何なのかわからない。
わからないまま物語は進んでいく。

タイに住んでいる日本人の若者と知り合う。
その男性の紹介で女性を買う。

物語がどういう方向へ進んでいくのか、検討がつかない。
この女性との恋愛なのか?
でも、「犯罪文学」とのふれこみなので、この女性を殺すのか?
それとも誰かを殺してタイに逃げてきたのか?
いろんな推測が飛び交う。

しかし、徐々にその事情が明らかになってくる。
そこでやっと「元職員」というタイトルの意味がわかる。

「吉田修一の文章は読みやすいけど、流せない」
と言っていた親友の言葉が蘇る。
本当にそうだ。

読みやすいのに流せない。
一文一文が意味をもって重くて。

ネタバレしたくないのであえてあらすじには触れないが、
ラストはハッピーエンドでもないし悲惨でもない。
どうなるのかわからないところで終わっている。

人間の弱さ、特に金に対する弱さをしっかりと描いた作品。
吉田修一はどの作品を読んでもハズレがない。


『光』三浦しをん


息もつけない作品だった。
一気に読み終えた。
だけど、決していい気分になるような作品ではない。
むしろ読まなければよかったと後悔するほど、どろどろしている。
でも、途中で止めることなんて決してできなかった。

ある小さな島で起こった不幸。
津波だ。
この津波によって島に住むほとんどの人が死んだ。
残ったのは、二人の少年とひとりの少女。
そして、生き残った少年の父親と、島の灯台に住むおじさん。

沈んだ島をあとにし、新たな生活を始めた生き残りの人々。
そこに潜んだ犯罪。

目を覆いたくなるようなシーンもあるのだが、
それでも目をそらせないほど引き込ませる。
これが三浦しをんという作家の実力なのだろう。

親から虐待を受け、すがりつく者。
それを疎ましく思う者。
どれだけ疎ましく思われても、わかっていても、すりこみのように
相手に陶酔し、自らの命まで預けてしまう。
その悲しさ。

そして、いろんなものを失って、心をなくした男。

いろんなものを得るために自分の体を差し出す女。

酒に溺れ、暴力をふるい続ける父親。

様々なヘヴィな人間模様。

好きな作品かと問われれば言葉に困るが、
でも、途中でやめることができないほど夢中になって読んだ作品ではある。


『どこから行っても遠い町』川上弘美


いかにも川上弘美らしい、ゆったりとした空気の流れる作品。
読みきり短編のオムニバスといった感じで、
1つの章に脇役として登場した人物が、次の章では主役になったり。
その展開が面白い。

うーんとうなるような場面もあり、文章もありで、
とても面白く読めた。